・Sr.石野の思い出あれこれ ㉘日本に戻るー逆カルチャーショック!

 1週間のマニラ滞在を終え、いよいよ日本へ。たとえ2年間とはいえ、食べ物から言語、文化、生活習慣まですべてが異なるヨーロッパでの生活から日本へ。

 イタリアでの2年間、私は特別に困ったこともなければ、ホームシックにかかったこともないほど、イタリアでの生活に溶け込み、エンジョイして幸せな日々を過ごしてきた。そして今、日本へ。やっぱり日本は故国、日本に近づくにつれ、感動が込み上げてきた。そんな中、日本に帰ったら志願者の養成担当になるという、総長からいただいた宿題が時々心の中で頭を持ち上げ、気分を重くした。

 羽田に到着。修道院の院長やシスターたちが迎えに来てくれていた。久しぶりに踏んだ日本の地。感激ひとしおだった。そして懐かしい顔や声。修道院に着くと、考えていた以上の数の志願者たちが、私たちを迎えてくれた。嬉しいのと同時に、さあこれからと思うと、身の引き締まる思いがした。

 翌日、父が修道院を訪ねてくれた。「ただいま帰りました」と応接間で挨拶する私に、父は「お帰り、元気そうだね。何か必要なものはあるか?」と尋ねてくれた。これをそばで見ていたイタリア人の院長が、「二年も離れていたのに、キスも抱擁もしない」と、驚いてイタリア人の間に吹聴した。

 そして、この事はニュースになって海を渡り、イタリアにまで飛んだ。まだキリスト教の土着化とか文化受容などが問題になっていない頃のことだったから、イタリア的メンタリティーで、とても冷たく感じられ、理解できなかったのだ。私の方は、日本人として当たり前のことが、大きなニュースになって海を渡り、イタリアまで飛んだことに驚いた。二年間に日本は変わっていた。

 イタリアに着いたときは、スムーズにすべてに溶け込めたのに、日本に帰ってきたときは、逆カルチャーショックにあって戸惑った。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

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2020年10月31日