・Sr.岡のマリアの風(65)「沈黙」「祈り」「一緒に」(レバノンの平和のための考察と祈りの一日)  

  「バチカンで。レバノンのための考察と祈りの一日」という見出しで、2021年7月1日付『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』は、教皇フランシスコが、レバノンのキリスト諸教会(カトリック教会の多様な典礼の共同体、正教会、福音派教会など)の代表者たちをバチカンに招き、同国の平和のために共に祈り、考える一日を望んだことの事実だけでなく、その意味を掘り下げる、Giampaolo Mattei氏の記事を掲載しました。
(https://www.osservatoreromano.va/it/news/2021-07/quo-146/la-giornata-di-riflessione-br-e-di-preghiera-per-il-libano.html)Pope Francis and the Christian leaders of Lebanon during the Day of Prayer on Thursday

Pope Francis and the Christian leaders of Lebanon during the Day of Prayer on Thursday  (AFP or licensors)

    Giampaolo氏は、教皇フランシスコの問題解決、平和への「戦略(ストラテジー)」が、この世の基準ではなく、「素朴さ」(形式にとらわれない)、「沈黙」(祈り)と、兄弟として「一緒に」(兄弟的交わり)という基準であることを強調しています。

   Giampaolo氏は冒頭に書いています。以下、試訳。

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 「天におられる私たちの父よ(主の祈り)」と、沈黙の祈りの空間。レバノンの重要で緊急な問題に正面から取り組む前に。懸念と展望を共有しながら、最終的に平和と社会の安定に達するための、具体的な希望の道を明らかにするために。

 まさに中東の平和に活動の焦点を当てているジョルジョ・ラ・ピラ(Giorgio La Pira)氏が大切にしている「政治的戦略」「神に先ず語っていただかなければ、人間の言語が理解し合うことは難しい」という確信。

 … このように、今朝、7月1日 … レバノンのための考察と祈りの一日は、バチカンで、フランシスコの教導職の奉仕を印す、真の「イコン」の輪郭が描かれた。
レバノンの問題を議論し、最も堅い結び目をも解きほぐそうとするために、何よりもまず、沈黙が選ばれた」。

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 私は、それに関する聖座HPのいくつかの写真を見、教皇フランシスコの、聖ペトロ大聖堂での最初のメッセージを読み、Giampaolo氏の記事を読み、バチカン・ニュースサイトからの一分間の短い動画を見ながら、「この一日」の「沈黙」と兄弟的交わりが、その中で神が働くことの出来る「空間」となったことを知りました。1分間の動画(https://www.youtube.com/watch?v=nOICmyr2eGc)

 実際、教皇自身が住み、レバノンの諸教会指導者たちが泊っている「聖マルタの家」から、広場を横切って聖ペトロ大聖堂に入る場面の、一切の儀式を取り払った素朴さは印象的です。教皇フランシスコは、皆と一緒に談笑しながら歩いて大聖堂に入ります。その場面をGiampaolo氏は次のように描写しています。

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 「教皇と、レバノン在住の諸キリスト教共同体の代表者たちは、兄弟的交わりに満ちた友としてのスタイルで、8時半、皆が宿泊している「聖マルタの家」に集まった…
彼らは一緒に、巡礼のように-距離は短いけれど歴史にとっては長い巡礼―、素朴に、儀式ばらず(形式にとらわれず)、聖マルタ広場を横切り、『祈りの門』からバチカン(聖ペトロ)大聖堂に入った。美しいメタファー(比喩)をはるかに越えた、歴史の事実:人は問題を解決するために、つねに『祈りの門』を通る。

 大聖堂の信仰告白の祭壇(中央祭壇)の前で、教皇とレバノンの諸キリスト教徒の代表者たちは。一緒に『天におられる私たちの父よ(主の祈り)』を唱えた。教皇フランシスコがアラブ語で始め、それぞれが自分たちの言語で祈った。表現の多様性の中での一致の、実践的な証しのうちに。

 そして…沈黙。祈りの中で。耳を傾けるというスタイルの中で。隣り合わせで。

 それから、一人ずつ階段を降りた。大祭壇の下、ローマに来る前はアンティオキアの司教だったペトロの墓の前まで。一人ひとり、そこで永続的に燃えているランプから火を取って、ろうそくに火をともす。つねに本質的に素朴なしぐさで。

 あたかも、一緒に、つねに一緒に、光を求めるかのように。たとえ小さくても、歴史の夜を照らす光を。それから、再び沈黙。祈りの中で。ペトロの墓の前で。一緒に。

 最後に、常に一緒に」、教皇とレバノンのキリスト信徒の牧者たちは大聖堂を出て、会議が行われるSala Clementinaに向かいます。Giampaolo氏は「このようにして、討論が進行した。なぜなら、実際、作業は大聖堂の中で始まったから。沈黙の中で。神に空間を空けるために」と描写しています。

 午前、二回に分けられた非公開の会議の後、『再び一緒に』聖マルタの家で昼食を取り、午後の会議。そして、この一日は、『作業が本当の意味で始まった場所』、バチカン大聖堂で結ばれます。エキュメニカルな祈りと、教皇のレバノンの人々に向けた、一緒に平和の賜物を祈り求めるためのメッセージをもって」。

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 この『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』の記事は、教皇フランシスコの「平和」のための「戦略(ストラテジー)」がよく表れていると思います。私の、私たちの「平和へのプロジェクト」の基準を見直すためにも。

 私なりに、三つのキーワードを挙げてみました:沈黙、祈り、一緒に。「沈黙」:神に空間を空ける。神に先ず、語っていただく。「祈り」:「人間の」作業を始める前に、ともに、唯一の「天におられるわたしたちの父」に、まなざし、心を向ける。「一緒に」:同じ父の子ら、兄弟姉妹として、多様性の中で寄り添う。

 そのためには、次のことが求められるでしょう。

 「素朴に」:形式にとらわれず、大切なことに集中する。神に、互いに耳を傾けるために。「巡礼者」である自覚:私たちは皆、父である神の家に向かって旅をしている者、倒れ、間違えることもある、弱い者であることを、謙虚に受け入れ合う。

 教皇フランシスコの教えの中で一貫して現れる言葉:「fraternity:兄弟愛、兄弟的交わり」。それは、神の御子の内に「神の子ら」であるという私たちの存在の根源を受け入れることから始まるのでしょう。イエス・キリストの内に、聖霊を通して、父である神のいのちに生かされる者とされたことを感謝しながら。アーメン。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

2021年7月4日

・愛ある船旅への幻想曲⑤   コロナ禍で人間関係がシンプルになった

 コロナ禍の中、日々の暮らし方にも大きな変化があり、その生活にも知らず知らずのうちに慣れている自分がいる。プライベートでは、会いたい人だけに会う。話したい人だけに電話をする。考えてみるとなんだか人との付き合いがシンプルになった。同じ船に乗っている人との交流だけに時間を費やしている。こうした時間も神様からの贈り物だ。

 神様は、真の人間の交わりが大切なことを教えてくれる。容易ならぬ問題を抱えている今こそ、支え合う相手が必要だろう。

  「人が独りでいるのは良くない」(創世記2章18節)

 支え合う人間関係には、必ず“愛”が存在し、強い信頼関係が生まれる。そこに行き着くまでには、相手のことをよく知らねばならない。たわいない話を楽しむことで相手の考えを知り、知らず知らずのうちにお互いのことを気にかけるようになる。相手が困っているときには丁寧に話を聞き、アドバイスをしたい。

 ただ、相手の立場にならないと理解し辛いこともある。頭だけで考える答えは、どうもしっくりいかない。自分の経験談には、より説得力がある。いずれにせよ、はっきりと相手に言わねばならない時がある。それゆえにお互いの意識のずれから喧嘩へと発展することもあるだろう。喧嘩をしながらでも、それが我がままでも、言える相手には思いを正直に言えばいい。そこに“愛”があれば、元の関係に戻るのに時間はかからないだろう。そして、二人の絆はますます深まるのではないだろうか。

 クリスチャンにとって、“愛”は一番大切な行為と教えられている。“愛の神”は“熱情の神”でもある。人間にとって、なんと分かりやすい表現だろう。愛を知らなければ、愛は与えられない。人間としてシンプルな愛を与え、与えられたい今日この頃である。

 (西の憂うるパヴァーヌ)

2021年7月3日

・ある主任神父の回想・迷想⑪ 「ペトロ」と「ヨナ」に共通する「カッコ悪さ」

 教区司祭の私が「霊性」についてうんぬんするのはおこがましい、と自覚しつつ… 私が神学生の時には、「霊性を考える」という授業がありました。

 

*教区司祭の「霊性」?

 もちろん、これはよく話題に上がる「教区司祭の霊性とは」といった内容ではなかったし、その頃よく養成担当者たちから聞かされたのは「霊性、霊性って簡単にいう人がいるけど、そもそも、どんな霊性であろが、その根源は『聖霊性』のはずだろ」ということです。すなわち「霊性」の「霊」は「聖霊」の「霊」であるはずで、別の「霊」などあろうはずもないという、そんなふうに理解し、今もそういう理解なのですが、実のところ、このテーマは、私自身にはとても苦手なものです。

 「ガラテヤの信徒への手紙」には、この「霊」というキーワードを巡って、それらが正確には「神は…御子の霊を、私たちの心に送ってくださった」(4章6節b)とあり、その一方で、「世を支配する諸霊」(4章3節b参照)という対立概念を立てて、これ(御子の霊)を説明しようとしています(4章9b参照)。

 いずれにせよ、「恵みの賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です」(コリントの信徒への手紙12章4節)と書かれているように、違って思えても「同じ霊」なので、その意味では確かに「御子の霊」と「諸霊」との識別は難しい。けれども「一人一人に『霊』の働きが現れるのは、全体の益となるためです」(同12章7節)、という言葉に明らかなように、「『全体の益』となっているのか、いないのか」によって、それがどういう「霊」か見分けがつくわけです。現実にそうならない場合、そこでは、たとえどんなに屈辱的に思えたとしても、まずは自らが、誠実に自分を振り返るしかありません。

 この「全体の益」は、無論、ポピリズムに陥る危険がありますが、うまくしたもので、ポピリスムそのものが「霊的な価値観から生じない」特徴があると思うので、これを回避するのは、それほど困難なことではない。むしろ、簡単に思えて難しいのが、自分と向き合う際の「砂漠の隠遁者の如き苦行のような振り返り」で、このほうがよっぽど難しい。人間とは、時として「原寸大の自分」を受容することに大変な抵抗を示すことがあり得る生き物だったりしますからね。これには気を付けたいものです。

 「全体の益」をもたらすものは全てこれ、「御子の霊」によるものでありましょうが、「全体の益」を損ない、「一部の人たちの益」となるようなときには、二つの点で注意しなければならないことがある、と思います。

 「本来、時間をかければ全体の益となるが、長い時間を要するために途中で挫折していないかどうか」ということと、「その人の見えている全体が、実は一部であって、本当の全体ではない」ということ、これらは往々にしてあることで、もったいないといえばもったいないのですが。

*ペトロの霊性」と「ヨナの霊性}

 さて、話がだいぶそれてしまいましたが、「霊性を考える」というテーマのもと、授業だけではなく、そのための黙想会もありました。私は修道会の司祭ではありませんから、本格的な黙想会の究極的なスタイルは知りませんし、そのときの黙想会も、伝統的なそれであったのかどうかも、分かりません。しかし、そこで得たものは自分なりには、とても大きなものでした。

 授業の延長線上に計画されたその内容は、「ペトロの霊性」と「ヨナの霊性」でした。勘のいい方ならこの時点で察しがつくと思うのですが、お察しのとおりでありまして、「司祭職とは『神の道化師』でもある」というメッセージに貫かれた講話でした。

 私も若い頃は、よく小教区以外の仕事を任されたことがありましたが、その折、出向いた先では「神父さんは、どこの修道会ですか?」と聞かれたことがあります。一度や二度ではありませんから、やはり東京教区における各男子修道会の活躍には目覚ましいものがあり、それは今でもそうなのでしょう。

 「いえ、私は教区司祭です」というと、「えっ、なんですか、それ」と言われてほどで、子供の頃から、修道会委託教会で育った方々にとっては、司祭は皆、「どこかの修道会に所属しているもの」という認識だったりします。まあこれは極端な例ですけどね。

 いつでしたか、やはり同じ質問を受けたので、私もついに「ペトロ会です」と答えたことがありました。すると、「そんな会があったのですね」と言われましたが、まあこういうケースで強引に、かつ無理に当てはめるなら教区司祭はいわば「ペトロ会」みたいなものでしょうか。こうしたやり取りは、実は、私だけでなく、先輩の教区司祭たちの中に、やはり同じように答えたことがある人もいます。

*誰もが「福音宣教のヒーロー」になるわけではない

 ペトロはおよそ「カッコいい」という印象ではありません。そのせいか、あまり「洗礼名の候補」に上がりにくいのでしょうか。「恐れ多いから」と言った洗礼志願者もいましたが、そういう事例は極めて少ないものでした。

 幼い男の子でさえも「カッコいいもの」に惹かれます。おそらく歳を取っても「カッコよく」ありたい男性は多いはずで、事実「格好良くありたい」男性は教会にも沢山います。それが悪いわけではないものの、やはりそれが全てではありませんし、増して信仰は「かっこ」ではありませんよね。

 そりゃ「ペトロ」よりは「パウロ」のほうが「カッコよく」描かれてはいます。けれども、パウロは自分でも語っているように、彼なりのコンプレックスがあったわけです。

 そりゃ「ヨナ」よりも、小預言者の「アモス」や「ゼカリア」のほうが「カッコよく」描かれていますが、預言者の苦悩のほとんどは、読み手にとても重苦しいものを感じさせるところがありますね。

 ペトロの「かっこ悪さ」を、福音書は随所に伝えます。だからこそ、私たちは、ペトロの人間的な広がりや、常に「原寸大の自分から主の御後に従おうとする」その姿に触れることができ、それは教区司祭の「在俗の立場」に通じるものがあって、私には見逃せない点です。

 誰もが福音宣教のヒーローになるわけではありません。「聖人の陰に聖人あり」といわれるように、無名の聖人「縁の下の力持ち」といった多くの人が、一人の聖人の背後にいて、ともすればそれを私たちは見逃します。宣教は、それを支え、それを後押ししつつ、いくら「かっこ悪い」思いをしてもめげずに「神の国の到来」に己をかける、という人たちの活躍こそ重要なものでしょう。

 だから「ペトロ」の姿を思い浮かべれば思い浮かべるほどに、必然性のないヒーローなどにはなりたくなくなるし、ヨナの姿を思い浮かべるたびごとに「また空回りしちまったな」と、素直に「自分自身が原寸大の自分と和解する」ことができるわけで、これは一種の達観ともなるでしょう。

*共通善の実現は「カッコよさ」に比例せず

本当に大事なことは「格好のいいこと」などではないことは、周知の事実でありながら、「神の国の完全な到来」以上に「かっこいいかどうか」ということばかりに意識を集中させるというのは、「道化師」の風上にも置けないということですね。

 もっとも「ペトロ」も「ヨナ」も、彼ら自身は当然、素直すぎるが故に「カッコよさ」には惹かれるわけですが、ただ、結果的に「格好がつかない」わけです。しかし、それでもみ旨を求め続けるところは、やはり「カッコよさ」を第一の目的とはしていない、と思えるのです。むしろ主に従うならば、その思いはやがて「全体の益」となってくるはずですからね。

 「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。(中略)あなたはペトロ。私はこの岩の上にわたしの教会を建てよう」(マタイ福音書16章17-18節)。(他の箇所、例えばヨハネ福音書21章15節などでは「ヨハネの子シモン」という記述になっていますが、「ペトロ」と「ヨナ」の関係性がもし「霊性」を介したものだとすれば、これはちょっと面白い繋がりでしょ)。

 主の御目に、ペトロはどう映っていたのでしょうか。それはまことに興味深い。少なくとも、現代社会における「サマになる」ような「カッコよさ」とは、また異なる彼らしさがあって、それは主の思いを託すに足る何かであったことでしょう。

 それは「格好がつかない」ことを、いとわない、というだけのことかも知れませんし、「今の(その時々の)自分」がどうあれ、「イエスに従いたい思い」が「打算的な思い」の数々を凌駕していた、という見方もできます。

 つまり「全体の益」(共通善)の実現は、「カッコよさ」には比例しない、ということを無意識に証していたのかも知れず、それはまさに(大げさな言い方かも知れませんが)ペトロの「霊性」と言っても良いものなのかも知れません。

(日読みの下僕)

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用は「聖書協会・共同訳」より)

2021年7月2日

・竹内神父の午後の散歩道⑧ 何のための”自己実現”か

*「仕え合う」のではなく「立ち向かっている」

 「私は、人とのかかわりにおいては、互いに『仕え合う』ということを重んじております。ところが、最近は、どうも人々が『立ち向かっている』ように見えるのです。人に対してだけでなく、自分自身に対しても、なにか自己実現といって、立ち向かっている。それは、とてもしんどいことではないかと思います」(辰巳芳子『いのちの食卓』)。

 辰巳さんが語るように、今の私たちは、あまりにも‶自己実現〟を目指し過ぎているのかもしれません。あたかも、それは、一種の義務感か脅迫観念でもあるかのようです。

 もちろん、自分が生きる意義・目的を確認し、それを目指して生きることは、決して悪いことではありません。大切なのは、その‶自己実現〟が、いったい何に基づき、また何のためのものなのか、そのことを静かに、わきまえることだ、と思います。それが出来ていないにもかかわらず、必要以上に力が入っている姿、それが「立ち向かっている」ということなのでしょう。

*自分の意志ではなく神の御心を

 イエスは、生前、‶自己実現〟を目指して生きていたのでしょうか。彼は、こう語ります。

 「私が天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心を行うためである」(ヨハネによる福音書6章38節)ーこれが、イエスの生涯の目的、初めであり終わりでもありました。イエスと父は、確かに別の存在です。しかし、一つでした。「私と父とは一つである」(同10章30節、17章21、23節参照)ーこれは、揺るぎない彼の確信でした。

 ここで語られる「意志」と「御心」は、同じギリシャ語(セレーマ)の翻訳です。その意味は、「望まれている事柄」あるいは「それを望んでいる意志」です。パウロは、次のように語ります。

 「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマの信徒への手紙12章2節)。

 大切なこと――それは、何が神の御心なのか、そのわきまえです。

*真の「仕合わせ」に向けて

 しかし、いかなる人間の意志も良くない、というわけではありません。問題は、‶自己実現〟を目指すにあたって、神の御心ではなく、自分の意志に基づくために、福音を見失ってしまうことにあります。そのことは、パウロの生涯を見れば、明らかです。彼は、「サウロ」と呼ばれていた時、力の限りを尽くして、キリスト教を迫害していました。しかし、復活したキリストと出会い(回心)パウロとなった時、彼を内側から突き動かしていたのは、明らかに、神の御心です。

 イエスが生涯を掛けて生きた神の御心ーそれは、次のように語られます。

 「私の父の御心は、子を見て信じる者が皆、永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させること…である」(ヨハネによる福音書6章40節)。

 「永遠の命」も「復活」も、その説明は、簡単ではありません。しかしもし、私たちが、互いに「仕え合う」ことの大切さを知り、それを生きようとするなら、きっと、その意味は、確かなものとして見えてくるのではないかーそう思います。なぜなら、イエスは、仕えられるためではなく仕えるためにこそ来られたからです(マタイによる福音書20章28節参照)。そして、そのような「仕え合う」ことによってこそ、私たちは、真の「仕合わせ」へと招かれるでしょう。

(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」による)

2021年7月2日

・Sr.阿部のバンコク通信(57)タイ社会に根付く「ピー信仰」や「タムブン」に学ぶ

 バンコクは1か月間のブロックダウン、県外からの出入り遮断、市場も1週間閉鎖という市政情報が入り、急遽まとめて買い物に出掛けたところです。

   ちょっと厳しい状況、でも市民は平常心でさらりと対応。生老病死の現実にも『何故こんな目に合う』云々と不満を言ったり、深刻に悩んだりせず、楽観的に受け止め、爽やかにさえ感じられます。タイの歴史- 信仰文化に培われた気質なのかも知れません。

  ともすれば、信仰生活までも合理的に考え、苦境や問題の原因追及にやっきになることの多い昨今、何食わぬ顔で生きている人々に囲まれ… 目先のことに振り回されない信仰の強さを自らに問う機会になっています。

ピー信仰 - Wikipedia

 古くからタイ社会に息吹く「ピー」信仰。ピーは悪霊で、タイ人はものすごく怖がっています。ピーを無視、軽蔑すると悪い事をやらかすので、大事にして祠を建て、そこに住んでもらい、おとなしくしてもらうわけです。

 街のここかしこに祠があり、家、土地、人々を守ってもらえるように、他者を無視あるいは軽べつして悪いことが起こらないように、とピーを祀り、儀式を行います

 「因果応報」の教えも根強く、不合理なこと、考えてもどうしょうもないことは、悩まずに受け入れて、徳を積む機会にする。特に大切な日、誕生日、結婚記念日、開店日、事業が成功した時などに、寺参りしてお布施、貧しい人に施し、良いことをして徳を積み、あらゆる事態に怒らず柔和穏便に対処する。

 以前、仏教徒の友人と外出中、通りがかりのお寺に寄り道して祈ってもらい、誕生日のお布施をして、タイ人の日常に触れたことがありました。

 「徳」はタイ語で「ブン」と言い、他者と分かち合うこともでき、カトリックで言う「天に宝を積む」ことー将来自分の幸福繁栄として報われることーを素直に信じています。

 買い物の時、「尼さんにタムブンだ」とまけてくれるのです。「タム」は「行う」の意味で、「タムブン」は「徳を積む」ー「功徳」です。やってあげる的な感じが無く、清々しささえ感じます。

 長年イエスの教えを味わって励んでいる私自身、聖なる楽観主義が習性となるまでは、まだ道のりがありそうです。

 思いをさらに強くして合掌。皆さんのために祈っています。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2021年7月1日

・菊地大司教の日記より「7月1日・福者ペトロ岐部司祭と187殉教者記念日に祈る」

2021年6月30日 (水)福者ペトロ岐部司祭と187殉教者

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 7月1日は、福者ペトロ岐部と187殉教者の記念日です。迫害の時代、全国各地で多くの殉教がありましたが、その中から代表する形で188人が選ばれ、2008年11月24日に長崎で列福式が行われました。188福者の中で、一番人数が多いのは、1629年1月12日に山形県米沢で殉教した、ルイス甘粕右衛門を始めとした53名の殉教者で、その次に多いのは、1619年10月6日に京都で殉教した52名です。

Yonezawa17a 山形県の米沢市には、市役所に近い北山原(ほくさんばら)と言う殉教地が残されています。

 今は住宅に囲まれていますが、昭和の初めに宣教師が場所を特定し、その地を買い求めてくださったおかげで、現在は小さな公園のような佇まいの殉教地に十字架が立ち、祭壇が設けられています。毎年7月の初めには殉教祭が行われています。

 今年はコロナ禍で参加者限定のようですが、新潟教区のホームページに案内があります。(上の写真は2013年の北山原での殉教祭です)

 188名の殉教者全体を代表しているペトロ岐部は、1639年7月4日に江戸で殉教していることから、この日にもっとも近くて、典礼暦的に可能であった7月1日が、188殉教者の記念日とされました。

 ペトロ岐部は大分県の出身で、司祭となることを目指しているなか、1614年にマカオに追放。その後、ローマを目指してインドへ船で渡り、インドから、なんと歩いてローマへ到達した人物です。その途上、日本人で初めて、聖地に足を踏み入れたとも言われます。1620年に司祭に叙階され、イエズス会士として帰国。最後は東北で捕らえられ、1639年に拷問の末殉教されています。

 188殉教者には、もうひとり、江戸での殉教者がいます。ヨハネ原主水です。東京教区では、原主水が江戸の殉教者として知られていますが、それは彼が1623年12月4日に起こった「江戸の大殉教」の中心的人物であったため、と考えられます。

Fudanotsuji2 「宣教師を含む信者50名は小伝馬町の牢から 江戸市中を引き回され、東海道沿いの札の辻(現在の田町駅付近)から 品川に至る小高い地で、火刑に処せられました」(高輪教会のホームページから)。高輪教会は、殉教地である札の辻に近いことから、殉教者の元后にささげられており、通常は毎年11月頃に殉教祭が行われます。(写真は2018年の殉教祭)

Fudanotsuji1 全国各地の殉教者のそれぞれの殉教の日が異なるので、それぞれの記念の行事などの伝統があることだと思いますが、7月1日には、是非とも日本における信仰の礎となった188殉教者を思い起こし、その勇気と信仰に倣うことが出来るように、取り次ぎを祈りましょう。

 中央協議会のホームページには、殉教者たちについていくつもの記事が掲載されています。是非ご一読ください。またそこには、殉教者を顕彰する今日的な意味を、こう記しています。

 「『ペトロ岐部と187殉教者』は、それぞれ、現代に通じるメッセージを持っていますが、その根底に流れる共通点は、神と一致した生き方を貫いたこと。言い換えれば、神の価値観を公言し、福音的でない価値観を、勇気をもって拒否したことではないでしょうか。現代人にとって福音のメッセージは、一見すると不合理で弱々しく、説得力に欠けるように感じられるかも知れません。それどころか、社会からは受け入れられず、反発を生むかも知れない、それでもなお、勇気をもってイエスの価値観に生き、それを証していくことこそ、いま私たちに求められる霊性ではないでしょうか」

 日本の教会では、福者殉教者の列聖を求めて運動を展開しています。どうぞお祈りください。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

2021年6月30日

・ガブリエルの信仰見聞思⑲「聖ペトロの否認」を思い巡らす

 新約聖書(「四福音書」「使徒言行録」「ペトロの手紙」)を通して、使徒聖ペトロについてのことや彼の言行、教えを読んだり、思いを巡らせたりしていくうちに、多くのことを教わりながら、聖ペトロに親近感を覚えるようになり、色々な意味で共感できるところもあるように感じています。

*常に素朴で正直な心で、主に従う

 聖ペトロは極々平凡な人間であり、初めて主イエスに出会った時から終始、主の御前では素直で、率直な気持ちや思いを隠すことなく―「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間です」(ルカ福音書5章8節)―ありのままの自分の弱みをもって、素朴で正直な心をもって主に従っています。

 僕としては、福音書に記されているペトロの一言一句を「聴き」、それぞれの場面を「観る」ようにすることにつれて、ペトロにとって主イエスがどれほど大切な存在であるか、ペトロはどれほど主を慕っているか、どれほど主から離れずにずっと一緒にいたいと思っているか、どれほど主イエス・キリストを心から愛しているかが伝わってきます。

 たとえ主イエスの御教えをまだ十分に理解していなくても、たとえ自分の信仰がまだ十分でなくても、たとえ周りの様々な事情や誘惑、自身の弱さなどによってつまずいたり転んだりしていても、あきらめず主の助けと力を求め続け、心から悔い改め、迷うことなく主を信じ、主に従い続けることを、ペトロが身をもって範を示し、教えてくれているような気がします―「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ福音書16章16節)「主よ、私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉をもっておられるのは、あなたです」(ヨハネ福音書6章68~69節)。

*「否認」なのか「裏切り」なのか

 ある人たちにとって、ペトロが「主イエスを知らない」と三度言ったことを、「ペトロの裏切り」と見なしているようです。また、主を(実際に)裏切ったユダのほか、「ペトロも主イエスを裏切ったのだ」とし、この「二人の裏切り行為」が比較されることも少なくないようです。

 どうしてペトロにそのようなレッテルを貼っているのか、僕には理解し難く、悲しく思っています。

 「人を裏切る」ことの意味や定義を議論するつもりはありませんが、そのような行為には計画的な利己動機や意図が込められているのではないでしょうか。私たちは、当惑したり混乱したりする瞬間に、誰かや何かを簡単に否定してしまうことがあるのではないかと思います。誰かを裏切ることは、前もって考えておく必要があります。人を裏切ることは、より冷血なことではないかと思います。

 それをさておき、そもそも四福音書には、主イエス・キリストを裏切った人物はただ一人であり、それはイスカリオテのユダのほかならないことが明記されています。何よりも、主御自身がはっきりと言っておられるからです―「よく言っておく。あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている」(マタイ福音
書26章21節、ヨハネ福音書13章21節)「見よ、私を裏切る者が近づいて来た」(マタイ福音書26章46節、マルコ福音書14章42節)「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」(ルカ福音書22章47節)。

 「ペトロは『主を知らない』と三度言った」と「ユダは主を裏切った」という福音書に書かれている二つの事実は、紛れもなく明白に、異なっており、同列に見なすのは、あまりにも軽率な思い込みではないか、と僕は思います。

*「臆病者」なのか

 ペトロは「主を知らない」と言ったことで、しばしば「臆病者」のレッテルも貼られてきたようです―「結局、ペトロは臆病で、肝心な時に自分自身の安全を守るために主イエスを否認した」というような指摘も、聞いたことがあります。

 しかし、私たちは果たしてペトロが「知らない」と言った動機や真意を知っているのでしょうか。大祭司の邸宅の中庭で主との関係を否定したペトロが、もし怯えていたとすれば、その数時間前に剣や棒を持った圧倒的な群衆に向かって、たった一人で剣を抜いて立ち向かおうとしたペトロの勇気はどこから出てきたのでしょうか。

 ペトロがそれより前に、大胆に救い主にこう述べました。「たとえ、皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません」(マタイ福音書26章33節)。これに対して、救い主は次のように言われました。「よく言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」(同34節)。

 そしてペトロが主を守ろうとして実際に剣を振り上げたのは、この預言が述べられた後のことです。この瞬間、ペトロは覚悟を持って、何とかして愛する主を守ろうとしたのではないでしょうか。

 大勢の武装した群衆を前にして、たとえなんと無謀な真似であるかに見えても、これが常に正直な気持ちを隠さないペトロの「有言実行」な瞬間とも見えるのではないでしょうか。これは「臆病者」がするような振る舞いでしょうか。

 この悲しむべき出来事は、軽々しくペトロにレッテルを貼ったり批判したりすることよりも、私たちに示してくれる、もっと奥深い意義のあることを熟考すべきではないかと思います。

*聖ペトロの否認

 ペトロは主イエス・キリストが神の御子であることを否認したことは一度もありませんでした。ペトロが否認したのは、キリストとの関わりや知り合いであるかどうか、ということであり、それは全く別の問題であると思います。ペトロが否定したのは、心の中に混乱があったからでしょうか。それとも、主の救いの計画の全体像を十分に理解していなかったためでしょうか(それでも、これはそれほど不思議なことではないでしょう。なぜなら二千年もの間、確実な証拠をもって主の復活のことが宣べ伝えられていながら、今日もなお大勢の人々がその事実を理解できずにいるからです)。何か他の理由があったのでしょうか。

 ペトロは、大祭司の家に連れ行かれた救い主の後を追って、その中庭にいた人々の中に混じって静観していました。この時のペトロは「何をどうすればよいか」と頭の中で悩んでいたのかもしれませんが、この時のペトロに、ほかに何ができたでしょうか。ペトロは、救い主が群衆の間をすり抜けて、何度も危機を
脱して来られたことを知っていました。今回もそうなさるだろうか…

 ペトロがフィリポ・カイサリア地方で強い証しをした時、主イエスから、御自分がメシアであることを誰にも話さないように命じられました(マタイ福音書16章20節)。また、三人の使徒が主の変容を目の当たりにした山を下っている時も、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはならない」(同17章9節)と命じられました。ペトロは、「今がキリストについて語る時ではない」と感じたのでしょうか。

 主イエスは、ご自分が必ずエルサレムに行き、多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することを弟子たちに打ち明けられました(同16章21節参照)。ペトロはそのような不吉なことをお考えにならないように止めようとしましたが、主から激しい叱責を受けました。その瞬間に、ペテロはそのような悲惨な出来事が起こるのは、主の御心であると悟ったのかもしれません。

 ペトロは、ゲツセマネの園から静に出て行かれた救い主を見ました。自分自身は敵に向かって剣を振りかざしましたが、剣を収めるように命じられました。必要ならば、万軍の天使を呼ぶこともできると、主は言われました。ペトロには、これ以上何ができたでしょうか。ほかにどのような方法で、忠誠と勇気を示すことができたでしょうか。目の前で一人の使徒が接吻をもって、愛する主を裏切ったにもかかわらず、主はその使徒をおとがめになりませんでした。

 悲しみに暮れたペトロは、主をなじる群衆について行きました。しかし、これは決してペトロが主イエスを見捨てたというわけではなく、最後まで主に従おうとしたのではないでしょうか。

 ペトロは、群衆のごうごうたる非難の声を耳にし、主に対する屈辱的な行為を目にし、裁判の不公正を感じ、偽りの証人の偽証を聞きました。聖なる御方の顔に汚いつばを吐きかける群衆を見ました。人々は主を打ち、殴り、侮辱しました。しかし主はまったく抵抗せず、天の軍勢を呼び求めることもなく、神の憐れみも求められませんでした。そのような主を見たペトロは何を考えればよいでしょうか。

*聖ペトロが流した涙

 このような状況の下で、中庭にいた人たちに指摘されたペトロは、どのように主を守ることができたでしょうか。また、そうすることが主イエスの御心に適うことでしょうか。救い主はすでにその同じ夜に、争うことのないようペトロに禁じておられましたが、今なら争ってよいのでしょうか。主イエスの弟子であることを認めていたら、どうなっていたでしょうか。

 主イエスを知らないと三度言ったペトロは、事の重大さを熟慮したり、発言を翻したりするような余裕なく、鶏の鳴き声が聞こえてきました。そこで初めて主の預言を思い出し、後悔の念に駆られました。

 夜明けを告げる鶏の声を耳にしたペトロは、自分が主を否定した事実だけでなく、十字架上の死も含めて、主が言われたことがすべて成就するであろうことを、思い起こしたはずです。そしてペテロは外に出て、激しく泣きました。ペトロが流した涙は、まさかの自分が口にしてしまった、とんでもないことを悔いるためだけのものであったのか、それとも、愛する主と師を失うことを実感した悲しみの涙も混じっていたのでしょうか。

 あの恐ろしい夜のペトロの心の動きについて知ったかぶりするつもりはありませんし、彼がどうしてあのような行動をとったかを説明できる立場にもありません。しかし、復活された救い主はその後、ペトロを赦され、御自身が建てられた教会のリーダーの地位に引き上げられ、御国の鍵を授け、結び解く権能を与えられていること、僕は知っています。

 「聖ペテロの否認」は悲しい出来事ではありますが、主イエスに従うキリスト者である私たち一人ひとりが信仰を育む上で、奥深い意義があると信じています。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)

2021年6月30日

・画家・世羽おさむのフィレンツェ発「東西南北+天地」⑤ 自然について

 フィレンツェの中心部から20分ほど歩き、アルノ川を越えた丘のふもとにあるアパートに住むようになってから、数か月が過ぎた。

 春になると、ツバメたちがアフリカからの長旅を経て到着し、チュッチュ、チュッチュ、と鳴き歌っている。平均的には、毎時32キロの速度で迅速に飛ぶようで、朝、夕方には、眩しい太陽のもと、数百にも及ぶ群れが、次々とシンクロナイズドスイミングのような振り付けを、低高度で目の前で披露し、そして地平線を探し求めるよう。数十秒後には、すでに空の背景と融合した想い出のように遠ざかっていく。

 家の窓からは、「庭」とは言えないものの一角に土があるのが見える。バラが、春・秋にはすでに育っている若い枝木を土に挿し木することで根が付き、育つことに興味を注がれ、土壌を追加し数本植えてみた。近いうちに、花を咲かせるのだろうか?

 自然と接することで、私たちの心は癒される。そこに神秘は日本古来文化、芸術、そして、神道においても、常に言及されているようである。

 僕が2009年に、カトリック教会、つまり、イエスの教え、そして、彼人間自身に惹かれていた頃、改宗の準備を進めていた中、自分がそれまで肯定的に捉えていた人生観や自然観が否定されるのではないか、とビクビクしていたのを覚えている。

 西洋と東洋の伝統芸術、道徳、哲学の違い、また現在の文化の差異は際立つもので、なかなか心を開いて対話ができなかったことも事実である。また、自分の観念が自分に根付いているものの、とてもあやふやで、なかなか説明できなかったり。そして、何より自分の見方が裁かれることは面白いわけではないし…

 今では、はっきりと、対話の中で意見を裁くことが、とても大切であると思う。もし、あなたの意思が相手を思いやっているのであれば、また対話の中でより真実に向けて友達として、共に歩み寄ることができるのであれば…

 イタリア語で「自然」を表す「natura」という言葉の奥には、常に「ordine」という概念が含まれる。つまり、神学的には、神の理(ことわり)を表しており、また、科学的には、「定理」とでも言ったらいいのか… がある。一方、日本語で言う「自然」という言葉は、古代に中国の老子から取り入れられ、人為を伴わない状態を表している。また、漢字から分かる通り、「自分らしさ」に通じる概念を含んでいる。

 「natura」と「自然」は同じコインの表と裏のようなもので、それぞれ、統合的な規律と、各々の種族らしさや表情、つまり、合理性と個性を示している。そして、これらの言葉は、自分自身の理解にも、無意識的に適用されるわけで、ここに、自分の現実の中での精神的または物理的な位置付けの違いを、それぞれの言葉から、観察できる。

 神道の言葉の歴史をたどると、その本来の意義をより正確に推測できるだろう。それが、宗教として、位置づけられたのは、19世紀に日本で「religion」が初めて「宗教」と訳されてからだ。

 西暦552年の仏教伝来以前は、「古道」と呼ばれており、文字のない社会に特有なアニミズムの一種であったようだ。特色としては、神霊をどこにでも感じたり見たりすることで、そして血縁を超えた先祖崇拝が挙げられます。尖った形状のものを祭壇に付けるのは、落雷を古代人が恐れていたことに発する、という説もある。

 アニミズム的感性は現代アフリカでも見られるように、根底には神への畏れがあり、日本特有のホラー映画、心霊写真、都市伝説、きもだめし、などオカルト色のある精神性を明確に説明できるように思う。そして、現代の日本人は、ある意味で、このアニミズムに通じる非合理的感性を「人間らしさ」と捉えているのだろうか?

 イエスが私たちに与えてくださったことは、まさに、この恐怖心を逆転させるもの、彼の死と復活によって、信じるものに、創造主の本来の計画である「愛」を与えることだった。そして、私たちの神に対するいわゆる「勘違い」を、彼の人生をもって証言してくださったのだ。罰を下すかもしれないと人が恐れる神は、本来の神の姿からはかけ離れており、私たちの心にある罪の意識を反射し、浮き彫りにしているのに過ぎない。

 そうした心のわだかまりを解くために、いろいろな宗教が、社会が様々な提案をし続けているわけだが、イエスは、まず創造主である神とイエスを愛することから始まる、ということを教えてくださった。なぜなら、父である創造主は、私たちを最高により深く愛しているからだ。

 聖ヨハネパウロ2世は、「愛は教えられることではなく、学ばなければならないものである」と言われた。日本的な表現を発明すれば、「愛道」とでも言ったらいいのだろう。

 イエスは、このようなたとえ話を語られている。

 「天の国は、ある家の主人に似ている。主人は、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けとともに出かけて行った。彼は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。

 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたがたもぶどう園に行きなさい。それなりの賃金を払うから』と言った。それで、彼は出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろに出て行って、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と言った。彼らが、『誰も雇ってくれないのです』と答えたので、主人は、『あなたがたもぶどう園行きなさい』と言った。
夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った。『労働者を呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順賃金を払ってやりなさい』。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていたが、やはり一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働かなかったのに、丸一日、暑い中を辛抱して働いた私たちと同じ扱いをなさるとは』。

 主人はその一人に答えた。『友よ、貴方に不当なことはしていない。あたなは私と一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分の物を自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、私の気前のよさを妬むのか』。このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(マタイによる福音書20章1〜16節)。

「天の下では、すべてに時機があり、すべての出来事に時がある」(コレヘトの言葉3章1節)。つまり、創造主との出会いも、時期があるのだろうが、どの人もイエスの愛と神の赦しを受けることができる。彼は、気前がよいのだ。

 ラテン教父である聖アウグスティヌスは、キリスト教の美徳の一つである「prudenza」は、つまり、愛することであり、聡明に、それを邪魔することとよりよく育てることを区別することである、と言っている。

 たくさんの罪が自然的行為なので、個人的、社会的、対人的、性的にも、日本では寛容される傾向があり、また逆に、美徳が人為的であるため、悪徳とまではいかないものの、否定的に見られる傾向がある。

 しかし、自然が美徳を、また人為が悪徳を表すわけではないと思う。心の奥で真の喜び、愛を探すなら、新しい精神の命を受けることも可能だろう。なぜなら、洗礼は、誰でも心から望む者には分け与えられるからだ。

 マルコ福音書にはこうあるー「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」(12章27節)。

(聖書の引用は、聖書協会共同訳による)

(世羽おさむ、写実画家。ウェブサイトwww.osamugiovannimicico.com/jp インスタグラムwww.instagram.com/osamugiovannimicico_art/ フェイスブック
https://www.facebook.com/osamugiovannimicico/ )

(絵は、世羽おさむ作「自然の調べ」=油彩、ボード、33 x 24cm、2019)

2021年6月30日

・20日の「国連・世界難民の日」午後2時から「アルペ・スペシャルライブ2021」

(2021.6.18 カトリック・あい)

 今度の日曜日、6月20日は「世界難民の日」。アルぺなんみんセンターが20日午後2時から、同センターに暮らす難民の方々が出演する「アルペ・スペシャル ライブ 2021」を配信する。

 内容は、① 難民スペシャルライブ with 有坂美香 ② アルペのシェルター施設紹介 ③ アルペに暮らす難民からのメッセージ

 配信は「 アルペなんみんセンター」のFacebook(https://www.facebook.com/arrupe.refugee/)から。Facebook登録なしでもアクセスできる。

 *NPO法人アルぺなんみんセンター(事務局長    有川 憲治) 神奈川県鎌倉市十二所80 イエズス会日本殉教者修道院 Tel: 0467-55-5422 Fax 0467-55-5423 E-mail: arikawa@arrupe-refugee.jp

2021年6月18日

・画家・世羽おさむのフィレンツェ発「東西南北+天地」④ 人生を「傑作」にする!?

 前回は日々の生活における美、そして、芸術について書きました。今回は、そのつながりで、どのように私たちの人生そのものを傑作とできるものか、ということを巡って書いていきたいと思います。

 時には、歴史に残る著名な人物の人生を映画で観ることもあるでしょう。例えば、今思いついたのは、「ガンディー」。キリスト教徒ではありませんが、聖人的な人生を送った人物の例です。あるいは、大河ドラマで見られる武将たち、例えば、織田信長。そして、カトリック教会で認識されている聖人、聖フランシスコ。

 映画であっても、伝記本であっても、感想を「いやぁ、これは傑作ですな」などと語ります。ここで言う「傑作ですな」は、監督、著者に対する、あるいは役者、カメラマンに送る賛美でしょう。

 しかし、人生そのものを「傑作」とするためには、私たち自身が監督、筆者にならなければならないのでしょうか?また、過去にNGがあったり、また編集が必要であったら、どうしましょう? 忘れましょうか?(笑)

 「自然体に生きるのが、何よりですよ」と言う方もいらっしゃるでしょう。同感です。なぜなら、「自然」は無機質ではなく、心を持っているからです。

 僕がイタリアのフィレンツェで、イエスの弟子になったのは、2010年。そこに至るまでは、入門講座であるカテキズムを受講し、それまでの自分の生き方と対面する機会を得ました。

 イエスの教えから顧みると、これまでの自分の生き方が、かけ離れていたことが浮き彫りになり、自己を正当化するために知恵を絞って、カトリックの友達と議論していたことを思い出します。その後の13年で、イエスが僕の人生の、また芸術の筆者となりました。精神の人生がスタートしました。そして、人生を傑作と成すことは、「自分が赦されるよう、心のすべてを、愛によって見られるようにすることから始まるのだ」ということが、分かりました。

 もし、あなたがLevis のジーンズのヴィンテージを手に入れたい、と思ったら、次から次へと、古着屋さんを回り、いくつものタグを丹念に観察して回り、ついに本物を見つたら、今までもていたズボンと引き換えに「本物」を購入するでしょう。真実を見つけたからです。

 シェイクスピアは「全世界は一つの舞台であって、すべての男女は、その役者にすぎない。それぞれが舞台に登場し、退場していく」と言います。もちろん、舞台に役者がいるように、その脚本の作者がおり、また、役者は、その舞台で演じるために選ばれている、という事実もあります。役者は、作者と共同制作をすることで劇を傑作とすることができるわけで、役者だけの劇は、酵母が足りないパンのようなものです。

 前回のコラムで触れたように、自分の個が全宇宙の美しさと一体になる「あわれ」の情緒に満ちた体感が、創造者そのものであり、私たちの人生をどんな時
も、見守ってくれている、と思います。

 まぁ、そう言っても、それぞれの国には、独自の秩序があるわけで、例えば、日本では、上下関係を尊重する大事とされており、その人間関係を保つ空気感が相手の立場を容認する役割を持っていますし、傑作とか愛とか言っても、秩序を守ることだけで精一杯、と言われる方がおられかもしれません。

 前々回のコラムで触れましたが、イエスの愛は、文化の型を壊すものではなく、より美しく成就するものです。始まりの一歩は、頭の中での独り言を静め、赦し深い「作者」、つまり、あなたの創造主と対話を始めることでしょう。そして、彼の顔を、声を、作法を、心の奥で知ることだと思います。

 イエスが、天の国のこと、そして、そこに辿り着くまでの道について弟子に話していた時、使徒の一人であるトマスは、人間らしい率直な質問をします。

 「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうして、その道が分かるでしょう」。

 イエスは答えます。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。あなたがたが、私を知っているなら、私の父をも知るであろう… いや、今、あなた方は父を知っており、また、すでに父を見たのだ」(ヨハネによる福音書14章5-7節)と。

 ここでイエスは、創造主を「父」と呼んでいます。私たちは、創造者を目で見ることはできません。しかし、イエスは弟子たちに、ご自分を知ることによって、私たちの「作者」である父、あわれの情緒の源、つまり、彼の心を、知ることができる、と言います。

 どの文化に属していても、どの言語を用いていても、イエスを知ることで、創造主の心、そして、意図を知ることができます。そして、私たち役者が人生という舞台で傑作を共同制作することを可能とします、作者を賛美しながら…。次回のコラムでは、「自然」について書きたいと思います。

 (聖書からの引用は、「聖書協会共同訳」を使用)

(世羽おさむ、写実画家=ウェブサイトwww.osamugiovannimicico.com/jp  インスタグラムwww.instagram.com/osamugiovannimicico_art  フェイスブックhttps://www.facebook.com/osamugiovannimicico/ )

 (絵は、世羽おさむ作「晩祷」 油彩、カンヴァス、45x60cm、2020)

2021年6月14日

・ある主任神父の回想・迷想⑩辛苦の中でこそ生じる「他者性」とは?

 世の中には、絶対音感を身に着けている人がいます。皆さんのごく身近かなところにも、けっこうおられるのではないでしょうか。中には、譜面を見ただけで最初の一音を声に出せる人もいて、「見ただけで、よく『キー』が分かるものだな」と驚くこともあります。

 私には、せいぜい、「かつてのLP版レコード」のほうが、CD録音よりも重低音が響くな、とか、トランジスタより、真空管のほうが音が柔らかいな、くらいしか解らず、絶対音感なんて何故解るんだろう、と思えてしまうわけですが、ピアノの調律師の人などは、これが無いと仕事にならないくらいです。

 人と人とが理解し合うのは、簡単なことではありませんね。一人一人が同じものを見ているようでいて、見え方はかなり違いますよね。だから相手の見ているものが見えたときの喜びは格別です。おそらく同じものを見て、それを互いに追いかけているときには、その実感が倍になるのでしょう。

 しかし、世の中に「同じ人」が一人もいないように、違いばかりが気になることの方が多いのかもしれません。よく、会話中に「同感です」というリアクションを相手が示すとき、本当にそうなのかどうかは少々、考える余地があるにせよ、大まかには、そこでまとまるものがあるでしょう。

 ご存知のように、アッシジのフランシスコは彼の「平和を願う祈り」の中で、「理解されることよりも理解することを」と願っています。「共感を得たい」と思うより、「共感できるように」と、甚だ勝手にですが、言い換えてもいいかもしれません。今や皆、そこまでも気持ちの余裕がないのかもしれません。特に今はコロナ禍ですから、状況は一層複雑です。

 ただ、ほんの一例にすぎませんが、自分自身のこれまでを振り返ると、実際には、気持ちに余裕が無いときとか、追い詰められ、孤独を感じているときの方が、なんだか、相手の気持ちに寄り添えていたような気がします。多分、自分の惨めさを実感すればするほど、無理なくありのままの自分で人と関わることになるものだから、相手と同じ目線で同じものが見えたりするので、相手にもやさしい。

 さらに自分の惨めさを実感している分、計らずもそこを指摘されても腹が立たずに、「そりゃそうだよね」と笑えたりもする。そこで一緒に笑ってくれる人が相手なら、その後なんとなく仲良くなる。

 逆に余裕があることからやってくる独善ゆえに陥る孤独や孤立、それがきっかけとなって起きる苛立ちや憤懣、対立や驚嘆などは、人間には大いにあり得ると思います。

 あるもの(持っているもの)に常に感謝できる人は幸いです。無いものばかりが気になる人は、あるもの(持っているもの)では足りない、という思いが心を占めてしまい、おのずと渇きを招きます。だからといって「ありがたいと思いなさいよ」という(私も母からよく言われましたが)、そういう教条的な示唆は、かえって逆効果なこともあり、(言っている方が「ありがたく」思っていないなら、説得力も無いですからね)。それに、こういう言い方はちょっとね(親子の間であればともかく)。

 「99円は100円」ではありません。ただ、こうした貨幣価値と人の思いとは異なり、何であれ、99あっても不十分だ、と感じるなら、おおむね100あっても足りないことがあります。つまり「こうしたい」という願望が増すばかりなので、次第に、「今あるものは当たり前」になっていきます。「何かを得たい」という気持ちは自然なものですが、それが落とし穴となることがしばしばです。

 「余裕が無いとき」に湧き上がる共感能力は、余裕があると麻痺してしまう… それを考えると、余裕が無いときの自分の立ち位置というのは、感謝する喜びに開かれた「とき」を目の前にしている、と言えるのかもしれません。

(日読みの下僕)

(編集「カトリック・あい」)

2021年6月11日

・菊地大司教の日記「ブルネイのシム枢機卿、逝く」

2021年6月 1日 (火)

5月29日土曜日の昼頃、FABC(アジア司教協議会連盟)の香港にある事務局から、司教宛ての一斉メールが私のスマホに入ってきました。メールのタイトルは、単に「Cardinal Cornelius Sim」となっていました。そのタイトルにほかのことを想像したのですが、添付されていたのは、ブルネイのコルネリウス・シム枢機卿が帰天されたという知らせでした。

 シム枢機卿は1951年9月生まれなので、まだ69歳です。しかもその訃報には、台湾の病院で亡くなられた、と記されていました。

 シム枢機卿とは、年齢は少し離れているものの、同じ時期に司教になったこと(彼が2005年1月、私が2004年9月司教叙階)、FABC関係の会議で何度か一緒になったこと、一度ファティマに出かけるグループで一緒になったことなどから、特に互いのFacebookでの繋がりでしばしばやりとりのあった友人でした。

 ブルネイは、マレーシアに囲まれた比較的小さな国で、人口45万人ほどのうち7割強がイスラム教であり、カトリックは4%ほどの2万人弱と統計にあります。国全体が使徒座代理区で、働いている司祭は3人、小教区も3カ所と、統計には記されています。その教会で、シム枢機卿は98年から使徒座代理区長、そして2005年には司教に叙階され、教会を率いてきました。

 ご本人は、司祭になる前に欧米各地で学んだり働いた経験もあり、コミュニケーション能力に優れ、また聖霊刷新運動にも熱心であったと聞きますが、非常にダイナミックで、若者たちを引きつけるリーダーでありました。一度、韓国で行われたアジア青年大会に、教皇ミサに参加するために出かけたとき、私たちは白のスータンを着て壇上にいたのですが、シム枢機卿は、ポロシャツ姿で青年たちの輪の中に一緒に留まっておられたりと、「共に歩む牧者」を体現された方でした。(写真は、2009年のFABC総会で、東ティモールのバジリオ・ド・ナシメント司教と話すシム司教)Corneliussim2

 Facebookなどを通じた発信も積極的で、ブルネイからのミサのネット中継や、さまざまな形での霊的指導にも取り組み、その熱心な霊的指導に魅せられ、指導を直接ネットを通じて(英語で)受けていた人は、日本にもおられます。

 教皇様は、昨年11月28日の枢機卿会議で、シム司教をブルネイで初めての枢機卿に親任されました。シム枢機卿は、フィリピンのホセ・アドビンクラ大司教とともに、枢機卿会に出席するためにローマに行くことができませんでした。新型コロナの状況のためです。

 ですから、土曜の朝にメールを受け取った時は、てっきり、枢機卿さんたちが親任された後に、ご自分の名義教会(ローマ)に着座する慣例について、このたびはシム枢機卿に関してどうなるかのお知らせか、と思ったのです。

 昨年8月、彼から受け取ったメッセージには、「癌で闘病中であり、すでに手術を受けていたこと」も記されていました。確かにその半年前くらいから、彼のFacebookでの記事が内容的にも、投稿回数にしても、不安定になっていたことを感じていました。そしてそのメッセージでシム枢機卿は、東京の某病院名をあげ、そこでの治療を受ける可能性を探ってほしいとリクエストがありました。しかし時期はちょうど、新型コロナ感染症が拡大していた2020年夏です。そもそも移動と入国が簡単ではありません。

 昨年10月25日に教皇様がシム司教を含む13名の新しい枢機卿の名前を発表されたとき、即座にお祝いのメッセージを送りました。すぐ回答があり、それには「教皇様は、病人を選んじゃったよ」と記してあり、「地元のドクターたちと相談しながら、東京へ行く計画をまだ考慮している」と記されていました。

 最終的にシム枢機卿は、感染症の状況などから、同様の治療を受けることのできる台湾の病院を選択されたものと思います。5月7日に台湾に出発する前日6日の、最後のブルネイでのミサのオンライン中継での説教が残されています(下の動画▷をクリック。長い闘病で、かなり力を使い果たしていたものと思います。力を振り絞って説教をする姿が残されています。ブルネイの教会のために、祈ります。

 

 

 主よ永遠の安息を、シム枢機卿に与え、絶えざる光を彼の上に照らし給え。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

2021年6月5日

・Sr.阿部のバンコク通信(56)隣国の苦しむ人々に”援助大好き”タイ人は

  隣国ミャンマーの緊迫状況、軍による市民への暴挙ぶりは、コロナ騒動どころではありません。タイ国の西側は、北から南までミャンマーと国境で接しています。非人道的な軍隊の銃弾を逃れる人々が津波のごとくタイ側に押し寄せ、山中に避難し、困難を極める生活状況。タイ側は内密裡に、人道的な援助を続けています。男女修道会連盟は支援物資を募り、カリタスと協力して山岳奥地の最寄りの機関まで運び、そこから内密に避難民に届けられています。

 故郷に残ったミャンマーの人々は、軍の独裁政権からの解放、自由を勝ち取るための懸命な戦いを続けています。14歳の少女が『私が死んでも運動を続けて下さい』と遺言書の名札を胸に、治安部隊の銃弾に倒れました

 クーデターを成功させ、政権を握るつもりが、国家顧問のアウンサン・スーチー女史たちリーダーを逮捕・監禁しても、市民の抗議・抵抗は勢いを増し、スマホで撮影映像を世界に発信する”デジタル・レジスタンス”も活発に行われています。

 通話を遮断し、情報の発信者を摘発する軍の動きに対して、民衆はインターネットに”国民統一政府”を作り上げ、国際世論を味方につける運動を展開し、民主政治回復へ懸命に戦っています。

 タイには、仏頭が破壊されたアユタヤ時代の遺跡が当時のまま残されているように、ミャンマーとの争いで侮辱的な仕打ちを受けた記憶が根強くあり、ミャンマーとはあまり良い仲ではないのです。それでも、苦しんでいるミャンマーの人々を見て、『援助大好き』のタイの人々は勇んで奉仕するのです。

 そんな単純でお人好しのタイ人が好きです。こちらの日本人仲間にも声をかけ、一緒にミャンマーを応援しようと思います。コロナ禍にあっても、ビクビクせず、精魂込めて今を生きる、他者を思い祈りながら生きる、そういう魅力ある修道者でありたいと…。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2021年6月1日

・”マンゴー・シャワー“ 今も続くバンコク日本人信徒の現地スラム教育支援グループ

 今から10年ほど前まで、夫の仕事の関係で5年間、タイのバンコクで生活しました。雨のタイ旅行の過ごし方 | バンコクナビ

 住まいの近くにある教会で毎日曜に顔を合わす日本人カトリック信徒が30人余り。ミサ後に色々な話をしている中で、「地元の人たちの為に、何か役に立つことができないか」ということになり、親しくしている日本人修道女、Aさんが支援活動をしているスラム街を訪問したのが、私たちの活動の始まりでした。

 川辺に、竹を突っかえ棒にした粗末な小屋が肩を寄せ合うように建っており、犬の糞があちこちに残る狭い路地には、平日なのに、子どもたちがたむろしていました。一見、貧しくても静かな生活が送られているように見えますが、実際には、児童労働、性犯罪や薬物被害など、小さな子どもたちにも深刻な影響をあたえているのです。

 当時、タイでは2000バーツ(約6000円)あれば、子どもを一人、小学校に一年間通わせるとこができる、と聞いて、私たちは、彼らの就学支援を思い立ちました。

 それでAさんにそのことを伝えると、「これまで、いくつもの日本人グループが援助活動を始めたが、いつの間にか消えてしまい、子どもたちも放っておかれることが繰り返されてきました。ですから、中途半端な援助はしないで」と忠告されたのです。

 長続きできるめどが立たないまま、支援活動を始めるわけにはいかない…思案していると、運よく、読売新聞の現地新聞との合弁会社が「現地の読者サービスに使いたい」と私たちが製作したエコバックを大量に買い上げてくれることになり、それを原資に、一時の思い付きで終わらない活動を始めることができるようになりました。

 週に一度、皆で集まって、エプロンやクリスマス用品などを製作し、教会やカトリックの学校のバザー、各国大使館の関係者などに販売。

 また、私たちのグループの一員が、日本画家の橋本不二子先生のお嬢さんだったことから、先生の絵が印刷されたポストカードを段ボール一杯お送りいただき、相当額の資金を得られたのです。

 その結果、12人の子どもたちを大学まで責任をもって面倒をみられるだけの資金が出来、子どもたちを選んで、援助を開始しました。10年余り経った今も、活動は続けられ、現在援助している子どもたちは16人にのぼっています。

 本当にささやかな活動ですが、「援助側の私たちも、大きな恵みをいただいている」とは、グループの人たちの偽らざる気持ちです。私を含めて、日本に戻ってからも活動に繋がっている人も少なくありません。

 グループの名前は「マンゴー・シャワー」。甘く、薫り高い南国の果実、マンゴーが実る頃に降る”恵みの雨“です。

(東京・多摩H.N.)

2021年5月31日

・ガブリエルの信仰見聞思⑱「クロノス」の世界で「カイロス」を生きる

*久しぶりに聞いたクロウチのバラード

 1973年にアメリカビルボード(Billboard~米国最も権威のある音楽チャート)1位に輝いたバラードがありました。その曲は次の歌詞で始まります。

 If I could save time in a bottle  もし僕が瓶の中に時間を貯めておけるなら
The first thing that I’d like to do 僕は真っ先にやりたいことは
Is to save everyday till eternity passes away 毎日を永遠が過ぎ去るまで貯めておくさ
Just to spend them with you. ただそれらを君と一緒に過ごすために。(拙訳)

 美しいアコースティック・ギターのアルペジオをバックにそう歌っていたのは、アメリカのフォーク系シンガーソングライターのジム・クロウチ(Jim Croce)でした。

 この「Time In A Bottle(タイム・イン・ア・ボトル)」という曲(ネットで検索すればすぐに視聴できる)は、もともとジム・クロウチが最愛の妻の妊娠を告げられた時に書き上げたものでしたが、3年後に不慮の飛行機事故で彼が他界後、この曲が全米No.1ヒット・シングルとなったと言われています。

 この曲を初めて聞いたのは1981年、ギターを始めたばかりの中学2年生の頃でしたが、年を重ねるごとにすっかり忘れていたのですが、先週、偶然にもネットで久しぶりに耳にしました。

 ジム・クラウチの歌詞を振り返ってみると、妻への深い愛情が明白に表現されていることは言うまでもありませんが、同時に、「カイロス」という時間の概念も微妙に表されているように思います。

*古代ギリシア語の「時」を表わす二つの言葉

 古代ギリシア語で「時」を表す言葉は「クロノス」(Chronos)と「カイロス」(Kairos)の2つ。前者は時計やカレンダーで計れる「量的な時間」(1時間は60分、1日は24時間、1か月は30日間など)です。後者は計ることのできない、かけがえのない「質的な時」を指すほかに、「機が熟す時」「適切な時」「完璧なタイミング」といった意味合いがあります。また、カイロスには精神的(霊的)な感覚が伴います。

 原語のギリシア語で書かれた新約聖書では、「時」について語られている多くの箇所に、カイロスが用いられています―「時(カイロス)は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」(マルコ福音書1章15節)、「キリストは、私たちがまだ弱かった頃、定められた時(カイロス)に、不敬虔な者のために死んでくださいました」(ローマの信徒への手紙5章6節)。

 また、原語のヘブライ語で書かれた旧約聖書にある有名な「コヘレトの言葉」の箇所―「天の下では、すべてに時機があり/すべての出来事に時がある。/生まれるに時があり、死ぬに時がある。/植えるに時があり、抜くに時がある…」(3章1節~11節参照)の「時」も、七十人訳聖書(現存する最古のギリシア語旧約聖書の翻訳)では「カイロス」と訳され、神様が定められた「時」の深い意義が示されています。

*「カイロス」が聖書に多く出てくるのは…

 しかし、「時」という言葉が直接用いられなくても、聖書にはカイロスを表す場面も多く記されています。もっとも印象に残るエピソードの一つは、主イエスが復活された後、エマオに向かう弟子たちに出現された時です(ルカ福音書24章13節~35節参照)。

 ずっと主イエスと共に道を歩んできたにもかかわらず、主イエスだとは分からなかった弟子たちが、主が祝福された、裂かれたパンを受け取って初めて、目の前におられるのが主だ、と分かりました。「二人は互いに言った。『道々、聖書を説き明かしながら、お話しくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか』」(同24章32節)。これは弟子たちのカイロスの瞬間だったのです。

 先週の「聖霊降臨の主日」のミサの途中で、突然、ある種の深い感動を覚えました。その感覚を具体的に表現できないのですが、おそらくこの弟子たちが感じたものと似ているような気がします。そして、主イエスの御聖体を拝領した時、その不思議な感動がさらに深く感じました。神なる主イエスが実際にこの罪深い私の心にお入りになり、いつでもどこでも、常に私と共におられることに対しての深い感動が湧いてきたのです。

 カイロスとは、過去、現在、未来(クロノス)にとらわれない神様の次元のものだと思います。神様が与えられた「時」であり、神様が導いておられる「時」です。カイロスの質的な時は、神様と出会う時であり、神様と共にいる時であり、神様ご自身が人間を愛され、人間を救われる「神の時」のように思います。

*私たちは「クロノス」にとらわれていないか

 私たちの多くは、日々の予定通りに様々なことを次から次へと、こなしながら、クロノスの概念ばかりに従って日々を過ごしがちですが、聖パウロは、このように教えてくれています。

 「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」(ガラテヤの信徒への手紙2章20a節)、「知恵のない者ではなく、知恵のある者として、どのように歩んでいるか、よく注意しなさい。時(カイロス)をよく用いなさい。今は悪い時代だからです」(エフェソの信徒への手紙5章15節~16節)、「時(カイロス)をよく用い、外部の人に対して知恵をもって振る舞いなさい」(コロサイの信徒への手紙4章5節)。

 主は日々いつでもどこでも、常に私たちと共におられるー私たちは、常にこの事実を意識しながら、常にクロノスの世界でカイロスを求め、カイロスを生きることに努めるように、求められているのではないでしょうか。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)

2021年5月31日