今から10年ほど前まで、夫の仕事の関係で5年間、タイのバンコクで生活しました。
住まいの近くにある教会で毎日曜に顔を合わす日本人カトリック信徒が30人余り。ミサ後に色々な話をしている中で、「地元の人たちの為に、何か役に立つことができないか」ということになり、親しくしている日本人修道女、Aさんが支援活動をしているスラム街を訪問したのが、私たちの活動の始まりでした。
川辺に、竹を突っかえ棒にした粗末な小屋が肩を寄せ合うように建っており、犬の糞があちこちに残る狭い路地には、平日なのに、子どもたちがたむろしていました。一見、貧しくても静かな生活が送られているように見えますが、実際には、児童労働、性犯罪や薬物被害など、小さな子どもたちにも深刻な影響をあたえているのです。
当時、タイでは2000バーツ(約6000円)あれば、子どもを一人、小学校に一年間通わせるとこができる、と聞いて、私たちは、彼らの就学支援を思い立ちました。
それでAさんにそのことを伝えると、「これまで、いくつもの日本人グループが援助活動を始めたが、いつの間にか消えてしまい、子どもたちも放っておかれることが繰り返されてきました。ですから、中途半端な援助はしないで」と忠告されたのです。
長続きできるめどが立たないまま、支援活動を始めるわけにはいかない…思案していると、運よく、読売新聞の現地新聞との合弁会社が「現地の読者サービスに使いたい」と私たちが製作したエコバックを大量に買い上げてくれることになり、それを原資に、一時の思い付きで終わらない活動を始めることができるようになりました。
週に一度、皆で集まって、エプロンやクリスマス用品などを製作し、教会やカトリックの学校のバザー、各国大使館の関係者などに販売。
また、私たちのグループの一員が、日本画家の橋本不二子先生のお嬢さんだったことから、先生の絵が印刷されたポストカードを段ボール一杯お送りいただき、相当額の資金を得られたのです。
その結果、12人の子どもたちを大学まで責任をもって面倒をみられるだけの資金が出来、子どもたちを選んで、援助を開始しました。10年余り経った今も、活動は続けられ、現在援助している子どもたちは16人にのぼっています。
本当にささやかな活動ですが、「援助側の私たちも、大きな恵みをいただいている」とは、グループの人たちの偽らざる気持ちです。私を含めて、日本に戻ってからも活動に繋がっている人も少なくありません。
グループの名前は「マンゴー・シャワー」。甘く、薫り高い南国の果実、マンゴーが実る頃に降る”恵みの雨“です。
(東京・多摩H.N.)