☩教皇コンゴ訪問4日目:「和解と平和の預言者としての使命を果たせ」ーコンゴの司教たちに

*コンゴの人々の現状に、キリストは苦しんでおられる

 教皇は講話の初めに、2022 年 7 月に予定されていたコンゴ訪問が延期されたことで、司教たちに 2 度の準備をさせたことを詫びられたうえで、「コンゴの人々の信仰を築き上げ、この国の広く緑豊かな森の中で『創造の美しさ』を守る司教たちの使命」について話された。

 そして現在、コンゴの人々が受けている「試練」に言及し、「十字架につけられ抑圧され、無慈悲な暴力で打ちのめされ、無実の苦しみで傷つけられたキリストのように、コンゴの人々は社会の汚職と不正の汚れた水と共に暮らし、貧困に苦しむことを余儀なくされている。このようなコンゴの人たちの歴史の中で、イエスは苦しんでおられるのです」と説かれた。

*人々の傷に触れ、神が傍におられることを伝えよ

 続けて教皇は、「神が傍におられること、人々への預言」について語られ、「人々が”善き羊飼い”に引き寄せられるように、神が傍におられることに慰めを見出すように」と司教たちに促された。さらに、「司教たちの中に存在する、権力と自己を誇るすべての”飾り”」を非難し、「そのような振る舞いは、祈りの中でキリストとの関係を無視するように導くことになります」と警告された。

 そして、「神の傍にいることを大切にするとき、私たちは人々を引き付けていると感じ、私たちのケアに信頼を寄せる人々に、いつも慈しみを感じることでしょう」とされ、「あなたがた司教たちの司牧活動は、コンゴの人々が『屈辱と抑圧』から解放されるように、彼らの傷に触れ、神が傍におられることを伝える者でなくではなりません」と、司教たちに強く促された。

*不正を根絶する預言者であれ

 教皇は次に、「預言」に目を向けられ、「あなたがたは、人々を神に導くことができるように、預言を受け入れる必要があります。神の言葉は、内に燃える火であり、私たちを前に進めます! ですから、これが司教としての私たちの姿です。私たちは、神の言葉によって火を点けられ、使徒的熱意をもって、神の民に向かって送り出されたのです」と指摘。

 「倒錯と不正に満ちた世界の真っ只中に、歴史の新しい章を築くのを助けるために、神が、あなたがたを預言者として召されたのです。憎悪、恨み、暴力の毒は、汚職や搾取とともに社会から根絶されなければなりません」と訴えられた。

*預言と”政治”を混同するな、御言葉を宣べ伝えよ

 また教皇は、「預言を”政治活動”と混同してはなりません」と注意され、「なぜなら、司教たちは、御言葉を宣べ伝え、良心を目覚めさせ、悪を非難し、傷心して希望を失っている人々を励ますように、求められているからです」と説かれた。

 そして、司教たちに対して、「司祭や司牧者の傍にいて、赦しと福音の単純明瞭さの良い模範を示す」ように勧められ、「神との対話をおろそかにしたり、権力とのあいまいな関係や自己満足の惰性で日々を過ごしたりすることで、預言の炎が消えないように」と忠告された。

*資源搾取、紛争、暴力のただ中で慈しみと和解の証人であれ

 講話の最後に教皇は、司教たちに、故クリストフ・ムンジヒルワ大司教を模範として見習うように促され、「資源の搾取や民族や部族間の紛争だけでなく、何よりも神と人の敵である邪悪な者たちの闇の力によって解き放たれた暴力のただ中にあって、慈しみと和解の証人であってください」と強く求められた。

*注:ムンジヒルワ大司教は、1926年にコンゴのブハレに生まれ、1958年に司祭叙階、1995年5月に同国東部のブカブ大司教となった。コンゴで続く戦乱を強く批判し、人権を「神がお与えになった、譲ることのできない人類の特性」と訴え続け、精力的に活動した。 1996 年 10 月 29 日夜、大司教館からイエズス会の学校に車で向かう途中、国境を越えて侵攻してきた隣国ルワンダの軍隊に襲われ、射殺され、翌日夕方に神学生たちが現場に到着するまで、人気のない通りに放置された。現在、バチカンで列福のための調査が行われている。(「カトリック・あい」)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年2月3日