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菊地大司教の日記 ②主の降誕の祝日に「神の愛といつくしみとゆるしを、具体的に示すしるしとなろう」
2017年12月25日 (月)主の降誕の祝日
今日もまた晴天に恵まれた東京でした。加えて乾燥してます。静電気も走ります。
今日、主の降誕の祝日は、午前10時からのミサを司式させていただきました。昨晩ほどではないものの、カテドラル関口教会聖堂は、ベンチがほぼすべて埋まり、周囲のパイプいすに座る人たちもいたので、いったい何人おられたのでしょう。
昨日の待降節団第4の主日に始まって、降誕の夜半のミサ、深夜ミサ、そして今日の朝のミサと、主任と助任司祭もフル回転でしたが、侍者の青年たちもフル回転。昨晩は深夜ミサの後に、信徒会館に泊まっていった強者も数名いたようでした。
本日、主の降誕の祝日、日中のミサの説教原稿です。
「いかに美しいことか。山々を行き巡り、よい知らせを伝えるものの足は」
本日の聖書と典礼の表紙には、クリスマスには欠かせない馬小屋での誕生の絵画が掲載されています。ところが、その聖書と典礼のページをめくり本日の朗読を読んでみても、そこには馬小屋も、飼い葉桶も、マリアもヨセフも登場してきません。本日の福音には、ただ、「はじめに言があった」とだけ記されておりました。
日本語の訳は、「言葉」という普通の単語ではなく『言』と書いて『ことば』と読ませています。ギリシア語の『ロゴス』という単語を表現するために、いろいろ考えた結果だと思います。そこには単に私たちが普段口にしている言葉とは意味合いが異なる特別な意味があり、生きている神の言は、人格をもった神の思いそのものであり、それこそがイエスなのだと言うことを私たちに伝えるための、漢字の工夫であろうと思います。
イエスの存在そのもの。イエスが人として語る言葉。イエスの行い。それこそが神の思いを具体的に見えるものとした事実であり、その存在にこそ命があり、光があり、暗闇の中に輝く希望なのだと、ヨハネは私たちに伝えています。
イエスの誕生にこそ、また神の言の受肉にこそ、神の愛といつくしみとゆるしの深さがはっきりと表れています。自らが創造された人間のいのちを、神は徹底的に愛しぬかれていたから、忍耐に忍耐を重ねて、しばしば預言者を通じて、その歩む道をただそうとしてきた。しかし人間はなかなかそれに従わない。そこで神はすべてを終わらせることも出来たであろうに、そうではなく、自ら人となり直接にわたしたちへと語りかけ、わたしたちが歩むべき道を示し、そして最後には人間の罪をすべて背負って十字架につけられました。それは、あがないの生け贄としてその身を捧げ、それによってすべての人のために永遠の生命への道を開かれるためでありました。これこそが、私たちの信仰の中心であります。そしてその原点は、はじめからあった神の言が人となって誕生した事実にあります。
今日、イエスの誕生を祝ってここに集う私たちは、神のつきることのない愛といつくしみとゆるしの結果として、私たちに与えられた神の言にあらためて触れています。神の思いそのものである言に触れ、それに包まれる機会を与えられています。私たちがクリスマスに教会に集まって喜びの思いを抱くのは、単にイエスの誕生日を祝っているという喜びではなく、つきることのない神の愛といつくしみとゆるしに包み込まれて生かされているのだという事実を、この誕生の神秘のうちに改めて確認させられるからではないでしょうか。
福音は、「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」と述べています。人となられた神の言を信じる私たちが、神の子となる資格を与えられるのであれば、それでは、神の愛といつくしみとゆるしに包み込まれ、神を信じるわたしたちは、どのように、何をもって、神に応えることで、神の子となっていくのでしょうか。
本日の第一の朗読に、「いかに美しいことか。山々を行き巡り、よい知らせを伝えるものの足は」というイザヤ預言者の言葉が記されていました。
わたしたちには、忘れることのできない使命が一つあります。あらためて言うまでもなく、それは福音宣教の使命です。素晴らしい恵みを受けて生かされているわたしたちは、それを自分のためだけに、自分のうちだけにとどめておくことは許されません。主ご自身が命じられたように、受けた恵みをわたしたちはすべての人たちに告げ知らせる使命を与えられていること、その事実を、イザヤの預言は今日、思い起こさせます。
経済や政治の状況が厳しい中で、また少子高齢化が激しく進んで社会全体に明確な希望の光が見えてこないようなときに、人はどうしても自分の人生の護りに入ってしまいます。皆が護りに入る、社会全体から、『愛といつくしみとゆるし』は徐々に姿を消し、厳しく他人を裁き、批判し、異質な存在を排除し、最終的には対立し攻撃することさえ良しとしてしまいかねません。
私たちはそういった社会に対して、裁きや批判ではなく、また排除や対立ではなく、互いに神から命を与えられ生かされているものだという謙遜な自覚の中で、互いに支え合い、受け入れあう慈しみ深さ、優しさを、見える姿で示していきたいと思います。それは声高に語る福音宣教ではなく、一人一人の、そして共同体としての、言葉と行いを通じた具体的なあかしによる福音宣教です。教会共同体は今、社会のただ中にあって、神の愛といつくしみとゆるしを具体的に示すしるしとなることが必要です。
孤独のうちにある人、助けの声さえ上げることのできない人、存在さえ忘れ去られた人、様々な理由で排除される人。その叫びは小さな声だけれど、暗闇に響き渡る主イエスご自身の声、神の言であります。そこに神がおられる。
神の言が人となられたことを祝う今日、私たちはあらためて神の思いそのものである言に生きることを、また神の言に生かされ、そして神の言を具体的に形で多くの人に伝えていく決意を新たにしたいと思います。私たちが生きているこの世界に、この現実に、神の言が、どうしても必要だと信じています。
2017年12月24日 (日)主の降誕、クリスマスおめでとうございます
東京教区の皆様 新潟教区の皆様
主の降誕のお喜びを申し上げます。
着座式直後の日曜日には、荻窪教会でミサを捧げることができましたが、今日の主の降誕の祝日は、着座式以降初めてとなるカテドラルでのミサ司式です。さすがに緊張しました。さすがに東京です。さすがに関口教会です。ものすごい人です。しかもミサが夕方5時、7時、10時、深夜零時と4回もあり、しかも午前中は待降節第4主日であったわけですので、主任と助任のお二人は、フル回転です。私は、今夜は7時のミサを、そして明日の日中は10時のミサを担当させていただきます。また今日の日中は、韓人教会の皆さんのクリスマスのお祝いにも参加することができました。
今夜の7時のミサで感動したのは、もちろん参加者が(信徒とそれ以外の方々)ものすごく多いことや聖歌隊がたくさんおられることでもありますが、それ以上に、侍者をつとめる子どもたちと青年がたくさんいること。
というわけで、今夜の夜半のミサの説教の原稿です。
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見た」
お集まりの皆さん、主の降誕、クリスマスおめでとうございます。
クリスマスと言えば、パーティなどのお祝いが欠かせません。それも、明るい昼間よりも、夜、暗くなってから行われるお祝いの方が、いかにもクリスマスという感じを受けます。それはたぶん、クリスマスには明るく輝くイルミネーションがつきものであり、そのイルミネーションが輝くためには、暗闇が必要だからなのかもしれません。
でも実は、イエスの降誕という出来事と、暗闇との間には、意味のある関係が存在します。それはただ単に、イエスが誕生したのが夜だったと、先ほど朗読された福音書に記されているからではありません。イエスが誕生した意味、そしてその過去の出来事が現代社会に生きている私たちにいま語りかけていること、それを明らかにするのは暗闇であり、その暗闇を支配する静寂であり、その闇と静寂のうちに小さく輝く光であり、ささやく声であります。
わたしは昔、30年ほど前、まだ若い神父であった時に、アフリカのガーナという国の山奥の教会で働いていました。8年間働いていた村は、今でもそうなのですが、電気が通じていない村です。近頃は、近隣の村には電気が通じたと聞きましたが、30年前は、大きな町に行かないと電気は通じておりませんでした。
電気がないところで暮らしていると、夜の闇の深さを肌で感じます。そういった村での明かりは、昔ながらの灯油のランタンであります。小さくか細い光を放つランタンですが、深い闇の中では、そんな小さな明かりも力強く輝いているように感じられます。
夜の道を歩かなくてはならないときなど、懐中電灯の光を頼りに道を探りながら山道を進んでいるとき、月が出ていなければ、周囲を包み込む暗闇は心に不安を生み出します。いったいこの先はどうなっているのか。目的の村はどこにあるのか。暗闇の中で、自分の心の疑心暗鬼に翻弄され、不安に駆られるとき、道の先に小さなランタンの明かりが見えたときの安心感。軒先に掲げてあるランタンです。小さな光ではありますが、暗闇が深ければ深いほど、どれほど小さな光であっても、不安と恐れを取り払い、小さいながらも希望と喜びを感じさせる光であります。
第一朗読のイザヤの予言は、「闇の中を歩む民は、大いなる光を見た」としるし、将来の救い主の誕生を告げ知らせます。ところがその「大いなる光は」、福音書に記されていたとおり、小さな生まれたばかりの幼子としてこの世界に現れたのです。
小さないのちは、まさしく暗闇に輝く小さな光。しかし闇が深ければ深いほど、その小さな光であっても、大きな希望の光となり得るように、この小さないのちは、不安と疑心暗鬼の深い闇が広がる現実社会のただ中で、大きな喜びと希望の光となるのです。
「いのち」は、神から与えられた、贈り物、「たまもの」です。神は、人類に喜びと希望を与える光を、小さないのちとして誕生させることで、一人一人に与えられたいのちが、同じ可能性を秘めていること、そしてそのためにこそ、一人一人のいのちがかけがえのない大切なものであることを示されました。 一人一人のいのちは、世界全体と比較すれば小さいものかもしれません。でもその小さないのちは、闇の中に小さな光を輝かせることができる。そしてそれは、世界全体に対する喜びと希望の光となり得る。だからこそ、一人一人は例外なく、神の目にあって大切なのだと、教えています。
私たちが生きている現実は、残念ながら素晴らしいことばかりで満たされているわけではありません。そこには様々な意味での暗闇が存在します。その暗闇の中で、一人一人が真摯に小さな光を輝かせること。それがクリスマスの神からの呼びかけです。
その晩の暗闇の中、野宿をしていた羊飼いたちに現れた天使は、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美していった、とも福音には記されていました。小さく輝く希望の光へと導く声であります。
私たちが生きている現実は、様々な音で満ちあふれております。それは物理的に実際に鳴り響く音であったり、私たちの心を奪っているありとあらゆる情報という音でもあります。様々な音に支配され、静寂からはかけ離れた現実に生きている私たちは、ともすれば、希望の光へと導く声を聞き逃しているのかもしれません。クリスマスの出来事が私たちを招くもう一つのことは、静寂のうちに耳を澄ませてみることでもあります。それは実際に静かにするということ以上に、心を落ち着けて、神の声に耳を傾けようとする姿勢のことであろうと思います。イエスがご自身であるとまで言われた、困難に直面して助けを求めている人たちの声は、やはり社会の騒音の中に隠されてしまいます。助けを求める小さな声は、神からの呼びかけの声でもあります。心の静寂のうちに耳を澄ませることを忘れずにいたいと思います。
天使たちは、御心にかなう人に平和があると告げました。平和の実現した世界、すなわち神の望まれる秩序が実現している完全な世界を生み出すことこそが、「御心に適う」ための私たちに与えられた使命ではないでしょうか。 御心に適うこととは、神が賜物として与えられた、この一人一人の小さないのちを、徹底的に大切にし、互いに助け合い、支え合いながら生きることに他なりません。
困難な社会の状況の中で、対立ではなく、排除ではなく、憎しみではなく、互いに理解を深め、支え合い、絆を強めあいながら、神からのたまものであるいのちがすべからく大切にされ、それぞれが豊かに生きることのできる世界を生み出して参りましょう。助けを求めているちいさな声に、耳を傾ける努力を怠らないようにいたしましょう。
幼子イエスの小さく輝く光。今宵のミサでその光を私たちの心にともし、暗闇の中でそれ光を輝かせて参りましょう。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教に12月16日着座=の「司教の日記」より本人の了解を得て転載)
Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑮「63歳・芥川賞」への期待
2018年1月16日に選考が行われる第158回芥川賞で、遅咲きの新人作家・若竹千佐子さん(63歳)の候補作「おらおらでひとりいぐも」(文藝賞受賞作)に注目が集まっている。
「おらおらで…」の主人公は、70歳代半ばの「桃子さん」。東京オリンピックの頃に東北から上京した専業主婦だ。物語は、夫と死に別れ、子供も巣立って一人暮らしになったところから突然始まる。封印していた故郷の言葉が内面から湧き上がり、何人もの「おら」=自分=となって自身に語りかけるようになる。
<あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが>。複数の声が東北弁で聞こえる事態に困惑し、先行きを不安視する主人公。彼女は大勢の「おら」たちと会話を交わし、次第に自分の過去を振り返るようになる。
作品は50年にわたる家族との暮らしを回想する。その中で主人公は、15年前に夫・周造を失った悲しみに再び見舞われ、激しく涙する。 <周造、逝ってしまった、おらを残して><周造、どごさ、逝った、おらを残して><周造、これからだずどぎに、なして>。コントロール不能な感情が荒れ狂うシーンは、読む者の胸を打つ。東北弁が標準語を押しのけて地の文へ浸出していく展開は、幻想的でもある。
悲しみの記憶の先に、これからの「生」を見いだすシーンも印象的だ。体の痛みを押し、長い坂道を登って夫の墓参りをした時。おかしな形で赤いカラスウリが卒塔婆に絡まっているのを見つけ、主人公は笑い声を上げる。ひとしきり笑った後に達観がある。<まだ戦える。おらはこれがらの人だ。こみあげる笑いはこみあげる意欲だ。まだ終わっていない>――と。従来の老境小説とは大きく異なる新しさが感じられる。
文藝賞の選考会でも、選考委員から同様の声が上がった。「若竹さんの言葉が四作品の中で一番若々しくもあった」(保坂和志選考委員)。「力強く新しい次元を感じさせてくれた」(藤沢周選考委員)。
若竹さんは岩手県出身。現在は千葉県に暮らし、夫を8年前に亡くした過去を持つなど、作中には自身の人生が投影されている。夫の四十九日の翌日から小説教室の受講を開始し、8年間の修練の後にデビューを果たした。(筆者も師事する文芸評論家の根本昌夫氏の指導を受けたという事実には、ご縁も感じる)
2013年、当時75歳の黒田夏子さんが「abさんご」で芥川賞の最高齢受賞者となったことは記憶に新しい。黒田さんが残した「生きているうちに見つけてくださいまして、ありがとうございました」という受賞の言葉は、出版界の流行語になった。そして若竹さんも、同じニュアンスのコメントを発している。「数ある原稿の中から桃子と私を見つけ出してくださりありがとうございます。どこまでご期待に応えられるか。私はこれから勇躍出発いたします」。
(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。5月24日発売の日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」が収録されました。アマゾンへのリンクは、https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22)
Sr.岡のマリアの風 ⑲「降誕祭に…、天に生まれた、Sr. Sのこと…」
「いのち」が降りて来た日に、天に上って行った「いのち」…
降誕祭夜半ミサの少し前に、Sr. Sが、この世のいのちを返して、天のいのちへと入って行った。ちょうど、わたしたちの救いのために、「いのち」そのものである方 神の御子が、わたしたちのところの「降りて来た」時に…。
神は人となった。人が神となるために。神は降りて来られた。人が、わたしたちが、上るために。神は「死ぬ」者となった。人が、わたしたちが、永遠に「生きる」者となるために。
この、汲みつくせない主の降誕の神秘が、Sr. Sの「いのち」の中に輝く神と、人への奉仕にすべてを捧げた 隠れた、へりくだりの中に生き抜かれた生涯。
高齢で、車いすの生活となり、修道服を着ることも出来なくなったときも、 Sr. Sは介護をするシスターたちを気遣い、「修道服が着たい」とは、一度も言わなかったそうだ。どんなにか、もう一度、修道服を着て、ミサにあずかりたかったことか。
主の降誕祭には、修道院に帰りたい、と言っていた。姉妹たちと、降誕祭のミサにあずかりたい、と言っていた。わかった、12月24日の午後、迎えに来っけんね(迎えに来るからね)、一緒に修道院に帰ろうね、と約束していた。
その、12月24日の午後 3時40分。Sr. Sは、この世のいのちから、天のいのち、もう終わることのない、苦しみもない、永遠のいのちへと 生まれた。約束通り、降誕祭のミサの前に、修道院に「帰ってきた」。
最後の最後まで、痛みを伴う苦しみを、苦しんだ。本部、支部修道院のシスターたちが、交代で、昼夜、病院のベッドの傍らに付き添った。数分ごとに、数秒ごとに来る痛みに声を上げる。「痛い、痛い おかあさん!」。手を宙に舞わせ、もがく。付き添いのシスターたちは、手を握り、声をかけ、祈る。
最後となった23日の晩は、Sr. Bが付き添った。昔、Sr. SがいたM島での思い出を、Sr. Bは、ず~っと語りかけていたそうだ。話している間は、Sr. Sは静かにしている。話が途切れると、うめく。だから、Sr. Bは、一晩中、語り続けたそうだ。それで、Sr. Sも、満足したのかもしれない。
最後の晩、話し好きなSr. Bで良かったね。神さまは、心配しなくても、一番よいようにしてくださるね。
修道生活68年。享年96歳。病院から帰ってきたSr. Sに、修道服を着せながら、ずっと介護をしてきたSr. MEが話しかける。
修道服、ほんとうは着たかったんだよね。ほら、やっと修道服を着て、イエスさまの降誕祭ミサにあずかれるよ。よかったね~
たぶん、68年間、新しいものを求めることなく、ずっと同じ修道服を着続けたのだろう。いたるところ、ほころんで、拙い手縫いで直してある。
Sr. Sの棺は、本部修道院の、聖堂の近くの「マリアの部屋」、聖歌が「聞こえる」部屋に置かれた。その前で シスターたちが交代で祈る。
シスターたちの間では、もう、 Sr. Sのために祈る」というより、天への「凱旋」を喜ぶ、という雰囲気がただよう。
よかったね~、今、神さまが両手を広げて受け入れ、抱きしめてくださっているよね~。マリアさま、ヨセフさまが、幼子イエスさまを抱かせて、キスさせてくださっているよね~。
介護の必要なシスターたちが生活する「本部新館」で、シスターたちが、年のせいで、あそこが痛いとか、これが出来ない、させてもらえない、とか、ついつい愚痴ってしまうとき、Sr. Sは、「ささげんばね(捧げなければね)」「今、ささげんで、いつささげっとね(今、捧げなければ、いつ捧げるの)」と言っていた、と聞いた。
最後まで痛みがあった、と言った。もしかしたら、Sr. Sが望んだのかもしれない。わたしたちのため、すべての人の救いのため。
そのためにこの世に降りて来たイエスさまの思いを、自分の思いとして…。神さまとSr. Sとの間の秘密。それは、誰にも分からない。
この世に生まれる「いのち」と、この世のいのちを返し、天に生まれる「いのち」。2017年の降誕祭は、忘れられないものとなるだろう。
神に感謝!アーメン
(2017-12-24記)(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
菊地大司教の日記 ①「東京に着座しました。みなさまに感謝。少しづつ・・」
12月16日、東京教区の大司教として着座式を無事終えることができました。着座式ミサには、事前の予想をはるかに超える二千人以上の方々が参加してくださり、司祭団も予想以上で入堂時に150人をはるかに超え、典礼担当者は司祭用のパイプいすの手配で大変な思いをされたと思います。また聖堂に入りきれずに、外のテントの中で参加されたり、ホールで参加された方々もおられました。寒い中、おいで下さり、本当にありがとうございます。
参加してくださった方々、各地からお祈りくださった方々、メッセージを寄せてくださった方々、本当にありがとうございます。また典礼や祝賀会を用意してくださった東京教区、特に関口教会のみなさまには、本当に感謝いたします。
着座ミサには駐日教皇大使や日本の司教団全員だけでなく、ソウルの大司教、アンドレア・ヨム枢機卿、韓国軍教区のフランシスコ・ザビエル・ユー司教、ドイツのケルン教区のウェルキ枢機卿様の名代として、補佐司教のドメニクス・シュヴァデラップ司教が参加してくださいました。

加えて、ガーナでわたしが働いていた30年前、一緒に働いていた仲間が三人、今度は三人とも司教として今回参加してくださったことは、本当に名誉なことです。当時、まだできたばかりだった教区の司教でもあり、現在は首都のアクラ大司教区司教である,チャールズ・パルマー・バックル大司教。わたしが働いていた小教区を管轄するコフォリデュア教区のヨゼフ・アフリファ司教。一緒の教会で助任をしていた同じ修道会、神言会の仲間ですが、ケタ・アカチ教区のガブリエル・クモジ司教の三人です。(上の写真は参加してくれたガーナの司教三人と一緒に。一番右端の司祭は、神言会のマーティン神父。わたしがガーナで働いていた頃、小学生でわたしの侍者をしていました。現在は神言会員で、名古屋におります。)
今回はそれに加えて、駐日ガーナ大使のパーカー・アロテイ氏ご夫妻が、ガーナの大統領からのメッセージを携えて参加してくださいました。感謝です。大使ご自身はバックル大司教と高校の同級生で、信徒の方です。ガーナをわたしの第二の故郷だと、大統領が言ってくださいました。8年間の山奥での司牧生活への最高の評価と、うれしく大統領メッセージを拝聴しました。
その他にも、神言会の副総会長ロバート・キサラ神父や、国際カリタスの聖座顧問モンセニョール・ピエール・チバンボ師など、多くの方が国外から駆けつけて下さいました。
司教の杖(バクルス)が岡田大司教様からわたしに手渡され、司教座に着座して、これで「多様性における一致」を掲げた、わたしの東京での旅路が始まりました。
即座に新しい動きがあることや大きな変革を期待するという声も聞こえてはおります。しかし、どうかそれには、わたしにもう少し時間を下さい。わたしは12月16日付で、新潟教区の空位期間の教区管理者にも任命されました。一日も早く新しい司教が新潟教区に任命されるように努めますが、どれほどの時間がかかるのかは予想がつきません。その間、二つの教区の兼任となりますので、どうしても出だしはゆっくりとならざるを得ません。どちらの教区とも、事務局長を始め司祭団が協力体制を持って控えていますので、互いに協力しながら、司祭団の力を借りて、少しずつ進んでいきたいと思います。
どうかこれからも、みなさまのお祈りによる支えをお願い申し上げます。感謝のうちに。
米国の修道士たちがケルト風聖歌を作曲、演奏
*米国のドミニコ会の修道士たちがケルトの伝統音楽をモチーフにした聖歌を作曲、演奏開始!以下でお聞きになれます。
(2017.12.13 Crux/CNA) The band consists of 10 members from the Dominican House of Study and St. Dominic’s Priory in Washington, D.C. It began as a lighthearted project with a focus on traditional Celtic music.
“The band itself was started by a couple of friars in our province,” said Brother Jonah Teller, who sings and plays guitar in the band. It grew out of a group of brothers who would get together to play Irish tunes, he said.
Sr.岡のマリアの風 ⑱ポーランドの村から・帰国を前に・
お祈り、ありがとうございます。ポーランドに着いてから、ず~っと「何かが」あって、PCに向かう時間がありませんでした。明日は帰国、という今、やっと書いています。おかげさまで元気です。
ところで、今日、12月3日、待降節第一主日、ここ、ストラホチナ村は真っ白です!朝から雪が降り、だいぶ積もって来ました。ポーランドのシスターたちによると、これは「まだまだ少ない」そうです。
ローマから着いたばかりの時、空港に迎えに来てくれたシスターから、「そんな恰好(薄着)では死んでしまう!」、というような感じのことを言われ、Sr.Jから「生もの」のセーターをもらい(手編みということを言いたかったらしい)、Sr.Aからダウンの軽いコートをもらい(ファスナーは、ゆっくりと、そーっと上げないと壊れるらしい)、冬用の靴を買ってもらい、ショールをもらい…。部屋用には、「暖かいパジャマ」とガウンを貸してもらい(あげる、と言われたけれど、荷物に入らない!)。
修道院の時間割は、毎日、「変化」します。ポーランドでは当たり前、とか。前日の夜にならないと、次の日の朝のミサの時間が分からなかったりします。信徒たちはどうするんだろう?特に、午後3時の祈りから始まって、夜9時頃まで、おやつや食事をはさんで、ずっと祈り、ミサが続きます。
ミサは、朝、修道院で捧げられることもありますが、夕方の教会のミサにはあずかるので、時に、一日に二回、あずかります。主日は、何度もミサが捧げられますが、シスターたちは、出来るだけ二回ミサにあずかるよう勧められているそうです。今日は主日ですが、わたしは荷物の準備をしているので、朝一番のミサにだけあずかりました。
時々、主任神父さまの長い説教がありますが、スラブ系の言葉は、何について話しているのか、全く検討もつきません。時に「サクラメント(秘跡)」とか、イエス・キリストとか、神の母とか、マリアとか…。分かるのは、それくらい。主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄光唱はたびたび唱えるので、「祝福」、「永遠に」、「今も」…という単語は、何とか識別できます。
そういうわけで、シスターたちはそれぞれの仕事で忙しいのですが、わたしは、リラックスして祈る時間をいただいています。
先日、ポーランド語を勉強している日本から派遣されたSr.Jの、週末の帰省の迎えついでに、ルブリンに行ってきました。ルブリンは初めてです。最初に訪問した司教館で、秘書の神父さまが、イタリア語が出来る、ということで、カテドラル(司教座聖堂)の説明をしてくださいました。
カテドラルは、二人の聖ヨハネに捧げられていて(洗礼者ヨハネと福音作者ヨハネ)、それぞれの聖画が祭壇上に置かれています。また、祭壇のすぐ上の、キリストの洗礼の聖画は、スライド式になっていて、降誕祭にはご降誕の画、四旬節には十字架の画が、下から出てくるそうです。
金曜日だったので、聖体顕示(アドラチオ)があり、信徒たちが祈っていました。また、告解場には、長い列が出来ていました。
(2017-12-03記)
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
菊地・新潟司教の日記 *16日東京の着座式 *9日に新潟教会で教区離任のミサ
先日教皇様からいただいた東京教区大司教の任命ですが、任命されますと2ヶ月以内に,その新しい司教座に「着座」をしなければならないと定められています。 わたしは東京教区司教座に,正式に着座をするまでは,新潟教区の教区司教です。その着座式は、12月16日土曜日の午前11時から、東京教区のカテドラルである関口教会で行われることになりました。お時間がありましたら,ご出席くださり、一緒にお祈りください。
また、新潟教区の教区司教を離れるに当たり、新潟教区では離任ミサをしてくださることになりました。それは着座式の一週間前、12月9日土曜日の午後1時から、新潟教会で行われます。こちらも参加していただけると幸いですが、ただ東京とは異なり新潟教会の聖堂は300人ほどしか収容できませんので、そのことはご承知おきください。
新潟教区の司教座は、12月16日から「空位」(教区司教が任命されていない状態)となります。しかし教区は生きていますから、教区管理者が任命されます。それについては、空位期間が始まってから、発表となります。
なお、東京教区の皆さんにあっては、わたしが着座後即座に、ばりばりと東京で働くことをご期待いただくのやもしれませんが、もうしわけない。
なにぶん年末から来年1月末までは,すでに数年前からお約束した事などが山積みで、それを順番に行っていかなくてはならず、そのため東京への引っ越しも着座式以降になろうかと思います。もちろん着座式前に,少しずつ東京に住むことができるようにはいたします。ですから何月何日をもって,きれいに新潟を去り,東京へ移りました、とはならないことをも,ご承知おきください。
どうぞみなさまのお祈りによるお支えを,心よりお願いいたします。
12月9日、新潟教会で教区離任ミサ
12月9日は、東京大司教への着座式の一週間前です。新潟教区では今日、まもなく新潟教区を離れるわたしのために、離任ミサを企画して下さいました。
今にも雪が降りそうな寒い土曜日でしたが、教区各地から多くの方が参加してくださり、新潟教会聖堂は200人を超える方々で一杯となりました。
また司祭団も、教区司祭団は他の先約があった数名を除いてほぼ全員が、また山形地区や秋田地区からも代表が駆けつけてくださいました。神言会からは管区長のジェブーラ神父が来て下さり、祭壇上では秋田の永山神父様と並ばれたので、新旧管区長のそろい踏みとなりました。ジェブーラ神父はポーランドから学生時代に来日され、わたしとは名古屋の神学院時代を一緒に過ごし、わたしの司祭叙階の日に助祭に叙階されました。また昨年司祭団の黙想会を指導していただいた縁で、サレジオ会の阿部神父さまもおいで下さいました。感謝です。
ミサ後には、センター二階で感謝の集いを開いていただき、多くの方々と挨拶を交わすことができました。また本当に文字通り山のように霊的花束をいただきました。感謝します。これからもどうかわたしがふさわしく司教職を果たすことができるように、みなさまのお祈りをお願いいたします。あと一週間で、新潟教区の司教座は空位となります。一日も早く、ふさわしい司教が任命されるように、お祈り下さい。
(菊地功=きくち・いさお=司教・新潟教区長=12月16日に東京大司教に着座予定)
菊地・新潟司教の日記 ⑯国際カリタス理事会@バチカン
(2017.12.2 菊地・新潟司教の日記)

今週は,年に二回開催される国際カリタスの理事会にあたる地域代表会議(Representative Council)に出席するため、ローマに来ていました。
国際カリタスは世界に160を超えるメンバー団体を持つ連盟組織です。連盟に参加が許されるためには,それぞれの国や地域のカトリック司教協議会の承認が必要です。日本からはカリタスジャパンが連盟に名を連ねています。
国際カリタス事務局はバチカンのローマ市内にある飛び地のひとつ、サンカリスト宮殿にあり、ここには先般複数の社会福音化活動を担当する部署を統合して誕生した、総合的人間開発促進部署も本部を置いています。(写真左、サンカリストの国際カリタス入り口)
国際カリタスは世界を7つの地域に分けており,わたしが責任者を務めるアジアは、24のカリタスがメンバーとなっています。アジアからこの理事会に参加するのは、わたしと、パキスタンとミャンマーの代表ですが,今回はわたし以外の二人は欠席(教皇様訪問や政治状況など)。アジアからはもう一人、オブザーバーでカリタスアジア事務局長も参加しています。
今回の主な議題は、2015年から19年までの活動計画の中間評価と、19年以降の活動計画の基本方針の確認。そして18年の予算の承認などですが、途中、新しくできたお隣の総合的人間開発の部署の次官(秘書)に任命されたフランス出身のブルーノ・デゥユフェ師においでいただき、総合的人間開発について2時間ほどお話をいただきました。
ちなみに,私の国際カリタス関係の関わりは,カリタスアジアの責任者(President)の任期が終われば終了します。任期は一期4年の現在2期目で、2019年5月までです。規定でそれ以上の再選はありません。(写真左下、朝霧のテベレ川。毎朝、途中でバスを降り、この川沿いを散策しながら会議に向かいます)
カリタスの業は単なる愛の奉仕のとどまるのではなく、神から与えられた賜物であるこの尊厳あるいのちを、十全に生きることができる社会を生み出すことを目指して行われています。ですから,一部の心優しい人の特別な活動なのではなく、神を信じる人にとって当然取り組まなければならない業でもあります。
人間開発は,私たちの信仰的には,神から与えられたタレントを十分に生きることができ,それによって一人一人の使命が果たされるような状況を生み出すことであり、それは貧富の問題や飢餓の問題や難民問題にだけ留まるのではなく,人が生きるという現実のすべての課題に及ぶがために、総合的なのです。
すべての信仰者が,カリタスの業に開かれている教会共同体を目指したいと願っています。
(菊地功=きくち・いさお=司教・新潟教区長=12月16日に東京大司教に着座予定)
森司教のことば ⑰「教会は疲れている!」
「教会は疲れている。幸せなヨーロッパと米国において、欧米の文化は歳を重ね、教会は大きく、宗教施設には人はいない。教会の官僚主義的な装置は多くなるばかりで、儀式と祭服はもったいぶったものに見える。(中略)今日、教会では残り火の上にとても多くの灰が覆い被さっているのを見て、私はしばしば無力感に苛まれる。どうすれば、愛の炎を再び燃え立たせるために灰の中から残り火を取り出すことが出来るだろうか」
ここに掲げた言葉は、故カルロ・マルテイーニ枢機卿(1927〜2012年)が、亡くなる数週間前、イエズス会士によるインタビューに応えたものである。
「教会は疲れている」という枢機卿の率直な言葉に、どれくらいの信者が、共感する事が出来るか、私には不安がある。と言うのは、週に一度、月に一度ぐらいの信者生活では、教会全体の行き詰まっている深刻な状況が分からないのでは・・・と思うからである。
マルテイーニ枢機卿彼は、教皇フランシスコと同じくイエズス会出身である。ミラノ教区の司教に任命され、2002年までミラノ大司教区の教区長として働き、イタリアのカトリック教会の優れた指導者として高く評価され、一時は、故ヨハネパウロ二世の後継者になるのではないか、と見なされていたほどの人物である。晩年パーキンソン病などを患った上、高齢であったことから教皇として選出されることはなく、2012年、85歳で帰天したが、その亡くなる直前に、それまで胸の奧に深く秘めていた、カトリック教会の現状に対して抱いていた心配、不安を、初めて公に口にしたのである。
教会が、その力を弱め、人々に対する影響力を失ってしまっているという事実は、ヨーロッパの町を歩いてみれば、誰の目にも明らかである。
街の至るところに教会の建物はある。しかし、どこの聖堂も、現代人を引きつける魅力ある空間ではなくなっている。薄暗く、人の気配はなく、ひっそりと静まりかえっている。都市の中心にある、天高く聳える大聖堂も、その昔は人々の燃えるような信仰の発露の場であったろうが、今やその中で静かに祈る信徒の姿はほとんどなく、目につくのは、ガイドブックを片手にして堂内を歩き回る観光客の姿ばかりである。
ちなみに、カトリック国といわれていたフランスでもイタリアでもスペインでも、日曜日のミサの参列者は信者の10%前後、幼児洗礼も、教会で結婚式を挙げる者も、激減している。
さらにまた、かつては隆盛を誇った多くの修道会も、志願者が激減して衰退し、その広大な敷地と建物が売りに出され、ホテルになったり研修所になったり、図書館になったりしてしまっている。
「しばしば無力感に苛まれる」の枢機卿の言葉には、おそらく多くの司祭たちは、心から共感するのではないかと思われる。司祭たちは、自らの人生を賭けて、教会のために尽くそう、と決断した男たちである。しかし、キリストが、なかなか悔い改めない人々を前にして嘆いた様に、司祭たちが、いくら悲しみの歌を歌っても、喜びの笛を吹いても、手応えはない。人々の日常は社会の営みにすっかりのみ込まれ、こころも時間もそこに奪われ、教会には足が向かなくなってしまっているからである。
多くの司祭達は、しばしば自分たちの存在が無意味に思え、無力感に苛まれてしまう。それは、どの司祭も体験することである。枢機卿も、その一人であったと言うことである。
しかし、大半の司祭は、それをなかなか表には出さない。自らの内なる苦しみも教会についての不満、批判も滅多に口にしない。と言うのは、信徒たちに負担をかけてはならない、という責任感からである。また、ある意味で、教会という組織の公僕だからである。マルテイーニ枢機卿のインタビューが、思い悩み、心痛めている多くの聖職者たちから好意的に受けとめられたことは、事実である。
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大半のひとが、社会の営みにのみ込まれ、影響力を失い社会の少数派になっていくカトリック教会は、今後どのような姿勢で、社会とそして人々と向き合えばよいのか、これからのカトリック教会の大きな課題なのである。
これまでのように、「自分たちにはキリストから委ねられた真理があり、救いが保証されている」という信念のもとに、社会に生きる人々を「世俗主義に毒されている」と決めつけて、上からの目線で語りかけ働きかけていく姿勢を続けるならば、歯止めにならないどころか、教会離れをますます進行させるだけになってしまうことは間違いない。
これからの教会は、教会を無視し教会から離れていく人々を責める前に、これまでの自分たちの姿勢についての反省し、新たに進むべき道を探るべきなのではなかろうか。
その点で、私が感服したのは、マルテイーニ枢機卿の姿勢である。二十数年前のことである。お忍びで,日本を訪れて来たことがあるのである。その際、個人的に枢機卿と会食する機会に恵まれた。その席で「なぜ,日本にこられたのですか」と問う私に、枢機卿は「ミラノでも教会離れが進んでしまっている。教会が社会の少数派になってしまうことは、これからも避けられない。そんなとき、教会がどのような姿勢で社会と向き合ったらよいのか、カトリック信者が、総人口の1%にも満たない社会の少数派として苦労している日本の教会からヒントをえたい、と思って来日した」と答えてくれたのである。
確かに、日本の教会は,社会の少数派である。信者の数は,全人口の0、4%。1000人の人が集まれば,信者はわずか4人ということになる。その4人が、「自分たちだけに真理があり、光がある」と自負して、一般の人々に馴染みのない教会用語を駆使して、周りに語りかけ働きかけていっても、信頼をえられるはずがない。
日本の社会で教会が人々から信頼され、意味ある存在となるための唯一の道は、苦しみ悩む人々に対する誠実な愛、そして彼らを無条件で包み込む、損得を超えた真摯な愛を証しすることである。それは、資本主義の論理が隅々にまで浸透してしまった社会では、最も否定され軽視されているものだからである。そうした生き方は、愛に徹したマザーテレサの生き方が宗派の違いを超えて人々の共感をえたのと同じように、日本でも多くの人々の共感を呼ぶはずである。
その原型は、キリストにある。少数派になっていく教会に求められることは、余計な物を脱ぎ捨てて、キリストの原点に立ち戻ることなのではなかろうか。
(森一弘=もり・かずひろ=司教・真生会館理事長)
三輪先生の国際関係論㉑もう一つの特攻魂「新しき神話創造への殉死の今 」
前回の「諫死としての特攻と九回生きて帰還した特攻諫死としての特攻と九回生きて 帰還した特攻」に続けて・・。
私は旧制の松本高等学校を3学年までやって卒業できた旧制高校最後の卒業生の一人です。卒業は1950年3月のことでした。同窓会会報93号で「80周年記念祭特集」と銘打たれたものを見ていたら、姫路高校卒業生、鷲見昭彦氏の「特攻散華の友」と題する投稿が目に留まりました。
敗戦真際の事、 ここにもう一人国の行く末を安じつつ特攻死した若者の姿がありました。昭和20(1945)年4月28日 、海軍神風特別攻撃隊第一正気隊の隊員として沖縄戦に散華した安達卓也という学徒兵の想いが「日誌」 からの抜書きで紹介されていました。
「いかに特攻が続き出現しても、中核をなす政府が空虚であっては早晩亡国の運命が到来する であろう」、祖国の中核に「いかなる悲境にも泰然として揺るがず、身を鴻毛の軽きに比して潔癖な道義にのみ生きる大人物の出現」を信じ、自分はここに「爆発しその最後を飾り、一瞬の中に生を終えんとする」、そして「神国の新しき神話の世界創造の礎たらんとする」。
かくの如く、日誌に書き残していた学徒兵安達青年は、出撃に当り「後顧なし」 を最後の言葉とした。
しかし、それからいく星霜、彼の想い描いた「神国の新しき神話の世界」はどうなったか、いやど うなろうとしているか。「戦争を放棄した平和国家」の「神話」はいまや潰えんばかりである。
あの 敗戦の晩春特攻死した青年安達卓也は特攻死を平和立国への殉死と観念していたのだったが、歴史とはそのようなロマンとは無慈悲にも無縁であるのか。今我々は問われている。(2017・11・29 記)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)
Sr 阿部のバンコク通信 ⑮故プーミポン国王を振り返って
プ ーミポン国王様の喪に服して1年、 国を挙げて準備した葬儀の会場は、実に真心のこもった、 タイの芸術と技術を駆使した式場でした。葬儀が滞りなく行われた後、会場の説明、 作業工程の詳しい説明を加えて市民に展示公開されたので、私もバンコク教区の希望者
に加わって訪問しました。
ご遺体を安置した木彫の柩の見事な彫刻をを見て固唾を飲んでしま いました。
迎賓の参列した館には、 国王様の88年の歩み業績が展示されていました。 国民を愛し労わり尽くしたご生涯、これ程までに丁重で、 心のこもった埋葬の儀の理由が物語られ、国民の慕情、 尽きない感謝の念が溢れた会場でした。
王宮広場の会場は年内公開されるとの事、 日々訪れる人々の行列が絶えません。 人々の心と歴史に刻まれた慈父プーミポン国王の思いは、 後の世まで語り継がれることでしょう。愛と慈しみの思いと行動こそ平和と一致をもたらすことを心に明記 した訪問でした。
国民は喪服から普段の服装に戻り、 新国王の即位戴冠式に備えています。 誕生色は同じく黄色で街は明るい雰囲気です。
昨年は自粛した静かなクリスマスでしたが、今年はまた、 素敵な華やかな飾り付けで賑わうことでしょう。 仏教の常夏のタイで、 汗を流しながらで救い主のご降誕を祝う味わいも格別です。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
Sr.石野のバチカン放送今昔 ⑰「バチカンでの日本語ミサ」