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☩教皇、南スーダン訪問2日目:「あなたがたには、アフリカのために死ぬ覚悟のある勇敢な精神が求められている」司教、司祭、修道者たちに

(2023.2.4 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
南スーダンを訪れている教皇フランシスコは、訪問2日目の4日午前、首都ジュバの聖テレジア大聖堂で、この国の司教、司祭、助祭、修道者など教会関係者と集いを持たれ、講話の中で、「アフリカのために死に、苦しむ覚悟のある勇敢で寛大な精神が求められている」ことを強調された。
教皇はこの集いの後、バチカン大使館で現地のイエズス会士たちと私的な会合を持ち、午後には市内のフリーダム・ホールで国内避難民たちとお会いになり、さらに、ジョン・ガラン霊廟で、同行中の英国国教会のカンタベリー大主教、スコットランド国教会の総会議長と共にエキュメニカルな祈りを捧げられた。
*多くの命が打ち砕かれている
講話の中で、教皇は、前日の南スーダンの大統領はじめ各界代表との会見での講話で話された、この国を流れるナイル川の水のイメージを思い起され、「 聖書の中で、水はしばしば創造における神の活動と結びつけられる。神の憐れみは荒れ野をさまよう人々の渇きを癒し、その慈しみは罪の沼に落ちた人々を清め、洗礼の水は聖霊において人を新たにし、聖なるものとします」と語られた。
そして、「同じ聖書の観点から、ナイル川の水をもう一度見てみたいと思います」とされ、「バビロンの川のほとり そこに座り、私たちは泣いた シオンを思い出しながら」と詩編(137章1節)にあるように、「その大河の水は、あなたがたの共同体の、ため息と苦しみ、打ち砕かれた多くの命の痛み、故郷を出た人々の悲劇、多くの女性や子供たちの心と目の中にある悲しみと恐怖を集めています」と嘆かれた。
*「自分がすべての中心にいる、と思うな」
また、「解放と救いの物語」であるモーセの物語、神の民を砂漠の中で目的地に導いた物語を思い起こされ、「戦争、憎しみ、暴力、貧困で傷ついた土地で、私たちが神の奉仕者であることの意味を自問しましょうーこの土地の、無実の血に濡れた川のほとりに沿って、私たちに委ねられた人々の涙で汚れた顔の中で、どのように私たちの使命を果たすことができるのか?」と司教、司祭、修道者たちに問題提起された。
この問いに答えるために、教皇は彼らに、モーセがとった 2 つの振る舞い、つまり「従順」と「取り次ぎ」を考えるよう促された。そして、「従順」について、「モーセの従順、神の働きかけに対する従順な対応は模範的ですが、いつもそうだったと考えてはなりません」とされ、初めに、モーセが「自分の力で不正と抑圧に立ち向かおうとした」ことを指摘。
「モーセの過ちは、自分自身を中心に置き、自分の力だけに頼っていたこと」であり、「人間のやり方の中で最悪のやり方にとらわれたまま、暴力には暴力で対応したこと」と語られ、聖職者たちに対して、「自分がすべての中心にいると考える傾向に陥らないように」と警告された。
*「私たちが成し遂げるすべては主からのものだ」
教皇はさらに、「教会として、人々の苦しみやニーズへの答えを、お金、賢さ、権力などの人材を通じて見つけることができる、と考えること」に警告され、「私たちが達成することはすべて神から来ている。神は主であり、私たちは神の手の従順な道具になるように召されています。これが私たちの使命を果たすために必要な『従順』であり、『驚きと謙虚さをもって神に近づき、神に引き寄せられ、神に導かれ、優位性が神のものであることを理解する準備ができていること』なのです」と強調。
そして、「主に引き寄せられ、主と共に祈りの時間を過ごし、毎日神の奥義に近づきましょう。そうすることで、神は、私たちのプライドと過度の野心の”枯れ木”を焼き払い、私たちに世話を任せられたすべての人の旅の仲間にしてくださいます」と説かれた。
*「人々のために”手を汚す”教会となれ」
続いて教皇は、モーセの振る舞いの第二の側面である「取り次ぎ」に目を向けられ、「神の前でのモーセの『従順さ』が、人々のための『取り次ぎ』を可能にし、彼らを神に近づけます」とされ、「私たちの第一の義務は、『完全に組織化された教会』になることではなく、キリストの名において、『人々の困難な生活の真っ只中に立つ教会』『人々のために手を汚すことを厭わない教会』になることです」と強調。司教、司祭、修道者など聖職者たちに、「人々と共に働き、共に歩むこと」「名声を決して追い求めないこと」を強く求められた。
さらに、「『個人主義』や『党派的利益』を追求する誘惑を取り除くためにあらゆる努力を払う」よう促され、「教会の司牧者が人々と交わることができず、協力できず、無視さえすることが、いかに悲しいことか」と注意された。
そして、「相互の尊重、親密さ、実際的な協力を育むように」と促され、「私たちが自分で出来ないことを、どうして、他の人に説教できるでしょうか?」と問いかけられた。
*基本的権利の侵害、「キリストに対する侮辱」
続けて教皇は、「取り次ぎ」について、モーセの手を見るように言われ、「聖書は、この点に関して私たちに神と民との仲介者であるモーセの3つのイメージー杖を手にしたモーセ、腕を広げたモーセ、両手を天に上げたモーセーを提供していること」に注意を向けられて、「杖を手にしたモーセの預言者としての言動、民の間で働かれる神の業を示すモーセの広げた腕、民が罪に陥るたびに神との間を取り持つために祈り、天に向けて上げられるモーセの手を注視するように」と促された。
そのうえで、聖職者たちに、「兄弟姉妹の皆さん。取り次ぎをする司牧者となることを希望するなら、不当な行為や暴力による苦痛の前に中立を保つことはできません。 男女の基本的権利を侵害することは、キリストに対する罪です」と言明。
また、腕を広げたモーセは、「聖書が、モーセが海の上に手を伸ばした、と述べていることを思い起こさせます。兄弟姉妹の旅を支えるために、私たちの腕を兄弟姉妹に差し伸べる必要がある」と説かれ、「私たちの手が聖霊をもって油注がれたのは、神聖な儀式のためだけでなく、人々を麻痺させ、自分自身に閉じこもらせ、恐れさせるものから去らせるよう、励まし、助け、共に歩むためなのです」と強調された。
*「福音を証しするために命を捧げる」
「両手を天に上げたモーゼ」について、教皇は「モーセは最後まで人々と共に立ち、彼らのために手を挙げました。彼は自分一人で救おうとは考えていませんでした。彼は自分の利益のために人々を売ることはしませんでした!」と強調。「取り次ぐ者がなすべきことには、人々のもがき、争いを祈りの中で神の前に導き、彼らのために赦しを得、神の憐れみの中で和解を進めることが含まれます」と明言された。
そして、「愛する皆さん。これらの預言者の手、伸ばし、挙げられた手は、多大な努力を必要とします。預言者、仲間、仲介者になること、神がご自身の民のそばにおられることの神秘を、私たちの活動で示すことは、自分の命を犠牲にする可能性があります」とされ、「実際に、これまで多くの聖職者や修道者が暴力や攻撃の犠牲となり、命を落としています。非常に現実的な方法で、彼らは福音のために命を捧げたのです」と指摘。
「彼らの兄弟姉妹と深い関わりは、彼らが私たちに残した素晴らしい証しであり、使命をさらに前に進めるように、私たちを促す遺産です」と強調された。
*「アフリカのために苦しみ、死ぬ覚悟がある勇敢で寛容な精神が必要」
関連する形で、聖ダニエレ・ コンボーニと、彼が宣教師の兄弟たちと共に南スーダンで行った偉大な福音宣教の業を思い起こされ、聖人が「宣教師はキリストと福音のために、いかなることもする覚悟ができていなければならない」と言っていたことを指摘。「私たちは、アフリカのために苦しみ、死ぬ覚悟がある勇敢で寛容な精神を必要としているのです」と訴えられた。
最後に教皇は、カトリック教会を代表して、多くの試練と苦難の中で南スーダンの聖職者たちが行っているすべてのこと、特に彼らの献身、勇気、犠牲、忍耐に感謝され、彼らが「祈りと愛のみで武装した、常に寛容な司牧者、証人であり続ける」ように祈られ、「聖母マリアがあなたがたを守ってくださるよう祈ります。私のためにもお祈りください」と述べられた。
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南スーダンの人口に対する各宗教の信者の割合は、カトリックが720万人と総人口の約半分を占め、プロテスタント約20%、イスラム教約10%、残りが伝統宗教などとなっている。カトリック教会は7教区と、10人の司教を持つ。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用日本語訳は「聖書協会・共同訳」による)
☩南スーダン訪問初日:「流血を止めよ、今が平和構築の時だ」-大統領はじめ各界代表者たちに
*「私は和解と平和の巡礼者として来た」
*指導者たちに電話で直接訴える
また教皇は、この会見の後、南スーダンの闘いの先頭に立っている政治指導者たちに直接電話をかけ、「この若い国の父母たちは、自分の息子たち、娘たちにとって必要な平和と繁栄な源として、社会の在り方を刷新するよう求められています。彼らに必要なのは”覇者”ではなく、父親です。 絶え間ない崩壊ではなく、発展に向けた着実な歩みが求められているのです」と強調。
さらに、「この国の誕生に続く時代、辛い子供の時代が、平和な成熟につながりますように」と願われ、「あなたがたが奉仕するように召された人々の利益のために働くなら、彼らの息子たち、娘たち、そしてこの国の歴史に、あなたがたが記憶されることになる。未来の世代は、あなたの現在の行動に基づいて、あなたの名前を崇敬するか、記憶から消し去るかを判断するでしょう」と忠告された。
*「これ以上の流血、紛争、暴力、非難の応酬はあってはならない!」教皇は、大統領と副大統領に対して、直接、語りかけ、「人々が和平実現を渇望する中で、これ以上の流血、紛争、暴力、そして、誰にその責任があるかについての非難の応酬、破壊はあってはならない。平和を構築する時です! 戦争の時代を終わらせ、平和の時代を迎えましょう!」と強く訴えられた。
そのうえで、「自分たちを真に公的な存在、人々のための存在として見るように」と勧められ、「 国家を主宰し統治する責任を任された人々は、公益に奉仕する義務があります。共同体社会に奉仕すること。それが権力の目的でなければならない」と強調。
「自分の利益のために権力を利用したいという誘惑」に陥ること、「この国の豊かな資源を少数の者で占有」しようとすることに対して警告され、「豊かな資源はすべての人のためのものと認識されるべきであり、経済再建は、富の公平な分配と共に行われる必要があります」と強く求められた。
*「民主主義の根底は自己表現の自由、自由無くして正義はない」
また講話の中で教皇は、この国の民主主義の在り方についても言及され、「民主主義の根底にあるのは、法と、法によって支持される人権、特に自己表現の自由に対する権利の尊重。自由無くして正義はありません」と言明。
南スーダンの平和への道が惰性によって行き詰まらないように希望され、「今こそ、言葉から行動に移行する時。 ページをめくる時。緊急に、切望されている変革に取り組む時です」と指導者たちに呼び掛け、「平和と和解のプロセスには新たなスタートが必要です。 和平合意とロードマップを進める上で、理解が得られ、和平への歩みが進展しますように!」と希望された。
さらに教皇は、「数多くの分裂と紛争によって傷ついた世界の中で、この国が『平和へのエキュメニカルな巡礼』を主催する国となったことは、とても有意義なこと。これは”方向転換”を意味します」とされ、「南スーダンが、穏やかな海で航海を再開する機会、二枚舌や日和見主義なしに対話を始める機会をもたらすでしょう。すべての人にとって、希望を取り戻す機会となりますように。憎しみ、部族主義、地域主義、民族の違い、という”汚れた水”に流されるのをやめる時が来たことを、国民一人ひとりが理解するようにしてください。今が、 未来に向かって一緒に航海する時です!」と強く願われた。
*「暴力、怒り、恨みから解放される唯一の道は『出会い』にある」
教皇はまた、出席者に対して、互いに敬意を払い、対話、出会いの道を歩むよう呼びかけ、「あらゆる形態の暴力の背後には怒りと恨みがあり、あらゆる形態の怒りと恨みの背後には、癒されていない傷、屈辱、そして過ちの記憶があります」とされ、「これらから解放される唯一の方法は、『出会い』です。他の人を兄弟姉妹として受け入れ、一歩後退することになるとしても、彼らのために場所を空けることです」と促された。
*「和平に向けて、若者と女性の役割が重要だ」
そして、このような態度は、あらゆる和平プロセスと社会の一致した発展にとって不可欠であり、「若者たちは、対立の蛮行から『活力ある出会いの文化』に移行するうえで、て重要な役割を担っています」、また「女性にも基本的な役割があり、政治生活と意思決定プロセスに一層、関与する必要があります」と指摘された。
*「分裂、暴力の土壌となる貧困の撲滅へ戦って」
「未来の世代のために被造物を大切にする必要性」にも言及され、特に、暴利をむさぼるための森林破壊と闘う必要性を強調されるとともに、「資金の不公平な分配、金稼ぎの裏取引、利権政治、透明性の欠如」などの問題を挙げ、これらの腐敗を撲滅するために行動するように、憎しみ、分裂、暴力の土壌となる貧困と戦うように、と促された。 さらに、「どの文明国においても、国民、特に最も脆弱で不利な立場に置かれた人々をケアすることが差し迫った課題となっていますが、南スーダンにいる何百万人もの避難民についても、私の頭にあります」とされ、「紛争や強制移動の結果、家を追われ、生活の限界に追いやられている人は何人いることでしょう!」と嘆かれた。
*「これ以上、“死の道具”は必要ない!」
また紛争、戦争の裏にある活発な武器取引について、「不正な武器取引が国際条約で禁止されているにもかかわらず、南スーダンを含む地域の多くの国に武器が流れ続けている」とし、「この国には、これ以上、”死の道具”は必要ありません!」と訴えられた。
*「子供たちには、武器や労働の道具でなく、ノートや玩具を手に成長する権利がある」
教皇は、南スーダンの政治指導者たちに、「適切な医療政策の策定、重要な社会インフラ整備の必要性、識字率の向上と教育の促進」を求められ、「アフリカ大陸と世界のすべての子供たちと同じように、南スーダンの子供たちも、武器や労働のための道具ではなく、ノートや玩具を手に持って成長する権利を持っているのです」と強調された。
*「南スーダンに和解と方向転換をもたらすように共に祈り、支える」
講話の最後に教皇は、参加者たちに向かって、「これまで私が申し上げた言葉のいくつかは、粗野で露骨な印象を皆さんに与えたかも知れません」とされたうえで、今回の平和の巡礼を行う兄弟たちと共に、南スーダンが和解と方向転換を実現できるよう、心からの祈りと支えを約束され、次のように締めくくられた。
「この国の命にかかわる進路が、暴力の洪水に圧倒されないように、腐敗の沼地に飲み込まれないように、貧困の氾濫で歩みを妨げられることのないように。 この地を愛する天の主が、この地に平和と繁栄の新しい季節を与えてくださいますように」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
☩教皇コンゴ訪問4日目:「和解と平和の預言者としての使命を果たせ」ーコンゴの司教たちに
*コンゴの人々の現状に、キリストは苦しんでおられる
教皇は講話の初めに、2022 年 7 月に予定されていたコンゴ訪問が延期されたことで、司教たちに 2 度の準備をさせたことを詫びられたうえで、「コンゴの人々の信仰を築き上げ、この国の広く緑豊かな森の中で『創造の美しさ』を守る司教たちの使命」について話された。
そして現在、コンゴの人々が受けている「試練」に言及し、「十字架につけられ抑圧され、無慈悲な暴力で打ちのめされ、無実の苦しみで傷つけられたキリストのように、コンゴの人々は社会の汚職と不正の汚れた水と共に暮らし、貧困に苦しむことを余儀なくされている。このようなコンゴの人たちの歴史の中で、イエスは苦しんでおられるのです」と説かれた。
*人々の傷に触れ、神が傍におられることを伝えよ
続けて教皇は、「神が傍におられること、人々への預言」について語られ、「人々が”善き羊飼い”に引き寄せられるように、神が傍におられることに慰めを見出すように」と司教たちに促された。さらに、「司教たちの中に存在する、権力と自己を誇るすべての”飾り”」を非難し、「そのような振る舞いは、祈りの中でキリストとの関係を無視するように導くことになります」と警告された。
そして、「神の傍にいることを大切にするとき、私たちは人々を引き付けていると感じ、私たちのケアに信頼を寄せる人々に、いつも慈しみを感じることでしょう」とされ、「あなたがた司教たちの司牧活動は、コンゴの人々が『屈辱と抑圧』から解放されるように、彼らの傷に触れ、神が傍におられることを伝える者でなくではなりません」と、司教たちに強く促された。
*不正を根絶する預言者であれ
教皇は次に、「預言」に目を向けられ、「あなたがたは、人々を神に導くことができるように、預言を受け入れる必要があります。神の言葉は、内に燃える火であり、私たちを前に進めます! ですから、これが司教としての私たちの姿です。私たちは、神の言葉によって火を点けられ、使徒的熱意をもって、神の民に向かって送り出されたのです」と指摘。
「倒錯と不正に満ちた世界の真っ只中に、歴史の新しい章を築くのを助けるために、神が、あなたがたを預言者として召されたのです。憎悪、恨み、暴力の毒は、汚職や搾取とともに社会から根絶されなければなりません」と訴えられた。
*預言と”政治”を混同するな、御言葉を宣べ伝えよ
また教皇は、「預言を”政治活動”と混同してはなりません」と注意され、「なぜなら、司教たちは、御言葉を宣べ伝え、良心を目覚めさせ、悪を非難し、傷心して希望を失っている人々を励ますように、求められているからです」と説かれた。
そして、司教たちに対して、「司祭や司牧者の傍にいて、赦しと福音の単純明瞭さの良い模範を示す」ように勧められ、「神との対話をおろそかにしたり、権力とのあいまいな関係や自己満足の惰性で日々を過ごしたりすることで、預言の炎が消えないように」と忠告された。
*資源搾取、紛争、暴力のただ中で慈しみと和解の証人であれ
講話の最後に教皇は、司教たちに、故クリストフ・ムンジヒルワ大司教を模範として見習うように促され、「資源の搾取や民族や部族間の紛争だけでなく、何よりも神と人の敵である邪悪な者たちの闇の力によって解き放たれた暴力のただ中にあって、慈しみと和解の証人であってください」と強く求められた。
*注:ムンジヒルワ大司教は、1926年にコンゴのブハレに生まれ、1958年に司祭叙階、1995年5月に同国東部のブカブ大司教となった。コンゴで続く戦乱を強く批判し、人権を「神がお与えになった、譲ることのできない人類の特性」と訴え続け、精力的に活動した。 1996 年 10 月 29 日夜、大司教館からイエズス会の学校に車で向かう途中、国境を越えて侵攻してきた隣国ルワンダの軍隊に襲われ、射殺され、翌日夕方に神学生たちが現場に到着するまで、人気のない通りに放置された。現在、バチカンで列福のための調査が行われている。(「カトリック・あい」)
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
☩教皇、コンゴ訪問3日目:「闇の中のともし火であれ」ー教会関係者との出会いで
(2023.2.2 バチカン放送)
コンゴ民主共和国訪問中の教皇フランシスコは2日午後、首都キンシャサのカテドラルで、司祭、修道者などカトリック教会関係者との出会いを持たれた。
同国の宗教人口は、キリスト教徒約80%、イスラム教徒と伝統宗教それぞれ約10%から構成されており、カトリック教会の信者は、人口の約半分を占めている。5000万人近いカトリック信者を擁する同国は、アフリカ大陸の中で最大のカトリック国として知られる。
2日午後、「コンゴの聖母」に捧げられたキンシャサのカテドラルには、司祭、助祭、修道者、カテキスタらが集った。聖堂の周辺にも多くの信者たちが詰めかけ、教皇を熱心に歓迎した。カテドラルに到着した教皇は、聖堂入り口で差し出された十字架に接吻し、聖堂内にある歴代のキンシャサ大司教らの墓前で祈られた。
教会暦で「主の奉献」を祝い、「世界奉献生活の日」を記念したこの日、教皇は講話で、「祈りと、清貧、内的自由、常なる育成の大切さ」を強調された。そして、「司祭や奉献生活者が、人々に奉仕する代わりに、自分自身に奉仕するなら、その司祭生活・奉献生活は無味乾燥なものとなるでしょう」と警告。
「司祭であること、奉献生活者であることは、ある種の社会的地位を得るためでも、自分の家族に優遇を与えるためでもありません。それは、キリストの現存のしるし、キリストの無条件の愛と、和解をもたらす赦し、貧しい人々をいたわる慈しみを証しするという使命のためなのです」と説かれた。
さらに教皇は、司祭生活・奉献生活を害する3つの誘惑ー「霊的なまぬるさ」「世俗的安穏」「表面的にとどまること」に注意を向け、「霊的危機に打ち勝つための深い内的な祈りや、富や世俗にとらわれない簡素さと内的自由、表面的な信仰にとどまらないための霊的・神学的育成、福音への情熱」の必要を強調された。
また、「キリストを証しするには言葉だけでは十分でなく、生き方をもってそれを示すべきです」と述べ、「イエスの後に従い、闇の中に常に光るともし火のように、人々に寄り添いと慰めをもたらして欲しい」と教会関係者たちに求められた。
(編集「カトリック・あい」)
☩コンゴ訪問3日目:「憎しみあいや腐敗に抵抗し、より良い未来を築くのは君たちだ」若者たちとの集会で(Crux)

(2023.2.2 Crux Senior Correspondent Elise Ann Allen)
キンシャサ発=コンゴ訪問3日目の2日午前、教皇フランシスコは首都キンシャサの殉教者スタジアムで若者たち、カテキスタたち約6万5000人と集いを持たれ、「憎しみ合いや政治・社会の腐敗に抗し、共同体社会、祈り、奉仕に基礎を置くことで、より良い未来を築くのは、君たちです」と強調された。
教皇はこの集いで、若者たちに自分の手を見るよう呼びかけ、「神は命という贈り物、社会の未来、この偉大な国の未来をあなたの手に委ねた」と語れられた。
「自問してみてください、自分の手は何のためにあるのですか? 建てるためか、壊すためか、与えるためか、つかむためか、愛するためか、それとも憎むためか?」と問いかけられ、手を握り、こぶしにするのでなく、手を広げて他の人に差し出すように勧められた。
そして、「今と異なる未来を夢見る若者たち。あなたがたの手から明日は生まれる。 あなたの手から、この世界に欠けている平和が、もたらされる可能性がある」と励まされた。
コンゴは何十年にもわたる紛争で悪名が高く、何百万人もの死者と避難民を生んでいる。また、豊かな天然資源が生み出す富、中でもその産出国としてこの国を有名にしているダイヤモンドが国民の間に大きな格差をもたらしている。教皇は前日の1日、同国の東部地域の暴力的な紛争の犠牲者、彼らを支援するさまざまな慈善団体のメンバーと面会され、彼らの苦しみの経験を共有された。
2日は、若者やカテキスタとの集いの後、バチカン大使館でサマ・ルコンデ首相と会談し、キンシャサのカテドラルで司祭、修道者などカトリック教会関係者と会合、夜には、バチカン大使館でイエズス会の会員たちと私的な集まりに出席される。
(続き=バチカン放送)
若者らに自分たちの手を開いて見つめるよう促された教皇は、「神は、皆さんの手の中に命の賜物を、社会とこの偉大な国の未来を置かれました」と話された。
「皆さんの手は、小さく、弱く、空っぽで、そのような大きな使命には向かないと思いますか?ここで気づいて欲しいことがあります。誰の手も、他の人の手とは同じではないということです。あなたの手が、他の誰とも同じではないこと、それはあなたが独自のかけがえのない豊かさを持っているということです」
「この手で何ができるかを考えてみましょう。築くことですか。それとも壊すことですか。与えることですか、あるいは独占することでしょうか。手を握り締めると拳になります。また、手を開いて、神と人々のために奉仕することもできます。そこに本質的な選択があるのです」
「今とは異なる未来を夢見る若者たち、あなたの手から明日が生まれ、あなたの手からこの国に欠けている平和が生まれるかもしれないのです」
教皇はこのように語りかけた後、自らの手で未来を作り出すために何が具体的に必要かを若者たちに助言された。
未来を作る要素を5本の指に、たとえた教皇は、その5つの要素「祈り」「共同体」「誠実さ」「赦し」「奉仕」の大切さについて、一つひとつ説明された。
「祈り」(親指)は抽象的に見えるが、最も重要なものであり、常に新しい状況に心を開き、怖れを克服させ、自分たちが万能ではないことを思い出させる、と教皇は指摘。自分だけで何でもできると思う者は、根のない大木と同じで、立ち続けることができない。祈りと神の御言葉に根を張ることで、毎日深いところから成長し、実をつけ、汚れた空気をきれいなものにすることができる。祈りは木を成長させる「魂の水」である、と語った。
「共同体」(人差し指)の大切さについて教皇は「自分のことだけを考える生き方は一見魅力的でも、それはエゴイズムに満ちた偽の天国に過ぎず、いつかは心に大きな空洞を作ってしまいます」と述べ、一人ひとりが教会や国、また他者にとって、不可欠で、責任ある存在であることを思い出させた。
「誠実さ」(中指)はキリストを証しする者にとって本質的なものと述べた教皇は、誠実、正直であるとは、社会の腐敗の罠に陥らず、聖パウロが言うように、悪に負けず、善をもって悪に打ち勝つことであると話し、「腐敗に『ノー』と言おう」と若者たちに呼びかけた。
「赦し」(薬指)は、他の要素(他の指)と比べて、最も上げることが難しいもの、と教皇は指摘。「しかし、弱さの中の力こそが、前進させる力となり、人を赦すことを助ける」、「赦すとは忘れることを意味せず、それが繰り返されないようにと諦めないことである」と説いた。教皇は、自分を傷つけた人のことを沈黙のうちに考えるようにと、若者たちを1分間の沈黙へと招き、「神の御前でのこの沈黙から、赦しは生まれる」と語った。
「奉仕」(小指)は、「その小ささ、自ら小さくなるという態度ゆえに、神を惹きつけるもの」と教皇は述べ、「奉仕は世界を変える力」であると話された。教皇は、会場のカテキスタたちの日頃の奉仕に感謝を表すと共に、「奉仕する者は、自らを小さくする」と説かれた。
教皇は、「決して、失望してはいけません。失望にとらわれた時は、福音書を手に取ってください。イエスが皆さんに力を与えるでしょう」と、コンゴ民主共和国の若者たちに大きな励ましを与えられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」)
☩「あまりの残虐さに言葉を失う… それでも暴力と”あきらめ”に『ノー』と言おう」コンゴ東部紛争の被害者との集いで
*「私はあなたがたのそばにいる」
彼らが訴えた惨状に、教皇は「あなたがたが自分の目で見、実際に経験された非人道的な暴力を聞いて、強いショックを受けています。言葉を失いました。 私たちは黙って泣くしかありません」と強い共感を示された。
教皇は、この国の東部を訪問することを希望されていたが、安全上の理由から実現しなかったが、「 あなたがたの痛みは私の痛み。 神の慈しみと愛をあなたがたにお届けしたい」と語られた。
そして、「神の名の下において弾劾します… 武器による暴力、虐殺、強姦、村の破壊と占領、畑と牛の略奪… そしてこの国の地の富の、殺人的で違法な搾取。 国、そして支配するために国を断片化しようとする試みを」と強調された。
*「戦いを扇動する者たち、武器を捨てよ!」
さらに、すべての人々、特にコンゴ民主共和国で戦いを扇動している人々に対して、「 武器を捨てなさい。戦いを終わらせなさい!もう沢山です! 貧しい人たちを犠牲にして金持ちになるのをやめ、血に染まった資源とお金で金持ちになるのをやめなさい!」と強く訴えられた。
*「暴力と”あきらめ”に『ノー』と言おう!」
また教皇は、会衆に、「平和を促進するために私たちに何ができるでしょうか」「どこから始めればいいでしょうか」と問いかけられ、その答えとして「『ノー』と言う2つの方法と『イエス』と言う2つの方法からやり直す」ことを提案された。
「ノー」について教皇はまず、「いつでも、どこでも、暴力に『ノー』と言わなければならない」とされたうえで、「暴力に『ノー』と言うということは、暴力行為を避ける以上のことを意味します。貪欲,ねたみ,そして何よりも憤りを含む暴力の根源を断つことが含まれます」と指摘。
この出会いに出席した暴力の被害者に対して「あなたがた勇敢な証人」と述べ、彼らが提案したように、振る舞うことを皆さんにもにお願いしたい」と希望された。
もう一つの「ノー」について、教皇は、「『あきらめること』に、『ノー』と言うように」と、全ての人に向けて呼びかけられ、 「特に、コンゴ民主共和国に住むすべての人に、諦めずに、より良い未来を築くことに全力を尽くすよう、改めて呼びかけます」として次のように呼びかけられた。
「この国の東部地域でも、平和は可能です! このことを信じましょう! そして、平和の実現を他の人に委ねず、共に働きましょう」。
*「和解と希望に『イエス』と言おう!」
次に「イエス」について、教皇は、まず、「『和解』に対する『イエス』」から始められ、出会いに出席した被害者に向けて、互いを赦し、「違いを解決する手段としての戦争」を拒否することに努めたい、という強い願いもっていることを称賛された。
そして、「キリスト教の預言的な声とは、悪には善で、憎しみには愛で、分裂には和解で対応することを意味します」とされ、「 これらすべては、悪よりも強力です…なぜなら、現実を外側から破壊するのではなく、内側から変えるからです。イエスが十字架上でなさったように、自ら進んで悪の責任を負い、その愛によって悪を変容させることによってのみ、私たちは悪を打ち負かすことができるのです」と説かれた。
最後に、教皇は「決定的な『イエス』、希望への『イエス』」を強調。「 希望には、源泉がある。それはイエスです。 イエスのおかげで、悪はもはや命に勝るものではありません」とされ、イエスが死と墓に打ち勝ったことを、改めて指摘され、次のような、コンゴ東部地域の人々への呼びかけと激励で締めくくられた。
「コンゴ東部の兄弟姉妹の皆さん、希望は皆さんのためのものであり、皆さんにはそれを得る権利があります。 しかし、それはまた、平和の種を日々、根気強くまくことによって獲得しなければならない権利でもあります。 平和の種をまくことは、私たちにとって良いこと。それは個人的な利益を求める心の狭さから私たちを解放し、日々の人生に意味を与えてくれます。 それは私たちの人生に自由を加味し、希望の種をまく忍耐強い神に、もっともっと似せてくれるのです」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
☩「暴力の連鎖、憎悪の糸を断ち切る”平和の宣教師”となれ」コンゴ・キンシャサでのミサで
☩教皇、コンゴ民主共和国訪問開始ー「紛争と外国勢力の経済的植民地主義がこの国を荒廃させている」
(2023.1.31 VaticanNews Lisa Zengarini)
*コンゴの人々はダイヤモンドよりも貴重
会見での講話で教皇は、まず、今回の訪問の趣旨について「カトリック教会あげての親密さ、愛情、慰めを皆さんにお伝えしたい、という願望か、和解と平和の巡礼者として、こちらに参りました」と説明された。
そのうえで、コンゴ民主共和国を同国が恵まれた天然資源のうちでも貴重なダイヤモンドになぞらえ、「コンゴの人々は、この実り豊かな土地で見つけられるどんな宝よりも無限に貴重な存在です」とされ、「天然資源の豊富さを超えて、人々の心は平和と発展を生む精神的な宝です」と強調。「暴力と憎しみが誰の心にも唇にも広がらないように。暴力と憎しみは非人道的で、キリスト教に反する感情であり、国の発展を妨げ、暗い過去に私たちを引き戻します」と警告された。
*貴重な”ダイヤモンド”を輝かせる教育への投資
教皇は、この国の教育にも触れ、「コンゴでは、いまだに多くの子供たちが、学校に通う代わりに鉱山で搾取され、奴隷労働にさらされている」と嘆かれ、「最も貴重な”ダイヤモンド”を輝かせるために、教育に投資する必要が緊急に求められています。子供、少女、そしてすべての若者は、未来への希望を体現しています。その希望を押しつぶさず、情熱を持って若者たちを育てていきましょう!」と呼び掛けられた。
*勇気ある社会再生に取り組むように
講話の最後に、教皇は、自然環境を保護する「被造物の良き管理者」になるという共通の責任を指摘され、アフリカ人の生活を改善するための長期的な国際支援の必要性を強調された。また、コンゴの人々に対して、「落胆」や「辞任」に屈するのではなく、彼らの国の「勇気ある包括的な社会的再生」に従事するよう促され、次のように締めくくられた。
「希望の神、あらゆる可能性の神であり、常に私たちに新たに始める力を与えてくださるキリストの名において、この素晴らしい土地の最も貴重な”ダイヤモンド”の尊厳と価値の名において。 私は、すべての人が勇気を持って包摂的な社会再生に着手することを強く求めたいと思います」
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教皇の講話に対して、フェリックス・チセキディ大統領は演説で、すべてのコンゴ国民を代表して、教皇がこの国の状況に常に示してきた関心、「東方諸州の平和への熱烈な祈り」に対して感謝を述べ、これらの地域からの国内避難民の代表団に教皇が会われることを感謝した。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
☩「祈りと共に見守ってほしい」ー教皇、アフリカ2か国歴訪に出発
(2023.1.31 Vatican News )
教皇フランシスコは現地時間31日朝(日本時間同日夕)、ローマ・フィウミチーノのITA-Airways機 で、コンゴ民主共和国、南スーダン歴訪の旅に出発された。このフライトには、教皇と 随員、70 人以上の同行記者が搭乗、現地時間同日午後3時(日本時間午後11時)に首都キンシャサの国際空港に到着の予定。
(2023.1.29 バチカン放送)
教皇フランシスコは29日の正午の祈りで、31日からのコンゴ民主共和国、南スーダン歴訪を前に、「紛争で長い間苦しんできた両国のために祈り、見守ってほしい」と願われた。
教皇は、バチカンの聖ペトロ広場に集まった地元ローマ教区の「カトリック・アクション・平和キャラバン」に参加する少年少女たちに対して、感謝を述べながら、「特に苦しむウクライナと同国の人々のために、私たちの平和への働きかけと祈りを、いっそう強めましょう」と呼び掛けられた。招かれた。
また、教皇は、31日からのコンゴ民主共和国と南スーダンへの司牧訪問に言及され、両国の政府、教会関係者、そして国民に出発前の挨拶をおくられた。そして、コンゴ民主共和国の特に東部での武力衝突、南スーダンの長い戦争がもたらした多くの避難民と人々の困難な生活に触れながら、紛争のために苦しんできたこれらの訪問国の情勢を説明。
同時に、イングランド国教会のカンタベリー大主教、スコットランド国教会の総会議長と共にする南スーダン訪問は、「平和のためのエキュメニカルな巡礼」の体験となるだろう、と期待を示され、信者たちにも「このアフリカ2カ国訪問を祈りと共に見守ってください」と語られた。
(編集「カトリック・あい」)
☩「”霊において貧しい人”となるため、”使い捨て文化”に打ち勝たねばならない」-年間第4主日の正午の祈りで

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
☩「同性愛者であることは罪でないが、結婚以外の性行為は罪」-教皇、LGBTQ推進のイエズス会士に手紙

(2023.1.28 Vatican News)
教皇フランシスコが先のAP通信とのインタビューで「同性愛者であることは犯罪ではない」と語ったことが一部関係者の間で”誤解”を生んでいるが、教皇は28日、米国のLGBTQ(性的少数者) コミュニティで活動しているイエズス会のジェームズ・マーティン神父に手紙を送り、「結婚以外のすべての性行為は罪」というカトリックの教義に変わりはないことを確認された。
マーティン神父は、AP通信との最近のインタビューでの教皇の発言について、教皇あてに手紙を書いており、それに教皇が答えたもの。文脈から、この手紙で教皇が同性愛について語っているのは明白だが、この場合、対象としているのは、「同性愛の行為」であり、「同性愛」そのもの、ではない。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
☩「私たちは皆、同じキリストの体の一部だ」教会一致祈祷週間の終わりの晩課で
*神が共におられればすべてが可能
続けて教皇は「主は、私たちの過ちを診断した後で、それを正すよう求められます… 神と自分の中に潜む暴力を理解できないために、私たちは自分自身を自由にすることができません。神なしには、神の恵みなしには、私たちは自分の罪を癒すことができません」とされたうえで、「神の恵みが私たちの変化の源です(…)。 自分だけでは成功できないが、神が共におられれば、可能です」と強調。
そして、「回心がどれほど共同体的で教会的であるか」を思い起こされ、「すべてのキリスト教徒が共に、視点を変えることに心を開くように」、そして「世界中のすべての信者が聖霊によって互いに交わり合っており、聖ヨハネ・クリソストム(3世紀から4世紀初めにかけて生きたコンスタンチノーブル司教)が書いているように『ローマに住む者は、インドに住む者が同じ体の一部であることを知っている』ことを再発見するように」と願われた。
最後に、教皇は、今回のこの交わりの旅に感謝され、またカトリック教会のシノドスの旅に多くのキリスト教徒が関心を持ち、参加してくれていることに感謝を述べられた。そして、「キリストが望まれる完全な一致に向けて、祈り、奉仕、対話、協力を通じて成長し続けるように」と参加者に呼びかけ、晩課に参加したすべてのキリスト教共同体に感謝の意を表されたー「主が私たちの前に置かれた道、一致の道を共に歩もう」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
☩「愛に根差した真理に従い、心を込めて話す」ー5月の「世界広報の日」に向けてメッセージ
(2023.1.24 バチカン放送)
教皇フランシスコが24日、カトリック教会の「第57回世界広報の日」に向けたメッセージを発表された。「世界広報の日」は、様々な形のメディアを通して行う福音宣教について、教会全体で考え、祈ることを目的とするもので、毎年、聖霊降臨の前週の日曜日、今年は5月21日に、日本の教会では復活節第6主日(5月14日)に行われるが、教皇のメッセージは、毎年、ジャーナリストの保護者、聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日である1月24日に発表されることになっている。
これまでの「来て、見なさい」、「心の耳で聴く」などのテーマに続き、今回のメッセージで、教皇は「『愛に根差した真理に従い』心を込めて話す(エフェソの信徒への手紙4章15節参照)」(仮訳)を選ばれた。そして、「行く、見る、聞くように、私たちを動かすのは心。心が、開かれた受容的なコミュニケーションを行わせます」とされ、「耳を傾けること」を学んだ後、「対話と分かち合い」を発展させた「心のこもったコミュニケーション」「愛に根差す真理に従った会話」を学ぶよう促された。
また、「イエスは、『木はそれぞれ、その結ぶ実によって分かる』(参照 ルカ福音書6章44節参照)、『善い人は良い物を入れた心の倉から良い物を出し、悪い人は悪い物を入れた倉から悪い物を出す。人の口は、心からあふれ出ることを語る』(同45節)と語っている」とされ、「ですから、私たちが『愛に根差した真理』に従って語るためには、自らの心を清める必要があります。純粋な心で聞き、話してこそ、私たちは外見の奥にあるものを見、混乱した騒音を克服することができるのです」と説かれた。
*心を込めて伝える
さらに、「『心を込めて伝える』とは、読む人、聞く人に、今日の人々の喜びや恐れ、希望や苦しみに対する私たちの分かち合いを理解してもらうこと。そのように話す人は、相手を大切に思い、その自由を尊重します」と語られた。このようなコミュニケーションのために、イエスが十字架上の死を遂げた後、エマオへ向かう弟子たちに話しかけた不思議な「旅人」を模範として示され、「復活されたイエスは、悲しみにくれるむ弟子たちに、尊重をもって歩調を合わせながら、心を込めて話しかけられます。弟子たちは、その『旅人』との会話で『心が燃える』( ルカ福音書24章23節)のを感じたのです」とされた。
そして「分極化や対立の構図が目立つ今の時代に、教会共同体もその影響を受けていないとはいえません。そうした中で『心から』『両腕を広げた』コミュニケーションの努力は、情報にたずさわる方々だけでなく、すべての人の責任でもあります。私たち皆が、真理を語り、それを愛をもって行うよう求められているのです」と強調された。
*よく話すためには、よく愛するだけで十分
また教皇は、「心を込めて話す」ことの最も輝ける模範を示した人として、帰天400年を迎えた聖フランシスコ・サレジオ司教・教会博士を挙げられ、この聖人の「柔和で、人間性にあふれ、反対者をも含むすべての人と忍耐強く対話する姿勢は、神の慈しみの愛のすばらしい証しとなった」ことを思い起こされた。
「心は心に語る」という同聖人の言葉は、世代を超えた多くの人に影響を与え、その一人、ジョン・ヘンリー・ニューマンは、この言葉をモットーに選んだ。教皇は、このメッセージで、ニューマンの「よく話すためには、よく愛するだけで十分である」という言葉を引用されている。
教皇は、聖フランシスコ・サレジオの「私たちが伝えるのは、私たちそのものだ」という言葉に触れつつ、「今日のソーシャルメディアが、『ありのままの自分』ではなく、『かくありたい自分』を伝えるために利用されている」と指摘。この「優しさの聖人」から、「真理を勇気と自由をもって語り、物々しい攻撃的な表現を用いる誘惑を退けること」を学ぶよう勧められた。
*共に歩む中で心を込めて話す
続けて教皇は、「教会においても耳を傾け、また耳を傾け合うことの必要が大いにあります」とされたうえで、「心に灯をともし、心の傷に塗る香油となり、兄弟姉妹たちの歩みの光となるコミュニケーションの構築」を急務として示され、「聖霊に導かれた、親切で、同時に預言的な、第三千年期にふさわしい新しい福音宣教の在り方を見い出し得る、教会のコミュニケーション」の実現を、強く望まれた。
*平和の表現を推進し、”魂の武装”を解く
さらに教皇は「穏やかに語る舌は骨をも砕く」という箴言の言葉(25章15節)を取り上げ、「『心を込めて話す』ことは、戦争のある所に平和の文化を推し進め、憎しみと敵意が荒れ狂う所に対話と和解の道を開くために、強く求められています」と強調。「世界的な紛争を生きる今日の厳しい状況において、対立的でないコミュニケーションを確立することが求められています」と訴えられた。
そして、「対話に道を開き、統合的な軍縮を進め、闘争的な心理状態を解くことに努力する伝達者の必要」を説きつつ、聖ヨハネ23世の言葉ー「真の平和は、ただ相互の信頼のもとにのみ築くことが可能です」(回勅「地上に平和を」61項)を示しておられる。
(編集「カトリック・あい」)
◎教皇連続講話「使徒的熱意について」③「キリストに従う人々にとって、毎日が恵みの時」
