菊地大司教の日記 ⑥少しずつ、前進、漸進

2018年1月14日 (日)

 この数日、新潟は大雪で、普段はそれほど雪が積もらない新潟市内でも、あまりの積雪に車が埋まったりして、新潟教区本部も臨時休業となったと、連絡をいただきました。普段あまり降雪がない分、新潟市内は,実は大雪には備えが手薄だったりして、こんなにどかんと降ると大変なことになります。一晩中、電車に留まることになった方々は,本当に大変だったと思います。東京でも何度もニュースで流れました。

 とは言いながら、わたしは東京にいるわけで、大雪の新潟では全く考えられないほどの薄着で過ごしております。もちろん東京もそれなりに寒いことは寒いのですが、今朝、日曜の朝など、ジャケット一つでカテドラル構内を歩いていられるほどの暖かさ。考えられません。 で、朝からカテドラル構内を歩いていたのは、福島野菜畑の柳沼さんが、野菜などの販売に来られていたので、ご挨拶に。新潟でも,いくつかの教会で,福島野菜畑の活動に協力をしていますが、東京の関口教会では,月に二回ほど,定期的な販売があると聞きました。Yasaibatake1801

 柳沼さんによれば、教会の方々もそうですが、これまで何度も来ているので,顔なじみになった地元の方が常連さんのように購入してくださるそうで、そのため早朝からテントで開店しておられました。二本松から車で3時間ほどかけて来られます。大変な努力をしながら、福島の野菜を販売し続けることで、多くの方が福島を忘れずその現実に直接目を向けてくださるようになればと,心から願います。これからもできるだけ,柳沼さんたちの活動を応援していきたいと思います。

 東京教区に着座して,ほぼ一ヶ月です。よくアメリカの大統領なんかが就任すると,ハネムーンの100日とか言われます。その間は,多少の試行錯誤は許されるが、100日を超えたら結果を出すことが求められるという意味でしょう。そうなると、100日は、聖週間が始まる3月25日の週ですね。

 うーん。努力します。

 でも少しずつですが、前進、いや漸進しております。 昨日、1月13日の土曜日には,初めての宣教司牧評議会を開催しました。宣教司牧評議会は,新潟教区にもありますが,教区によってその活動内容が異なっています。東京の宣教司牧評議会は、それぞれの宣教協力体からの代表の信徒の方で主に構成され、司祭評議会の代表も加わると伺いました。もっとも司祭評議会はまだ開催されていませんので、今回は司祭の代表は不在。それでも、司教が福音宣教の方向性を定めるために、各現場の現状からの報告や提言が活発になされる、教区司教を支えてくれる組織であると、今回の初めての宣教司牧評議会で感じました。なるべく多くの声をお聞きしたいというのがわたしの願いですので、これからも様々な課題について、信徒の方々の声を届けていただければと思います。

 新潟教区では,宣教司牧評議会は一年に一度しか開催できませんでしたが、東京教区では,隔月で,年に6回の開催。回数の多さに,さすが大都会と驚きましたが、ありがたいことです。

 どのくらいの頻度で,カテドラルでのミサを行うのか,何かまだ模索中ですが、すでに決まっている東京カテドラル関口教会での次回のわたし司式のミサは、灰の水曜日、2月14日午前10時の予定です。なるべく頻繁に、機会を見て、カテドラルでのミサも捧げたいと思います。

 なお新潟教区では、また小教区には改めて教区本部からご案内しますが、四旬節第一主日の共同洗礼志願式を,今年もわたしの司式で,新潟教会で行います。今年は、2月18日(日)の午前9時半です。

  先日、東京での着座式に合わせて、オリエンス宗教研究所から本を出していただきました。タイトルは、『「真の喜び」に出会った人々』で、B6版144ページ、税別で1,200円です。一冊お買い求めいただけたら幸いです。

 この本は,先に,オリエンス宗教研究所から毎月発行されている『福音宣教』誌に連載された記事をまとめたものです。11回の連載で、わたしが直接知っている方々を中心に、福音の喜びに触発されて信仰の証しに生きている方々を紹介する内容です。

 ほとんどの方が,ガーナでの宣教活動や,カリタスジャパンの仕事を通じて出会った人たちです。わたしの人生の歩む方向に,大きな影響を与えた人もいます。新潟教区の米沢の53福者殉教者や,福者オルカル・ロメロ大司教のような歴史上の人物もいますが、すべて何らかの形で,わたし自身とつながっている人たちです。

 連載当時は、年に11本ですから、毎月締切り間近になると,苦しんでいたことを思い出します。想像では書けないので、存命の場合はご本人にメールを出したり、関係者にメールを出したり。かなり余裕を持ってメールを出しているのですが、なかなか返事がなくて気をもんだり、さらには返事がない場合に備えて,記事にはならなかった複数名の方に予備のインタビューをしておいたりと、編集部からの企画でしたので、間に合わせるのに苦労したことを覚えています。

本の表紙は、ガーナで働いていた30年前、一緒に苦労したカテキスタのデュマス氏と,一緒にいつも訪問していた病弱なダニエル氏のツーショット写真から、編集部が作成してくれました。二人の話も、もちろん本の中に記されています。

このデュマス氏の息子さんは,当時小学生で,わたしの教会の侍者をしていましたが、いまでは神言会の神父になって,日本管区で働いています。またこの本に登場するガーナのクモジ司教と、コンゴのチバンボ神父は、先日の東京での着座式に参加してくれました。

いろんな人がいて,いろんな状況の中で,いろんな生き方で,福音を証ししている。お互いに出会ったことのない人たち、生きている時間も異なる人たちは、それでも一致しているのです。福音に真摯に生きようとする姿勢において、多様性の中で一致している、神の民の一員です。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教に12月16日着座)

 菊地大司教の日記⑤「教区内の多くの方の力を結集して社会の光に」東京教区新年の祝いのミサで

 昨日1月8日は、カテドラルの関口教会で、午後2時から、教区の新年の集いのミサが行われました。ミサは私が司式し、30名を超える司祭が共同司式してくださいました。聖堂も、教区内各地の小教区共同体の方々が大勢駆けつけてくださり、設置してある座席はいっぱいでした。(あれで、実際は何名くらい座れるのでしょう。そのうち調べてみます)

 またミサの後にはケルンホールを会場に茶話会が開催され、教区内の多くの方からご挨拶をいただきました。おいでくださった方々に感謝します。また準備してくださった宣教司牧評議会の皆さんにも感謝申し上げます。

 以下昨日のミサの説教の原稿です。

 大司教として着座をし、東京教区の牧者としての務めを任されて、まだ一月もたっていません。ですから私にとって、新しく始まったばかりのこの一年は、東京教区の全体像をしっかりと理解する一年になろうかと思います。できる限り多くの方にお話を伺う一年としたいと考えています。

 とはいえ、東京教区の教区共同体はその間も眠っているわけではなく、生きているキリストの体として歩み続けております。年の初めに当たり、教区共同体全体として、どこを向いて歩みを進めようとしているのか、その方向性だけでもお話ししようと思います。

 ご存じのようにわたしの司教職のモットーは、「多様性における一致」であります。一般的に考えて、多くの人が集まって生きている社会には、必然的に多様性が存在しています。一人一人が異なる人間であるから当然であります。ですから、人が多く集まるところには、必然的に何かしらの多様性があります。

 私たちの信仰は、旧約の時代から新約の時代に至るまで、私と神との関係を基礎にしつつも、常にその個人的な神との関係は共同体の中で生き、はぐくまれ、実践される信仰であります。まさしく、神の民という言葉が表しているとおり、私たちの信仰は共同体と切り離せない関係にあります。

 多くの人が集まったこの信仰共同体を一致させるのは、皆が同じように行動するといったたぐいの外面的な同一性ではなく、同じキリストに結びあわされて生かされているという意味での同一性であります。

 私が「多様性における一致」というモットーに掲げている一致は、一見それぞれがばらばらに生きてはいるのだけれども、それぞれが唯一のキリストにしっかりと結びあわされて生かされ、共同体全体としては神に向かって歩んでいる、そのような一致であります。

 ですから問題は、教区共同体の皆が、しっかりと同じキリストに結びあわされて生かされているのかどうかであります。わたしたちは、自分が出会ったことのないキリストに結ばれることはありません。教皇ベネディクト16世がしばしば強調されていたことですが、私たちの信仰にはキリストとの個人的な出会いが不可欠です。キリストとの出会いは、「個人的な出会い」と言いながらも、それは決してわたし個人のためだけなのではなく、皆が同じキリストに結ばれるようにと、共同体全体のために不可欠なことであります。

 教区共同体全体が多様性の中に一致することができるように、まず第一に、一人一人が個人的にキリストと出会うことができるように、祈りと学びを深めていきたいと思います。

 その意味でも、今生きている神の御言葉に、しっかりとつながっていることは重要です。聖書に親しみ、同時にミサの時に朗読される聖書に記された神の言葉を、是非とも大切にしていただきたいと思います。それは昔記された格言集なのではなく、告げられたときに今生きている神の言葉であります。ミサの聖書をよりよく朗読し、また神の求められていることを知るようにと耳を傾けることは大切であります。

 「私の口から出る言葉も、むなしくは、私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」と預言者イザヤに語らせた神の思いが、今実現するように、私たちは神の言葉を通じて示される神の使命を知り、その実現に寄与する生き方を見いだしたいと思います。

 教会は、誰かが経営をしているお店にお客さんがやってくるようなそういう存在ではなく、その共同体に属するすべての人によって成り立つ存在です。それは教区共同体も、小教区共同体も同じことであります。信徒、司祭、修道者が、それぞれ共同体の中で役割を果たし、責任を分担していくことで、一つの体は成立いたします。その意味で、継続した信仰養成は重要であり、そのためのリーダーには、信徒の方々にも積極的に関わっていただきたい、と私は思います。できる限り多くの方の協力を得られる道を、これから模索したいと考えています。

 日本の司教団は、昨年、「いのちへのまなざし」のメッセージの増補新版を発表いたしました。私たちが生きているこの社会には、国家間の関係に始まり、身近な地域の関係まで含めて、様々な不安要素が存在し、私たちはある意味、先行きの明確ではない暗闇の中を手探りで進んでいるような漠然とした危機感の中で、何かしらの不安を抱えて生きております。そのような現実の中で、人間のいのちは、様々なレベルでの危機に直面しております。現実の紛争やテロの中で失われていく多くのいのち。国境を越えて移動する中で危機に直面するいのち。そうかと思えば、私たちの国でも、障害と共に生きている方々を殺害することが、社会にとって有益なのだと主張し、実際にそれを実行する人物が現れ、加えてその行為を肯定する人たちの存在すらも浮かび上がりました。

 神からの賜物であるいのちの価値を、人間が決めることができるのだという考えは、神を信じている私たちにとっては、人間の身勝手な思い上がり以外のなにものでもありません。

 世界の様々な現実の中で、多くのいのちが危機にさらされている、その背景には、世界が暗闇に取り残されてしまった不安から生じる自己保身と、その結果としての自己中心、利己主義が横たわっております。異質な存在を排除し、自分たちの周囲のこと以外には無関心になって目をつぶる。そのような自分中心の世界の中で、神からの尊い賜物であるいのちは、様々なレベルの危機に直面しております。

 マルコによる福音に記されている洗礼者ヨハネは、主イエスを評して「私より優れた方が、後から来られる。私は、かがんでその方の履き物のひもを解く値打ちもない」と述べています。その言葉は、主イエスが優れているのだという宣言である以上に、洗礼者ヨハネの自己理解がいかに謙遜であり、自己中心でないのか、ということを明確にしています。

 私たちは、この世界では人間ではなく神が中心なのだと主張したいのです。洗礼者ヨハネのように、私ではなく、神こそが中心なのだ、と主張したいのであります。しかしそう主張するためには、この現実のなかで多くの困難が伴います。ですから、皆さんの力が必要なのです。

 教会に属する多くの方が、それぞれの生きておられる現場で、それぞれの方法で、この利己的な価値観にあらがう活動を続けておられます。是非とも教区内のそういう力を結集し、ばらばらに個々人がではなく、教会が全体として、この社会の中にあって暗闇に輝く希望の光となることを目指したいと思います。いのちの大切さを説き、私たちの人生には本当の希望があるのだと主張する。社会の中にあってそういう光り輝く教区共同体であってほしいと思います。失敗を恐れずに挑戦してみましょう。教皇フランシスコの使徒的勧告「福音の喜び」に記された言葉を引用して終わります。

 「私は出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会の方が好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さ故に病んだ教会より好きです」(「福音の喜び」第49項)

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教に12月16日着座)

 菊地大司教の日記④元旦ミサの説教「困難に直面する一人一人に、思いをはせ、その心に寄り添おう」

2018年1月 1日 (月)神の母聖マリア、深夜ミサの説教

  1月1日は、神の母聖マリアの祝日であり、また世界平和の日でもあります。今年は、東京カテドラル関口教会で、新しい年の始まりと同時に、深夜ミサを捧げました。聖堂内は、深夜にもかかわらず、ベンチ部分はいっぱいになるくらい多くの方がミサに与り、一年の始まりを祈りのうちに過ごしました。

 以下、深夜ミサの説教の原稿です。

 お集まりの皆様、新年明けましておめでとうございます。

 新年の第一日目、これから新しい一年という時間を刻み始めるに当たり、教会はこの日を「世界平和の日」と定めています。かつて1968年、ベトナム戦争の激化という時代を背景に、パウロ六世が定められた平和のための祈りの日であります。

 同時に、主の降誕から八日目にあたる今日は、「神の母聖マリア」の祝日でもあります。
神の御言葉、平和の王である主イエスは、聖母マリアを通じて私たちと同じ人となられました。八日目に「イエス」と名付けられた幼子は、聖母マリアの愛情のうちに救い主としての道を歩まれ、神の望まれる道を具体的に私たちに示されました。

 新しい年の初めにあたり、聖母が信仰のうちにイエスと歩みをともにされたように、わたしたちも主の示される道をともに歩む決意を新たにしたいと思います。

 今日、世界の平和を考える時、私たちは日本近隣を含め世界各地で見られる緊張状態や、この十数年間に頻発しまた継続している様々な地域紛争、残忍なテロ事件のことを考えざるを得ません。それ以外にも、全く報道されることのない、ですから私たちが知らない対立や不幸な出来事が、世界各地には数多く存在していることを思うとき、その混乱に巻き込まれ恐れと悲しみの中にある多くの方々、とりわけ子どもたちのことを思わずにはいられません。この新しい年を、希望の見えない不安な状況の中で迎え、いのちの危機にすら直面している多くの人たちに、私たちの心を向けたいと思います。

 この新しい年には、日本をはじめとして、この地域の各国の指導者たちが、さらには世界の国々の指導者たちが、対立と敵対ではなく、対話のうちに緊張を緩和する道を見いだし、さらには相互の信頼を回復する政策を率先してとられることを期待せずにはおられません。一人一人のいのちが等しく大切にされる世界の実現に、一歩でも近づくように祈ります。

 さて激しくグローバル化する世界では、様々な理由から国境を越えて移動する多くの人たちがおります。観光旅行に始まって、留学やビジネスや学術研究や医療など、人が移動し続ける理由は数限りなくありますが、そこには自分が積極的には望まない理由で移動をせざるを得なくなる人たちも多く存在しています。

 一人一人のいのちが、神の前で等しく大切であり、誰一人として忘れられてよい人も無視されてよい人もいないのだと強調され続ける教皇フランシスコは、特に、様々な理由から母国を離れて移住するしか道のなかった人たちの、それぞれの心の悲しみと苦しみに目を向けられます。

 本日の「世界平和の日」にあたって発表された教皇様の平和メッセージのテーマは、「移住者と難民、それは平和を探し求める人々」とされています。

 ともすれば、移住者や難民は、平和を乱す混乱の原因であるかのように見なされます。しかし教皇はそれをあえて、「平和を探し求める人々」なのだといわれます。

 教皇フランシスコは、メッセージの冒頭で次のように指摘されます。
「世界中に2億5千万人以上いる移住者と、その内の2250万人の難民について再び話したいと思います。わたしの敬愛する前任者、ベネディクト十六世が断言しているように、彼らは『平和のうちに過ごすべき場所を求める、男性、女性、子ども、若者、高齢者です』。彼らの多くは平和を見いだすために、いのちをかける覚悟で旅に出ます。その旅は多くの場合、長く険しいものです。そして彼らは苦しみと疲れに見舞われ、目的地から彼らを遠ざけるために建てられた鉄条網や壁に直面します」

 その上で教皇は、聖ヨハネパウロ2世の言葉を引用してこう記します。
「もし、すべての人々が平和な世界という夢を分ち合い、また難民や移住者の貢献が正しく評価されるなら、人類はもっと世界的な家族となり、地球は本当の意味での共通の家となるでしょう」

 教皇フランシスコのこうした呼びかけに応えて、教会の援助救援団体である国際カリタスでは、昨年9月から、難民や移民として困難な旅路に出ざるを得ない人たちと、その旅路を分かち合おうという趣旨のキャンペーンを始め、日本の教会では、カリタスジャパンと難民移住移動者委員会が共同で、「排除ゼロキャンペーン」と題して実施中であります。

 私たちはニュースなどを耳にするとき、難民だとか移住者と、ひとくくりの集団として考えてしまいがちであります。しかしそこには一人一人の大切な存在があり、そこには一人一人のユニークな歴史と物語があります。一人一人の喜びと希望、苦悩と不安が存在します。

 どうしても第二バチカン公会議の現代世界憲章の冒頭を思い起こしてしまいます。
「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」

 教会は、困難に直面する一人一人に、思いをはせ、その心に寄り添いたいと願っています。

 世界平和の日にあたり、困難に直面している多くの方々の心に思いをはせましょう。平和を実現する道を歩まれたイエスの旅路に、聖母マリアが信仰のうちに寄り添ったように、私たちも神が大切にされている一人一人の方々の旅路に寄り添うことを心がけましょう。聖母マリアのうちに満ちあふれる母の愛が、私たちの心にも満ちあふれるように、マリア様の取り次ぎを求めましょう。

 この一年、いのちの与え主である神が、一人一人の存在を愛おしく思われるように、わたしたちも一人一人を大切にし、その心に寄り添って生きるように、とりわけ困難な状況のうちに生きておられる多くの人たちに寄り添うように、ともに心がけて参りましょう。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教に12月16日着座)

 菊地大司教の日記③年頭挨拶・・「三つの務めをバランスよく分担して進めよう」

新年、明けましておめでとうございます。

 先日東京カテドラルで行われた着座式では、本当に多くの方に参加していただき、励ましのお祈りとお祝いの言葉をいただきました。また、当日は様々なところで、多くの方のお祈りもいただきました。お一人お一人に御礼を申し上げたいのですが、なかなか適いませんので、このブログでもって、皆様に心から感謝申し上げます。

 本来ですと御礼の言葉や、また新年のメッセージなどを用意すべきところです。申し訳ありません。何もできていません。年賀状すら用意することができませんでした。

 というのも、実はまだ新潟からの引っ越しが完全には終わっておらず、また新潟教区での残務整理に加えて、新しい司教が決まるまでの新潟教区管理者の仕事もあるため、東京に落ち着いておりません。一段落するまで、今しばらく時間をいただきたく思います。

 さて、年末最後の日には、都内でも雪がちらつきました。大晦日に初雪を観測したのは、130年ぶりだと、どこかで読みました。寒い一日でした。

 厳しい寒さで始まるこの2018年は、私にとっては大きな挑戦の一年です。「教区共同体とともにどこへ向かうのか、そのためには何をしたらよいのか」。まずこの二つを、全く新しい環境の中で見極めていかなくてはなりません。そのためには、現在の教区共同体の現実と可能性を識別しなくてはなりません。

 とはいいながら、教区共同体は生きています。教区共同体には、まさしく「多様性」そのものともいうべき、多様な教会の現実があり、その多様性は具体的な人として日々の信仰生活を生きておられます。ですから、完全に立ち止まり、いわばフリーズしてアイディアを練ることだけに集中することはできません。今まさしく動いている共同体を、動かし続けなくてはなりません。

 これまで続けられてきたことは、ひとまずそのまま継続していただきたいですし、その動きの中で、課題や可能性を一緒に学ぶことができればと思います。私にとっては新しく知ることですし、また教区共同体を形成しているお一人お一人にとっては、これまでの過去を振り返り新たな道を見いだす機会ともなり得るかと思います。

 そのような中にあっても、私にとっては明確なことを、二つだけ記しておきます。

 まず第1に、教会共同体は、積極的に参加される人も、そうではない人も含め、すべての信徒・修道者・司祭はその一部です。それはご自分が好むと好まざるとに関わらず、洗礼を受けてキリスト者となっている限りにおいて、すでに教区共同体の一部として招かれているからです。ですから、皆さんすべての存在が、教区共同体には不可欠です。

 そして第2に、教皇ベネディクト16世が、回勅「神は愛」に記された教会の本質的三つの務めを、教区共同体として具体化することが私の願いです。すなわち25番に次のように書かれています。

「教会の本質は三つの務めによって表されます。すなわち、神のことばを告げ知らせること(宣教ケーリュグマ)とあかし(マルチュリア)、秘跡を祝うこと(典礼レイトゥールギア)、そして愛の奉仕を行うこと(奉仕ディアコニア)です。これら三つの務めは、それぞれが互いの前提となり、また互いに切り離すことができないものです」

 福音宣教に励み、典礼を真摯に行い、愛の奉仕の務めに励む教会共同体。もちろん一人ですべてをすることができるはずがありません。だからこその多様性です。そしてそれら三つは、対立するものでも勝手なものでもなく、互いが互いの前提となり、切り離すことができないのです。だから、多様性における一致です。

 教区共同体の中で、この三つの務めがバランスよく、そして互いを支え合いながら具体化されるとき、教会は社会の中で、福音を具体的に生きる「しるし」となるのではないでしょうか。

 現代社会はめまぐるしく変化を続け、日本の社会構造もこれから大きな変化に直面しようとしています。社会が変わる中で、教会は変わらない福音を堅持しながらも、それを具体的に「あかし」する道は、常に時代の要請に応えて刷新し続けなければなりません。時代の流れに迎合するのではありません。そうではなく、神がこのすべての人に福音を伝えたいと願っている、その神の思いを、今の時代にどのように具体化するのかを、神の民は歴史の中で常に見極めてきたのです。それを私たちは、今も続けなくてはなりません。

 新しい年が、すべての信仰者にとって、教区共同体において自らが果たすべき役割を見いだし、異なる考え、異なる生き方、異なる信仰の表現にあっても、同じキリストから離れることなく、互いに受け入れ合い、支え合っていく一年となりますように。

2018年1月1日

(菊地功=菊地・功=カトリック東京教区大司教・カトリック新潟教区 教区管理者)(「司教の日記」より)

 森司教のことば ⑱キーワードで キリストの誕生の物語を読む

極貧、独裁者、難民、虐殺、民族宗教などのキーワードで キリストの誕生の物語を読むと・・

 クリスマスが近づくと、日本社会全体がクリスマス一色に染まってしまう。デパートや商店街には、イルミネーションが飾られ、街中にはジングルベルの軽やかな歌が流れ、人々は明るい気分に包み込まれる。

 しかし、それは、福音書が伝えるキリストの誕生の物語に込められている光とも異質のものであり、キリストがこの世界にもたらそうとしたメッセージとも無縁のものである。それは、キリストの誕生の場面を伝えるルカ福音書、マタイ福音書を丁寧に読んでみれば、明らかである。

極貧

 ルカ福音書が伝えるキリストの誕生の物語には、天使たちや羊飼いたちが登場し、表面的には、心を和ませるような牧歌的な印象が与える。が、それに惑わされてはならない。というのは、天使たちや羊飼いたちが登場する前に、ルカ福音書は、「キリストが極貧の中に生まれた」ことを殊更に強調しているからである。

 注目すべきは、「宿屋には彼らが泊まる部屋がなかったからである」と記している点である。

 『泊まる部屋がなかった』理由として、客が多くて、どの宿も満室だったということも、考えられなくもないが、それよりも、私には、ヨゼフに泊まるためのお金がなかったから、とか、ヨゼフが人々の目にみすぼらしく映ったから、と思われるのである。もし、金銭的に余裕があれば、そして裕福そうにみられれば、部屋の一つや二つは融通してもらえたかもしれない。

 貧しい者が、店先や宿屋の入り口で軽んじられたり、拒まれたりしてしまうのは、今も昔も同じである。またそこから、人々の冷たさも伝わってくる。臨月を迎え、お腹が大きくなった女性を目のあたりにしても、誰も、便宜を図ろうとしなかったのである。部屋がなかったとしても、片隅にでも、休ませることぐらいは出来たはずである。

 貧しさ。そして人々の冷たさ。そこで、止むを得ず、マリアは、家畜小屋で、出産することになる。家畜小屋とは、羊飼いたちが風雨を避けるための避難所のようなものである。決して心地よい小屋ではない。キリストは、柔らかなベットではなく、飼い葉桶に寝かせられる。

 誰もが、貧しさには目を背け、貧しさから抜け出そうと、必死である。貧者には哀れみの目を向けることがあっても、貧者に助けを求め、貧者に頼ろうとする者は、一人もいない。

 貧しさの極みの中で生まれた赤子が、人類の希望となるとは、常識的は理解できないことである。その非常識に目を向けるように呼びかけたのが、天使たちなのである。

 羊飼いたちは、天使たちの呼びかけを受けて、キリストの誕生の場に駆けつけていく。彼らが、何を感じとったか、記されていない。しかし、何かを感じとったに違ない。

 天使たちの呼びかけは、私たちへの呼びかけでもある。飼い葉桶に横たわるキリストには、人々を引き寄せる権力も富もなく、きらびやかなイルミネーションもない。しかし、そこに全人類を支え照らす光と力が満ちあふれているのである。

 極貧の中に誕生したキリストに出会うためには、私たちも裸になる必要がある。自らの心の奥に入り、自らを裸にし、自ら貧しい存在であるということを見極めることである。実に、キリストは、貧しさの中に誕生しているからである。私たちに求められるのは、私たちが普段囚われてしまっている常識的な価値観の転換である。

 

独裁者

 マタイ福音書の2章は、ルカとは異なって、独裁者ヘロデが権力を奮う社会の中でのキリストの誕生を語る。

 ヘロデは、ローマ皇帝の保護のもとにユダヤの王となった人物である。当然、ユダヤの人々には人気がなく、嫌われている。その上、猜疑心が強く、自分の息子たちが王座を狙っていると疑って、その母親たちと支援者たちを容赦なく虐殺してしまった過去のある、残虐な男である。そんな男の治世にキリストは誕生するのである。

 そんなヘロデのもとに東方から占星術師たちが訪ねてきて、『ユダヤの王は、どこに生まれしたか』と尋ねる。それは、ヘロデの前では、決して口にしてはならない言葉であったが、それは東方からの訪問者たちには分からない。不安に駆り立てられたヘロデは、禍根を残さないため、その地域一帯の二歳以下の幼子たちを殺してしまう。単なる政敵や反対者を虐殺するのではなく、無邪気な、罪のない赤子たちの命を奪ってしまうのだから、ヘロデの猜疑心は、異常ともいえる。

 ヘロデに限らず、自らの権力・地位の安定を求めて、邪魔な存在を抹殺する独裁者は、いつの時代にも、見られることである。思うがままに権力を奮う独裁者を通り過ぎていくところには、必ず踏みにじられたり命を奪われたりして、苦しみの叫びをあげたり、悲しみの涙を流したりする無力な「小さな人々」が現れる。

 我が子を殺された親たちは、当然、傷つき、悲しみ、叫ぶ。マタイは、その悲しみがどんなに深いものか、エレミヤ書を引用して証言する。

 『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない。子供たちがもういないから。』(マタイ2の18)

 創世記も、兄のカインが弟アベルを殺した出来事を語りながら、強者によって人生を狂わされ、命を奪われていく弱者の無念さ、叫びを、次のように記している。

 「主は言われた。『お前の弟の血が、土の中から私に向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を口を開けて飲み込んだ土よりも、なお呪われる』」(創世記4の10)

 強者によって弱者が踏みにじられ、その人生が翻弄され、その果てに命まで奪われてしまうという悲しい現実は、人類が誕生して以来、途絶えることなく、連綿と続いてきている。アベルも幼子たちも、その弱者の系列に属するのである。

 実に、この世界は、弱者たちが流す涙に溢れ、その流す血で真っ黒に汚されてしまっている、と言っても過言ではない。

 福音書は、キリストは、実にそうした幼子と親たちの苦しみ、悲しみ、叫びを背負って、その生涯の歩みを始めたことを、私たちに伝えているのである。

難民

 独裁者の支配する所には、難民が生じる。その暴威・圧政に堪らなくなって故郷を捨て、異国の地に逃れていく人々である。

 ヨゼフとマリアも、ヘロデの手を逃れて、エジプトに逃れていく。幼いイエスを抱えてのエジプトまでの旅は、難儀だったはずである。その途中には、荒野がある。水や食べ物の確保も、身を横たえる場を見いだすことも、容易ではなかったはずである。

 ヘロデの手を逃れてエジプトを目指すヨゼフとマリアの姿は、現代世界のシリア、アフガニスタン、リビアなどなどの難民たちの惨めな姿に重なってくる。

 血も涙もない残酷な独裁者の手から、我が身、そして家族を守るためとはいえ、住み慣れた世界を捨てていくことは、不安だらけの決断である。すぐに住まいが見つかり、職が見つかり、生活が落ち着く保証はない。また言語・風習・伝統・文化・宗教が異なる人々からのプレッシャーが待っている。そこでの生活は、日現地の人々の蔑みの目に晒され、軽蔑されたり差別されたりする、屈辱的な日々になる。

 キリストの生涯には、惨めな生活を覚悟の上で、住み慣れたふるさとを捨てて屈辱的な人生を歩まざるをえない難民たちのDNAが刻まれているはずである。

キリストの真実

 福音書が伝える救い主としてのキリストの誕生の物語には、人々を魅惑し、引き寄せ、鼓舞するようなスローガンを掲げて人々の前に立つ政治家たちにような華やかさはなく、剣をとって立ち上がり、不正と戦うと群衆を煽るヒーローたちの過激さはみられない。

 イザヤ書が「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない」(イザヤ53の2)と語っているように、常識の目で見れば『弱者の系列につながる』弱さであり『小ささ』である。実に極貧の中で生まれ、難民となった家族の中で成人し、指導者たちに煽られた群衆たちによって十字架の上で生を終えるキリストの生涯は、『弱者の系列』『小さい者の系列』に徹していたのである。

 しかし、そこにキリストの力、魅力が潜んでいるのである、つまり、人々との連帯である。

 ヘブライ人の手紙の著者も、次のように記す。

 「彼は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです。」(ヘブライ人の手紙4の15) 「自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることが出来るのです」(同5の2) 「事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(同2の18)

 繰り返すようで恐縮だが、キリストの魅力、力は、富で権力でもなく、人々との連帯にある。自ら、重荷と労苦を負って生きざるをえない人々の中に飛び込み、人々のもがき、苦しみ、悲しみに共振しながら、その重荷と労苦に心を寄せながら生きることに、生涯徹したことにある。

 キリストが誕生してから、二千余年、多くの人々がキリストに引き寄せられた理由も、そこにある。

(森一弘=もり・かずひろ=司教・真生会館理事長)

2017年12月31日 | カテゴリー :

 Sr 阿部のバンコク通信 ⑯タイから新年のご挨拶「待つことの意味は」

 新年おめでとうございます。真っ新な人生の頁、今年はどんな歩みが刻まれるのでしょう。

 子供の頃は待ちに待つ、歳と共にあっという間に来る正月。『待つ』、タイ国に来て23年、自分の考え、処し方が変ったなと思います。人は環境に順応すると言いますが、取巻く状況に、私の姿勢も順じて来た事に気付くこの頃です。

 距離バスは別として、市内バスや電車等の交通機関には時刻表無し、来る時に来る。延々と文句言わずに待つ人々の姿には、タイに来た当初から感嘆させられました。渋滞や事故、何が起こるか分からない人間味ありの対処です。

 その後に敷設された電車と地下鉄も時刻表無しですが、所要時間は読めます。 電車の切符自販機はコインのみ、無ければコイン両替機➡︎チケット販売機➡︎改札口と夫々に並びますが、時に長蛇の列、人々は腹も立てずに並び待ちます。渋滞や不都合に腹を立てるのは人間未熟というタイの常識、対人関係も同様です。

 日本なら早速に改善する所、そうは早まらないのがタイの人々、都心を悠々と流れるチャオプラヤ川の様に、人の自然の営みの速度が保たれている様に思います。

 私の腑も胡座をかける程になり、外出時は必ず本持参。ゆっくり考えたり、あたりを観察し空を眺めたり、目を閉じて気持ちを休める機会。人との関わりも、刻々と変わる周りの事態を見つめ、受容して生きる姿勢を身に付けたいです。いつか、人々がほっとする雰囲気を醸し出す人になることを願いながら新年に臨みます。

 「カトリックあい」の愛読者の皆様が、信じて生きる喜びに満ちた年でありますよう祈ります。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2017年12月31日 | カテゴリー :

 Sr.岡のマリアの風 ⑳2017年終わりの「独り言あれこれ」

パパ・フランシスコと共に…仕えること(奉仕)と、交わり(コムニオ)を生きること

2017年度、待降節・降誕節を、パパ・フランシスコと共に過ごしながら-パパの言葉、任務に、インターネットを通じて寄り添いながら-、繰り返される幾つかの言葉が、わたしの中で響く…

 パパ・フランシスコと共に、受肉の神秘に奥深く分け入る中での「独り言」…

・限りなく、無償で、わたしたち人間に愛を注ぐ父である神は、御子、イエス・キリストの中で、わたしたちが見、聞き、触れることが出来るものとなった。

・御子、イエス・キリストは、わたしたちのため、わたしたちの救いのために、インマヌエル 「わたしたちと共におられる神」 となった。罪を除いて、わたしたちとまったく同じ者、同じ肉をまといながら。
わたしたちは、主の降誕の神秘の中に、人間の知恵では想像もつかない、神の「やり方」を見る-わたしたちのために、貧しく、身分の低い者となって、ご自分のために「宿屋に場所がない」この世に降りて来た神―・わたしたちは、この、柔和で謙遜な「幼子イエス」を、今、世界中で、「宿屋に場所がない―生きるための場を奪われた-」たくさんの子どもたちの顔の中に、見る。(パパは、具体的に、中東、シリア、イエメン、イラン、アフリカ…の子どもたち、両親に仕事がない子どもたち、さまざまな形で搾取され[人身売買、少年兵… 幼年期を奪われた子どもたち…と例を挙げている)。

・わたしたちは、聖霊に照らされて初めて、この貧しくへりくだり、飼い葉桶に寝かされた「幼子」の中に、わたしたちのただ中に降りて来た「救い主」を見分けることが出来る。

・幼子イエスは、わたしたちの心を開く…この世の価値観ではなく、「神の価値観」へと。富、権力、名誉、快楽、安心を求める生き方ではなく、自分の一番大切なものを、神のために、人々のために捧げ尽くしていく生き方へと。

・幼子イエスは、わたしたちに悟らせる…無償のいつくしみ深い愛である神の御手の中で作られた人間は、「他者」より優れた者になることにではなく、「他者」のために-神のために、人々のために-自分の大切なもの、命までをも分け与えて行くことの中に、真の「幸い」を見出すことが出来ることを…。

 幼子イエスは、わたしたちに悟らせる…神の「姿-イメージ-」を、自分の存在深く印されている人間は 相手の富を搾取したり、相手の心を独占しようとしたり、相手の名声、権力をねたんで陥れ、自分がトップに立とうとしたり、決して満たされることのない快楽を求めたりする「生き方」の中で、決して、本当の「幸い」を見出すことが出来ないことを。

・「世の初めから」「永遠から」神の傍らで、神の栄光をまとっていた「みことば」は、聖霊の働きによって、ナザレの貧しい、身分の低いおとめ、しかし同時に、「永遠から」神の母となるために望まれ、準備され、神の恵みに満たされていたおとめ、マリアの胎の中に宿った。飼い葉桶に寝かされた、人となった神の「みことば」には、当然まとうべき「神の栄光」はないけれど、その代わりに、マリアとヨセフの、人間の親としての気遣いに「まとわれ」、貧しいけれど、神の救いの知らせに「目覚めて」いた羊飼いたちの喜び、遠い国から、すべてを置いて救い主を拝みに来た、東方の博士たちの喜びに「まとわれ」ている

・長い間、イスラエルの民が待っていた「救い主」が生まれたのに、王、権力者たち、学者たち、祭司たちは、飼い葉桶に寝かされた貧しい幼子の中に、それを見分けることが来なかった。

・今日、「わたしたちのために、救い主が生まれた」。それは、わたしたちが想像するような場所、姿(王宮の中、立派なベッドの上、召使たちに囲まれて…)においてではなく、わたしたちの「すぐ近く」に、わたしたちの共同体の中に、町の中に、国の中に、忘れ去られている人々、排斥されている人々、苦しむ人々の中に…。

・今日、わたしたちも、羊飼いたちと共に「出て行こう」-「さあ、立って、天使が告げたこと(飼い葉桶に寝かされた、救い主)を、見に行こう!」-。

 パパは、教皇庁恒例の、降誕祭挨拶(Auguri Natalizi della Curia Romana:2017年12月21日)や イタリア神学会Associazione Teologica Italianaへの講話(2017年12月29日)の中で、さまざまな意味で、教会を導く立場にある人々に、「仕えること」-「交わり(コムニオ)の中で生きること」を強調している

 教会のトップに立つ者は、「社会常識」の中で考えられている、トップに立つ者の姿とは、全く違う。自分の権力をひけらかすことにではなく、「仕えること(奉仕すること)」の中に、教会の指導者たちの権威の表現が、ある。

 何に仕えるのか?―「交わり(コムニオ)」に仕える。互いの(指導者たちの間、神学者たちの間)交わり。神の民-教会-との交わり。
ペトロの任務を継承する、教皇との交わり。三位一体の「交わり」の神との、交わり。「交わり(コムニオ)」の神秘を深めることにより、「仕える」ことの神秘が深められ、「仕える」ことの神秘を深めることにより、「交わり」の神秘が深められる。

 「仕える」ことも、「交わり(コムニオ)」も、キリスト者にとって、根源的な「神秘」である。なぜなら、主イエス・キリストが、「仕える」ため、散らされた神の子たちを「一つに集めるため-交わりの中に-」、わたしたちのただ中に降りて来たのだから。ご自分の命を、徹底的に、根源的に、すべて、神である御父の救いの計画のため、わたしたちの救いのためにささげ尽くしながら。

 別の機会に、パパ・フランシスコは、教会の中で責任ある立場にある人々は、この世の「出世主義」に毒されないように、と繰り返し訴えている。教会の中での任務は、「出世」のためではない。今はこの役職だから、次の異動のときには、もっと「上の」役職をもらえるだろう、あの人より、この人より、早く「出世」できるように…と考えるのは、「この世の」メンタリティー、「出世主義」の考え方である。

 教会の中で、一つ一つの任務、役職は、それが大きいものでも、小さいものでも、みな、同じ「奉仕」である。教会の中で、肩書のある役職から、肩書のない「下働き」に移された、と文句を言う人には、こう言いたい…とパパは言う…。何も心配しないでください。あなたはただ、一つの「奉仕」から、もう一つの「奉仕」へと移っただけです、と。

 またパパは、イタリアの神学会への講話の中で、神学は、「交わり」のための「奉仕」であるから、教会共同体の交わりの中で、神の民に「分かるように」、「善い知らせ」-福音-を伝えてください、と訴えている。

 この、複雑にさまざまな思惑が絡み合っている現代社会に生きる人々に、複雑な話ではなく、「単純な光」に照らされた「善い知らせ」を伝える。…誤解してはいけないと(わたしは)思うが、人々に「分かるように」とは、「簡単に」という意味ではないだろう。キリストの福音は、ある意味で、「簡単に分かるものではない」からだ。キリストの福音は、こう言うことが出来るなら、人間の思考回路に対して、常に、「パラドックス(逆説)」として映る。

 イエスは、人々に「分かるように」、たとえ話で話した。しかし、この、たとえ話にしたって、「簡単に分かるものではない」。ルカ福音書が伝える、神のいつくしみに関する、三つのたとえ話―失われた銀貨、見失った一匹の羊、放蕩息子のたとえ話―にしたって、物語としては「分かりやすい」が、その奥に隠されている真理は、決して分かりやすくない。

 無償の愛を注ぐ父と、その父の愛を、自分の快楽、利益のために使い、父を裏切り、一文無しになって帰ってきた息子を、駆け寄って抱きしめ、再び、息子としての尊厳を与え(上等の服、指輪、靴…)、宴会まで開いて喜び合う父。それに腹を立てて、宴会に来ようとはしない、もう一人の息子を、わざわざ外に迎えに行く父。…これは、決して「分かりやすい」話ではないだろう。

 神の民に「分かるように」伝える、という神学の、神学者の務めとは、神の民を「子ども扱い」することではなく、分かりやすい言葉を使いながら、人間の知恵では、決して理解し尽くすことの出来ない、神の「知恵」の深みに、少しずつ、へりくだって、忍耐強く、そして、神学者自身も、神の民の一人として、民と共に、交わりの中で、入っていくことだろう。

 キリストの復活の霊、聖霊だけが、わたしたちを、人間の知恵を超える神の「知恵」へと開く。まさに、「聖霊に導かれた(動かされた)」老シメオンが、貧しい両親―ヨセフとマリア-に連れられて、神殿に入って来た「幼子」の中に、イスラエルの民が長年待望していた「救い主」を見分けることが出来たように。わたしたちも、日々の、一見、普通の、取るに足りない出来事の中に、「わたしたちと共におられる神」-インマヌエル-を見分けることが出来るように。

 神の民は、決して「子ども」ではない。神の民、一人ひとりの中で働く聖霊が、「分かりやすい」言葉で語られる、深い神の神秘を、少しずつ理解させていく。だから、大切なのは、神の民一人ひとりが―指導者も、司祭も、神学者も、修道者も、信徒も-、おとめマリアの、へりくだって、率直に、神の「みことば」を心に受け入れ、留め、思い巡らす態度を、自分のものとすることだろう。

 おとめマリアの「思い巡らし」は、単に、目の前に起こる出来事を考えるだけにはとどまらない。マリアは、彼女自身の民の伝統-数千年のイスラエルの民の信仰の旅から来る知恵―と、現実を対比させながら、今、主が自分に望んでいること、主の「思い」を理解しようとする。それを、より良く生きることが出来るように。

 これこそ、神との深い交わり―「子」、「友」としての交わり―に招かれている、神の民の「信じる」態度だろう。単に、何かが天から落ちてくるのを、または誰かが教えてくれるのを待っているのではなく、自分の方から、神の思い、望みを探し求め、それを生きようと積極的に努力する。それがつまり、聖霊に心を開いている状態、と言えるだろう。

 マリアは「教会の姿―イコン-」とも呼ばれる。マリアは、「アルファ(初め)」から、「オメガ(終わり、完成)」へと向って、日々の
歩みを続けている、神の民の壮大な旅の「小宇宙(ミクロ・コスモ)」とも言われるイスラエルの娘、シオンの娘であるマリアの、神の民を代表した、あの「はい(フィアット)」が、わたしたちのための神の救いの計画の「決定的実現」の始まりを印した。あの、マリアに代表された神の民の、積極的な、意識ある、責任ある「はい(フィアット)」がなければ、全知全能の神でさえ、ご自分の計画を実現できなかった。

 …では、神は、「不確実性」にかけたのか?そうではない、と、教会の伝統は教える。神が、ご自分の民の娘の「はい(フィアット)」を「必要」としたのは、神が、それほどまでに、人間を尊重し、信頼しているから、と言えるだろう。実に神は、天地創造の「初め」から、数千年という膨大な時間をかけて、この、救いの歴史の中で唯一の「はい(フィアット)」を準備したのだ。神は、不確実性にかけたのではなく、こう言うことが出来るなら、絶対に確かな、決して撤回されない「はい(フィアット)」を準備するために、ご自分の民を教育した。神の前で、わたしたちの世の千年は一日に等しい、と、詩編作者は歌う。神の、わたしたちに対する忍耐、いつくしみ深さは、とてもわたしたちが想像することは出来ない。

 新しい年、2018年が始まろうとしている。自分に出来ることを、日々、忠実に続ける中で、聖霊に動かされて、わたしたちのただ中
におられる主―インマヌエル-の現存に、つねに目覚めていることが出来るように。主の望みを、「普通の日々」の中で、へりくだって、喜んで、行っていくことが出来るように。

 そのためには、毎朝、共同体と共にミサ聖祭の始まりに捧げる 「主よ、あわれみたまえ」の祈りに、全身全霊を込め、主に絶えず赦しの恵みをいただきながら、自分のみじめさ、罪深さを涙すると同時に、無償で、真に「神の子」としての尊厳をいただいたことに感謝しながら、喜んで、前に進んで行こう。「赦された者たち」の共同体の交わりの中で。

 また、自分の生きている間のことだけを考えるのではなく、次の世代、後輩たちのために、自分自身が受けてきた教えを、語り継いでいこう。唯一の霊に導かれ、たとえ文化、言語、考え方が違っても、唯一の歩み―神ご自身の永遠のいのち、交わりの中に入る歩み―を続けてきた神の民の中で、共に歩んでいくことが出来るように。「オメガ(完成の時)」に向かって…。このようにして、貧しいわたしたちを通して、すべての人々に、主の祝福が行きわたるように。地の果てにまで。アーメン!

 2017年終わりの独り言として…Sr.ルカ

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2017年12月30日 | カテゴリー :

 Sr.石野のバチカン放送今昔 ⑱教皇、日本のカトリック記者団を特別謁見

 1981年1月13日午前7時、教皇ヨハネ・パウロ二世はバチカン宮殿の最上階にある私的聖堂で初めて日本語のミサを捧げられた。ローマ在住の日本人シスター12,3人がミサに招かれ、わたしは第一朗読を任された。そして、大きな宿題を胸に、その成功を祈りつつ、ミサに与った。

 宿題とは、教皇の訪日を前にしてバチカンに取材に来ている日本カトリック・ジャーナリスト・クラブのメンバーと、教皇との特別謁見を実現させるための許可を得ることである。日本のジャーナリストたちは、教皇庁広報評議会に正式な手続きで事前に申請書を出していたが、許可が下りず、暗礁に乗り上げていて、わたしに「SOS」を出してきたのだ。

 ミサ後、私たちは隣の控室で一人ひとり教皇さまにご挨拶した。その時、私は日本カトリック・ジャーナリストたちが教皇さまと特別謁見ができるよう、教皇の個人秘書S.Z.師にお願いした。「みんなカトリック?」と神父。「ハイ」と答えると、「したいことは何でもさせてあげますよ」。予想していた10倍もの返事が師から返ってきた。私はただ感激した。教皇さまとの謁見やインタビューの申請は毎日、世界中から何百も教皇庁広報評議会に届き、なかなか許可が下りず、その実現が難しいことを知っていたからだ。

  翌14日は一般謁見の日。ジャーナリストたちとの約束の時間に謁見広間前に行った。ジャーナリストの姿は一人も見えない。おかしいと思いながら謁見広間に入って目を見張った。広間は8000人収容できる広いものだが、席はほとんど埋まり、飛び入りの日本人ジャーナリストたちのための席はなかった。

 ところが、広間の前方、一段高く教皇がお座りになる席の近くに12の椅子が二列に並んで、日本のジャーナリストたちが、鬼の首でもとったかのように、広間の会衆に手を振って挨拶をしているではないか。一般謁見に引き続き、隣の特別謁見室に移された。そこには教皇と私たちだけしかいなかった。ジャーナリストをご覧になると教皇は「おー兄弟たち」と呼びかけながらやさしい笑顔で近づいてこられた。

 「教皇さま、日本のカトリック・ジャーナリスト・クラブの皆さんです。ご訪日に備えて日本から取材に来られました」と紹介した。

 「おーカトリック・ジャーナリスト」。ジャーナリストがお好きな教皇はお嬉しそう。会長をはじめ、一通りの紹介が終わったところで、彼らは15分間、教皇を質問攻めにした。会長のT氏が代表質問に入る。核について、投獄中の金大中について、お勉強中の日本語についてなどなど。

 時にはニコニコなさりながら、時には真剣に考えながら、言葉を選ぶように、教皇はお答えになった。去ろうとなさる教皇のお召し物の袖をつかんでさらに質問しようとする会長に、教皇は“You are terribleman!”と一言。皆の間から爆笑が沸く。礼儀正しく、和やかで楽しく、見事な15分間だった。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

2017年12月27日 | カテゴリー :

 駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」(5)モハッゲク、井筒両先生の詩を通した交流

 イラン大使在任中、ペルシャの詩を2人のイラン人の先生について学んだことは述べた。加えてもう一人、イラン人の先生に言及しておく必要がある。メフディ モハッゲク博士である。

 大使在任中、頭を離れない疑問があった。日本の代表的な哲学者にして、イスラーム学者、それに語学の大天才であった故・井筒俊彦先生が、なぜイスラームに、またイランにあれ程までに惹かれたか、である。

 井筒先生は、慶応大学で教えられた後、カナダのマックギル大学で研究と教育に携わる。そこで知り合ったのが、イランのモハッゲク先生である。井筒先生はイランの哲学者の著作を学びながら、両者は協力して研究に励む。モハッゲク博士のイラン帰国後は井筒先生もイランに移動し、60年代の後半から70年代末のイラン革命直前までイランで過ごされる。私がペルシャ語の専門家の卵としてイランに赴任し、研修の終了後、大使館で勤務、革命直前に離任するまでの間、井筒先生はイランに居られたことになる。

 おうわさは聞いていたが、先生が日本人会の社交の席に姿を現すことはついぞなかった。幻の有名人であった。後で知ったことだが、先生はそのような社交には興味なく、そもそも夜中を研究の時間に当て、我々とはまったく別の生活のサイクルであった。

 その井筒先生が、なぜイスラームとイランに魅せられたのか。「モハッゲク先生に聞いたらいい」と教えられ、お邪魔した。当時モハッゲク先生は、内外のイラン研究者を顕彰する会を主宰され、1994年に亡くなられた井筒先生に関しても追悼の冊子を出され、そのコピーを私に贈ってくれた。専門外の私にはむつかしいことも多く、冊子に書かれたモハッゲク先生の追悼文を材料に何度かお邪魔してお話を伺った。

 井筒先生は、イラン革命の直前、最後の最後までテヘランに残り、最後はアパートの水も電気も中断し、着の身着のままでモハッゲク邸に避難し、帰国便が再開するのを待って日本に戻られた。その間の事情を、モハッゲク夫人がくだんの追悼冊子に寄せた一文で紹介している。日頃気難しい先生が、初めて打ち解けた風で、モハッゲク家の子供たちに中国の占いを教えたという。

 モハッゲク先生は、その追悼文で、日本帰国を前に井筒先生が、下記のアラビア語の詩を引用して別離の念と感謝の気持ちを表したという。
「友よ 汝と別れなければならない 眼には涙があふれ心は血でたぎる 誓う 汝が家の門口に 身を寄せ心を託したことを」(アラブの詩人アホウスの詩を、モハッゲク先生がペルシャ語に翻訳)

 私も日本に戻り、ちょうど井筒先生の全集が再刊されたのを機会に、目を通してみた。井筒先生が、得意の語学を駆使されて、イスラーム諸語(アラビア語、ペルシャ語、トルコ語)やヘブライ語、さらにはサンスクリットや中国・チベットの原典を直接研究され、自らの禅体験を踏まえて、西洋思想に比肩する幅広い東洋の共通的思惟ともいえる壮大な「東洋思想」の構築に挑まれていたことを知った。同時に先生が、日本の詩歌、特に新古今和歌集に大変な興味を持っていることも知った。

 「世の中は 夢か現か うつつともゆめとも知らず あるもなくして」(古今和歌集、読み人知らず)を評して、深い哲学的思惟が読み込まれていると指摘されている。

 井筒先生が、詩歌を深く愛されていたことは分かったが、イスラームとイランになぜ惹かれたのかはよくわからなかった。しかし、追悼の冊子に先生のイランにおける弟子のひとりプールジャバーディ博士が一文を寄せている。それによれば、80年代の半ばロンドンでお会いした際、井筒先生に雑誌に掲載する予定でインタビューを行い、その中でなぜイスラームやイランに引き込まれたのか尋ねている。井筒先生の答えは、自分でもわからず論理的に説明できないが、イスラームに引きずり込まれたとしか言いようがないと答えている。

 「魔法」を意味する語根から発するアラビア語であるMahsur(魅せられる,憑りつかれる)という言葉を用いている。なるほど、イランについても同様であろう。自分(筆者)もとうとう、ペルシャの詩歌にMahsurされてしまった。
次回からは、ペルシャの2大詩人のうち、まずはハーフェズから感銘を受けた詩句を紹介する。(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)

(駒野欽一=こまの・きんいち=国際大学特任教授、元イラン大使)

 清水神父の時々の思い ④母と自転車

  小3のとき自転車の練習を始めた。補助輪もない大人用の自転車だったのでなかなか上達しなかった。「みんな、転びながら覚えるんだよ」という母に、荷台を押さえてもらいながら、「持っててね、絶対持っててね」と怖がると、「持ってるよ。離さないよ」。いつも背中に母のやさしい声がした。
あるとき気づくと、母の声が遠くに聞こえた。「持ってるよ~。離さないよ~」。このウソに励まされ、いつの間にか自転車に乗れるようになった。・・・
(武熊敦子=当時33歳 茨城県=「DUSKIN 95. No.300」より)

 その昔、校長室に舞い込んできた営業用チラシのこの文章が気に入った。親の、教師の教育姿勢はかくありなんと思わせる文章だったから。助けが必要な子に援助の手を差し伸べる。当然のことである。見せて、支えて、やがて手を離す。そのタイミングが難しい。

 ごくふつうの母親が、絶妙に教育原理を会得していて、読み返しても楽しい。

 教会の在り方にも通じるものがある。明治以来のキリスト教会は宣教師の献身的な働きに依ってきた。私は先輩宣教師たちの心意気に感心する一人である。生活習慣が全く違う。人々はチンプンカンプンの言葉をしゃべる。何よりも、目刺とタクアンと納豆の生活に甘んじなくてはならない。ある人は、生涯を懸けるだけでなく、全資産を投じて、貧しい信徒のために尽くされた。それらの先人に感謝しつつ、私はひとつのことに残念さを覚える。パターナリズムである。<善き父親>として面倒をみる。それはとても有難い。が同時に、自転車の手を離すことも必要であった。自分たちでこぐために。

 そのわけで、現代の日本の教会は受けることに慣れきっている。神父が何かをしてくれることを期待する。教会が考えてくれると待っている。しかし、自分たちでできることまでも保護と援助を求め過ぎる。

 キリシタン時代は違っていた。1640年ころ、幕府の厳しい締め付けのなかで、パーデレたちは消滅した。もう自分たちのところに来てくれない。その時浦上の孫右衛門は教会の壊滅を案じたと言われる。釣り仲間の七郎左衛門に相談したいが、彼が今も信仰を守っているか分からない。下手に話すと、役人の御用になりかねない。長い試案の末、孫右衛門は決心する。話そう。相手がつべこべ言うなら、ぶった切って、自分も死ぬまでだ。

 ここまで腹を決めて話すと、七郎左衛門は「実は俺もそのことを考えていたんだ」。確信したふたりは村人を訪ね回って、信仰を確かめ、組織固めをした。歴史上の帳方・水方・聞き役などが整備されたのはこの時だと言われる。信徒が、信徒に教え、導き、励ましたのだ。

 2016年9月に着座された白浜広島司教は「カテキスタ養成」を本気で訴え始めた。カテキスタ構想の具体化は今後のこと。ではあるが、これは信徒が自分たちで学び、教え、運営するというリーダー養成に関係する。もうおねだりばかりはできない。 (了)

(清水弘=イエズス会士、広島教区・益田・浜田教会主任司祭、元六甲学院中高等学校長)

 三輪先生の国際関係論 ㉒清沢冽のこと 

 ドナルド・キーンに『日本人の戦争』という、日本人の文筆家が戦時中から終戦直後ぐらいまで記し続けていた日記を分析したものがある。数多の高名、ベテランの作家からまだ学生であった若手まで、永井荷風から山田風太郎までと幅は広い。その中で絶賛されているのは清沢冽であり、厳しく批判されているのは若輩の山田風太郎である。

 山田は医学生で徴兵を免れていた。ちょうどキーンと同年配で、キーンと同じ英米文学書を読んでいたことがわかる。文系、法系などの同僚学生たちが、ビルマ戦線で戦病死したり、特攻機に座乗してフィリピン、沖縄戦線で必死の使命に立ち向かっていた時に、理系の恩典で国土に安在しつつ、最後の一兵まで、必敗の対米戦を戦えと唱えたり、敗戦後は、戦勝国アメリカに向けて復讐戦を準備せよと唱えている、と言って最大の批判対象者になっている。

 人は読んだ書物の影響で人格、精神を形成していく筈なのに、山田をはじめ、伊藤整にしても、全くそんな痕跡がないことに驚嘆している。だまし討ちのように始まった大東亜戦争の正義を信じて疑わない様子に唖然としている。日本人のインテリの精神構造の奇怪さは、にわかには信じがたいほどである。その中で日米開戦決定の愚かさを真正面から書き立てた清沢冽と平和愛好家平林たい子が、例外中の例外として光っている。

 上智大学の国際関係研究所で私の同僚だった蝋山道雄教授が、清沢冽についてこんなことをおしえてくれたことがある。「三輪さんね、戦前の言論人で本物のリベラルは唯一清沢冽だけですよ」と話し始めた。そして対米英戦争が勃発してしまった昭和16年12月8日の朝、東京帝国大学で政治学の教鞭をとっておられた、道雄さんには父君にあたる蝋山政道さんのところへ、真珠湾奇襲攻撃の大戦果のニュースに舞い上がってしまった、大勢の友人、論客が大挙して押しかけてきて、玄関先を埋め尽くし、日本の前途を祝して大歓声で万歳万歳を叫んだ、というのだった。

 その時、清沢冽だけはその大歓声とは反対に、醒めた声で「蝋山君、これは大変なことになった。手に入る食品は何でも買いだめしておきたまえ。缶詰、瓶詰などなど」と電話して来たとの事だった。戦争に向けられる経済力が平時でも日本の10倍とされていたアメリカに最後の勝利があることは、アメリカ通の清沢冽には、明明白白であったのである。

 宰相近衛文麿にも意思の疎通が出来ていた清沢淸であり、『中央公論』などで親しい論客仲間でもあった蝋山政道教授は、清沢と同じ心境であったろう。日本軍により占領されたフィリピンの現状を視察調査した政道教授は、フィリピン人の家族文化は日本人の場合とは違っていて、その結果、大東亜共栄圏の建設を戦争目的として喧伝していた日本国家であったが、共栄圏の要の一国フィリピンに日本人が期待するような家族国家的国体の盟邦が生成するのは難しいだろう、としていた。

 清沢冽の戦中日記は戦後刊行されている。そしてそれを手にした知識人たちに深甚なる感銘を与えている。しかし残念なことに終戦真際に没しているので、さまざまなドラマがあった終戦前後の日本の国情についての清沢の省察を読むことはできない。マッカーサー総司令官の日本占領統治について、その功罪について清沢冽の鋭い語り口を聞けないのは、いかにも口惜しい。

(2017・12・27)(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

 菊地大司教の日記 ②主の降誕の祝日に「神の愛といつくしみとゆるしを、具体的に示すしるしとなろう」

2017年12月25日 (月)主の降誕の祝日

 今日もまた晴天に恵まれた東京でした。加えて乾燥してます。静電気も走ります。

 今日、主の降誕の祝日は、午前10時からのミサを司式させていただきました。昨晩ほどではないものの、カテドラル関口教会聖堂は、ベンチがほぼすべて埋まり、周囲のパイプいすに座る人たちもいたので、いったい何人おられたのでしょう。

 昨日の待降節団第4の主日に始まって、降誕の夜半のミサ、深夜ミサ、そして今日の朝のミサと、主任と助任司祭もフル回転でしたが、侍者の青年たちもフル回転。昨晩は深夜ミサの後に、信徒会館に泊まっていった強者も数名いたようでした。

 本日、主の降誕の祝日、日中のミサの説教原稿です。

「いかに美しいことか。山々を行き巡り、よい知らせを伝えるものの足は」

 本日の聖書と典礼の表紙には、クリスマスには欠かせない馬小屋での誕生の絵画が掲載されています。ところが、その聖書と典礼のページをめくり本日の朗読を読んでみても、そこには馬小屋も、飼い葉桶も、マリアもヨセフも登場してきません。本日の福音には、ただ、「はじめに言があった」とだけ記されておりました。

 日本語の訳は、「言葉」という普通の単語ではなく『言』と書いて『ことば』と読ませています。ギリシア語の『ロゴス』という単語を表現するために、いろいろ考えた結果だと思います。そこには単に私たちが普段口にしている言葉とは意味合いが異なる特別な意味があり、生きている神の言は、人格をもった神の思いそのものであり、それこそがイエスなのだと言うことを私たちに伝えるための、漢字の工夫であろうと思います。

 イエスの存在そのもの。イエスが人として語る言葉。イエスの行い。それこそが神の思いを具体的に見えるものとした事実であり、その存在にこそ命があり、光があり、暗闇の中に輝く希望なのだと、ヨハネは私たちに伝えています。

 イエスの誕生にこそ、また神の言の受肉にこそ、神の愛といつくしみとゆるしの深さがはっきりと表れています。自らが創造された人間のいのちを、神は徹底的に愛しぬかれていたから、忍耐に忍耐を重ねて、しばしば預言者を通じて、その歩む道をただそうとしてきた。しかし人間はなかなかそれに従わない。そこで神はすべてを終わらせることも出来たであろうに、そうではなく、自ら人となり直接にわたしたちへと語りかけ、わたしたちが歩むべき道を示し、そして最後には人間の罪をすべて背負って十字架につけられました。それは、あがないの生け贄としてその身を捧げ、それによってすべての人のために永遠の生命への道を開かれるためでありました。これこそが、私たちの信仰の中心であります。そしてその原点は、はじめからあった神の言が人となって誕生した事実にあります。

 今日、イエスの誕生を祝ってここに集う私たちは、神のつきることのない愛といつくしみとゆるしの結果として、私たちに与えられた神の言にあらためて触れています。神の思いそのものである言に触れ、それに包まれる機会を与えられています。私たちがクリスマスに教会に集まって喜びの思いを抱くのは、単にイエスの誕生日を祝っているという喜びではなく、つきることのない神の愛といつくしみとゆるしに包み込まれて生かされているのだという事実を、この誕生の神秘のうちに改めて確認させられるからではないでしょうか。

 福音は、「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」と述べています。人となられた神の言を信じる私たちが、神の子となる資格を与えられるのであれば、それでは、神の愛といつくしみとゆるしに包み込まれ、神を信じるわたしたちは、どのように、何をもって、神に応えることで、神の子となっていくのでしょうか。

 本日の第一の朗読に、「いかに美しいことか。山々を行き巡り、よい知らせを伝えるものの足は」というイザヤ預言者の言葉が記されていました。

 わたしたちには、忘れることのできない使命が一つあります。あらためて言うまでもなく、それは福音宣教の使命です。素晴らしい恵みを受けて生かされているわたしたちは、それを自分のためだけに、自分のうちだけにとどめておくことは許されません。主ご自身が命じられたように、受けた恵みをわたしたちはすべての人たちに告げ知らせる使命を与えられていること、その事実を、イザヤの預言は今日、思い起こさせます。

 経済や政治の状況が厳しい中で、また少子高齢化が激しく進んで社会全体に明確な希望の光が見えてこないようなときに、人はどうしても自分の人生の護りに入ってしまいます。皆が護りに入る、社会全体から、『愛といつくしみとゆるし』は徐々に姿を消し、厳しく他人を裁き、批判し、異質な存在を排除し、最終的には対立し攻撃することさえ良しとしてしまいかねません。

 私たちはそういった社会に対して、裁きや批判ではなく、また排除や対立ではなく、互いに神から命を与えられ生かされているものだという謙遜な自覚の中で、互いに支え合い、受け入れあう慈しみ深さ、優しさを、見える姿で示していきたいと思います。それは声高に語る福音宣教ではなく、一人一人の、そして共同体としての、言葉と行いを通じた具体的なあかしによる福音宣教です。教会共同体は今、社会のただ中にあって、神の愛といつくしみとゆるしを具体的に示すしるしとなることが必要です。

 孤独のうちにある人、助けの声さえ上げることのできない人、存在さえ忘れ去られた人、様々な理由で排除される人。その叫びは小さな声だけれど、暗闇に響き渡る主イエスご自身の声、神の言であります。そこに神がおられる。

 神の言が人となられたことを祝う今日、私たちはあらためて神の思いそのものである言に生きることを、また神の言に生かされ、そして神の言を具体的に形で多くの人に伝えていく決意を新たにしたいと思います。私たちが生きているこの世界に、この現実に、神の言が、どうしても必要だと信じています。

2017年12月24日 (日)主の降誕、クリスマスおめでとうございます

 東京教区の皆様 新潟教区の皆様

 主の降誕のお喜びを申し上げます。

 着座式直後の日曜日には、荻窪教会でミサを捧げることができましたが、今日の主の降誕の祝日は、着座式以降初めてとなるカテドラルでのミサ司式です。さすがに緊張しました。さすがに東京です。さすがに関口教会です。ものすごい人です。しかもミサが夕方5時、7時、10時、深夜零時と4回もあり、しかも午前中は待降節第4主日であったわけですので、主任と助任のお二人は、フル回転です。私は、今夜は7時のミサを、そして明日の日中は10時のミサを担当させていただきます。また今日の日中は、韓人教会の皆さんのクリスマスのお祝いにも参加することができました。

 今夜の7時のミサで感動したのは、もちろん参加者が(信徒とそれ以外の方々)ものすごく多いことや聖歌隊がたくさんおられることでもありますが、それ以上に、侍者をつとめる子どもたちと青年がたくさんいること。

 というわけで、今夜の夜半のミサの説教の原稿です。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見た」

 お集まりの皆さん、主の降誕、クリスマスおめでとうございます。

 クリスマスと言えば、パーティなどのお祝いが欠かせません。それも、明るい昼間よりも、夜、暗くなってから行われるお祝いの方が、いかにもクリスマスという感じを受けます。それはたぶん、クリスマスには明るく輝くイルミネーションがつきものであり、そのイルミネーションが輝くためには、暗闇が必要だからなのかもしれません。

 でも実は、イエスの降誕という出来事と、暗闇との間には、意味のある関係が存在します。それはただ単に、イエスが誕生したのが夜だったと、先ほど朗読された福音書に記されているからではありません。イエスが誕生した意味、そしてその過去の出来事が現代社会に生きている私たちにいま語りかけていること、それを明らかにするのは暗闇であり、その暗闇を支配する静寂であり、その闇と静寂のうちに小さく輝く光であり、ささやく声であります。

 わたしは昔、30年ほど前、まだ若い神父であった時に、アフリカのガーナという国の山奥の教会で働いていました。8年間働いていた村は、今でもそうなのですが、電気が通じていない村です。近頃は、近隣の村には電気が通じたと聞きましたが、30年前は、大きな町に行かないと電気は通じておりませんでした。

 電気がないところで暮らしていると、夜の闇の深さを肌で感じます。そういった村での明かりは、昔ながらの灯油のランタンであります。小さくか細い光を放つランタンですが、深い闇の中では、そんな小さな明かりも力強く輝いているように感じられます。

 夜の道を歩かなくてはならないときなど、懐中電灯の光を頼りに道を探りながら山道を進んでいるとき、月が出ていなければ、周囲を包み込む暗闇は心に不安を生み出します。いったいこの先はどうなっているのか。目的の村はどこにあるのか。暗闇の中で、自分の心の疑心暗鬼に翻弄され、不安に駆られるとき、道の先に小さなランタンの明かりが見えたときの安心感。軒先に掲げてあるランタンです。小さな光ではありますが、暗闇が深ければ深いほど、どれほど小さな光であっても、不安と恐れを取り払い、小さいながらも希望と喜びを感じさせる光であります。

 第一朗読のイザヤの予言は、「闇の中を歩む民は、大いなる光を見た」としるし、将来の救い主の誕生を告げ知らせます。ところがその「大いなる光は」、福音書に記されていたとおり、小さな生まれたばかりの幼子としてこの世界に現れたのです。

 小さないのちは、まさしく暗闇に輝く小さな光。しかし闇が深ければ深いほど、その小さな光であっても、大きな希望の光となり得るように、この小さないのちは、不安と疑心暗鬼の深い闇が広がる現実社会のただ中で、大きな喜びと希望の光となるのです。

 「いのち」は、神から与えられた、贈り物、「たまもの」です。神は、人類に喜びと希望を与える光を、小さないのちとして誕生させることで、一人一人に与えられたいのちが、同じ可能性を秘めていること、そしてそのためにこそ、一人一人のいのちがかけがえのない大切なものであることを示されました。 一人一人のいのちは、世界全体と比較すれば小さいものかもしれません。でもその小さないのちは、闇の中に小さな光を輝かせることができる。そしてそれは、世界全体に対する喜びと希望の光となり得る。だからこそ、一人一人は例外なく、神の目にあって大切なのだと、教えています。

 私たちが生きている現実は、残念ながら素晴らしいことばかりで満たされているわけではありません。そこには様々な意味での暗闇が存在します。その暗闇の中で、一人一人が真摯に小さな光を輝かせること。それがクリスマスの神からの呼びかけです。

 その晩の暗闇の中、野宿をしていた羊飼いたちに現れた天使は、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美していった、とも福音には記されていました。小さく輝く希望の光へと導く声であります。

 私たちが生きている現実は、様々な音で満ちあふれております。それは物理的に実際に鳴り響く音であったり、私たちの心を奪っているありとあらゆる情報という音でもあります。様々な音に支配され、静寂からはかけ離れた現実に生きている私たちは、ともすれば、希望の光へと導く声を聞き逃しているのかもしれません。クリスマスの出来事が私たちを招くもう一つのことは、静寂のうちに耳を澄ませてみることでもあります。それは実際に静かにするということ以上に、心を落ち着けて、神の声に耳を傾けようとする姿勢のことであろうと思います。イエスがご自身であるとまで言われた、困難に直面して助けを求めている人たちの声は、やはり社会の騒音の中に隠されてしまいます。助けを求める小さな声は、神からの呼びかけの声でもあります。心の静寂のうちに耳を澄ませることを忘れずにいたいと思います。

 天使たちは、御心にかなう人に平和があると告げました。平和の実現した世界、すなわち神の望まれる秩序が実現している完全な世界を生み出すことこそが、「御心に適う」ための私たちに与えられた使命ではないでしょうか。 御心に適うこととは、神が賜物として与えられた、この一人一人の小さないのちを、徹底的に大切にし、互いに助け合い、支え合いながら生きることに他なりません。

 困難な社会の状況の中で、対立ではなく、排除ではなく、憎しみではなく、互いに理解を深め、支え合い、絆を強めあいながら、神からのたまものであるいのちがすべからく大切にされ、それぞれが豊かに生きることのできる世界を生み出して参りましょう。助けを求めているちいさな声に、耳を傾ける努力を怠らないようにいたしましょう。

 幼子イエスの小さく輝く光。今宵のミサでその光を私たちの心にともし、暗闇の中でそれ光を輝かせて参りましょう。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教に12月16日着座=の「司教の日記」より本人の了解を得て転載)

 Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑮「63歳・芥川賞」への期待

  2018年1月16日に選考が行われる第158回芥川賞で、遅咲きの新人作家・若竹千佐子さん(63歳)の候補作「おらおらでひとりいぐも」(文藝賞受賞作)に注目が集まっている。

  「おらおらで…」の主人公は、70歳代半ばの「桃子さん」。東京オリンピックの頃に東北から上京した専業主婦だ。物語は、夫と死に別れ、子供も巣立って一人暮らしになったところから突然始まる。封印していた故郷の言葉が内面から湧き上がり、何人もの「おら」=自分=となって自身に語りかけるようになる。

  <あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが>。複数の声が東北弁で聞こえる事態に困惑し、先行きを不安視する主人公。彼女は大勢の「おら」たちと会話を交わし、次第に自分の過去を振り返るようになる。

  作品は50年にわたる家族との暮らしを回想する。その中で主人公は、15年前に夫・周造を失った悲しみに再び見舞われ、激しく涙する。 <周造、逝ってしまった、おらを残して><周造、どごさ、逝った、おらを残して><周造、これからだずどぎに、なして>。コントロール不能な感情が荒れ狂うシーンは、読む者の胸を打つ。東北弁が標準語を押しのけて地の文へ浸出していく展開は、幻想的でもある。

  悲しみの記憶の先に、これからの「生」を見いだすシーンも印象的だ。体の痛みを押し、長い坂道を登って夫の墓参りをした時。おかしな形で赤いカラスウリが卒塔婆に絡まっているのを見つけ、主人公は笑い声を上げる。ひとしきり笑った後に達観がある。<まだ戦える。おらはこれがらの人だ。こみあげる笑いはこみあげる意欲だ。まだ終わっていない>――と。従来の老境小説とは大きく異なる新しさが感じられる。

  文藝賞の選考会でも、選考委員から同様の声が上がった。「若竹さんの言葉が四作品の中で一番若々しくもあった」(保坂和志選考委員)。「力強く新しい次元を感じさせてくれた」(藤沢周選考委員)。

  若竹さんは岩手県出身。現在は千葉県に暮らし、夫を8年前に亡くした過去を持つなど、作中には自身の人生が投影されている。夫の四十九日の翌日から小説教室の受講を開始し、8年間の修練の後にデビューを果たした。(筆者も師事する文芸評論家の根本昌夫氏の指導を受けたという事実には、ご縁も感じる)

  2013年、当時75歳の黒田夏子さんが「abさんご」で芥川賞の最高齢受賞者となったことは記憶に新しい。黒田さんが残した「生きているうちに見つけてくださいまして、ありがとうございました」という受賞の言葉は、出版界の流行語になった。そして若竹さんも、同じニュアンスのコメントを発している。「数ある原稿の中から桃子と私を見つけ出してくださりありがとうございます。どこまでご期待に応えられるか。私はこれから勇躍出発いたします」。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。5月24日発売の日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」が収録されました。アマゾンへのリンクは、https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22

2017年12月26日 | カテゴリー :

 Sr.岡のマリアの風 ⑲「降誕祭に…、天に生まれた、Sr. Sのこと…」

  「いのち」が降りて来た日に、天に上って行った「いのち」…
降誕祭夜半ミサの少し前に、Sr. Sが、この世のいのちを返して、天のいのちへと入って行った。ちょうど、わたしたちの救いのために、「いのち」そのものである方 神の御子が、わたしたちのところの「降りて来た」時に…。

 神は人となった。人が神となるために。神は降りて来られた。人が、わたしたちが、上るために。神は「死ぬ」者となった。人が、わたしたちが、永遠に「生きる」者となるために。

 この、汲みつくせない主の降誕の神秘が、Sr. Sの「いのち」の中に輝く神と、人への奉仕にすべてを捧げた 隠れた、へりくだりの中に生き抜かれた生涯。

 高齢で、車いすの生活となり、修道服を着ることも出来なくなったときも、 Sr. Sは介護をするシスターたちを気遣い、「修道服が着たい」とは、一度も言わなかったそうだ。どんなにか、もう一度、修道服を着て、ミサにあずかりたかったことか。

 主の降誕祭には、修道院に帰りたい、と言っていた。姉妹たちと、降誕祭のミサにあずかりたい、と言っていた。わかった、12月24日の午後、迎えに来っけんね(迎えに来るからね)、一緒に修道院に帰ろうね、と約束していた。

 その、12月24日の午後 3時40分。Sr. Sは、この世のいのちから、天のいのち、もう終わることのない、苦しみもない、永遠のいのちへと 生まれた。約束通り、降誕祭のミサの前に、修道院に「帰ってきた」。

 最後の最後まで、痛みを伴う苦しみを、苦しんだ。本部、支部修道院のシスターたちが、交代で、昼夜、病院のベッドの傍らに付き添った。数分ごとに、数秒ごとに来る痛みに声を上げる。「痛い、痛い おかあさん!」。手を宙に舞わせ、もがく。付き添いのシスターたちは、手を握り、声をかけ、祈る。

 最後となった23日の晩は、Sr. Bが付き添った。昔、Sr. SがいたM島での思い出を、Sr. Bは、ず~っと語りかけていたそうだ。話している間は、Sr. Sは静かにしている。話が途切れると、うめく。だから、Sr. Bは、一晩中、語り続けたそうだ。それで、Sr. Sも、満足したのかもしれない。

 最後の晩、話し好きなSr. Bで良かったね。神さまは、心配しなくても、一番よいようにしてくださるね。
修道生活68年。享年96歳。病院から帰ってきたSr. Sに、修道服を着せながら、ずっと介護をしてきたSr. MEが話しかける。

 修道服、ほんとうは着たかったんだよね。ほら、やっと修道服を着て、イエスさまの降誕祭ミサにあずかれるよ。よかったね~
たぶん、68年間、新しいものを求めることなく、ずっと同じ修道服を着続けたのだろう。いたるところ、ほころんで、拙い手縫いで直してある。

 Sr. Sの棺は、本部修道院の、聖堂の近くの「マリアの部屋」、聖歌が「聞こえる」部屋に置かれた。その前で シスターたちが交代で祈る。

 シスターたちの間では、もう、 Sr. Sのために祈る」というより、天への「凱旋」を喜ぶ、という雰囲気がただよう。
よかったね~、今、神さまが両手を広げて受け入れ、抱きしめてくださっているよね~。マリアさま、ヨセフさまが、幼子イエスさまを抱かせて、キスさせてくださっているよね~。

 介護の必要なシスターたちが生活する「本部新館」で、シスターたちが、年のせいで、あそこが痛いとか、これが出来ない、させてもらえない、とか、ついつい愚痴ってしまうとき、Sr. Sは、「ささげんばね(捧げなければね)」「今、ささげんで、いつささげっとね(今、捧げなければ、いつ捧げるの)」と言っていた、と聞いた。

 最後まで痛みがあった、と言った。もしかしたら、Sr. Sが望んだのかもしれない。わたしたちのため、すべての人の救いのため。
そのためにこの世に降りて来たイエスさまの思いを、自分の思いとして…。神さまとSr. Sとの間の秘密。それは、誰にも分からない。

 この世に生まれる「いのち」と、この世のいのちを返し、天に生まれる「いのち」。2017年の降誕祭は、忘れられないものとなるだろう。

 神に感謝!アーメン

(2017-12-24記)(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2017年12月24日 | カテゴリー :

 菊地大司教の日記 ①「東京に着座しました。みなさまに感謝。少しづつ・・」

 12月16日、東京教区の大司教として着座式を無事終えることができました。着座式ミサには、事前の予想をはるかに超える二千人以上の方々が参加してくださり、司祭団も予想以上で入堂時に150人をはるかに超え、典礼担当者は司祭用のパイプいすの手配で大変な思いをされたと思います。また聖堂に入りきれずに、外のテントの中で参加されたり、ホールで参加された方々もおられました。寒い中、おいで下さり、本当にありがとうございます。

 参加してくださった方々、各地からお祈りくださった方々、メッセージを寄せてくださった方々、本当にありがとうございます。また典礼や祝賀会を用意してくださった東京教区、特に関口教会のみなさまには、本当に感謝いたします。

 着座ミサには駐日教皇大使や日本の司教団全員だけでなく、ソウルの大司教、アンドレア・ヨム枢機卿、韓国軍教区のフランシスコ・ザビエル・ユー司教、ドイツのケルン教区のウェルキ枢機卿様の名代として、補佐司教のドメニクス・シュヴァデラップ司教が参加してくださいました。

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加えて、ガーナでわたしが働いていた30年前、一緒に働いていた仲間が三人、今度は三人とも司教として今回参加してくださったことは、本当に名誉なことです。当時、まだできたばかりだった教区の司教でもあり、現在は首都のアクラ大司教区司教である,チャールズ・パルマー・バックル大司教。わたしが働いていた小教区を管轄するコフォリデュア教区のヨゼフ・アフリファ司教。一緒の教会で助任をしていた同じ修道会、神言会の仲間ですが、ケタ・アカチ教区のガブリエル・クモジ司教の三人です。(上の写真は参加してくれたガーナの司教三人と一緒に。一番右端の司祭は、神言会のマーティン神父。わたしがガーナで働いていた頃、小学生でわたしの侍者をしていました。現在は神言会員で、名古屋におります。)

 今回はそれに加えて、駐日ガーナ大使のパーカー・アロテイ氏ご夫妻が、ガーナの大統領からのメッセージを携えて参加してくださいました。感謝です。大使ご自身はバックル大司教と高校の同級生で、信徒の方です。ガーナをわたしの第二の故郷だと、大統領が言ってくださいました。8年間の山奥での司牧生活への最高の評価と、うれしく大統領メッセージを拝聴しました。

 その他にも、神言会の副総会長ロバート・キサラ神父や、国際カリタスの聖座顧問モンセニョール・ピエール・チバンボ師など、多くの方が国外から駆けつけて下さいました。

司教の杖(バクルス)が岡田大司教様からわたしに手渡され、司教座に着座して、これで「多様性における一致」を掲げた、わたしの東京での旅路が始まりました。

 即座に新しい動きがあることや大きな変革を期待するという声も聞こえてはおります。しかし、どうかそれには、わたしにもう少し時間を下さい。わたしは12月16日付で、新潟教区の空位期間の教区管理者にも任命されました。一日も早く新しい司教が新潟教区に任命されるように努めますが、どれほどの時間がかかるのかは予想がつきません。その間、二つの教区の兼任となりますので、どうしても出だしはゆっくりとならざるを得ません。どちらの教区とも、事務局長を始め司祭団が協力体制を持って控えていますので、互いに協力しながら、司祭団の力を借りて、少しずつ進んでいきたいと思います。

 どうかこれからも、みなさまのお祈りによる支えをお願い申し上げます。感謝のうちに。