・愛ある船旅への幻想曲 ㊳今は亡き司教の、信徒に対する真摯な姿勢を思いやる

 主の御復活おめでとうございます。

 今年もイエスと共に新しい旅に出掛ける日、一人旅もいいだろうが、旅の感動を分かち合う気心の知れた相手が居る方がもっといいに違いない。。

 4月、満開の桜を楽しんでいるのは外国人観光客だけではないだろう。毎年、桜の名所へと花見に出かけることが年中行事の一つとなっている日本人も多い。

 この『桜』、J-POPでは、出会いよりも別れの場面に使われることが多いようだ。満開の桜が、儚く散って行くさまを感慨深く綴られ、「また、会えるよね」と、再会を願い「また会える」雰囲気を最後のフレーズが醸し出す。“歌は世に連れ、世は歌に連れ”の如く、歌と世は影響しあっている。だからこそ、「思い出の歌」として歌い継がれ、人はその当時を懐かしむことができるのだろう。そして、女性へのイメージが暗く差別的だった昔の歌詞から、ありのままの女の子の日常が段々と綴られてきた1970年代の歌を男性聖職者、教会トップ集団には特に思い出して欲しいものだ。

 先日、私は未信者の大学教授から、「昔の教会の聖堂内陣の様子を詳しく知りたい」との依頼を受けた。その当時の担当宣教会や信徒家族に問い合わせたが、今のところ参考になる写真や資料が全くない。当時の司祭や信者が居ない現状は当然だが、誰にも『初期の教会の姿』が伝えられてないことは残念である。

 私自身、『戦争で焼けた教会』との認識しかなかったが、その時代に思いを馳せた司祭の教会建立、国を離れなければならなかった外国人信徒の深い信仰そして自由な発想が取り入れられた聖堂内陣の姿があったことが今、未信者の手によって明らかになろうとしている。担当する宣教会が次々変わってきたことが歴史を辿るデメリットになっている事を知った。

 カトリック教会は、過去の振り返りも未来の姿も思い描かず、その時々の受け身の姿勢だけで満足している信者たちの旅が続いているように感じる。「信徒が教会の問題についてあれこれ言ってはならない。それがカトリックや。意見するならプロテスタントや」と、信徒をコントロールする聖職者達がいる教会では、今も続く“シノドスへの旅”にも信徒は意見を言ってはならないことになる。各ハラスメント問題も然りである。何よりも、ハラスメント相談窓口担当者と司教が問題聖職者をかばい、他教区に転任させる、というありえない筋書きさえある。転任先に正直な説明などしてないこと、これはれっきとした“隠蔽”とご存知か。

 聖香油のミサでは、司祭叙階の振り返りと、「司祭も信徒と共に歩まねばならない」という教会共同体へのあり方などを司教は再度、確認するはずだが、私が今回初めてミサに与った教区の司教が熱弁されたのは、「健康状態が悪くなるのは“悪霊”の働きであり、その悪霊を追い出す為に『油』が必要」との話であった。このような理解が、この教区のスタンスなのか。それなら、「教会で今一番『油』が必要なのは誰なのか」と、是非ともうかがいたい。

 ある亡くなられた司教様は、シノドスについての私の質問にも真摯に答えてくださり、ヒントもいただいた。それを元に私たち二十数名は真面目に分かち合った。後日、そのまとめをお伝えした時も、司教様は謙遜の言葉で礼を述べられ、力付けてくださった。その司教様の言葉を、私は身近な若者達に伝えている。

 一人でもまともな司教が居られたこと、その司教が持つ「カトリック『教会』の正しい姿」を、未来の教会へ旅する若者たちに微力ながらも伝えていくことが、今の私にできることと思っている。信徒を思う教会作りのために貢献されたこの司教様は聖職者から受けた痛みも大変大きかっただろう、と立場は違えども思い知る今年の私の『聖なる過越の3日間』の始まりであった。

 追記として、3月のコラムで紹介した女子高生の政治分野でのジェンダー平等についての発表後に男性教員が質問した内容を、女性記者が後日、記事にした。「女性が増えて男性が減るデメリットをどう解消するのか」「むやみに女性を増やすと質が悪くなるという反論が出るが、能力を担保する方法は」と女子生徒に質問したと言うのだ。

 根拠のないデメリットや能力の有無を持ち出すことこそ、性差別だろう。教育現場の男性教員の質の改善こそ、早急に必要な事を感じさせた新聞記事であった。

 内心ジェンダーの話題を快く思っていない一部男性(指導者?)たちの存在を知る中、ある男子高校生の卒業式の答辞に感動した。歴史ある高校に誇りを持ち、若者としての気概を感じさせる内容からは、良き環境で高校生活を送ったことを、うかがい知ることができた。まともな人が育つ為の人間環境は大事である。

 ある男子高校生の卒業式答辞から一部抜粋。

 「僕達が一生かけて取り組む問題集には、別冊の解答、解説なんて付いていません。解説されてたまるものか。解答なんてあるはずもない、だけれども、あるいは、だからこそ、その問題を直視し、従うべき、逆らうべき風を判断せねばなりません」。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2024年3月31日