私たちの乗った飛行機はフィリピンのマニラに着陸した。空港には 修道会のフィリピン管区長と他に2人のシスターが私たちを迎えに 来てくれていた。
フィリピンはカトリックが浸透している国で、シスターや神父様に は特別に親切、とされていた。空港に着いた私たちが通関のために後ろの方に並んでいると、税関の職員が、手招きで呼んでくれたので、私たちは人混みを分けて前に 進み、パスポートを出した。それを見た職員は”oh, no!” と、吐き出すように言い、顔をしかめてパスポートを私たちに突き返し、後ろを向いてしまっ た。
一切を見ていたフィリピンの管区長が税関の人に訳を話し、 私たちは再び呼ばれて無事にパスした。何年か前まで敵国として、さんざん無惨な行為を繰り 広げた日本人、たとえシスターであっても特別扱いをすることは できない、ということだったのだろう。少し心配したが、修道院に着くと、フィリピン人のシスターたちは 私たちを温かく迎えてくれた。
バチカンの日本公使館(当時。1958年に日本大使館に格上げ)におられたK氏が、ちょうど、フィリピンに拘束されている日本人捕虜を釈放する仕事でマ ニラに駐在されていた。連絡をすると、すぐに訪ねて来てくださった。そしてこう注意された。「シス ターたち、外を歩かないでください。危険ですから。僕たちでも唾 をかけられたり、石を投げられたりします」と。空港での出来事はまだまだ序の口、と いうのだった。でも私たちはマニラ滞在中、いやなことを何も経験しなかった。
マニラでは短期間の滞在とあって、私たちはお客様扱いで、マニラ の修道院を見学したり、マニラから離れているリパ市にある本部修 道院を訪問したり。ローマより規模はずっと小さいけれど、修道会の事業などよくオル ガナイズされていた。日本もいつかはこんなにと思うと心が躍った 。
そんな中で一番、記憶に残ったのは、一日にバナナを8本食べたこと。その頃 の日本ではバナナはめったに手に入らない貴重品、高級品だった。 フィリピンでは、庭にも道端にも種類の違うバナナがたわわになっていて食べ放題。 8日間のマニラ滞在中、私は総長からいただいた重い宿題のことを すっかり忘れて楽しい時を満喫した。