三輪先生の国際関係論㉑もう一つの特攻魂「新しき神話創造への殉死の今 」 

 前回の「諫死としての特攻と九回生きて帰還した特攻諫死としての特攻と九回生きて 帰還した特攻」に続けて・・。
私は旧制の松本高等学校を3学年までやって卒業できた旧制高校最後の卒業生の一人です。卒業は1950年3月のことでした。同窓会会報93号で「80周年記念祭特集」と銘打たれたものを見ていたら、姫路高校卒業生、鷲見昭彦氏の「特攻散華の友」と題する投稿が目に留まりました。

 敗戦真際の事、 ここにもう一人国の行く末を安じつつ特攻死した若者の姿がありました。昭和20(1945)年4月28日 、海軍神風特別攻撃隊第一正気隊の隊員として沖縄戦に散華した安達卓也という学徒兵の想いが「日誌」 からの抜書きで紹介されていました。

 「いかに特攻が続き出現しても、中核をなす政府が空虚であっては早晩亡国の運命が到来する であろう」、祖国の中核に「いかなる悲境にも泰然として揺るがず、身を鴻毛の軽きに比して潔癖な道義にのみ生きる大人物の出現」を信じ、自分はここに「爆発しその最後を飾り、一瞬の中に生を終えんとする」、そして「神国の新しき神話の世界創造の礎たらんとする」。
かくの如く、日誌に書き残していた学徒兵安達青年は、出撃に当り「後顧なし」 を最後の言葉とした。

 しかし、それからいく星霜、彼の想い描いた「神国の新しき神話の世界」はどうなったか、いやど うなろうとしているか。「戦争を放棄した平和国家」の「神話」はいまや潰えんばかりである。

 あの 敗戦の晩春特攻死した青年安達卓也は特攻死を平和立国への殉死と観念していたのだったが、歴史とはそのようなロマンとは無慈悲にも無縁であるのか。今我々は問われている。(2017・11・29 記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

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