・Sr.阿部のバンコク通信(88)タイの教会には、いつも「共同の赦しの秘跡」がある

   大祝日に備えて、タイ国の教会ではいつも、共同の赦しの秘跡があります。「いいなぁ」と感じるタイの教会の典礼のひとつです。ご聖体の秘跡と赦しの秘跡は、カトリック信徒の生活を元気に生き生きとさせくれる恵みの秘跡だと常日ごろ思っています。共に与かることで『兄弟姉妹の皆さんに告白します』の回心の言葉が具体的になり、親しみを感じる機会です。 私たちが所属するバンコクの聖ミカエル教会では少なくても年に4回、大祝日や聖ミカエルの祝日の前に行われます。

 苦手な秘跡に特別な親しみを持つようになったのは、訪問宣教でルーテル教会の牧師さんと出会い、秘跡の凄みに気づいた時からです。「人の魂の救いのために、確実な神からの赦しを与える秘跡、自分には一番肝心なこの権能がありません」と。身近な秘跡を蔑ろにしている私、はっとしました。
それからは足繁く秘跡に近づき、恵みを受けるようになりました。いつも神と他者、自分との関わりに癒しと安らぎを取り戻してくれる大きな恵みの秘蹟、悶々混沌、不安怒り、問題と困難、迷いからの救いとなっています。

 タイでは年に一、二度、日本人の神父様が来られてミサと赦しの秘跡が受けられます。「恵みをいただける機会だから」と、ミサに参加された方に赦しの秘跡を受けるように勧めることがありましたが、ある時、「強制しないでください」と言われ、それからは黙って祈る事にしました。その後、秘跡に近づき、大きな恵みに感動し、他人にも勧めているではありませんか。本当にうれしかったです。

 そう言えば、第二バチカン公会議が閉幕して間もなく、イタリアのナポリで女子パウロ会教理センター主催(典礼憲章の解説実践)のカテケージスセミナーがありました。扇状の大会場はまさに「聖堂」と化し、ステージ、横通路、後部、踊り場に司祭が立ち、共同の赦しの秘蹟が始まりました。最前列にいた私が、ステージ前の司祭の所へ進もうとした時、会衆を向いて立っておられ司祭同士が近寄って告白し始めたのにはびっくり、本当に感動しました。その時の忘れ難い光景は、当時の参加者全員の心に刻まれていると思います。

 タイの教会ではミサ前後に司祭が告解場にいてくださるので、秘跡を受けやすいですし、タイの信徒はごく親しく頻繁に受けています。多分仏教文化にも罪の赦しを受ける、平素の習慣があるからだと思います。神様に”秘跡の法廷”で「ごめんなさい」をすると、本当に心身が癒されます。
これからも、聖霊に導かれて謙虚に温順に生きるために赦しの秘跡に与かり、主の福音を豊かに宣べ伝えて行きたいと思います。教会共同体の刷新の秘訣も、ここにあるかも知れませんね。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

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2024年4月18日