アーカイブ
・Sr.阿部のバンコク通信 (83)タイの名産「突っ掛け」と、タイ語版「マンガ聖書物語」の話
「突っ掛けスリッパね、タイの輸出に値する代物だよ」。
10年ほど前、タイをこよなく愛する友人宅を訪ねた折、玄関に並べた突っ掛け(足の爪先のほうをひっかけるようにして履く手軽な履物)を指さして、「安くて丈夫、激安セールでまとめて買ったの」と挨拶代わりの第一声。タイ人の履き物で目立つのは突っ掛け。この国に来て間もな い頃、正式な場でも履いている人を普通に見かけて、ちょっと意外に 感じました。お土産に突っ掛け、色もデザインも鮮やかで、どれにしたらいいか戸惑うほど、様々な突っ掛け。常夏の国、年中暑いタイの風土は”突っ掛け天国”なのです。
「突っ掛け」の友人の家を訪ねたのは、講 談社の社長さんへの紹介状を書いてもらうためでした。文庫『 マンガ聖書物語』のタイ語翻訳出版を是非、実現したいと考えていた 矢先の、幸せな摂理の出会いでした。友人は紹介状を書いてくれた上に、メールでも連絡してくれ、帰省の折に、東京の見上げ るほど立派なビルの講談社本社に出向きました、途中で道に迷い、遅刻して…。
「 ただと言うわけにはいきませんよ」と言われて、「もちろんです」 と。私の話を丁寧に聴いてくださり、国際室の担当者を呼んで、タイ語版の出版の話をまとめていただきました。作者の了解も得て、契約を交わし、出版の運びになったのです。版権使用料を払い、バンコクに帰って、日本漫画専門のタイ語翻訳者に翻訳を依頼し、編集作業を始めました。
世界の漫画界では日本が第一人者、日本の法規定が国際標準であるこ とも知りました。タイ国では、日本のマンガが最高の人気で、日本の 漫画専門の出版社もあります。翻訳者もその出版社のベテランで、 親友の友人。源氏物語のマンガなども手がけていて、 仏教徒ですが、聖書を参考にしながら見事に翻訳してくれました。
横書きなので左開きにするため、ページごとに原画をスキャンして裏返し 、日本語の吹き出し文字を消してタイ語を入れるのですが、縦書き から横書きで、吹き出しの大きさが合わず、いろいろ工夫しながら 学び、賢くなりました。ある日、体の中に稲妻が走りびっくり、右手 が使えず左手で作業していましたが… 帯状疱疹で万事休止の事態。出版期限を延ばしていただき、完成しました。
タイ語版『マンガ聖書物語』は旧約3巻、新約2巻セットで、各巻5000部。バンコクのブックフェアでも人気を呼び、大手の本屋さんも扱ってくれるようになりました。
多くの友人たちとの関わり、助けで開けた小径(こみち)を「突 っ掛け」を履いて歩く女の子の私を、摂理の御手が導いてくださ ったのです。タイ語版『マンガ聖書物語』は、この国中に広がり、読まれ、人々の、特に子供たち と若者の”ご馳走”になることができました。Deo Gratias!
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
・Chris Kyogetuの宗教と文学 ⑦ジェーン・エアによる詩篇23章(メタファーについて)
私は主の家に住もう 日の続く限り(詩篇23章6節)
小説には色んな思惑が仕込まれている。作り話と見せかけて、社会性や著者の実話が根底として垣間見えることがある。表現や創造した世界は。数学者でもない作家が、––読者を騙し抜いて「天才数学者」を書くことが出来るのか––要するに著者自身の知覚を超えられるのか、ということだが、これは文学でも永遠の議論なのかもしれない。
「アナリーゼ(日本語では『楽曲分析』)」というものがあるが、そこまでもいかずに単なる直感で、これは著者の実話じゃないのかな、と感じるところがある。
例えば、アンデルセンの「雪の女王」の屋根裏部屋の植木鉢に植えられている薔薇の話があった。アンデルセンはデンマークなので、イギリスの庭文化と比較はできないが、大体、西洋圏は庭に花を育てるが、「屋根裏」というところで狭さ、貧しさが、綿密な描写によって現れていた。非常に丁寧にアンデルセンはその描写していた。実際に、彼の日記を読んでみると、アンデルセンの実家の母親が屋根裏の鉢に「野菜」を育てていたのがモデルで、それを彼の童話は「薔薇」にしたのだ。これはアンデルセンの「優しい感性」だったのではないかと思う。
次に実話の根底が見えたのはジェーン・エアの親友、ヘレンがチフスで亡くなるシーンだった。これは映画でも、美しく撮影されている。(シャーロット・ゲンズブール主演版、ミア・ワシコウスカ主演版)まずは、原作でもここに至るまで綿密な自然描写が施されている。イギリスの庭は生活圏にある自然で、「主人の顔」とも言われているが、これは、バルザックの「セラフィタ」のように登山で行く遠くの自然とは違う、また違う描写なのだ。それにはバルザック自身、登山が趣味だったことも表れている。
「ジェーン・エア」では、実際に著者の姉、二人が肺結核で亡くなっていることを元にしている。「ジェーン・エア」はシャーロット・ブロンテの作品で、当時、女性の作家は売れないだろう、と中性的な名前で売られていたことで有名である。ジェーンは両親を失い、親戚に引き取られたが、酷い扱いを受けるようになった。そして厄介払いのように、ジェーンを孤児院に引き取らせる。そこは宗教的抑圧が酷く、現代で言えば「虐待」とも言えるところだった。
19世紀当時のイギリスは「孤児」の人権が著しく低く、その問題を題材に扱っている作品は、イギリス作品で他にも存在する。有名なのはディケンズの「オリバーツイスト」やバーネットの「小公女」「秘密の花園」である。
ジェーンの学校でチフスが流行っていて、学校でも学級閉鎖のようになっていた。そしてジェーンの親友ヘレンもチフスを患い、隔離された。ヘレンは信心深く、ジェーンは忍び込んで声をひそめて彼女と最期の会話をする。
”Are you going somewhere, Helen? Are you going home?(あなたはどこへ行くというの?あなたのお家?)”
”Yes; to my long home — my last home(そうよ、私の遠い家よ、私の行き着く先よ)”
「私の遠い家」、これは詩篇23章の「神の家」のことだろう。詩篇23章について、ベネディクト16世の解説が良かったので引用する。
「詩編作者がいうとおり、神は詩編作者を『青草の原』、『憩いの水』へと導きます。そこではすべてが満ちあふれ、豊かに与えられます。主が羊飼いなら、欠乏と死の場所である荒れ野にいても、根本的ないのちが存在することを確信できます。そして、『何も欠けることがない』ということができます。実際、羊飼いは羊の群れを心にかけ、自分の歩調と必要を羊に合わせます。彼は羊たちとともに歩み、生活します。自分が必要とすることではなく、羊の群れが必要とすることに注意を払いながら、『正しい』道、すなわち彼らにふさわしいところへと導きます。自分の群れの安全が羊飼いの第一の目的であり、この目的に従って彼は群れを導くのです」。
ジェーン・エアに話は戻るが、彼女の親友ヘレンも、この酷い経営の孤児院で、どんな目に遭っていたか、どんな苦難を知っているのかのかも表れている。ジェーンも自分もあなたのところへ行ったら会えるかと尋ねると、親友はこのように返した。
”You will come to the same region of happiness: be received by the same mighty, universal Parent, no doubt, dear Jane(あなたは同じ幸福に行くことができるのよ、それは力強い、私たちの両親の元に。ジェーン、大好きよ)” と、彼女は答えたが、これはルカによる福音書23章42、43節にあった。
イエスが処刑される時に、他に二人の囚人がいた。一人はイエスを罵ったが、もう一人はイエスに「イエスよ、あなたが御国へ行かれる時は、私を思い出してください」。囚人は「自分は天の国に行けないのだろう」とあきらめていたのだ。だがイエスは、「あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」と答えられた。
ヘレンの台詞はこの影響を受けているのだとは思う。
メタファーについて、日本語での「比喩」とメタファーについて、単純に英訳の「metaphor」とは訳せないものがある。日本語では「薔薇のように綺麗だ」という比喩と、文脈や背景、真理まで汲み取るメタファーがある。例えば、「彼は獅子のように勇敢だ」という日本語の比喩表現を英語にすると、「He is brave like a lion」となるが、「He is a lion」とすると、日本語でいうメタファーと言える。聖書でもこのように後者の比喩とメタファーは存在する。
神は「光」、「岩」に例えられるが、これらはいずれも、「置換」ではなく、英語で言えば「like~(のようだ)」とは違う。比喩は、言葉や表現を使って何かを暗示するが、広く受け入れられ定着するとともに、「魚」といえばイエスだ、という「象徴」ともなる。(それはまるで、聖霊が魅せるペルソナのようである)
小説と、聖書という異なる物を照らし合わせるときに、たとえ詩篇の23章を扱っていたとしても、全く別の書物として直接的な対応関係は無い。私の文学性は、文学とは「聖書の下」だと思っているし、小説家は、特にキリスト教作家になるのであれば、作家の感性は、神の「道具」だとも思っている。
宗教から離れ、自由表現が認められる中で、何故、このような選択肢を取ったのかについては、今回は割愛させてもらうが、文学表現は、メタファーによって、聖書との対応性、そして関連性を持たせるのである。「ジェーン・エア」でのジェーンとヘレンの二人は、神の家を巡ってこの世での最期の会話と自覚している。ヘレンにとっての「羊飼い」は、自分自身のことだったのかもしれない。彼女は神のみを見ていたわけでは無いのかもしれない。そこに彼女が「自己中心的」でなかったことも、表れている。ヘレンが死の淵でジェーンに「神の家」に行く、ということを語る際、幼くして、先に行く者として、彼女は大切な親友のために、そうなろうとした。
私の解釈になるが、彼女たちの一喜一憂や言葉が、全部が聖書の影響だ、と言い切ってしまうのもまた、「つまらない」のかもしれない。何故、聖書の言葉を使うのか。何故、影響を受けているか、そこまでメタファーを拾う必要があるのか、その疑問は、まずイエスがゴルゴタの十字架上で亡くなる時に叫ばれた(マルコ福音書15章34節)とされる「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)は、詩篇の22章2節を使っているところから説明すると、言いやすい。
物語と聖書はメタファーによって包括されている状態ではあるが、別々の存在であって設計図のように正確に因果関係が決められているわけではない。メタファーはプロパガンダにも使われた過去があるほど横暴な解釈もあるので、全てを肯定できるわけではないが、何故、この言葉が出てくるのか? と考えるときに、感性や感情というものがどういう経路で湧いてくるのか、明確に全部の説明ができないが、とてもその人を「愛している」とき、何がその人を最善に喜ばせられるのか、その上で、そのような言葉が出てくるのではないのかと思う。
もっとも、「主」を愛している、という証しとして、人を愛することは難しい。人には苦難の中で、感情や言葉が歪むことがある。それでも主に見せられる心で、人を愛することがどれほど重要なのか、信仰を持つものは知っていなければならない。
聖書と文学、それは信仰を透過し、学者が必要とする根拠をすり抜けながら、「魂」が表出する。ジェーンが朝起きると、親友は旅立っていた。朝を迎えた者と、旅立った者、世界が再び見えた者と、そうでない者。ジェーンは勝手に忍び込んでも、大人たちに怒られなかった。それよりも彼女の存在を無視して、ヘレンの遺体の処理で騒がしかった。まるで映像技術がこの当時からあったように、このシーンは大人たちの言葉がかき消されている。
孤児院は衛生面や虐待の多くの隠蔽で忙しくて、悲しむ暇がなく、風景に溶け込んでいく。死んだ親友に魂があったこと、それを知っているのは、ジェーンだけだった。その重さに気づけるかどうか。メタファーの行き先は「神の家」かどうか、読者に委ねられている。
ベネディクト16世の285回目の一般謁見講話はhttps://www.cbcj.catholic.jp/2011/10/05/8346/
(詩篇23章1‐6節)
主は私の羊飼い。私は乏しいことがない。
主は私を緑の野に伏させ 憩いの汀に伴われる。
主は私の魂を生き返らせ 御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。
たとえ死の陰の谷を歩むとも 私は災いを恐れない。
あなたは私と共におられ あなたの鞭と杖が私を慰める。
私を苦しめる者の前で あなたは私に食卓を整えられる。
私の頭に油を注ぎ 私の杯を満たされる。
命ある限り 恵みと慈しみが私を追う。
私は主の家に住もう 日の続くかぎり
(Chris Kyogetu=聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)
・神様からの贈り物 ④「もう一度、誰かの『守護の天使』になりたい」
今年初めに、高校の恩師から葉書が届いた。校長先生だったシスターが昨年末亡くなった、とのことだった。葉書には「最後にシスターと話したのはいつでしたか?私が話したのは、電話であなたのことでした」とあった。その文章が目に入った瞬間、どっと涙があふれた。
2017年末から2018年にかけて、私は怒涛の月日を過ごしていた。暴力、裏切り、辱しめ、それらに対する怒りを、ここでひとつひとつ説明するのは苦しすぎる。雪崩のように不幸がやってきた。やがて私は「自分に生きる価値はない。世界には、私に生きてほしいと思っている人はいない」と思い込むようになった。
生きる気力を失った私は、シスターにすべてを正直に知らせた。私が高校を離れる時、「神の家族だと思っています」—そう言葉をかけてくれたことを思い出したからだ。
シスターからはすぐに返事が来て、その日から、私のために毎晩ロザリオを一環捧げます、と約束してくださった。私は、そのことに感謝する余裕もなく、ただ涙を流しながら、布団の中でロザリオを握りしめていた。自分の命が逃げていかないように、ぎゅっとつかんで離さないようにしていた。
祈りの輪は広がった。仏教、バハイ教、その他決まった信仰を持たない人なども含め、宗教を超えた人たちが私のために『主の祈り』を唱えてくれた。その数は、私の把握している数以上になるだろう。
2019年12月、母校でシスターと共にクリスマスを祝った。聖体拝領の時には、「私は脚が悪いのでエスコートしてほしい」とお願いした。その日、シスターは周囲に、私のことを「彼女は私の『守護の天使』なの」と紹介してくれた。とても光栄なことだった。「誰からも必要とされていない」と感じていた私にとって、素晴らしい役割を与えられた幸福を、噛み締めた。あの日の気持ちを思い出すと、今でも胸がいっぱいになる。
2023年秋、手紙を整理していたら、シスターからの最後のクリスマスカードを見つけた。母校のマリア像が印刷されていたカードには「麻衣さんが、今、あなたを理解する人々に囲まれ、穏やかに過ごしている様子が分かり、とても安心しています」という言葉があった。今もお守りのようにその葉書を持ち歩いている。
改めて思うことがある。「もう一度、誰かの『守護の天使』になりたい」。そして、誰かに「私の守護の天使」になってほしい。そうやって、愛し愛されたい。神さまが私にそうしてくださったように。
いつか天国でシスターと再会した時に「あなたのおかげで頑張れました!」と胸を張ってお礼が言えるように、今日を大切に生きていく、と決めている。
(カトリック東京教区信徒・三品麻衣)
・ 愛ある船旅への幻想曲 ㉝「教会が堕落すれば、キリストに近づく道を人々に閉ざすことになる」
今年の夏は、ほとんどの人が暑さに辟易とされたのではないだろうか 。私も体調不良と戦う日々であった。「 ようやく涼しくなった」と言いたいところだが、私の場合は「急に寒くな った」と言いたい。 合服の出番なく、冬服が自分の存在を、私にアピールするのである。
今、社会生活での温度差はどうだろう。 庶民の私たちの知る術もない理由から絶対にあってはな らない戦争が始まる。 独占欲の塊となったトップたちに正統性はなくなり、 対立は長期化し、 かけがえのない命を勝手に奪われていく国々の姿を私たちは知って いる。 日本で住む私たちにとっても遠い国の問題ではないはずだが、 自分にはどうする事もできない問題だとたかを括り日々の報道にさ えも興味を示さない人々がなんと多いことか。
とはいえ、世界中には平和を訴える団体が多々存在する。 それらの団体の中には疑問視せざるを得ない組織体制がある事も否 めない事実なのだが、 彼らは断固として「平和運動を行なっている」と自負するのである。 そして、それはまかり通る。 過去の日本に於いても、表面上は平和を掲げながら実際は、 二枚舌を持つ政治家のふるまいがあったとかなかったとか。 会心の笑みで全世界に向かって平気で嘘をつかれては困るのである 。しかし、日本人は、 自国への評価が下がる問題にさえ、深く真相を知ろうともせずに、都合 よく騙されてしまう、いや、 騙されたふりができる国民性を併せ持っているのかもしれない。
今、 日本のカトリック教会は平和をどう説くのだろう、と思ってしまう 。「平和」とは、ただ戦争がない状態だけではなく、 他者との間で積極的に互いを尊重し、 いたわり合いながら生きていくことを、聖書は教えている、と私は思っ ている。だが、 今回のカトリック大阪高松大司教区設立への流れは”平和的”だったの だろうか。
バチカンからの正式な文書がない状態で、 信徒への通達文書は作成され、突然にバチカンから大阪と高松の合併が発表されたような内 容だった。設立式で読まれた大勅書には「前高松教区長・諏訪榮治郎司教の願いを受けた前田枢機卿の要請を教 皇フランシスコが受け入れた」と記されていた。 これが真実であろう。一部の信徒たちの推論は正しかったわけだ。
司教たちの事前相談と事前協議は数年前から行われ、 聖職者自らがシノドスを無視する白々しさから密約を交わし、 さも降って湧いたような合併劇を演出し、信徒を翻弄させ、 服従のみを強いる間違った位階制度の在り方を見せつけた。 同時に経過報告も反省も謝罪もない司教の退任劇がYouTube で流れ、ここまでやられては脱帽であり、「たいしたこと」だ。 そして、権力の横行を支える聖職者たちの姿を見ながら、ソクラテスの「不知の自覚(注:自分が常識的な知識すらない状態であることを認めて、自覚すること)」を思い起し、 こんな茶番には付き合えないと思った私である。
だが、当日の設立式に参加している信者らの拍手は、 これからの大司教区を共に歩もうとする純粋な心からの祝福だろう。 カトリック教会に対してなんの疑いもなく、「全て正しい」と思う信者た ちだろう。
それを見た聖職者たちの喜色満面の笑顔は何なんだったのだろう。 信徒の意見を聞かなかった教会、 今回の合併劇がそれを物語っているというのに、だ。 イエスが涙を流された聖書箇所を、聖職者そして教会運営に携わる信 徒には、是非とも思い出していただきたい。そして、先日亡くなられた森司教と教皇の次の言葉を、私たちと共に、かみしめて欲しい。
「もし、教会が堕落すれば、キリストに近づく道を、 人々に閉ざすことにもなるのです。 キリスト信者という名をかたる者が、倫理的に堕落していたり、 おかしなふるまいをすれば、一般の人々は、 そこに近づくことを避けてしまいます。過去の歴史の中で、教会は幾度も、こうした過ちを繰り返し、 キリストの期待を裏切り、人々につまづきを与えてきました。 過去の教皇、司教、 司祭あるいは信者たちの心ない言動が、救いを求める人々とキリスト との出会いの障害となった事実を否定することはできないでしょう」(森一弘著(新しいカトリック入門)「続・愛とゆるしと祈りと」第一部 教会について)
「真実、神は、全能者は、 ご自分を誰かに擁護してもらう必要はなく、 人々を恐れおののかせるためにご自分の名が使われることを、望んで はおられません」(2019.2.04 教皇フランシスコ・『世界平和のための人類の兄弟愛』に関する共同宣言)
(西の憂うるパヴァーヌ)
・“シノドスの道”に思う ⑤シノドスの進むべき方向をドイツの視点から考える・その1
今回は、ドイツのシノドスの歩みから見て何が考えられるか、を見てみたいと思います。明治以降、ドイツは日本のカトリック・プロテスタント双方の教会にとって教師の位置にありました。そのドイツのカトリック教会はどのように進もうとしているのか。
*ドイツのカトリック教会の現状
まず手短にドイツの現状を見てみます。1991年、ドイツのキリスト教人口(カトリックとプロテスタント合わせて)は、総人口の71%でしたが、2020年には53.2%になり、2021年には総人口の半数以下になりました。ある統計研究部門のサイトによると、2000年は12万人がカトリック教会から脱会、2010年は14万人、2014年は17万人、2016年は16万人、2019年は22万人、2021年は38万人、2022年は52万人脱会しています。
ドイツ・シノドス文書(2022年2月)の中に「2019年だけでも50万人以上が、二つの主要なキリスト教会のどちらかの会員であることを止めた。272771人がカトリック教会を去った。教会を去る人の数は1990年以降倍加した。そしてこの傾向は続いている」とあります。二つとはカトリックと福音主義プロテスタント教会のことです。「去る」「脱会」とは教会に行かないだけでなく、公的に教会税(所得税の8~9%)を払わないことをも意味します。
*ドイツの「シノドスの道」の始まり
ドイツが自主的に始めたシノドスの名称は「シノドスの道」と言います。この取り組みのきっかけは性的虐待問題でした。2018年に、聖職者による性的虐待と教会当局による隠ぺいの原因等を司教たちの委託を受けて各専門家が研究した『MHG研究』の出版。これに基づいて、危機打開のためには自由で公開の討論が必要であると司教協議会総会で認められ、「シノドスの道」は始まりました。
2019年12月に始まり、2020年に第1回目のシノドス集会。それが続けられていって2022年9月に第4回シノドス集会。2023年も第5回目が少しずつ開催されています。この取り組みは2つの団体すなわちドイツ司教協議会と一般信徒組織である「ドイツカトリック者中央委員会(ZdK)」との共同作業として行なわれています。両者は2019年にそれぞれの総会で両者に共通する「シノドスの道」の規約を作って共に歩むことを決めました。なお、この歩みは、ローマ主導の第16回世界シノドスに参加しながら、並行してなされています。
*ドイツの「シノドスの道」の構成
さて「シノドスの道」は4つの会合から成ります。1,シノドス集会、2,シノドス委員会、3,拡大シノドス委員会、4,シノドス・フォーラム。以下、簡略して紹介します。「シノドス集会」の構成員は、司教協議会のメンバー(約100名)とZdK69名、修道会から 10名、教区司祭会議の代表27名、15名の若者、それぞれ10名以下の男女その他から成る。合計約230名。シノドス集会が最高の会合であり、様々な決議(決定)を行なう。メンバーは等しい投票権を持つ。
「シノドス委員会」は、教区司教(司教協議会の議長・副議長を含む)27名、ZdKから議長・副議長を含む27名、両者から選ばれた20名から成る。フォーラムの構成、及び 集会等で議論されるテーマシノドス・フォーラムは、以下に述べる4つの課題を議論するための4つのフォーラムであり、シノドス集会から選ばれた約30名。フォーラムにおいても皆平等の投票権を持つ。ここで討議後、集会に上げる。ドイツカトリック者中央委員会ZdKは一般信徒の組織である。ZdKについては次回、もう少し詳しく説明します。
フォーラムや集会は次の4つのテーマを扱う—①力(権力)と力(権力)の分散―宣教への共同参画と参入について ②今日における司祭の存在(司祭的存在)について ③教会における女性の奉仕と役務について ④継続する関係における生活―セクシャリティとパートナーシップにおける生ける愛について
なぜこの4つなのか。2023年3月11日のシノドス集会で決議された序文から紹介しますと、性的虐待問題は個人的な罪過というだけでなく、教会の組織的・構造的なところからも生じていると考えられるからです。上長である責任者たちは、そのような組織や構造を容認し、守ってきたし、今もそれが続いている。福音を曖昧にしてしまう諸問題に、私たちは気付いた、と。
それは、霊的・司牧的な関係の中での虐待、聖職者主義と不適格による権力の乱用、また女性を無視し、また男か女かのどちらかでなければならない、という教会の教えは、現実の人々の性の多様性を正しく受け止めてこなかったこと、つまり性的アイデンティティを正しく受容・評価しなかったことに起因していると判断した。そこからドイツの「シノドスの道」は取り組むべき4つのテーマを決めたのであると。
*集会での決定(決議文)の通過について
シノドス集会は審議結果の最終的決定のため決議案を可決する。少なくともメンバーの3分の2が出席していれば、それは定足数を持つ。出席メンバーの3分の2(そのうちに司教協議会の出席メンバーの3分の2を含む)の賛成で決議案は可決する。
シノドス集会で可決した決議案はそれ自体としては法的効果を持っていない。法的効力を持つためには、司教協議会と個別教区司教の権威が法的規範を発布し、それぞれの権限の範囲内で教導権を行使することが必要である。以上、「シノドスの道」の概略です。司教も信徒も危機感を共有するところからスタートし、諸会合において、審議から決議文ができるまでは、聖職者も一般信徒も平等の権利を持って参加しています。<利害関係者(ステークホルダー)は誰でも十全な投票権を持って参加しない限り、連帯は生まれない>(フランツ・ヨゼフ・ボーデ司教)。「共に」の精神が、信徒も聖職者と平等の「一票の権利」によって真に生かされていると言えます。
ヒエラルキー的な「上から」の権威行使は最後の認可・発行の時のみです。しかしいずれ法的効力を持つことさえも司教と一般信徒の共同権限でという具合に、いずれ教会法も改訂されていくことを私たちは期待したい。
*第一のテーマについて第3シノドス集会からの抜粋
〇教会の権力構造、法的組織の改革は、法の支配に則った自由民主的な社会に適合す る形でなされる必要がある。人権を基礎に置いた民主的社会の標準を満たした上で、神のみ旨を探るべきである。
〇民主的な社会は自由と全人民の平等という尊厳の観念に基礎をおいている。すべての人に影響する決定は、皆で共になされなければならない。人類のこの認識は、人間は神の像に造られ、自由と責任を持っているという聖書の記述に基づいている(創世記1:26~28)。民主制の中に教会も組み込まれるべきである inculturation into democracy
〇現行の教会法では司教の権力は一元的な構造、一方的な支配関係になっている。しかし教会法第129条第2項に「信徒は、法の規定に従って、この権限の行使に協力することができる」とある。信徒の参加により透明性が増し、権力の制御も可能となる。立法、行政(執行)、司法(裁き)の分立のためにももっと信徒が統治等に加わるべきである。あらゆる面で信徒の能動的な「参加の権利」を具体的に規定し、明文化することが重要である。
〇第二バチカン公会議の「教会憲章」と同様に教会法も、洗礼に基づいて信者は真に平等であると語っている(第208条)。教会の権力の組織化においても、このことは認められ効力を持たねばならない。つまり参加の平等と、ミッションのための責任分担において。また権力の分散に関しては、まず役務者・奉仕者の行動を法律で効果的に縛る(限定する)ことである。また権力の監視を要求するのは、役務者・奉仕者の行動によって影響を受ける人々である。従って、人々には監視のための効果的な手段が付与されるべきである。
〇現行の教会法では、司教だけがシノドス(教会会議)において意思決定の権利を持っているが、この制限は克服されねばならない。司教の司牧的役務者としてのリーダーシップを否定することなしに、であるが。教会のシノダリティは司教の団体性以上のものである。
以上、2022年2月と9月の第3及び第4シノドス集会における第1のテーマについてのみ、少し紹介しました。その進め方にしても、テーマの掘り下げ方にしても日本の教会とは隔世の感があると思います。ドイツは、シノダリティを推し進めないと、教会の明日はないという意識を持っていると感じますが、いかがでしょうか。 *https://www.synodalerweg.deによる。
(西方の一司祭)
・Sr.阿部のバンコク通信 (82)「信者になる人がいる」という不思議に主の働きを感じる
先日、故粕谷甲一師のシリーズ物を読んでいて、意外な考えに出会いました。
「いつも思うのですけれど、日本に信者が増えないのは不思議だというのではなく、信者になる人がいるというのが不思議ですね。…遠い死海のほとりの植民地で始まった宗教…教祖はたった3年しか働かないで無残に殺されてしまい、弟子もばらばら…そんな新興宗教かなんて山ほどありますね。みんな消えちゃうでしょう。その中で一番ぱっとしないキリスト教が消えないで、どういうわけか千年以上たってこのアジアに届いて…」
タイに来て出会いがあって、数十人の信仰入門-洗礼のお世話をする機会があり、この『不思議』をいつも感じていました。粕谷師の言う『やはりそれは神さまの先手、その力が働いている』事に尽きると実感しています。人を通して求道者を私の所に導き、先手を打って働いておられる目に見えな神さまの不思議に触れるのです。
昨年受洗してタイのカトリックの女性と結ばれた日本の青年、朝7時から10時に修道院まで通って信仰を学び、一緒に聖歌を歌い、祈りました。十字を切る仕草がしっくり身につく姿を見て、「あゝ、神さまと親しい触れ合いに導かれている。良かったなぁ」と思いました。
先月、25年以上も前に信仰の手解きをして洗礼のお世話をした女性の方。タイのカトリックの男性と結ばれ、4人の素敵な子供たちのお母さんになっていました。久しぶりにお会いしたのは、19 歳で白血病で亡くなった3番目のお嬢さんの通夜の席。暖かい愛の涙の見送りで、家族の皆さんの信望愛の深い絆を感じました。
毎日曜、家族でミサに与り、お墓参り、濃密に生き切った娘の人生から汲み尽くすことのできない宝を見つけ、大きな悲しみの中で希望を絶やさず、「娘の残した手造り珈琲淹れで、大好きな珈琲を味わっています」と語ってくれました。
「あなたがたは『小さな群れ』、『パン種』」というイエスの言葉のように、粉に紛れて役割を果たす小さな信徒の存在、教会はその細やかな存続のために真剣に宣教するわけです。バンコク教区の受洗者は毎年200人ほどですが、タイ仏教社会の大海の一滴です。
粕谷師の著書から思いがけない示唆を受け、宣教活動の動機を深く強く激励され、広い神の視野に導かれました。「1人ひとりの自由の領域に神様が働くのを手伝うのが宣教。神様に取って代わることではない」。その通りです!
主よ、私を鍛え、福音のためにご自由にお使いください。
(引用は、粕谷甲一著、女子パウロ会発行「キリスト教とは何か」シリーズより)
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
愛ある船旅への幻想曲 ㉜”掟”に執着し一般社会の常識から外れて、福音宣教ができるのか?
カナダ・ケベック州のアモス教区とルーイン・ ノランダ教区を一人の司教に担当させる、というバチカンの決定が9 月16日にあったが、 これが2つの教区の統合を前提としたものであることが明らかにな った、と「カトリック・あい」が伝えている。
そして、教区長は、「教区の将来的なあり方について協議を始めたことに端を発している」と説明し、協議にあたっては、 教区民が合併の可能性について意見を表明する機会を設けたり、 物理的な問題の検討などもされ、その結果、 早期に両教区を合併することを適当とする意見書を3月にバチカンに送った。だが、バチカンはすぐに合併はせず、 教区長を兼務させる決定を下した、という。
これこそ、2教区合併に向けた正しい道筋だろう。 大阪高松教区の合併劇の演出とは大きな違いがあるようだ。 どうしてだろう。 日本のカトリック教会は自ら進んで日本社会、そして世界のカトリッ ク教会との”鎖国状態”を貫いているのだろうか。
高齢信徒が受けて来たカトリック教会の信仰教育に関心を持っている。教会では90代の方が最高齢者だろうが、彼らが語る次の2つは、 私にとって衝撃的な”掟”だ。「寺や神社に行ってはいけない」「教会の言うことは正しく、全て受け入れねばならない」。 その教えを受けた信徒の方々の多くは、従順にそれを守って来たようだ。
だが、今、カトリック教会の不祥事の数々、聖職者の中に堕落した姿を目の当たりにして、教会に不信感を持ち、「これまで信徒として忠実に”掟”を守ってきたのは何だったのだろう」と思いと悩み、教会を離れる信徒がい る。その一方で、昔の教えを今も強要する聖職者、 修道者そして信徒のグループが教区、小教区によっては、現実に存在する。このような人々が教会運営をする限り、 教会改革はできないし、教皇が提唱される”シノドスの道”を歩むことも不可能だ、というのが実感である。
私の娘は、「 35年前に行きたくなかった教会の姿に今、逆戻りしている」と言う。聖職者が一般社会にも通用する常識人であれば問題ないのだが 、「教会でしか生きていけない」「教会でしか生きたくない」「教会と社会は違う」など、 自分の技量のなさを正々堂々と表に出して恥じることのない説教、 そして”右に同じ”の信徒集団が中心の教会では、 社会や家庭で荒波にもまれて苦闘しながら生きている人間が違和感を覚え、「 教会とは距離を置かざるを得ない」と思うのが当然の成り行きだろう。
「世界の、日本の、教区の教会に何が起きているのか、 自分には関係ない」とミサに与るだけの方々も いらっしゃる。 その”個人主義的信仰”を持つ信徒を作ったのも、教会ではないだ ろうか。
私が一番悲しくなるのは、時折、高齢の信徒から発せられる、「自分は、 もう歳だから何もできない。 下の世代のことも考える余裕などない」という言葉だ。 かく言う私自身も、れっきとした高齢者だが、「子供や孫のためにカトリック教会が変な方向に行ってもらっては困 る」というまともな神経は持ち続けたいと思っている。それでも、「もともと変な宗教だったのか」と妙に”納得”してしまう自分に気付いて、愕然とすることがある。
問題のすべてが、私たちも含めた人間の弱さから来ているのだ、ということも分かってはいるのだが、それにしても今、教会という組織は何かがおかしいのである。 長い教会の歴史を歩む中、一般 社会の常識とは違うことも教会には取り入れられてきたのだろうが 、今となっては、 単にそれは「保身」のためだったのでは、と思われるような場面がなんと 多いことか。
性的虐待問題、大阪高松教区合併劇からは、 教会のずさんさと責任感のなさが露呈している。教会も、一般社会で通用しているルールに沿って動いていくものだ、ということを忘れてもらっては 困る。「 それさえ守らない、守れない宗教組織だ」と烙印を押されては、第二バチカン公会議によって示された「世界に開かれ、すべての人と共に歩む教会」の実現など及びもつかない。
「日本の教会は、あと何年存続できるのだろう」という信徒の声も聞く。「そんなことないよ」と励ますのをためらう私である。イエス中心の教会は、日本には根付かないのだろうか。森一弘・ 元東京大司教区補佐司教様が帰天されたことが未だ信じられず、 深い悲しみと虚無感を感じている。日本の教会のために、 森司教様の意思をどなたが受け継いでくださるのか。森司教様が「 希望」という言葉を大事にされていたことを、忘れないようにしよう、と思いなが らも、心弱くなっている私である。
(西の憂うるパヴァーヌ)
・ChrisKyogetuの宗教と文学 ⑥日本の司教団の性虐待監査報告を、グレアム・グリーンの「説明のヒント」風に評すれば…
“The word Satan is so anthropomorphic(悪魔という言葉はあまりにも人格化されているので)”
ある男が、一人の「不可知論者」に、そう話した。不味い「パサついたパン」(dry bun)を不可知論者が捨てるところで、カトリックのその男と目が合う。第二次世界大戦が終わった後の憂鬱な夜汽車の中で、そのカトリックの男が自分の少年時代を語り出すのだった…。
これは、グレアム・グリーンの「21の短編」に収録されている「THE HINT OF AN EXPLANATION」という作品の一節だ。イギリス聖公会からカトリックへ改宗し、ノーベル文学賞候補であり、受賞は叶わなかったものの他の作品で映画化もされた作家だが、晩年は児童買春などにも手を染めていて、作品と作家の人生は別としても、私にとって、扱う優先順位が低い作家だ。しかし、この小説は、最もカトリックらしい、と言われているだけあって、評価が高い。
物語に戻ると、不可知論者の男から見れば、出会った男は幸福そうに見えていた。それは「カトリック信者特有」という偏見も込められていて、「幸福な男」との対話は退屈凌ぎだった。そのカトリックの男が語る「神の話」は不可知論者にとって、つまらない話だった。それを察したのか、男は言葉を足した。「目に見えないものを言葉にすると陳腐になってしまって、それについて私はヒントしか与えられません」と。
それで、男は「悪魔」について語り始めた。「それは言葉で表現するのには限界がありますからね」 と幸福な男は話を続けるが、それで不可知論者は漸く、面白くなってきたと、前のめりになって聞き始める。
幸福な男、『ディヴィッド』は子供の頃に小さな教会のミサの手伝いをさせられていた。サープリスを着て… この村はカトリック信者が50人程度と少なく、伝統的にこの土地ではカトリック信者は憎まれていた。何故なら16世紀のプロテスタントの殉教者が火炙りになったという過去があったからだ。
その男のニックネームは「ポーピイ・マーティン」、教皇(ポープ)と関連づけられていた。少年は、ミサの儀式と衣装も乗り気になれず、それと同時にミスも恐れていた。少年はある日、一軒のパン屋の亭主と目を合わせてしまう。その男は、カトリック教徒への憎悪の念にとらわれていて、見た目が醜かった。それに彼は自由思想家で、カトリック信者はその店でパンを買おうとはしなかった。
その男は、少年に目をつけて、声をかけ、菓子パンを渡した。彼の家には立派な「鉄道模型」があった。「好きに遊んでいい」と言われ、少年はその男の家に通うようになる。その度に、男はパンをご馳走してくれたが、ある日、カトリックの聖体拝領で配られるホスチアと同じものを作った、と食べさせた。それで「これと教会のものは同じか」と聞いた。少年は「違う」と答えた。
男は「なぜだ?」と理由を尋ねたが、少年は「聖別(consecration)されていないから」と答えた。男は「顕微鏡で見れば同じだろう?」と生物学者のように言った。それに対して、少年は「偶有性(英:accident,希:endekomenon)は変化しない」と顕微鏡でみても無駄だ、ということを示そうとした。男は「だったら、聖別されたパンを食べてみたい。だから、持ってきてくれないか。そうしたら、この鉄道模型をお前にあげるよ」と言った。
男の目的は「あんたたちの神様がどんな味がするのか食べてみたい」ということだが、少年は、全て完璧に揃っている鉄道模型の誘惑と、同時に、どの家でも入れることができるマスターキーとナイフで脅されたのでホスチアを盗み出してしまう。
けれども、少年は、自分の部屋に閉じこもり、男には会いに行かなかった。その晩、パン屋の男は、少年の家まで来てマスターキーを使い、部屋の中まで入り、月の光を浴びて少年を見下ろしていた。「デイヴィット、どこにある」と男は囁いた。少年は、椅子の上に置いてあるホスチアの場所を教えなかった。あまりにも拒むので、男は「お前を切り刻む」と脅し始めた。少年はそれで、ホスチアを椅子の上に取りに行って呑み込み、「呑み込んでしまったよ」「もう帰ってよ」と言った。すると、その男は涙を流して、敗北者として闇の中に去っていった。
一度、神のもと(教会)から持ち去られた聖なるものは、そうではなくなってしまうのか? いや、聖なるものは、聖なるもののままだ。離れてしまったもののように思えても、聖なるものに戻ろうとする意志があれば戻ることができる。
少年は、ホスチアを持ち去る時も殺人による罰せられる罪よりも、今、自分がやっていること、パン屋が言っていることは重たい罪だ、と言うことに気づいてしまった。今まではミサを「繰り返されている退屈なもの」「日常に溶け込んでいるもの」としか思っていなかったが、この男と関わることで、自分の聖なるものへの自覚が湧いてくる。少年は、恐らく自分を利用しようとする存在に揺らされることによって、今まで漠然としていた儀式の意味を再確認した。
この話の中で、私の目に止まったものは、「罰せられない罪」に対してだった。
2023年の9月19日にカトリック中央協議会が出した「2022年度日本の教区における性虐待に関する監査報告」は、「カトリック・あい」のサイトでも指摘しているように、「監査報告」とはとても言えないものだった。それについてのコメントは、神父でもない、専門家でもない私は敢えてしないが、言えるとすれば、「罰せられない罪」について、「THE HINT OF AN EXPLANATION」には、このように書いてあったということだ。
「人殺しなどというのは微細な罪で、それに対しては相応の罰が用意されているが、自分がした行為に対しては、どんな罰が相応しいのか考えることもできないほどではないか」
殺人には刑法が適用されるが、それと同時に、魂の審判もある。魂の審判は、直接目に見える形で罰せられないことに気づいた。神と共にしている、ということを忘れてしまうことへの罰は考えつかない。もっと言えば、教会法の「違法行為」には、重大な欺きがはらんでいることを言い表している。
それでも私は哲学的にも考える人間なので、他の宗派を押し除けて、カトリックを「真」だと「一旦」定義はしないとするが、これは確かだと思うのが、イエスの名前で体系作られた教理や教会法を無視した「赦し」は、アウフヘーベン(止揚)すら充分にできないということだ。「アウフヘーベン」とは、弁証法の中にあるヘーゲルが提唱したもので、テーゼ(正)とアンチテーゼ(反)によってジンテーゼ(合)に導く、と言うものだが、少年は見事に、アウフヘーベンをこなしていた。
パン屋の男は「お前たちが儀式で食べているものと同じものを作った」(テーゼ)と言った。しかし、少年は「それは聖別されていないから違う」(アンチテーゼ)と答えた。男は「顕微鏡でみたら一緒じゃないか」(テーゼ)と言った。少年は「偶有性は変化しない」(アンチテーゼ)と反論した。
では、この話のジンテーゼは、なんだったのか。少年は、殺される可能性があっても、ホスティアを渡さなかったことによって、聖別の意味を表したのである。
私たちは、カトリック外部からも、そして内部からも問われている。それも、多くのことを問われている。性的虐待といった犯罪行為だけでなく、信仰の神秘も、宗教の存在意義も問われている。けれども、今回の中央協議会の不十分な発表も、テーゼに対して、監査内容が不十分だったことによって、アンチテーゼとしても成り立っていない、と言うことを忘れてはならない。
グレアム・グリーンの作品は、パン屋の主人が悪魔の化身だったのか、それとも単なる悪意がある存在だったのか、現代でも通じるようによく出来ている。常に、この少年も、悪意ある存在を超える罪、裁かれない罪を背負う可能性を示唆している。
鉄道模型は全て揃っていて、床に敷くレール、まっすぐなレール、カーブしたレール、小さな駅にはポーターと乗客がいて、トンネルや、歩道橋や、信号機、線路の端にはもちろん車止め、何よりも転車台、転車台を見ると涙が出るほど少年は気に入っていた。男と少年がまるで世界を見下ろすように、鉄道模型と聖餐式を両天秤にかけたことも秀逸だった。
大人になった少年は、線路が交差するように、不可知論者と出会った。不味いと思ったパサついたパンを捨てたことについては、不可知論者にとっては何気ない行為だったが、カトリックの男にとっては、意味のある思い出に繋がった。それは「丸いパン」だったからかもしれない。
少年時代の思い出を語った男は、棚から荷物を下ろすときに神父の襟を見せた…。この神父は「幸福」だった、というのが小説の最後だ。これは、とても良い話だ。神父は、自らの出発点をくれたとして、悪魔の化身のような男に感謝をしている。
他にもこの話には見どころがある。パン屋の主人が何故、カトリック信者を憎んでいるのか、それには「信じているからこそ、憎むことができる」という話もあった。「愛」の話も少しだけあった。それでも、今回は「罰がない罪」に焦点を当てた。
「その神父がとても幸せそうに見えた」—私は、神父の幸福を素直には受け入れられなかった。自浄作用がない状況の中で、多くの被害者を残したままの「幸福」、この「良い物語」のラストすら違和感を与えるのが、現在の残念な社会の実態だと思う。
人は多面的であり、善悪という二極ではなく、中間の葛藤があるものだが、それを踏まえた上で「聖なるもの」と位置付けられた法や秘跡は、聖書をはじめ、教導書や秘蹟などは全て、主とイエス、聖霊の名を使って作られたものである。たとえカトリックが「真」でなかったにしても、私たちはイエスの名前を語りながら体系を作っている。だから、もっと行動による責任を重んじるべきではないかと思う。
「説明のヒント」に登場する不可知論者にとって、退屈凌ぎに話すことのできた男との出会いは、土地に広げられたレールの上での「幸運」(lucky)だった。もしかしたら、神父の少年時代も偶然の「幸運」の積み重ねに過ぎなかったのかもしれない。
最後に原題は「THE HINT OF AN EXPLANATION」だが、「説明のヒント」と日本語に訳してしまうと、少々ピンと来ないのかもしれない。これだったらどうだろうか。説明にはExplanationとDescriptionがある。Explanationは口頭で遅れた理由などを説明する際に使い、Descriptionは、説明書きなどを意味する。「聖なるもの」というのは、たとえ説明が充分でなかったにせよ、「対話」するようにしなければならないのではないのだろうか。イエスが人々の所に行ってなさったように、Communion(聖餐式)は交流や交わりを意味する。
この物語の神父は、不可知論者と対話している、その愛があるからこそまた「幸福」なのだろう。それでも忘れてはならないのは、一人の神父の「幸福」は世界の全てでない。この神父も世界に立っている小さな存在だ。私たちがもっと意識すべきは、不条理な処遇がトンネルの暗闇であるのなら、そのトンネルを抜けた後の世界を作ることではないだろうか。
*偶有性について
アリストテレスのendekomenonに始まり、トマス・アクイナスが展開。その後、様々な哲学や神学でも展開されるので、短く纏めることは容易ではない。
トマス・アクイナスは、実体は偶有の感性的認識を通し、また、それを超えて「知性によって認識」するとした。偶有は感性に、実体は知性に属するもので、パンの実体がキリストの体に変質することは、偶有が依然として我々の眼に感性的に同じものとして訴えることと、何ら矛盾しない。実体変質の後に、偶有を感性的に認識し、キリストの体という実体を認めるのは、信仰である、としている。
アドルフ・フォン・ハルナックはプロテスタント神学者として、 トマス・アクィナスの「キリストのからだがパンに偶有性として、消滅するまで現存するのであれば、偶像崇拝ではないか」 と異論を述べていた。しかし、ハルナックが犬に「 過ちで食されるのか」、もしくは「サクラメントとして食されるのか」、 それでもイエスは現存するのか、と喩えたことについて、この「THE HINT OF AN EXPLANATION」は答えたようにも思えた。
(Chris Kyogetu)
・ 神さまからの贈り物 ③「未知は道」 と気付かせてくれた先輩に会いたい
・ 神さまからの贈り物 ③「未知は道」 と気付かせてくれた先輩に会いたい
高校二年生のちょうど秋のことだった。私は朝の駅のホームで立ちすくんでいた。何本も電車を見送った。ついに遅刻ギリギリの電車が来たが、どうがんばっても足が動かなかった。その日、私は人生で初めてズル休みをした。ロッテリアでSサイズのジュースをちびちび飲んで粘って、何時間も潰した。私はその日を境に、学校へ行けなくなった。
「 真面目で優等生」だった私に、そんなことがあるなんて、誰も予想していなかった。いじめられた訳ではなく、学校も好きだったので、当時はなぜ登校できなくなったのか、分からなかった。
私が学校に戻れるように、教師たちだけでなく、生徒たちも全面的に協力してくれた。授業の内容をファックスで自宅に送ってくれたり、手紙を書いてくれたり、そっとしておいてくれたりと、様々な形で励ましてくれた。私は私で、なんとか学校へ戻ろうと努力したが、最終的に違う道を選んだ。
「 大学で学歴を巻き返せばいい」と安易に考えていた私は、高卒認定資格の試験を受けるための準備をした。ちょうどその時期、敬愛する私の恩師が若くして退職し、アジアと日本の若者たちをつなぐプロジェクトを企画していた。
恩師は、「プロジェクトの参加者を募っている」と私を誘った。『共に生きる』がテーマのアジア地域へのスタディ・ツアーだった。「語学を学びに行くわけでもなく、ボランティアでもない」という点で、とても興味はあったが、行ける自信が全くなかった。
恩師は、Cさんにも声をかけていたらしい。Cさんは私と生徒会活動を共にした先輩で、憧れであり目標でもある人だった。Cさんは恩師と共にツアーの下見としてアジア3ヶ所を訪れたと話した。
当時のCさんもまた私と同じように、自分の生き方に悩んでいた。Cさんは自分の苦しみを素直に吐露した後、「一緒に行こう」と私を誘った。未知の経験にためらう私は言葉を濁しながら断ろうとした。その時、Cさんは言った。「クサイんだけどさ、『世界は愛なんだ』って思ったんだよね」。
この一言が私の心をドン、と前へ動かした。参加すると決めた。今でもそこでの体験が私の信仰の原点だ。
その後、私をタイへ誘った恩師は、私の代母となった。一方、連絡先が分からなくなったCさんとは、長く会えていない。あれから19年。私はやっと自分の道を歩き始めた。「未知は道」と気づかせてくれたCさんに再会したい、と切に願っている。
(カトリック東京教区信徒・三品麻衣)
“シノドスの道”に思う ④10月4日からの世界代表司教会議(シノドス)総会Ⅰに期待すること
地方、そして大陸レベルを経てローマに集い、”シノドスの道”が大きな節目を迎えます。教皇もバチカンのシノドス事務局も、そして総会参加者も、シノダルなやり方で取り組んでほしいと思います。イエス・キリストの思いを具体化した真の教会。「シノダルな教会」はその重要な側面です。キリストを中心に「皆が集まる教会」になれるかが、問われています。
*シノダリティとヒエラルキーは並行に置けるか・・・
前回、「ヒエラルキーは教会の本質ではなく制度である」と申し上げました。シノドス事務局がまとめた討議要綱の司教団の奉仕と権威を述べた箇所(B2.5)で「…カリスマの豊かさに欠けた権威の
厳格さ.。は独裁者的になるのと同様に、権威を欠いたカリスマの多様性は無政府状態(アナーキー)になる。教会は、同時にシノダルでありヒエラルキー的である。それは司教職の権威をシノダルに行使することが一致を伴い一致を保障するものであることを示唆する」とあります。
これと同じ表現は、今年2月にプラハで開かれた欧州の大陸レベル会合の最終文書にあります。「シノダルな教会における権威の行使」の項(3.6)の「教会は本質的にシノダルであり、また本質的にヒエラルキー的である。…生きたカリスマを欠いたヒエラルキーの厳格さは独裁者的になる」のです。
討議要綱は大陸レベルの最終文書を元に作成されたので、同じ表現を用いたようです。しかし「シノダル(共に歩む、共働的)」と「ヒエラルキー的」をどちらも大事だ、として並行させることは危険で
はないでしょうか。
二つを並行させた瞬間、ヒエラルキー側が勢いづき、共働性や補完性などを脇に押しやるだろうからです。そうなると、第二千年期の「ヒエラルキー中心の教会」に後退しかねません。前回述べたように、ヒエラルキーは制度であって教会の本質ではなく、むしろ共働性(シノダリティ)のほうが教会の本質に近いからです。
国際神学委員会による『教会の生活と宣教におけるシノダリティ』42項に「聖書と伝承は、シノダリティは教会の本質的側面であると教えている」とあります。もちろん、人間の集団ですから、それなりの秩序は必要です。従って、並べるなら、その前に、ヒエラルキーを脱権力化しておく必要があるでしょう。
*シノダリティのある教会が、ヘーリンクの希望でもあった
ところで、第二バチカン公会議を指導し、また世界中の神学者に影響を与えたベルンハルト・ヘーリンク著『教会への私の希望・・・21世紀のための批判的励まし』(サンパウロ、2009年)を読むと、シノダリティに満ちた内容です。今回のシノドスが進むべき方向を示唆していると思われます。亡くなる前年の1997年に出版されたこの本で、当時ご存命だったヨハネ・パウロ二世教皇とラッティンガー枢機卿(後のベネディクト16世教皇)を何度も名指しで批判しています。
上述したこととの関連で、まず教会の構造、ヒエラルキーに関するへーリンクの考えを紹介しましょう。
第二バチカン公会議が示す教会は中央集権依存から自由で、共働性に向けた構造にならなければならない。共働と補完の形態を持った兄弟的な初代教会にならうこと。後継者を選ぶ時も、ペトロの権威ある裁定ではなく、皆が共にかかわる手続き法を取ること。最初の千年期、教皇は司教を任命する権利など持っておらず、補完性の原則に則って行われていた。諸教会の自治を守ること、司教任命も「開かれたガラス張りの補完性に戻ること」が必要である。
「中央集権的な支配のシステムからの根本的な離脱」「ローマの中央集権的支配は、支配者側の過剰な自信過剰が前提にある」「中央集権化の背景には、あらゆる人の中の、あらゆる人を通して働きたい、と望んでいる神の霊への信頼の欠如がある」。すべての人に働く聖霊への信頼をへーリンクは重視しています。すべての人は「信仰の感覚」を持っているからです。
ヘーリンクの考えからも「教会は本質的にシノダル、かつヒエラルキー的である」と言うのは注意せねばならないと思います。
さらにへーリンクは「ローマの機構は規模を縮小する必要があります。枢機卿は、まったく不要な存在です。教皇が、自身の後継者を選ぶ人物を任命すべきではありません。司教会議および司教の地域会議の権力と責任は強化されなければなりません。…女性も参加すべきです。同様に、司教選任のルールも、教会の第一千年期のモデルに従って整えられるべきです。…旧態依然の教理省は姿を消し、その代わりに、まったく新しい組織が立ち上がることが考えられます」と、大改革を求めています。
*”ジャニーズ性加害問題”とカトリック教会
ところで、今、日本で、ジャニーズ事務所創業者の未成年だった人たちに対する性的虐待問題が、スポンサー企業や報道各社にも影響が広がっています。しかしカトリック教会の性的虐待の規模はその比ではありません。カトリックの場合、ヒエラルキー構造を教会が強めて特に中世から今日に至るまで、世界中で、個人的、かつ構造的、組織的に、性的虐待にとどまらず、様々な形の虐待を行なってきました。ヘルダー社の特集号でも紹介されていますが、”シノドスの道”に積極的と思われる国々のほぼすべてで、聖職者による性的虐待問題が起きており、司法当局による捜査や、被害者による訴訟に発展しているケースも少なくありません。
ドイツが”シノドスの道”を、教皇が提起されるよりも先に始めていたのは、自国の教会の聖職者による性的虐待と隠ぺいの発覚がきっかけになっていました。国連の人権委員会が世界のカトリック教会に介入したら、一体どうなるのでしょうか。今回のシノドス総会では、性的虐待問題がメインテーマとして取り上げられることはないかも知れませんが、性的虐待の被害者はじめ、虐待や差別、偏見に苦しめられてきた人々を、教会は進んで受け入れ、心からケアすることができるのか、そのために教会はどのように変わらねばならないのか、具体的な議論がされる必要があります(討議要綱B1.2参照)。
*性的虐待体験者や離婚再婚者など、救われるようになるか
討議要綱のワークシートに挙げられている項目に関して、へーリンクはどのように言っていたか。「教会内における女性の役割・地位を高めること、女性の司祭叙階は自然なこと」「司祭の独身制も見直し、結婚しても司祭として継続して働くのことを認めるべきだ」「離婚・再婚について、これまでの偏狭な態度を改め、当事者が平和に生きれるように改革すること」を主張し、「パウロ6世の回勅『フマネ・ヴィテ』(人工的な避妊は罪であるとする)には公然と反対を表明し、倫理や結婚の秘跡等に触れている『カトリック教会のカテキズム』(ヨハネ・パウロ二世のもと、バチカン教理省長官のラッティンガー枢機卿によって作られた)にも否定的意見を述べていました。
『フマネ・ヴィテ』に関しては「パウロ六世教皇の最大の誤りは、疑いもなく、助言者らの圧力に屈して自ら任命した産児制限の検討委員会における圧倒的多数の意見を拒否したことにあります」と。ホアン・マシア神父もパウロ六世が残した影の一つは「産児制限の問題を長く検討し教皇へ答申を提出した委員会の意見を取り入れず、少数の保守的な倫理神学者からの案と妥協して、回勅を書いた」ことだと指摘しています(女子パウロ会のホームページ「ラウダーテ」参照)。
*掟中心の倫理から福音に根差した倫理へ
ヘーリンクは、これまでのカトリック倫理や上述の回勅やカテキズムは、いまだに道徳上の掟と命令を絶対的で厳格なものとして、大罪や小罪、また大罪のリストをあげたりしている。それは教会権威者側が民を支配するための倫理であり、抑圧的なものである。そうではなく、キリスト・イエスにおける「命の霊の法」を生きることが倫理であり、福音に根差した道徳である。掟の遵守ではなく、悔い改め、キリストとの交わり、聖霊の慰めなどの神秘に基づいた倫理だ、と主張しています。
*秘跡の理解の仕方も変化が求められる
先の特集号で、ルネ・ライド*は米国のカトリック教会の現状に触れ、「多くの信者は性道徳が刷新されることを切望しており、LGBTQの人や再婚した離婚者たちも神の子供との十全な交わりの中に受け入れられるべきであり、秘跡も授けられるべきだと願っている。特にエウカリスチア(ミサ)への招きはすべての人に向けられるべきであって、完全で正しい人への報酬ではなく、それを必要とする人々への滋養として理解されるべきだと望んでいる」とし、「エウカリスチアは、信仰や実践のあり方が人によって違っていても、皆が神の子供としての一致を表現するものであるべきであり、厳格さや一部の人々をのけ者にするための道具となってはならない」。また『フマネ・ヴィテ』は「米国の92%のカトリック女性という大多数から拒絶されている」としています。
*ルネ・ライドは1944年生まれの元シスター。 カトリック教会改革国際ネットワークの共同設立者で指導者。 その他、幅広く活動中。
北アメリカ(カナダと米国)の大陸レベル最終文書26項にも、LGBTQの人や離婚再婚者などが教会に歓迎されておらず、また聖体も受けられない状態であるので、もっと大きな包容が教会に求められている、とあります。
討議要綱B2.1にある「人々が裁かれていると感じるのではなく、温かく迎えられていると感じる」場所、米国の人々もそのような教会を望んでいるとルネ・ライドは述べています。それがシノダルな教会でしょう。
『カトリック教会のカテキズム要約』349項には「教会は、民法上の離婚者の再婚を結婚と認めることができません。‥彼らは神の掟に客観的に背いている」、「その状態が続く間は、赦しの秘跡による赦免を受けたり、聖体拝領をしたり、教会の任務を果たしたりすることはできません」とあります。これはイエスの意思にかなったものでしょうか?
へーリンクやルネ・ライドが言っているように、「弱っている人、助けを求めている人が近づける秘跡」になるべきでしょう。またヘーリンクは「私たちは教会法との内縁関係に終止符を打たなければならない」と言い、教会法の改訂も希望しています。
注) 欧州大陸レベル、北アメリカ大陸レベルの最終文書は、ウェブサイトhttp://prague.synod2023.org、またhttps://www.usccb.orgに。ヘルダー社刊特集号はサイトhttps://www.synodalerweg.deの中にあるHERDER THEMA “UNIVERSALCHURCH IN MOTION, Synodal Paths”のこと。
(西方の一司祭)
(読者投稿)大阪、高松教区の合併発表から1カ月半、信徒に明確な説明も無いまま、新教区設立式… これでいいのか
大阪、高松両教区の合併についてバチカンの8月15日付け公式発表から1カ月余りが過ぎた。両教区からは、ひたすら「合併ではなく、新教区の設立だ」という意味不明の言葉だけで、いまだに合併に至った経過や理由、そしてどのように合併が進められるかについて明確な説明もない。
9月17日発行の「カトリック高松教区報」は一面トップで、教区事務局長の小山助祭による「新大司教区設立―大阪大司教区・高松教区を核として—」という記事を載せている。それによると、冒頭で、教皇が新たに大阪高松大司教区の設立を発表されたが、中央協議会のホームページの記載とはニュアンスが異なると不安になる人もいるだろうが、「新教区設立」が正しい、とまず強調している。
8月15日付けのバチカンの公式発表文(公式英語訳)には、「The Holy Father has erected the new metropolitan archdiocese of Osaka-Takamatsu, Japan, by incorporating the archdiocese of Osaka and the diocese of Takamatsu」とされている。
そのまま訳せば、「教皇は、大阪大司教区と高松司教区の合併(統合にも訳すことができる)による新しい大阪・高松メトロポリタン大司教区を設立された」となる。
中央協議会もこれを受けた形でホームぺージに「教皇、大阪教区と高松教区の統合を発表」の見出しで、本文は「教皇フランシスコは8月15日、大阪教区と高松教区を統合し、新たに大阪・高松大司教区を設立・・・」と掲載している。
なぜ、中央協のHPの記載は「ニュアンスが異なり」、「新教区設立が正しい」と言い張るのか理解不能だ。
小山助祭は、その理由は、「駐日教皇庁大使が、初代教区長となる前田枢機卿に話されたもので、この決定については高松教区にも大阪大司教区にもまだ文章による通知がなく、大使からの口頭伝達が唯一の正式な両教区への通達だから」というが、まるっきり説明になっていない。
上記のように、バチカンの公式発表文も、それを翻訳した形の中央協議会(つまり日本の司教団)のHPも、「by incorporating…(合併・・統合とも訳される)によって」と明言されているのを、大使からの口頭伝達をもとに”訂正”しようとするのは、理由としてはあまりにも薄弱だ。それとも、バチカンのホームページをお読みになっていないのだろうか。
教区合併という関係教区の聖職者、信徒にとって重大な決定が、公式文書でなく、現地大使からの口頭伝達のままにしていること自体、不思議な話で、常識であれば、バチカンに公式文書の提示を求めるのが当然だろう。また、小山助祭の記事では、大使は枢機卿に、宣教地における「二つの教区を核にして新しく教区を設立するのは世界初」で、「成功したら、今後の教会刷新に向けた新たなモデルにすることが考えられるので、しっかりとした記録を残してほしい」と頼まれたそうだ、という。
だが、当の駐日バチカン大使、ボッカルディ大司教はこの直後、在任期間わずか2年半、外交官の役職定年75歳の繰り上げ特例を使って9月1日付けで退任してしまった。「新教区設立」が正しい、とする理由のもとになり、「新たなモデルに」と前田枢機卿に頼んだ本人が、「世界初の成功」を支援することなく、新教区の設立も、新大司教の任命も見届けずに、大使を辞めてしまい、後任も9月28日現在決まっていない、というのも、おかしな話ではあるが、それに疑問を持たないのもいかがなものか。
9月16日に、高松教区では拡大宣教司牧評議会なるものが開かれている。その資料では、バチカンの合併発表に至る経過について次のように書かれている。
「本年5月下旬に教皇大使から教区顧問会、 司祭評議会及び宣教司牧評議会の構成員全員に親展で『大阪大司教区と高松教区を統合するという提案についての意見』が求められてきました。その後、事態は急変し8月5日に教皇大使 から前田大阪大司教に『新たな大阪高松大司教区の設立が教皇さま から 8月15日に宣言される』旨伝えられ、大司教さまは大使からこの 知らせを伝達された後すぐに高松教区事務局に連絡下さり、 8月8日には大阪大司教区事務部門と高松教区 事務局とのオンラインによる会議が開かれ、 そこで教皇大使と大司教さまとの話し合いについて詳しく報告され ました。そして、聖母被昇天の祭日(大祝日) のローマ時間の正午(日本時間午後7時) に教皇さまから新大司教区としての大阪高松大司教区の設立と前田 万葉枢機卿の初代教区長としての任命が教令(decreto) として宣言されました」。
さらに、「大阪高松大司教区の意義」として、①新たな大司教区の創設であり、二つの教区の単なる合併でも、まして最少教区の吸収合併ではない。自立している二つの教区を基盤として大司教区の設立②宣教地の全教区を統括する福音宣教省(長官タグレ枢機卿)の管轄下で世界初例③神が、私たち教区民の祈りに応えて示された道であり、前田枢機卿によれば「今回のシノドス(ともに歩む教会のために-交わり、参加、そして宣教)に具体的に応えるために神が私たちに委ねられたチャンス」とできるし、せねばならない④危機にある世界の今、教会の新たな動き・取組に直接的に参加できる特別な機会(原文のまま)—と説明している。
この会合に出た人々からは、この資料を見て何の疑問も質問もなかったのだろうか。
「5月下旬に駐日教皇大使から提案が求められた」とあるが、私たち高松教区の信者全員に対する説明も、意見聴取もなかった。「シノドスうんぬん」という前田枢機卿の話を載せているが、すでにこの段階で”シノドスの道”を逸脱しているのではないか。この段階でどのような『提案』をまとめ、大使に意見を出したのだろうか。そして、なぜ『事態が急変』し、その後、大使と枢機卿の間でどのようなやり取りがあったのか、まったく私たちには説明がない。
「二つの教区の単なる合併でも、まして最小教区の吸収合併ではない。 自立している二つの教区を基盤とした大司教区の設立」としているが、何を持って「自立」しているというのだろうか。
高松教区は、2016年度から、信徒に対し、1人年間1万円の「教区献金」(2019年度からは「納付金」に名称変更)を通常の教会維持費などの負担と別に求められ、それだけでは足りず、大阪管区と大阪教区の女子修道会からの財政支援も受け続けて来た。信徒の異議には耳を貸さず、抜本的な財政再建策も講じないままだ。
バチカンの公式発表てデータでは、二つの教区の信者数は、大阪4万7170人に対し、高松4243人、教区数は77対28、教区司祭数は77人対28人、修道会司祭数は90人対16人。しかも多年にわたって、通常の献金だけでは司祭の給与も賄えず、特別献金を事実上強制し、さらに大阪教区や修道会からも財政支援を受け続けて来た。とても「自立」と言える状態ではない。このような場合、二つの組織の合併を、一般社会の常識では「救済合併」あるいは「吸収合併」と言う。いたずらに、「新教区設立」という言葉を中身も明確にしないまま、ひたすら名称にこだわり、”不都合”な現実を覆い隠すような言い様は、現実を正しく踏まえたうえでの合併統合を出発点からつまずかせるのが分からないのだろうか。
「新たな大司教区 」にこだわるのであれば、先ずは、きちんとした手続きを持って両 教区の司祭、信徒の総意をまとめ、理解の上で作り上げていく展望 が必要だ。その概要さえも、未だ明示されず、これも一般社会では常識になっている「説明責任」が全く果たされていない。そして、 新教区を作るためのルールや仕組み作りを、両教区が協力して進めていく場合、信徒の参加を公平に求めるとともに、「説明責任」に努め、これまでのような、つじつまの合わない言い繕い、 その場しのぎの言動で、まじめな信徒たちを操るべきではない。
教区への不信不満はまだまだあるが、今回は誰が考えても高松 教区の破綻であり、「 何も言えない、言わない信徒」に次々に一方的な文書が発せられ、形式だけの わかりにくい口頭での説明で事が進んでいるのが、実情だ。まともに物事を考える、教会の将来を真剣に思う信徒と司祭が、「これから、さらにどれほどの犠牲を引き続き払わねばならないの か」と強い懸念を抱くのは、至極当然のことだろう。
ついでに言えば、上記の高松教区の拡大宣教司牧評議会に出された資料には、「宣教地の全教区を統括する福音宣教省(長官タグレ枢機卿 )」とあるが、教皇は昨年6月発効の組織改革で、福音宣教省を教皇直轄とし、長官に教皇が就き、その下に世界宣教部門と初期宣教部門を置いて、タグレ枢機卿は後者の初期宣教部門担当の副長官とした。それから、すでに一年以上が経過している。バチカンの指揮系統についての正しい認識も持たず、今回の合併通告が、現地大使の口頭によるものでしかないなら、文書での通告をもらうように求めるべきだが、その相手先も分からない、というのであれば、もはや何をか言わんや、である。
また、今後については、高松教区事務局長名の「大阪高松大司教区設立式と大司教着座式むけバスの手配について」の文書が9月15付けで出ており、「大阪教区が四国の各県に対し バス1台(40名) を大阪教区の費用でチャーターして下さることになりました。 前田大司教さまの発案で、四国地区から大阪・ 玉造まで来て下さる皆さまに少しでも負担軽減できればということ で、御配慮下さったものです。 大阪教区がチャーターして下さったので無料で利用できますし、 このバスで来られる方については聖マリア大聖堂の中に席が用意さ れていると聞いています」とある。
さらに、「この式典には参加できない方々も多いので、11月11日に高松の桜町教会で、大阪高松大司教区の前田枢機卿様をお迎えして新教区設立並びに新大司教着座の感謝ミサを教区行事として行う予定です… こちらの感謝ミサへのご出席もよろしく…」としているが、合併に対する意見も聞かれず、いきなり知らされ、これからどうなるのか不安を抱えながら、誰に、何を感謝せよ、というのだろうか。「大阪までのチャーターバスの費用は、前田大司教様のご配慮で・・」とあるが、実質的な負担は大阪教区の人々がすることになるだろう。
9月26日付けの日本唯一の独立系カトリック・メディア「カトリック・あい」によると、教皇フランシスコが、カナダの二つの教区の合併を求める意見書に対して、直ちにこれを認めず、まず教区長を兼任させる形で準備態勢を作用人事を発令した、という。一方の教区の教区長が定年で空席になったことから、教区では、今後の教区の在り方について教区民が意見表明の機会が設けられ、様々な側面から検討の結果、「早期に合併するのが適当」との意見書を3月にバチカンに送っていたが、合併を急がず、両教区が協力して合併への道筋をつける必要がある、と判断した、とされている。大阪・高松とは色々な面で対照的。カナダの方が、明らかに賢明なように思われるが、ここから教訓を得て、”新大司教区”に生かすことは、もはやできないのだろうか。
(高松教区の在り方を真剣に考える信徒の会)
(評伝)第二バチカン公会議の貴重な体現者、闇にいる人たちを照らし続ける一本の蝋燭ー森司教の死を惜しむ
闇の中にいる人たちを、風に揺らぎながらも照らし続けようとする一本の蝋燭… 東京教区で大司教の白柳枢機卿を補佐し、退任後は信濃町の真生会館を拠点に日本中の司祭、修道者、信徒、カトリック教員などの指導を続けた森・名誉司教を例えさせていただければ、そのようになるかも知れない。
そして、「世界に窓を開き、喜びを持って共に歩もう」-第二バチカン公会議のメッセージを肌で感じ、受け止め、体現しようとする日本でただ一人残った高位聖職者として最後まで努力を続けた人。その得難い人材を、日本の教会は失ったのだ。
もっとも、長年、森司教と身近かに接してきた方々の中には、「後ろから肩を押し、人をやる気にさせるが、自分は前に出ず、後ろを向くと姿が見えず、不安にさせる、それでも、希望は失わせない…」—そうした複雑な思いを胸にしている人のおられるだろう。それでも、普通の人なら「つまらない」とも思うような悩み事を、静かに聴き、受け入れてくれるやさしさ、本当に困ったときに的確に対応してくれる頼りがいのある、日本の聖職者には"稀な”人柄に、イエスの姿を見た人も少なくないだろう。
*二度の福音宣教推進全国会議、そして東京教区生涯養成委員会の活動を主導
同じ小さな中学・高校の卒業生でありながら、年次が8年違うこともあり、私が森司教と初めて顔を合わせたのは、卒業から約20年後、ロンドンでの特派員勤務を終え、日本の住まいを埼玉から東京に移して間もなく、今から40年ほど前のことだった。当時、第二バチカン公会議で決定された「世界に開かれ、共に歩む教会」を目指す方針を受けて、日本でも、当時の東京大司教、白柳枢機卿と森補佐司教が事実上のリーダーとなって、二度にわたる福音宣教推進全国会議が開かれ、日本に合った改革を検討、その成果を東京教区でさらに進めるために一般信徒を中心とした「生涯養成委員会」が活動を始めており、そのメンバーになった。その委員会の担当が森司教で、月一回の全体会議で顔を合わせたのだった。
「小教区運営委員研修」「日帰り講演会」「一泊交流会」の三つのチームに分かれたメンバーは、40代を中心に20人近く、ほとんどが現役で多忙だったが、事務局責任者のSr.石野(女子パウロ会)とともに森司教が支えてくれ、自由闊達な楽しい雰囲気の中で、様々なアイデアを持ち寄り、プログラムを実行していった。また、1960年代に開かれた第二バチカン公会議の精神が年と共に風化していくことを目の当たりにして、1年間にわたる連続講演会「第二バチカン公会議を私たちの歩む道」を企画した際にも、準備を背後から支援してくださり、講演集としてサンパウロ社から出版した際には、前文を寄稿してくださった。
東京教区が「白柳・森」体制から「岡田・幸田」体制となり、それを機に、生涯養成員会が、一方的に、何の「総括」も、活動で育った数十人のメンバーに何の通知もなく、解散させられたことに対しては、”創業者”として色々なご苦労をされたと思われるが、結局、跡形もなく、消されてしまった。(現在の、東京教区のカテキスタ養成のための「生涯養成委員会」は、この委員会とは全く関係がない)
補佐司教を引退された後、森司教は信濃町の真生会館の理事長となり、真生会館での講演、研修など様々な事業を指導され、全国の修道会や学校関係者の霊的指導なども、精力的に続けられ、私自身も二度目の海外勤務を終えた2010年以降、「学び合いの会」に森司教の勧めで参加し、箱根や山中湖などでの合宿にご一緒させていただいた。それ以外にも、時々、昼食にお誘いして、いろいろとお話ししたことも続いた。
*危篤の後輩の洗礼、そして某大司教人事の相談に乗ってくれた
その十数年で、森司教に感謝していることが二つある。
一つは、私の大学のクラブの後輩が危篤になり、奥様から「主人が洗礼を受けたい、と言っています。どうしたらいいでしょう」と友人を介して相談を受けた時のことだ。すぐに大学時代からの友人の司祭に、事情を話し、「洗礼を授けてくれないか」と頼んだところ、「いやだね。教会にも行ったことがないんだろう。それに、お前でも洗礼は授けられるんだから、自分でやればいい」という拒否回答。いろいろと対応を考えた挙句に、森司教に電話で事情を話すと「分かりました。私は予定があって無理だが、教区の事務局長に誰か探してもらいましょう」とすぐに手配していただき、若い司祭が快く応じてくれ、入院先の病室で洗礼を授けてくださった。ベッドに横たわった彼は、すでに言葉もしゃべれず、目もほとんど見えなくなっていたが、意識はしっかりしており、涙がこぼれたのを覚えている。
もう一つは全く次元が違う話だ。某大司教区で、大司教が間もなく定年を迎えるという時、後継者として勝手に名乗りを上げている人物がいることを耳にした。その人物では、大司教区の「空白の・・年」を埋めるどころが、もっと後退しかねない。ある小司教区にまだ50代の適材がいる、と判断して、森司教に相談に行った。すると、「もしその気があるなら、(任命に大きな力がある)駐日バチカン大使に直接話しをするといい。急がないと『時間切れ』になってしまいますよ」と背中を押され、いささか出過ぎた振る舞い、とは思ったが、周到な準備をしたうえで、大使に会い、必死で説得した。それがどれほどの効果があったのかどうか、まさに神のみぞ知るだが、実現したのは確かだ…。
困った時に、いやな顔一つせず、どんなことでも相談に乗ってくれる、頼りがいのある方だった。
*「カトリック・あい」創刊のきっかけとなった”ひとこと”
また、森司教は、人の話を黙って聴いてくれるが、ご自分から「ああしたらどうですか」「こうしたらどうですか」と指示なさることはめったにない、自分たちの好きなようにやらせてくれる—というのが私だけでなく、少なくない方の印象だったように思う。だが一回だけ、そうでないことがあった。今から数年前のある日のことだ。二人で食事をしながら、カトリックの広報の問題などについて話をしていると、いきなり、「新聞やらない?」と言われたのだ。
しばらく考えて、「紙の新聞を出すとなると、記事を書く取材記者、校閲記者などが必要で人件費がかさむし、印刷、配送などにも費用がかかる。そのうえ、カトリック新聞のように小教区などに購読を”強制”できればともかく、自分で売ろうとすれば、そのための人員、ネットワークも必要。物理的に無理です」と答えたうえで、「インターネット・メディアなら、出来ないことはないかも知れません。ただ、その場合、読者を確保するために、司教にコラムを毎月書いていただきたい。それと、毎月の編集会議の部屋を、真生会館に確保していただきたい」と逆提案。ただし、”本社”を真生会館に置くかない、資金援助はしない(これは「中立性」を守るためでもあり、内容について真生会館が責任を負うことはしない、という意味でもあった)ということで、OKがでた。幸いにも、高校や大学の後輩から同好の士が名乗りを上げてくれ、皆で資金を出し合って、2016年秋にスタートしたのが、「カトリック・あい」である。
司教のコラムへの出稿は一年ほどで、「全国の女子修道会の指導を頼まれて忙しくなるから」ということで、中止となったが、スタート段階での”森コラムの人気”にも支えられて、購読者数は順調に増え、最新の8月一か月の閲覧件数も1万4000件を超えている。立派に独り立ちしたのだ。編集会議の部屋は今も、大木館長のご厚意で毎月貸していただいている。
*「『生きる』を見つめ、深める」の話を聴きたかった
理事長を退任された森司教は、私たちが月一回、会議に使わせていただいている部屋の隣に、執務室兼会議室を”引っ越し”て来られたが、編集会議の前後は外出されていることが多く、コロナ感染の再拡大を警戒して8月26日の編集会議の際も、ZOOMで行ったため、お会いする機会がなかった。秋口になったら、現在の内外の情勢、日本や世界の教会のことなど、徹底的に意見を交わす時間をいただきたかったのだが、かなわなかった。
それと、森司教は、9月、10月、11月と真生会館で三回連続の講座を予定されていた。タイトルは「私たちの『生きる』を見つめ、深める」。初回は亡くなる直前、9月9日の土曜日。久しぶりに”名調子”を聞きに出かけ、少々意地の悪い質問でもしてみようか、と考えていた矢先の訃報。「どうしたら、『生きる』を見つめ、深めることができるのか」、聞き損なった。
またお会いできる日に、何をお話しになろうとしていたのか、ぜひ聞いてみたい。それまで、主と共に、安らかにお過ごしになりますように。
(「カトリック・あい」南條俊二)
・ガブリエルの信仰見聞思 ㉞聖母マリアへの信仰と理解を深める、新たな科学的視点
先月の 「聖母の被昇天」(8月15日) の祭日を祝うミサは、私にとって特に思い出深いものでした。この日は、常に私たちを主イエス・キリストへと導いてくださる聖母マリアとのつながりを、より大きく、より深く感じることができたからです。
祭日の前日、「マイクロキメリズム」という科学用語に出会いました。これは私個人にとって、物心が付いてから信じ続けてきた、聖母マリアの特別な地位に関するカトリック教会の教えに新たな光
を当て、マリアの独特の役割に対する私の信仰と理解をさらに深めてくれました。科学と信仰のこの魅力的で興味深い交わりについて、私の考えを分かち合いたいと思います。
*「マイクロキメリズム」とは
マイクロキメリズムとは、ある個体の少数の細胞が別の個体に存在する現象を指します。インターネットで検索や専門書籍を参考すれば、それに関する情報や詳細がたくさん見つかります。
この現象は母親と子供の間でよく起こると言われます。 胎児由来の細胞は母親の血流に入り、何年にもわたって、時には生涯にわたってそこに存在し続けることがあります。 同様に、母親由来の細胞も胎児に入ることもあります。 この生物学的なつながりは妊娠と出産の期間を超え、母親と子供の間に生涯にわたる細胞の絆を生み出すと言われます。
*神の母聖マリア
カトリック教会の教え、また神学において、マリアは「神を産んだ者」つまり「神の母」を意味するギリシア語の「テオトコス」として特別な地位を占められています。これは単なる称号だけではな
く、マリアと、完全に真の人間でありながら完全に真の神である主イエスとの間の独特の関係についての声明です。 西暦 431 年のエフェソ(現在のトルコ)公会議は、マリアを「テオトコス」として
正式に宣言し、主イエス・キリストの受肉における彼女の特異な役割を強調しました。
*偉大な神秘をほんの少し垣間見せてくれる科学
マイクロキメリズムについて知ったとき、私の心に電球が灯ったような気がしました。マリアと主イエスのことを考えずにはいられませんでした。もし子供の細胞が母親の体内に入り込んで生きるこ
とができるのなら、完全な神であり完全な人間である主イエスの細胞が、マリアの中にも宿られていたのではないか、と思いました。もしそうなら、神ご自身を宿した器であるテオトコスとしてのマリアのことを、これ以上の生物学的に肯定できるものがあるだろうか、と思いました。
この科学的理解は、私の信仰の奇跡的で神秘的な側面を減じるものではなく、むしろ畏敬と驚きの新たな層を加えています。それはまるで、私たちが信仰に基づいて受け入れている偉大な神秘を、科
学がほんの少し垣間見せてくれているようなものです。
*無原罪の聖マリア
「無原罪の御宿り」、神の母となる、おとめマリアだけが主イエスを身ごもる純粋な器として、その受胎のときから原罪の汚れを免れていた、というカトリック教会の教義です。聖母マリアは生涯清
らかであり続けました。
マイクロキメリズムについて考えると、細胞レベルでも、マリアと主イエスは密接に結びついていたことが分かります。この現象は、罪のない主イエスの細胞がマリアに宿られていたとしたら、マリア
の身体は、神を宿す神聖な空間であったのではないか、と考えさせられます。
「無原罪の御宿り」という概念は、この科学的現象に微妙な響きを見出すことができるのではないでしょうか。教義自体は信仰の問題でありますが、子供の細胞が生涯にわたって母親の中に宿ることができるという知識は、「無原罪の御宿り」に対する私の理解と認識にさらなる深みを与えてくれます。
*聖母の被昇天
「聖母の被昇天」は、無原罪の神の母、終生処女であるマリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂と共に天の栄光に上げられた、という教義です。それはマリアが主イエス・キリストの復活と栄光にあずかっていることを意味し、キリストによる救いにあずかる人たちの象徴として、信じるすべての人たちの救いへの希望を表現するものです。
マイクロキメリズムの視点から見ると、聖母の被昇天は私にとって、美しく新しい意味を持ちます。もし主イエスの細胞がマリアの身体に宿られていた可能性があることを受け入れるなら、彼女の天
国への被昇天はさらに畏敬の念を抱かせる出来事となると思います。神ご自身を宿した神聖な器である聖母マリアの身体は、当然のことながら、神との永遠の交わりの場へと定められているのでしょう
。聖母の被昇天は、母と子の間の生涯にわたる、細胞の絆が永遠にまで続くことを確認するようなものだ、と思います。