・Sr.阿部のバンコク通信 (51) タイでも丑年ー新年は”水牛”で行こう!

  謹賀新年。仏暦2564年、タイ国は仏暦を一般に使用し、十二支にも親しみ、今年は丑です。水牛も牛、私は水牛で行こうと思います

  暑い国に来て、初めて水牛を見て以来、素晴らしい角を持ったギョロ目、体格のいい水牛に魅惑されてしまいました。泥水の中で転げ回って喜んでいるのですが、避暑と虫除けの泥浴びのようです。今でも、水牛を見かけると、足がそちらに向いてしまいます。

   水牛は水に強く沼地で動けるので、水田の耕作に使われて来ました。種類も多々あるようですが、アジア水牛は、タイの東北地方で3600年前の遺跡から骨が出土され、耕作の様子もうかがわれれます。野生の水牛は野生の稲の生息地と一致する事も分かり人間の生活との関わりを物語っています。

  粗末な食べ物で成長し、肉、乳、皮革、骨、角など、無駄なく利用され、糞もまた有益です。乳は脂肪分が高くモッツァレラチーズが作られます。牛乳からではないのです。ああ、それで了解、私がモッツァレラチーズが好きな訳。愛用している櫛も水牛の角。

 毎年、日本の大学生や神学生たちと北部山岳民の村に入り、体験学習、奉仕活動をするのですが、水牛との出会いの機会です。高床式の家の私の部屋の下が水牛舎の時は感激。何頭もたくましい灰色の水牛が、夜になるとカランコロン… 首の木鈴を鳴らしながら、帰ってくるのです。

 ある日、水牛を連れて帰る時、岩塩をバナナの葉に絡んで水牛の鼻に匂わせると、梃子でも動かない巨体がスッと動く、お塩が大好きなのです。水牛はいい値で売れ、村人の生活費にもなります。

 そういえば修道院に入会した時、志願者仲間から『牛』と呼ばれたことがありました。口が重くて力持ち、よく働く(?)私に、ピッタリの名前。『牛』と呼んでくれた人は去られましたが、呼んでいただいた私には、牛のように生きたい気持ちが残っています。牛でも水牛のように。

村のお爺さんの家に下げてあった、死んだ水牛の木鈴を頂いて来て大事に飾っています。入るたびに、カランコロン… 好きな音色です。今年は自分が付けて丑年をしっかり生きようと思います。

 「カトリック・あい」愛読者の皆様、主の霊に導かれ、祝福された年でありますように、合掌。

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2020年12月31日