・画家・世羽おさむのフィレンツェ発「東西南北+天地」④ 人生を「傑作」にする!?

 前回は日々の生活における美、そして、芸術について書きました。今回は、そのつながりで、どのように私たちの人生そのものを傑作とできるものか、ということを巡って書いていきたいと思います。

 時には、歴史に残る著名な人物の人生を映画で観ることもあるでしょう。例えば、今思いついたのは、「ガンディー」。キリスト教徒ではありませんが、聖人的な人生を送った人物の例です。あるいは、大河ドラマで見られる武将たち、例えば、織田信長。そして、カトリック教会で認識されている聖人、聖フランシスコ。

 映画であっても、伝記本であっても、感想を「いやぁ、これは傑作ですな」などと語ります。ここで言う「傑作ですな」は、監督、著者に対する、あるいは役者、カメラマンに送る賛美でしょう。

 しかし、人生そのものを「傑作」とするためには、私たち自身が監督、筆者にならなければならないのでしょうか?また、過去にNGがあったり、また編集が必要であったら、どうしましょう? 忘れましょうか?(笑)

 「自然体に生きるのが、何よりですよ」と言う方もいらっしゃるでしょう。同感です。なぜなら、「自然」は無機質ではなく、心を持っているからです。

 僕がイタリアのフィレンツェで、イエスの弟子になったのは、2010年。そこに至るまでは、入門講座であるカテキズムを受講し、それまでの自分の生き方と対面する機会を得ました。

 イエスの教えから顧みると、これまでの自分の生き方が、かけ離れていたことが浮き彫りになり、自己を正当化するために知恵を絞って、カトリックの友達と議論していたことを思い出します。その後の13年で、イエスが僕の人生の、また芸術の筆者となりました。精神の人生がスタートしました。そして、人生を傑作と成すことは、「自分が赦されるよう、心のすべてを、愛によって見られるようにすることから始まるのだ」ということが、分かりました。

 もし、あなたがLevis のジーンズのヴィンテージを手に入れたい、と思ったら、次から次へと、古着屋さんを回り、いくつものタグを丹念に観察して回り、ついに本物を見つたら、今までもていたズボンと引き換えに「本物」を購入するでしょう。真実を見つけたからです。

 シェイクスピアは「全世界は一つの舞台であって、すべての男女は、その役者にすぎない。それぞれが舞台に登場し、退場していく」と言います。もちろん、舞台に役者がいるように、その脚本の作者がおり、また、役者は、その舞台で演じるために選ばれている、という事実もあります。役者は、作者と共同制作をすることで劇を傑作とすることができるわけで、役者だけの劇は、酵母が足りないパンのようなものです。

 前回のコラムで触れたように、自分の個が全宇宙の美しさと一体になる「あわれ」の情緒に満ちた体感が、創造者そのものであり、私たちの人生をどんな時
も、見守ってくれている、と思います。

 まぁ、そう言っても、それぞれの国には、独自の秩序があるわけで、例えば、日本では、上下関係を尊重する大事とされており、その人間関係を保つ空気感が相手の立場を容認する役割を持っていますし、傑作とか愛とか言っても、秩序を守ることだけで精一杯、と言われる方がおられかもしれません。

 前々回のコラムで触れましたが、イエスの愛は、文化の型を壊すものではなく、より美しく成就するものです。始まりの一歩は、頭の中での独り言を静め、赦し深い「作者」、つまり、あなたの創造主と対話を始めることでしょう。そして、彼の顔を、声を、作法を、心の奥で知ることだと思います。

 イエスが、天の国のこと、そして、そこに辿り着くまでの道について弟子に話していた時、使徒の一人であるトマスは、人間らしい率直な質問をします。

 「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうして、その道が分かるでしょう」。

 イエスは答えます。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。あなたがたが、私を知っているなら、私の父をも知るであろう… いや、今、あなた方は父を知っており、また、すでに父を見たのだ」(ヨハネによる福音書14章5-7節)と。

 ここでイエスは、創造主を「父」と呼んでいます。私たちは、創造者を目で見ることはできません。しかし、イエスは弟子たちに、ご自分を知ることによって、私たちの「作者」である父、あわれの情緒の源、つまり、彼の心を、知ることができる、と言います。

 どの文化に属していても、どの言語を用いていても、イエスを知ることで、創造主の心、そして、意図を知ることができます。そして、私たち役者が人生という舞台で傑作を共同制作することを可能とします、作者を賛美しながら…。次回のコラムでは、「自然」について書きたいと思います。

 (聖書からの引用は、「聖書協会共同訳」を使用)

(世羽おさむ、写実画家=ウェブサイトwww.osamugiovannimicico.com/jp  インスタグラムwww.instagram.com/osamugiovannimicico_art  フェイスブックhttps://www.facebook.com/osamugiovannimicico/ )

 (絵は、世羽おさむ作「晩祷」 油彩、カンヴァス、45x60cm、2020)

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2021年6月14日