アーカイブ
・Sr.岡のマリアの風(56)死者の月に想う、帰天した人たちは私たちを見守り、助けてくれていると
帰天した家族、恩人、友人、直接会ったことはない先人たち…の顔を思い起こしていたら、なが~いリストが出来た。それが「年を重ねてきた」という意味だろう。 どれだけ多くの人々に支えられ、助けられ、叱咤され、今、この瞬間まで生かされてきたことか…
深い感謝とともに、彼らが、あるいは道半ばで、あるいは生涯かかって伝え、証ししてくださった大切な「宝」を、今度はわたしが、わたしたちが伝え、証ししていかなければならない、という責任を感じる。 そうやって、世の初めから今まで、そして世の終わり(完成)の時まで、わたしたちは小さなモザイクの一片として、唯一の大きなモザイク画――神の夢――を作り続けていくのだろう。
なぜ、カトリック教会は聖人たちに祈るの?と、ときどき質問を受ける。たぶん、この質問自体が、何か「違う」のかも… キリストの教会は、その誕生の時から、罪や弱さを持ちながらも、キリストの恵みに支えられ、「変容」され、生き抜き、キリストに「似たもの」となった人たちを信仰の先輩、模範として崇敬してきた。カトリック教会が…ではなく、キリストの教会は、そうやって成長してきた。 つまり、カトリック教会とプロテスタント教会が分かれてしまった以前から。
東方正教会は、カトリック教会以上に諸聖人たちの交わりを「生きている」と言えるだろう。「一人ぼっちでいるキリストなど想像できない」と東方教会の信徒は言う。実際、今年の始め訪れたルーマニアで教会に入るたびに、壁面全体に描かれた聖人たちの絵に圧倒された。 それは、聖堂だけではなく、食堂でも、個人の部屋でも。 東方教会の兄弟姉妹たちは、地上の教会と天の教会の交わりを「実際に」感じながら生きているんだ、と感じたものだ。
キリスト教でなくても、例えばわたしは、何か難しい問題が起こった時、自然に、亡くなった父に話しかけている。「お父さん、助けてね。わたしがあきらめずに先に進めるよう、守ってね」…と。 また、先日、道半ばに帰天された神父さまに、わたしはすでに「ご保護」を祈り求めている。でも、それは、何か複雑な神学議論を考えてではなく、ごく自然に。
そういうことって、ないだろうか?今朝、出張前に、お墓参りに行ってきた。帰天した先人、兄弟姉妹たちは、確かにわたしたちを見守り、助けてくださっている、とわたしは感じる。
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)
・Sr.石野の思い出あれこれ ㉘日本に戻るー逆カルチャーショック!
1週間のマニラ滞在を終え、いよいよ日本へ。たとえ2年間とはい え、食べ物から言語、文化、生活習慣まですべてが異なるヨーロッパでの生活から日本へ。
イタリアでの2年 間、私は特別に困ったこともなければ、ホームシックにかかったこともないほど、イタリアでの生活に溶け 込み、エンジョイして幸せな日々を過ごしてきた。そして今、日本へ。やっぱり日本は故国、日本に近づくにつ れ、感動が込み上げてきた。そんな中、日本に帰ったら志願者の養成担当になるという、総長からいただい た宿題が時々心の中で頭を持ち上げ、気分を重くした。
羽田に到着。修道院の院長やシスターたちが迎えに来てくれていた 。久しぶりに踏んだ日本の地。感激ひとしおだった。そして懐かしい顔や声。修道院に着くと、考えていた以上の数の志 願者たちが、私たちを迎えてくれた。嬉しいのと同時に、さあこれからと思うと、身の引き締まる思いがした。
翌日、父が修道院を訪ねてくれた。「ただいま帰りました」と応接 間で挨拶する私に、父は「お帰り、元気そうだね。何か必要なものはあるか?」と尋ねてくれた。これをそばで見てい たイタリア人の院長が、「二年も離れていたのに、キスも抱擁もしない」と、驚いてイタリア人の間に吹聴した。
そし て、この事はニュースになって海を渡り、イタリアにまで飛んだ。まだキリスト教の土着化とか文化受容など が問題になっていない頃のことだったから、イタリア的メンタリティーで、とても冷たく感じられ、理解できな かったのだ。私の方は、日本人として当たり前のことが、大きなニュースになって海を渡り、イタリアまで飛んだこ とに驚いた。二年間に日本は変わっていた。
イタリアに着いたときは、スムーズにすべてに溶け込めたのに、日 本に帰ってきたときは、逆カルチャーショックにあって戸惑った。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)
・Dr.南杏⼦のサイレント・ブレス⽇記 ㊸ ⽵内結⼦さんの悲報を聞いて
⼥優の⽵内結⼦さんが死去したニュースは、私たちの社会に⼤きな衝撃を与えた。東京・渋⾕の⾃宅マンションで9⽉27⽇未明、⽵内さんがぐったりしているところを家族が発⾒し、119番通報したが救急搬送先の病院で息を引き取ったという。遺書は残されていないものの、状況から⾃殺と⾒られている。享年40歳。本当に惜しまれる死だった。
⽵内さんの死を悼む各種の報道では、⽵内さんが主役を務めた数々の映画やドラマが紹介された。
筆者も⽵内さんが出演された映画やドラマの作品群には、⼀ファンとして特別な思い⼊れがある。さまざまな追悼ニュースで詳しく報じられた⽇本アカデミー賞主演⼥優賞作品やNHKの⼤河ドラマではない。筆者の職業ゆえの思い⼊れだろうが、⽵内さんが⽩⾐を優雅に着こなし、作中で医師を務めた映画やテレビドラマを懐かしく思い出すのだ。
その筆頭が、2008年に公開された東宝映画『チーム・バチスタの栄光』だ。海堂尊さん原作のベストセラー⼩説を映画化したこの作品で⽵内さんは、東城⼤学医学部付属病院の神経内科医・⽥⼝公⼦を演じている。阿部寛さんが演じた、個性あふれる厚⽣労働省⼤⾂官房の⽩⿃圭輔と図らずもコンビを組み、⼤学病院で起きた術中死のミステリーに迫る――という物語だ。
作品の中で⽵内さんは、⼤学病院で「不定愁訴外来」を担当する医師という設定になっている。はっきりとした原因は不明だが、さまざまな不調を抱える患者の話を聞くことが第⼀の仕事であることから、院内では「愚痴外来」と呼ばれるセクション。ここで⽥⼝医師は、さまざまな患者から⼼⾝の悩みを聞き出し、病院の⼤きな謎にたどり着く。
⽵内さんの演ずる⽥⼝医師は、のんびりペースの⼈物だが、患者の話にしっかりと⽿を傾ける信頼に⾜る医師で、物語の中で⽋くことのできない役柄だった。
実は原作は、⽥⼝医師を「⽥⼝公平」という地味な男性を思わせるキャラクター設定だったものの、映画化に当たって⼥性に変更された経緯がある。これが⽵内さんの当たり役となったことをご存じの⽅も多いだろう。翌2008年公開のシリーズ第2作の映画『ジェネラル・ルージュの凱旋』でも、⽵内さんの存在感は際だっていた。
2009年、映画情報サイト「Yahoo!映画」のインタビューで⽵内さんは、さまざまな患者の悩み話を聞く⽥⼝医師の⼤切な役回りについて語った上で、「⾃分は話を聞くタイプか、話すタイプか?」との質問を受け、「⼈に愚痴をこぼしたりすることももちろんありますけど、気が付いたら⼈の悩みに付き合っている⾃分がいたりします。お茶を飲んだり、⾷事をしたり、ときどきみんなでお酒を飲んだりすると、ついつい何だ、そうかぁ… それはつらいなぁ… なんてことになっていたりするので、半分半分ですね(笑)」と答えている。
何げないエピソードひとつひとつが改めて胸に迫ってくるーそんなことを痛切に感じた悲しいニュースだった。
(みなみきょうこ・医師、作家: 世間を騒がせた医学部不正⼊試事件に、5⼈の⼥性医師の⽣き⽅を重ね合わせて描いた『ブラックウェルに憧れて』=光⽂社=を7⽉に刊⾏しました。⾦沢を舞台に終末期医療や尊厳死を考える物語『いのちの停⾞場』=幻冬舎=は映画化が決定し、吉永⼩百合さん、松坂桃李さん、広瀬すずさん、⻄⽥敏⾏さんにご出演いただき、東映系で2021年に全国公開されます)
Sr.阿部のバンコク通信 ㊽常夏のタイ、冷えたビール… でも色々規制が
常夏のタイ国、仕事を終えて、ぐっと飲む冷えたビール、 喉元を過ぎる味わいは何とも言えません。
タイの国産ビール、人気の1番は1933年生まれのSinghaシ ンハー(サンスクリットで「獅子」の意味)、そして、 Changチャン(象)、Leoレオ(豹)、 Tigerタイガー、Archaアーチャー(馬)など。 すべて動物の名前、誰が名付けたのか、 ぐっと新鮮な力が湧いてくる感じがします。
ところで、この国にはビール販売の法律があり、 販売禁止日時があるのです。仏教の祭日(万物祭、仏誕節、 三宝節、入安居、出安居)と選挙日は禁酒。 アルコール販売時間は年間通じ午前11時から午後2時、午後5時から午前零時に限られ、つまり、 昼食時と夕食時です。禁止時間帯は、 お酒の棚に紐が張られ、「販売できない」と表示されます。
ある日、お 客さまとの会食用にシャンパンを買おうと、商品を棚から取り、レジに並びました。時間がかかって、代金を払う前に販売禁止時刻に入ってしまい、いくらお願いしても、「レジに打ち込む時間を警察に調べられでしまうから、駄目」と聞いてもらえず、お手上げに。
僧侶は、僧侶である限り常時禁酒。飲みたければ、僧侶をやめて還俗。 もちろん未成年者も禁酒。志願者をお使いに出した時、 未成年でないことを示す身分証を持って行かなかったので、手ぶらで帰って大笑いしました。
なぜこのような厳しい規制があるか。タイの友人に説明してもらいました。タイの 仏教の5つの戒律の第5に「禁酒」とあるのだそうです。殺すな、盗むな、 姦通するな、嘘をつくな、そして酒を飲むな、と。「 飲むと自分の理性責任を失う、 そこから禍いが始まる」からだそうです。「少しなら…」と言ったら、「 そこが難しいところよ」と。
酒、タバコ類のCM無し、洋画でお酒が出てくる場面にはフィルターがかけられ、 酒に弱い人を誘惑せぬよう配慮しています。
合理化した都市社会で厳然と履行されているこのようなルール。特に仏や神の教えには至極素直に従う。社会が健康を維持するための「 救いの要素」だと思います。
今回のコロナ渦の中で、 人々が文句言わずに至極単純にマスクを着用をする姿を、微笑ましく 見つめている日々です。
穏やかに、希望を持って、 人間の「心の密」を失わずに生きて行きましょう。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
・ガブリエルの信仰見聞思 ⑪「人生の本当の悲劇」は何?
学生であろうと社会人であろうと、私たちは日常生活の様々な場面で、本や文書の中で、蛍光ペンを使って注意したい、覚えておきたい大事なことや情報を、ハイライトし、強調していると思います。それは私たち自身のためだけでなく、目的によっては他人のためでもあります。
ここ数日、仕事で分量の多い新旧の書類を精査していたとき、久しぶりに連日、立て続けに蛍光ペンを使っていたからかもしれませんが、ちょっと考えさせられることがありました。
蛍光ペンで文書をハイライトする活用法は、各々の目的や好みによって十人十色なので、それを論じるつもりはありませんが、活用法や目的が何であれ、役に立つようなハイライトには概ね3つの基本的なステップが必要だと思います。まず、内容をよく読むこと。次に、ここで大事なことは何かをよく考え、問うこと。そして最後に、これが本当に大事なことであり、強調すべきことである、と判断し決めることです。
これは簡単そうで、当たり前のように思えますが、この3つのステップをどのように進めていけばいいのでしょうか。「その質によって、最終的には、何が本当に重要なのか自分でも分からないほど多くのハイライトが表示する」、あるいは「自分の目的に合った適切なハイライトが表示され、自分にとって本当に重要なものは、それを見た誰にでも、すぐに分かるようにする」、のどちらかでしょう。
考えてみると、私たちが重要だと思っていることは、それに対しての私たちの価値観も表していると思います。それは、各々個人的な知見や経験など、様々な要素の影響を受けながらその判断の基準が形成されているのです。そのため、皆が全く同じ文書を読んでいても、必ずしも、皆が同じことをハイライトして強調するわけではありません。
しかし、よく考えずに、あまりにも多くのことを重要だ、と決めつけ、無差別のようにハイライトしてしまうと、自分にとって本当に重要なものや価値観を見失うことになってしまうのではないかと思います。
同じことが、私たちキリスト者にも言えると思います。聖パウロがこう教えてくれます。
「誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです」(コリントの信徒への手紙2・5章17節)、「心の霊において新たにされ、真理に基づく義と清さの内に、神にかたどって造られた新しい人を着なさい」(エフェソの信徒への手紙4章23節~24節)、「新しい人は、造り主のかたちに従ってますます新たにされ、真の知識に達するのです」(コロサイの信徒への手紙3章10節)。
キリスト者として、主イエス・キリストに属することは、私たちの世界観や価値観、また、現実や人生に対するすべての見方が形作られます。そのため、自分の「人生の本」において問わなければならないことは、「キリスト者としての私にとって、良い人生とはどのようなものなのか」「その中には何がハイライトされているのか」ということだと思います。
聖パウロはそれに対してこのように答えていると思います。
「生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが崇められることです。私にとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益なのです」(フィリピの信徒への手紙1章 20c節~21節)。
つまり、聖パウロはご自身の「人生の本」において本当に重要なことを、明確にハイライトしています。聖パウロは、「主キリストが最も重要であり、ご自分の人生がどのようになっても、主キリストが崇められるような生き方でいれば、それが良い人生なのだ」と強調しています。また、彼の生き方を見た誰にもすぐに分かるように、矛盾や混乱なくハイライトされているのではないでしょうか。
少し前に、ある海外の神父様が説教で語った話をインターネットで聞きました。
神父様の知人である2人の年配の女性信徒は、引退後約20年間も奉仕していた教会の海外福祉活動でアフリカにいました。ある日、その2人が村に医療品を届ける途中で、交通事故に遭い、亡くなりました。2人とも80代の方で、元看護婦と元医師でした。その話を語った後、「とても悲しいことだが、はたしてこれは彼女たちの人生の悲劇でしょうか」と神父様が会衆に問いました。
神父様は続けて、ある雑誌の記事を読みました。5年前に早期引退を果たし以来、のんびりした日々を楽しく送り、世界中をクルージングしたり、ゴルフ場を巡ったり、美しいビーチで珍しい貝殻を集めたりしている50代のカップルに関する話でした。
神父様は再び会衆に問いました。「人生の本当の悲劇はどれでしょうか」。
(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれて育ち、現在日本に住むカトリック信徒)
(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)
・ある主任司祭の回想・迷想 ⑧「葬儀は安ければいい」を考える
ここ数年「日本の葬儀は高すぎる」ということで、「格安の葬儀プラン」が商品化されていることを、各種の広告から知ることができる。相当な低価格が実現されているようだが、少々疑問が残る。だからもっと妥当なタイトルは「余裕があるのに格安葬儀のほうが得だからということで、後から死者への後悔がなければ、それでもいいのですが」のほうがいい。
ただ、それだと長い。しかもこれは困っている遺族にではなく、そういう商品を大々的にプレゼンテーションしている業者の側にいいたいことである。「あなたがたはそれを売り物にして、本当にそれで遺族に対して、それでいいのですか」ということだ。ちょっと見には遺族(彼らには消費者)の味方を気取っていたりするが、「人の死に関して、そこまでやるのか」という状況があるからだ。
確かに、仏式は安いとはいえないし、広告に過度な売り込みの誇張がないのであれば、それはキリスト教式と比べても費用がかからない。というか、そもそも葬儀社にとってそれは商品だとしても、(少なくとも教会は)それをビジネスとは考えない。仏式、神式だって、本来は金銭目的ではなかったはずだし、もちろん「目的」に見えてもそうだったとしても、やはり本質的には「手段」であろう。
私自身、これまで何度、いわゆる「無料」で葬儀をしたであろうか。まあこの場合、司祭や牧師、住職や神官のそれと、営利団体たる葬儀社のそれとは事情が異なるため、「手段」だの「目的」だのという価値基準はここでは、いったん脇に置く。問題は、愛する家族への遺族からの気持ちとして、経済的に負担がかさむような遺族の状況は別として、「とにかく安いほうがいい」という価値基準のほうである。
繰り返すが、遺族の経済的事情は大事なことではある。しかし、「ともかく安ければいい、そのほうが得だ」ということで、死者への気持ちを割り切ってしまって、本当にそれで納得できるのか、ということをここでは扱ってみたいのだ。
安く済ませたものの(または故人も遺言では「金をかけるな」としているため、その点、遺族の意向と矛盾がなくとも)何年かして、「あの時、本当にあれでよかったのか」と思う日が来たとき、もう取り返しがつかない。そういう相談を受けたとき、教会であれば「追悼ミサ」をして差し上げるのが精一杯。後悔する遺族には、いつまでも自分の過去の(あの時の)判断が付き纏ってしまう。
あらゆることが軽薄短小になっていった1980年代から、こうした事例が後を絶たない。しかし、葬儀の際には、それなりの経済的負担が確実に遺族に降りかかる。「仏式より安いと聞いたので教会葬にしたいのですが」という申し出は、もとよりお受けできるはずもない(一応、事情は聞くには聞くが)。しかし、教会以前に、葬儀社にはもっとストレートな金銭的問い合わせがあるわけだ。
繰り返すが各々事情があろうとは思う。しかし、金銭的余裕がありながらも死者のために金銭を惜しむ風潮は、合理化できないことを合理化してしまった消費主義社会に死者をも巻き込んでしまった結果だといえるし、「安ければ安いほどいい」という感覚で死者を見送るため、数年後の遺族には「あの時、本当にあれでよかったのか」と、時として後悔が訪れることがある。
ただし、そもそも高すぎたわけだから、菩提寺によっては著しい檀家離れが起こり、人間的しがらみが、その生命線となっているギリギリの状況さえある。こうして無限のループというか、一種の悪循環に歯止めがかからなくなっている場合もある。
「無宗教儀礼の家族葬」であれば、葬儀社にかかる費用だけだし、これは初めからサービス産業なのだから、安くていい商品をプランとして提示するのは当然の商いとなる。ただし、「いい」か「よくない」かの判断は畢竟、「消費者」である遺族の評価による。つまり、かなり「危ない橋」ではないのか。とってつけたような格安商品は、こうした時に、もろに「安かろう、悪かろう」が露呈してしまう。経験と実績がもとめられる業界なのだ。経験と実績があればあるほど、”業者”の間で経営的に差がついてしまうのは当然だろう。
本来は本人が生きているうちに、家族間での話し合いが十分になされ、死について、あるいは特定の信仰を持っているなら、その信仰について、何より、人間とは何かについて、コンセンサスを図っておく… などということは、今の時代、暇な人がやることだ、とされ、先送りされてしまう。「話し合うこと」そのものを嫌う人も多く見受けられる。面倒なことは誰にだって分かるが、要はそれを大事に思えるかどうかなのだ。
私自身は、個人的には、葬儀社の家族葬など無宗教儀礼に手を貸してもいいとさえ思っているくらいだ(キリスト教には準じないとしても、その形式がキリスト教風の家族葬も沢山あるから)。しかし、「格安」のみをコンセプトに葬儀を計画することに手を貸したい、とは絶対に思わない(残念ながら「死者については死人に口なし、遺族についてはただ金をくれる人」という葬儀社もある)。
なぜなら、そこで遺族が得るものは、「死者への思い」と「追悼の気持ち」、何より「いい式だった、これで親父も浮かばれる」といった安心感なのであり、低価格志向に関する経済的安心や満足は、本質的には副次的問題であるはずだからである。
・Sr.岡のマリアの風 (55)多くの協力者の善意に支えられ「マリア論オンライン講座」スタート
思えば、9月は、「オンライン講座」一色の日々でした(それは今も続いてい ます)。
「寝ても覚めても」…とは、このことでしょうか? 「小さな種」のイメージで始めたものが、現在、参加登録者が300人に到達しようとしています。本人(わたし)は「えっ?」(ぽか~ん状態)。
「お知らせ」を細々と始めて数週間、当初の目標30人を超えたところで、事務 能力のないわたしが対応不可能になってきた、ちょうどそのタイミングで、突 然(?)、自主ボランティア・スタッフが二人、現れました。「シスターの夢 を共有します!こういうことを待っていたんです!一緒にやりましょう!」。
こうして、わたしも含め三人の「コア・スタッフ」(しかも、北海道と長崎間 で、週一回のビデオ・ミーティング、日々、アップデートのネットワークを駆 使して)で、ただいま「Online講座」一筋!
たいへんだけれど、楽しい。 三人のコア・スタッフは、IT担当のTさん、広報担当のAさん、講座内容のわたし。その周りに、専門スタッフ(専門的助言をくださるスタッフ)、弁護士ス タッフ、事務スタッフ、学問的チェックスタッフ、モニターメンバー…が集まってきています。
ちなみに、コア・スタッフたちは、早い段階で、うっかりミス、忘れてた~… の多いわたしを「発見」し、事務処理スタッフを見つけてくださいました。参加者たちへの通常の対応は、コア・スタッフの二人と事務処理スタッフでこなしてくださっています(何という安心!)。
コア・スタッフの二人は仕事をもっているので、早朝、仕事に行く前、夜、仕事から帰って来てから、また休日に、Online講座のしごと(もちろん、すべて 無償です)。わたしは夜に弱いので、早朝(ときどき寝坊)と、日中に出来る 時間を探して、Online講座のしごと。
何となく生まれた、わたしたちの間での原則は…。 率直さ、大胆さ、謙虚さ、相手への尊敬。(互いの自主性、創造性を大切にし 、ねぎらう)独走しないこと。いつも相談してから決める。(Online講座を所有化しない。 自分たちだけのものにしない)。これには次世代に引き継ぐための後継者を育 てることも含まれる(「わたしたちがいなければ出来ない」、からの脱却)
そして、最大の原則:Online講座のために最善を尽くす!!!一人ひとりは多 少抜けていても、夢があるなら、その夢を共有する仲間がいるなら、(私心を 入れず、無償で尽くす仲間がいるなら)、前に進める。 自分がもっている宝を生かし、コラボレーションが出来る人材を、プロジェク トの最初にしっかり選ぶ、というけっこう難しい課題は、自分たちからスタッ フの名乗りをあげてくださったお二人によってクリア。 わたし自身は、この講座を、聖家族の保護者、聖ヨセフに託して祈っています 。
マリアの道は、素朴で貧しく、同時に尊厳があり、共に歩む道。 HPも立ち上げました。「スタッフの独り言(つぶやき?)」もあります。 あたたかく見守っていただければ幸いです。
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)
・三輪先生の時々の思い ㉓敗戦間際、軍需工場の思い出
「芝浦タービン松本工場」という工場があった。先の戦争中の事で、軍需工場の疎開も兼ねていたのだろう。
私の郷里、長野県松本市の南郊、その頃「笹部の飛行場」と呼んでいた広大な草原に突如として構築された鋸型屋根を連ねた典型的な構造物だった。
私たち県立松本中学や私立の松本商業学校、県立の松本高等女学校など中等科の3年生が動員されてこの新設軍需工場で工作機械を操り、でんでんむし型の戦闘機用の過給機を一貫製造していた。
熟練工は東京か川崎あたりの工場から何人かは来ていたのだと思う。はっきり覚えているのは工員ではなく、監督で、淡い黄色に近いさっぱりした上下服をまとったインテリっぽい男だった。その人がいるだけで、工場内の雰囲気が、油臭さを消して、教室か研究所、といった雰囲気になっていた。
精密な仕上げ用の工作機械は数えるほどしかなく、戦前にアメリカあたりから輸入したに違いないものと思われた。私が担当させられたのは1937年の国産機で、実に単純化された機能しかなく、鈍重なスタイルだった。
戦後、青函海底トンネルの工事現場を見学に行ったことがある。そのとき、途中の通過地点の小さな町で町工場を覗き見したことがある。5坪にも満たないくらいの小さな土間に設置されていた工作機械のいかにも精密工作機械らしい堂々とした美しさに、今昔の思いを強くしたものだった。
(2020. 9 .30記)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大博士)
・Sr.石野の思い出あれこれ ㉗帰国途中でフィリピンに立ち寄り”貴重”な体験
私たちの乗った飛行機はフィリピンのマニラに着陸した。空港には 修道会のフィリピン管区長と他に2人のシスターが私たちを迎えに 来てくれていた。
フィリピンはカトリックが浸透している国で、シスターや神父様に は特別に親切、とされていた。空港に着いた私たちが通関のために後ろの方に並んでいると、税関の職員が、手招きで呼んでくれたので、私たちは人混みを分けて前に 進み、パスポートを出した。それを見た職員は”oh, no!” と、吐き出すように言い、顔をしかめてパスポートを私たちに突き返し、後ろを向いてしまっ た。
一切を見ていたフィリピンの管区長が税関の人に訳を話し、 私たちは再び呼ばれて無事にパスした。何年か前まで敵国として、さんざん無惨な行為を繰り 広げた日本人、たとえシスターであっても特別扱いをすることは できない、ということだったのだろう。少し心配したが、修道院に着くと、フィリピン人のシスターたちは 私たちを温かく迎えてくれた。
バチカンの日本公使館(当時。1958年に日本大使館に格上げ)におられたK氏が、ちょうど、フィリピンに拘束されている日本人捕虜を釈放する仕事でマ ニラに駐在されていた。連絡をすると、すぐに訪ねて来てくださった。そしてこう注意された。「シス ターたち、外を歩かないでください。危険ですから。僕たちでも唾 をかけられたり、石を投げられたりします」と。空港での出来事はまだまだ序の口、と いうのだった。でも私たちはマニラ滞在中、いやなことを何も経験しなかった。
マニラでは短期間の滞在とあって、私たちはお客様扱いで、マニラ の修道院を見学したり、マニラから離れているリパ市にある本部修 道院を訪問したり。ローマより規模はずっと小さいけれど、修道会の事業などよくオル ガナイズされていた。日本もいつかはこんなにと思うと心が躍った 。
そんな中で一番、記憶に残ったのは、一日にバナナを8本食べたこと。その頃 の日本ではバナナはめったに手に入らない貴重品、高級品だった。 フィリピンでは、庭にも道端にも種類の違うバナナがたわわになっていて食べ放題。 8日間のマニラ滞在中、私は総長からいただいた重い宿題のことを すっかり忘れて楽しい時を満喫した。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)
・ある主任司祭の回想・迷想 ⑦「教会は”喫茶店”か”ファミレス”か」
最近は喫茶店も少なくなりました。新聞を読みながら”モーニング・セット”を食べる場所は、ファミレスに取って代わられてしまった感じです。町中の人がそう望んだのかといえば、そうではないでしょう。これは商店街の商売が巨大なショッピングモールに奪われてしまったのと似ています。もちろん、喫茶店も商店街も、まだまだ頑張っているところもありますが。
教会(この場合は主に小教区)も同じですよね。都会の新興宗教団体は現代化されたチェーン店形式で拠点を充実させていきますが、カトリック教会は、そういう合理化一辺倒の動きを、伝統宗教の立場から、一過性のものとして危険視してもいいくらいなのですが、むしろチェーン店形式になりたくてもなれない、と言った方が正確でしょうね。つまり、そうなると、たちまち「お客さん」と「店員さん」に分かれてしまう。そうすると信仰生活にまで、そういう意識が忍び込んでしまうから、なるべくならそれを避けたいわけです。
教会の一人一人は大事な成員なのであり、神学的な表現でいうところの「キリストの神秘体」を一人一人が構成している、と言うことができます。だからキリスト者は教会にサービスだけを求めてやってくる消費者などでは決してない。その意味では、所属教会というのは「馴染み」の、「行きつけ」の喫茶店に似ており、「ファミレス」になってしまうとまずいところがあります。そこに集まるのは、単なる「お客」というより、お馴染みの皆さんなので、利用者である前に「仲間」なのです。
現場では司祭だけが法人職員であることがほとんどで、パートで教区に雇われている人は個々の現場にはほとんどいない。これはマスターだけが喫茶店の店主であるのと似ています。それに集まる人は利用者というより、仲間です。店主が入れたコーヒーを飲み、「いつもの味だ」と安心してくれるのです。
けれどもオーナーの都合で、時々、店長が交代します。そうすると、コーヒーの味が微妙に変わってしまう。「微妙に」ならいいが、「大きく」変わることもありますよね。すると仲間たちは違和感を感じます。「あれ、いつもの味とは違う」と。
そもそも、こんなことはファミレスでは起きません。行きつけのファミレスの店長が交代しても利用者には何の影響もない。それに、他方、集まるのは仲間たちというわけではなく、徹頭徹尾、「利用者」です。ファミレスの場合、クレーマーには平謝りをしますが、喫茶店の店長は「うちの店が気に入らなきゃ帰ってくれよ」と言えてしまう。これに客は「店じゃない。あんたが気に入らんのだ」と言い返す。これって、小教区でのトラブルとなんとなく似ているような気がします。
でも店はオーナーのもので、小教区は教会(広い意味での)のものですから、「キリがないやり取り」を賢い人たちは望みません。どちらの気持ちもわかります。なぜならマスターはただコーヒーを入れ、モーニングを出していればいいのか、というと、それ以上に仲間たちは、世間話や身の上話をしながらそれを飲み食べるのですから、集まる人たちにとって、その店は単なる飲食の場ではなく、ホッとする「安らぎの場」です。しかも仲間たちは、マスターとだけ話し、付き合うわけではありません。お互いに「今日は早いね」などと、声を掛け合います。
司祭もまた、ミサは大事な務めだからそれに注力しますが、ミサだけしていればいいのかというと、そうもいかない。そうすると、仲間たちとゆっくり関われないことにもなってしまいます。来る人たちとの世間話や身の上話が、ミサを一層、良いものにします。コーヒーやモーニングに加え、マスターとの会話がその店の良さとなることに似ています。私もいくつかの店で店長を務めてきました(つまり主任司祭をしました)ので、それはよく分かります。
「店長が誰になろうと、俺の目的はこの店さ。あんたに興味はない」と言われることもあります。それは寂しくはありますが、実は頼もしくもあるのです。店長の交代に影響されないほど、共同体が堅固だ、と思われるから。けれども、逆に、同じ言い方でも、動機が別のところにあると、まずいな、と思うことも、無いわけではありません。
「影響されない」どころか、それ以前に認識がそこまで及んでいないことがあったりするからです。つまり、喫茶店をファミレスのように思っていたり、チェーン店なのに本店のマネージャーにも、交代した店長にも、興味がなかったり、という場合に、「店長変わったの?だから何?」という反応もあり得るからです。似て非なるものというか、ベクトルが正反対というか、両者はかなり異なります。
「ここは俺の憩いの場であるがゆえに、俺はここを守る」と言うのと、「ここは俺の憩いの場だが、そうじゃなくなったら、違う店に行くさ」と言うのでは、かなりの意識の差があるでしょう。前者には「憩いの場を新店長の勝手にはさせないぞ」という気概を感じることができますが、後者は、そもそもマスターとの世間話も身の上話もなくていい、だから店長の交代はどうでもいい。それにお客様が神様だ、喫茶店だろうがファミレスだろうが、どうでもいい、仲間もいらない、という感じの、消費社会の利用者をイメージになってしまいますよね。
でも、コーヒーの味が変わっても気にならないとなると、インスタントで「ボられ」てしまうことにもなります。それはとても残念なことですが…。
(日読みの下僕「教会の共通善について」より)
・ガブリエルの信仰見聞思 ⑩「Nunc Coepi(ヌンク・チェピ)―今、新たに始める」
「ニューノーマル(新たな状態、新しい日常、新しい生活様式)」―昨今のコロナ禍関連の新語・流行語の1つです。この「ニューノーマル」は、不確実性、不安定さ、警戒、そして孤立さえある状態のようであり、また、不安の高まりが伴われる現実でもあるようです。
「ニューノーマル」に関する記事を読んでいくうちに、新型コロナの世界的大感染によって私たちが直面している「ニューノーマル」と、私たちの個人生活の中で遭遇する「新しい現実」との類似点が見え始めました。
克服しなければならない病気の発見、愛する人が亡くなった後の生活、長い間大切にしてきたものの喪失、犯してしまった過ちや失敗、いつも信頼してきた人からの裏切りなど、私たちの個人生活の新しい現実は、私たちが慣れ親しんできたものとは異なる限り、様々な形で現れてきます。
新しい現実が何であれ、私たちはまったく知らない新しい領域に移動させられてしまいます。そして、私たちがそれらの手ごわい現実に引きずり込まれていくうちに、しばしば最も重要なこと、すなわち、祈りと主イエス・キリストへの依存を忘れてしまいがちになるのでは、と思います。
「私の声よ、神に届け。/私は叫ぶ。/私の声よ、神に届け。/神は私に耳を傾けてくださる。苦難の日にわが主を尋ね求め/夜もたゆまず手を差し伸べた。」と詩編77編1-2節にあるように、私たちが恐れたり、困難に陥ったりするとき、神様はそこにおられます。どんな状況であろうと、またどんな現実であろうと、神様は私たちと共におられ、私たちが神様の導きを求めることを望んでおられます。
ラテン語で「Nunc Coepi(ヌンク・チェピ)」というフレーズがあります。「今、新たに始める」を意味します。このフレーズは、主イエス・キリストの内にある新たな人生への呼びかけを完全に体現していると思います。
Nunc Coepi(いま、新たに始める)。私たちの祈りの中、習慣の中、人間関係の中、仕事の中、人生のあらゆる変遷の中、そして、どんな状況に直面しても、どんな不安と悩みを抱えても、どんな過去や失敗があっても、私たちはいつでも主キリストの内に新たに始めることができ、いつでも主の導きを求め、主の聖なる御前で生きることを意識することができます。
Nunc Coepiという句の背後にある信仰は、私たち一人一人のための神様の御計画への信頼、そして、人生の移り変わりの中を通しての信仰を示しています。なぜなら、私たちの人生における「ニューノーマル」」や「新しい現実」に関係なく、「イエス・キリストは、昨日も今日も、また永遠に変わることのない方」(ヘブライ人への手紙13章8節)だからです。
主は、私たちが未来を恐れたり、過去を恥じたりして生きることを望んでおられません。主は私たちの過去の罪を洗い流し、主の摂理によって私たちの未来を導いてくださることを望んでおられます。私たちは後からではなく、いま、主に従わなければなりません。
私たちは落胆に屈するのではなく、主が私たちの内に始められた善い業を完成してくださるようにしなればなりません(フィリピの信徒への手紙1章6節参照)。
Nunc Coepi(ヌンク・チェピ)―今、新たに始めましょう。主に仕え、忠実に歩みましょう。振り返るために立ち留まらず、毎日新たに始めましょう。なぜなら、主が私たちに、「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。私たちの罪をお赦し下さい」とお祈りするように教えてくださったからです。
(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれて育ち、現在日本に住むカトリック信徒)
(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)
・「被造物を大切にする世界祈願日」と「すべての命を守るための月間」について・菊地大司教
すべてのいのちを守るための月間(9月1日から10月4日まで) 2020.9.1
教皇フランシスコは、2015年に回勅「ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に」を発表され、全世界の人に向けて、「私たちの共通の家」という総合的な視点から、エコロジーの様々な課題に取り組むことを呼びかけられました。その上で教皇は、毎年9月1日を「被造物を大切にする世界祈願日」と定められました。日本ではこの世界祈願日を9月最初の主日と定めていますので,今年は9月6日が祈願日です。
この日は、東方正教会の兄弟姉妹との一致のうちに、また他の教派やキリスト教共同体とともに、「被造物の管理人となるという自らの召命を再確認し、すばらしい作品の管理をわたしたちに託してくださったことを神に感謝し、被造物を守るために助けてくださるよう神に願い、わたしたちが生きているこの世界に対して犯された罪へのゆるしを乞う(2016年教皇メッセージ)」日です。すなわち、環境問題への行動を促し,生きる姿勢において回心を求める日でもあります。
日本の司教団は、昨年11月の教皇訪日を受けて,教皇フランシスコが日本から世界に向けて発信されたさまざまなメッセージを具体的に生きていくために、訪日のテーマである「すべてのいのちを守るため-Protect All Life」を深め、黙想し,祈り、行動するために、特別な期間を設けることにしました。「ラウダート・シ」に記されたメッセージこそ,教皇が日本から世界に向けて語られた、賜物であるいのちへの強い思いを具体化するものです。
そこで日本の司教団は、9月1日から10月4日(アシジの聖フランシスコの記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」と定めました。司教協議会会長の髙見大司教様は、「すべてのいのちを守るためには、ライフスタイルと日々の行動の変革が重要であることはいうまでもありませんが、とくにこの月間に、日本の教会全体で、すべてのいのちを守るという意識と自覚を深め、地域社会の人々、とくに若者たちとともに、それを具体的な行動に移す努力をしたい」と呼びかけておられます。
今年は新型コロナウイルス感染症対策のため,教会における特別な行事などを制限せざるを得ませんが、教皇様の呼びかけを心にとめ,司教団で用意した祈りなどを共に祈りながら、「私たちの共通の家」への心遣いを深め、また私たち一人一人の回心のときとしていただきますように,お願いいたします。
なお東京大司教区ホームページに特設サイトを設けています。こちらのリンクです。
また同じ期間を、全世界の教会も被造物を大切にする月間としています。ご存じのように、この一年、来年の5月までは、教皇様が定めた「ラウダート・シ」特別年の最中です。
それと併せて,数日前にアジア司教協議会連盟(FABC)の人間開発局(Office for Human Development)から,この特別月間のための祈りが送付されてきました。この祈りには、FABCの会長であるミャンマーのチャールズ・ボー枢機卿のメッセージがつき、環境問題に取り組んでいるインドのOHD事務局担当者が作成した祈りや聖体礼拝の手引き、さらには毎日の祈りが添付されていました。
日本の司教団の公式の翻訳ではなく、東京大司教区の広報担当者が,3日4日ほどの時間しかないなかで,すべて翻訳してくれましたので、ホームページに掲載してあります。
通常こうした祈りは,翻訳後に,典礼の専門家などの校閲や助言を経てから公開されるものですが、何といっても今日から始まる月間ですし、送付されてきたのが先週ですから(日本人も、みんな英語が分かる、と思われているのかもしれません)、まだ専門家の校閲をしていない荒削りの翻訳ですし、言葉ももう少し練る時間があれば良かったのですが、その作業をしていては9月はあっという間に終わってしまいます。それではあまりにもったいないですので、このまま掲載することにしました。皆様の霊的成長の一助となることを願っています。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
・三輪先生の時々の思い ㉑「至福観賞」と「至福奉仕」
「至福観賞」と「至福奉仕」を対語として学んだのは、旧制高校の一年生の時。同じころ対語は英語で「pormanteau words」という、と習った。中学5年、高校が3年の時代であった。もっとも、中学は4年から高校進学は可能で、受験に合格しさえすればよかったのだ。
実際、私自身、4年生で筆記試験には合格したが、身体検査で不合格となった2人のうちの1人になってしまったのだった。当時「官立」と言っていた松本高校へは、晴れて中学は5年枠で入学した。
もともと華奢な体躯だったが、別に病弱というのではなく、それに開智小学校の5、6年次の担任教師、山口先生は、昭和15年の未発に終わった東京オリンピックに体操選手として出場が予定されていた運動選手だったから、松本中学に進学してからは、市内の他の小学校から進学してきた同級生などから、体操の時間になんで「開智出身者は皆、体操が上手なのか」と感心されたものだった。
いや話がそれてしまった。「至福観賞」と「至福奉仕」である。連想ゲーム風に言えば、「至福観賞」は「美しいもの、旨いものを楽しむ」ということ、エピキューリアンの生き方である。バランス感覚がきかなければ、享楽から堕落へと向かう事必定と戒められていた。「至福奉仕」はといえば、「博愛主義で、自我を忘却して、世のため、人のために生きる」ことであった。
個人的に私は「享堕」はなじまず、努力しなくても、この陥穽に堕ちるおそれは無かった。倫理学の教室で、「至福観賞」は古代ギリシャのアテネにその典型をみると教わった。ヴィジュアルに私はパンテオンとか大理石のオリンピアンの彫像が好きだったから、文句なしに「至福観賞」を選び、社会の一構成員としての自覚からは、「至福奉仕」にも半分以上の生命力を向けなければならない、と覚悟していたのだと思う。
まあ平たくいえば、至福観賞はレジャーであり、社会のニーズにそれなりの貢献をするのが生産的生活であるということだった。そのことを松高入学式の時の校長の訓話ではっきり自覚した。
「君たちが卒業するまでに、国は国庫から一人当たり10万円を支出するのです。その恩を忘れないように」とのことであった。この恩に報いようとする時、至福奉仕の一端を担うことになる筈だ、と観念したのだった。(2020 8 31 記)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際研究所長、プリンストン大博士)
・Sr.岡のマリアの風 (54)「マリア論オンライン講座」9月26日開講+動画による説明
私が会員になっている「教皇庁立国際マリアン・アカデミー」(PAMI)の活動の一つ、「マリア論オンライン講座」の日本語版を開講することになりました。第一期の初回は9月26日の土曜日午後3時から5時です。年間9回、1回2時間で、講座の締めくくりに、全講座を受講されA4で1枚程度のレポートを提出してくださった方に、「修了証書」を差し上げることにしています。Zoomでの動画配信もしますので、試しの「聴講」でも構いません。受講料は無料。ご出席お待ちしています。受講お申し込みはpami₋jpn@googlegroups.comに。
・・・・・・・・・・・
「主の母マリアの真の姿」(原点である聖書、教会の伝統から出発して)を、出来るだけ多くの人々に伝えることが、PAMIの最優先課題の一つ。「出来るだけ多くの言語」で、「出来るだけ多くの人」に届くようにするのがオンライン講座。先駆けとして昨年から、イタリア語の講座が始まっています。
わたしとしては、日本語での講座はしてみたかったけれど、カトリック国ではない日本で受講の希望者が集まるだろうか、と思っていました。
そんな時、PAMI長官で、母校、教皇庁立『マリアヌム』神学院の先輩、ステファノ・チェッキン神父から「PAMIの2020年秋からの年間プログラムに『日本語のマリア論オンライン講座』を入れたいのだが」と打診され、「背中を押された」と感じました。そして「とにかく始めてみよう!」と。
尊敬するH神父の明言、「先ず動いてみないと、風は吹かない」。「風」はわたしの好きなイメージ。太平洋の荒波を見て育った(茨城県日立市生まれ)からかも知れませんが…。何かが、誰かが動けば「風」が吹きます。その「風」に乗る人も、逆らう人もいるでしょう。でも、それは当たり前。一人ひとり違うのですから。
人間の作る「小さな風」が吹くところに、神さまの根源的な「深い風」が吹き込みます。神さまの深い風が吹くところに、人間の小さな風が吹き始めます。どちらもありだ、と思います。神さまの風と、人間の風。三位一体の神さまの命を芯として調和するとき、思いがけない力を得るのでしょう。
どうなるんだろう、と期待半分不安半分で「オンライン講座のお知らせ」をしたところ、本気で(?)講座を受講したいと希望される方が30名になりました。その他にも、「自分の教区の信徒に知らせたい」「友人を招待したい」「シスターたちにも」と、「ゆるい参加」「聴講」を希望される方も…。
皆さんの希望を汲んで、またPAMIの「すべての人に届くよう」という意向を受けて、オープンに、「ゆるく」始めてみたいと思います。「オンライン講座」が受けられない方には動画配信。時間のある時に、興味あるテーマだけ見てみようかな~という「聴講のみ」の参加、途中からの参加も歓迎します。
決まり事ととしては、参加者の状況が分かるよう(PAMIへの報告のためもあります)、オンライン講座専用アドレスに登録していただくことくらいでしょうか。ご希望があれば、続けて第二期を行うことも考えたいと思っています。
とにかく始めてみます!。わたしたちに先立って信仰の旅路を歩んだマリア(『教会憲章』)を見つめながら、キリストを信じる者として生きるとはどういうことかを、共に学んでいきたいと願っています。お祈りで支えていただければ幸いです。
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)
https://youtu.be/tgv3vAHa2bE
