☩「自己の欲望への執着から自由になり、主に道を空けよう」教皇、年間第二主日正午の祈りで

Pope Francis during the Sunday AngelusPope Francis during the Sunday Angelus  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたヨハネ福音書の箇所(1章29‐34節)にある、洗礼者ヨハネの証しについて言及された。

 そこで、ヨハネはイエスに洗礼を授けた後、「私の後から一人の人が来られる。その方は私にまさっている。私より先におられたからである」と語っている。教皇は、「これらの言葉は、ヨハネの奉仕の精神を反映しています。ヨハネはメシアへのための道を整え、今、いつでも脇に寄れるようにしているのです」と説かれた。

 

*ヨハネは使命を達成すると、脇に引いた

 続けて教皇は、「洗礼者ヨハネには、イエスの福音宣教において『褒賞あるいは重要な地位を与えられた』と思う人もいるかもしれませんが、違います。ヨハネは自分の使命が達成されたことを知っていました。聖霊が降って来て、イエスにとどまるのを見、イエスが『世の罪を取り除く神の小羊』であることを証します。 ヨハネは人々に説教し、弟子を集め、導きましたが、誰にも縛られない、真の教育者であり… 彼は自分の仕事をしました。付いてくる者を増やしたり、成功を称賛されることには関心がなかった。証しが終わると、多くの人がイエスを会うことで喜びを得るように、脇に引いたのです」と語られた。

 

 

*自己の欲望への”執着”から自由になる

 さらに「ヨハネの奉仕の心と使命が達成された時に脇に引く能力は、”執着”から自由になることの重要性を示しています。人生において自分の地位に執着するのはたやすい。 尊敬されたい、報われたいという欲求をもつこと、 認めてもらいたいと思うことは自然ですが、自分の欲望に執着すると、奉仕は報酬を求めず、自分の利益を求めずに他人の世話をするのが、二の次になってしまいます」とされ、「私たちも、ヨハネのように”人生の基準”をイエスを証しすることに置き、適切な時に脇に引く美徳を養うのは良いことです」と述べられた。

 

 

*脇に引くべき時を知る

 また教皇は、人にはそれぞれが果たすべき役割がある、とされ、「他者をイエスへ導くために福音を説教し、秘跡を捧げる司祭。子孫が人生を受け継いでいけるように、多くの犠牲を払って子供育てをする親たち。 友人、カップル、共同体での生活の中で、教育を受け、参加し、あるいは歩みを共にする時に、いつも奉仕があり、自我に支配されたり、執着したりしないこと」などを例示された。そして、「自分を脇に引き、自我と願望への執着から自分を解き放つ時を知る」のはとても難しいことだが、「奉仕の精神をもって成長するために欠かすことのできないステップ」と強調された。

 最後に教皇は、「私たちの人生を振り返り、他者のために場を空けているか、彼らの声に耳を傾けているか、彼らの自由を認めているか、自分たちが彼らのためにしていることを認めるよう要求していないか、自分に問いかけるように」と勧められ、「自分の知っている人たちがそれぞれの道を歩み、召命に従うとき、たとえそれが彼らと離れねばならないことを意味するとしても、心から喜ぶ方法をあなたは知っていますか。彼らの業績を心から喜ぶことができますか」と問いかけられた。

 そして、「私たちが執着から解放され、主のために道を譲り、他者に場を空けることができますように」と聖母マリアに助けを願われた。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2023年1月15日