・神様からの贈り物 ⑩「副作用で苦しんだ年月は、イエスの愛を強く体験する時間だった」

  幼い頃、初めて十字架を見た時の衝撃は忘れられない。磔にされたイエス様が苦しむ姿に、目を背けたくなった。「こんな怖いものを飾っているのはなぜ?」という恐怖と驚きが、私の小さな胸の中から消えなかった。しかし、今の私は、十字架を見ると、そこから目を離せなくなる。その変化が起きた理由を、ここに記す。

  高校2年の半ば、抑うつ状態になり、医師の勧めで服薬することになった。「これでかなりうつ状態はよくなりますよ」という言葉を信じていた。

  しかし、飲み始めた翌日、体に異変が起きた。昼休みに、吐き気と強いめまいが起き、その後ひどい眠気に襲われた。心配したクラスメイトに支えられ、なんとか保健室までたどり着いたが、放課後になってもベッドから動けなかった。それが、副作用との闘いの始まりだった。 副作用は多岐にわたった。手が震えて字が書けず、マーカーをまっすぐ引くことができなくなった。私のノートは、服薬開始を機に、ミミズのような文字だらけになってしまった。集中力を失い、趣味の読書も楽しめなくなった。

  一番辛かったのは、眠気やだるさだった。それは、23時に床についても、翌日の午後1時頃にならないと起き上がれないほどだった。まるで、麻酔をかけられて目覚めることができないような感覚だった。しかし「この薬を飲まないと、病気はひどくなる」と繰り返し説得され、耐え続けた。

  ところが、その17年後、私が受けた診断は間違っていたことが判明した。飲んでいた薬も間違っていた。涙が出ないくらいショックだった。「私の体はどうなってしまうのだろう? 今まで耐え続けた年月は何だったのだろう?」と、やり場のない不安と怒りでいっぱいだった。

  誤診が判明して7年、新しく信頼できる主治医と出会い、主治医と二人三脚で、服薬をやめる方向で治療している。けれども、精神科の薬を減らしたり、やめたりする時には、覚醒剤をやめる時のように、禁断症状が必ず出る。今度は禁断症状との闘いが始まった。「飲んでも地獄、やめても地獄-これが薬なんだ」と、身をもって知った。でも、ひとつの薬が抜けるごとに、心身の不調は減り、体が軽くなった。本来の自分に戻っていった。

  この苦しみを通して、十字架の印象が180度変わった。今は見上げる度に、ほっとする。イエスさまから「あなたの苦しみを知っているよ」と言われている気持ちになるからだ。入りすぎていた力が抜ける瞬間だ。

 副作用で辛かった年月のことを、今、私は、イエス様の愛を強く体験するための時間だった、と思っている。きっと今も語りかけてくださっているはずだ。その声に耳を傾ける準備を常にしていたい。

(東京教区信徒・三品麻衣)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2024年4月29日