・菊地大司教の日記「ブルネイのシム枢機卿、逝く」

2021年6月 1日 (火)

5月29日土曜日の昼頃、FABC(アジア司教協議会連盟)の香港にある事務局から、司教宛ての一斉メールが私のスマホに入ってきました。メールのタイトルは、単に「Cardinal Cornelius Sim」となっていました。そのタイトルにほかのことを想像したのですが、添付されていたのは、ブルネイのコルネリウス・シム枢機卿が帰天されたという知らせでした。

 シム枢機卿は1951年9月生まれなので、まだ69歳です。しかもその訃報には、台湾の病院で亡くなられた、と記されていました。

 シム枢機卿とは、年齢は少し離れているものの、同じ時期に司教になったこと(彼が2005年1月、私が2004年9月司教叙階)、FABC関係の会議で何度か一緒になったこと、一度ファティマに出かけるグループで一緒になったことなどから、特に互いのFacebookでの繋がりでしばしばやりとりのあった友人でした。

 ブルネイは、マレーシアに囲まれた比較的小さな国で、人口45万人ほどのうち7割強がイスラム教であり、カトリックは4%ほどの2万人弱と統計にあります。国全体が使徒座代理区で、働いている司祭は3人、小教区も3カ所と、統計には記されています。その教会で、シム枢機卿は98年から使徒座代理区長、そして2005年には司教に叙階され、教会を率いてきました。

 ご本人は、司祭になる前に欧米各地で学んだり働いた経験もあり、コミュニケーション能力に優れ、また聖霊刷新運動にも熱心であったと聞きますが、非常にダイナミックで、若者たちを引きつけるリーダーでありました。一度、韓国で行われたアジア青年大会に、教皇ミサに参加するために出かけたとき、私たちは白のスータンを着て壇上にいたのですが、シム枢機卿は、ポロシャツ姿で青年たちの輪の中に一緒に留まっておられたりと、「共に歩む牧者」を体現された方でした。(写真は、2009年のFABC総会で、東ティモールのバジリオ・ド・ナシメント司教と話すシム司教)Corneliussim2

 Facebookなどを通じた発信も積極的で、ブルネイからのミサのネット中継や、さまざまな形での霊的指導にも取り組み、その熱心な霊的指導に魅せられ、指導を直接ネットを通じて(英語で)受けていた人は、日本にもおられます。

 教皇様は、昨年11月28日の枢機卿会議で、シム司教をブルネイで初めての枢機卿に親任されました。シム枢機卿は、フィリピンのホセ・アドビンクラ大司教とともに、枢機卿会に出席するためにローマに行くことができませんでした。新型コロナの状況のためです。

 ですから、土曜の朝にメールを受け取った時は、てっきり、枢機卿さんたちが親任された後に、ご自分の名義教会(ローマ)に着座する慣例について、このたびはシム枢機卿に関してどうなるかのお知らせか、と思ったのです。

 昨年8月、彼から受け取ったメッセージには、「癌で闘病中であり、すでに手術を受けていたこと」も記されていました。確かにその半年前くらいから、彼のFacebookでの記事が内容的にも、投稿回数にしても、不安定になっていたことを感じていました。そしてそのメッセージでシム枢機卿は、東京の某病院名をあげ、そこでの治療を受ける可能性を探ってほしいとリクエストがありました。しかし時期はちょうど、新型コロナ感染症が拡大していた2020年夏です。そもそも移動と入国が簡単ではありません。

 昨年10月25日に教皇様がシム司教を含む13名の新しい枢機卿の名前を発表されたとき、即座にお祝いのメッセージを送りました。すぐ回答があり、それには「教皇様は、病人を選んじゃったよ」と記してあり、「地元のドクターたちと相談しながら、東京へ行く計画をまだ考慮している」と記されていました。

 最終的にシム枢機卿は、感染症の状況などから、同様の治療を受けることのできる台湾の病院を選択されたものと思います。5月7日に台湾に出発する前日6日の、最後のブルネイでのミサのオンライン中継での説教が残されています(下の動画▷をクリック。長い闘病で、かなり力を使い果たしていたものと思います。力を振り絞って説教をする姿が残されています。ブルネイの教会のために、祈ります。

 

 

 主よ永遠の安息を、シム枢機卿に与え、絶えざる光を彼の上に照らし給え。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

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2021年6月5日