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☩「キリスト生誕の喜びの中で、ウクライナで苦しむ子供たちを忘れてはならない」待降節第四主日に

(2022.12.18 Vatican News Devin Watkins )
教皇フランシスコは18日、待降節第四主日に、バチカンのサンタ マルタ小児科診療所の支援を受けている子供たち、両親、ボランティアスタッフと面会された際、間もなく迎えるキリストの誕生を平和の中で祝うことができないウクライナの多くの子供たちのために祈るように求められた。
教皇は彼らに、「ウクライナの子供たちを忘れてはなりません… 今、ウクライナではとてもたくさんの子供たちが戦争に苦しんでいます。そして他の世界各地でも子供たちが不正に苦しんでいます」と語られた。
そして、面が以上のとなったパウロ6世 ホールに置かれたウクライナの国旗を指さし、そこに書かれた「平和」という言葉に注意を向けられ、「主がクリスマスを共に平和に祝う喜びを私たちに与えてくださるのですから、私たちも苦しんでいる人たちのことを考え、彼らのために共に祈りましょう」と促された。
また教皇は、サンピエトロ広場での正午の祈りでも、ウクライナの平和のため、ウクライナで続いている戦争で苦しむすべての人々のために、次のように祈られた。
「聖母マリアにお願いします…ウクライナでの戦争を止めることのできる人々の心に触れてくだるように。私たちがこの戦争で苦しむ人たち、特に子供やお年寄り、病いの人たちを忘れないように。 祈りましょう、(彼らのために)祈りましょう!」
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
☩「コロナ禍、そしてウクライナ戦争…私たちは変わるべき時にある」2023 年1月1日「世界平和の日」教皇メッセージ

(編集「カトリック・あい」)
以下はVatican News の英語版
Remain steadfast
The Holy Father’s message, released on Friday, opens with a quotation from the First Letter of Saint Paul to the Thessalonians (5:1-2).
Thus, the Pope recalls that the Apostle Paul encouraged the Thessalonian community to remain steadfast. Likewise he says, “when tragic events seem to overwhelm our lives, we are called to keep our hearts open to hope and to trust in God, who makes himself present, accompanies us with tenderness, sustains us in our weariness and, above all, guides our path.”
Darkness of the Covid-19 pandemic
There is light even in the darkest hour, says Pope Francis, before going on to use the Covid-19 pandemic as an example: “The pandemic seems to have upset even the most peaceful parts of our world, and exposed any number of forms of fragility.”
Three years later, he stresses, “the time is right to question, learn, grow and allow ourselves to be transformed as individuals and as communities” reminding us, as he has done before, that “we never emerge the same from times of crisis: we emerge either better or worse.”
This experience has made us all the more aware of the need for everyone, including peoples and nations, to restore the word “together” to a central place in our lexicon. Only the peace that comes from a fraternal and disinterested love can help us overcome personal, societal and global crises.
Man-made wars
Pope Francis goes on to stress that this is not the post-Covid era we had hoped for or expected. “At the very moment when we dared to hope that the darkest hours of the Covid-19 pandemic were over, a terrible new disaster befell humanity,” he said, noting that the world witnessed the onslaught of another scourge: another war, “driven by culpable human decisions.”
Pope Francis notes that the war in Ukraine is “reaping innocent victims and spreading insecurity, not only among those directly affected, but in a widespread and indiscriminate way for everyone, also for those who, even thousands of kilometres away, suffer its collateral effects – we need but think of grain shortages and fuel prices.”
“This war,” he says, “together with all the other conflicts around the globe, represents a setback for the whole of humanity and not merely for the parties directly involved. While a vaccine has been found for Covid-19, suitable solutions have not yet been found for the war.”
No one can be saved alone
“What then is being asked of us?” the Pope asks, in light of all these difficult times: “First of all, to let our hearts be changed by our experience of the crisis.”
In fact, he explains: “we can no longer think exclusively of carving out space for our personal or national interests, (…) instead we must think in terms of the common good.”
We cannot, however, ignore one fundamental fact, he continues: “Many moral, social, political and economic crises we are experiencing are all interconnected, and what we see as isolated problems are actually causes and effects of one another.”
And he calls on all those in positions of responsibility and on all men and women of goodwill “to revisit the issue of ensuring public health for all”; to “promote actions that enhance peace and put an end to the conflicts and wars that continue to spawn poverty and death”; “to join in caring for our common home and in implementing clear and effective measures to combat climate change”; “to battle the virus of inequality and to ensure food and dignified labour for all, supporting those who lack even a minimum wage and find themselves in great difficulty.”
May we make this a good year for all
Finally, Pope Francis asks that in the coming New Year that “we journey together, valuing the lessons that history has to teach us.”
◎教皇連続講話「識別について」⑫「”警戒”することの重要性ー良き弟子はそれを怠らない」
(2022.12.14 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは14日の水曜恒例の一般謁見で、最終段階に入った「識別について」の連続講話をされ、「attitude of vigilance(警戒する姿勢)の重要性」について語られた。
「識別について」のこれまでの講話では、祈り、自己認識、欲望、「命の書」、 荒廃と慰め、そして「選択」に伴う確認、などをテーマに語ってこられた。今回の講話では、「識別について」の旅の最終段階として、「警戒を怠らない姿勢ー識別の働きが無駄にならないようにするために不可欠な姿勢ーについて考察された。
そして、「邪悪な者が、すべてを台無しにし、私たちを始めた時よりもっと悪い状況に置く『真のリスク』がある。だからこそ、警戒することが欠かせません。識別のプロセスを成功させるために私たち全員が必要とするこの姿勢を強調するのがよい、と思われます」と説かれた。
☩「ウクライナの人たちがクリスマスを祝えるように物心両面で支援を」教皇、一般謁見で

*”質素なクリスマス、贈り物交換でできた余裕をウクライナの人たちの支援に
そして、厳しい寒さ、病気、医師や医療施設の不足、食料不足の中で、助けを必要としているウクライナの人々を助けるために、「これまでよりも”質素なクリスマス、プレゼントの交換”を心がけることで貯めたものを送る」ことを提案された。
「忘れないようにしましょう… クリスマス、そうです。 主との平和、そうです…. でも、私たちの心の中のウクライナの人たちと。 そして、彼らに助けの具体的なしるしを示しましょう」と呼びかけられた。
教皇はまた一般謁見に出席したポーランドの巡礼者に語りかけた後、世界中の武力紛争や人道危機の影響を受けている人々を支援する「家族から家族へ」のカリタスイニシアチブに参加してくれた彼らに感謝しました。同イニシアチブで集めた支援金、物資はウクライナにも送られる。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
☩「待降節は私たちに神を知る新たな方法を教わる好機」待降節第三主日の正午の祈りで
*イエスが本当にキリストなのか、という疑い
教皇はまず、牢の中にいるヨハネについて、「牢という物理的な制約以上に、心の内的限界に置かれていることを想像できます。つまり、イエスの中に待ち望んでいた救い主を見ることができなくなったかのようであり、本当に救い主であるかどうか、確認するために弟子たちを送ったのです」と語られた。
*”疑いのトンネル”をくぐることは霊的な成長に役立つことも
そして、「ヨハネがこのような行為をしたことは、私たちをかなりの程度、驚かせます。なぜなら、ヨハネはヨルダン川でイエスに洗礼を授けた時に、弟子たちに『イエスは神の子羊だ』と告げていたからです」とされ、「このことは、最も偉大な信仰者でさえも、”疑いのトンネル”をくぐることを意味します。 これは悪いことではありません。 それどころか、霊的な成長にとって不可欠な場合もあります。『神は常に、私たちが想像するよりも偉大だ』ということを理解するのに役立つからです」と説かれた。
☩「ウクライナで今も苦しみ続ける人たちに平和を」教皇、無原罪の聖マリア日に祈られる
(2022.12.8 バチカン放送)
「無原罪の聖マリア」の祭日の8日、教皇フランシスコは聖母に捧げる様々な行事をとり行われ、ローマ市内スペイン広場の聖母のモニュメントの前で祈りを捧げられた。
「無原罪の聖マリア」の祭日は、聖母マリアが「その母の体内にやどった瞬間において、全能の神の特別な恩恵と特典によって、人類の救い主キリストの功績を考慮に入れ、原罪のすべての汚れから前もって守られた」ことを祝うもの。
この日、教皇は、正午にバチカンの広場の巡礼者と共に「お告げの祈り」を唱えられた後ーローマ市内の聖マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ)を訪問され、聖母子画「サルス・ポプリ・ロマーニ(ローマ人の救い)」を掲げた礼拝堂で祈りの時を持たれた。
最後に、教皇はローマの繁華街、スペイン広場を訪問。聖母に捧げたモニュメントの前で献花と祈りを行われた。教皇がこの記念碑においでになるのは毎年恒例だが、コロナ禍の一昨年と昨年は、教皇は夜明け前に訪問され、会衆のいない広場で祈らていた。教皇が人々と共に祈られるのは2年ぶりとなった今回は、広場周辺が大勢の市民であふれた。
スペイン広場とつながるミニャネッリ広場には、ブロンズ製の聖母像を頂点に据えた大理石柱がそびえている。このモニュメントは、1854年12月8日に教皇ピオ9世により無原罪の御宿りが正式に信仰箇条として宣言されてから、3年後の1857年に建立された。この朝、柱の頂上の聖母像の腕にローマ市の消防団によって花輪がかけられ、市民や団体もこれに続いて、記念碑の下は花でいっぱいになった。
教皇は、記念碑の下で、白い薔薇を盛った大きな花籠を祝別。バチカン職員の手を通して献花をされ、参加者全員による聖母の連祷の後、教皇による祈りが行われた.
この中で教皇は「無原罪の御母」に、「このたくさんの花によって表されたローマ市民の『愛と崇敬』とともに、多くの人々の隠れた沈黙の祈りによる『見えない花』も受け取ってくださるように」と願われた。そして、「たちこめる暗い霧の中の希望と慰めのしるし」である聖母に、子どもたちや、お年寄り、若い夫婦ら、家族たちの日々の喜びと苦しみ、また、特に青少年らの夢と不安、成長と未来を、その保護に託された。
さらに、「無原罪のおとめよ、長い間、平和を主に祈ってきたウクライナの人々の感謝を、今日ここでお伝えするはずでした」と聖母に語りかけた後、涙とともににしばし絶句され、 「それでも、ウクライナで今も苦しみ続けている子どもたち、高齢者、親たち、若者らの懇願を、あなたに差し出さねばなりません… あなたが十字架の下で御子のそばに留まられたように、あなたが彼らと、苦しむすべての人々と、共におられることを知っています」と訴えかけられた。
教皇は「無原罪のあなたを見つめる私たちが、愛が憎しみを超え、真理が欺瞞に勝利し、赦しが侮辱にまさり、平和が戦争に打ち勝つと、信じ、希望し続けることができますように」と祈願され、集いの終わりに、教皇は人々に祝福をおくられた。
◎教皇連続講話「識別について」⑪ 「内なる平和が私たちの決断を確認する」

(2022.12.7 Vatican News)
教皇フランシスコは7日に行われた水曜恒例の一般謁見で、「識別について」の連続講話を続けられ、今回は「長く続く心の内なる平和によって、私たちが決断したことを確認」する必要性について考察された。
(2022.12.7 バチカン放送)
教皇の講話の要旨は次のとおり。
**********
「識別」のプロセスで、選択の決断をした後の段階に注意することも重要です。そうするのは、「その選択が良かったこと」、あるいは「そうでなかったこと」を確認するしるしを読み取るためでです。
様々な声の中で神の声を聞き分けるために、「時間」は本質的な判断基準になります。善い霊を見分けるためのしるしは、それが長い間続く、心の内なる平和をもたらすかどうか、です。そのような平和は、調和、一致、熱心、熱意をもたらします。
たとえば、以前より半時間ほど多く祈ることを決意した、としましょう。そうすることで、一日の他の時間をより良く過ごし、より落ち着きを感じ、不安が減り、仕事もきちんとこなし、難しかった他者との関係もより容易になるなら、これらのしるしは選び取った決断が良かったことを示しています。
霊的生活は循環的なものです。ある選択が良いものなら、生活中の他のすべての事柄にも、良い影響を与えます。それは神の創造性に寄与するものだからです。
選択の良し悪しを確認するために、決断した後の期間を読み取る際、そこで役立ついくつかの点について、考えてみましょう。
まず、その選択を、主の自分への愛と寛大に対する返事として考えることができるか、です。その選択が、恐れや、愛情的な見返り、強制によるのではなく、主から自分が受け取った善に対する感謝から生まれたものであるかどうか、考えましょう。
もう一つの重要な要素は、生活において、それが自分のいるべき場所と感じられるかどうか、そこで自分がより大きな計画の一部になり、貢献したい、と感じられるかどうか、です。
バチカンの聖ペトロ広場には、ベルニーニの柱廊の4列の柱が完全に重なり一列に見える地点が2つあります。それと同じように、人も自分が求めていたものを見つけられる時があります。一日が秩序を持ち、様々な関心が統合され、物事の重要度の正しい判断ができる時に、すべてが円滑に進み、新たなエネルギーと力をもって、困難に立ち向かうことができるようになります。
選択の正しさを確認するためのさらなるしるしは、自分が決意したことに対し、自由でいられるか、ということです。それは、自分の選択を問い直したり、場合によってはあきらめることもでき、いかなる時もそこに主の教えを見出そうとする自由さです。
このような場合、神が私たちの大切なものを取り上げようとされるからではなく、私たちが執着を持たずに自由に生きることを望まれるからです。
神に私たちの最も大切なものをお捧げすることは、私たちのいのちは神の愛情深い御手の中にあるという自覚のもとに、より良く、より真実な方法で生きることを可能にしてくれます。
聖書が「神への畏れ」と呼ぶもの、すなわち神を尊ぶ気持ちは、叡智の恵みを受け取るために欠かせない条件です。神への畏れは、他のあらゆる恐れを追い払う。なぜなら、その畏敬はすべての主であるお方に向けられているからです。神の御前で、何ものもわたしたちを動揺させることできません。
それを体験した使徒聖パウロは次のように記しています。
「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹することにも、飢えることにも、有り余ることにも、乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です」(フィリピの信徒への手紙4章12-13節)。
神への畏れを知ることは、良い選択のために不可欠な要素です。そして、それは自分の力ではどうしようもできないこと、予測できないこと、たとえば、健康や、将来、親しい人々、自分の計画などについて安心をもたらしてくれます。
重要なことは、私たちの信頼が天地の主に置かれていることです。神は私たちを限りなく愛され、私たちがご自身と共に、何か驚くほどのもの、永遠のものを築けるとご存じです。聖人たちはその生涯を通し、このことを素晴らしい方法で示してくれました。
このように、祈りのうちに、自分の心で起こる出来事に注意を傾けながら、物事を選択し、少しずつ前進して行きましょう。
(編集/翻訳「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用の邦訳は「聖書協会・共同訳」を使用)
☩教皇「国連ボランティアの日」に、来年8月のWYDリスボン大会のボランティアたちを激励

(2022.12.6 バチカン放送)
教皇フランシスコは5日、国連の「経済・社会開発のための国際ボランティア・デー」に合わせて、来年夏の「世界青年の日(WYD)リスボン大会」のボランティアたちに、ビデオメッセージをおくられた。
この中で教皇は、「教会への司牧訪問でよく驚かされることは、ボランティアの人々の活力です」とされ、教会には司教や、司祭、修道者や、信徒たちがいるが、「ボランティアは既成の枠を超えて物事を忍耐強く推進する特別な活気に満ちていまつ」と話された。
そして、たとえば病者のためのボランティアは、一日の自由な時間を病者のために捧げており、「ボランティアは神の恵みです」と強調された。
さらに、「皆さんは教会の力、教会の宣教の一つのあり方。恐れず進みましょう」と語りかけながら、ボランティアの人たちの心の広さに感謝し、祝福を与えられた。
(編集「カトリック・あい」)
☩「戦争で私たちはすべてを失う」教皇、ウクライナ侵攻開始以来の言葉をまとめた本の巻頭文で
(2022.12.5 Vatican News Lisa Zengarini)
*いつも『キリストの眼差し』をもたねばならない
教皇は巻頭文を、イタリアの作家アレッサンドロ・マンゾーニによる有名な小説「I Promessi Sposi(婚約者)」からの引用で始められた。「それを終わらせずに奇跡を始められる主を、私は見たことがない」ーこの言葉が、「2025 年の聖年のために私が選んだ標語『希望の巡礼者』に、ひらめきを与えてくれました」と語られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
☩「イエスと共にいれば、いつも新しく始めることができる」待降節第二主日・正午の祈りで
(2022.12.4 Vatican News staff writer)
教皇フランシスコは4日、待降節第二主日の正午の祈りの説教で、「私たちの弱さと失敗を認め、主の赦しを求めることにおいて、私たちの人生に欠かすことのできない謙虚さ」を強調され、「イエスと共にいれば、私たちはいつでも神に立ち返り、神の無限の愛を進んで受け入れることで新しく始られます」と語られた。
説教でまず教皇は、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「悔い改めよ。天の国は近づいた」(3章2節)と言って、全ての人を回心へと導こうとした洗礼者ヨハネの役割に注目され、「彼は厳格で急進的な信仰者。神に立ち返るために愛の叫びをもって人々を回心するように呼び掛けたのです」と説かれた。
*洗礼者ヨハネの厳しい言葉は、「子を思う父」の叫び
教皇は、「ヨハネの”厳しさ”を考えると、少しばかり相手に恐怖を植え付けさえする、厳しい人物だ、と考えるかもしれません。でもそれは”厳しさ”ではなく、偽善者に出会った時の反応の強さだったのです」とされ、「偽善で知られるファリサイ派やサドカイ派の人々が洗礼を受けに彼の所に来た時、ヨハネは彼らを批判しました。彼らは、『良いと思われるものを全て兼ね備えており、悔い改める必要はない』と考えていたからです」と指摘。
続けて、「このような思い込みと偽善的な考えでは、洗礼の恵みの瞬間と新しい人生を始める機会を受け入れることができません。そこでヨハネは、彼らに、『悔い改めにふさわしい実を結ぶように。我々の父はアブラハムだ、となどと思ってもみるな』(マタイ福音書3章8、9節)と忠告しました。これは愛の叫び、息子が身を滅ぼそうとするのを見て、『人生を無駄にするな!』と言う父親の叫びのようなものです」と語られた。
そして教皇は、「偽善は、最も大きな危険をもたらします。なぜなら、最も神聖な現実さえも台無しにする可能性があるからです。そしてこれが、洗礼者ヨハネと彼に続いて来られたイエスが、偽善者―謙虚さのない、あるいは自分自身の罪深さと弱さの感覚がなく、それを他人事のように見ている者ーに対して厳しく対応された理由でした」とされ、「神を迎えるのに重要なのは、難度の高い技巧ではありません。謙虚さです。そのために、”台座”から降りて、”悔い改めの水”に浸かる必要があるのです」と説かれた。
*待降節は、「謙虚さの道」で主と兄弟姉妹に出あう恵みの時
また教皇は、「私たち自身の行動と態度についても振り返ってみること、福音書で語られているファリサイ派の人に少し似ている場合があるかどうか、考えてみることが必要です。『自分は他の人よりも優れている』『自分はすべてをうまく治められている』『神や兄弟姉妹をいつも必要とはしていない』などと思うことがありますか?」と問いかけられた。
そして「待降節は、自分の仮面を外し、謙虚な人々と足並みをそろえ、『自分だけで何でもできる』という思い込みから解放され、罪を告白し、神の赦しを求め、いただき、自分が不快に思わせた人たちから許しをもらえるよう願う、恵みの時です」と強調。
さらに、「神に赦しを願う時、私たちは新しい人生を始めます。それには、『謙虚さ』の道しかありません。謙虚さが、私たちを赦し、自分の弱さ、優越感、または偽善から清めることができるのです。私たちは皆、罪人であること、に気づきます」とされ、 「救い主としてのイエスは、貧しさ、悲惨さ、失敗を抱え、立ち直り、赦され、救われる必要がある私たちのために、来てくださいます」と説かれた。
最後に教皇は、「一つだけ覚えておきましょう。イエスと一緒にいれば、いつでもやり直すことができます。いつでも、です! イエスは私たちを待っておられ、私たちを諦められることはありません」と強調。そして「待降節は、私たちが主に立ち返るための特別な恵みの時を提供してくれる」ことを確認され、聖母マリアに、「私たちが、『謙虚さの道』で、主と私たちの兄弟姉妹に出会えるよう助けてくださいますように」と祈られた。
*苦しみの中にあるウクライナの人々のために、聖母マリアに平和への祈りを
正午の祈り続いて、教皇は、今週8日の無原罪の聖マリアの祝日を思い起され、「ひどい苦しみを味わい続けているウクライナの人々のために、聖マリアに平和への祈りを委ねましょう」と呼びかけられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
◎教皇連続講話「識別について」⑩「私たちの真の慰めは、神のご意思を行っていることの確認にある」

(2022.11.30 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは30日の水曜恒例の一般謁見で、「識別について」の連続講話をお続けになり、識別における真の慰めは、「神が望んでおられることを私たちが行っていることの一種の確認」にある、と語られた。
この日の講話で、教皇はご自身が出身のイエズス会の創始者、ロヨラの聖イグナチオの霊操に注目された。そして、「すべてが善なるものに向けられているなら、それは守護の天使のサイン」とされる一方、「考えや意図するところが悪しきものに向けられていたり、心を弱めたり、気を散らしたりする場合、それは、私たちの利益や永遠の救い』の敵である悪霊のサインです」と指摘された。
*自分の祈り、思い、行いを吟味する
さらに、祈りを例にとられ、「祈りの行為は、神と隣人への愛に向けられているなら、好ましいことですが、自分に与えられた義務を回避するためになされるなら、悪い行為になります。同じように、祈りが自身への誇りと他者への軽蔑をもたらすなら、初めはこの好ましくても、途中で悪い行為になることがあります」と注意された。
そして、行いについても、「自分がせねばならないことから気をそらしたり、攻撃的になって怒ったり、神への信頼をなくすほど自分自身に気を取られたりすれば、悪い結果を生むことになる」とも語られた。
*日々の良心の糾明の重要性
また教皇は、「人の心の敵は、しばしばひねくれており、私たちの心に侵入して、思いや行いを堕落させる方法を探しています… ですから、私たちの考えの元と真実を辛抱強く吟味することが欠かせません」とされ、 「それば、日々の良心の糾明ー特定の視点から経験したことを読み直す努力ーがとても重要であることの理由です」とされ、「私たちの中で何が起こっているか、に気づくことは重要です。それは、神の恵みが私たちの中で働き、私たちが自由と自覚の中で成長するのを助けてくださっているサインなのです」と説明。
真の慰めは「私たちが神が私たちに望んでおられることを行っていること、私たちが正しい道を進んでいることの一種の確認」として役立つ可能性がある、と付け加えられた。
*今ここで、私にとって善は何か
最後に教皇は、識別とは、単に何が善か、あるいは何が最も大きな可能性のある善がを見分けることではなく、「今、ここで、私にとって何が善かを判断すること」だということを確認され、「識別力は、今の時点で、神が私たちに何を期待しておられるかを理解するのに役立ち、さまざまな可能性の中から真の善を選ぶのに役立つのです」と強調され、講話を締めくくられた。
・教皇、米誌インタビューで、”中国問題”と”ロシアのウクライナ侵攻問題”で自身の立場説明(Crux)
(2022.11.28 Crux Senior Correspondent Elise Ann Allen)
ローマ 発– 教皇フランシスコは、28日公表されたイエズス会の雑誌Americaとのインタビューで、自身の中国に対する”対話路線”とウクライナ軍事侵略を続けるロシアへの”非難躊躇”を擁護する姿勢を示した。
中国は先週、自国における司教任命に関するバチカンとの暫定合意を無視する形で、教皇が認めていない教区の補佐司教に、”地下教会”の司教を就任させた。これに対して、バチカンは26日に声明を発表し、このような中国側の行為は暫定合意と対話路線に反するものであり、長年にわたって現地当局が司教に逮捕・拘禁などさまざまな圧力を加えた結果もたらされたもの、と強く批判している。
暫定合意は、その具体的な内容が4年たった今も明らかにされず、合意後に”地下教会”などへの弾圧を強める中国側に利用されている、との批判も関係者の間にある中での、今回の中国側の行為とバチカンの対応が注目を浴びている。
(このインタビューは22日に行われたもので、中国で、バチカンが認めていない教区、江西教区の”補佐司教就任式”が行われたのは2日後の24日。バチカンがそれに対する批判声明を出したのは、さらに2日後の26日であり、教皇の以下の発言はこうした”新事態”を踏まえての発言でないことに留意する必要がある=「カトリック・あい」)
中国への対応について聞かれた教皇は、「それは、語るか、黙っているかの問題ではありません。そのような問いかけは現実的でない。問題は、対話をするか、しないか、であり、そのことについて対話することは可能です」とし、教皇ヨハネ・パウロ二世の下で1979年から1990年まで国務長官を務めたカサローリ枢機卿に言及した。
枢機卿は共産圏に対する”東方政策”の立案者だったが、当時は「(ロシアなど共産圏の国々に)妥協しすぎだ」と批判する声が多かったが、そのソフト路線が「1989年のベルリンの壁崩壊まで教会が活動を続けるのに役立った」という歴史家の評価もある。
教皇は「彼は、可能なことをした。ゆっくりと、共産圏だった国々でカトリックの集合体を再建することができました」と述べ、「対話は、最善の外交の道です」とし、中国との関係についても「私は対話の道を選びました。歩みは遅いし、失敗もあるし、成功もある。でも、それ以外の道を見つけることができないのです」と語った。
また、ウクライナ軍事侵略に関してロシアやプーチン大統領に対する直接的な批判を避けているように見られることに関しては、「私がウクライナについて話すとき、殉教した人たちについて話します。殉教者がいるなら、彼らを殉教させる人がいる」とし、これらの残虐行為の責任を負っている軍隊について多くの情報を受け取っており、「一般的に戦争の残虐性」について批判している、と述べた。
さらに、一般的に言って、「おそらく最も残酷なのは、チェチェン人やブリヤート人など、ロシアの伝統に属さない人々」だが、「ウクライナ侵略の責任を負っている勢力は『ロシア国』であることは、非常に明確です」と言明。「私が誰を非難しているのかはよく知られていますが、あえて名前を出す必要はありません。相手を特定して怒らせないように。それよりも一般化して非難をする形を取ります」と語った。
戦争の責任者としてプーチンを直接、名指しすることを避けていることについては、「そうする必要がないので、しないのです… (彼が責任者であることは)すでに知られていることです」とし、「実名を挙げなくても、私の立場は誰でも知っています」と述べた。
そして、バチカンの立場は、「平和を求め、理解を求めること。バチカンの外交はこの方向で進んでいます」と強調。軍事侵略を止めるために調停役を希望するバチカンの意思を繰り返した。
このインタビューの中で教皇は、中国、ロシア・ウクライナ問題以外にも、米国社会ににおける二極化、人種差別、妊娠中絶、教会における信者と司教の信頼喪失など、幅広い問題に触れた。
米国社会の二極化について、教皇は「二極化は、カトリック的ではありません。カトリックの教えの本質は”両方”です。二極化によって、分断的な考え方が生まれ、ある人には特権が与えられ、他の人は置き去りにされてしまいます。カトリックは、常に、違いを調和させる立場を取ります」と説明した。
米国の司教会議に対する信頼の喪失について尋ねられたある調査では、信者のわずか 20% が「非常に信頼できる」と答えたという結果があるが、教皇は、「司教協議会と信者の関係に焦点を当てることは、誤解を招きます。司教協議会は司牧者ではない。司牧者は司教です。司教協議会だけに注目すると、司教の権威を損わせる危険があります」とし、司教協議会は司教たちの連帯を促進するという点で重要だが、「それぞれの司教が”羊の群れ”の司牧者なのです」と強調した。
妊娠中絶については、「まだ生まれていない胎児が『生きている人間(living human being)』であることは、科学的にも議論の余地がありません。胎児を『人(person)』と呼ぶことは議論の余地がありますが」としたうえで、「中絶は犯罪であり、問題解決のために人間を排除してしまうことが正しいのでしょうか? 問題解決のために”殺し屋”を雇うのは正しいのでしょうか?」と問いかけられた。そして、中絶論争が問題になるのは、「『人を殺すこと』が政治問題に変わる時」、あるいは、「司牧者が『政治的カテゴリー』を使ってこの問題について話す時」だ、と指摘した。
また、聖職者の性的虐待についても触れ、それが司教に対する訴えを含む場合には通常よりもさらに透明性が求められる、と述べた。米国社会に残る人種差別は「神に対する耐え難い罪」と批判。
女性の司祭叙階については、「以前も申し上げたが、神学的な観点からは不可能」とする一方で、「教会の中で、女性が指導的立場や管理職に就くために、多くの場が作られる必要がある」ことを確認した。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)
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・ロシア政府など、教皇のインタビューで語った”沈黙への弁明”を批判(Crux)
(2022.11.29 Crux Editor John L. Allen Jr.
ローマ – 11月28日公開されたイエズス会後援の米誌Americaとのインタビューで、教皇フランシスコは、ロシアと中国が起こしている問題に対して過度に”沈黙”している、との批判に対して自らを弁護する発言をした。バチカンを批評する人たちの中には、このような教皇の姿勢は、ナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺を知りながら”沈黙”していた疑いで繰り返し批判されてきたいように、歴史的に否定的な評価をされるかも知れない、と見る向きもある。このインタビューは、そうした問題に対して、なぜ教皇が慎重に考えねばならないか、を説明する機会になった。
そのインタビューで、教皇は、ロシアのウクライナ軍事侵略で子供たちを含む民間人に多くの死者が出ていることに関して、「軍隊の残酷さについて多くの情報」を得ている、と述べ、さらに、「一般に、おそらく最も残酷なのは、ロシアに属してはいるが、チェチェン人やブリヤート人など、ロシアの伝統に固執していない人々す」と語った。ロシア南西部出身のチェチェン人は、ほとんどがイスラム教徒、ブリヤート人はシベリア東部の先住民族で、伝統的に仏教とシャーマンの信仰に従うモンゴル族だ。
おそらく、教皇はこのような言い方で、ロシア人そのものはそれほど血に飢えていないかも知れない、という思いをモスクワに伝えたかったのだろう。だが、モスクワの反応は、教皇が考えていたであろうようには、ならなかった。
*「ロシア嫌いの程度を超えている、言語を絶する真実の曲解」と露外務省報道官
ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は28日、このような教皇のインタビューでの発言を激しく非難し、国営タス通信に「これはもはや Russophobia(ロシア嫌い)の程度を超えている。言葉で表現できないほどの、真実の曲解だ」と語った。さらに、ツイッターの書き込みで、「教皇は、ロシアの軍隊を分断しようとしている」と批判。「私たちは、ブリヤート人、チェチェン人、その他、多民族、多宗教国家であるロシアの一つの家族だ」と強調した。
*ブリヤート共和国首長「ブリヤート人などが残酷、はおかしな言葉。カトリック指導者に戦争の道徳を語れるのか」
ロシア連邦を構成するブリヤート共和国のアレクセイ・ツィデノフ首長も、教皇発言に反論。「カトリック教会の長が特定の民族、つまりブリヤート人とチェチェン人の残酷さについて話しているのを聞くのは、控えめに言っても、おかしなことだ。私たちの兵士は名誉を持って義務を果たしている」と語り、「十字軍の複雑な歴史を考えれば、カトリックの指導者は、武力紛争における道徳について、他人に教訓を語るべきではない」と批判した。
*チベット仏教指導者も「我々は残酷ではない、ラテン系欧州人には極寒で生活する我々を理解していない」
ブリヤート人の多くが信仰するチベット仏教の指導者であるダンバ・アユシェフ師も批判の輪に加わり、教皇の言葉を「予想もしていなかった、不親切(な言葉だ)」とし、「欧州のラテン系の人々は、『極寒のシベリアや極東に生活することで、より粘り強く、忍耐強くなり、さまざまな困難に立ち向かうことができる、という私たちのことを理解していないように思う。私たちは残酷ではない。私たちの祖父や父親がそうであったように、ナチズムから祖国を守らなければならないのだ」と述べている。
*ロシア占領地域で活動する司祭2人の逮捕は教皇発言と関係?
このような反発を、言葉の上での”コップの中の嵐”としてやり過ごし、他の不都合な真実を期待する衝動に駆られたくなるかもしれない。
バチカンの援助組織、Aid to the Church in Needが28日に伝えたところによると、ウクライナ南東部、ロシア占領下の港湾都市ベルディアンスクで、 カトリック司祭2人が逮捕された。イヴァン・レヴィツキー神父とボフダン・ヘレタ神父は、現地のギリシャ・カトリックとラテン典礼カトリックの両方の信徒の司牧にあたっている、ロシア占領地で活動を続ける数少ない聖職者たちだ。
Aid to the Church in Needによると、2 人の逮捕容疑は「テロ攻撃を準備した」というもので、現在、拘置所に入れられ、裁判を待っている。有罪判決が下された場合、理論的には死刑につながる可能性があるが、現地のステパン・メニオク司教は、逮捕を「根拠のない違法行為」し、釈放を求めている。
2人の逮捕が教皇のインタビューへの仕返しなのか、それともそれ以前に行われたのか明らかではないが、この事件を報道したあるイタリアの新聞は、「フランシスコを黙らせるための脅し」ではないか、とコメントしている。
*ロシア・ウクライナ和平仲介へ影響か?
いずれにせよ、教皇発言が起こした意外な展開が、二人が置かれた状況を好転させることはありそうにない。それどころか、ロシアとウクライナの和平実現へ仲介の労をとろうとするバチカンの取り組みを後退させる可能性もある。
振り返ってみると、教皇フランシスコと彼の顧問たちは今、教皇がAmerica”でのインタビューで示した限定的な開示の姿勢さえ後退させることを望んでいる可能性が十分にある。
このような紛争の状況の中で、なぜ教皇がもっと率直に話さないのか疑問に感じるなら、言葉がもたらした余波に、教皇は個人的に対処してはならない、ということだけ覚えておくことーレヴィツキー神父とボフダン・ヘレタ神父のような人の運命、自分の民をこれ以上、危険にさらすことを強く望むような教皇はいないのだ。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)
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