☩「すべての人を包み込む社会の構築を」ハンセン病・国際シンポジウムに

スティグマ=

ハンセン病に関する国際シンポジウム  2023年1月23日 ハンセン病に関する国際シンポジウム  2023年1月23日  

(2023.1.23 バチカン放送)

 教皇フランシスコは23日、教皇庁総合人間開発省、ラウル・フォレロー財団、アミーチ・ディ・ラウルフォレロー協会、笹川ハンセン病イニシアチブ(笹川保健財団)の共催で開かれた「ハンセン病に関するバチカンでの国際シンポジウム〜誰一人取り残さない〜」にメッセージをおくられた。

 2回目となる今回のシンポジウムは、ハンセン病対策の進展と課題の検証や、新型コロナウィルスの世界的大感染が社会的弱者、特に疾病による障害者のコミュニティに与えた影響が考察された。

 教皇はメッセージで、しばしば忘れられ、社会から見捨てられているハンセン病患者のために尽くしている人々に感謝され、「最も弱い立場の人たちを世話し、彼らに拒まれた権利と尊厳を返すためにかがみ込む、善きサマリア人の姿」を彼らと重ねられた。

 また、このシンポジウムが第70回目を迎える「世界ハンセン病デー」に先立って開かれたことに言及され、「世界ハンセン病デー」が1953年、根絶されたと多くの人に思われていた病気への関心を高めるために、ラウル・フォレローによって始められたことを思い起こされた。

 そして「今日、過去以上に心配すべきことは、この病気だけでなく、人そのものが忘れられかねないこと」と指摘。世界各地でハンセン病に結びつけられたスティグマ(特定の属性を持つ人に対するネガティブで誤った態度)がもたらし続ける人権の重大な侵害に触れつつ、「私たちは多くの面で成長しても、発展した社会の、最も弱い立場の人々を見守り、世話し、支えることにおいて無知であり、自分たちに直接関わらないかぎり、目をそらし、通り過ぎ、状況を無視することに慣れてしまっています」と語られた。

 教皇は、「これらの兄弟姉妹を忘れず、特に恵まれない社会を背景に、まだ多くの人を襲うこの病気を無視することがないように」と願われ、「世界ハンセン病デー」を機会に、「私たちの発展モデルを見直し、それがもたらす差別を指摘し、正すように努め、誰一人片隅に取り残されない、すべての人を包み込む社会の構築に、改めて取り組む必要があります」と強調。

 さらに、「基本的人権が守られ、社会の完全な一員として生活するための闘いにおける主役として、ハンセン病の患者たちを尊重しつつ、彼らといかによりよく協力していくかを、具体的に考えねばなりません」と訴えられた。

 また教皇は、ハンセン病に苦しむ人々にご自身の寄り添いを表明されるとともに、関係者たちに、これらの人に精神的支えと医療サービスが欠けることがないよう願われ、「聖母と、ハンセン病患者においてキリストに仕えた多くの聖人たちの支えがあるように」と祈り、祝福を与えられた。

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 教皇のメッセージに続き、教皇庁総合人間開発省次官 アレッサンドラ・スメリッリ修道女や、WHO(世界保健機関)ハンセン病制圧特別大使、日本財団会長の笹川陽平氏ら、共催者代表による挨拶が行われたほか、国連人権高等弁務官のフォルカー・トゥルク氏や、世界保健機関のテドロス・アダノム・ゲブレイェソス事務局長などから寄せられたビデオメッセージが紹介され、次いで、「グローバル・アピール2023~ハンセン病患者と回復者に対する社会的差別の撤廃に向けて~」の宣言が行われた。

 同シンポジウムでは、「ハンセン病と病気にまつわる問題のない社会、さらには、『誰一人取り残さない社会』を実現するために、今、どのような行動が必要とされるか」について、講演や、パネル討論、証言などが、24日まで続けられる。

(編集「カトリック・あい」)

2023年1月24日

☩教皇、ミャンマー、ウクライナのために平和の回復を強く祈る

(2023.1.22 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは22日の正午の祈りの中で、北西部の町チャンターで歴史的なカトリック教会と市街地が焼き尽くされたミャンマーはじめ、理不尽な攻撃で多くの人々の命が失われているウクライナ、ペルーなど世界の国々で続く悲惨な状況を改めて思い起こされ、これらの悲劇を引き起こしている暴力を強く非難。その終結と平和の回復を強く訴えられた。

 教皇はこの中でまず、14日にミャンマーのチャンターで起きた悲劇を取り上げるとともに、2021年春の軍事クーデター以来、この国の多くの都市で辛い試練の下に置かれている無実の市民らに思いを寄せられ、このような武力闘争が一刻も早く終わり、赦しと愛と平和の時代が訪れることを祈られ、聖ペトロ広場に集まった信者たちにも、ミャンマーのために聖母マリアの取次ぎを願う祈りを捧げるよう呼びかけられた。

また教皇は、世界で暴力による悲惨な状況に置かれている他の国々、特にロシアによる軍事攻撃で大きな人的、物的被害を受けているウクライナ、大統領辞任を要求するデモが激化し警官隊との衝突で多くの死者が出ているペルーなどの状況に強い懸念を示され、主の助けを慰めを祈り、関係者に対して改めて和平実現への緊急の努力を求められた。

 一方、少数派の英語圏地域でここ数年、政治や社会経済での差別的な扱いに対し抗議し権利拡大を求める人々への弾圧、治安部隊による武力行使で多くの犠牲者が出ていたカメルーンで、紛争解決に希望をもたらす動きが出ていることに注目され、和平協定の実施に関わるすべての人に、「対話と相互理解に努め、和平実現に粘り強く取り組むように。互いの出会いによってのみ、未来は共に構築することができます」と励ましの言葉を送られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年1月23日

☩「神の言葉は私たちに回心を呼び掛け、癒し、立ち上がらせる」ー神の言葉の主日ミサで

Sunday of the Word of GodSunday of the Word of God

 

*神の言葉はすべての人のために

 

 さらに、福音宣教の使命を果たされようとするイエスは「常に場所を移し、旅人であり、巡礼者であり、町や村を訪れ、人々に会い、人々を癒しておられます」とされ、「そのイエスの足は、神の愛の福音を告げ知らせる使者の足です」と指摘。

 また、「イエスが宣教を始められたガリラヤ湖畔の地域は、伝統的に人々の文化の交差点でした。このことは、イエスが神の言葉をイスラエルの人々に限定せず、すべての人に宣べ伝えるために、いかに”境界を広げ”ようとしたかを示しています」とされ、「イエスは、社会の片隅に置かれた人々に手を差し伸べたい、病人を癒したい、罪人を救いたい、失われた羊を集め、心が疲れ、抑圧されている人々を立ち上がらせたい、と希望されています。『神の憐れみは、すべての人に向けられている』と告げておられるのです。忘れてはなりません。神の憐れみは、すべての人の上にあるのです」と強調された。

 

 

*私たちの最優先事項は神の言葉を伝えること

 

 続けて教皇は、「神の言葉が、『すべての人に宛てられた贈り物』であるなら、それをイエスがなさったと同じように、私たち信者も”最優先事項”とせねばなりません。 そして、私たちの宣教は、すべての人に対して開かれた”広い心”をもって行われ、”閉じた心”を持った教会としての宣教が決してされないように」と注意され、「神の言葉を福音宣教の中心に置き、”境界”を広げ、人々に心を開き、主との出会いの経験を育むことを、イエスから学びましょう。神の言葉は、抽象的なあるいは静的な公式に包み込まれてはおらず、人と出来事、言葉と行動、発展と緊張からなる歴史の中で躍動する力を持っていることに気付きましょう」と信者たちに求められた。

 

 

*神の言葉は私たちを回心させる

 

 教皇はまた、「神の言葉は、回心するように、生き方を変えるように、すべての人に呼び掛け、その生命と勇気を与えるメッセージを聞いた後では、その場にとどまることができなくなるようなもの」とされたうえで、「御言葉は、私たちを危機に落とすことさえあり得ますが、悪徳と罪の内なる闇と私たちが戦わねばならない時に、神の善の光を見るのを助け、人生の中にそのための場を作るのを助けます。御言葉は、私たちに入るとき、私たちの心と思いを変えます。私たちを変え、私たちの人生を主に向けるように導きます… ここにイエスの招きがあるのです。神はあなたのそばに来られます。神の存在を認識し、神の言葉のために場所を空けてください。そうすれば、人生観が変わります」と説かれた。

 

*私たちは神の言葉を証しするよう召されている

 説教の最後に、教皇は「私たちは、私たちを布告者にする神の言葉を証しするように召されています。 イエスはガリラヤ湖の岸辺で、シモンとアンデレを弟子とし、『人間をとる漁師』とされました。同じように、私たちもまた、福音の喜びを宣べ伝える中で私たちの兄弟姉妹と出会うように呼ばれています」とされ、「これが御言葉の”強い力”ですー御父の愛の”網”に私たちを引き込み、自分たちが出会うすべての人を”王国の舟”に連れて行きたい、という抑えきれない欲求に突き動かされた私たちを使徒にするのです」と強調。

 「御言葉を宣べ伝えることは、私たちが日常生活の中で互いをどのように扱い、気遣うかについて証しをすることを意味し、私たちが誰であり、何をするかについてそれを具体化することを意味します… それが私たちの使命です。『離れて行った人、抑圧された人、落胆した人たちを探す人』になることです。御言葉には、慰め、人生を変える神の破壊的な宣言、神が私たちの父であり、私たち一人一人に話しかけてくださることを知る喜び、『兄弟姉妹に皆さん、神があなたがたのそばに来られましたました。聞いてください。そうすれば、神の言葉の中に驚くべき贈り物があることに気付くでしょう』と語ることの素晴らしさ、があります」と語られた。

 

*神の言葉を宣べ伝えるすべての人に感謝

 

 そして締めくくりに、神の言葉を人生の中心に据えて宣べ伝えているすべての人に深く感謝された。御言葉についての知識を深めた人々、御言葉を広めた司牧者たち、そして特にこの日のミサの中で、その資格を得て人々に敬意を表され、奉仕と犠牲を通して「神の言葉を深く思い、生き、宣べ伝える」ことで信徒たちを養うのを助けるすべての司祭、助祭に感謝され、このように祈られー「すべての人にとって、救いの言葉を宣べ伝える喜びが、慰めと報酬となりますように」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年1月22日

☩「福音を伝えないミサ典礼は”本物”ではない」ー教区典礼担当者研修の参加者たちに

Pope Francis with participants in the course for liturgistsPope Francis with participants in the course for liturgists  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 

*畏敬の念を取り戻す

 教皇はまた、ミサにおける崇敬の重要性を指摘。「小教区を訪れた典礼担当者は、”模範的なミサ典礼”を、小教区共同体が典礼の中で成長するために取り入れることができるようにできる必要があります」とされ、「小教区に出かけ、ずさんで、注意に欠け、準備が不十分なミサ典礼に直面したときに『何も言わない』ことは、小教区共同体を助けず、共に歩もうとしないことを意味します」と注意された。

 そして、「ミサ典礼で大事なことに一つは、『沈黙を守る』ことです。 教会では、ミサの前後に騒がしいことがあまりにも多い。ミサのもつ神秘に備え、心を合わせ、神の言葉を響かせるために必要なのは、静粛です。(言葉を交わし合うことで)友愛(を表現する)のは素晴らしい。しかし、私たちは、『沈黙』の意味をもう一度確かめ、大切にせねばなりません」と説かれた。

*典礼司式者の役割

 続けて教皇は、典礼の司式者の役割について、「diakonia、つまり奉仕すること、小教区共同体への奉仕において司教たちと協力すること」であり、「典礼の中心にいようとすると問題が起きます」と指摘。「”舞台裏”ですべてをまとめて行かねばなりません。儀式の主役ではなく、式をつかさどる者なのです。隠れていれば隠れているほどいい。目立たないほどいいのです」と語られた。

 また、司祭の典礼面での養成を含めた、典礼の進行担当者のもつ教育責任についても言及。「この役割は非常に重要」とされ、 第二バチカン公会議の典礼憲章を引用して、「聖職者の典礼教育に特別の配慮をすることが、何よりも必要です」(14項)と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年1月21日

☩ 「壁ではなく、地平線を見つめよ」WYDリスボン大会へ若者たちにメッセージ

 (2023.1.20 バチカン放送)

 教皇フランシスコが20日、今年8月に開かれるカトリックの若者たちの祭典「世界青年の日(WYD)リスボン大会」に向けて、若者たちにビデオ・メッセージをおくられた。大会は8月1日から8月6日にかけてポルトガルの首都リスボンで開かれる。

 教皇のビデオ・メッセージは以下の通り。

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 開催まで残り数か月、世界青年の日リスボン大会が近づいてきました。大会に参加するために、すでに40万人もの若者たちが申し込みをしています。これほど多くの若者たちがやって来ることは、うれしい驚きです。なぜなら、それは若者たち「参加を必要としている」ということだからです。「観光のために行くのだ」という方もいるかもしれません。でも、心の奥底には、参加することへの渇き、自分の経験を分かち合い、語りかけ、また他の人の経験から受け取ることへの願望があります。若者たちは地平線を求めています。

 すでに参加を申し込んだ40万人もの若者の皆さん、皆さんは地平線を求めているのです。この出会いで、この大会で、常に地平線を見ること、彼方を見つめることを学んでください。自分の人生の前に塀を築いてはなりません。塀は皆さんを閉じ込めてしまいますが、地平線は皆さんを成長させます。いつも地平線を目で、そして特に心で見つめてください。他の文化に、この大会に参加する他の若者たちに心を開いてください。

 地平を開き、心を開くこと、これに向かって準備してください。早くから申し込んでくれた皆さんに感謝します。他の人も、皆さんにならって参加することを願います。神が皆さんを祝福し、聖母が皆さんを守ってくださいますように。私のために祈ってください。私も皆さんのために祈っています。「壁ではなく、地平線」ーこれを忘れないでください。ありがとうございました。

(編集「カトリック・あい」)

2023年1月21日

☩「ウクライナのために祈って」ーミサイル攻撃で多くの犠牲者出したドニプロの悲劇に深い哀悼

ミサイル攻撃を受けたウクライナ東部ドニプロの集合住宅 2023年1月15日ミサイル攻撃を受けたウクライナ東部ドニプロの集合住宅 2023年1月15日 

(2023.1.18  バチカン放送)

  教皇フランシスコは18日の水曜恒例の一般謁見で、ウクライナ東部ドニプロの集合住宅への14日のミサイル攻撃で、子どもたちを含む多くの市民が犠牲となったことに、深い悲しみを表明された。

 そして、世界の人々に、「寄り添いと慰め、何よりも平和を必要とする苦しむウクライナのために祈って欲しい」と改めて訴えられた。

 「この悲劇の映像と証言は、すべての人の良心に強く訴えるものです。これを前に、無関心でいることはできません」と強調された。

(編集「カトリック・あい」)

2023年1月19日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」② 「教会は、迷い出た人たちを探すように求められている」

File photo of Pope Francis at the weekly General Audience

File photo of Pope Francis at the weekly General AudienceFile photo of Pope Francis at the weekly General Audience  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2023.1.18 Vatican News  Francesca Merlo)

   教皇フランシスコは18日の水曜恒例一般謁見で、先週お始めになった「使徒的熱意について」の講話を続けられ、「善い羊飼いーイエスに倣い、群れから迷い出ていった羊を”敵”と見なさず、主の喜びを証しする機会と見るように」と、すべての信徒たちに勧められた。

 

 

*イエスは常に「外に出ていく方」

 

 講話で教皇はまず、クリスマスの福音がイエスを「神の言葉」と定義していることに注目され、「この事実はイエスの本質的な側面、つまりイエスが常に『外に出ていく方」であることを明確にしています」と述べられた。

 そして、「御言葉は知らされ、伝えられるために存在し、キリストは命の言葉を持っておられるだけでなく、ご自分の生きざまを言葉にされています」とされ、「私たちは、福音を通して、特にイエスの祈りを通して、イエスと御父との親密さを見ています。そして、祈りの後に、イエスはすべての決断、重要な選択をなさいます。祈りを通して、イエスはご自分の使命を明らかにされるのです」と指摘。

 さらに、「イエスの奉仕は、常に他者に向けられています。『私は、仕えられるために来たのではなく、仕え、自分の命を与えるために来た』とご自分で言われたようにです」と語られた。

 

 

*「善い羊飼い」に倣う

 また教皇は、イエスが「善い羊飼い」と呼ばれていることについて、「福音は、イエスの使命が真に意味するものを表すのに役立つイメージを提供してくます」とされ、「”羊飼い”には、単にその役割を果たすだけでなく、時間と多くの献身が必要でした。 それは、1日24時間、群れと共に生きる、真の正しい生き方でした。そして、イエスは私たちのために命をくださったのです」と強調された。

 さらに、「使徒的熱意を鍛えようとするなら、迷い出ていった羊のことを常に考えねばなりません」とされ、福音で「迷い出た羊」についてイエスが語られた箇所で「私たちが知るのは、神が、羊を囲いの中に閉じ込めたままにしたり、群れから外れないように脅すことはされない、群れから離れたり、迷ってよそに行ってしまったら放っておかず、探しに出て行かれる、ということです」と説明。

 「神は、迷わずにいる 99 匹の羊たちを置いて、迷い出た羊を探しに出かけられる、というリスクを伴う不合理なことをなさいます。それは、自分のもとを去った人を惜しむ神の”司牧者の心”です。怒りや恨みではなく、 私たちへの純粋な思い、神の熱意です」と説かれた。

 

*群れを離れる人を見たら証しする機会に

 講話の最後に教皇は、人々に「私たちは、このような神と同じ思いを感じますか?」と問いかけられたうえで、「私たちの人生で、群れを離れたように見える人たちを”敵”と見なすことがあるかも知れません… だが、そうした人たちを愛し、決して忘れない父の喜びを、彼らに証言する機会とするように」と勧められ、「彼らにとって良い知らせがあり、私たちは、それを伝える名誉と重責を担っている。なぜなら、御言葉であるイエスが、私たちにそうすることを求めておられるからです」と教皇は強調しました。

 そして、祈りの中で、次のように締めくくられたー「私たちは、司牧者の心の恵みを願います。苦しみとリスクを引き受けるそのような愛なしには、自分たちだけを養うリスクを冒すからです」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年1月18日

☩「キリスト教一致と”シノドス”の道は繋がっている」ー教皇、世界代表司教会議総会を前に9月30日に「キリスト教一致の徹夜の祈り」

Pope Francis with ecumenical leaders at last year's Vespers for the conclusion of the Week of Prayer for Christian UnityPope Francis with ecumenical leaders at last year’s Vespers for the conclusion of the Week of Prayer for Christian Unity  (Vatican Media)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)

2023年1月16日

☩「自己の欲望への執着から自由になり、主に道を空けよう」教皇、年間第二主日正午の祈りで

Pope Francis during the Sunday AngelusPope Francis during the Sunday Angelus  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたヨハネ福音書の箇所(1章29‐34節)にある、洗礼者ヨハネの証しについて言及された。

 そこで、ヨハネはイエスに洗礼を授けた後、「私の後から一人の人が来られる。その方は私にまさっている。私より先におられたからである」と語っている。教皇は、「これらの言葉は、ヨハネの奉仕の精神を反映しています。ヨハネはメシアへのための道を整え、今、いつでも脇に寄れるようにしているのです」と説かれた。

 

*ヨハネは使命を達成すると、脇に引いた

 続けて教皇は、「洗礼者ヨハネには、イエスの福音宣教において『褒賞あるいは重要な地位を与えられた』と思う人もいるかもしれませんが、違います。ヨハネは自分の使命が達成されたことを知っていました。聖霊が降って来て、イエスにとどまるのを見、イエスが『世の罪を取り除く神の小羊』であることを証します。 ヨハネは人々に説教し、弟子を集め、導きましたが、誰にも縛られない、真の教育者であり… 彼は自分の仕事をしました。付いてくる者を増やしたり、成功を称賛されることには関心がなかった。証しが終わると、多くの人がイエスを会うことで喜びを得るように、脇に引いたのです」と語られた。

 

 

*自己の欲望への”執着”から自由になる

 さらに「ヨハネの奉仕の心と使命が達成された時に脇に引く能力は、”執着”から自由になることの重要性を示しています。人生において自分の地位に執着するのはたやすい。 尊敬されたい、報われたいという欲求をもつこと、 認めてもらいたいと思うことは自然ですが、自分の欲望に執着すると、奉仕は報酬を求めず、自分の利益を求めずに他人の世話をするのが、二の次になってしまいます」とされ、「私たちも、ヨハネのように”人生の基準”をイエスを証しすることに置き、適切な時に脇に引く美徳を養うのは良いことです」と述べられた。

 

 

*脇に引くべき時を知る

 また教皇は、人にはそれぞれが果たすべき役割がある、とされ、「他者をイエスへ導くために福音を説教し、秘跡を捧げる司祭。子孫が人生を受け継いでいけるように、多くの犠牲を払って子供育てをする親たち。 友人、カップル、共同体での生活の中で、教育を受け、参加し、あるいは歩みを共にする時に、いつも奉仕があり、自我に支配されたり、執着したりしないこと」などを例示された。そして、「自分を脇に引き、自我と願望への執着から自分を解き放つ時を知る」のはとても難しいことだが、「奉仕の精神をもって成長するために欠かすことのできないステップ」と強調された。

 最後に教皇は、「私たちの人生を振り返り、他者のために場を空けているか、彼らの声に耳を傾けているか、彼らの自由を認めているか、自分たちが彼らのためにしていることを認めるよう要求していないか、自分に問いかけるように」と勧められ、「自分の知っている人たちがそれぞれの道を歩み、召命に従うとき、たとえそれが彼らと離れねばならないことを意味するとしても、心から喜ぶ方法をあなたは知っていますか。彼らの業績を心から喜ぶことができますか」と問いかけられた。

 そして、「私たちが執着から解放され、主のために道を譲り、他者に場を空けることができますように」と聖母マリアに助けを願われた。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2023年1月15日

☩「神の愛の福音をもたらす『預言的な証人』となれ」-未来の司祭たちに

Pope Francis addressing the Pontifical North American College in Rome Pope Francis addressing the Pontifical North American College in Rome   (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

*司祭職への道は、”シノドスの道”

 また教皇は、司祭職への育成と準備の道は、”シノドスの道”を旅すること、とされ、「その旅の中で、あなたがたは、神の聖なる民をどのように助けるべきかを識別し、主の交わりの賜物を生き、宣教の弟子となるために、聖霊に耳を傾け、互いに耳を傾け合うことが求められいます」と強調された。

 さらに、洗礼者ヨハネと共にいた二人の弟子にイエスが会われた場面(ヨハネ福音書1章35‐42節)をもとに、司祭となるために不可欠な要素を三つ挙げられた。

*神との対話

 一つ目は対話。 教皇は、イエスに従った二人の弟子、アンデレとシモン・ペテロのように、神学校での育成を通じて、「主は、あなたがたと”個人的に対話”され、あなたがたが何を求めているのかを尋ねられ、来て見て、心から主と語るように、そして、信仰と愛で自信をもって神に身を委ねるように、勧められる」とされ、「イエスとの日々の関係を育み、特に祈り、神の言葉についての黙想、霊的な寄り添いの助け、”幕屋”を前にした沈黙の中でイエスに耳を傾けること、によって、育てられるのです」と語られた。

*神と神の民との交わり

 二つ目は、まず神との交わり、そしてキリストの体である教会で結ばれている人々との交わり。教皇は、ローマにおける司祭養成の過程で、「多様性の中に現れ、信仰の一体性に生きる教会の一致の謎」と「教会がそれを通して表現する慈愛の預言的な証し」の両方に目を向け続けるように、と勧められた。また、「助けを必要とする人々への教会の具体的に手を差し伸べる行為」は、「隣人の聖なる偉大さを知り、あらゆる人の中に神を見出し、神の愛により頼むことで、共に生きることのわずらわしさに耐えることのできる兄弟愛」(使徒的勧告「福音の喜び」92項)を育むために必要だ、と強調された。

*助けを必要とする人々に奉仕する使命

 そして3つ目は、他の人々、特に傷つきやすい人々や社会の周縁に追いやられている人々にイエスの福音を証しすること。 「今日の人々は、自分たちの疑問、心配、夢、に耳を傾けてくれるように、私たちに求めています。彼らに耳を傾けることによって、私たちは、全ての人に希望の火をともし、命を新たにしてくださる神に、彼らを導くことができるのです」と指摘。

 「あなたがたが既に関わっているさまざまな教育や慈善の使徒職を通じて、霊的、肉体的な慈悲の業を行うとき、あなたがたは、『常に前に進む教会』のしるしになると私は信じています(「福音の喜び」20項参照 )。イエスの臨在、思いやり、そして愛を、私たちの兄弟姉妹と分かち合うのです」と説かれた。

 教皇は講話の締めくくりとして、ローマでの学びで得た経験と教皇庁立北米神学校での育成によって、「神への忠実な愛と、私たちの兄弟姉妹への謙虚な奉仕において成長することができるようになるように」と祈られ、同神学校と米国の守護者である無原罪の聖母マリアに取次ぎを願われた。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年1月14日

◎教皇連続講話・新「使徒的熱意について」①「キリスト教徒の生活に”不可欠な酸素”だ」

Pope at General AudiencePope at General Audience  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2023.1.11 Vatican News  Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは11日の水曜恒例の一般謁見で、「使徒的熱意について」をテーマとした新たな連続講話を開始された。

 その中で教皇は「世界中の国と人々にキリストの光を当てるために、聖霊によって派遣された宣教の熱意を持ってキリストの教会がどのように誕生したか」を思い起され、「”使徒的熱意”は、キリスト教徒の生活のまさに”不可欠な酸素”、教会の霊的健全性」と強調された。

 教皇は、”使徒的熱意”に関して、使徒マタイが、イエスの弟子として活動を始めて間もなく、どのようにして友人たちにイエスについて説いたかについて語られ、 故ベネディクト16世教皇の言葉を引用して、「”使徒的熱意”は、『イエスの愛情深いまなざしと、弟子としてご自分に従うように、との呼びかけ』を他の人々と分かち合いたい、という喜びに満ちた願望をもとに、他者を改宗させることによってではなく、他者を引き付ける魅力によって、イエスを宣言すること」と語られた。

*福音宣教の情熱を保ち続ける

 そして、”使徒的熱意”とは、「福音宣教への情熱、教会にとって欠かすことができないものです。それは、イエスの弟子たちの共同体は、使徒的、宣教するものとして誕生したからです」と指摘され、「聖霊は、神の光が地の果てまで届くように、私たちをイエスの”次から次へ伝える証人”となるよう奮い立たせ、外へと向かうプロセスを形成します」と述べられた。

 また教皇は、「私たちには、福音の”良いたより”を分かち合おうとする”使徒的熱意”が弱まることがある。そして”信仰宣言の地平線”を見失うと、私たちのキリスト教徒としての生活は苦痛となり、あるいはその生活に閉じこもり、萎縮する可能性がある」が、「福音宣教の熱意を保つことが、キリスト教徒としての生活に”酸素”を供給し、活力を与え、浄化してくれます」と説明。さらに、聖書と教会の生きた伝統、教会の中に福音への情熱を再燃させた証人に目を向け、「福音宣教への情熱を再発見する旅」を始めるよう、勧められた。

*徴税人マタイがイエスに呼ばれた意味は

 続けて教皇は、マタイ福音書のイエスがマタイを弟子になさった箇所(9章9節)を取り上げ、この場面を、”憐れみの目”で「私に従いなさい」と言われたイエスの振る舞いをよく物語る例、とされ、「当時、パレスチナを支配していたローマ帝国の徴税人であったマタイは、住民たちにとって裏切り者と見なされていたでしょう。そのようなマタイを弟子にされることで、イエスは、男性も女性もすべての人が神に愛されていることを示されました」と説かれた。

 さらに、「マタイ福音書はこの箇所で、人々から軽蔑されていたこの徴税人を、イエスが『見て』ーマタイを慈悲の目で見てー弟子になるように言われました。それを受けて、マタイは『立ち上がり、イエスに従った』。彼は変えられ、不法に得ていたものを捨て、イエスを受け入れ、弟子としての人生、他者への奉仕に自分の人生を捧げることを受け入れたのです」と述べられた。

 そして教皇は、謁見に参加した信徒たちに「私たちが人をどのように見ているか」「過ちだけを見て人にレッテルを貼っていないか」を自問するように言われ、「マタイを呼ばれるイエスの眼差しは、マタイが立ち上がって、収税所を離れ、イエスに従うことに繋がります。 『立ち上がる』という動作は、『私に従い、他の人に仕えるように』というイエスの呼びかけに、マタイが、どのように進んで、情熱をもって応えたかを、象徴的に示しています」とされた。

*イエスの証しは、今、私たちの居るこの場所で始まる

 さらに「注目していただきたいのは、マタイが最初にしたことが、イエスを、徴税人や罪人が大勢集まっている食事に席にお連れし、皆にイエスを紹介することだった、ということです」とされ、「このことは、私たちがイエスを証しするのに、自分が”完全”になるまで、あるいは”長い道のり”を歩み終わるまで、待つ必要はない、ということ示しています。私たちのイエスの宣言は、今、私たちが住んでいる、この場所で始まるのです」と説かれた。

 最後に教皇は、「教皇ベネディクト16世が(2007年のラテンアメリカ・カリブ司教協議会第5回総会の開会ミサ説教で)語られたように、教会は他者をひたすら改宗することをしない、『他者を引き付ける魅力』によって成長するもの。この魅力的で喜びに満ちた証しこそ、ご自分の愛に満ちた眼差し、聖霊の私たちの心を立ち上がらせる外向きの働きをもって、イエスが私たちを導かれる目的地なのです」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)。

 

 

2023年1月11日

☩「核戦争の脅威、自由侵害の危機に直面する今、改めて平和構築への協力が求められている」外交団との年頭会見で

(2023.1.9  Vatican News  Salvatore Cernuzio)

   教皇フランシスコは9日、年頭恒例の在バチカン外交団との会見で、今年の世界のすべての人に関わる課題を列挙され、特にロシアによるウクライナにおける「無意味な」軍事侵略の即時停止とイランで問題になっている死刑の廃止に各国が努めるよう強く求め、また聖地イスラエルでの紛争、核戦争の脅威を高める(ロシアのプーチン大統領の)核兵器使用をほのめかす言動、中南米や中東での政治・社会的緊張、中絶を認める世界の動きなどを強く批判された。

*”第三次世界大戦”が起きている

 会見での講話で、教皇はまず現在の世界情勢に触れ、5 つの大陸で紛争と緊張が続いている地域に言及。 「今起きているのは、第三次世界大戦の 一形態であり、単に一地域に限定されたものではかく、世界全体を巻き込むもの」と指摘された。

*民主主義が弱体化している

 こうした状況の中で、「政治的、社会的な二極化が進み、多くの国で民主主義が弱体化しています」とされ、「共に平和を築き、民主的な政治、社会が再活性化するように努めましょう」とすべての人に呼びかけた。 また、 ペルー、ハイチ、そしてブラジルで8日に首相府や最高裁判所が暴徒化した人々によって攻撃、破壊されたように、「二極化がもたらす緊張と暴力に満ちた状況」が起きていると指摘。「党派的な考え方を克服し、共通の利益を促進するために働く必要がある」と強調された。

 

*中国協定

 また教皇は、教会内外からも批判が出ているバチカンと中国の、中国国内での司教の選任に関する暫定合意を取り上げ、「互いの敬意と建設的な対話の中で、カトリック教会の活動と中国の人々の生活のために、協力関係が強められることを願っている」と語られた。

*核の脅威

 プーチン露大統領の核兵器使用をほのめかす発言などで核戦争の危機が高まっているが、教皇は、1962年のキューバ危機で高まった核戦争の危機が続いていた1963年に、聖ヨハネ 23 世教皇が発出され、 60 周年を迎える回勅「Pacem in Terris(地上の平和)」を取り上げ、キューバ危機で「対話が可能であることが証明されていなければ、人類は絶滅の一歩手前だったでしょう…悲しいことに、今日も核の脅威が提起され、世界は再び恐怖と恐怖を感じています」と指摘。

 「核兵器の所持は不道徳なこと。ヨハネ23世が語られたように、『大火が何らかの偶然と予期せぬ状況によって開始される可能性』が否定できないからです」と述べ、「核兵器がもたらす危険性と、核戦争がもたらす悲惨な殺戮と破壊」を強く警告された。

 関連して、イランの核合意をめぐる交渉の行き詰まりについて特に懸念を表明し、「より安全な未来を確保するために、速やかな解決を望みます」と語られた。

 

*ウクライナ軍事侵略の即時停止を改めて訴える

 続いて教皇はウクライナ情勢に注目され、ロシア軍による「銃撃や暴力行為だけでなく、飢えや凍えるような寒さによって命を奪う電力、水道、ガズなど民間インフラへの攻撃」を強く非難。「この無意味な戦争の即時終結を改めて訴える義務が私にはある、と感じています。その影響は、世界のエネルギーと食料供給に深刻な影響を与えている」と批判した。

*イランの現状から、改めて死刑制度は容認できない

 教皇は、世界の他の地域にも目を向け、まず、スカーフのかぶり方をめぐり逮捕された女性が死亡したことを受けた全国的な抗議デモに関連して4人が死刑となっているイランに言及。「死刑は、抑止力にならず、被害者に正義をもたらすものでもない。復讐への渇望をあおるだけです。私は常に死刑の廃止を訴えています。イランにとどまらず、世界のすべての国の法律で、人の尊厳を否定する死刑は容認できません。人が最後の瞬間まで悔い改め、変わることができることを無視するわけにはいかない」とされた。

 

*シリア、そしてイスラエルの紛争解決

 また、貧困と経済制裁が続くシリアに注意を向け、「この国の再生は、憲法改正を含む必要な改革を通じて実現されねばなりません」とされた。隣接するイスラエルの聖地エルサレムでのパレスチナ人とイスラエル人の抗争の激化についても. 「エルサレムの現状維持が保証され、尊重されること」を求められ、「イスラエル、パレスチナ両政府が、国連のすべての関連決議と国際法に従って、二国による解決を図るために直接対話する勇気と決意を取り戻すように願っています」と強調された。

*アフリカ、コーカサス、中東における課題

 さらに教皇は、1月末から2月初めにかけて予定しているコンゴ民主共和国、南スーダン訪問に関して、訪問が両国の人々の平和につながるようにとの期待を表明。紛争が続く南コーカサスについても「停戦」を促し、「軍人および民間人の囚人の釈放」を求めた。 イエメンに関しては、停戦にもかかわらず、地雷で民間人に犠牲者が出ている問題を指摘。飢饉など人道危機にあるエチオピアに対しての援助強化を各国に求めた。

 また、スーダン、マリ、チャド、ギニア、ブルキナファソで進行中の平和安定への移行プロセスが「国家の正当な願望を尊重して」行われることを期待して、ブルキナファソ、マリ、ナイジェリアの人々が経験している危機について懸念を表明された。

 アジアについては、「2年にわたって暴力、苦しみ、死を経験している」ミャンマーと、「大きな成果を達成するために善意と協力が求められている朝鮮半島」の情勢に懸念を表明され、韓国、北朝鮮のすべての人々に平和と繁栄があるように願われた。

 

*軍事バランスの論理は正当化されない

 ロシア、中国、そして北朝鮮などで核兵器など軍備の増強の動きが強まり、その脅威から自国を守るための西側諸国などの軍備強化の動きをもたらしているが、教皇は「すべての紛争は、新しく、より洗練された武器の生産に継続的に依存することの致命的な結果であり、軍事力のバランスを確保しなければ平和は保証できない、という論理によって正当化されることがある」と述べ、「”死の道具”が増殖しているところに、平和はあり得ません。軍事バランスの発想を改め、完全な軍縮に向けて動く必要があります」と訴えられた。

 

*女性の尊重

 「平和の糸を新たに織り上げる」ために、教皇は、「真実、正義、自由、連帯から再び出発する」よう促され、 まず第一に、「私たちは人間の生命と身体に対する権利を尊重せねばなりません」とし、 これは特に、今日でも多くの国で「二級市民」と見なされている、あるいは「暴力や虐待を受け、勉強、仕事、才能のある雇用、医療、食事へのアクセスの機会を否定」されている女性に関わる問題です」と指摘。「女性は、社会生活に独自の貢献をし、平和の最初の味方になることができる」と強調された。

*中絶は認められない

 そして、「平和は、私たちに命を守ることを求めます。そして今、小さな命が、妊娠中絶の権利の主張によって、母親の子宮内でさえもしばしば危険にさらされています」と、中絶に強く反対され、「特に無力で完全に無防備な人、最も弱い人々の権利を守り、病者、身体障害者、高齢者にも影響を与える”使い捨て文化”と戦うように」と求められた。

*生命の恐怖

 また、関連して、今、多く人に「生命への恐れ」が生じている、とされ、「これは、子供をこの世に生み出し、家族を作ることへの恐れにつながる。結果として、 イタリアなどでは出生率の危険な低下が起きています。生命への恐れは無知と偏見によって助長され、容易に葛藤へと落ち込みます」と警告された。

*教育は恐怖の解毒剤

 そのような恐怖に対する解毒剤は教育、と教皇は指摘され、「教育においては、その人、その生まれ持った環境に完全な敬意を示すこと、そして混乱した見方を押し付けるの避ける必要があります」と注意された。そして、「アフガニスタンの女性に起こっているように、国民の一部が教育の対象から除外されることは容認できません」とされ、「教育のための公的支出と軍備への支出との間のアンバランスを逆転させる勇気をもっていただきたい」と各国に強く訴えられた。

*信教の自由を守らねばならない

 教皇はまた、信教の自由が世界中で守られるよう強く求められた。「公に信仰を告白したという理由だけで、世界各地で人々が迫害されていることを憂慮しています。キリスト教徒が少数派でない国でも起きている」と述べられた教皇は、「信教の自由は、尊厳のある生活様式の最低限の必要条件の 1 つです。各国政府には、この権利を守り、各人が共通の利益と両立する方法で確実に行動できるようにする義務があります。 公共の場や専門職の遂行においても、自分の良心に従って行動する機会を享受できるようにせねばなりません」と訴えられた。

 そして、「宗教は、さまざまな人々や文化の間の対話と出会いのための真の機会を提供します」とされ、2019 年にアブダビで署名された「人類の友愛に関する文書」を引き合いに出された。

*多国間主義の重要性

 続けて教皇は、「対話とともに、現在の分断された世界が必要としているのは正義であり、それは、ウクライナでの紛争が明らかにしたように危機に瀕している多国間主義につながります」と指摘。「多国間主義が効果的に機能することで、すべての人々の求めていることを真に代表し、一部に重きを置いて他の人に損害を与えるのを避け、”連合”を作るのではなく、すべての人が対話のパートナーになる機会を提供できます」と語られた。

*イデオロギーの植民地化を避けよ

 教皇は、移民・難民の受け入れと軍縮を支持する、あるいは貧困と気候変動と闘う「賞賛に値するイニシアチブ」を取り上げ、「多くの人が力を合わせることで、大きな利益を上げることができます」と強調。

 その一方で、 「最近では、さまざまな国際的な場で二極化が進んでおり、一方的な考え方を押し付けようとする試みが行われています。それによって、対話が妨げられ、物事の見方が異なる人々がわきに追いやられている。 リスクは、”イデオロギー的全体主義”の中に生じています」と指摘され、「そのような動きは、”進歩”の担い手のように見えて、実際には、特定の立場に異議を唱える人々に対する不寛容を助長し、思想の自由と良心の自由を侵害して、人類を破壊することにつながる」と批判された。

 これは、教皇フランシスコがこれまで”イデオロギー的植民地化”と指摘されたもので、「そうした動きを進める者たちは、経済援助の提供とそのようなイデオロギーを受け入れさせることを直接結びつけてしまう。 そして、国際関係に緊張をもたらし、権力の地盤を築いていくのです」と注意された。”イデオロギーの植民地化”の悪については、先に顕在化したカナダにおけるカトリック教会の運営施設での先住民の子弟虐待に関して、教皇は、昨年のカナダ訪問で原住民の人々の痛みを直接体験されている。

 

*移民・難民を助ける連帯の共有を

 講話の最後に教皇は、参加者たちを通して世界の国々に「連帯の共有」を求められ、「新型コロナウイルスの世界的な大感染が私たちに示したように、誰も一人で自分を救うことはできません。私たちは互いに強く結びついた世界に住んでおり、それぞれの行動が結局は、すべての人に影響を及ぼします」 とされた。

 そうした経験をもとに、移民・難民問題についても、より大きく、より焦点を絞った取り組みを行うよう求められた。「移住は、何もせずに進められる問題ではない。地中海で移民・難民の人々の失われた命は”文明の難破”を象徴しています」とされ、「欧州においては、新たな協定を通じて、移民・難民と亡命者の受け入れに関する枠組みを強化し、適切な政策を実施することが急務となっています」と語られた。

*あらゆる形の労働搾取と戦うこと

 また、世界において「ビジネスと仕事において働く人々の尊厳を回復し、労働者を商品として扱うあらゆる形態の搾取と闘うこと」「パキスタンで起きたような気候変動が荒廃をもたらす影響などを考慮し、”共通の家”のために共に働くこと」を訴えられた。

*私たちの隣人、兄弟姉妹

 そして、「平和の構築には、他国の自由、主権、安全を侵害する余地がないようにすることが必要です。平和の構築は、すべての共同体において、隣人を『喜びをもって受け入れる兄弟姉妹』ではなく、『攻撃すべき敵』と見なす”抑圧と攻撃の文化”があたりまえでない場合にのみ可能なのです」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年1月10日

☩「子どもたちにまず、『祈ること』を教えて」恒例の乳幼児洗礼式で

 (2023.1.8 バチカン放送)

  「主の洗礼」の祝日の8日、教皇フランシスコはシスティーナ礼拝堂でのミサ中に、乳幼児の洗礼式を行われた。

  教皇による乳幼児の洗礼式は、毎年「主の洗礼」の祝日の恒例の宗教行事。この日、受洗したのは、バチカン職員の子どもたち13人。主役の乳幼児と、両親と小さな兄弟たち、そして受洗者の信仰の歩みを支える代父母らが集い、緊張のうちにも、家族的温かさのあふれる洗礼式が行われた。

 ミサは、「みことばの典礼」とそれに伴う説教を教皇が行い、「洗礼の典礼」では、教皇が乳幼児に洗礼を授け、コンラート・クライェフスキ枢機卿が聖香油の塗油と白衣の授与をした。また、後半の「感謝の典礼」は同枢機卿によって行われた。

 教皇はミサの説教で、「私たちをキリスト者として生まれ変わらせた洗礼の日は、誕生日と同じ意味を持ちます」とされ、子どもたちにこの「新しい誕生日」の日付を覚えさせ、毎年この日を思い出して感謝することを教えるように、親たちに勧められた。代父母たちには「子どもたちが自分の道を歩んでいくようになるとき、前に進んでいけるよう、見守り助けて欲しい」と希望された。

 さらに、子どもたちに最初に教えるべきことは「祈ること」と強調され、「祈ることと、祈る際の動作や態度を覚えるように、また良いことがあれば神に感謝し、辛いことがあれば神に励ましを求めることを学ぶように、また聖母に祈り親しむ習慣をつけるように」と、大人たちに願われた。

 そして、教皇は、乳幼児たち一人ひとりの名を呼びながら、頭に聖水を注ぎ、洗礼を授けられた。

(編集「カトリック・あい」)

2023年1月9日

☩「神の正義とは、深い憐れみと慈しみから御心そのもの」-「主の洗礼の主日」正午の祈りで

教皇フランシスコ 2023年1月8日(日)のお告げの祈り教皇フランシスコ 2023年1月8日(日)のお告げの祈り  (ANSA)

(2023.1.8 バチカン放送)

 教皇フランシスコは「主の洗礼」の祝日の8日、正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書のイエスがヨルダン川のほとりでヨハネから洗礼を受ける場面(3章13-17節)を取り上げ、次のように語られた。

 教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 「主の洗礼」を祝う今日、福音書は私たちに驚くべき光景を見せてくれます。ナザレ での隠れた生活から、イエスが初めて公の場に姿を現わされたのです。

 イエスはヨハネから洗礼を受けるために、ヨルダン川のほとりに来られました。そのイエスが罪人たちの間に混じっている姿を見て、私たちは驚き、自問します。「神の聖なる人、罪のない、神の御子イエスは、なぜこのような選択をされたのか」と。

 答えは、イエスのヨハネに向けた言葉の中にありますー「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」(マタイ福音書3章15節)。「正しいことをすべて行う」とは、何を意味しているのでしょうか。

 イエスは洗礼を受けることで、私たちに、神の正義を啓示されます。イエスは、それをこの世にもたらすためにやって来こられたのです。

 私たちはしばしば、正義について狭い考えを持つことがあります。「正義とは、過ちを犯した人がその報いを受け、そうして犯した過ちを償うことだ」と考えがちです。そうではありません。神の正義は、聖書が教えるように、ずっと大きなものです。

 神の正義は、「過ちを犯した人を罪に定めること」を最終目的とするのではなく、その人の「救いと再生、その人を義とすること」を目的としています。それは愛から、神の御心そのものである深い憐れみと慈しみから来る正義です。御父は、私たちが悪に押しつぶされ、罪と弱さに打ちひしがれているのを見て、憐みをもよおす方です。

 すなわち、神の正義とは、罰や懲らしめを振り撒くことではなく、使徒聖パウロが言うように( ローマの信徒への手紙3章22-31節参照)、ご自分の子らを、悪の罠から解放し、癒し、再び立ち上がらせ、義とされること、にあるのです。

 これによって、ヨルダン川のほとりでイエスが啓示された使命の意味を、理解することができるでしょう。イエスは神の正義を完成するために来られました。神の正義とは、罪人を救うことでした。ご自分の肩に世の罪を背負われ、私たちが溺れないように、奈落の底、死まで降りて来られたのです。

 イエスは、真の神の正義とは「救う慈しみ」「私たち人間が置かれた状況を分かち合い、寄り添う愛」「私たちの苦しみとの連帯」「私たちの闇の中に入り、光を再びもたらすこと」であると教えてくださいます。

 ベネディクト16世はこう強調しておられますー「神は私たちをお救いになろうと、自ら死の深みの底まで降りられました。すべての人、たとえ、もう空を見ることができないほど低いところまで落ちた人でも、神の御手を見出し、それにつかまり、闇から抜け出し、再び光を見ることができるようになるためでした。人は、光のために造られているからです」(2008年1月13日の説教)。

 私たち、イエスの弟子たちは、他者との関係、また教会や社会で、「人を良い人と悪い人に分け、裁き、罪に定める冷たさ」ではなく、「兄弟姉妹が立ち上がれるように、その傷や弱さを分かち合い、受け入れる慈しみ」をもって、正義を行うよう求められています。「分け隔てる」のではなく、「分かち合う」のです。

 私たちはイエスのように行わねばなりません。互いに分かち合い、重荷を背負い合い、慈しみをもって見つめ合い、助け合うのです。自分を振り返ってみましょう。「私は分裂させる人か、それとも、分かち合う人か」と。

 聖母マリアに祈りましょう。聖母は、私たちが再び命を受けるために私たちの弱さの中に入られるイエスを、お産みになりました。

(編集「カトリック・あい」)

2023年1月9日

☩「戦争で子供たちを亡くしたウクライナとロシアの母親たちのために祈ろう」8日の正午の祈りで

Christmas celebration in UkraineChristmas celebration in Ukraine  (AFP or licensors)

At the conclusion of Sunday’s Angelus, Pope Francis remembers Ukrainian and Russian mothers who have lost their children because of the war. He asks everyone to remember to pray them, for all those suffering, and for an end to the war.

Pope Francis asked everyone to remember our suffering brothers and sisters in Ukraine where the war continues to take its toll where people are struggling without electricity and heat, a Christmas marked by war. We must never forget them, he emphasized.

Pray for Ukrainian and Russian mothers

Recalling that during this time, we focus especially on the Blessed Mother and her Child, whom she nursed and raised, we cannot help but think of the mothers who have lost their children in this war, both Ukrainian and Russian mothers.

He asked everyone to pray for the mothers who have lost their children, soldiers in this war on both sides, recalling how this is the tragic price of war, for which we must pray for an end and a stop to all suffering.

2023年1月8日