菊地大司教の「司教の日記」はhttp://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/で全文がご覧になれます。
2018年3月 1日 (木)
何十年ぶりかで、首都高速を運転しました。これまで長年、車で東京に乗り込むのは避けてきたのです。最後に首都高を運転したのは40年近く前の大学生時代だったと思います。最新のナビのおかげで、右に左に分岐する首都高も、なんとか迷わず走ることができました。
で、出かけた先は、調布。カルメル会の修道院で、シスター方と一緒にミサを捧げて参りました。着座してから、初めての女子修道院訪問でした。
シスター方にお祝いの言葉をいただいて、それで思い出したくらいに忘れていましたが、今日、3月1日は、わたしの終生誓願の記念日。名古屋の神言会で1985年でしたから、33年目です。シスター方のおかげで、自分がまず第一に修道者であることを、あらためて心に刻むことができました。感謝。
この数日、シリアの混乱の悪化の状況がしばしば報道されています。先ほどカリタス・シリアのFacebookにも、平和のための祈りの呼びかけが記されていました。政治には政治の正当化する理由があるのでしょうが、しかし私たちは、人間のいのちの尊厳を繰り返し、繰り返し、宣言するしか道はありません。神は、私たちのいのちを自らの似姿として、良い存在として、尊厳を持って創造されました。日本に生きていようが、ヨーロッパに生きていようが、シリアに生きていようが、人は命を生きる場を自分で選ぶことはできません。どこにあっても、いのちの尊厳は護られなくてはなりません。いのちは、その始まりから終わりまで、すべての時にあって、護られなければなりません。シリアの平和のために祈ります。
教皇様は先日来、シリアを始め、コンゴや南スーダンでの平和への祈りを呼びかけておられます。特別なときだけではなく、繰り返し、繰り返し、平和のための祈りを心がけたいと思います。
3月になりましたので、今月の主な予定を記しておきます。
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3月1日 カルメル会修道院ミサ (調布)
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3月5日 カリタスジャパン会議 (潮見)
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3月6日 カリタスジャパン会議 (潮見)
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3月8日 常任司教委員会・社会司教委員会 (潮見)
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3月10日 聖心女子大学卒業式 (東京)
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3月11日 関口教会10時ミサ、東北震災復興祈祷会13時半 (上智大学)、一粒会総会15時 (関口)
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3月12日 司祭評議会、責任役員会 (東京)
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3月13日 カトリック新聞会議 (潮見)
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3月14日~16日 カリタスアジア理事会 (潮見、南相馬)
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3月17日 宣教司牧評議会 (東京)
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3月18日 秋津教会ミサ、多摩全生園ミサ (東京)
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3月20日 経済問題評議会 (東京)
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3月23日 HIV/AIDSデスク会議 (潮見)、ペトロの家運営委員会 (東京)
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3月25日 受難の主日 (田園調布教会)
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3月27日 司祭代表会議 (新潟)
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3月28日 聖香油ミサ 10時 (新潟教会)
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3月29日 聖香油ミサ (関口教会)、聖木曜日ミサ 19時 (関口教会)
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3月30日 聖金曜日 19時 (関口教会)
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3月31日 復活徹夜祭 19時 (関口教会)
今日は東京教区の司祭の月修でした。東京教区で働く司祭が対象で,もちろん教区司祭も修道会司祭も宣教会司祭も含まれます。全員が参加するわけではありませんが、それでも今日は50人近い司祭が集まってくださいました。
新潟教区ではだいたい月の初めの月曜の夕食に集まって一晩泊まり、翌朝ミサと昼食で終わりというパターンでした。最も全員が泊まれるほどのスペースは教区本部にありませんし、地理的条件から教区全部の司祭が集まることも不可能です。ですからいきおい、新潟県内で働く司祭が中心になり、市内の司祭は泊まらずに帰るというパターンでありました。それでも,ほぼ毎月、泊まりがけで集まっていろいろと話をする機会があったことは、少ない人数ながら司祭団の結束を強めてくれていた気がします。
東京教区では、新潟に比べると比較できないほど多くの司祭が働いています。さすがに毎月皆が泊まりがけは不可能です。東京教区では,基本的に月の最後の月曜日に、10時半からカテドラルで昼の祈りを唱え、その後ケルンホールで研修。そして12時半頃から昼食を一緒にとって解散となります。教区司祭だけではなく、修道会の司祭も、多く集まってくださっています。
本日の研修は,私が話をする番でした。東京の大司教として着座して2ヶ月ほどがたちましたが、そもそもこの教区で働いていたことがないので、私がどんな人物なのかをよく知らない方が多い。そこで、今回は私が32年前に神言会の司祭に叙階してから今に至るまで、どのような道を歩んだのか、そして今の司祭としての自分のあり方に対して大きな影響を受けた出来事について、1時間ほどお話をさせていただきました。
もちろんいろいろな経験をしながら32年という時間を刻んできましたが、その中から、特に三つの体験を分かち合いました。
ひとつは、叙階してすぐに派遣されたアフリカのガーナでの司牧体験。わたしはそこで、様々な困難に直面したけれど、人間結局はなんとかなるという、非常に楽天的な視点を持って生きることを学びました。
二つ目は、カリタスジャパンから派遣されたルワンダ難民キャンプでの体験。それには二つあり、私たちが働いていたキャンプが武装集団に襲撃され、2時間を超える銃撃戦に巻き込まれ、収容されていた難民の方々から30名以上が殺害されるという体験の中で、いかに自分が命の危機に直面しておろおろする頼りない存在であるのかを悟ったこと。そして洗礼を受けた信仰者があれほど多かった宣教が成功したと言われた国で、歴史に残る虐殺が起きたという事実に直面したとき、信仰が本来持っているはずのいのちに対する尊厳をしっかりと一人一人の心に刻むことこそが、本当の福音宣教の使命ではないかと感じたこと。
三つ目は、同じルワンダ難民キャンプから始まり、その後、東北の震災の復興現場に至るまで、訪れた様々な紛争の地、災害の地で、困難に直面する多くの人から、「私たちは、世界から忘れ去られた」という言葉を聞かされたこと。その言葉が聞かれないような現実を作り出していくのが、キリスト者の使命の一つではないかと感じたこと。
そんなあたりをお話しさせていただきました。話をする機会を与えてくださった月修の担当者の司祭団に感謝します。
この週末、土曜日の午後に、朝祷会全国連合の会長さんが、日本エキュメニカル協会の担当者と、関東ブロックの代表の牧師先生と一緒に、訪問してくださいました。ちなみに現在の会長さんはカトリックの方です。
朝祷会は、1957年頃に大阪から始まった超教派の祈りの集いで、朝早くに集まることから朝祷会と名付けられました。現在休会中の会もありますが、全国で登録されている会は200を超えており、中にはカトリック教会を会場にしている朝祷会も多くあります。
わたし自身は、まだ神学生で名古屋にいた頃、名古屋の朝祷会で歌を歌いに来いと、カトリックの信徒のリーダーの方から何回か呼び出されて参加したことがありましたし、新潟では近くの日本基督教団の教会を会場に、盛んに行われており、何度かお邪魔したり、お話をさせていただいたこともありました。
数年前には、定期的に行っている全国大会が新潟の新発田市にある敬和大学を会場に行われたこともあり、ご挨拶にうかがったこともありました。
その全国大会が、来年は東京で行われるのだとうかがいました。そのお話で、皆さんおいでくださいました。わたし自身が、そのときにちょうどローマでの会議と重なるようなので申し訳ないのですが、できる限り応援したいと思います。
それぞれの教派の伝統を大切にしつつも、同じ神を、同じキリストを信じているのですから、協力しながら、一緒に福音を広めていくことができればと思います。
2018年度の定例司教総会が、2月19日月曜午後から22日木曜午後まで、江東区潮見の日本カトリック会館で開催されました。今回の司教総会には、先日叙階したばかりの那覇教区のウェイン・バーント司教も参加。空位の新潟は管理者の私が、また同じく空位のさいたまは管理者の岡田名誉大司教が代表して参加しました。
司教協議会は、会計年度を1月から12月に変更しており、そのため以前は6月に定例司教総会を開催し、2月に臨時総会を開催していましたが、現在は2月が定例、7月が臨時と変更されています。
今回の司教総会では、東北における全国のカトリック教会による復興支援活動の報告や、新福音化委員会が中心になって取り組んでいる福音宣教への取り組みの報告、また福者ペトロ岐部と187福者殉教者の列福10周年に当たって、さらに列聖運動を推進することなどが話し合われました。
また議決事項では、すでに中央協議会のホームページにも掲載されていますが、日本カトリック神学院の2キャンパス制から、二つの諸教区共立神学校制への以降が決定されました。
これは、司教団の発表文書をお読みいただきたいのですが(リンクはこちら)、かつて福岡にあったサンスルピス大神学院と東京カトリック神学院が、2009年4月に一つの神学院となり、東京と福岡にキャンパスを持つ日本カトリック神学院として再出発をしていました。ところが、様々な事由から、二つのキャンパスに分けることに伴う司祭養成と組織運営の弊害が散見されるようになり、2014年4月頃から、キャンパスを一つにする可能性の模索が始まっていました。
その話し合いの中で、最終的には九州の司教様たちが福岡での独自の神学院がやはり必要だと判断され、司教団全員での度重なる話し合いの結果、このたび福岡と東京に、それぞれ別個の大神学院を設置することで合意したものです。
東京では、東京教会管区(札幌、仙台、さいたま、新潟、東京、横浜)と、大阪教会管区(名古屋、京都、大阪、高松、広島)が運営に参加し、福岡は長崎教会管区(福岡、長崎、大分、鹿児島、那覇)が運営に参加することになりました。今後詳細を詰め、聖座(バチカン)の許可を受けた上で、できるだけ早い時期に新しい制度が始まります。
なおこれ以外には、その内容が決まりつつある来年の天皇退位と即位に際しての政教分離の要望書を採択し、カトリック新聞のこれからについてインターネットを通じた発信の重点化を軸とした将来ビジョンチームの提案を承認し、昨年度の中央協議会の収支決算書を承認しました。
また司教総会中の一日、勉強会を企画し、午前中はイエズス会の川村信三師による、「幕末・明治初期の信仰と教会」の講演をいただきました。信徒発見から浦上四番崩れに至る歴史を振り返りながら、現代の福音宣教への様々な示唆をいただきました。
その午後には、ヤフー株式会社の執行役員である志立正嗣氏においでいただき、「ITを通じた福音宣教」について非常に興味深いお話をいただきました。志立氏は、信徒の方です。
→「カトリック・あい」もITを通じた福音宣教です。お忘れなく!(「カトリック・あい」)
ペルシャ詩の世界に輝く2大巨星、その一人ハーフェズが生きた時代と社会、それを背景としたハーフェズの生きざまを概観したあとは、その宗教観および人生観である。
ハーフェズは、イスラームの聖典(神の言葉といわれる)コーランをすべて暗唱していた。また当時の教養をすべからく身に付けた一級の知識人であったが、イスラーム神秘主義の道を人に説き導くというよりも、自ら実践し、その苦悩と喜びさらには怒りを詩的に表現し、そのことで社会に大きな影響を与えた。
ハーフェズの宗教思想は、当時の社会の主流であったマラーマティエ派と言われる、自虐的な修行で知られる宗派の考え方であり、イスラーム神秘主義の実践・修行を通じて、神への愛(完全な人生)を成就しようとする。しかし、現実には自己滅却を図り神を愛しぬくことは容易ではなく、神は捉えたかと思えば、また逃げられることの繰り返しである。
自己滅却し神と融合することは持続できず、むしろ苦しみ(苦痛)の連続であるが、それが生きることである以上やめるわけにはいかない。
哲学、なかんずくイスラーム哲学の大家、故井筒先生の著作からの受け売りであるが、イスラーム神秘主義においては、イスラームにおける基本的信条、すなわち神の唯一性を実現するためには、神の被造物である人間は自己を捨て神と一体にならなければならず、自己滅却して神との融合(愛)を果たしたうえで、再び現世に帰還し、生を営むことになる。人間が自己を主張する限り、すなわち自我を捨てない限り、神と人間が併存することになり、神の唯一性に反する。神との融合を果たした人間は、引き続き現世での生活を続けるが、それはもはや従前とは異なり完全な人生の営みとなる。
ただし、神への恋の実践は命がけである。
「(神の)愛を手に入れるために自由にふるまうことは 最初は簡単に見えた最後は自分の魂は燃え尽きた この徳を手にする道において」
「痛み この苦痛はいかなる説明も描写もできない」
ここで、「自由にふるまう」と訳したのは、Rendという単語である。昔も今も、ペルシャ語で悪漢という意味である。ハーフェズは詩人として、この言葉に特別の意味を付与している。すなわち、神の愛の実現という目的(道)のためには、人目や世間体を気にせずに、何ものにもとらわれず自由・傍若無人にふるまう、という良い意味で使っている。先にも後にも、ハーフェズのみの用語である。
本コラムでこれまでも紹介してきたハーフェズのいくつかの詩句は、実は、神への愛を実現することのむつかしさ、厳しさをうたったものである。
「突然 虚無の大岩が すべての夢を木っ端みじんにした」とは、神と合一できたと思っていたら(愛の成就)、あにはからんや、次の瞬間には、奈落の底に突き落とされるように夢も希望も粉々に。この詩句は、ハーフェズが愛した息子を突然失った時のものである。神と合一できた時は至福の瞬間、しかしそれは続かず、一瞬にして破局が訪れる。したがって、神の道には終わりはないことになる。
「道は恋の道 終わりはない 命をささげるほかに 途はない」
神への恋の道に真剣に苦闘する中で、同じ道に修行するものの多くが、陰で自分の欲得にふける姿には何とも我慢がならず、さりとて深く社会に根差した偽善や欺瞞、不正は正しようがない。
「ハーフェズよ 偽善を解決する望みはない なぜなら運命がそうであり いかんともしがたい」
「忘れはしない 自分は裏庭に住み(真摯に道に励む) (神に)酔うていた(自己滅却) 今自分のいるモスクにないものが そこにはあった」
後者はいささか説明が必要であろう。昔はよかった風の回顧主義とも見えなくないが、モスク、すなわちイスラームの学舎にはびこる悪徳、偽善を強く感じての感慨を読んだものである。本来、神を求めて、自己滅却を目指す導師や修行者が、徳を説き修行に励む傍ら、自己の欲望にふけるさまを糾弾するとともに、嘆いたものである。
ハーフェズにとり欺瞞・不正は運命としても、それにたいする不満や怒りは詩的な表現をとって噴出する。
「美しき娘よ 公正の酒壺から葡萄酒を小さな杯に分けてくれ 乞食(真摯に道に励む者)が 世界をひっくり返さないように」
この詩句の解説は次回に譲る。
(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)
2018年2月18日 (日)
灰の水曜日の夜から、新潟に来ています。大雪です。これまで13年ほど新潟に住んでいましたが、この時期に新潟市内でこれだけ雪が降るのは、珍しいことです。
そんな寒い新潟で、木曜日は朝から、新潟県内にある16のカトリック幼稚園を統括する学校法人聖母学園の理事会。そして午後からは、その園長や副園長が集まる園長会。この学校法人の理事長は、今年五月の任期前に交代すると、手続きなどが大変なので、任期までわたしがそのまま務めています。
東京では多くの幼稚園が宗教法人立でやっていけることに驚きましたが、地方では、子どもの減少は著しく、かつてのような幼稚園一本槍ではもう経営が成り立ちません。つまりいわゆる教育機関としての幼稚園だけで、文科省系統の補助金だけでは、経営していくのが大変難しい。そのためほとんどのところが、保育園としての機能を取り入れたこども園に模様替えをして、厚生労働省系の補助金をいただくことで、何とか経営を成り立たせています。教育機関としての特性よりも、社会福祉機関としての特性が強くなりつつあるなかで、これまでのカトリック幼児教育のあり方は、大きな曲がり角にあるように感じております。
金曜日は新潟を朝6時過ぎに出発して、仙台へ。仙台教区本部で定期的に開催される、東北の復興支援に当たっている各ボランティアベースの関係者の会議と、それに続いて開催される仙台教区サポート会議に参加するためです。まもなく大震災発生から七年です。復興支援活動も変化する時期に入り、岩手県の大槌ベースや、福島のいわきにあるもみの木ベースなどは、まもなく閉鎖されていくことになります。それ以外のベースでも、復興支援から地域の再生へと、活動の主眼を大きく変更する時期に来ているように思います。
そして本日の日曜日。四旬節第一主日は、新潟教会で、毎年恒例となった共同洗礼志願式ミサを行いました。なかなかいろいろな教会から集まってくるのは難しいですし(天候の問題)、また教区全体で洗礼志願者が非常に多いというわけでもないので、共同と言いながら膨大な数の志願者が集まるわけではありません。今年は、新潟教会から6名、十日町と花園教会からそれぞれ一名の、合計8名の方が洗礼志願者として受け入れられました。
代父母による証言、志願者の皆さんの意思の表明の後に、実際にノートに署名をしていただき、さらに全会衆」が一節ずつ唱える使徒信条を繰り返し、最後にわたしが洗礼志願者の油で塗油をいたしました。これからの四旬節の間、本当に良い準備ができますように、お祈りいたします。
そして今日のミサでは、新潟教区の岡秀太神学生の、助祭・司祭志願者認定式も行われました。岡神学生は、これで2年間の哲学の課程を修了し、四月からは4年間の神学の課程に進むことになりました。神学の課程に進むにあたって、正式に助祭・司祭志願者として、新潟教区から認定されました。外見上はそれほど変わることはないのですが、一応この認定を受けることで、公式の場でスータンを着用したり、ローマンカラーのシャツを着用したりすることができるようになります。(ちなみに今日のミサには、岡神学生の同級生で、横浜教区の水上神学生が参加してくれました。岡神学生、水上神学生とも、人生経験が豊富な50歳前後の人物です)岡神学生のこれからの司祭養成のために、どうぞお祈りください。また彼に続く司祭志願者が新潟教区に誕生するよう、お祈りをお願いいたします。
2018年2月14日 (水)
今日は灰の水曜日。四旬節が始まりました。復活祭に洗礼を受けられる方々が、最終的な準備をするこの時期は、すでに洗礼を受けている信仰者にとっても、洗礼志願者とともに信仰の原点に立ち返り、あらためてイエスとの出会いを模索する時でもあります。
次の日曜日、四旬節第一主日には、多くの教会で洗礼志願式が執り行われることと思います。関口教会でも30名近い方が洗礼志願者として準備をしているとうかがいました。
四旬節の始まりに洗礼志願式を共同体として行うのは、洗礼を受けることは、個人的な内心の問題だけではないことを教会共同体の全員が実感することが大切だからです。私たちの信仰は個人の内心の問題にとどまるのではなく、共同体において生きられるものだからです。
共同体のないキリスト教は考えられません。イエスご自身が、まず最初に12人の弟子という共同体を形成して、祈りをともにし、聖体の秘蹟を定め、福音宣教に送り出されました。
洗礼を受けることは、ひとり個人が新しい生命に生きることだけではなく、それを通じて、「神との交わりと全人類一致のしるし、道具」である教会の一部となることをも意味しています。一つの体の部分となるのだという自覚を皆が持つためにも、洗礼志願者として洗礼への最終的準備を始めるとき、それは共同体の中で行われるのがふさわしいのです。
今年の四旬節第一主日は、新潟教会9時半のミサで、例年の通り、共同の洗礼志願式を行います。また新潟では同日、岡神学生の司祭・助祭候補者認定式も執り行います。哲学の2年間にわたる勉強を終え、神学の課程に進む前に、正式に、将来司祭となる候補者として認定されなければなりません。召命のために、続けてお祈りください。
また今日からカリタスジャパンの四旬節キャンペーンが始まっています。どうぞ皆様の協力をお願いします。
高木八尺は、東京帝国大学法学部教授として、新渡戸稲造の意向を受けてアメリカ政治学などを担当した。日米戦争回避に向けて、近衛首相を動かし、アメリカ大統領との会談をセットアップしようともした。
彼の著書は、アメリカ人の精神がアメリカ発展に及ぼした影響を説いて、余人の及ぶところではなかった。
しかし、その物質力については読者が得心するほどには物語ってはいない。大和魂だけでアメリカの物質力に勝てる、と思っている日本人の習性に警鐘を鳴らすつもりだったのだろうか。それがもし対米開戦の愚かしさを伝えるつもりであったのなら、結果は全く裏目に出たといえそうである。
普通の読者は、ヤンキー魂、開拓者精神に感心したとすれば、それを帳消ししてしまう自己補強を「大和魂」でやっていたのではないか。それが「皇紀2600年」と呼んでいた昭和15年の日本人の精神状況だったのではないか。世はまさに国粋主義、皇国至上主義の絶頂期に到達していたのである。西暦で1940年、その年は、ナチスドイツのべルリンオリンピックに続く、東京オリンピックが予定されていた年でもあった。ただ中国大陸における戦争に解決の見通しも無いなか、返上されていたのであった。
対米戦争について、連合艦隊の山本五十六司令長官は「やれと言われれば、最初の半年か一年は暴れて見せます。しかしその先は分かりません」といっていた。そんな状況の中で、1941年12月8日払暁、対米戦争の幕は切って落とされたのである。国民はヤンキー魂に優る大和魂に賭けたことになるのだろう。
その大和魂は、敗戦が色濃くなっても、一億一心、玉砕を覚悟した徹底抗戦の姿勢になって行った。そして勝利には至らなかったが、戦後の復興にその大和魂は貢献していた、と考えることが出来る。そして、戦前に返上していた東京オリンピックは1964年に開催され、戦争で倒れた人々の魂と共にことほぐ再生日本の象徴となったのである。
2020年のオリンピックが近づいてきた。輝かしい未来のために東京の暗い歴史もさらってみる必要があるだろう。(2018・2・15)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)
Sr.Jへ、メール、ありがとう!
日常の「食卓の会話についていけない悶々」は、海外生活をしたことがある人なら(わたしも含めて)誰もが経験するところです。特に修道院は、一日三回ですからね。
わたしも、イタリアで最初の一年は、そんな経験をしました。-だいたい、言葉を覚えるのは、「時間」がかかる!あたりまえだけど、いくら勉強したって、やっぱり「時間」がかかる―。
そう言えば、Sr.Cが、ポーランドから帰ってきたとき(どこかにバスで行くとき、わたしはたまたま近くの席だった)、ポーランドで言葉がぜんぜんわからなくて、重度の障害をもって、話しが出来なかったり、難しかったりする子どもたちが、どんな気持ちなのか、と初めて分かったような気がした、という話をしていて、なぜかそれがいまだに心に残っています。
ローマで勉強していた、日本人の神父さまが、日本では役職についていて、ある程度の責任を任せられていたけれど、ローマに来て、とにかく言葉が分からないから、赤くなったり白くなったり、まるで若造のよう。40歳過ぎたら、自分のやり方、考え方に固執しがち。そんな中で、こんな体験、なかなか「出来る」もんじゃない。まさに、「恵みの時」だ!と言っていて、それもよく覚えています。
まあ…そういう言葉を何で忘れないかと言えば、わたし自身、そういう経験をしていたからです。ホント、言葉ばかりは、勉強によるのではなく、「共に生きる」ことで学ぶのだ、と。
他人事みたいに聞こえるかもしれませんが、経験者として、「今しか」経験できないことだ、と言っておきましょう。そして、おそらく「永遠に」、パーフェクトに理解することは無理。これも、言っておきますね。わたしも、イタリア語をパーフェクトに理解することは無理です。特に、日常会話は。
そんな中で、言葉にならないところを、いたわり合って、理解しあっていくのが、パパ・フランシスコが言うところの、異なる他者と、互いがもっている宝を分かち合う、ということですね。
まあ、日本語は、ヨーロッパ語と、ぜんぜん違うので、だいたいヨーロッパで勉強している日本人は、最初の一年は、ありとあらゆる「誘惑」を受けます-孤独、自己嫌悪、人間不信、会話恐怖症…-。
それらの誘惑が起こった時、「こんな誘惑をわたしは感じている、情けないな~」…などという心の動きを、ありのまま受け取っていけばいいのだと、わたしは経験しました(あくまで、わたしの場合)。誘惑自身は、いいことでも悪いことでもなく、自然なことですから。それを隠したり、ないかのように振る舞ったりするときに、「うそ」が生まれます。「うそ」の中で生きているときに、わたしはだんだん、神さまからも、人々からも離れてしまうのだと思います。
だいたい、生きていれば、言葉だけでなく、いろいろなことで、「通じない」経験はありますね。
わたしは、むしろ、ローマでの経験から、「通じない」とき、心の中のさまざまな「誘惑」、心の中の動きを落ち着いて見つめて、それらを全部、神さまのもとに、イエスさまのもとに持って行く、ということを学びました(いつも実行できるとは限りませんが…)
そして、イエスさまの前にありのままで出て(聖堂でなくても、道を歩いている時でも、仕事をしているときでも、心をイエスさまに向けて)、「イエスさま、わたしは今、こんな風に感じています。いけない、と思うけど、どうしても、こんな誘惑がざわざわと心を騒がしています。イエスさま、罪人のわたしをあわれんでください!イエスさま、こんなみじめなわたしを、放っておかないでください!この誘惑に負けないよう、あなたの解放の力をください!」と祈ります。
先日の福音で、皮膚病を患った人の、全人格から絞り出すような嘆願を聞きましたね。「わたしを、清くしてください!」という叫び。誰も、わたしを清くすることは出来ない。
神さましか、出来ない。イエスさま、あなたなら、あなただけが、わたしを「清く」することが出来る…という、必死の叫び。この叫びを、特に、四旬節の間の、わたしの祈りにしたいと、切に望みます。
マリアは、天使のお告げの後も、すべてが分かっていたわけではありませんでした。むしろ、「闇」はますます深くなる。目の前に起こる出来事、イエスのことば、わざ…は、マリアにとって、すべては分からない「神秘」であり続けました。
それでも、マリアは、信じました。マリアの心の中で、どんなに大きな「誘惑」が起こったことか、と思います。イエスでさえ「誘惑」されたのですから、人間であるマリアは、なおさらです。でも。マリアは、その誘惑に屈しませんでした。あきらめませんでした。
それは、マリアが、自分が貧しく、小さな者であることを知っていたからだと、わたしは思います。マリアは、神が自分を選んだのは、自分が小さな者であるから、神にしか頼れない貧しい者であるからだ、と知っていました。なぜなら、それこそが、旧約聖書の中にうかび上がる「神のやり方」ですから。まさに、その、「みじめな者、身分の低い者」に、いつくしみのまなざしを向ける神への信仰を、マリアは、「マニフィカト」の中で歌います。
マリアは、ためらわずに出発する「勇敢な女性」、深く考えることができる「知恵あるおとめ」…神の「たまもの」を「受け入れる」ことを知っている「信仰の母」…。
Sr.Jの「旅」の仲間である、ポーランド共同体の姉妹たち、修道会のすべての姉妹たち。その、すべての姉妹たちの傍らで、母マリアが、いつも執り成してくださいますように!
喜びが、希望が、信仰が、愛が欠けるとき、イエスに執り成してくださいますように!…「彼らにぶどう酒がなくなりました」「この人(イエス)の言うことは、何でも行ってください」…
わたしたちの四旬節の歩みを、主が豊かに祝福してくださいますように!
祈りつつ。
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
教皇フランシスコは、2015年に2月8日を、「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」と定められました。
この日、2月8日は聖ジョゼッピーナ・バキタの祝日です。彼女は1869年にスーダンのダルフールで生まれ、1876年、まだ幼い頃に奴隷として売買され、様々な体験の後イタリアにおいて1889年に自由の身となり、洗礼を受けた後にカノッサ会の修道女になりました。1947年に亡くなった彼女は、2000年に列聖されています。カノッサ会のホームページに聖バキタの次の言葉が紹介されていました。
「人々は私の過去の話を聞くと、「かわいそう!かわいそう!」と言います。でも、もっとかわいそうなのは神を知らない人です」
聖バキタの人生に象徴されているように、現代の世界において、人間的な尊厳を奪われ、自由意思を否定され、理不尽さのうちに囚われの身にあるすべての人のために、またそういった状況の中で生命の危険にさらされている人たちのために、教皇様は祈ること、その事実を知ること、そして行動することをこの日を定めた2015年の世界平和の日のメッセージで呼びかけられました。
人身売買や奴隷などという言葉を聞くと、現代の日本社会とは関係の無い話のように感じてしまうのかもしれません。実際は,そうなのではありません。一般に「人身取引議定書」と呼ばれる「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性および児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」には,次のような定義が掲載されています。
「“人身取引”とは、搾取の目的で、暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を獲得し、輸送し、引渡し、蔵匿し、又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務の提供、奴隷化若しくはこれに類する行為、隷属又は臓器の摘出を含める。」
(同議定書第3条(a)
すなわち、売春の強制や安価な労働力として,自己の意思に反して強制的に労働に服させられている人たちは,日本にも多く存在していますし、日本は受け入れ大国であるという指摘すらあるのです。
カリタスジャパンと難民移住移動者委員会は、現在「排除ゼロキャンペーン」と題して、国際カリタスが主導する難民移民のための国際キャンペーンに参加しています。今日の世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」に当たり、国際カリタスは、南シナ海で強制的な労働にかり出されているミャンマーの人たちにスポットライトを当てて紹介をしています。(英語ですが,こちらのリンクを参照ください)
その記事の中で、世界中で4千万人もの人が人身取引の被害者となり、その取引によって年間1500億ドルもの利益が生み出されていると指摘します。 こういった状況に対処するためには,二つのことが必要です。十分な情報の提供によって多くの人がその現実を知ること。そして政府だけではなく民間をも巻き込んだ決まり事の制定。国際カリタスのキャンペーンはこの二つを目指して,現在進められています。詳しくは,カリタスジャパンのホームページをご覧ください。
世界中で,そして私たちの身の回りで,自分の意思に反した過酷な条件の下で働かざるを得ない状況にある人々のために、祈り、またその現実を知ろうとする努力を忘れないようにいたしましょう。
2018年2月 5日 (月) 3日は初の福者ユスト高山右近の記念日
昨年、教皇は、自発教令を発表し、ミサなどの教会の公式の典礼・祈祷文の翻訳の認可の権限を、基本的には現地の司教たちに委ねると言う方針に転換した。
この自発教令によって、これまでバチカンの典礼秘跡省に与えられていた権限は、大幅に制限され、司教団から提出された翻訳文の最終的な認可を行うことだけのことになり、これまでのように、翻訳文の中身の是非にまで介入することは出来なくなってしまった。
これまでは各国のミサなどの公式の式文の翻訳はすべて、たとえ、それぞれの国の司教団が責任をもって翻訳したとしても、典礼秘跡省に提出し、その翻訳が原文のラテン語規範版にそったものかどうか、一語一句、同省の判断を仰がなければならなかった。またその作業には、時間がかかり、最終的な裁可を受けるまで、各国の司教団は忍耐を強いられてきていたのである。
したがって今回の教皇の教令は、バチカンの典礼秘跡省の厳しさにさんざん悩まされ、忍耐を強いられてきた各国の司教団、特に日本司教団などにとっては、朗報なのである。
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周知のように、ミサが、それぞれの国の言語に捧げられることが出来るようになったのは、第二バチカン公会議後のことである。それまでは、世界中、どこでもラテン語によるミサであり、それ以外の言語で捧げることは許されなかった。
公会議前に洗礼を受けた私も、教会で侍者などの奉仕をするときは、ラテン語で応答しなければならなかった時代を経験している。しかし、ラテン語は、大昔のローマ帝国の言語である。ローマ帝国が滅んだ後は、教会の公式の言語として残り、聖職者たちの間では使われてきていたものである。実に、私がローマの神学院で学んだ頃も、授業はラテン語、教科書もラテン語、試験もラテン語であった。ヨーロッパの神学生たちにとっては古典になるので、それほど苦労することもなく対応していたが、東洋からの神学生たちにとっては、ラテン語漬けの日々は一般の人が想像する以上に過酷なものだった。
ラテン語は死語であり、カトリック信者の信仰生活の源泉、原動力ともなるミサが、一般信徒が理解出来ないままで捧げられていると言うことは、よくよく考えてみれば、不可解なことである。いまだにラテン語に拘る信者もいなくはないが、そもそもラテン語はキリストが使った言語でもなく、ラテン語に拘ることも実はおかしなことなのである。
またキリストが人々を教えるために用いたたとえ話が、非常に具体的で、誰にも分かりやすいものであったことなども念頭におくならば、一般の人々が分からないラテン語のミサは、そんなキリストの心に背くものでもある。
とにかくカトリック教会は、何世紀にもわたってラテン語にこだわり続けることによって、知らず知らずのうちに、信仰と現実生活との遊離、教会と社会との遊離を招いてしまってきていたのである。
第二バチカン公会議に招集された教父たちの大半は、司牧の前線に立って苦労してきた司教たちである。彼らが公会議で願ったものが、根本的な教会の刷新であり、そのために教会と社会との遊離、信仰と生活の遊離の克服を求め、そのために真っ先にチャレンジしたのが典礼の改革であり、それが母国語でのミサへの道を拓いたのである。
典礼改革は、第二バチン公会議が歴史の残した大きな功績であり、現代カトリック教会のありようも、この典礼改革によるところ大なのである。
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しかし、それがまた、行き過ぎを招いてしまったことは、否定しがたい事実なのである。
母国語への翻訳と適応、そして同時にミサを捧げる聖職者たちやあずかる信者たちの主体性が強調されたため、適応という名のもとに、ラテン語の規範版にはない文言が勝手に付け加えられたり、原文とは異なる意味の文言に変更されたり、またその時々に、ミサを捧げる司祭が、勝手に自分の主観に基づいた祈り文を加えたりなどして、ミサの式文が落ち着きのないものになったりして、収拾がつかなくなってしまったのである。
それは、長年ラテン語に縛られ、自らの思いをミサの中で自由に表現することが出来ずにきてしまっていたことの反動として理解することが出来なくはないが、バチカンは、混乱が広がってしまったために規制が必要と判断し、各国の翻訳文がラテン語の規範版にそったものであるか否か、厳しくチェックする方針を選択したのである。1980年代になってからのことである。
そのため、典礼秘跡省は、委員会を設置し、それぞれの国の言語.文化・伝統が分かる学者・神学者たちを委員として招聘し、彼らに各国の翻訳文とラテン語の規範版との整合性の検討を委ねたのである。しかし、そこに委員として招聘される委員たち資質の問題が噴出したのである。
その一つは、それぞれの国の司牧の前線に立って日頃から人々と向きあって宣教司牧に苦労している司教たちと司牧経験の乏しい委員たちとの問題意識のずれである。司牧経験の乏しい委員たちには、各国の翻訳文に込められている各地の司教たちの思いを汲み取ることが難しく、どちらかというと原則論に流れて判断してしまうため、しばしば各国司教団との齟齬が生じ、各国司教団の苛立ちを招き、典礼秘跡省への不信を増長させてしまったのである。
もう一点は、特に、ローマ在住で、日本語や中国語などの東洋の言語・文化・伝統に堪能な学者・神学者たちは少なく、日本など東洋の言語・文化・伝統に蘊蓄のある委員を選任することは容易なことではなかったことである。
委員会に、日本の文化・伝統に疎い委員たちが多かったため、事実、日本の司教団が、日本人の感性にふさわしい訳として判断して提出した文言も、原文とは異なってしまっていると判断されて、突き返されてしまったことは、一度や二度のことではなかった。
過去には、典礼秘跡省が、日本の司教団が翻訳し、典礼秘跡省に提出した翻訳文を、日本語が分かる者がいないことからローマの神学院で学んでいる何人かの日本人の神学生たちに検討を依頼し、彼らの意見・指摘を参考にして、司教団が提出した翻訳文に対する是非を判断して、司教団を指導してきていたということも、あったのである。それは司教団にとっては、無論屈辱的なことであった。
こうした経緯を振り返るとき、今回のフランシスコ教皇の自発教令は、各地の司教団にとっては、確かに朗報とも言えるのである。
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しかし、今回の自発教令を手放しで喜んではいられない一抹の不安が、私にはある。というのは、日本語への適応という名のもとに、ミサの式文の中に込められている真意を歪めたり軽くしてしまったりしているケースが、これまでも多々見られたからである。
一つ一つ具体例を挙げていけば切りがないが、その中でも、今私にとって最も気になるものが、「主の祈りの新しい口語訳」である。その中の、「私たちの罪をおゆるし下さい。私たちも人をゆるします。」という文言である。
この訳は、明らかに神学的には間違っているように思われる。というのは、文章の流れから、私たち人間に人の罪を許す権限があるかのような印象を与えてしまっているからである。罪を許す権限は神だけのはずである。
ちなみに、マタイ福音書では、「私たちの負い目をゆるしてください。私たちも自分に負い目のある人を赦しましたように」と負い目に統一されている。ルカ福音書では「私たちの罪をお許し下さい。私たちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」になっており、罪と負い目とに使い分けている。
負い目は、私たちにも赦すことが出来る。「罪」をどのように理解するかは、神学者によって意見は異なるかも知れないが、どうあれ、罪と言う表現を使う限り、罪を赦すことができるのは、神だけである。
ここでは、一つの例にしか過ぎないが、今日の日本語のミサの式文には、日本語にこなれてないものもあれば、ラテン語の規範版の意味とは明らかに異なる意味になってしまっている文言も、少なくない。
もし、これから、日本の司教団が、新しい自発教令によって、責任をもって訳を進めていくとするならば、私が進言できることは、今の中央協議会の典礼委員会を充実させることである。聖職者中心の委員会では限界がある。委員会の扉を開放し、日本的な感性が豊かで、日本語にも鋭い感覚を持っているに聖職者以外の委員を加えることである。
今の典礼委員会による訳に批判的な声をあげる人々も少なくない。ネットを開いてみれば、今のミサの日本語訳に対する真剣に考え、自らの意見を述べ、別の訳も提示している者もいる。そうした人々と意見を交換したりすることも、プラスになるはずである。これまで典礼委員会がそうした声に丁寧に応えてきていたのどうか、私には分からない。
これからは、公式の典礼文に関しては、扉を開いて多くの人々に声を掛け、協力を仰ぐことである。
この際、典礼委員会には、これまで以上に善意に満ちた信者たちの声に耳を傾け、議論を重ねながら、規範版を裏切らない、しかし、日本人の心に届く典礼文の実現に努めてくださることをお願いしたい。と同時に、なぜ、この訳にしたのか、丁寧な説明をお願いしたい。
(森一弘=もり・かずひろ=司教・真生会館理事長)
バンコクは12月から1月にかけてが、亜熱帯地方で一番涼しく凌ぎやすい時期。これから4月に向けて気温上昇、4月13~15日には暑い熱いタイ正月を迎えます。
私のタイでの生活も延長戦入り、苦手な暑い季候に体も馴染み、汗を流して新陳代謝も活発なおかげで元気に励んでおります。慌て急ぐ以前の自分の姿が、いつのまにか姿をかすめ、少しはゆったりした私に変わり感謝しています。
朝の涼しい渋滞のない内に、都心の生活が始まります。書院勤務の日は4時過ぎに起床、支度して半過ぎには修道院を出ます。バス停にはもう人々、道路沿いでは出店の用意をする女性たち、氷袋を満載した車から重い氷袋を担いだ配達の若者。道路掃除婦が大きな長い高箒でせっせと働き、清掃車が止まると手際よく働く男たちの姿。
暑い日中には気づかない、活発な人々の姿や、5時半を過ぎると、托鉢の僧侶が跪座する人々の奉納を受け取りながら祈る姿に接します。何とも美しい神々しい、人々の生き生きした姿、命いっぱいの社会が感じられます。
それぞれの地に、人々の平素の忠実な営みがあり社会を支えている。暑い季候に人生半ばで仲間入りして、今日も生かされている不思議を感じながら、朝6時の聖ルイス教会の感謝のミサに与ります、万感の思いを込めて。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
1981年2月14日午前10時半、イエズス会のR師を載せたバチカン市国の黒い車がわたしたちの修道院に到着した。わたしも乗って、ローマのヒユーミチーノ空港へ向かうためである。
R師とわたしはバチカン放送の特派員一行より一足先に東京に向かうためにローマを出発した。KDDやNHKに挨拶をし、打ち合わせをするためだった。
飛行機はJAL。それまでいろいろの飛行機に乗ったが、JALに乗ったことはなかった。JALは定刻に離陸、着陸。サービス満点など、よい評判しか聞いていなかったので、一度乗ってみたかった。その望みがかなってJALで空を飛ぶ。好奇心と嬉しさでいっぱいだった。空港のチェックインは厳しく、ボディー・チェックもあった。ヒューミチーノにしては珍しかった。こんな厳しさにも魅力を感じた。シートに座り、安全ベルトを締める。
さあ飛ぶぞと意気込んだが、離陸の時間が来ても飛行機が飛び立つ気配はない。時間厳守と聞いていただけにがっかりした。裏切られたような思いさえした。40分遅れでやっと離陸。何でもが時間通りにはいかないローマで、JALまでイタリアナイズされてルーズになってしまったのかな?そう思うと笑みが浮かんだ。
東京には定刻より2時間遅れて到着。「時間厳守の定評は借りものですか、JAL様」と言いたい心境で、わたしのうちでJAL神話は崩れ始めていた。箱崎経由で修道院に着いたのは午前零時に近かった。翌朝7時のミサの後、R師と二人で早速活動開始。NHKやKDDへの挨拶まわりから始めた。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)
***今回は、「金曜日の独り言」***
分かりやすいな~。
パパ・フランシスコの言葉を聞いていると、ひじょうにしばしば、こう、思う。
パパは、「分かりやすい」表現で、けっこう複雑な問題を言い表している。この「一人息子の誘惑」という表現も、とっても「ストン」と来て、分かりやすい。読んでいて、思わず、「分かりやすいな~、なるほど」と声に出す。
パパ・フランシスコは、司牧訪問先のペルーで、「奉献(聖別)された人々」(パパはこの言葉の中に、広い意味で、司教、司祭、奉献生活者、神学生たちを入れている)に、わたしたちの時代の「細分化」「分断化」された世界の中で、「共同体を造り出す人、共同体の預言者」となってください、と繰り返しアピールした( 司祭、修道者、神学生との集い=ペルー、2018年1月20日)。
奉献された人々は、「みなを一つに集める」ために来たイエスに、ある意味で、「より強く」「より近く」従おうとしているから。
イエスの使命、「みなを一つに集める」とは、自分の好きな人、意見が、好みが合う人のグループを造る、ということではない。イエスの傍らで、イエスの「みなを一つに集める」使命に協力するとは、まさに、「みな」、異なる民族、文化、言葉、習慣…の人々が「一つになる」よう、一人ひとり、自分に出来る限りのことをする、ということだろう。
神の民の一致を造り出すことが出来るのは、唯一の神の霊、聖霊だけである。
けれど、同時に、神が「人となった」ときから、「神は、人間の救いの営みにおいて、人無しには(人間抜きでは)、何も実現することを望まない」と、教会(わたしたち)は、少しずつ悟って来た。
「みなが一つになるように」という、受難に向かう前のイエスの、父である神への祈りは、真の神でありながら、真の人間であるイエスの唯一の願い(遺言)、とも言えるだろう。「みなが一つになる」というのは、アダムとエバの楽園からの追放の後、アブラハムの召命から始まって、神が、救いの営みの中で、ご自分の民を、そのために長い時間をかけて教育し、準備をしてきたことだ。「みなが一つになるように」というイエスの祈りの中には、ゆるし、和解、平和、愛、いつくしみ、へりくだり、優しさ…への願いが含まれている、と言えるだろう。
さて…。パパは、ペルーの「奉献された人々」との集いの中で、「一人息子の誘惑」に陥らないように、とアピールする。「一人息子」の誘惑、とは、「すべて自分のために欲しい」(または、「すべてが自分のものであるのは当たり前」)と思う誘惑、つまり、他に兄弟がいないので、分かち合うことを知らない、気を遣い合うことを知らない、という誘惑。
人は、一人で、自分を救うことは出来ない。また、世界の中で、自分一人だけ救われる、ということはあり得ない。神の救いの営みは、初めから、いつでも、「共同体的」である。
修道生活25年を過ぎ、キリスト者として、修道者として、共同体の「ありがたさ」をますます感じる今日この頃である。
それは、自分の共同体が「完璧」であるとか、兄弟愛に満ちあふれているから、という意味ではない(それを目指してはいるけれど、そのメンバーである「わたし」自身が、完璧ではないし、兄弟愛に満ちあふれているとは言えない状態は多々あるし…)。
共同生活をしていれば、自分の思うように、好きなように、望みどおりにならないことが「たくさん」ある。それも、毎日。
パパ・フランシスコは、「出て行きなさい」、と繰り返す。自分の家、自分から「出て行って」、他の人々の苦しむ顔(表情)、傷を負った顔を見て、触れて、寄り添うために。
わたしの場合、共同生活が、まさに、わたしが「出て行く」のを促し、助けている。自分の好きなように、思い通りに、「ぬくぬくと」気楽に生きることだけを求めていると、わたしはだんだん、閉じ込められ、不自由になる。そんなわたしの「ぬくぬく布団」を、共同体の姉妹たちは、はぎ取ってくれる(時にやさしく、時に手厳しく!)。自分の好きなように、思い通りに行かない生活-まさに、それが共同生活!-は、わたしが、わたしから「出て行く」ことを促し、助けてくれる。
でも、それって、不自由じゃない?
まあ、ちょっと待って。自分自身に問いかけてみよう。
「わたしの」思い通りに何でもなる世界は、「他の人」にとって「自由」なのか?
「他の人の」思い通りに何でもなる世界は、「わたし」にとって「自由」なのか?
人は、一人で自分を救うことは出来ない。わたしが救われるためには、他の人々が必要。他の人々も、救われるためには、「わたしが」必要。
「一人息子の誘惑」は、「自己完結」の誘惑である。これは、パパ・フランシスコが、すでに最初の使徒的勧告『福音の喜び』[EG](2013年)の中で指摘し、その後、ひじょうにしばしば口に出している誘惑だ。
例えば、ペルーでの奉献された人々への話の中で引用した94項。「[霊的世俗性の一つは]自己完結的でプロメテウス的な新ペラギウス主義です」(EG94)。
…つまり、自分自身で自分を救うことが出来る、自分自身で罪をつぐなうことが出来る、とうぬぼれること。これは、「わたしは、イエス・キリストのあがないの業は必要ではない」と言うようなものである…
「この人々は、自分の力だけに信を置き、定められた法規を遵守していること、またカトリックの過去に特有の様式にかたくなに忠実であることで、他者よりも自己の力と感情にのみ信を置いているのです」(EG 94)。
そして、このような人々は「自己陶酔的で権威的なエリート主義を生じさせ」、「福音をのべ伝える代わりに他者を分析し格付けし、恵みへと導くことにではなく、人を管理することに力を費やします」(EG 94)。
パパは明確である。そういう人は、「聖なるもの」の管理者、行使者としては立派かもしれないけれど、自分も傷をもっていて、主によってその傷がいやされた、という感謝から、今度は自分の方から「出て行く」「奉仕者」ではない、と。
パパの言葉の、何と的(まと)を得ていることか!これらの言葉で、心の中に、何かズキッと来るものがなければ、わたしは偽り者だろう。ここまで極端でないにしても、多かれ少なかれ、他者を「管理したい」、「わたしの思い通りに動かしたい」という誘惑は、つねにあるだろう。わたしの中にも、ある。
これが、わたしを閉鎖的にし、神の創造的な恵みへの扉を閉ざしてしまう。
だから、「警戒しなさい」とパパは言う。「このようなキリスト教のゆがめられた形態が、福音の真の活力を生み出すとは想像もできません」と言いながら(EG 94)。
またパパは、神の民は、奉献された人々が、感謝に満ちた「奉仕者」であるとき、それを見分けることが出来る、とも指摘する。神の忠実な民は、嗅覚をもっていて、聖なるものの管理者と、感謝に満ちた奉仕者を見分けることが出来ます。記憶に満ちた人と、記憶を失った人を見分けることが出来ます。
「神の民は、我慢することを知っていますが、喜びと感謝の油をもって、民に仕え、民を世話する人を見分けます 」(司祭、修道者、神学生との集い=ペルー、1月20日)。
パパは、さらに言う。民が必要としているのは、「管理人」である司祭、修道者ではなく、「手を汚して」民の傷に触れ、治療してくれる司祭、修道者だ、と。転んだとき、罪を犯した時に、指を指して非難する「管理人」ではなく、手を差し伸べ、共に涙を流し、傍らで歩いてくれる司祭、修道者だ、と。
「神の民は、優越的指導者を、待っているのではありません。必要ともしていません。神の民は、いつくしみを知っている、手を差し伸べることを知っている、転んだ人の前で立ち止まることを知っている、牧者、奉献生活者を待っています。イエスのように、この、霊魂を毒する悲嘆を 咀嚼する 悪循環から抜け出すのを助ける牧者、奉献生活者を待っています」(司祭、修道者、神学生との集い=チリ、2018年1月16日)。
「一人息子の誘惑」は、自分の世界しか知らず、自分の世界から出ないので、(時に悪気はなくても)周りの人が何を望み、何に苦しみ、何に傷ついているのかに気づかなくさせる誘惑だろう。たとえ、「奉仕活動」をしているとしても、いつでも「わたしのやり方」「わたしのリズム」に固執する誘惑だろう。
「一人息子の誘惑」から自由になるためには、解放されるためには、わたしが「他者」を必要としている、「他者」はわたしにとってかけがえがない、ということをとことん経験しなければならない。そのためには、文書を読むだけ、「祈るだけ」では十分ではない。「出て行って」(たとえ、修道院の中から出て行けないとしても、自分から出て行く手段はたくさんある)、他の人々に「出会う」ことが必要だ。
出会う中で、共に生活する中で、人は少しずつ学んでいくのだろう。
他者に会って、いきなりその人の傷に触れてはいけない。まず長い時間をかけて互いに信頼し合うことを学び、互いに正直に、率直になることを学ばなければならない。… そして、何よりもまず、「わたしの傷」に気づき、認めるところから出発することを。
わたしは「傷無し」で、かわいそうな他者の傷を癒してあげる、というスタンスでは、まだまだ「一人息子」である。それは、自信満々のペトロの状態(cf.司祭、修道者、神学生との集い=チリ、2018年1月16日)。それは、「わたしは救われる必要がない」という自己完結的うぬぼれ。
わたしは傷を負っている者、わたしは罪深い者、と悟る時、わたしは本当に「自由に」なる。
「傷をもっているという自覚は、わたしたちを自由にします(解放します)。そうです、わたしたちを、自己言及(自己参照)的に
autoreferenzialiなることから、自分が優れた者であると思うことから、自由にします」(司祭、修道者、神学生との集い=チリ、2018年
1月16日)。
「わたしたちは、他の人々よりも優れているから、ここにいるのではありません。わたしたちは、高い所から、『死すべき人間』に会うために降りてくるような、優位にいる者ではありません。むしろ、わたしたちは、ゆるされた者であることの意識をもって、招かれています。そして、これは、わたしたちの喜びの源です。傷つき、死に、復活したイエスのスタイルにおいて、わたしたちは奉献生活者、司牧者なのです。奉献(聖別)された人々 … は、自分自身の傷の中で、 復活 のしるしに出会った人、世の傷の中に、 復活 の力を見ることが出来る人、イエスのように、兄弟たちのところに、叱責や非難をもって会いに行かない人です」(司祭、修道者、神学生との集い=チリ、2018年1月16日)。
パパの挙げる「こういう人になってはいけない」というサンプルを聞いて、すぐ、「あっ、これ、あの人のことだ」とか、「あのシスターは、まさにそうだようね~」と、考えているうちは、まだ、わたしは、わたしの「傷」に気づいていないのだろう。
「わたしは、『優位に』『長上職に』立ったことがないから、『上から目線』の被害者だ!」と思っている間は、まだ、わたしは、わたしの心の「内奥」にまで入っていないのだろう。
わたしの心の「内奥」に入るためには、わたしの救いのために死んで復活したイエス・キリストの霊に心を開かなければならない。まだ、「わたしが」「わたしが」と思っている間は、知らないうちに、わたしは、キリストの霊に心を閉ざしている。
「長上職」に立ったことがないから、「上から目線」の被害者だ、と思っている、その心の状態は、もし、わたしが「長上職」に立ったら、「上から目線」になることを暗示している。というより、優位な立場にいなくても、日々の生活の中で、ことごとく「上から目線」で
生きていることの、しるしでもあるだろう。
自分自身が「メシア・救い主」であるかのように勘違いすることの誘惑に対する「戦い方」の一つとして、パパは、「笑うこと」、特に、「自分自身を笑うことが出来ること」を挙げている。喜びに満ちた意識(自覚)。自分自身について笑うのを学ぶことは、わたしたちに、主
の前に立つ、霊的能力を与えます-自分の限界、誤り、罪をもって、しかしまた、自身の成功、そして主がわたしたちの傍らにいることを知っている喜びとともに( 司祭、修道者、神学生との集い=ペルー、1月20日)。
そして、効果的な「霊的テスト」として、「わたしたち自身を笑う能力があるかと自問するテスト」を示す。「他の人々のことを笑うのは簡単」だけれど、自分自身の失敗や影の部分までの笑うことが出来るのは、そう簡単ではない。だから、「学ぶ」。笑ってください。共同体の中で笑っていください。共同体を笑うのでも、他の人々を笑うのでもなく!「あまりに偉すぎて、生活の中でどうやって微笑むのか忘れてしまった人々にならないように 」(司祭、修道者、神学生との集い=ペルー、1月20日)。
パパ・フランシスコの言葉に触れれば触れるほど、奉献された者であるということ、奉献された者として生きるということは、何と大きな恵み、喜び、感謝であり、同時に、大きな責任であるかを知らされる。
パパは、ペルーで、奉献された人々の「本物ぐあい」のバロメーターとして、「三つの要素」を挙げている。もし、ある修道者、司祭、奉献生活者、神学生が、「記憶、喜び、感謝にあふれた人」であれば、それは「本物だ」と。この三つは、「偽りの(仮装の)」召命を見破る武器である、とも(司祭、修道者、神学生との集い=ペルー、1月20日)。
ここまで「はっきり」言われたら、もう逃げ場はない。「喜ぶことなんて出来ない、だって…」「感謝することなんて無理、だって…」と言い訳することは、出来ない。
喜び、感謝がないなら、それは、根源的要素が欠けている、ということだろう。奉献された人々にとっての、根源的要素は、ただ一つ。イエス・キリストとの出会い。そしてそれは、祈りにおける出会いだけでなく、自分から「出て行って」、自分を煩わせる人と出会い、その人の中に、イエスの傷を見、また、イエスの傷の中に、その人の傷を見ること…。自分の思い通りにならない出来事、自分を邪魔する人の中に、イエスと出会って行くこと…。イエスのように、かがみこみ、へりくだって、時に中傷されながらも、人々の中にある傷を、唯一、それを癒すことが出来るイエスにもっていくこと…。
だから、「記憶」。だから、民の記憶、わたしの歴史の記憶。パパは、洗礼者ヨハネの態度に留まっている。
ヨハネは、自分が「メシア・救い主」ではないことを、自覚していた。自分の使命は、メシアのために道を準備することであることを知っていた。自分の民の記憶をもっていたから。ヨハネは、自分の弟子たちに、イエスを指し示し、彼らが自分のもとを去り、イエスについて行くよう促す。民の記憶をもっていたから。
さらには、「自分は衰え、あの方[イエス]は栄えなければならない」と明言する。これは、出来そうで、出来ない。分かっていても、なかなか出来ることではない。ヨハネは、どんなに有名になっても、どんなに多くの人々が自分のもとにやってきても、自分自身の意識を失わなかった。
「ヨハネもまた、彼よりも偉大な人を待っていました。ヨハネは、自分はメシアではなく、単にメシアを告げる者であることを明確に知っていました。ヨハネは、約束の記憶と、自分の歴史の記憶に満ちた人でした。彼は有名でした、偉大な名声をもっていました、すべての人々が、彼から洗礼を受けるために来ました、すべての人々が、尊敬をもって彼の言葉を聞きました。人々は、ヨハネがメシアであると信じていました。しかしヨハネは、自分の歴史の記憶に豊かであり、うぬぼれ(虚栄心)のお世辞にだまされるに任せませんでした」( 司祭、修道者、神学生との集い=ペルー、1月20日)
パパは、使徒的勧告『福音の喜び』の中で、わたしたちの救いの決定的な時が、ひじょうに貧しい環境の中で始まったことを強調している。
「神のみ心には貧しい人々のための優先席があります。神ご自身が『貧しくなられた』からです。神のあがないへとわたしたちが至る道のりのあらゆる場所において、貧しい人々がその道しるべとなります。わたしたちの救いは、大帝国の外れの辺鄙な小村に住む身分の低い少女から発せられた『はい』によってもたらされました…」(EG 197)。
わたしたちは、そこで、まさに、そのもっとも貧しい場所で、イエスと出会うのだろう。イエスと出会う、特権的場所としての「貧しさ」。それは、物質的な貧しさばかりではない。自分の心の内奥の「傷」を認め、その傷が、イエスの傷によって癒され、復活させられた
ことを知る。記憶と、感謝と、喜びの中で。それこそ、まさに、わたしたちを、イエスの「生き生きとした証し人」としていくのだろう。毎日、毎日、少しずつ。
パパは、ペルーの観想修道会のシスターたちとの集いの中で、「みなが一つになるように」という イエスのみ心と共調して、兄弟的生活(兄弟姉妹としての共同生活)に身を入れてください、と勧めている。
「兄弟的生活に身を入れてください。不和と分裂のただ中で、一つ一つの修道院が光を放つことが出来る灯台であるように。それが可能であると預言するのを、助けてください。誰でも、あなたがたに近づく人が、兄弟的愛の『幸い を前もって味わうことが出来るように。兄弟的愛は、まさに、奉献生活固有のもので、今日の世の中で、そしてわたしたちの共同体の中で、ひじょうに必要です」( 観想修道会の修道女との集い=ペルー、2018年1月21日)。
今日もまた、共同体の「困ったちゃん」シスターのことで、あれこれと「対策」が立てられる…。
もしかしたら、わたしたちの共同体の一致を妨害しているように「見える」そのシスターこそ、わたしたちに、姉妹として共に生きることの大切さを教えてくれているのかも。わたしが、わたしたちが、共同体の一人のシスターを、「困った人」と排斥してしまわない限り、その人に扉を閉ざしてしまわない限り、今日も、わたしたちは、「キリストのからだ」としての共同生活を成長させていくことが出来るのだろう。
「困った姉妹」にも、「居場所」がある、共同体。空間的な「居場所」、受け入れてもらえる、姉妹たちの心の中の「居場所」…。かえって、「目に見える」 困った姉妹」の方が、分かりやすくていいのかも。
主よ、わたしの中に、心の中にある「傷」に気づかせてください。それを、あなたの「傷」の中で癒してください。わたしの傷を通して、わたしが、人々の傷を思い遣ることを可能にしてください。わたしの心が、決して、誰に対しても閉ざされることがないようにしてください。
主よ、あなたは、中傷、裏切り、孤独の中で、ご自分の傷を通して、わたしたちを救ってくださいました。あなたの傷は、決して、憎しみに変わりませんでした。それどころか、あなたの傷は、自分の罪を悔いた盗賊を救い、弟子たちに平和を与え、疑い深いトマスの心を揺さぶりました。
あなたの傷を通して救われた、最初の方、あなたの母マリアと共に、わたしたちも、人々の傷に寄り添い、人々をあなたのもとに連れていくことが出来ますように。あなただけが、人々の、わたしたちの傷を癒すことが出来るからです。
アーメン!
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
私の退職後の人生の楽しみともなり、指針ともなったペルシャの詩歌を、ハーフェズとモウラナーという2大巨星の詩句を中心に、いよいよ具体的に紹介する段になった。
最初はハーフェズである。
背景説明として、まず彼の生きた時代を概観し、次にその宗教観と人生観、すなわち生き様を具体的な詩句を挙げながらお話ししたい。
ハーフェズが詩人として活躍したのは、14世紀の後半である。13世紀のモンゴルの西征により、世界を席巻したイスラーム帝国も終わりをつげ、東方のイスラーム圏は徹底的に破壊されその支配に服する。バグダードを首都とするアッバース朝カリフの崩壊(サラセン帝国)、すなわちイスラーム世界のシンボルの消滅も13世紀の半ばである。
チンギス汗の後裔フラーグはサラセン帝国を滅ぼすとともに、イランを中心としてイルカン国を設立する。この政権はのちイスラームを受け入れ土着化していくが、その衰退後も、東方イスラーム世界では、今度はモンゴル帝国の復活を目指して中央アジアにチムールが出現、ハーフェズが生きたシラーズもその支配下に置かれた。
ハーフェズはモンゴルによる世界の大変動の余波冷めやぬ戦乱の時代に生きた。ハーフェズは故郷シラーズをこよなく愛し、終始シラーズにとどまり近辺の大きな町ヤズドやケルマンのほかには旅していない。
「なんと気持ち良い、シラーズは比類なきところ 神よ シラーズがいつまでもこのままでありまよう」(以下いずれもハーフェズの詩)
シラーズの人のみならずイラン人なら誰でも承知の一句である。外務省入省後、ペルシャ語専門家の第一歩として、私は邦人のほぼいないシラーズでペルシャの言葉と文学の研修に励むことになる。
ハーフェズから600年後のシラーズは、現在の大都会化したシラーズから見ればはるかにハーフェズの時代に近かったであろう。当時未だ20代前半の異邦人にとって、シラーズはこの上なく退屈な社会であった。
ハーフェズは、一度インドに招かれて、ペルシャ湾岸の港まで行ったものの大嵐に遭遇し、引き揚げてきている。彼の名声が生存中すでに、ペルシャ文化世界に広く知れ渡っていたことが知られる。第一回目に紹介した、「(世界を見透かす杯を)海(道)にさまよった者に求めた」との比喩も、港で大嵐に遭遇した経験に基づこう。
不安定な時代を背景に、詩人としてのハーフェズも、詩人の常として宮廷の庇護を得ようと願うが、権力の抗争は、詩人の身分の安定を許さない。うまく取り入ることができる時もあれば、そうはいかない時も多い。ハーフェズも王や宮廷の有力者を讃嘆する詩歌を読みはしたが、数も限られれば自らをまげて卑しく媚びることはない。
「ハーフェズよ 王に伺候の機会を得ようというのか 何もしないで なんの望みがあるというのか」
世情は落ちつかず、有力者の庇護もままならない中で、ハーフェズは敬虔なムスリムとして、神への愛の道を真摯に生きようとする。ハーフェズの生きた社会は、神の命ずるがまま(聖典「コーラン」)を信じ実践する、とのイスラームの宗派が優勢、ハーフェズも、それを神への絶対的な愛(自己滅却)という形で実践しようとする。ハーフェズという名前自体が「コーランを暗唱するもの」という意味である。
神の道は、手に入れたと思えばすぐに逃げてしまう茨の道、その愉悦と苦痛を詩的に昇華することがハーフェズにとって生きることであった。
「汝とともにある瞬間は 1年が一日 汝のいない瞬間は 一瞬が一年」
1年が一日にも思える程さっと過ぎてしまう至福の時、時間が全く進まない苦痛の時、だれにも経験があろう。
また、社会には神への道の修行を説きながら、自らは自己の欲望に汲々としている同道の輩が少なくない。ハーフェズの信条からすれば、何とも我慢がならない欺瞞である。そうした不義・不誠実への怒り・批判を、ハーフェズは詩的に表現することで自らの人生を生きた。
「ハーフェズの語るべきことは長い 短くはできない」
もっとも、ハーフェズの人となりや人生はあまりよく知られていない。何しろ、主としてガザルという詩形式の作品が、500編あまり残っているだけだからである。これも、彼の死後友人のガランディルがまとめたものなどが原典である。ハーフェズ自身がまとめて発表したわけではない。詩作に大変な自負を持ちながら、それを自ら積極的に広めたわけではない。何しろ、詩は支配者から不満・抗議と受け取られれば、そのために殺されかねない時代である。作品は人づてに伝え回わされたものである。
それにしても、伝えられる500編余の詩句で、世界を魅了できるとはとてつもない偉業である。
(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)
(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)
またもや胸の痛む出来事が起きた。名古屋市の大学病院で1月25日午後、外科診療室にいた男性医師(42)の首を何者かがナイフで刺して重傷を追わせ、逃走するという事件が発生した。
約1時間半後に殺人未遂容疑で逮捕された犯人の男性(68)は、この病院に通院する患者だった。男は「診察の待ち時間が長い」とクレームをつけて、病院側とトラブルになったことがあったという。
類似の事件は少なくない。
・2017年1月、岐阜市の歯科医院で、院長の歯科医(50)が患者(58)に襲いかかられ、包丁で刺殺される。
・2015年5月、大阪府門真市の耳鼻科医院で、受付の女性職員(58)が元患者(45)に顔や首を大型の包丁で切りつけられて重傷を負う。
・2014年8月、札幌市東区の総合病院で、診療中の消化器内科医(50)が患者(67)に刃物で脇腹など5か所を刺される。
・2013年8月、北海道三笠市の市立病院で、精神科医(53)が患者(55)に胸を包丁で刺さされて死亡する。
・2012年5月、福岡市東区の大学病院に、「明日朝に爆発させるぞ」と爆発予告の電話が入り、元患者(45)が威力業務妨害容疑で逮捕される。
・2011年11月、沖縄県西原町の大学病院で、耳鼻科医(36)が患者(70)に左脇腹を刺される。
医療従事者向けの情報サイトを運営する「ケアネット」が昨年3月、会員医師1000人を対象に行った調査によると、患者・家族からの暴言や暴力、過度のクレームや要求を受けた経験がある、と答えた医師は、55・1%に達した。全日本病院協会が2008年に発表した調査結果でも、全国1106病院の52・1%が、患者からの暴力・暴言を経験したことがある――と回答している。
いわゆる「モンスター・ペイシェント」や「クレーマー患者」の問題ばかりではない。過労死ラインを超える長時間労働で、大勢の医師が疲弊している。診療の場に立つ者のひとりとして、私たちの医療が直面している厳しい状況から目を背けてはならないと感じる。
医師と患者の信頼関係をテーマにした医療小説を書きたい――。そうした思いから、このたび書き下ろし長編『ディア・ペイシェント』(幻冬舎)を上梓した。
医師や患者、そして医療に関わるすべての人の「本音の叫び」を拾い上げて小説にまとめるのは、筆者にとって苦しみを伴う作業でもあった。きれいごとで済まない現実の重みを受け止める必要があったからだ。
患者と医師が歩み寄るには、どうしたらよいのか? そのために医師は何をすればよいのだろうか?
「どうぞお大事に――」。患者さんひとりひとりに声をかけながら、医師として、作家として、今日も考えている。
(みなみきょうこ・医師、作家: 「クレーマー患者」と医療崩壊などを主なテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=を1月25日に刊行しました。https://www.amazon.co.jp/で。終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」収録)
また、土曜日、「マリアと共にお手紙デー」が来た。他の日より、「ちょっぴり」、違う日。
***
この「ちょっぴり」という言葉。わたしは、けっこう、使うらしい。意識していなかったが、ある時、ポーランドからここ、本部修道院に派遣され、日本語を勉強しているSr.Tから、「シスター、『ちょっびり』って何ですか?」と、聞かれた。
(わたしが思うに)「ちょっぴり」は、「少し」とは、まさに「ちょっぴり」違う(あくまで、わたしのこだわりだけれど)。わたしが、昨日よりも、今日、もうちょっとだけ、イエスさまに近づきたい、昨日よりも、もうちょっとだけ、目覚めて、ミサに行きたい、イエスさまに、姉妹たちに会いに、出て行きたい。昨日よりも、もうちょっとだけ、「みことば」に留まりたい。…「ちょっぴり」だけ…
***
それは、「どーせ、たくさんは出来ないから」…という、「あきらめ」とも、違う。「あきらめ」は、パパ・フランシスコが何度も言うように、「停止してしまう」こと、さらには、自分だけでなく、周りの人の善意も「ストップさせてしまう」こと。
だから、パパ・フランシスコの中で、「あきらめ」はすでに「罪」である。人々の希望を摘み取ってしまうから。さらには、次の世代の人々に何も残さないどころか、自分が歩いた跡に、「不毛」、「荒廃」を残すから。
「あきらめ」は、「ちょっぴり」進むことも拒否する。「ちょっぴり」前に進む、とは、(わたしによると)自分の弱さ、限界という現実に気づき、それをありのまま受け止めながら、周りの姉妹たち兄弟たちの弱さ、限界という現実に、ちょっぴりやさしくなって、どうにかして一緒に前に進みたい、という望み、希望から生まれる、「現実の一歩」だ。
パパ・フランシスコは、「…したい」の状態で留まっていてはだめだ、と繰り返す。
心の中の希望を消さない、とは、あきらめずに、小さなことを、普通の日々の中で、信じてやり続ける、具体的に「出て行く」、手を差し伸べる、声をかける、ほほえむ、善いことのために「手を汚して」働く…ということである。
***
パパは、今年の1月1日、神の母マリアの祭日に、神が「本当に」人となったことの神秘を思い巡らす。本当に人となったイエス・キリストに従うとは、「具体的に」この世界を、より「美しく」「住みやすく」するために、出て行くことだ、と(そのような内容のことを)訴えた。
パパは、神が、真実に、マリアの胎の中で人間の肉を取り、「人となった」、その時から、もはや、神と人とは切り離せない、「もはや、人間なしに神はいない」とまで言い切る。
この地の、苦悩の中にも希望する民を前にして、パパは、神が人となったのは、「わたしたちと共にいる」ためだけでなく、「わたしたちのように」なるためだ、と言う。神が、わたしの痛み、涙を、ご自分の痛み、涙として「経験する」ことが出来るように…。わたしたちを絶えず驚かす、神の心!(以下、試訳)
「マリアが「神の母」であるということは[…]主がマリアの中で受肉したときから、その時から、そして永久に、主は、ご自分がまとったわたしたちの人間性を運んでいるという真理です。もはや、人間なしに、神はいません:イエスが、母から取った肉は、その時も、そして永久に、彼のものであるでしょう。「神の」母と言うのは、わたしたちに次のことを思い起こしています:神は、人の近くにいる-幼子が、彼を胎の中に運ぶ母の近くにいるように-。
用語「母」(mater)は、用語「物体」materiaにも関連しています。天の神、無限の神が、彼の母の中で、自分を小さくした、自分を物体とした―「わたしたちと共に」いるためだけでなく、「わたしたちのように」なるために-。これこそ、奇跡、これこそ、新しいことです:人間はもはや一人ぼっちではありません;もはや、決して、孤児ではありません。永遠に、子です。そしてわたしたちは、マリアを、「神の母」と呼んでたたえます。わたしたちの孤独が打ち負かされたことを知るのは、喜びです。わたしたちが、愛されている子であると知ることは、このわたしたちの幼年期(子であること)は、決して取り除かれないと知ることは、美しいことです。… 」
復活のイエスが、その体に、「傷」-十字架の傷―を運んでいた、という神秘を思い巡らすたびに、みじめな罪びとであるわたしたちは、ありがたさのあまり、涙を流さないではいられない。イエスは、「強い」「健康な」わたしたちに会うために、出て来たのではない。イエスは、「この」、弱い、罪に傷ついたわたしたちに会うために、出て来て、降りて来て、降り尽くしてくださった。この、疑いもない「真実」は、何という大きな慰めであることか。
慰め…なぜなら神は、人間の、わたしたちの、わたしの罪に「つまずかない」「驚かない」から。神は、わたしたちの弱さ、傷つきやすさを知っているから。神は、わたしたちの疲れ、渇き、苦悩を、「生きて」「経験して」知っているから。
***
今週は、わたしにとって、チリ、ペルーを司牧訪問中のパパ・フランシスコの、「強烈な」言葉の一つ一つに触れ、心打たれ、涙を流した時期だった。自分のみじめさを思い、足りなさを思い、その「みじめなまま、足りないまま、傷ついたまま」で、「出て行ってください」、と懇願するパパの言葉をかみしめた。
***
パパは、チリで、司祭、修道者たちに話しかけた。司祭による未成年の性的虐待事件という、何か内にくすぶっていたものの「現れ」でもあった事実を前に、信頼を失いつつあるチリの教会、道を歩いていたら人々に中傷されることさえある司祭、修道者たちに。
パパは彼らと共に、聖書の言葉を味わう。パパは彼らと共に、聖書が示す、ペトロと共同体の「信仰の歩み」を辿った。
自信のあったペトロ…世の常識を知らない「先生」(イエス)を守ってあげなければ、と頑張っていたペトロ、「先生」が弟子の足なんか洗うもんじゃない、と抵抗したペトロ、「先生」のためなら命も捨てる、と宣言したペトロ… 落胆したペトロ… それなのに、「先生」を裏切った。「先生」を見捨てた。自分の弱さ、限界を経験して、打ちのめされたペトロ。
そして、ゆるされたペトロ… 復活したイエスはペトロに、「この人たち以上に、わたしを愛しているか」と問いかける。ペトロは、「はい、愛しています」と言うが、イエスは、さらに同じ質問をなげかける。最後にペトロは、「あなたは何もかもご存知です…わたしが、あなたを愛していること、それでも弱さに負けて、恐れて、あなたを裏切ってしまったこと。それでも、それにもかかわらず、あなたを、何にもまして愛したいことを…」。
この、ペトロの、ありのままの、「へりくだった」告白を、イエスは聞きたかった。教会の頭(かしら)であるペトロが、自分の弱さ、限界を受け入れ、それでもイエスに従いたいという告白を。イエスは、その告白を受け入れ、彼にご自分の教会を託す。そして、まさに、イエスの、この「いつくしみに満ちあふれる心」によって、「変容される」ペトロ。
ペトロは、初めて理解する。
自分は「先生」に、「偉い人」が弟子の足を洗うなんて非常識だ、止めてください、と抵抗した。自分たちは、「先生」が受難に向かって歩いているときに、「自分たちの中で誰が一番偉いか」と、話し合っていた。
ペトロは、初めて理解する。
「偉くなりたい」なら、「小さく」なり、「低く」なり、「仕える」者となりなさい、という「先生」の言葉を。「先生」は、小さくなり、身をかがめ、自分たちの足を洗ってくれた。それは、「先生」の尊厳を低めることではなかった。イエスは、まさに、「そのために」世に来たのだ。
***
パパは、チリの司祭、修道者たちに言う。民が求めているのは、「規律」を厳格に守る司祭、修道者でも、高い所から命令する軍の司令官のような司祭、修道者でも、ない。
民が求めているのは、自分たちのところに来て、自分たちの目を見て、自分たちと共に歩み、転んでしまったら、指さして非難するのではなく、黙って手を差し伸べ、また一緒に歩く司祭、修道者。苦悩のあまり涙を流すとき、弱さを見せるとき、自分たちのそばで、何も言わずに共に泣いてくれる司祭、修道者。イエスの「傷」を、自分の傷として運び、人々の傷、世界の傷の中に、イエスの傷を見ることが出来る司祭、修道者。そして、人々の傷、世界の傷を、唯一、それを癒すことが出来る方―イエス・キリスト-に運ぶことのできる、司祭、修道者である、と。
***
昨日の夜、本部修道院での月一度の「ルカ(わたし)の勉強会」があった。「勉強会」の前、いつも祈る。
イエスさま、あなたが、このあなたの民に語りたいと望むことだけを、わたしに語らせてください。
マリアさま、わたしが、主が望むこと以外を語るのを、決してゆるさないでください―どんなに美しい言葉であったとしても、理屈の通った教訓であったとしても―。ただ、主が、今、ご自分の民に語ることを望んでいる言葉だけを、わたしに運ばせてください。
わたしの中に、善意ではあっても、よい意図ではあっても、「姉妹たちに、この人たちに、こういうことを分かってもらいたい。こういう状態だから、こういうことを言う必要がある」…と、「わたしの」欲が入ると、それはまさに、「高い所からの話し」になる。
イエスが、受難に向かいながらエルサレムに入ったとき、民衆は歓呼して迎えた。その流れて神殿に入り、司祭や律法の先生たちの前で、何か「偉大なレクチャー」をすれば、ひじょうにインパクトがあったはずだ。でも、イエスは何をしたか…。神殿に入るなり、境内で商売している人たちを追い出し、机やいすを倒した。「神の家」は「祈りの家」だ、と言いながら。
もっと「賢明に」、その辺のところは妥協して、神殿の中で、エルサレムの権力者たちに、当たり障りのない「良い話」をすることだって出来たはずだ。
でも、イエスは、そうしなかった。
イエスは、だんだん、受難の「沈黙」に入っていく。神のみ心の中の、すべての人々の救いは、受難の沈黙の中で実現する。
永遠から、神とともに在った「みことば」は、わたしたちの救いのために降りて来て、その「誕生」のとき、「語らない」「みことば」-生まれたばかりの乳飲み子―となった。
そして、その生涯の最後、「受難」のとき、再び、「みことば」は黙する。わたしたちの救いの、決定的な「時」は、沈黙の時である。神の「みことば」は、沈黙の中で、わたしたちに「語りかける」。
***
「沈黙」の中で語りかける神の「みことば」を運ぶ者となる。この、神のパラドックス(逆説)の中で、わたしたちも、沈黙に留まって、思い巡らさなければならない。マリアのように。十字架のもとに立つ、マリアのように。
***
わたしたちは何としばしば、「わたしはこう思う!」「そんなこと、あり得ない!」…と、主張したがることか。
パパは、今年の世界平和の日、世界難民移住移動者の日、バチカン駐在各国大使たちへの新年の挨拶…の中で強調する。「互いに受け入れ合う」ことは大切だ。でも、それでも十分ではない。「互いに認め合う」ことがなければ、と。
「認め合う」とは、まさに、目の前の相手の、一人の人間としての尊厳、神の御手で造られた人間としての尊厳を認める、ということであり、それもどちらかが一方的にではなくて、相互に、ということだ。
「そんなのキリスト者として当たり前」、と思うだろうか。そう、確かに「当たり前」。でも、この当たり前のことを、普通の日々の中で、自分の良心に照らしながら、神の「みことば」に照らしながら生きるのは、そんなに簡単ではない(少なくとも、わたしにとっては)。
相手は、わたしにとってなくてはならない存在である、相手は、わたしが「総合的に」成長するために、絶対必要な「賜物」である、と互いに認め合う。この地を、この世界を、美しくするために、わたしたちは互いを、必要な「賜物」として受け入れ、認め合う。
そうしないと、神の織りなす「唯一の作品」は、出来上がらない。この世界を、美しくするために、わたしたちは互いを、必要な「賜物」として受け入れ、認め合う。そうしないと、神の織りなす「唯一の作品」は、出来上がらない。
救いの歴史の、唯一の織物。さまざまな材質、色が、それぞれの場所に織り込まれた、織物。神の御手による織物。しかし、人間の協力なしには、決して出来上がらない織物。神が人となった、その時から、神のわざは、人間なしでは完成しない。
神の唯一の望みは、全被造物が、創造の目的―「エデンの園」の調和、神のいのちの共有―に達することであり、神の姿、神に似た者として造られた人間は、全被造物を完成へと導く協力者としての任務を託されている。
使徒パウロは言う。全被造物が、その完成の時を、呻きながら待っている、と。
「現在の苦しみは、将来、わたしたちに現されるはずの栄光と比べると、取るに足りないとわたしは思います。被造物は神の子らが現れるのを、切なる思い出待ち焦がれているのです。被造物は虚無に服従させられていますが、それは、自分の意志にあらず、そうさせた方のみ旨によるのであり、同時に希望も与えられています。すなわち、その被造物も、やがて腐敗への隷属から自由にされて、神の子どもの栄光の自由にあずかるのです。わたしたちは今もなお、被造物がみなともに呻き、ともに産みの苦しみを味わっていることを知っています。被造物だけでなく、初穂として霊をいただいているわたしたち自身も、神の子の身分、つまり、体の贖われることを待ち焦がれて、心の中で呻いています。わたしたちは救われているのですが、まだ、希望している状態にあるのです。目に見える望みは望みではありません。目に見えるものを誰が望むでしょうか。わたしたちは目に見えないものを望んでいるので辛抱強く待っているのです」(ロマ8・18-25)。
わたしの好きな聖書の箇所の一つ。そうなりますように!アーメン!
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
パパ・フランシスコは、謙虚に、一歩一歩進んでいますね。
時に、メディアには、パパ・フランシスコの言動は「パフォーマンス的」 に映るかもしれないけれど、パパの言葉を、一言一言 かみしめていくと、決して、「耳に心地よい」ことは、言っていませんね
この世の「常識」は 時に、「だって、しようがないじゃん」「相手が悪いんだから」「わたしたちが、いっくら頑張ったって… …と言って、わたしたちに「あきらめ」の空気を伝染する。その「あきらめ」に、わたしが、わたしたち自身が、流されるに任せてしまうこと、それは「罪」だ、とパパは断言します。
あきらめてしまう、とは、もう、今、わたしの住んでいるこの世界を、さらには、次の世代の子どもたちの世界を、「少しでも良くする」ために 何かをする」のを放棄する、というだから。それは、今も、世の終わりまで、「働いて」いる、創造主である神の協力者
としての人間の使命、責任を、放棄することだから。
それにしても、日々、短い言葉でパパの行動、言葉を要約している、「バチカン放送局HP」は、さすがにプロですね!(わたしは「記者」という職業をひじょうに尊敬しています。「要約」がひじょうに下手だから)。
わたしは、その素晴らしい記事を読みながら、その間、シスターたちのために、ぼちぼち、パパの言葉を一言一言、試訳しています。誰かの言葉を 批判 するなら、きちんと原文を読んでからにしろ!と、恩師にさんざん-6年間-言われ続けましたので この場合、「批判」というのは、ヨーロッパ的ニュアンスで、否定的な意味ではありません)
1月16日の、司祭、修道者、神学生たちへの話も、ひじょうにパパらしい、一方で、謙虚さ、他方で、「出て行く」力を兼ね備えたものですね。こちらは長いので、そしてわたしたち修道者にズ~ンとくる内容なので、少しずつ訳すことにします。
1月17日の、テムコ空港でのミサ。短いけれど-バチカン放送HPでも分かるように―、本質的にいきなり入る、強烈なメッセージですね。「分かっちゃいるけど、実行するとなるとね~」と、わたしたちが概して、心の中では「このままではいけない と思いつつ、言い訳しながら、「ぐずぐず」しているところを、ズバッと明らかにする…。
それプラス、今日のミサの第一朗読。イスラエル人を、ペリシテ人に対する勝利へと導いたダビデに、嫉妬するサウル王…。「他人事」として、この聖書の箇所を読めば、サウル王を、「王であるのに、大人げないな~」と思ってしまうけれど、こういうこと、日々の何気ない心の動きの中で、多かれ少なかれ、ありますね(わたしだけ??)
嫉妬に狂って、冷静な判断が出来ず、ダビデを殺そうなどと過激な結論まで出してしまうサウル王。
「嫉妬」は、まさに、神がわたしたち一人ひとりに託した、一つひとつのユニーク、唯一の使命を見えなくしてしまいますね。…だから、「嫉妬、妬み」は、わたしを、神から分裂させる。
サウル王は、主に「油注がれた者(メシア)」としての自分の使命-すべての人を一つに集め、神の「地」、神のいのちへと導く使命-を、まったく忘れています。というより、もしかしたら、心の底でわかってはいるけれど、認めたくない!という気持ちでしょう。
わたしは、わたしたちは、何と無駄なことに、神の時間を費やしているのでしょうか…
サウル王から始まる、イスラエルの、主に油を注がれた王たちの歴史。その完全な実現である、大文字の「油注がれた者(メシア) イエスは、十字架に上げられながら、すべての人々を一つに集めます。
何と、わたしたちの思いと、神の思いは、異なるのでしょう!
今日から、「キリスト教一致週間」。平和を脅かす「分裂」をもたらすもの。それは、まさに、「善いことをした」ダビデを妬み、殺そうとまでする、サウル王の「心」―嫉妬、妬み-ですね。
聖書学者A. Vanhoye枢機卿は、また、このサウル王の心を落ち着かせ、主が彼に託した「王であること」の意味を静かに諭す、彼の息子、ヨナタンのしたことを、「和解」の素晴らしい模範だ、と指摘しています。まさに、一致、平和を助けるのは、暴力ではなく、相
手を思いやる心から発する真理の言葉ですね。
パパは、テムコ空港のミサの中で、パパの「口癖」の一つ、わたしの好きな言葉を伝えています。平和を造りだすのは、「手職人rtigiani だ、平和は、異なる糸を一つ一つ味わいながら(一つ一つの糸に「聞きながら」)、少しずつ、忍耐強く、一つの調和のとれた織物を織っていくようなものだ、と。だから、平和は、「手作業」「手作り」。機械による大量生産や、机の上だけの精巧な理論では造り出せない、とパパは強調します。
平和は「手作業」…だから、「対話」。だから、「相手」のところに「出て行って」、その人が住んでいるところ、生きている場に行って、その人の話だけでなく、その人「自身」に聞くこと…
パパ・フランシスコは、さらに、相手を「受け入れる」だけでは十分ではない、と言います。相手を「認め」なければならない、相手の、人であることの尊厳を認めなければならない、互いに「認め合わなければ」ならない、と。
これって、まさに、パパ自身が行っていることですね。今、チリで「出て行って」、その人たちの「地」に自らを置き、美しいことばかりでなく、その人たちの涙、苦しみを「聞く」こと…
パパは、テムコ空港でのミサに集まった人々に、共に祈るよう、呼びかけます。「主よ、わたしたちを、一致の職人としてください」«Signore, rendici artigiani della tuaunità»
わたしが、ぼちぼちと、せっせと、いろいろな「試訳」をしているのを、「すごいバイタリティー!」と感心してくださる、心優しい友人たちがいます。でも、わたしの中では、そんな大げさなことでも、尊敬されるようなことでもなく、今日のわたしの使命を、不器用に、少~しずつ、生きている、という感じです(こう言うと、また「謙遜な…」と「誤解」されるかもしれませんが、これって、すべての善意の人たちが、毎日、しようとしていることと、まったく同じです)。アーメン!
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
売名だけが目的で選挙戦に出る人物はこの日本にもいる。目的がそれだから、間違って当選してしまうと当惑してしまう。そんな公職で人生の大事な時間を浪費するなどもっての外であった。
トランプ・アメリカ大統領がそれだった。 アメリカの週刊誌『 タイム』が今月22日号を、この一年を総括する特集号としている。報道写真がまともな大統領たりえなかったトランプを雄弁につづっている。微笑んでいる写真もむろんあるが、と断りつつ、ヴァチカン訪問の写真は歯をむき出して微笑んでいるトランプの隣で、教皇フラシスコは苦虫を潰したような苦渋に満ちた表情をしてカメラに収まっている。
教皇のお気持ちを忖度するとどうなるだろう。世界一の権力の座にある者への期待は大きい。その期待が半分でも報われたらと祈るばかりである。(2018年1月17日記)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)