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・Sr.岡のマリアの風 ㊽ルーマニア、ローマ出張報告⑴
【出張の目的】
①ルーマニア訪問:エキュメニカルな「ビザンティン・マリアン・センター」設立準備をしている、Ionuţ Blidar神父(ギリシャ・カトリック教会[ビザンティン典礼])から、わたしが「アジアとオセアニアのマリアン・アカデミー」(AOMA)の秘書として招待された。わたしたちが同じ「東方」であること、また、同じように、さまざまな宗教、キリスト諸教会が混在する現実を生きていること、さらに「平和・いのち」のために境を越えての協働を模索していることで、互いの経験、思いを分かち合い、さらに大きな協働の輪を広げるため。
②ローマ訪問:AOMAの活動について、また、今年九月に開かれる「教皇庁立国際マリアン・アカデミー」(PAMI 主催の国際会議での、アジアとオセアニア部門の貢献についての話し合いのため。
2月17日(月):羽田出発
長崎地方が雪の予報。予定より1便早い飛行機に乗る。空港に行く道で、雪が降り始める。羽田空港に着くと、打って変わって暖かく、晴天。春のよう。羽田空港は、新型コロナウィルス対策のためだろう、なんとなく物々しい。みなさん、マスクをしているけれど、欧米系と思われる旅行者たちは、ほとんど付けていない。客室乗務員も、マスクと、ナイロン手袋使用 NHK交響楽団の方たちが、同じ飛行機に乗るらしい。皆より先に、楽器を持って乗り込んでいる。
2月18日(火):ウィーン乗り換えでブダペスト(ハンガリー)へ
早朝、乗り換えのウィーン空港着。コロナウィルスの影響があるかと心配していたけれど アジア人だからバイキン扱いされるとか、いろいろ質問されるとか 、まったくそんなことはなく
、パスポート・コントロールも並ぶこともなく、質問もなく、さっさと通過。もちろん(?)、マスクをしている人は皆無。羽田の、あの緊張感はなんだったんだろう。ほっとするが、大丈夫なのだろうかと、かえって心配する。
空港内では、人々の列が出来ていた生ジュースのお店で、ミスター・ミントという名の、りんご、バナナ、ミントなどのミックス・ジュースを注文して飲む。プラスチックの大きなコップに、なみなみと入っている。おいしい。
日本から、EU諸国への飛行機乗り換えは、空港によって、かかる時間が、ひじょうに違う、といつも経験する(一度、ドイツのミュンヘン空港だったか、延々と歩いた上に、パスポート・コントロールで、これまた延々と続く列に並び、乗り継ぎに一時間以上かかったことがあった) ウィーン空港乗り換えは、スムーズだし、歩く距離も短い(空港によってはターミナルが異なり、電車、バス、または歩きで移動しなければならない。まったく訳が分からなかったのは、数年前に行った中国での、上海空港乗り換え)
乗り換え時間に余裕があるので、休憩エリアで休む。ブダペストへの飛行機は、 オーストリア航空のプロペラ機(さすがに、プロペラ機は久しぶり)。左右2列の座席、客室乗務員は二人 空いているし、 さながらバス旅行感覚。風は冷たいが、よい天気。座席の上の収納スペースが小さいので、飛行機に乗る前に、手荷物をワゴンのようなものに乗せて預ける(これは、ポーランドの小さな飛行場でもそうだった)。
飛行機に乗り込み、プロペラが大きな音を立てて回り始める。まことにすごい音。ゆっくり進みながら滑走路へ。 けつこうガタガタ揺れる。こんなことで飛ぶんだろうか、と思ったが、滑走路で助走を始めるとかなりのスピードが出る(当たり前だけど)。
今回、ルーマニアに招待してくださったのは、ルーマニア人でギリシャ・カトリック教会所属のP. Ionut Blidar神父(「ヨハネ神父」:Ionutは、福音作者「ヨハネ」のルーマニア語)。イタリアのベネツィアとローマで、ビザンティン典礼・神学を学び、ローマのアントニアヌム大学で博士号取得、PAMI(教皇庁立国際マリアン・アカデミー)の、各地の「通信(連絡)会員」である。今、PAMIの助力のもと、ルーマニアに、「ビザンティン典礼の、エキュメニカルなマリアン・センター」を設立するために尽力している。東方教会の司祭で、奥さんがいて、男の子が生まれたばかりだ。
ちなみに、P. Ionuţは、ルーマニア語では、Părinte(「神父」)Ionuţ Blidar。 Blidarは「器を作る人」の意味だそうだ。(「Ionuţ」は、わたしの耳には「イヨヌッツ」と聞こえる。最後のtの下にひげが付く)。
【ブダペスト(ハンガリー)で夕方まで】
ブダペストはハンガリーだが、 P. Ionut(ヨハネ)が住んでいるところは、ルーマニアの西の端、ティミショアラ(Timisoara)という町で、国際空港としてはブタペストが一番近い。
ウィーンを離れ、飛行機の窓から見ると、どこまでも続く平野に 風力発電の白い柱が点在している。 40分くらいで、ブダペスト着。福岡・釜山間よりも短い。
荷物を取って出てくると、P. Ionutは、まだ来ていない まったく未知の場所なので、とにかく待つ。空港のフリーWiFiに繋がったので、「 今着きました、待っています」とメッセージを送る。ぼーっと立っていると、空港案内のお姉さんが近寄ってきて、「何か、お困りですか?」。「人を待っています」と言うと、(わたしの荷物が多かったので、人通りの邪魔をしていたらしい)「こちらの柱の近くに寄って待っていてください」と親切に。よく見ていると、このお姉さん、ちょっと困っているような人のところに、さっさと行って、声をかけている。
まもなく、P. Ionutからメッセージ 「ようこそ!もう着いたの?僕たちも空港にいるよ、今、どここ」。「あの」お姉さんを呼んで、ここは第何ターミナルですか?と聞く。「第2Aターミナルの到着ロビーです」と丁寧に教えてくれる。その通りP. Ionutに返事。「動かないで待ってて!」と神父から返事。よかった。
ほどなく、P. Ionutと、 友人で東方教会の信徒であるCosmin コスミン さんが迎えに来る。 P. Ionutは暑がりらしく、けっこう軽装。彼らは、わたしの飛行機が着いてから、わたしが出てくるまで もっと時間がかかると思っていたらしい。実際、バス旅行くらいの人数だったので荷物はすぐに出てきたし 、パスポートコントロールはウィーンで済ませていたので、出てきたのは、日本の国内線よりも早かったかも知れない。
Cosminさんの運転で、11時半前に空港を出発して 夕方まで、ブタペストの町を回る。主に見た場所は ブタペスト中央駅 ハンガリーの保護の聖人、聖ジャラルド(Gerardo Sagredo 980年、ベネツィア―1046年、ハンガリー)の大きな像が町を見下ろしている公園。ゴシック式のカテドラルのような議事堂 、カテドラル(司教座聖堂)(入場料有りだったが、「司祭と修道者は無料でどうぞ」と言われる)。 無原罪の聖母像が中央祭壇の上にある ゴシック様式だが、柱など色鮮やかな彩色。これは、ルーマニアの教会でもしばしば見られた。
ハンガリーも、ルーマニア同様、共産主義政権を経験した。通りの建物を見ていると、ひじょうに繊細な彫刻、飾りが施されている古い建物と、みんな同じ形の、そっけないアパートのような建物が混在している。後者は「それまであった建物を壊して、共産主義政権が建てたものだ」とP. Ionut。場所によっては観光客でにぎわっているが、全体的に「灰色の町」という印象を受けたのは、わたしだけだろうか。
夕方、ブタペスト出発 車の中で、もうれつに眠くなる(時差ぼけのときは、いつもこのように急激に眠くなる)。 途中、コーヒー休憩(これはもちろん、運転手のコスミンさんのため)。コスミンさんに、「おなかすいていませんか?何か食べますか?」と聞かれるが、ジュースだけでいいです、と言うと、遠慮していると思ったのか(?)、チョコレートを二つ買って、持ってきてくれる。
【ティミショアラ(ルーマニア)に到着】
ハンガリーとルーマニアの国境、パスポート・コントロール所で「どこから?」と聞かれる。「日本から 」と答えると、「ちょっと待ってて」と警備員 。新型コロナウィルス関係で問題なのか、と心配するが、すぐに戻ってきて「どうぞ」。 よかった。
二人は、「さあ、ここからルーマニアだよ。ようこそ、僕たちの国に」。P. IonutとCosminさんが住んでいるTimișoara(「ティミショアラ」と発音)は、Timiș(ティミシュ)地方に属している。
Timișは川の名前。さらに、Timisc地方は、Transilvania(トランシルヴァニア)地方-現在のルーマニアの西方半分以上を占めている―にある。Transilvaniaは「森の奥(後ろ)」を意味し、かつてのオーストリア・ハンガリー帝国で、1917年、ルーマニア国として統一された。ルーマニアの中で「西洋化」された、生活水準が高い地方だ、とP. Ionutから説明を受ける。
宿泊場所は、P. Ionutが、彼の家の近くの(同じ通りらしい) 小さなキッチン付きの「アパートメント」に部屋を予約してくださった。 エキュメニカル・センターの宿泊施設は、まだ準備中なのでアパートに行く前に スーパーに寄って 明日の朝食のために牛乳、水、ビスケットなど購入(21時、閉店ギリギリだったので、パンはなかった) 。日常の小さなことに関する、この辺の気遣いは、彼が家庭をもっているからかもしれない。
アパートに着き、荷物を下ろす。P. Ionutが「自分はミサを捧げるが、よければ、ここ(アパートの部屋 )で捧げてもいいですよ。疲れているなら、僕は家に帰って捧げます」と言ってくれる。「ミサにあずかりたいです」と言うと、P. Ionutは、アパートの一室の机の上に祭壇を準備(イコン、ろうそく… )し、イタリア語で、東方典礼のミサを捧げてくださった(イタリア語のミサ、教会の祈りのテキストは わたしのために準備してくれていた)。
ミサの後、祭壇(となった机)はそのままにしておいてくださる。「いつでも主の前で祈れるように」とP. Ionut [写真]
「明日の朝はゆっくりしましょう」と言って、P. Ionutは家に帰る。寝たのは夜中ごろ。 P. Ionut、コスミン氏のほうが、よっぽど疲れただろう… 感謝!
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
・Sr.岡のマリアの風 ㊼「世界病者の日」に・教皇フランシスコの言葉
今年の2月11日、世界病者の日のためにパパ・フランシスコが選んだ聖書の箇所は「労苦し、重荷を負っている者はみな、私のもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ福音書11章28節)。
メッセージの中で、パパは、心身に病を持ち、苦しみ、孤独を経験している人たちに、イエスが真の「休息」と「慰め」を与えることが出来るのは、「実際に苦しむ人―すべての人、私たち―と共に生き、ご自身で、苦しみとはなんであるかを経験し、限りある存在である人間の、根源的『弱さ、はかなさ』を生き、
そこから来る『闇』を知り、共感することが出来るからだ」と言う。
イエスは「立ち止まって」、苦しむ「人」に気づき、見つめ、「私のところに来なさい」と言う。イエスが見つめるのは、形容詞「苦しむ」よりも先に、名詞「人」。イエスが、その「人」に差し出すのは、慰め、休息。でもそれ以上に、「いつくしみである自分自身」。
外的な休息を超え、ご自分の「いのち」に入るように、と招く。イエスは、さまざまな「病(やまい)、弱さ」に苦しむ私たちに「来なさい」と招く。イエスは「強い」から、「スーパーマン」だから、弱い私たちに慰めを与えられる-のではない。
パパは言う-イエスの中に、実際、この肉体と精神の「夜」に、あなた方の中に生じる不安と疑問は、通過する(乗り越える)ための力を見出すでしょう。そうです、キリストは私たちに処方箋は与えませんでした。しかし、ご自分の受難、死、復活をもって、私たちを悪の抑圧から解放します。イエスは、私たちから苦しみを「取り除く」のではなく、私たちが、人間としての尊厳をもって、苦しみを「乗り越える―過越(パスカ)」力をくださる。それこそが、真の「解放」である。
だから、とパパは強調する-さまざまな形の苦しみの中で、時に「人間性の欠如」が認められることがある。だからこそ人間の「包括(全体)的」癒しのために「治療することcurare」だけでなく、「世話をする(ケアする)prendersi cura」ことが、非常に大切だ、と。さらに、「慰め」と「寄り添い」は、病者だけでなく、その周りの人々、苦しむ家族も必要としていることを忘れないでください、と。
キリスト者、共同体、教会は、だから、「善いサマリア人」の「宿」(ルカ福音書10章34節)となるように招かれている-とパパは言う。苦しむ人が、親しさ、もてなし、慰めの中に表現されるキリストの恵みを見出すことが出来る場所、宿、家。それが、キリスト共同体、教会である、と。
苦しむ人が、実際、その「家」で出会う人々は、自らが、神の慈しみによって癒され、慰めをうけた経験をもち、他の人々に、神の癒し、慰めを運ぶ協力者となった人々。傷を負い、癒された人は「自分自身の傷を『通気口feritoie』とします」とパパは言う。自分の傷の通気口を通して、「病を超えた地平線」を見つめることが出来、苦しむ人の日々の生活、人生のために「光と空気を受け取る」、と
「通気口」という表現をパパはよく使う。私にはイメージしやすい、閉鎖された部屋にある小さな「通気口」。そこから、光が、空気、風が入ってくる… 私たちが、十字架上のキリストの、貫かれた傷を通して(通過して)真のいのちを受けたように、私たちのさまざまな「傷」も、キリストの「傷」によって癒し、慰め、休息を与える力に変えられる。
パパ・フランシスコの病者へのメッセージは安易な「奇跡主義」、言葉だけの慰めではない。パパは言う-一度、キリストの回復(休息)と慰めを受け取ったら、今度は私たちが、兄弟たちのための回復(休息)と慰めになるように呼ばれています。柔和で謙遜な態度をもって、「先生」に倣って、私の、「苦しみ、死」に対する態度、日々の生き方、心の在り様は、どうだろうか。
ユダヤ・キリスト教は教える、一つ一つの「命」は神に属していて、理屈を超えて神聖であり、人間の都合で勝手に使うことは出来ない。命は、誕生から死まで、受け入れられ、守られ、尊重され、奉仕されるべきです。だから、私たちは、時に、この世の理論(ロジック)に反対しなければならないこともある。場合によっては、意識(良心)の異議が、あなた方にとって、この命への、また人間(人格:persona)への「はい」への一貫性に留まるために必要な選択です。
最後に、パパは、世界のすべての国の医療機関と政府、善意のすべての人々に訴える-世界中で、貧困のために治療を受けることの出来ないたくさんの兄弟姉妹たちを思い起こしてください、すべての人が予防と回復に必要な治療を受けることが出来るように連帯を強めてください、と。自分たちの経済的利益のため、
「社会主義「」を無視しないでください、と。今日も、多くのボランティアたちが医療設備が整っていない場所に行って「やさしさと近しさのジェスチャー(行為)」で、「善きサマリア人」であるキリストの姿を反映している、と。
パパは、他のところで、「キリスト者であるから、キリストの姿を反映しているのではない」と言い切った。キリストを知らなくても、隣の人の苦しみに、共に泣き、重荷を共有しよう、と手を差し伸べ、あたたかい心で相手の痛みを包むことこそ、キリストの姿を映しているのだ、と。
・Sr.岡のマリアの風 ㊻わたしの新しい年への「願い」は
新しい年も、よろしくお願いします!
パパ・フランシスコがたびたび口にする表現で、この一年、リフレインのように繰り返し味わった言葉があります:「単純に(シンプルに)」、「イエス・キリストを真ん中においた生活」、普通の日々の営みの中で、また試練の中でも「驚き」「喜ぶ」ことの出来る信仰感覚-そこから、神への感謝、賛美が生まれる―
祈りながら、わたしの心の中で、新しい一年(2020年)への「願い」がはっきりしてきました。
【神さまの「あたたかい心」の中で生かされていることに感謝し、あたたかい心で生きることができますように。】(年末に、T神父さまから赦しの秘跡を受け、心に感じたこと)。
【自分にできる小さなことを、心を尽くして、日々果たしていくことができますように。】(神さまに託された使命を、喜んで、ときに苦しみを捧げながら、こつこつとしていきたい。それが、すべての人を救いたいという神さまの「夢」の実現に協力することだと信じて)
真ん中にみ言葉を置いて、「単純」に、ごちゃごちゃ言い訳せず、日々の「普通」の営みを生きる…というイメージでしょうか。
親族、友人、恩人方の上に、主の豊かな祝福を祈りながら。すべてのことを、マリアさまの母のご保護に委ねて… 新しい年も、よろしくお願いします!
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
・Sr.岡のマリアの風㊱真ん中に置く「いのち」とは?
真ん中に置く「いのち」とは?
キリスト教の二千年の伝統。それをさらに超える、三千年以上、四千年といわれる、ユダヤ教の伝統が、なぜ、「これだけは譲れないもの」として、「いのち」そのものの尊厳を宣言し続けてきたのか?
ユダヤ教・キリスト教の中心にある、「でも」、「もし」無しの、条件なしの「いのち」そのものの尊厳の土台は、旧約聖書の「モーセ五書」、特に創世記の始めの三章の中に凝縮されている、ということも出来るだろう。
創世記の一章から三章には、物語の形式で、天地創造、人間の創造、人間の堕落、楽園からの追放が語られている。
人間が「造られたもの」であり、「土」「地の塵」に過ぎないこと。しかし、造り主である神の「命の息」を吹き込まれたこと、つまり、神の息によって生かされていること。生き物の中で、人間だけが、「神の像(イメージ)」をもっていること。「自由」である神の本質を共有していること。
神が、人間をご自分の「像(イメージ)」として造りながら、自身に「限界」を設けたこと―自由な者として造られた人間は、善を選んで幸福になることも、悪を選んで自らを滅ぼすことも出来る。神でさえ、ご自分が自由な者として造った人間の心に踏み込んで、強制することは出来ない―。
旧約聖書の中で表される、ご自分の民に対する「神の怒り」とは、だから、憎しみではない。それは、幸福のために自由を与えられた人間が、その自由をもって悪を選び、自分で自分を滅ぼそうとしている人間に対する、神の激しい感情、pietas、全存在を震わせる苦悩である。「わたしはお前たちが死ぬのを望まない。善を選んで、生きよ」と、神は、ご自分の民に嘆願し続ける。
ユダヤ教・キリスト教の伝統―四千年の伝統―は、神の言葉―聖書―に耳を傾け、思いめぐらしながら、「いのち」が、神の領域、神秘―人間の理論、知恵では計り知れないもの―であることを理解してきた。詩編作家たちは、神は「善― まったく善い方―」であり、ご自分が造られたものを、何一つ厭わない。神は、造られた一つ一つのものをいとおしむ。…とうたう。
一つ一つの命には、託された唯一の使命、意味がある。すべての人々の救い―ご自分の永遠の命に入り、その命を共有すること―を望む神の、救いの計画の中で、一人一人には、その人にしか果たせない、使命を預かっている。どんな状況の中でも。そしてその使命を、わたしたちは、この地上では、完全に理解することは出来ない。わたしの「いのち」は、神の領域、神秘だから。
わたしたちの信仰の先輩者たちは、三千年、四千年にわたって、この、神が土の塵から形づくり、ご自分の息を吹き入れた「いのち」、一つ一つのいのちを大切にするために、守るために、時に声を上げ、命を軽視する「死の文化」に対抗して闘い、自らの命さえ差し出してきた。
アウシュビッツの後に、神はいるのか?という問いかけに、ある現代ユダヤ教のラビ(先生)は、はっきりと答えている。
「アウシュビッツの後に、神はいる。あらゆることにかかわらず、わたしたち、ユダヤ人たちは、神を信じることを止めなかった。あわれみ深い神、ご自分の民に『わたしは、お前たちとともにいる』と約束した神を信じ続けてきた。それが、神はいる、という証拠だ」。
最も「小さくされた者たち」に、ほほえみかけ、手を差し伸べ、歩み寄るとき、わたしたちは、わたしたちの中におられる神に「気づく」。わたしたちが、神の像(イメージ)で造られた者であり、土の塵に過ぎなくても、神の息で生かされていることに、気づく。
教皇フランシスコは、「貧しい人々」-その中には、物質的に貧しい人々、障がいを負っている人々、尊厳を踏みにじられている女性、高齢者、子供たちが入っている―のために、わたしたちが、直接に、具体的に、何かの行動を起こすとき、わたしたちは、実は彼らが、貧しい人々が、わたしたちに多くのことを教えてくれる、ということに気づく、と言っている。
「貧しい人々」に差し出すほほえみ、やさしい言葉は、わたしたちを解放させる。自分の心配事、利益ばかりを考えて閉じこもっているわたしたちの殻を破り、自由にしてくれる。わたしたちが、本当に「神の子」として、自由な者として造られていることに、気づかせてくれる。
「いのち」の神秘は、だから、物語の中で、四千年の民の歩みの中で、わたしたち一人一人の歴史の中で、語り継がれていく。だから、「旅」。短い時間だけれど、この、いのちに触れる「旅」に、と。
(2018年11月28日)(社会福祉法人「聖家族会」・障がい者福祉施設の全職員の集いのために)
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
・Sr.岡のマリアの風㉝教皇フランシスコの聖母巡礼地・アグロナでのミサ
教皇フランシスコのバルト3国訪問中の 24日、ラトビアの聖母巡礼の中心地、アグロナ でのミサが感動的でした。試訳でお届けします。(小見出しも)
「あなたが母であることを示してください!」
十字架のもとに立つ母 わたしたちは、こう言うことが出来るでしょう:聖ルカが使徒言行録の最初に語っていることが、今日、ここで繰り返される、と。わたしたちは、深く結びつき(一致し)、祈りに専念しています、わたしたちの母、マリアと共に(1 14参照)。今日、わたしたちは、この訪問のモットーをわたしたちのものにしましょう:「あなたが母であることを示してください!」“Mostrati Madre! Show yourself as Mother! ” 母よ、あなたが「マニフィカト」を歌い続けている場所を、わたしたちに示してください。
わたしたちに、あなたのみ子が十字架につけられている場所を示してください-わたしたちが、十字架のもとで、あなたの堅固な存在と出会えるように-。カナの婚礼と、十字架のもと ヨハネの福音は、イエスの生涯が、彼の母の生涯と交差する、ただ二つの時だけを語っています:カナの婚礼(2 1 12参照)と、今、聞いたばかりの、十字架のもとの母(19 25 27参照)。
ヨハネの福音書は、人生の、一見して反対の状況の中で、わたしたちにイエスの母を示そうとしたとも言えるでしょう:婚礼の喜びと、子の死のための苦しみ。わたしたちが、「みことば」の神秘の中に深く入り込むとき、「みことば」はわたしたちに、主が、今日、わたしたちと共に分かち合うことを望んでいる「善い知らせ(福音)」が何であるかを示します。
「しっかりと(堅固に)立っていた」
福音作者が強調する最初のことは、マリアが、彼女の子の傍らに、「しっかりと(堅固に)立っていた」“saldamente in piedi”ということです。
気楽な方法で立っているのでもなく、あいまいでも、ましてや臆病な方法でもなく。マリアは、断固として、十字架のもとに「釘づけにされて」います。彼女の体の姿勢をもって、何も、誰も、彼女をあの場所から動かすことは出来ないことを表現しながら。
マリアは、世界中が避けている人々の傍らに、ご自分を示すマリアは、先ず、このように ご自分を示します :苦しんでいる人々の傍らに、世界中が避ける人々の傍らに、告訴された人々、すべての人々から糾弾された人々、追放された人々の傍らにも。抑圧され、または搾取されただけでなく、直接、「システムの外に」、社会の縁にいる人々の傍らに(使徒的勧告『福音のよろこび』53項参照)。彼らと共に、母もいます-無理解と苦しみの十字架の上に釘付けにされて-。
マリアは、持続的に、傍らに留まることを、わたしたちに示す
マリアは わたしたちに示しています この現実の傍らに立つ方法をも ちょっとした散歩や、短い訪問、ましてや「連帯のツアー(観光)」をするのではなく。
苦しみの現実を耐えている人々が、わたしたちを、彼らの傍らに感じること、彼らの側にいると感じること-断固とした、持続的な方法で-が必要です;社会の「廃棄された人々」がすべて、繊細に(思いやりをもって)近くにいるdelicatamente vicina「母」の経験をすることが出来ます―なぜなら、苦しんでいる人の中に、彼女の子イエスの開かれた傷が続いているから―
マリアは、それを、十字架のもとで学びました。わたしたちもまた、人々の苦しみに「触れる」よう呼ばれています。わたしたちの民に会いに行きましょう。彼らを慰め、彼らに寄り添うために;わたしたちは、「やさしさの力」を経験すること、他の人々の生活に巻き込まれ、面倒になることを、恐れません(同上、270項参照)。
そして、マリアのように、堅固に、立って、留まりましょう:神に向けられた心をもって、勇敢に。転んだ人を再び起こし、みじめな人を慰め、彼らを、十字架につけられた者たちのようにしている、あらゆる抑圧の状況を終わらせるよう、助けながら。
マリアは、わたしたちを「子」として受け入れる
マリアは、イエスから、愛する弟子を、彼女の子として受け入れるよう招かれました。福音箇所はわたしたちに、彼らが共にいたと語っています。しかしイエスは、互いに受け入れ合わなければ、十分ではないと気付きました。
なぜなら、ひじょうにたくさんの人々の傍らにいることは出来ます、同じ住まい、地区、または仕事を共有することさえ出来ます;信仰を共有し、同じ神秘を観想し、享受することが出来ます。しかし、受け入れることなしに、他者を 愛をもって受け入れようとせずに。
どんなにたくさんの夫婦が、近くにいながら、共にいない彼らの物語を語ることが出来るでしょうか;どんなにたくさんの若者たちが、大人たちに関するこの隔たりを、苦しみをもって感じているでしょうか;どんなに多くの高齢者たちが、冷たく世話をやかれていると-愛情をもって気遣われ、受け入れられているのではなく-感じているでしょうか。
マリアは、赦しに開かれた女性としてご自分を示す
わたしたちが他の人々に開くとき、時に、それがわたしたちをひじょうに傷つけることがあるのは、本当です。そしてまた、わたしたちの政治的現実において、民の間の衝突は、まだ痛ましくも生々しいことは本当です。
マリアは ご自分を示します 赦しに開かれた女性、怨恨(えんこん)、不信をわきに置く女性として マリアは、もし、彼女の子の友人たちが、彼女の民の祭司たちが、「こうすることが出来たら」、または、政治家たちが、異なる方法でふるまったなら、と非難することを放棄します。マリアは、欲求不満(フラストレーション)、または無気力に勝たせるに任せません。
マリアは、イエスを信じ、弟子を受け入れます。なぜなら、わたしたちを癒し、わたしたちを解放する関係は、他の人々との出会い、兄弟愛にわたしたちを開く関係だからです。そのような関係は、他者の中に、神ご自身を見出すからです(同上、92項参照)。
Sloskans司教の言葉
ここに眠っているSloskans司教は、捕らえられ、遠くに連れて行かれた後、彼の両親に書いています:「あなた方に、わたしの心の奥深くからお願いします:復讐、または絶望が、あなた方の心の中に開かれるままにしないでください。もし、わたしたちがそれを許すなら、わたしたちは本当のキリスト者ではなく、狂信者となるでしょう」。
わたしたちに、他の人々を信用しないよう(警戒するよう)招き、統計をもって、わたしたちに、もしわたしたちが一人でいるなら、より繁栄を得、より安全だと示そうとしているメンタリティーが戻って来たように見える、今の時代において、マリアと、この地の弟子たちは、わたしたちに、受け入れ、兄弟について、普遍的兄弟愛について、再び賭けをするよう、招いています。
マリアは、受け入れられるに任せる女性としてご自分を示す
しかしマリアはまた ご自分を示します 受け入れられるに任せる女性として、弟子に属する物事の一部になることを、謙虚に受け入れる女性として。
あの、ぶどう酒がなくなった婚礼―喧嘩に満ち、しかし、愛と喜びに欠けて終わる危険とともに―の中で、イエスが彼らに言うだろうことを行ってくださいと命じたのは、彼女でした(ヨハ2 5参照)。
今、マリアは従順な弟子として、受け入れられ、変えられ、より若い者のリズムに自らを順応させるにまかせます。
いつも、調和は苦労を要します:わたしたちが異なるとき、年月、歴史、状況が、わたしたちに、一見して反対であることのように見えることを 感じ、考え、行なうように仕向ける時。わたしたちが、受け入れなさいという命令、受け入れられなさいという命令を 信仰をもって聞く時、違いにおける一致を形づくることが可能になります。
なぜなら、違いは、わたしたちにブレーキをかけることも、わたしたちを分裂させることもせず、わたしたちは、さらに向こうを見つめることが出来るから、他の人々を、彼らの、より深い尊厳において見ることが出来るから―同じ「御父」の子らとして(福音的勧告『福音のよろこび』228項参照)。
このミサ聖祭の中で-あらゆるミサ聖祭の中でのように-、わたしたちはあの日の記念を行います。十字架のもとで、マリアはわたしたちに思い起こします:マリアの子らとして認められたことの喜びを。そして御子イエスはわたしたちを招きます:マリアを家に連れて行くことを、マリアを、わたしたちの生活の真ん中に置くことを。
マリアは、わたしたちに与えることを望んでいます:堅固に立つために、彼女の勇気を;歴史のあらゆる時の座標軸に、自らを順応させるにゆだねる、謙虚さ(へりくだり)を;そして、彼女の声を上げます-この彼女の巡礼地に、わたしたちすべてが、差別無しに、集まるよう努力するように。そして、ラトビアにおいて、わたしたちすべてが、より貧しい人々を優先し、倒れた人々を再び起こし、到着し、わたしたしたちの前に現れる他の人々を受け入れる心構えが出来ているように。
ミサの終わりに-感謝-
愛する兄弟姉妹たち、この祭儀の終わりに、あなた方の司教の言葉に感謝します。また、さまざまな方法で、この訪問のために協力したすべての人々に、心からありがとうを言いたいのです。特に、ラトビア共和国大統領と、各界代表の方々の歓迎に、心からの感謝を表します。
この「マリアの地」で、神の聖なる母に、特別なロザリオを捧げます:おとめマリアが、あなた方を守り、あなた方につねに寄り添ってくださいますように。