教皇フランシスコと福音宣教省・世界宣教部門の関係者らとの集い 2024年3月15日 バチカン宮殿 (Vatican Media)
(2024.3.15 バチカン放送)
教皇フランシスコが15日、バチカン福音宣教省・世界宣教部門の定例総会参加者たちとお会いになった。
風邪の症状が残る中での代読によるあいさつで、教皇は、多くの地方教会が面している「世俗化」の問題に触れ、「キリスト教共同体への帰属意識の喪失、信仰や信仰の教えへの無関心」がもたらしている今日の教会の深刻な状況に、参加者の注意を向けられた。
そして、「こうした深刻な状況にあっても、勇気を失わず、若い人々に人生の意味を取り戻させるための有効な答えを見つける機会としていくように」と促された。
「信仰の伝承が途切れることがないように」と願われた教皇は、「家庭や、教会で信仰育成に携わる人々との絆を強めると共に、若いカテキスタを育て、『教会のカテキズム』を普及させるなど、要理教育に力を注ぐこと」を希望された。
また、来年、2025年の聖年に言及され、「この聖年が、希望の力を浮かび上がらせる年となるように… 聖年の開催に備えた使徒的書簡を近く発表しますが、この書簡が、多くの人々にとって、『希望を具体的に生きる』ことについて考える助けになる」ことを願われた。
最後に教皇は、「聖年に先立つ今年が『祈りに捧げる年』であることを忘れないように… 聖母や聖人たちの教えから学び、まず自分自身から、よりよく祈ることを始めましょう」と参加者たちに求められた。
(編集「カトリック・あい」)
(2024.3.13 バチカン放送)
教皇フランシスコは、教皇選出から11年目にあたる13日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、その中で、「悪徳と美徳」をテーマにした連続講話を続けられた。今回から、「悪徳」と対称の関係にある「美徳」についての考察に入られた。
風邪の症状が残っておられるため、代読の形でなさった講話の要旨は以下の通り。
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これまで様々な「悪徳」を考察してきましたが、今回から、それと対称の関係にあるもの、悪の体験の対極にあるものに、目を向けたいと思います。
人間の心は、危険な情熱の言いなりになったり、害になる誘惑に耳を貸す可能性がある一方で、これらすべてに対抗することもできます。たとえそれが困難を伴うとしても、人間は善のために造られており、善を真に実現し、それを鍛え、自分の中で持続するものにすることができるのです。
人間が持つこの素晴らしい可能性をめぐる考察、それが「徳」という、倫理哲学の一つの古典的な主題を形作っています。 古代ローマの哲学者は「徳」をvirtus(ヴィルトゥス)、古代ギリシャ人はそれをaretè(アレテー)と呼んでいました。
ラテン語におけるその定義は、特に、「徳」を持った人の強さ、勇気、節制、苦行を強調しています。つまるところ、「徳」の行使は、努力や苦しみを要する長い発芽を経た結果なのです。それに対し、ギリシャ語のaretèは、優れた、際立つ、感嘆させる何かを指します。有徳の人とは、自分を曲げて無理に変えた人ではなく、自らの召命に忠実に、自分自身をあまねく実現した人のことです。
聖人たちは人間の中で稀な存在であり、私たちの限界を超えて生きる、一握りの勝者たちの集まりだ、と考えるのは誤りです。むしろ、聖人たちは「徳」という視点から見て、それぞれの召命を実現しながら、自分自身を精一杯に生きた人たちです。正義や、尊重、相互の優しさ、寛大さ、希望といったものを普通に分かち合えるなら、どれほどよいでしょう。しかし、それはめったにないことです。しばしば人間の最悪さと向き合わねばならない悲劇的な今日の時代ゆえに、徳ある態度の考察は再発見され、皆が学ぶべきもの、と言えるのです。この歪んだ世界において、私たちは神の似姿に沿って作られ、永遠に刻まれた自分たちのあるべき形を記憶せねばなりません。
ところで、「徳」という概念をどのように定義したらよいでしょう。『カトリック教会のカテキズム』は、正確で簡潔な定義を私たちに示しています―「徳とは善を行う堅固な習性です」(n.1803)。それは人間のゆっくりとした成熟から生まれ、その人の内的特質にまでに至る善です。「徳」とは自由の一つの「態度」です。私たちがあらゆる行いにおいて自由であるとすれば、善悪を選択する必要があるたびに、「徳」は正しい方を選ぶ習慣を私たちにもたらします。
「徳」がこれほど素晴らしい素質であるなら、すぐに次の問いが生まれるでしょう。「どのようにしてその徳を得ることができるのだろうか?」 その答えは簡単ではなく、複雑です。キリスト者にとって、一番の助けは神の「恵み」です。洗礼を受けた者の中では、聖霊が働きます。聖霊は私たちの魂の中で働き、それを有徳な生活へと導きます。いったいどれほど多くのキリスト者たちが、己の弱さを克服できぬことを認めつつ、涙を経て、聖性に到達したことでしょう。彼らは、自分にとって単なる素描に過ぎなかった「善」という作品を、神が完成してくださったことを知ったのです。神の恵みは、私たちの道徳的な努力に常に先行します。
さらに、先人の知恵からもたらされた、「徳は成長する。そして、それは鍛えることができる」という非常に豊かな教えを決して忘れてはなりません。そのためにも、聖霊に最初に願うべき賜物は、まさに知恵です。私たちが持つ、かけがえのない賜物は、開かれた精神と、人生を善に向かって方向付けるために、過ちから学ぶ賢明さです。そして、必要なのは、熱意と、善を選択し、過度なことを遠ざけ、節制を通して自分自身を形作る能力です。
それでは、こうして私たちの「徳」をめぐる旅を始めましょう。
(編集「カトリック・あい」)
(2024.3.10 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは10日、四旬節第四主日の正午の祈りに先立つ説教で、「神は、私たちをとても愛してくださっており、罪に定めるために裁判にかけることよりも、私たちが一人も失われないように、全員を受け入れ、救うことに関心をお持ちです。私たちが罪や過ちによって重荷を感じていても、イエスは慰め、救ってくださいます」と語られた。
説教で教皇は、この日のミサで読まれたヨハネ福音書の箇所(3章14‐21節)で、イエスがファリサイ派のニコデモに語られた内容に注目され、「ニコデモはイエスがなさったしるしを見て、神から遣わされた教師であることを認め、人目につかないように夜にイエスに会いに行きました。 主は彼を歓迎し、言葉を交わし、『自分が来たのは罪に定めるためではなく、世界を救うためであること』を明らかにされました」と語られた。
「私たちも立ち止まって、このことについて考えてみましょう。イエスは私たちを非難するために来られたのではなく、救うために来られました。それは素晴らしいことです」とされ、「完璧な人はいません。私たちは皆、罪人です。でも、それは私たちに対する神の驚くべき愛を妨げるものではないのです」と説かれた。
そして、「主の前に秘密はありません。主は、私たちをなじることはされず、私たちの人生を受け入れ、罪から解放し、救うことを望んでおられます… 私たちを裁判にかけたり、判決に従わせたりすることに興味はありません。私たちが一人も失われないことを望んでおられます」と強調。
そのうえで、教皇は、「私たちが他者を非難したり、うわさ話をしたりすることが、何度もあったことを思い返しましょう。そして、キリストがなさったように、慈悲深い心で他者に目を向けてくださるよう、今後も主にお願いしましょう」と信者たちを促された。
教皇は最後に、「私たち一人一人に向けられる主のまなざしは、私たちをまぶしくさせ、困難に陥らせる”まばゆい光”ではなく、親しみのある優しい光。私たちが自分の中に良いところを見つけ、 悪を認識すれば私たちは回心し、神の恵みの助けによって癒されることができのです」と語られ、神の他者への愛に倣うよう呼びかけられ、私たちが互いの善を願うことができるよう、聖母に祈られた。
Pope Francis greets participants in the conference (ANSA)
(2024.3.7 Vatican News Francesca Merlo)
8日の「国際女性の日」を前に、教皇フランシスコは7日、「教会の女性たち:人間性の構築者」と題された国際会議であいさつされ、「教会は、自身が女性であり、娘であり、花嫁であり、母親である、ということを心に留めておく必要があります」とされたうえで、「神の民の中で女性の貢献を認識し、評価することの重要性」を強調され、この目標を達成するための団結、洞察力、協力を呼びかけられた。
また、教皇は、女性の特質を通して神の聖性が反映されていることを例証する、慈善、教育、祈りに満ちた取り組みの重要性を指摘。憎しみ、暴力、イデオロギーの対立という課題が山積する現代世界で「女性の貢献がこれまで以上に必要になっています」と強調された。
そして、「団結を促進し、人類の真のアイデンティティを回復するために、優しさと思いやりを特徴とする女性の貢献が緊急に求められています」と語られ、教育に関して、この会議とさまざまなカトリックの教育・学術機関との協力を評価。
「聖性、特に女性の神聖さについての証しを生徒たちに示すあらゆる努力によって、彼らに対して、より高みを目指すよう促すことができます」とされ、未来を担う世代にインスピレーションを与える手本を示すことの重要性を強調された。
あいさつの最後に教皇は、「暴力、不平等、不正義など、世界中の女性が直面している現在も続く闘い」を指摘するとともに、「人類全体の発展を促進する上で、少女たち、若い女性たちに対する教育が変革をもたらす力となることを強調され、これらの問題に対処するために協調して取り組むこと、さらに女性の権利と尊厳の向上に継続的に取り組んでいくことを、参加者たちに強く求められた。
教皇フランシスコと子どもたちとの集い 2023年11月6日 バチカン・パウロ6世ホール (Vatican Media)
(2024.3.2 バチカン放送)
今年5月25、26両日にカトリック教会の第1回「世界子どもの日」が予定されているが、教皇フランシスコが2日、この日に向けたメッセージを発表された。
教皇は昨年11月、教皇庁文化教育省が企画した世界五大陸の子どもたちとの集い「子どもたちから学ぼう」を主宰され、その1か月後の12月8日に「世界こどもの日」を今年5月から始めることを発表された。
その趣旨として、「子どもたちに、どのような世界を伝えたいのか」を考え、「イエスのように、子どもたちを中心に置き」その成長を見守り、支える必要を再認識する機会とすること、と説明されていた。
今回のメッセージで、教皇は「聖書が教え、イエスが何度も示されたように、皆さんは神の御目に『尊い』ものです」と子どもたちに話しかけ、また世界中のすべての人々に「皆さんは大切な存在。私たちは皆、子、兄弟であり、誰かがこの世に生んでくれなければ、誰も存在することはできず、愛を与え受け取ってくれる他者がいなければ、誰も成長することはできない」とされ、「ご両親と家族の喜びである皆さんは、人類と教会にとっても喜びです」と強調されている。
そして、また子どもたちに、「人はそれぞれが過去から未来へと続き、地上を覆う長い鎖の一つの輪のようにつながっています。ですから、両親や祖父母のような年上の人々の話に耳を傾けることが大切です」と語られ、「小さい頃から、病気や戦争、暴力や飢餓に苦しんでいる子どもたち、難民となり親から離れた子どもたち、学校に行けない子どもたちがいることを忘れないようにしましょう」と勧められた。さらに、「私たちや世界を新たにするには、皆が一緒にいるだけでなく、イエスと一致していなくてはなりません」とし、イエスから勇気をもらい、聖霊に導かれる必要を説かれた。
また教皇は、「見よ、私は万物を新しくする」(ヨハネの黙示録21章,5)というイエスの言葉を、第1回「世界子どもの日」のテーマとして紹介され、「イエスと共にいるなら、私たちは新しい人類を夢見、より兄弟愛に満ち、地球に配慮した社会のために努力することができるでしょう」と語られ、「本当に幸福になりたいなら、毎日、大いに祈らねばなりません… 祈りは、私たちを神と直接つなぎ、心を光と温かさで満たし、すべてを信頼と落ち着きのうちに行うことを助けてくれるます」と説かれた。
そのうえで、教皇は、「いつも御父に祈っておられたイエスのように、私たちも祈り、5月の『世界こどもの日』を準備するために、特にイエスが教えてくださった『主の祈り』を唱えてください」と願われ、最後に、「私たちをいつも愛される神は、父親たちの最も愛情深い眼差し、母親たちの最も優しい眼差しを持っておられ、決して私たちを忘れず、聖霊をもって私たちを見守り、新たにしてくださいます」とメッセージを締めくくられている。
Pope Francis at the inauguration of the 95th Judicial Year in the Vatican (Vatican Media)
(2024.3.2 Vatican News Lisa Zengarini
教皇フランシスコは2日、新たなバチカンの裁判所の年度初めにあたってのバチカンの関係者たちとの会合であいさつされ、「司法の運営にあたって、真実を追求し、批判に直面する際にも、正義を行うために、勇気と謙虚さの美徳をもって対応する必要」を強調された。
*”自己宣伝”を目的としない「健全な大胆さ」が必要
あいさつで教皇はまず、「正義を行うための勇気と謙虚さの美徳は、英雄的な人に特有の特質」ではなく、「聖霊の働きの成果として、キリストとの出会いによって与えられ強化されるキリスト教徒としての特質。私たちが呼び求めれば誰でも受け取ることができるものです」と指摘。
その美徳は、特に「善の達成を妨げる内外の圧力を拒否し、忍耐を持って行動する能力に表れます」とされ、「健全な大胆さ、つまり『社会の弱者との、自己宣伝ではなく、連帯を目的とする姿勢』を欠けば、大小さまざまな不正を見過ごす危険がある」と注意された。
*正義とは常に慈善行為である
迫害されている多くのキリスト教徒を含め、世界中で戦争や人権侵害に苦しむすべての男女の勇気に敬意されたうえで、教皇は「私たち皆が、子供たちの将来のために全力を尽くし、共通の社会を守るために召されています… 『裁く』という仕事には、慎重さ、慈善心、節制に加えて、不屈の精神と勇気という美徳が必要であり、それがなければ知恵は不毛なままになる危険があります」と繰り返された。
*真実を徹底的に追求する勇気
続けて、司法権の機能について、「まず第一に、『真実を徹底的に追求する勇気』が必要。その際、頭に入れておくべきは、正義を行うことは常に慈善の行為であり、過ちを認めるのを助けるための、『友愛的な矯正』の機会となる、ということです」とされ、特に、深刻でスキャンダラスな行為が明らかになり、制裁が求められるとき、特にそれが教会共同体内部で起きたときには、なおさら必要になります」と強調された。
*適正な手続きを確保する勇気
また教皇は、「訴訟の適切な進行を確保するよう努力し、批判に直面して勇気を持つことが必要です。 外部から批判に対する最善の対応は、勤勉な沈黙と真剣に仕事に取り組むことであり、それによってバチカンの法廷が権威と公平性をもって司法を執行し、バチカンの法制度の特殊性を尊重しながら適正手続きを確保できるようになります。制度の強靭さと司法行政の堅固さは、司法プロセスのさまざまな段階での裁判官の冷静な判断、独立性、公平性によって証明されるのです」と語られた。
*正義を行う上での識別力を求める「祈りの勇気」
あいさつの最後に教皇は、「聖霊の光は、常に公正な判決に至るために必要な識別の道を照らしてくれます。 皆さんの仕事にとって、祈りは『時間の無駄』だと考えるべきではありません」「識別は『ひざまずき』の中で行われ、聖霊の賜物を懇願し、個人と教会共同体全体の利益につながる決定を下される。 そのためにも勇気と精神力が必要です」と説かれた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南条俊二)
Pope Francis addressing international Symposium “Man-Woman: Image of God. Towards an Anthropology of Vocations” in the Vatican (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2024.3.1 Vatican News Lisa Zengarini)
教皇フランシスコは1日バチカンで始まった国際シンポジウム「男と女:神のイメージ。召命の人類学に向けて」の参加者へのあいさつで、いわゆる”ジェンダー・イデオロギー”を取り上げ、「男性と女性の間のあらゆる違いを消し去る、現代で最も醜い脅威」と強く批判。
「男女の違いを消し去ることは、人間性を消すことです。男女は、実りある『緊張』の中で存在しているのです」と強調された。
このシンポジウムは、バチカン司教省の前長官、マルク・ウエレット枢機卿と召命研究人類学センター(CRAV)が主催したもので、「司祭職の神学」をテーマにした前回2022年のシンポジウムに続くもの。
あいさつの冒頭で教皇は、「まだ風邪をひいており、あまり疲れることのないように、アシスタントのフィリッポ・チャンパネッリ修道士に代読をお願いせざるをえなくなりました」と語られた。
続いて代読されたあいさつの中で、教皇は、「あらゆる召命の人類学的側面を検討し、強化すること」を目的とするこのシンポジウムのテーマに注意を向けられ、「人間の人生は天職であり、 私たちは人生で、喜びと責任を持って具体的かつ個人的な使命を担うよう求められています… 私たち一人一人は、自分の存在と賜物を共通の利益のために他者と分かち合いながら、耳を傾けて応答することで、自分自身を実現する人間として召された自分を発見し、表現するのです」と語られた。
そして、「この基本的な人類学的真実は、人間が単なる物質的で主要なニーズに還元される傾向がある今日の文化的文脈では、しばしば見落とされています。 しかし、人間はそれ以上のもの、神がご自身の姿に似せて創造された男女は、永遠と幸福への願いを自分たちの中に抱いており、それは神ご自身が、それぞれの心の中に植え付けられ、与えられた使命を実現するよう求められているのです」と説かれた。
教皇はさらに、「私たちがこの世界に存在するのは、単なる偶然の産物ではありません。私たちは愛の計画の一部であり、自分自身と他の人のために、自分自身の外に出てそれを実現するよう招かれています…。私たちは幸福、人生の充実、そして神が私たちを運命づけた偉大な何かに、招かれています」とされ、聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿の『瞑想と祈り』を引用する形で、「私たちは一つの同じ使命ではなく、一人ひとりがそれぞれの使命を持っているのです」と語られた。
このような視点から、今回のシンポジウムは、「人間が神によって召されている召命についての認識を広める」ものであり、「現在の人類学的危機、そして人間とキリスト教の使命を促進する必要性についての課題について考えることに役立つものです」と評価された。
また教皇は、信徒の役割、叙階された聖職者の奉仕、奉献生活など、教会におけるさまざまな種類の召命の「より効果的な循環」を促進することの重要性を強調し、それらが「死に圧倒された世界に希望を生み出すことに貢献できます」とされたうえで、「このような希望を生み出し、開かれた友愛の世界を築くために神の王国に奉仕することは、現代のすべての女性と男性に託された使命です」と強調された。
そして、あいさつの最後に、教皇はシンポジウムの参加者に対し、「自分の働きの中に神のご意思を求める際に、リスクを避けることのないように。生きた信仰は、博物館の中にある工芸品ではないことを思い起こすように」と求められ、「聖霊は私たちに忠誠を求めますが、忠誠は、私たちにしばしばリスクを冒させる… 神のご意思を識別し、探求することにリスクを冒しても、勇気をもって前進するように」と励まされた。