・神様からの贈り物 ④「もう一度、誰かの『守護の天使』になりたい」

  今年初めに、高校の恩師から葉書が届いた。校長先生だったシスターが昨年末亡くなった、とのことだった。葉書には「最後にシスターと話したのはいつでしたか?私が話したのは、電話であなたのことでした」とあった。その文章が目に入った瞬間、どっと涙があふれた。

  2017年末から2018年にかけて、私は怒涛の月日を過ごしていた。暴力、裏切り、辱しめ、それらに対する怒りを、ここでひとつひとつ説明するのは苦しすぎる。雪崩のように不幸がやってきた。やがて私は「自分に生きる価値はない。世界には、私に生きてほしいと思っている人はいない」と思い込むようになった。

  生きる気力を失った私は、シスターにすべてを正直に知らせた。私が高校を離れる時、「神の家族だと思っています」—そう言葉をかけてくれたことを思い出したからだ。

  シスターからはすぐに返事が来て、その日から、私のために毎晩ロザリオを一環捧げます、と約束してくださった。私は、そのことに感謝する余裕もなく、ただ涙を流しながら、布団の中でロザリオを握りしめていた。自分の命が逃げていかないように、ぎゅっとつかんで離さないようにしていた。

  祈りの輪は広がった。仏教、バハイ教、その他決まった信仰を持たない人なども含め、宗教を超えた人たちが私のために『主の祈り』を唱えてくれた。その数は、私の把握している数以上になるだろう。

  2019年12月、母校でシスターと共にクリスマスを祝った。聖体拝領の時には、「私は脚が悪いのでエスコートしてほしい」とお願いした。その日、シスターは周囲に、私のことを「彼女は私の『守護の天使』なの」と紹介してくれた。とても光栄なことだった。「誰からも必要とされていない」と感じていた私にとって、素晴らしい役割を与えられた幸福を、噛み締めた。あの日の気持ちを思い出すと、今でも胸がいっぱいになる。

  2023年秋、手紙を整理していたら、シスターからの最後のクリスマスカードを見つけた。母校のマリア像が印刷されていたカードには「麻衣さんが、今、あなたを理解する人々に囲まれ、穏やかに過ごしている様子が分かり、とても安心しています」という言葉があった。今もお守りのようにその葉書を持ち歩いている。

  改めて思うことがある。「もう一度、誰かの『守護の天使』になりたい」。そして、誰かに「私の守護の天使」になってほしい。そうやって、愛し愛されたい。神さまが私にそうしてくださったように。

  いつか天国でシスターと再会した時に「あなたのおかげで頑張れました!」と胸を張ってお礼が言えるように、今日を大切に生きていく、と決めている。

(カトリック東京教区信徒・三品麻衣)

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2023年10月31日