☩「神は、私たちを受け入れ、罪から解放してくださる」四旬節第4主日の正午の祈り

(2024.3.10 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

教皇フランシスコは10日、四旬節第四主日の正午の祈りに先立つ説教で、「神は、私たちをとても愛してくださっており、罪に定めるために裁判にかけることよりも、私たちが一人も失われないように、全員を受け入れ、救うことに関心をお持ちです。私たちが罪や過ちによって重荷を感じていても、イエスは慰め、救ってくださいます」と語られた。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたヨハネ福音書の箇所(3章14‐21節)で、イエスがファリサイ派のニコデモに語られた内容に注目され、「ニコデモはイエスがなさったしるしを見て、神から遣わされた教師であることを認め、人目につかないように夜にイエスに会いに行きました。 主は彼を歓迎し、言葉を交わし、『自分が来たのは罪に定めるためではなく、世界を救うためであること』を明らかにされました」と語られた。

 「私たちも立ち止まって、このことについて考えてみましょう。イエスは私たちを非難するために来られたのではなく、救うために来られました。それは素晴らしいことです」とされ、「完璧な人はいません。私たちは皆、罪人です。でも、それは私たちに対する神の驚くべき愛を妨げるものではないのです」と説かれた。

 そして、「主の前に秘密はありません。主は、私たちをなじることはされず、私たちの人生を受け入れ、罪から解放し、救うことを望んでおられます… 私たちを裁判にかけたり、判決に従わせたりすることに興味はありません。私たちが一人も失われないことを望んでおられます」と強調。

 そのうえで、教皇は、「私たちが他者を非難したり、うわさ話をしたりすることが、何度もあったことを思い返しましょう。そして、キリストがなさったように、慈悲深い心で他者に目を向けてくださるよう、今後も主にお願いしましょう」と信者たちを促された。

 教皇は最後に、「私たち一人一人に向けられる主のまなざしは、私たちをまぶしくさせ、困難に陥らせる”まばゆい光”ではなく、親しみのある優しい光。私たちが自分の中に良いところを見つけ、 悪を認識すれば私たちは回心し、神の恵みの助けによって癒されることができのです」と語られ、神の他者への愛に倣うよう呼びかけられ、私たちが互いの善を願うことができるよう、聖母に祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2024年3月10日