「カトリック・あい」の、「一月の」コラムを書きたい、書こう、書かなければ…とクレッシェンドする思いに駆られながらも, 「書かなければ…」の段階になると、時間があっても書けない、やっぱり「書きたい」の段階で書くべきだった…などと思いながら, 二月も半ば近く。
今日は土曜日、今日「書きたい」。だから、こうして書き始めた。
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昨年3月初め、コロナ・パンデミック規制ぎりぎりでルーマニア出張から帰って来てから早や一年。ローマ出張を二回延期し(いまだ実現せず)、国内出張を何度もキャンセルし、長期東京出張の後、感染予防のための「隔離」生活を二週間経験し…
ローマでの勉学を終えて帰国したのが2007年1月。考えてみれば、その時から、出張も行事もなく本部修道院に「ずっと」丸一年”滞在”したのは久しぶりのことだ。
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そのような状況の中で、2020年5月、修道会のITに長けた姉妹の協力で、月一回配信の「マリアのミニ動画」を始めた。(聖母の騎士修道女会HPからリンク)
時には、今月、第9回の動画のように、ついつい力が入り、「ミニ」ではなくなってしまうけれど。「ミニ動画」は、わりと自由に、そしてかなりランダムにテーマを選び、母校、教皇庁立マリアヌム(Marianum)神学院で約七年、すばらしい恩師たちから学んだことを核にしてお話ししている。
動画制作など初めてで、原稿作成、資料作成、撮影時の目線、話すスピード、ジェスチャー…おまけに試作動画をチェックするという「試練」もあり、(自分の動画を見るのは、今でも苦手である)。第一回の動画を見ると、慣れずにカチコチしているのがよく分かる。
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それでも、私が原稿を読み間違えたり、次の言葉が出て来なかったり、時にはバックで急にヤギが鳴いていたり…でNGが続いても、動画撮影、編集を一気に引き受けてくれるSr.Hは「シスター、大丈夫ですよ~、もう一回、取り直しましょうね~」とおおらかに撮影を導いてくれて、感謝しながら何とか今に至っている。
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その「訓練」の土台があったおかげで、2020年夏、私が所属する「教皇庁立国際マリアン・アカデミー(PAMI)」から、「このコロナ・パンデミックの時期に各国語で『マリア論オンライン講座』を行いたい、日本語版をしてみないか」と話があった時、わりとすんなり「やりたい、やる、今、やらなきゃ!…」と思った。
このようにして、2020年9月から第一期「マリア論オンライン講座」日本語版がPAMIの企画の一部としてスタートした。一年九回、一回二時間。PAMI企画なので、無料だけれど登録制。
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10人くらい集まるかな~と思っていたら、現時点(2021年2月)で受講・聴講を含めて286人の方が登録してくださっている。正直、びっくり。
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「講座」の最初の段階で「手伝います!手伝わせてください!」と言うスタッフのAさん、Tさんが「現れた」。本当に「現れた」という感じ。今だから言えるけれど、これだけの人数の方に向けてオンライン講座をするのにAさん、Tさんがいなかったら…と思うと、まったく善意とやる気だけで始めた自分の無謀さに呆れるとともに、たよりない私を見守ってくださる方々、マリアお母さんへの感謝に堪えない。
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無償のオンライン講座。当然、Aさん、Tさんも無償ボランティア。しかも日中は仕事をしながら。さらには二人ともオンライン講座の成長を自分のことにように喜んで、殆ど「ライフワーク」のように力を注いでくれている。
私の原稿が遅れて、講座間近になっても資料が送れず、参加者の方々から「まだ資料が来ていないのですが…」とメールが次々と届いた時も、二人のスタッフは「急いでください」とは一言も言わず、じっと見守りながら待っていてくれた。やっと資料が出来上がると、それこそ夜を徹して編集し配信してくれた。
このようなスタッフがいてくださるからこその「奇跡」ではないだろうか?…と、私はしばしば思う。
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当の私も、修道院の姉妹たちに支えられ、助けられて。マリアさま大好き!のシスターたちの祈り、励ましには、どんなに感謝してもしきれない。
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参加してくださる方々と言えば… 黙想会のお手伝いをしたC会の神学生たち、神学校の教え子の司祭たち、知り合いの聖公会の牧師さんと神学生、クラスメートたち、今まで、講話、勉強会、黙想会のお手伝いをしてきた修道会、教区の教会、教会関係機関の方たち、友人の神父さま、シスター方から勧められた方たち、果ては(?)私自身の姪や、幼馴染の奥さんまで…
カトリック、プロテスタント、聖公会、キリスト教ではない人… バライティーに富む方々の「表情」が講座を豊かにしてくださる。
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私は「オンライン講座」の場、空間はちょっとした「マリアの家」ではないか、と思う。「マリアの家(Casa di Maria)」とは、教皇フランシスコがPAMI六十周年(2019年)のメッセージの中で言われた表現だ。世界中のマリアン・アカデミーが「マリアの家」になってほしい、と。
「マリアの家」で、人々はイエス・キリストと出会い、マリアの母の気遣い、ケアの中でキリストをより深く知るようになり、父である神が私たち一人ひとりを大切にしてくださる、慈しみ深い方であることを経験する。そのようなヴィジョン。
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「マリア論オンライン講座」日本語版は「プチ・マリアの家」…くらいだろうか?それでも、人々がこの家に入り、「光」「いのち」「道」であるキリストに出会い、困難な人生の中でも
父である神の「大きな救いの計画、愛の計画」の中に生かされていることを感じ、前に進む力をもらうような場所になったらいいな、とひそかに(?)思っている。
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最後に…「マリア論講座」と名がつくのだから、当然、学問的な内容には、なる。でも、私にはかなり「大それた」夢がある。「マリアのミニ動画」も、「マリア論オンライン講座」も、目的は大きい。「すべての人」が少しでも「幸せ」になるため!そのために私のすべてを差し出したいと本気で望んでいる。
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次のことを思い起こしながら…
この地上での日々の生活が「無」に向かっているのではなく、確かな希望―神が私たちに約束してくださった永遠の命―に向かっていること。
神は約束に絶対に忠実であること。
私たちの「普通の日々」の中の出来事、出会う人々…すべてが、(一見、否定的に見えることでも)神の「内」に存在すること、神の「外」には何も存在しないこと。
教皇フランシスコが繰り返すように、私たちは一人では救われないこと。
「兄弟姉妹」である「すべての人」と「同じ船」に乗って旅をしていること―「天」の兄弟姉妹たちに助けられながら―。
この船は「教会(Ecclesia)」であり、それは「すべての人の母」である教会、あらゆる境界を乗り越え、神がその中に集めるすべての兄弟姉妹―宗教、文化、国籍を超えて―を受け入れ、互いに気遣い、共に旅をする「教会」。
この船のただ中には、人となった神、イエス・キリストがおられ、マリアは、この「教会(Ecclesia)」の母として、旅するすべての子らを母の愛をもって気遣い、見守り、助けてくださる。
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土曜日の、ちょっと大それた独り言でした。皆さんの上に、主の豊かな祝福がありますように!
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)
https://youtu.be/rNu232Ga9w4
新型コロナ感染に伴い、すべての人がストレスを抱え、生き方自体を考えねばならない状況である。
2019年12月のコロナ発症から一年以上が過ぎたが、カトリック信者として、一人一人がこの間どのように生きてきたのであろう。人間は自分のことに責任を持って生きねばならない、と言われるが コロナに関して辛い報道が頻繁に流れる状況の中で 自分の考えさえも冷静に表すことは難しい。それぞれの家族での対応も千差万別であり 此程までに大きな問題提起を与えられた人間社会は 何を強く感じねばならないのだろうか。
イタリアでは50人の司祭が感染者のための病者の塗油、また臨終への立ち合いで死亡された報道があった。フランシスコ教皇は、死亡した聖職者を「英雄的だ」と称えられた。恐怖にかられながらも、 自分の命を差し出された司祭方の勇気から、イエスを見ることができた。
コロナ禍のアメリカの病院で自らチャプレンとして働く若い日本人牧師の報道があった。宗教を超えて他者の為に自分を使う。そこには支えてくれる仲間もいる。もちろんカトリックの司祭も、そこでチャプレンとして働いているだろう。
宗派を超えてアイデアを出し合いながら働くことは、なんと素晴らしいのだろう。人間社会にとって 人間の言葉で話し合うことは一番必要であろう。特に司牧者にとっても真に人間的であることが奉仕職を行う上で不可欠だろうと私は思う。
最近のカトリックに関する報道は、本当に残念な聖職者の姿である。ともすれば世界のカトリック教会の聖職者すべてが 、一般市民にとっては、悪人化されても不思議ではない報道内容であ。カトリック教会の歴史の中で『隠蔽』体質が問われることは、信者として情けなく、恥ずかしい。このような体質は神もイエスも認めないであろう。一番あってはならない教会の姿である。
私たち信徒は、純粋に神を信じイエスと共に歩んでいきたいのである。位階制度をうたう聖職者からの暴言と行いから苦しめられている信徒はどのくらいいるだろうか。聖職者のことで苦しんでいる時に 相談する適切な機関もないのが日本の現状だ 相談機関に 問題がある当の聖職者がいる場合、誰がどこに行かれようか。
身を削って兄弟姉妹のために働くことが、 真の聖職者の姿ではないのだろうか。今のカトリック教会の一部に見られるように、一方的な判断基準では、時に魂さえも傷つけられて、つまずかせられる。自分が一番正しいと思い、 安泰だけを求める宗教は深化しないのではないだろうか。
コロナ禍の中、神からの問いかけは何なのか。現実と真摯に向き合い 、自分の無力さをも認めながら 、自分の信仰を見つめたいと思っている。
(西の憂うるパヴァーヌ)
ミャンマーで2月1日、アウン・サン・スー・チー国家顧問ら与党関係者が国軍によって拘束され、軍出身のミン・スエ副大統領が大統領代行となって非常事態宣言を発令したと伝えられています。昨年の国政選挙の結果に対する反発から、軍によるクーデターであるとも報道されています。
私自身、三十年以上前に、当時まだ軍事独裁政権下にあった西アフリカのガーナで8年ほど生活していましたが、その間にも幾たびかクーデター未遂事件が起こり、首都には夜間外出禁止令が出たりしたことがありましたが、それがすぐに、わたしが住んでいた田舎の生活に直接の影響を及ぼすようなことはありませんでした。
ですから、今回の出来事がそれ自体として、即座に全国的な生活の変化などとして大勢の人の身に危険が及ぶことはないでしょうが、長期的に見れば、民主化後に経済が発展し生活が安定してきた国家のこれからには、マイナスの影響を残しかねません。
加えて、以前から少数民族が数多くあるミャンマーでは、それに起因する政治的不安定さが、時に暴力的な対立を各地で生んできたのであり、その中で、カトリック教会も、仏教国での少数派とはいえ、さまざまな影響を受けてきました。
ロヒンギャの問題が近年では大きく取り上げられますが、それ以外にも少数民族を巻き込んだ不安定要素は多くあり、民主化が進んで、政治から軍が切り離されていくことが、さらなる安定への道だと思いましたから、今回の件は本当に残念です。
中国の問題などと同様、現時点で現地の教会からの要請があるわけではありませんから、今の立場で直接ミャンマーの内政への批判的な言説を行うことは控えたいと思います。
しかし、国家の舵取りをする方々には、複雑な民族構成の中で、一部の利益ではなく全体の善益を考慮に入れて行動をしてほしいと思いますし、民主的な選挙の結果を暴力的に覆すことは認められるべきではありません。
異なる意見を力を持って封じ込めることも、認められるべきではありません。一日も早く事態が収束することを、心から祈ります。
東京大司教区はかねてより、ミャンマーの教会を支援してきました。現在でも、教区内の小教区に所属されるミャンマー出身の信徒の方々がおられます。故郷のことを思い、どれほど心配されていることでしょう。故郷 が、安心と安定を取り戻すように、心から願います。
東京教区のミャンマーの教会支援の歴史は、ケルン教区との関係にさかのぼります。そのあたりは教区のホームページを ご覧ください。1979年以降、東京教区はケルンと協力しながらミャンマーの教会支援を行い、特に11月の第三日曜日をミャンマーデーと定めて、支援のための献金やお祈りをお願いしてきました。
近年では、ミャンマー国内の神学校建設などを支援しており、昨年2020年2月には、担当のレオ神父、高木健次神父の二人に引率されて、私も含めた東京の司祭団で、支援先の神学校などを訪問してきました。
写真は昨年2月のミャンマー訪問のときのものです。ちなみに、私にとっては、この昨年2月のミャンマー訪問が、今に至るまでで最後の飛行機の旅(国内外併せて)でありました。次に訪問できるのは、いったいいつになることでしょう。
さて私はカリタスジャパンの視察で、2003年に初めてミャンマーを訪れて以来、幾たびかの訪問を重ねてきましたが、昨年2月に訪れたときと2003年の初めての訪問の時の印象とを比較すると、実際に国全体が大きく発展していると感じました。
2003年の時は、携帯も使えず、地方へ夜行バスで移動した際には、公安とみられる人物が、ずーっと後ろをついてきていました。民主化が進み、着実に経済も発展し、社会全体が安定してきている、と昨年2月には感じましたから、今回の出来事はマイナスの方向に引き戻す力として、本当に残念です。
ミャンマーの安定のために、人々の安全と安心のために、お祈りください。またミャンマーの教会のために、これまで以上のお祈りをお願いいたします。
(2021年02月02日 菊地功=きくち・いさお=カトリック東京大司教)
私はほとんど毎朝、朝食時にコーヒーを飲みます。早朝に淹れる挽きたてコーヒーの濃厚で深い香りが、特に大好きです。この香りは、妻や両親、兄弟や親しい友人たちとコーヒーをゆっくり飲みながら、共に過ごしていたひと時を、しばしば思い出させてくれます。昔、小さなコーヒー焙煎屋の近くに住んでいた頃の子供時代のことさえ、思い浮かばせてくれます。
ただ単に香りだけでなく、それに伴う心地よい充足感、ノスタルジア(郷愁)や思い出が好きです。この特定の香りが私をどのようにかき立てるのかは説明できないのですが、そこにはきっと奥が深いだろうと思います。
私たちの信心深さが香りのように神様に向かって昇っていくとき、おそらく、神様も同じように感じられるのかもしれないと思います。神様はより深遠な喜びで、その香りをお受入れくださるのではないでしょうか。
神様はイスラエルの祭司たちに、絶えずかぐわしい香を焚き続けるように命じられましたが(出エジプト記30章7節~8節参照)、神様を喜ばせたのは、単なる香りそのものではなく、その香りが表す神様の民の絶え間ない祈りのことだったのです。祈りは神様にとって、「金の鉢」にお集めくださるほど、とても心地よく貴重なものであると、ヨハネの黙示録が教えてくれます。
「巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老はおのおの、竪琴と、香で満たされた金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである」(5章8節)。
「また、もう一人の天使が来て、金の香炉を手に持って祭壇のそばに立ち、たくさんの香を受け取った。すべての聖なる者たちの祈りに添えて、玉座の前にある金の祭壇の上に献げるためである。香の煙は、聖なる者たちの祈りと共に天使の手から神の前に立ち上った」(8章3節~4節)。
ダビデもこのように詠っています―「私の祈りがあなたの前に/香として供えられますように」(詩編141編2節)。
確かに、私たちの祈りは、天におられる御父が喜ばれる、金の鉢を満たすかぐわしい香りとなるのです。
私たちが祈りを通じて御父をお求めするとき、御父がそれほど喜ばれる一つの大きな理由があると思います。それは、御父が単純に私たちと一緒におられることがお好きだからということだと思います。
かつて参加した黙想会の中の告解で、神父様が私に「神様はあなたと一緒におられるのが大好きで、毎日あなたと共に過ごす時間を望まれているのだ」と言ってくれました。それを聞いた私はとても感動したのを覚えています。
言い換えれば、私たちが主に向かってお祈りするとき、主は喜んで私たちと共におられ、一緒におられることを楽しんでおられるということです。全能の神様が私たちと一緒におられるのが好きであることよりも大きな祈る動機があるのでしょうか。
「主は、人が友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」と聖書に記されています(出エジプト記33章11節参照)。確かに、主はモーセと一緒におられるのが好きでした。主もアブラハムと一緒におられるのが好きで、彼をも友と呼ばれました(イザヤ書41章8節、ヤコブの手紙2章23節参照)。
そして、主イエスが「私はあなたがたを友と呼んだ」(ヨハネによる福音書15章15節参照)と弟子たちに言われました。
友情は、相手と時間を過ごすことで育まれます。聖パウロが教えてくれるように、絶えず祈りましょう(テサロニケの信徒への手紙①5章17節)。神様が望まれているように、日々主と一緒に過ごす時間を捧げましょう。
「愛の内に歩みなさい。キリストも私たちを愛して、ご自分を宥めの香りの供え物、また、いけにえとして、私たちのために神に献げてくださったのです」(エフェソの信徒への手紙5章2節)。
主イエス・キリストにあって、主イエスの御名によって、私たちの祈りが天におられる御父を喜ばせる香りの供え物となりますように。
(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)
年が明けてもコロナウィルスの暗雲去りやらない。心をよぎるいくつかを、独断と偏見で申し述べたい。
*コロナと国民性
年末からコロナの第三波襲来ということで危機感をもって諸施策が行われている。12月下旬で我が国の感染者数19万人、死者 2000人弱である。亡くなった方とその家族の方は誠にお気の毒であるが、この数値は諸外国に比してきわめて低い。米国、インド、ブラジル、ロシアそして欧州諸国に於いては我が国と比べて桁違いに多い。
その理由は何か。一つには身体接触の多い挨拶の習慣によるものであろうし、日本人と比べ万事無神経で大雑把な生活態度にも一因があろう。また欧米人の個人の権利意識の強さにも原因があるあと思われる。欧米ではマスク着用の強制に対して個人の自由の侵害という強い抵抗感があり、反対デモや訴訟が起きている由である。命の危険がある病気のだというのに、マスクをしない権利でもなかろうに。
彼らの権利意識の強さの一例として、コロナとは関係ないが、、フランスで起きたムハンマドの風刺画に反発したイスラム原理主義者のテロリストによる殺人事件に対するフランス人の言論の自由の主張があげられる。確かに殺人はいかなる場合でも絶対に許されるものでは無い。しかし一方人間の至高の存在に対する崇敬の思いには敬意を払うべきではなかろうか。言論の自由は大切であるが、絶対、無制限のものでは無いはずである。もし無制限なら名誉棄損罪や侮辱罪は成立しないはずである。
一方、日本人の国民性の特徴は協調性や従順さ、権利意識の低さや自己主張の弱さにあると言われる。これは外交交渉などでは不利に働き日本人の弱点とされる。しかし今回のコロナの防疫に関しては良い結果をもたらしたとみられる。国民性とは不思議なものである。
*コロナとカトリック教会
「潮路 」11月号で、花島克彦氏が、コロナによるミサ参加者の制限によって献金が減少し、小教区の財政問題が生じている、と述べておられる。これ自体,由々しい問題であるが、同時に、信者の教会離れが心配である。
確かにITの時代であるから、家にいても様々な方法でミサの実況や司祭方の説教、聖書講義などに接することが可能である。それにより個人の信仰を養うことが出来る。しかし我々の信仰は神と自分との直的なものだけでなく、共同体的な要素を持つ。毎週主日のミサに共に参加し共に喜び合うことが大切である。
人間は習慣的動物であるから、ミサに与り、教会にしげしげと足を運ぶ習慣が薄れてしまうことは、次第に教会離れを起こし、共同体が弱体化する恐れがある。これが杞憂でないことを祈る。
*コロナと神の摂理
東日本大震災の時もそうであったように、大災害が起こると、「神は何故、このような悪を放置されるのか」という問いが現れる。「神は善であり全能のはずである。もし神が悪を避けることができるにもかかわらず、そう望まなかったら神は善ではないし、逆に望んだにもかかわらず、そうすることができなかったなら、神は全能ではない」という論法で、神の存在を疑うのである。あるいは「災害は神の人類に対する罰であるとか、試練である」という考え方ある。
真面目に生きている正しい人が震災に遭ったり、コロナウィルスに感染して命を失った場合 、神のなさり方を不条理と考え、「神の考えは理解できない」とする。これは旧約聖書のヨブ記のテーマである。考えてみると、この世は不条理の連続である。神のお考えは人間が知る由もない。
かつて森一弘・司教が「神は創造の後は、自然界については自然の法則に、人間については自由意志に委ねられた。従って個別の問題について、いちいち直接介入されることは無い」と述べられた。私はこの考えに同感である。
その立場からすれば、東日本大震災は自然現象であり、コロナパンデミックも自然現象または人災である。人間は神に与えられた能力である理性や自由意志をフルに使って、即ち医学技術や政治経済、社会の総力を挙げてこの災厄を克服しなければならないのである。
さはさりながら、神が人間一人ひとりを愛しておられることを信じるのは、我々の信仰の根本であり、常に祈りによって神と対話することの重要性を、軽視するつもりはない。祈りは信仰の呼吸である。このような危機的状態はかえって、神とのつながりを強め、信仰を深める契機となり得る。
なお、この世の人生の不条理は、例え人間が納得できないことであったとしても、最終的に終末において神が正しく解決してくださるもの、と私は信じている。
今年はどんな年になるのであろうか。いずれにせよコロナ禍が一日も早く収束し、平和な日々が戻ってくることを、切に祈るばかりである。
(カトリック逗子教会信徒・菅田栄一)
タイ国の暑い気候には、なぜか派手な色彩がよく似合います。奇抜 でハレーションを起こすような反対色や、大胆な柄のフリル付きの服 装に、思わず見入ってしまいます。
人の目を気にせず、自由に自分の好みの服装を身に着けて生きるタ イ社会、何ともいい感じです。友人が言いました。「日本にいると、監視カメラに 見られているようでタイに来るとホッとします」と。
タイに来て間もない頃、国王様の誕生日に、皆こぞって黄色の装いでお 祝いしているのにびっくりしました。 国王誕生の月曜日の色を身に付けて、忠誠と感謝の気持ちを表すの です。
曜日の色は、日曜は赤、月曜は黄、火曜は桃、水曜は緑、木曜は橙、金は空、 土曜は紫。皆は、自分の誕生色を知っていて、格別の親しみを持って、そ の色を纏い大事にしているのです。
政治闘争の時も。各徒党が同色の服装で集合し対決。対立勢力が赤 と黄の其々の服装に身を固めぶつかり合つていました。 各政党が独自の色を持ち、国会の議員座席も色分けしてあるのです 。
例えば、カセサート大学(農大)は緑とか大学も独自の色を持ち 、銀行もバンコク銀行が紫と、色で見分けがつき、 航空会社も同様で、格安航空会社のノックエアは黄色の鳥です。
タイ人の色分けへのこだわり。調べればキリがありませんね。「一目瞭然 で一致団結し易い」からだそうです。単純なタイの国民性にピッタリ 。それとポロシャツ大好きで、色分けポロが会社、各集会、 催し毎にお見えです。
僧侶は橙の袈裟、尼僧と私達修道者は正装の白。一昨年、女子パウロ 会の初のタイ会員の終生誓願の折、白の制服をそろって新調し、 タイの修道者の仲間入をりしました。
この様なパンデミック情勢の中で、一目瞭然な姿、外見負けせずに、 神の国の証人として生きる覚悟です。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
「わし、淋しいからここにおるんかな、と思うのや」とS師は言っていた。神学生時代のことだったが、今もそうだ。
「わし、淋しいから神父なんやないかと思うのや」。多分、これを聞くと「えっ」という人がほとんどだろう。しかし、S師の言葉を言い換えればこういうことになるだろう… 「自分は人間が好きなのだ」と。
実際、司祭は人間相手の仕事である。勘定が合わなくても、避けて通れないことが多い。つまり、司祭職の内容そのものが「泣き所」なのである。だからS師の言うことは、正論中の正論だ。表現が独特なのだが、普通に聞くと「えっ」となる。
特定の何かに心酔することがなく、主義主張にとらわれないノンポリの最たるもののように、考え方が違う誰とでも飲みに行く(といっても彼はお酒に強くはないのだが)。
神学生たちは、土日には小教区のお手伝い(というか、研修なのだが)に行く。これをアポストラートス(遣わされる者という意味)と言う。通称アポである。日曜日の晩の祈りの後に皆で夕食を取るが、そこでの話題は「アポ先」の教会に関するものとなる。
神学生によってはアポ先の教会の複雑な人間関係に巻き込まれることもあるから、暗い顔つきの食卓になることもあるのが現実だが、S師はアポ先の教会について、いつも実に楽しそうに語っていた。 いろいろなことがあっても、彼にとっては面白いのである。実際、そういう機会がないと、逆に彼には「淋しい」という思いなのだろう。
「今日な、夏休み明けてから最初のアポやったけど、わし、おらんかった間、淋しかったん言われたんや、シスターからそう言われてな、わし、嬉しかったんや」。気難しい神学生から、「だから、なんだってんだよ」とすかさず、たたかれる。
それでも懲りずにS師はしゃべり続ける。「海外出張が決まったリーダーがな、『僕がいなくなったら、教会学校はどうなってしまうのか、出張の話は断ろうかと思ってるんですよね』って言うねん。わし、言うたったんや。『ドアホ。あんた、他人の心配しとる気で、自分の心配しとんのや。あんたおらんかっても、子供たち元気に遊ぶわ』ってな」。
真面目な学生がまたもや即座に突っ込む。「Sさん、そんな配慮に欠けること言っちゃダメですよ」。
S師も反論する。「そやかて、イエス様そんなこと言うてへんで。わしらホンマは取るに足らんもんやで、気負ったらあかんのや」。
正論である。もちろんS師は教会の奉仕に関わる方々をつまづかせるような人ではない。ただ自己評価の高い気負った人に対して、「正直すぎる」のである。だからいつも突っ込まれる。
しかし、突っ込まれても、突っ込む相手を嫌わない。「わし、淋しいから神学校におるんかな?」と聞くS師。「知るか」と思いつつ、「そうなんでしょうね」と答える私。
そもそも神学院の在学する時も、小教区に着任する時も、「いてやってるんだから」などという傲慢な態度ほど、非司牧的な感性はない。そういう意味では「やってやってる」という奉仕ほど他者性を欠いたものはなく、「祈ってやるよ」という姿勢ほど、隣人への非礼はなく、本来の「祈り合う」教会の精神から、かけ離れたものはないだろう。
「誰にも、悪をもって悪に報いることなく、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に過ごしなさい」(ローマの信徒への手紙12章17⁻18節)。
このみことばを思い浮かべて想う。これは「相手に無理に迎合して自分を曲げよ」という屈辱的な要求では、決してない。屈辱的どころか、逆に自分が相手を選ぶのではなく、相手からどう評価されようと、微動だにしない、高貴な精神の勧めである。
そうすれば多くの友を得る。反対に我執にとらわることで友を遠ざけ、孤立を深めるのは、選びの視点が「主に」ではなく、「自分に」あるからであろう。
…私は、S師を賛美するためにこれを書いたのではない。彼はいわゆる”聖人”ではない。それどころか、賛美に値する名誉を欲するタイプとは無縁の人だ。そういうことは、彼にとっては「しんどい」し、「ややこしいのや」という結果となる。
では、彼の行動の究極の動機は何かというと、「淋しいのや」である。「誰が上とか下とかどうでもええねん。イエス様は、それが嫌いやねん」。
なるほど、だからこそ「淋しいのや」という彼には、今も、友人が多い。
(日読みの下僕)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用しています)
「食べものを用意して食べさせるっていうことは、やはりひとつの『祝福』だと思うんです」—料理家の辰巳芳子さんは、こう語ります。
「食べることは、他のいのちとつながること」ーこれは極めてあたりまえの事実です。スペインで出会った生ハムを日本でも、と思い、辰巳さんは、ご自宅でハムの制作に取り掛かります。約15年の試行錯誤の後、ようやく、自分なりに納得できるものが出来上がります。
この営みを、彼女は、自分が手がけた中でも最も大がかりな「風仕事」だった、と言います。「風仕事」とは、あるところまでは人間がやるが、それから先は自然に任せる、ということだそうです。自然と一つになって営む仕事ーそれは、自ずと物事の本質に向き合わざるを得ません。
この不確かな生活の中で生きて行くことーそれは、本来、そう簡単なものではありません。自分自身はもとより、これから先、この社会はいったいどうなっていくんだろうー真摯に生きようとする人ならば、きっと思い描くことでしょう。
私たちは、しばしば、様々な誘惑や困難に出会い、不安(健康、仕事、家族、経済…)に襲われます。私たちの生活は、このように、極めて不確かなものです。それはあたかも、海の上に漂う舟のようなもの。人間の思いや力では、いかんともしがたいことに遭遇します。そのような時、私たちは、より確かなものに自分の基を求めます。
恐れるな
「夕方になった頃、舟は湖の真ん中に出ており、イエスだけが陸地におられた」(マルコによる福音書6章47節)。当時の人々は、海には悪霊が住むと考え、それは恐怖の対象でした。しかし同時にまた、そこはイエスの多くの弟子にとっては、生活の場でもありました。
舟はよく教会にたとえられます。その「舟」が、イエスと離れています。舟は逆風に襲われ、それに乗っていた弟子たちは、不安を覚え難儀します。舟は、木で造られていたのでしょうか。アウグスティヌスによれば、この木は、イエスが掛けられた十字架の木。不安定な水の上に浮かぶ舟は、まさに、私たちのこの世での生活の姿を現しています。
湖上を歩いて弟子たちに近づかれるイエス。しかしそれを幽霊だと思い絶叫する弟子たち。そのような彼らに、イエスは語りますー「安心しなさい。私だ。恐れることはない」(マルコによる福音書6章50節)。
「恐れるな」ーこれは生前のイエスが、何回ともなく語った言葉。同様の言葉として、彼はまた、「思い悩むな」「心配するな」とも語ります。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなこと気を遣い、思い煩っている」(ルカによる福音書10章41節)。確かに私たちは、日々の生活の中で、様々なことに思い悩みます。
「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また体のことで何を着ようかと思い煩うな… 明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイによる福音書6章25、34節)。
イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり平安が訪れます。彼らと共にいたイエスの名は、インマヌエル。それは「神は私たちと共におられる」という意味。真の平和は、ここから生まれます。ですからイエスは、こう約束されますー「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイによる福音書28章20節)。
(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」による)
「箱根の山は天下の険・・・一夫関にあたるや万夫も開く無し」と 歌われ、関西が関東に自在に入り来たるのを排していたあの堅牢な関 所は今は無く、お尋ね人を含めて人間も物品文物も往来自在である。
その恩恵を受けて、コンビニの商売が、日本の食文化をもノッペラボ ーにしている。年中行事にはいろいろ地方色があったものだが、こ こへ来て、「恵方巻」の関東進出に、ことさらに本年はイライラしてしまう。
コロナ、コロナで人心が苛立ち、ノッペラボーになってしまってい る感が深いからだろう。感性の個別性が払拭されて、ファシズム侵 攻の素地が、知らぬ間に進行しているような怖れすら感じるのである。(2021・1・30記)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大博士)
復活の主・共同体・聖書
教皇フランシスコは2019年、「神のことばの主日」に際して出された自発教令『アペルイト・イッリス(Aperuit illis)の冒頭で、私たちキリストを信じる者のアイデンティティーにとって次の三つのことは極めて重要、不可欠(estremamente vitale)である、と言っておられますー復活の主(イエス・キリスト)、共同体(信じる者たちの共同体)、聖書(神のことば)です。この中の一つでも欠ければ、キリスト者としての私たちのアイデンティティーはなくなる、と(1項参照)。
イメージとしてすぐに浮かぶのは、エルサレムから下ってエマオに向かう弟子たちに、復活の主イエスが静かに寄り添い、「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書いてあることを説き明かされ」(ルカ福音書24 章27節)、それを聞いた弟子たちの心は燃えた(32節参照)というルカ福音記者が語るエピソードです。復活の主が、共同体を象徴する二人の弟子たちに現れ、聖書全体を「ご自分について書かれたこと」として説き明かします。
教皇フランシスコは言っておられます。「キリスト自身が、最初の聖書解釈者だったのです!」と(上記自発教令6項)。
ここで私たちは、聖書が単なる読書や研究の対象ではなく、また「私の好み」で読み理解されるものでもなく、主の民の書であること(4項参照)、復活の主の霊に導かれて読む時、私たちの心を燃やし、喜びで満たすものであることを、理解し始めます。聖書が語るのは、神の御子であり、人の子であるイエス・キリストのうちに現わされた、ご自分のすべての子らの救いを望む父である神の壮大な愛の歴史です。
ですから、「聖書は文字を超えて、それが書かれたのと同一の霊において読まれ、かつ解釈されなければ」なりません(『啓示憲章』12項)。言葉を変えて言えば、聖書について学問的に学ぶことは大切ですが、聖霊の働きがなければ、復活の主・共同体・聖書を結び付けている「いのちの流れ」を理解することはできません。
「聖書における聖霊の役割は本質的」である、と教皇は強調します(8項)。さらに、聖書とエウカリスチア(Eucaristia:聖体、ミサ)の関係を述べながら、「聖霊は、聖書を神の生けるみ御言葉に変える」と言われます。Eucaristiaを「聖体 」と訳すことは可能ですが、文脈から、聖体祭儀(ミサ)も含む、もっと大きな意味が込められているのでしょう。非常に意味深い表現です。
分析すべき研究の対象として読めば、聖書は過去に書かれた「文字」のままかもしれません。しかし、教会の聖なる典礼の中で、復活の主によって集められた民の共同体の中で、「宣言」され「裂かれ、配られる」時、神の言葉は「生ける神の御言葉」に変えられ、私たちの「今」の生活のための糧となり、私たちを根源から変える力となります。
ベネディクト十六世は使徒的勧告『主の言葉』の 38項で、「文字」を超えることの必要性について書いておられます。教皇フランシスコは、聖書が 信じる者の生活を養う時、自身を超越する、とされ、『主の言葉』を引用しておられます。大切なので、私たちも聴いてみましょう。
「聖書のさまざまな意味の間の関係を再発見するうえで、文字から霊への移行を捉えることが不可欠です。この移行は自動的でも自然なものでもありません。むしろ私たちは、文字を乗り越える必要があります」 。
エマオの弟子たちは、聖書を説き明かす復活の主(まさに生ける神の御言葉)に触れて、閉鎖された悲しみ、失望、絶望から解き放たれ、喜びに満たされ、その喜びをエルサレムの共同体、兄弟たちと分かち合うため急いで帰っていきます。
ここにも、復活の主・共同体・聖書のダイナミズムがあります。なぜ二人の弟子は喜びに満たされたのでしょうか。聖書が「人間の全体的(インテグラルな)救いに向けられている」からです(8項)。知性だけでなく、私たちの存在、内奥の望み、行い…、すべてを含む救いに向けられているからです。
ベネディクト十六世は、使徒的勧告『主の言葉』の中で、神の言葉を受け入れる模範であるマリアは「これらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた」(ルカ福音書2章19節、51節参照)ことを思い起こし、書いておられます。
「マリアは、別々のように思われる出来事、業、事柄を一つにまとめる深い結び目を、神の計画のうちに見出すことができたのです」(87項)。
私たちも、ナザレのマリアのように、日々の出来事を、神の御言葉に照らし、相反するように見えること、まったく関係ないかのように見えることを根源的に結び、私たちを「救い」へと方向づけている、時と空間を超える神の大きな計画、愛の計画の中で思い起こすことが出来ますように。
「心に留め、思い巡らす」態度こそが、マリアに、わが子イエスとの30年間の隠れた普通の生活の中で子の使命、十字架、そして復活へと寄り添う力、闇のときでも信じる力を与えたのですから。
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)
1月は7日。陽光燦燦、されど千切れ雲もまた多し。七草粥の朝食、屠蘇も祝ったー七日正月だ。こんな風習を忘れず祝っている家庭は、今どれくらいあるのだろう。メディアは新しいことばかり報じていて、伝統を継承しようとする報道姿勢が希薄だ。
日本が日本でなくなる時が、もうそこまで迫ってきている怖れが拭い切れない。古い習慣はただ消え去るのみか。一度消え去ったものは、必要に応じてまた再興すれば良い、というのだろうか。慣れ親しんできた者には辛い決別なのだが… (2021.1.7 記)
*七日正月(なぬかしょうがつ)=1月7日の祝い。日本では古くから、五節供の初めとして、七種(ななくさ) 粥などを食べ、その年の無病息災を祈願し、遊宴などを催した=「大辞泉」。
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大博士)
2021年1月 5日 (火)
2020年はコロナ禍とともに、多くの先輩司祭・宣教師が帰天された年でもありました。その中で、私の故郷である岩手県の宮古教会の信徒の方から連絡をいただき、子どもの頃に私が大変お世話になった宣教師の帰天を知りました。(写真は、昭和35年頃の宮古教会)
ベトレヘム外国宣教会の宣教司祭であるチャールズ・レンネル神父様が、引退され過ごされていた故郷のスイスで、12月17日に89歳で帰天されました。
1931年(昭和6年)生まれのレンネル神父様は、59年にチューリヒ郊外のインメンゼーにあるベトレヘム外国宣教会で司祭として叙階。60年に来日し、日本語を学んだ後、62年(昭和37年)に岩手県の四ツ家教会の助任として赴任されました。
当時、岩手県全域の宣教司牧は、ベトレヘム外国宣教会に委託されていました。そして1970年に岩手県の宮古教会に主任司祭として、また小百合幼稚園園長として赴任し、その後2001年にスイスへ帰国するまで、宮古で働かれました。
私の母親とのツーショット写真で申し訳ないのですが、上の写真は、岩手で働いてくださったベトレヘム外国宣教会の宣教師の原点であり、また墓所でもあるインメンゼーの本部を、2005年に母と訪問し、その際にレンネル神父様とアルプスの山々を訪れた時のものです。私の母親はレンネル神父様と同い年です。
実は私は、生涯の中で、教会関係以外の場所に住んでいたことは2年しかありません。私が生まれた時、父親は宮古教会の伝道士(カテキスタ)でしたから、教会敷地内の職員住宅で生活をしていました。父親は盛岡の四ツ家教会に転任となり、そこでも四ツ家教会の信徒会館二階にあった職員住宅で生活をしていました。
その後、父親の転職のため一家は静岡に越しましたが、ちょうど小学5、6年の二年間、静岡市井川で教員住宅に住んでいました。自分の生涯の中で、教会関係以外で暮らしたのは、その時だけです。そして私自身は中学一年から神言修道会の小神学院に入ったので、それからの人生の本拠は、司教となるまで、神言会の修道院となりました。
ですから人生の中で2年間しか、教会関係以外で生活したことがないのです。教会で生活するということは、そこの司祭館に住む司祭の生き様を日々目の当たりにしているということですから、さまざまな司祭から、私は影響を受けていると思います。その中でもレンネル神父様は特別です。
その盛岡の四ツ家教会に私たち家族が越していったのが1963年か64年だったと思います。ちょうどレンネル神父様が四ツ家教会の助任として働き始めた頃です。その頃から、父の転職で盛岡を離れる69年まで、同じ四ツ家教会の敷地内で生活をしていました。
単に生活をしていただけでなく、小学生になってからはほとんど毎朝、すぐ隣にあった盛岡白百合学園の修道院(現在の郵便局)へ、朝ミサに行くレンネル師に引きずられてミサに与り、うろ覚えのラテン語で侍者をさせられていました(ちょうど典礼が変わる時期でしたので、変化が大きくて閉口することも多々ありましたが)。ですから私の信仰の基礎を「厳しく」たたき込んでくださったのは、当時まだ青年宣教師だったレンネル神父様です。
大神学院にいた頃には、夏休みにレンネル神父様を訪ねて宮古教会のお手伝いをさせてもらったり、さまざまな機会にお世話になりました。写真は、中学生の頃の夏休みに、母や弟と一緒に宮古教会を訪ねたときだったと思います。
私が1986年3月に名古屋で司祭叙階され、その直後の復活祭に、宮古教会で初ミサをするよう招いてくださったのも、レンネル神父様でした。幼い頃に生活した、生まれ故郷である宮古や宮古教会と私を、今に至るまで続く太い絆で結んでくださったは、レンネル神父様の心配りでありました。
レンネル師を知っている人は誰でも、神父様の笑顔とジョークとフレンドリーさを体験し、記憶しています。素晴らしい宣教師でした。
レンネル神父様の宣教師としての大きな貢献に、神様が豊かに報い、永遠の安息の内に迎え入れてくださいますように。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔の光であなたを照らし/あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて/あなたに平和を賜るように。(民数記6章24節~26節)
教会は、主の降誕後8日目にあたる1月1日(「神の母聖マリア」の祭日)、年の最初のミサの聖書朗読を、イスラエルに伝わる民数記6章の祝福の御言葉で始めます。神様が私たちに教えてくださったこの御祝福は、私たち家族の間でお互いに送る誕生日のお祝いメッセージにしばしば引用されています。
また、私たちは英語の「Happy Birthday」「Happy New Year」「Merry Christmas」ではなく、「Blessed Birthday」「Blessed New Year」「Blessed Christmas」と言って、「主に祝福されますように」という願いを込めて祝福を交わしています。いつから、誰から始めたのかはよく覚えていませんが、気が付いたら家族全員が長年そうしています。
よく考えてみれば、誰かのために、主の祝福よりも良い願いがあるでしょうか。私たちは、誰かの一日や一年のために、主の愛と慈しみを感じることと、主の恵みと平安に満たされること以上に、良いことを願うことができるでしょうか。これらが私たち一人ひとりの幸せの根本的な要素ではないでしょうか?
私たちはこの世においては、苦しみや痛みや悲しみをもたらす様々な困難に常に直面しています。私たちの幸せが神様に依存していなければ、私たちの心に不幸を生み出すことになるでしょう。たとえ世俗的な欲望で測る「幸せ」をすべて達成したとしても、主イエス・キリストを通して神様との関係を持つことができなかったとすれば、本当の幸せにはなれないでしょう。
『カトリック教会のカテキズム』の第1章(27項)はこのことを思い起こさせてくれますー「神へのあこがれは人間の心に刻まれています。人間は神によって、神に向けて造られているからです。神はたえず人間をご自分に引き寄せておられます。人間はただ神のうちにだけ、求めてやまない真理と幸福を見いだします」。
「主よ、あなたが我々をお造りになりました。ゆえに我々の心は、あなたの内に憩うまで休まらない」と、聖アウグスチヌスが言っています。
長い、厳しい2020年を経て、私たちはここで新しい年の始まりに立っています。まだまだ続く今日の厳しいご時世の中で、2021年には何が起こるのでしょうか。次の12ヵ月が何をもたらすかを知ることはできませんが、一つだけ確かなことがあると思います。
それは、私たちに「新たに始める機会」が与えられていることです。
すべての始まりは、前へ進む原動力となります。夜明けのたびに、世界はまだここにあることが確かめられます。終わりはまだ来ておらず、神様の慈しみと憐れみは毎朝、毎年新しいものです。
「主の慈しみは絶えることがない。/その憐れみは尽きることがない。それは朝ごとに新しい。/あなたの真実は尽きることがない」(哀歌3章22節~23節)。
信仰は、私たちを成長させ続け、変化させ続け、新しい年を迎え、新たに始める機会に感謝の祈りをもって、毎日の夜明けを迎えさせてくれています。私たちは、新たな始まりの希望に生きるために、この日が与えられているのです。
どんな年であっても、最も深い真実は「神様の御旨により、神様がそれを創造され、その中のすべての被造物を見守らておられる」ということだと思います。世俗的な確実性が崩壊するかもしれませんが、永遠の命と神様の愛は、決して終わることがありません。
そのため、新しい年を迎えた私たちは、神様への愛とお互いへの愛を深めることができるよう、祈りましょう。新たな一年を通して、主の光が私たちを導かれ、不確実性と悲しみのすべての暗闇を払拭されますように。主の御顔の光が私たちを照らされ、私たちは周りのすべての人々への主の愛の反映となり、彼らに主の慈しみと憐れみを感じさせることができますように。
始まったばかりの年を通し、主の絶え間ない祝福、恵みと平和を賜りますよう、祈りしましょう。
(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)
私たちの時間の体験は、不思議です。楽しい時は短く、そうでない時は長く感じられ、時には、退屈で苦痛な時もあります。
ギリシア語には、このような時間を表すにあたって、「クロノス」と「カイロス」という言葉があります。前者は、計量可能な量的時間であり、後者は、計量不可能な質的時間です。私たちの普段の生活は、クロノスの中で営まれます。しかしその中で、時々、カイロスの経験をします。例えば、ある重大な決断の時
やある人との出会いの時などです。神との出会いーそれは、もっとも凝縮されたカイロスの体験、と言えるでしょう。
*「インマヌエル」と呼ばれる方
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(イザヤ書7章14節)。インマヌエルとは、「神が私たちと共におられる」ということ。この言葉の実現を、私たちは、マリアにおいて見ます。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい」(ルカ福音書1章30-31節)。片田舎に住む一人のおとめに、比類のない神の恵みが注がれました。マリアにとって、それは、彼女の日常生活(クロノス)への神の介入(カイロス)にほかなりません。時間の中で永遠が胎に宿されますー「お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ福音書1章38節)。
*この身になりますように
いのちの言葉を宿したーこれは、確かに、マリアが受けた恵みです。しかし、それはまた、神のみ言葉に対する彼女のまったき自由な信託によって可能となりました(ルカ福音書11章28節参照)。この神からの祝福は、聖霊によるものでした(ルカ福音書1章35節;マタイ福音書1章18節、20節参照)。この恵みについて、アウグスティヌスは、次のように語りますー「マリアはキリストを彼女の胎に宿す前に、信仰によって彼を心の中に宿した」。
私たちは、まったく同じ恵みを受けることはできないでしょう。しかし、それに連なることなら、可能です。つまり、もし私たちが、マリアと同様に、聖霊のはたらきに従順であるならば、自らの中に永遠を宿すことは可能なのです。換言すれば、自分の日常生活(クロノス)において神と出会い(カイロス)、自らにおいてみ言葉を体現する、ということです。
*聖霊の実り
それは、聖霊の実りとして、様々な形で実現します。パウロが語るように、「霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤの信徒への手紙5:22-23)です。これらはみな、私たちが、身に着けるべき大切な徳です。改めて確認したいことーそれは、神の恵みは、平凡で素朴な生活の中の一つひとつの出来事に注がれている、ということです。私たちは、もっとそのことに気づき、それに対して静かな驚きと感謝の念を抱きたい、とそう思います。
インマヌエルと呼ばれる方は、その名のとおり、いつも私たちと共にいてくださいます。この方は、私たちのために木に掛けられ、自らの息を御父に渡されました(ルカ福音書23章46節参照)。それゆえ、この木は、「命の木」(ヨハネの黙示録22章2、14、19節;創世記2章9節)となり、それによって私たちは、自らの実りを味わうことができるようになるでしょう(詩編1章3節参照)。
(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」にしてあります「カトリック・あい」)
謹賀新年。仏暦2564年、タイ国は仏暦を一般に使用し、十二支 にも親しみ、今年は丑です。水牛も牛、私は水牛で行こうと思います 。
暑い国に来て、初めて水牛を見て以来、素晴らしい角を持ったギョ ロ目、体格のいい水牛に魅惑されてしまいました。泥水の中で転げ 回って喜んでいるのですが、避暑と虫除けの泥浴びのようです。今でも、水 牛を見かけると、 足がそちらに向いてしまいます。
水牛は水に強く沼地で動けるので、水田の耕作に使われて来ました 。種類も多々あるようですが、アジア水牛は、タイの東北地方で3600年前の遺跡から骨が出土され、耕作の様子もうかがわれれます。野 生の水牛は野生の稲の生息地と一致する事も分かり人間の生活との 関わりを物語っています。
粗末な食べ物で成長し、肉、乳、皮革、骨、角など、無駄なく利用 され、糞もまた有益です。乳は脂肪分が高くモッツァレラチーズが 作られます。牛乳からではないのです。ああ、それで了解、私がモッツァレラチーズが好きな訳。愛用している櫛も水牛の角。
毎年、日本の大学生や神学生たちと北部山岳民の村に入り、体験学習 、奉仕活動をするのですが、水牛との出会いの機会です。高床式の 家の私の部屋の下が水牛舎の時は感激。何頭もたくましい灰色の水牛が 、夜になるとカランコロン… 首の木鈴を鳴らしながら、帰ってくるので す。
ある日、水牛を連れて帰る時、岩塩をバナナの葉に絡んで水牛の 鼻に匂わせると、梃子でも動かない巨体がスッと動く、 お塩が大好きなのです。水牛はいい値で売れ、 村人の生活費にもなります。
そういえば修道院に入会した時、志願者仲間から『牛』と呼ばれたこと がありました。口が重くて力持ち、よく働く(?)私に、ピッタリの名前。『 牛』と呼んでくれた人は去られましたが、呼んでいただいた私には、牛のように生きた い気持ちが残っています。牛でも水牛のように。
村のお爺さんの家に下げてあった、死んだ水牛の木鈴を頂いて来て 大事に飾っています。入るたびに、カランコロン… 好きな音色です。今年 は自分が付けて丑年をしっかり生きようと思います。
「カトリック・あい」愛読者の皆様、主の霊に導かれ、祝福された年でありますように、 合掌。
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