■9月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 死刑の廃止のために

人間の尊厳を侵害している死刑制度が、すべての国で法的に廃止されますように。

(2022.9.1 バチカン放送)

教皇フランシスコは、この祈りの意向をめぐり、ビデオの中で次のように述べられた。

**********

世界では、死刑制度への反対が日々広がっています。教会にとって、これは希望のしるしです。

法的に見て、死刑制度は必要ではありません。社会は、犯罪者が自らの罪をあがなう可能性を完全に取り上げることなしに、犯罪を効果的に抑制することができます。

すべての法的判決は、希望の窓であるべきです。死刑は犠牲者に正義をもたらすことなく、むしろ復讐を促します。そして、起こりうる誤審を償うあらゆる可能性を妨げてしまいます。

また、別の面から言えば、死刑は、生命という私たちが受け取った最も大切な賜物を壊してしまう意味で、倫理的に受け入れられません。

最後の瞬間まで、人は回心、し変わることができる、ということを忘れないようにしましょう。福音の光に照らして、死刑制度は認めがたいものです。「殺してはならない」という戒めは、無実の人にも、罪のある人にも言えることなのです。こうしたことから、全世界における死刑制度廃止のために力を合わせるよう、すべての善意の人にお願いします。

祈りましょう。人間の尊厳を侵害している死刑制度が、すべての国で法的に廃止されますように。

 

 

 

日本の教会の意向: 高齢者について

高齢者が、社会でも、教会の中でも、それぞれの役割を通して、生き生きと生活できますように。

2022年8月31日

■8月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 小規模事業のために

*中小規模の事業体が、経済的社会的危機にあっても、その事業を継続する道を見い出し、地域社会に奉仕することができますように。

(2022.8.2 バチカン放送)

教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージの中で次のように話された。

「新型コロナの世界的感染と戦争の影響で、世界は社会的、経済的な大きな危機に直面しています。私たちはまだそれを理解していません。これによる深刻な被害を受けた人々の中には、中小企業家たちがいます。それは、商業、手工業、清掃、運送、その他、多くの分野の人たちです。彼らは高額所得者や権力者のリストには出てこない人たちです。しかし、困難にもかかわらず、自らの社会責任を果たしながら、雇用の機会を生み出しています。資産を納税回避地に隠したりせず、共通善に投資する人々です。彼らは皆、底辺から、いつでもより良い創造性が生まれてくる場所から、物事を変えるために、非常に大きな創造力を捧げています。勇気と努力、犠牲をもって、幸福と機会と仕事を生み出しながら、人生に投資しています。祈りましょう。中小規模の事業体が、経済的社会的危機にあっても、その事業を継続する道を見いだし、地域社会に奉仕することができますように」(編集「カトリック・あい」)

 

日本の教会の意向: 世界の平和

*戦争、内戦が続く国々や地域、とくにミャンマー、シリア、パレスチナ、アフガニスタンの人々に平和と安定がもたらされますように。

2022年7月30日

7月の教皇と日本の教会の祈りの意向

 

教皇の意向: 高齢者のためにー7月24日は教会の「高齢者のための祈願日」

*ルーツと記憶を体現する高齢者の知識と経験が、希望と責任をもって将来を歩む若者の助けとなりますように。

 (2022.6.30 バチカン放送)
 教皇フランシスコは2022年7月の祈りの意向について、ビデオメッセージをおくられた。内容以下の通り。

 「私たちの中にいる高齢者の重要性を語らずして、家庭について話すことはできません。歴史の中で、私たち人類がこれほどまで多かったことはありません。しかし、この新しい人生の段階をどのように生きたらいいのか、についてはよく知られていません。高齢者を支援する計画は多くても、高齢者の人生のための計画はあまりないのです。高齢者は、いたわりや、内省、愛情に対し、しばしば特別な感受性を持っています。すでに”優しさの師”、あるいはこれから優しさの師になれるかもしれません。戦争に慣れたこの世界にあって、私たちは真の”優しさの革命”を必要としています。これについて、私たちは新しい世代に対して大きな責任を負っています。祖父母とお年寄りたちは、私たちの生活を育む糧、人々の隠れた知恵です。それゆえに、お年寄りたちを記念することは素晴らしいことです。こうして、私は高齢者たちに捧げる日を創設しました。高齢者たちが”優しさの師”となれるよう祈りましょう。ルーツと記憶を体現する高齢者の知識と経験が、希望と責任をもって将来を歩む若者の助けとなりますように」。

 

日本の教会の意向: 社会的孤立の予防

*分断されていく社会の中で孤立する人々、社会から切り捨てられていく人々に寄り添い、人とのきずなの中で生きる喜びを分かち合うことができますように。

2022年6月30日

6月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 家庭のために

*全世界のキリスト者の家庭が、無条件の愛を身をもって体験し、日々の生活の中で聖性を高めていくことができますように。

 (2022.6.2 バチカン放送)

「家庭は共に生きることを学ぶ場所です。それは最も若い人も、最も高齢の人も一緒に生きることです。一緒にいることを通して、若者、お年寄り、大人、子供たちが、違いの中に一致しながら、その生活の模範をもって福音を告げるのです。もちろん、完璧な家族は存在しません。いつも何らかの問題はあるものです。しかし、心配はいりません。過ちを恐れてはいけません。前進するために、過ちから学ぶ必要があります。神が私たちと共にいてくださることを忘れてはなりません。神は、家庭に、私たちが住む町に、私たちと一緒におられます。そして、神は私たちを注意深く見守り、荒れた海で舟が揺れるたびに、私たちと共にとどまってくださいます。家庭における愛は、私たち一人ひとりにとって、聖性への固有の道です。そのために、今月の世界家庭大会に合わせて、私はこのテーマを選びました。祈りましょう。全世界のキリスト者の家庭が、無条件の愛を身をもって体験し、日々の生活の中で聖性を高めていくことができますように」

 

 

日本の教会の意向: 地球環境保護

*人間の活動による環境破壊や気候変動の影響による自然災害の被害にあった人々を支援し、地球環境を保護する取り組みを推進していくことができますように。

2022年5月31日

5月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 信仰豊かな若者のために

・すべての若者が自らの召命を充分に生きることができるよう祈ります。よく聴き、深く識別し、信仰を貫き、奉仕に献身した聖母マリアの生き方を知ることができますように。

 5月の祈りの意向についての教皇フランシスコのビデオメッセージの言葉は次の通り。(2022.5.3 バチカン放送)

  「家庭について語るにあたり、まず若者たちに言葉を向けたいと思います。若い皆さんが共感できるような模範を考える時、私たちの母、マリアの姿が、その勇気、耳を傾ける力、献身的な奉仕と共にいつも頭に浮かんできます。

マリアは勇気と決意をもって、主に『はい』と答えました。何か新しいもの、より良い世界を築きたいと思う若者の皆さん、マリアの模範に倣い、リスクに挑戦しましょう。マリアに従うには、皆さんが可能と思うことではなく、イエスが何を皆さんにお望みなのかを、識別し発見しなくてはなりません。

そして、この識別において、皆さんの祖父母の言葉に耳を傾けることが大いに役立ちます。皆さんは祖父母の言葉の中に、今の問題を乗り越えるための知恵を見出すことができるでしょう。それらの言葉は皆さんの不安に対し、もっと大きな見方を与えてくれるでしょう。

兄弟姉妹たちよ、祈りましょう。すべての若者が自らの召命を充分に生きることができますように。よく聴き、深く識別し、信仰を貫き、奉仕に献身した聖母マリアの生き方を知ることができますように」

 

 

日本の教会の意向: 困窮者との連帯

・経済的な格差が広がる社会の中で、周縁に追いやられた人々と連帯し、支援していくことができますように。

2022年4月30日

4月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 医療従事者のために

*病者や高齢者のために、とりわけ最貧国で奉仕する医療従事者が、政府や地方自治体から適切な支援を受けることができますように。

 教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージで次のように話された。(2022.4.5 バチカン放送=編集「カトリック・あい」)

 「今月は医療従事者のために祈りましょう。 パンデミックは、医療従事者の献身と寛大さを私たちに示しました。これらの人々は、ボランティア、医療の世界で働く人々、司祭、修道者たちです。

一方で、このパンデミックは、すべての人が公共の良い医療システムにアクセスできるわけではないことをも明らかにしました。最も貧しい国々、弱い立場にある国々は、人々を苦しませ続ける多くの病気のために必要な治療を受けることができません。多くの場合、これはずさんなリソース管理や、真摯な政治的努力の欠如によるものです。

こうしたことから、皆がアクセスできる良い医療サービスは一つの優先課題であることを忘れないよう、世界のすべての国々の政府にお願いしたいと思います。

また、医療サービスとは単なる組織ではなく、他者の健康をケアするために人生を捧げる人々をも含んでいること、また、彼らがこのパンデミックで多くの患者の回復のために自らのいのちをも捧げたことを思い出したいと思います。

祈りましょう。病者や高齢者のために、とりわけ最貧国で奉仕する医療従事者が、政府や地方自治体から適切な支援を受けることができますように」

 

 

日本の教会の意向: 家庭

*すべての家庭の平安のために祈ります。とりわけ、悩みを抱え、きずなが揺らいでいる夫婦が互いに歩み寄り、和解への糸口を見出すことができますように。

2022年3月31日

◇3月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の祈りの意向: 生命倫理の課題へのキリスト者の対応

・キリスト者が直面している生命倫理の新しい課題のために祈ります。祈りと活動を通して、命の尊厳を守り続けることができますように。

(2022.3.9 バチカン放送)教皇フランシスコは9日、この祈りの意向について、ビデオメッセージの中で次のように述べられた。

「生命倫理の課題にキリスト教的回答を与えることができるように祈りましょう。 キリスト者が直面している生命倫理の新しい課題のために祈ります。祈りと活動をとおして、命の尊厳を守り続けることができますように。

科学は明らかに発展し、今日、生命倫理は、回答すべき一連の問題を、私たちに突きつけています。ダチョウのように頭を砂の中に隠すわけにはいかないのです。バイオテクノロジーの応用は、常に人間の尊厳を尊重することから始めなくてはなりません。たとえば、ヒト胚を使い捨ての素材のように扱い、”使い捨ての文化”に入れられることはあってはなりません。”使い捨ての文化”は、多くの被害をもたらします。

経済的利益が、生物医学の研究を左右することがあってはなりません。より深い繊細な識別をもって、大きな変化が起きようとしていることを理解しなければなりません。

科学技術の進歩を止めよう、と言っているのではありません。それを注意深く見守ること、人間の尊厳と進歩の両方を保護することが必要なのです。別の言い方をするなら、人間の尊厳を手放して、技術の進歩を得ようとしてはならない。双方が調和し合いながら、共にあることが重要なのです。

キリスト者が直面している生命倫理の新しい課題のために祈ります。祈りと社会的活動を通して、命の尊厳を守り続けることができますように」

(編集「カトリック・あい」)

 

 

 

日本の教会の祈りの意向: 召命

・私たちが、それぞれの職場や家庭の中で、自分に委ねられた召命を生きることができますように。

2022年2月28日

2月の教皇と日本の教会の祈りの意向

■2月

教皇の祈りの意向: 修道女と奉献生活に召された女性

修道女と奉献生活に召された女性の使命と勇気に感謝し、祈ります。現代のさまざまな課題について新しい対応を探し続けることができますように。

 (2022.2.2 バチカン放送)

教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージの中で次のように述べられた。

「今月は、特に修道女と奉献生活に召された女性たちのために祈りましょう。

修道女や在俗奉献者たちのいない教会とはいかなるものでしょうか。彼女たちのいない教会を考えることができません。

私たちが生きるこの世の挑戦を前に、使命のために善きものを識別し、選択することを、すべての奉献生活者たちに励ましたいと思います。

貧しい人々、疎外された人々、人身取引の隷属下にある人々のために働き、行動するよう励ますと共に、特にこのことに力を入れてくださるようお願いします。

そして、彼女たちが、カテキスタ、神学者、霊的指導者として、神の愛と憐れみの美しさを示せるように、祈りましょう。

彼女たちがある場合、たとえば教会内でも、不当な扱いを受けた場合、彼女たちの偉大な奉仕が、時には教会の男性たちによって、使用人の仕事のようにみなされる場合には、それと闘うよう勧めます。

失望してはなりません。神の優しさを使徒職を通して、特に奉献の証しを通して伝え続けてください。

修道女と奉献生活に召された女性の使命と勇気に感謝しながら、祈りましょう。彼女たちが現代のさまざまな課題について新しい対応を探し続けることができますように。

皆さんの存在、皆さんの奉仕と、そのあり方に感謝します」

 

 

日本の教会の祈りの意向: 若者たち

次の世代を担う子どもや若者が、自らの役割に目覚め、神の国の実現に寄与できますように。

2022年1月30日

新年1月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の祈りの意向: 人類の真の友愛

・宗教的な差別や迫害に苦しんでいるすべての人々のために祈ります。人間家族の兄弟姉妹であることに裏付けされた一人ひとりの権利と尊厳が認められますように。

 (2022.1.5 バチカン放送)教皇フランシスコは、2022年1月の祈りの意向について、ビデオを通して以下のメッセージを寄せられた。

「今、少数派の宗教に属する多くの人々が差別や迫害を受けているのは、いったいどうしたことでしょうか。かくも文明化されたこの社会で、自分の宗教を公に表すだけで迫害される人々がいる、ということを、どうして認められるでしょうか」

「宗教的自由とは、礼拝の自由、信仰の書に定められた日課を行う自由にとどまりません。それは、他者を、その違いにおいて、理解し、彼らを真の兄弟姉妹として認識させるものでもあります」

「人間として、私たちは分かち合える多くの共通のものを持つと共に、兄弟であることの喜びをもって互いの違いを受け入れることができます。小さな違いも、あるいは宗教のような重要な違いも、兄弟であるという大きな一致に影を落とすことがあってはなりません。兄弟愛の道を選びましょう。なぜなら、私たちは、兄弟であるか、それとも、すべてを失ってしまうかーのどちらかだからです」

「宗教的な差別や迫害に苦しんでいるすべての人々のために祈りましょう。人間家族の兄弟姉妹であることに裏付けされた一人ひとりの権利と尊厳が認められますように」

 

 

日本の教会の意向: すべてのいのちを守る

・とくに弱い立場に置かれている人々を保護し、人間としての尊厳が尊重される社会を実現できますように。

2021年12月31日

12月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: カテキスタのために

「神のことばを告げ知らせるために召し出しを受けたカテキスタのために祈りましょう。勇気と創造力を持ち、聖霊に支えられ、証し人となることができますように」

(2021.11.30 バチカン放送)教皇フランシスコは、12月の祈りの意向について、ビデオを通し以下のメッセージをおくられた。

 「カテキスタは、信仰を伝え、それを深めることにおいて、かけがえのない使命を持っています。 カテキスタの信徒としての役務は、一つの召命です。カテキスタであることは、カテキスタとして働くことではなく、カテキスタという存在であることです。それは生き方そのものです。寄り添う者であると同時に教育者でもある良いカテキスタが必要です。福音を告げることにおいて、創造的な人が必要とされています。控えめでも、押し付けがましくてもいけません。福音を特に自分の生き方、柔和さ、新しい道を開きながら新しい表現をもって告げる人が必要です。 多くの教区で、多くの大陸で、福音宣教は基本的にカテキスタの手にかかっています。内的な情熱をもって、教会への奉仕の使命を生きるカテキスタたちに感謝しましょう。神のことばを告げ知らせるために召し出しを受けたカテキスタたちのために、共に祈りましょう。カテキスタたちが勇気と創造力を持ち、聖霊に支えられ、証し人となることができますように」

日本の教会の意向: クリスマスの喜びと祝福

「闇に住む人々、社会の周縁に追いやられた人々に、お生まれになった幼子イエスの恵みと祝福が豊かにありますように」

2021年11月30日

・11月の教皇と日本の教会の祈りの意向

*教皇の祈りの意向: うつ病に苦しむ人々

うつ病や燃え尽き症候群に苦しむ人々が、支援を受け、生活を取り戻す光を見いだすことができますように。

(2021.11.3 Vatican News  Devin Watkins) 
  教皇フランシスコは、11月の祈りの意向として、倦怠感、燃え尽き症候群、うつ病に苦しむ人々のために祈り、彼らの傍に居るように、すべての人々に促され、次のように語られた。

 「過労や仕事関連のストレスによって、多くの人が極度の倦怠感を経験します—精神的、感情的、感情的、そして肉体的な倦怠感です… 北半球に住む人々の場合、秋から冬の季節に入ると、気温が下がり、雨の日もあり、屋内で過ごすことが多くなる時に多く起きます。悲しみ、無関心、そして精神的な倦怠感は、今日の生活のリズムが過負荷になっている人々の生活を支配してしまいます」

「そうした、落ち込んでいる人、絶望している人、希望を失っている人が周りにいたら、手を差し伸べましょう。そして、黙って、耳を傾けましょう… 『私の言うことを聞いて。解決できますよ』などと言わないように。”解決策”はないのです。しかし、心理的なカウンセリングは必要であるし、イエスの言葉は、私たちや他の人たちが慰めを見つける助けになります-『私の所に来なさい、働き、重荷を負った人たち皆、休ませてあげよう』… うつ病や燃え尽き症候群に苦しむ人々が、快活さを取り戻す助けと光を見つけることができるように祈りましょう」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

*日本の教会の意向: すべての死者のため

すべての死者が神の国で安らかに憩い、遺族には慰めと希望が与えられますように。

2021年10月29日

10月の教皇と日本の教会の祈りの意向

【世界宣教月間】

教皇の祈りの意向: 宣教に向かう弟子たち

*洗礼を受けたすべての人が、福音の香りのする生き方の証人となって、それぞれの使命に応じた福音宣教に携わることができますように。

(2021.10.1 バチカン放送)教皇フランシスコは、10月の祈りの意向についてビデオで次のように話された。
   「イエスは私たち皆に、そしてあなたにも、宣教する弟子となるように願われます。その心構えは出来ているでしょうか?そのためには、イエスの呼び掛けに応え、仕事や、人との出会い、日々の用事や出来事など、最も日常的なことにおいて、聖霊に導かれながら、主と一致して生きるだけでいいのです。

  もしキリストがあなたを動かしているなら、もしキリストに導かれてあなたが何かをしているなら、他の人々は容易にそれに気づくでしょう。あなたの生活の証しが人を感嘆させ、その感嘆が人に尋ねさせるのです。『どうしてこんなことが可能なのか?』、『すべての人に愛をもって接するこの人の、その愛、優しさ、機嫌のよさは、どこから来るのだろうか?』と。

宣教とは、改宗の強要ではありません。それは人と人との出会いに基づくもの、『私は、イエスを知っています。あなたにも、イエスを知ってもらいたいのです』という人々の証しに基づくものです。

兄弟姉妹の皆さん、祈りましょう。洗礼を受けたすべての人が、福音の香りのする生き方の証人となって、それぞれの使命に応じた福音宣教に携わることができますように」

 

宣教者のための祈り

全ての人の救い主である神よ、

世界中の宣教者たちをあなたに委ねます。

御子イエスの死と復活によるあなたとの和解の福音を広めるために、

彼らが勇気を持って完全に自分を献げることができますように。

彼らがその命をかけて、

自らが宣べ伝える福音の誠実な証し人となりますように。

迷いや絶望の中にあるときに、彼らを励ましてください。

あなたが彼らに与えてくださった賜物を、

あなたの奉仕のために用いることができますように。

彼らを病気、事故、そして暴力からお守りください。

困難に直面したときや、働きに実りがないと感じるときも、

働きを続けることができるように彼らに力をお与えください。

置かれた場にいるわたしたちが、

福音を広めるために必要な手段を彼らに与えることができますように。

わたしたちの苦しみ、祈り、そして献げ物を受け入れ、

彼らの使命のために役立ててくださいますように。

アーメン

(出典:Prayers and Reflections No.43, Pontifical Mission Societies 2019   日本語訳:カトリック東京大司教区広報)

 

 

 

日本の教会の意向: 日常生活における宣教

*宣教月間にあたって、私たちが日々の生活を通して、職場や家庭それぞれの場で、キリストの福音を伝えていく者となりますように。

世界宣教月間によせて  カトリック東京大司教区 大司教  菊地功

教会は10月を「世界宣教月間」と、10月の終わりから二つ目の日曜日を「世界宣教の日」と定めています。福音を宣教することは、ひとり司祭や修道者の固有の使命ではなく、すべてのキリスト者、教会共同体の大切な使命であります。社会はいまだコロナ禍の不安の中にあります。このような状況だからこそ、わたしたちにはそれぞれの生きる場での福音宣教者となることが求められています。それぞれの置かれた場あって、自分が生きる姿勢と言葉をもって、喜びのうちに、すべてのいのちは神から愛されているのだ、愛されていないいのちはないのだというイエスの福音を証ししてまいりましょう。

 

2021年9月30日

9月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の祈りの意向: 環境に配慮した持続可能な生活

私たちが皆、簡素で環境に配慮した持続可能な生活を、勇気をもって選択し、これに熱心に取り組む若者たちと喜びをともにすることができますように。

(2021.9.1 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、2021年9月の祈りの意向について、ビデオを通して、以下のメッセージをおくられた。

 「環境と社会という、同時に進行する二つの現実の改善計画に取り組む、勇気ある若者たちを見るのはうれしいことです。私たち大人は、若い人たちから多くを学ぶことができます。地球の保護に関するあらゆることにおいて、若者たちは最前線にいるからです。

若者たちを模範にしましょう。特に保健衛生・社会・環境上のこの危機において、私たちのライフスタイルを振り返ってみましょう。食生活、消費、移動、水やエネルギーの使い方、プラスチック、しばしば地球に有害な他の多くの物質について、考えてみましょう。変化を選択しましょう。よりシンプルで環境に配慮したライフスタイルを目指して、若者たちと共に歩みましょう。

そして、祈りましょう。私たちが皆、簡素で環境に配慮した持続可能な生活を、勇気をもって選択し、これに熱心に取り組む若者たちと喜びをともにすることができますように。彼らは愚かではありません。自分たちの未来のために取り組んでいるのです。そのために、私たちがもういない時に受け継ぐであろうものを、変えたいと思っているのです」

(編集「カトリック・あい」)

 

 

 

日本の教会の祈りの意向: すべての命の尊重

すべての命、特に危機に瀕している弱く小さな命が保護され、人間としての尊厳が尊重される社会の実現を目指していくことができますように。

 

「すべてのいのちを守るための月間」(2021年9月1日~10月4日)にあたって

・昨年に引き続き今年もまた、感染症の状況の中で社会全体が大きな影響を受け、教会もその活動を自粛する中で、「すべてのいのちを守るための月間」が始まります。

・教皇フランシスコは、回勅「ラウダート・シ」を発表されたことで、教会がエコロジーの課題に真摯に取り組むことの大切さを強調されました。その啓発と霊的深化のため、毎年9月1日を「被造物を大切にする世界祈願日」とさだめ、さらにアシジの聖フランシスコの記念日である10月4日までを、被造物を保護するための祈りと行動の月間、「被造物の季節(Season of Creation)」と定められました。

・教皇様が強調されるエコロジーへの配慮とは、単に気候変動に対処しようとか温暖化を食い止めようとかいう単独の課題にとどまってはいません。「ラウダート・シ」の副題として示されているように、課題は「ともに暮らす家を大切に」することであり、究極的には、「この世界で私たちは何のために生きるのか、私たちはなぜここにいるのか、私たちの働きとあらゆる取り組みの目標はいかなるものか、私たちは地球から何を望まれているのか、といった問い」(160)に真摯に向き合うことが求められています。

・日本の司教団はこの世界祈願日を9月の第一主日と定めており、今年は9月5日となります。さらに日本の司教団は、2019年の教皇訪日のテーマである「すべてのいのちを守るため」を深め、黙想し,祈り、行動するために、この「被造物の季節」を特別な期間と位置づけて、「すべてのいのちを守るための月間」と名付けました。

・教皇は、「あらゆるものは密接に関係し合っており、今日の諸問題は、地球規模の危機のあらゆる側面を考慮することのできる展望を」(137)必要とすると指摘し、それを総合的エコロジーの視点と呼んでいます。

・その上で教皇は、「私たちがずうずうしくも神に取って代わり、造られたものとしての限界を認めるのを拒むことで、創造主と人類と全被造界の調和が乱されました」(66)と指摘され、環境破壊や温暖化も含めて、共通の家である地球の危機は、「創造主と人類と全被造界」の三つの関係の破壊による罪の結果であると指摘されます。教皇は「ラウダート・シ」を通じて、被造物全体を包括した地球規模の課題への取り組みへの呼びかけをされており、調和が乱されたことによって引き裂かれた罪の状態を解消するため、わたしたちの回心を呼びかけておられます。

・今年もまた感染症対策のため,教区における特別な行事などは制限せざるを得ませんが、教皇様の呼びかけを心にとめ、「私たちの共通の家」への心遣いを深め、「創造主と人類と全被造界」の関係を修復するために、一人ひとりの回心のときとしていただきますように,お願いいたします。教皇様の呼びかけは、もちろん一人ひとりの環境への配慮の行動を求めていますが、それだけに留まらず、教会全体として社会に向かって「創造主と人類と全被造界」の調和を回復するための具体的な行動を求めておられます。この機会に、教皇様の回勅「ラウダート・シ」を読み直したり、一緒に学んだりする機会を設けてはいかがでしょうか。

・「すべてのいのちを守る月間」にあたって、9月5日の主日に教皇様の意向に合わせて祈ることはもちろんとして、この月間の間に東京教区のホームページを通じて、さまざまな情報を提供いたします。ご参照いただければ幸いです。皆様がそれぞれの場で、ご自分に出来ることを小さくとも忠実に果たしていくことは重要ですし、同時に、共同体として皆の知恵と力を結集して行動していくことも大切です。

(2021年9月1日  カトリック東京大司教区の皆様 東京大司教区 大司教 菊地功)

2021年8月30日

8月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の祈りの意向: 教会

*教会のために祈りましょう。福音の光の中で自らを刷新する恵みと力を、聖霊からいただくことができますように。

⇒(2021.8.3 バチカン放送)教皇フランシスコは、今月の祈りの意向をめぐり、ビデオを通し次のように話された。

* 「教会特有の召命は、福音宣教です。それは改宗を強要することではありません。その召命は福音を告げることです。さらに言えば、教会のアイデンティティーは「福音宣教」なのです。 私たちの生活における神の御旨を識別し、聖霊に導かれた変革に乗り出してのみ、教会を新たなものにすることができます。私たち自身の刷新、これが変革です。神が私たちの心に与えてくださった聖霊が、イエスの教えを思い出させ、それを実践することを助けてくださいます。教会の刷新を私たち自身の刷新から始めましょう。既成の考えや、イデオロギー的な先入観、頑なさ無しに、霊的経験、与える体験、慈愛の体験、奉仕の体験から始め進んで行きましょう。

私はさらに宣教的な選択を夢見ています。それは、改宗主義無しに人々に出会いに行くこと、そして、今日の世界の福音宣教のために、そのすべての構造を変えていくことです。教会は常に問題を抱え、常に危機の中にあることを思い出しましょう。なぜなら教会は生きているからです。生きているものは危機と対面します。死んだものだけが危機に出会うことがないのです。

教会のために祈りましょう。福音の光の中で自らを刷新する恵みと力を、聖霊からいただくことができますように」

 

日本の教会の祈りの意向: 平和の実現

*教皇の呼びかけに応えて、各国の指導者たち、そして私たちが、戦争のための武器を捨て、世界の平和と安定のために尽くすことができますように。

2021年7月30日

7月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の祈りの意向: 社会における友情

*紛争や対立の社会的、経済的、政治的な場面で、勇気と情熱をもって対話と友情を築くことができますように。

 教皇フランシスコは、2021年7月の祈りの意向について、ビデオを通しメッセージをおくられた。(2021.6.30 バチカン放送)

 

  「友を見い出す者は、宝を見つける、と聖書は言います。自分の友だちのグループを超えて、社会的な友情を築くことを皆さんにお勧めしたいと思います。それはより良い共存 に大いに必要なものです。

  私たちは、特に最も貧しい人たち、弱い立場の人々と新たに出会う必要があります。これらの人々は片隅に生きる人たちです。また、人々の苦しみを利用し、解決を与えることなく、何ももたらさない漠然とした考えだけを唱えるポピュリズムから距離を置かねばなりません。 破壊をもたらすだけの社会的対立から逃れ、「分極化」から抜け出さねばなりません。

これらはいつでも容易というわけではありません。特に今日、政治や社会やメディアの一部があえて敵を作り出すことで、権力ゲームの中で相手を蹴落とそうとしています。 対話は、新しい見方で現実を見つめるための、また共通善の構築における挑戦を情熱的に生きるための歩みです。

祈りましょう。紛争や対立の社会的、経済的、政治的な場面で、勇気と情熱をもって対話と友情を築くことができますように。いつも助けの手を差し伸べる者となることで、対立や争いの余地をなくすことができますように」

 

 

日本の教会の意向: オリンピック・パラリンピック

*オリンピック・パラリンピックが、文化や国籍などの違いを超え、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって互いに理解し合う、平和の祭典となりますように。

2021年6月30日