・聖金曜日:主の受難の儀式-「イエスにおいて、敗者は勝者となる」

(2019.4.19 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、イエスの受難と死を記念する「聖金曜日」の19日夕、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、「主の受難の儀式」を行われた。

 儀式は、祭壇前の床に伏された教皇の長い沈黙の祈りから始まり、ことばの典礼では、「主の僕の苦難と死」についての預言が語られる「イザヤ書」(52章13節-53章12節)、「罪の贖いのためにご自分を捧げ、救いの源となった偉大な大祭司イエス」について述べる「ヘブライ 人への手紙」(4章14-16節、 5章7-9節)に続き、「イエスの受難と死」が「ヨハネ福音書」(18章1節-19章42節)から朗読された。

 教皇付き説教師ラニエーレ・カンタラメッサ神父は、説教で「軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負った」と「イザヤ書」(53章3節)にある「この人」とは、ナザレのイエスである、とし、イエスを「世界のすべての疎外された人々、軽蔑され、傷つけられた全人類の代表」として観想。「『人間の歴史を通じて最も偉大な方が、私たちと同じ仲間だ』と、私たちは民族、宗教を超えて叫ぶことができます」と語った。

 だが、「イエスは単に世界の疎外された人々の仲間、ということに留まりません」と神父は指摘し、「イエスは、十字架につけられ、死に、復活されました。イエスにおいて、完全な覆しが起こり、敗者は勝者になり、裁かれた者は裁く者となったのです」「イエスは、世界の疎外された人々に、尊厳だけではなく、希望を取り戻させました。復活祭は、神によって計画され、キリストを通して実現された”逆転”の祭り、貧しい人や、見捨てられた人々の祭りなのです」と強調した。

 カンタラメッサ神父の説教に続いて、聖金曜日の盛式共同祈願が唱えられ、続く十字架の崇敬では、十字架を手に助祭が入場。祭壇に向かいながら、三度歩を止め、そのたびに十字架を顕示し、「世の救い主、キリストがつけられた木の十字架を見つめよ」と人々を招いた。本廊脇で、教皇が十字架を迎え、十字架上のイエスに接吻された。十字架は祭壇前に置かれ、助祭、枢機卿、司教、司祭、修道者、信徒代表による崇敬が続いた。

 最後に、教皇は祭壇上から十字架を会衆に示され、聖体拝領式の後、会衆は沈黙のうちに解散した。

(編集「カトリック・あい」)

2019年4月20日

・「欧州の病によって世界は損傷、教会における危機は信仰の危機」と典礼秘跡省長官(Tablet)

(2019.4.12 The Tablet James Roberts

 ロベール・サラ枢機卿が会見し、「全世界を傷つけている病の核心」と確信しているものについて説明。病が各大陸を越えて広がっており、「その根源は欧州にある」と述べた。

 フランスのカトリック雑誌La Nefの長文の枢機卿のインタビュー記事の英語版が9月に発行されるが、それを前に、記事の中で強調したかったことを説明するため会見した。会見で枢機卿は、司祭職の危機について考察し、司祭の独身制について強く擁護したが、その前に、現代文化における真理と自由の関係に言及。

 フランスジャーナリスト社会学者 のフレデリック・マルテル氏が近著“In the Closet of the Vatican”で、バチカン内部に同性愛者のネットワークが広がっていることを強く指摘していることを取り上げ、教会における危機と信仰の危機を関連付けたうえで、”アフリカの息子”として自分がなぜ、「自滅的な嫌悪の極み」「強い伝染性を持つ無神論-私たちすべてが冒されている毒」について、西欧に警告できる、と感じているかを説明。キリスト信徒たちに対して、「砂漠のただ中に自由のオアシスを切り開く」ように訴えて、締めくくった。

 サラ枢機卿はバチカンの典礼秘跡省長官。会見で、現在「世界全て」を傷つけている霊的な危機の根源は、欧州にある、なぜなら、欧州が神を否定しているからだ、と語り、「西欧の人々は、受け入れるのが人間の尊厳に反することだ、と確信しています。しかし、文明人は基本的に伝承者で、歴史、文化、言語、名前、家族を受け入れます。これが、野蛮人との違いなのです。依存、遺産、由来のネットワークに書き込まれるのを拒むのは、自分勝手に任せる競争経済のジャングルに裸で逆戻りするように、自分に言い渡すことになります。人は、自分を伝承者として認知するのを拒むゆえに、”自由なグロバリゼーションの地獄行き”を宣告されるのです。

 枢機卿はまた、「人間の遺産相続を拒否する考え方」を、「現代の沈滞した状況の根源-西欧における父なる神の考えの拒否」と関連付けた。この二つの”拒否”は神を拒否することと密接に関係している、と述べ。「私たちは神から、男性と女性の特質をいただきましたが、それが、現代の思考にとって耐えがたいこと。”ジェンダー主義”は、性の特質を神からいただくことに対する”堕天使のサタン”の拒否です。こうしてある人々は神に歯向かい、自分の性を変えるために自身を無為に損傷させてしまうのです。しかし、彼らは、実際には、男性あるいは女性としての自分の構造を何も変えていません。西欧はそのことを受け入れるのを拒み、西欧自身のために組み立てたものだけを受け取ることになるでしょう」と警告。「それが神からの賜物であるがゆえに、人間の本質は西欧の人にとって我慢できないものとなる… その反抗は、根源的に霊的なものです。賜物に対するサタンの反抗です」と強調した。

 さらに、国連にも言及。自分の富を貧しい人たちに与えて、キリストに従うことが気なかった金持ちの若者の話を引用して、「国連が推進する”根本的に価値あるもの”が基礎をおいているのは、福音書に登場する金持ちの若者と比べられる『神の否定』です。神は西欧を思い、愛しておられました。それは西欧が素晴らしいことをしたからでした。神は西欧に、さらに前に進むように勧められましたが、西欧は逆戻りしてしまった。自分だけに責任を負う金持ちのたぐいを好んだのです」と批判した。

 そして、アフリカとアジアはまだ、「ジェンダー主義」「父なる神への嫌悪」に毒されていないが、「西欧列強の”新植民地主義者”の精神と意思は、自分たちの致命的なイデオロギーを受け入れるように国々に支配的な圧力をかけてくるでしょう」と懸念を示し、キリスト教徒の福音宣教の目標は、「支配の意思」とは極めて異なるもの、「福音宣教の目標は世界支配ではなく、神への奉仕です。キリストの世界すべてへの勝利は… 十字架です!世界の権力に打ち勝つことを私たちは意図しません。福音宣教は、十字架を通してなされるのです」と力説した。

 「キリスト教は社会に“浸透”すべきかどうか」という記者の問いに対しては、「信仰、福音、そして自然法が浸透した社会は、とても望ましい社会です」「教会のもっと奥深い目的は、特定の模範的な社会を構築することではありません。教会は、『超自然的な救い』を言明する使命を受けています。公正な社会は、神の賜物を受けやすいようにしますが、救いを与えることはできません」「福音に触発された社会は、弱者を罪の結果から守ります。それとは逆に、神との関係を断ち切られた社会は、専制独裁主義に向かい、罪の構造体になります」と述べた。

 私たちが「真理の追求をもっぱらとする社会から、自由を追求することをもっぱらとする社会」に進んでしまたのか、どうか、との問いには、「おっしゃるように二つの極の間のバランスについて話すのは、正しくありません。このような話し方は、そうした現実が外面的で他方と対立するものだという仮定を置いてしまう。自由は、善と真なるものに向かって進むために不可欠。真理は知られ、自由に把握されことを意味します。真理に導かれない自由は無意味… 真理をつかむことは人が成し得る自由の最も素晴らしい行為です」と応じた。

 司祭職が危機を迎えていることについては、司祭としてのアイデンティティの喪失に遡って言及。「私たちは、司祭たちに『有能な男となる必要がある』と信じさせてきました。しかし、司祭は、基本的に、私たちの間のキリストの存在の継続です。何をしているかではなく、何者なのかによって定義づけられるべき-それは、キリストがそう言われた、キリストご自身です。未成年者に対する性的虐待で多くのケースが見つかったことは、深刻な霊的な危機、その司祭とキリストの間の、重大な、深い、悲劇的な断絶を明らかにしています」と指摘した。 そして「私たち司教は、このような司祭職の危機をもたらした責任の大きな部分を負っている」とし、「私たちは彼らの父親だったのだろうか?彼らの話を聴き、理解し、指導したのだろうか?彼らに手本を示しただろうか?教区はあまりにも頻繁に、”管理機構”に変質されています」と司教としての責任を認めた。

 また司祭の独身制は「私たちの人生でキリストの十字架の神秘を生きることのできる具体的な手立てです。独身制は私たちのまさに生身にその十字架を刻むことなのです。それが、現代世界にとって独身制が耐えらえれない根拠。現代の人々にとって、独身制は恥ずべき事、なぜならキリストの十字架が恥ずべき事だからです」と語った。

(以下英語原文に続く)

Asked about the recently published book “In the Closet of the Vatican”, by Frédéric Martel, that says there are a large number of homosexual prelates in the Vatican, and lends credibility to claims of a  powerful gay network there, Sarah says: “Today the Church is living with Christ through the outrages of the Passion. The sins of her members come back to her like strikes on the face.

“Yes, there are sinners. Yes, there are unfaithful priests, bishops, and even cardinals who fail to observe chastity,” he accepts. “But also, and this is also very grave, they fail to hold fast to doctrinal truth! They disorient the Christian faithful by their confusing and ambiguous language. They adulterate and falsify the Word of God, willing to twist and bend it to gain the world’s approval. They are the Judas Iscariots of our time.”

“Sin should not surprise us,” he says, but “we must have the courage to call it by name. We must not be afraid to rediscover the methods of spiritual combat: prayer, penance, and fasting.”

“There is no ‘homosexual problem’ in the Church,” he argues. “There is a problem of sins and infidelity. Let us not perpetuate the vocabulary of LGBT ideology. Homosexuality does not define the identity of persons. It describes certain deviant, sinful, and perverse acts. For these acts, as for other sins, the remedies are known. We must return to Christ, and allow him to convert us.”

On the crisis in the Church, he says that some want the Church to “speak the language of the media. They want to make it popular. They urge it not to speak about God, but to throw itself body and soul into social problems: migration, ecology, dialogue, the culture of encounter, the struggle against poverty, for justice and peace”.

These are “important and vital questions before which the Church cannot shut her eyes” he acknowledges. But “a Church such as this is of interest to no one. The Church is only of interest because she allows us to encounter Jesus.”

What the Church needs, he says, is “a profound, radical reform that must begin by a reform of the life of her priests … Their whole being and all their activities must be put to the service of sanctity.”

“I am sure that it is the saints who change history. The structures follow afterwards,” he insists.

Western civilisation, he says, “is passing at present through a mortal crisis. It has reached the extreme of self-destructive hate”. “As a bishop, it is my duty to warn the West!” he exclaims, before expressing a cri de coeur, from someone who acknowledges his debt to missionaries who came to Africa from the West:

“The West is blinded by science, technology, and the thirst for riches. The lure of riches, which liberalism spreads in hearts, has sedated the peoples. At the same time, the silent tragedy of abortion and euthanasia continue and pornography and gender ideology destroy children and adolescents. We are accustomed to barbarism. It doesn’t even surprise us anymore! I want to raise a cry of alarm, which is also a cry of love. I do so with a heart full of filial gratitude for the Western missionaries who died in my land of Africa and who communicated to me the precious gift of faith in Jesus Christ. I want to follow their lead and receive their inheritance!”

Pointing to the “threat posed by Islamism”, he says: “Muslims despise the atheistic West. They take refuge in Islamism as a rejection of the consumer society that is offered to them as a religion. Can the West present them the Faith in a clear way? For that it will have to rediscover its Christian roots and identity.”

Sarah paints a vivid picture of near-catastrophe, but he still holds out hope, and shows how it is possible to live the Christian life in these circumstances: “I see families, monasteries, and parishes that are like oases in the middle of a desert. It is from these oases of faith, liturgy, beauty, and silence that the West will be reborn,” he assures us. “I call upon Christians to open oases of freedom in the midst the desert created by rampant profiteering. We must create places where the air is breathable, or simply where the Christian life is possible. Our communities must put God in the centre. Amidst the avalanche of lies, we must be able to find places where truth is not only explained but experienced. In a word, we must live the Gospel: not merely thinking about it as a utopia, but living it in a concrete way. The Faith is like a fire, but it has to be burning in order to be transmitted to others. Watch over this sacred fire! Let it be your warmth in the heart of this winter of the West.”

There is a light shining in this darkness, Cardinal Sarah says, waiting for us to find Him: “He who said ‘I am the Way, the Truth, and the Life’ ” (Jn 14:6).

Translation from the French of Cardinal Sarah’s words by Zachary Thomas

(翻訳・「カトリック・あい」南條俊二)

(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher”   The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)

2019年4月17日

・”アジア地域シノドス”は2020年11月バンコクで-アジア司教協議会会長言明(Crux)

(2019.4.15 Crux  

ローマ発ーアジア司教協議会の会長でインド・ボンベイのオズワルド・グラシアス枢機卿がCruxの取材に応じ、全アジア地域シノドス開催についての自身の計画について言及した。グラシアス枢機卿との会見で”アジアシノドス”に関する内容は次の通り。

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Crux:あなたは、全アジア司教協議会の会議開催を考えておられるようですが?

グラシアス:ラテンアメリカの司教たちのアパラチア会議に触発され、あるシノドスが終わった後で、しばらく、それを考え続けてきました。ブラジルのクラウディオ・ハムズ枢機卿やホンジュラスのオスカー・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿などラテンアメリカで開催経験のある友人に意見を聞いて、「私たちよりはるか先を行っている」と思いました。それでまず、私がしたのは、文書を読み、いくつかの文書を検討しました。そしてそうした協議会の意味を理解したうえで、教皇に相談したところ、考えを文書にするよう指示され、文書をお出ししたところ、ゴー・サインが出たというわけです。

 それで、アジア司教協議会の会長として、アジアの同僚たちに話をしなければならなかった。皆が了承してくれましたが、何について「イエス」と答えたのか、彼らが分かっているとは思わなかったので、まず検討委員会を作り、検討が始めりました。神学者たちと準備会合を開きました。狙いはアジアのマスタ-プラン-より良いアジアのためにアジアの教会が果たすべき役割を明らかにすることーです。教会は、アジアの大半の地域で少数派にとどまっていることを、気にし過ぎています。40年ほど前、私たちは「対話」を自分たちの課題として選びました。他の文化、宗教、自然環境との対話です。私たちの重点事項を変えるべきかどうか、様子を見ましょう。

 まず、神学者のグループは基本となる文書の準備をしています。次の段階としてアジアの四つの地域ごとに、司教たち、司祭たち、そして一般信徒の協議会の役割の在り方について話し合う準備会合を開きます。準備に時間がかかるので、全アジア司教協議会の会議は2020年11月開催を目標とし、バンコクを会場に、200人程度の司教を集めて、3週間にわたる協議をしたいと考えています。

Crux: アパラチア会議には名誉教皇のベネディクト16世が参加されました。アジアでのこの会議に教皇フランシスコがおいでになるとお考えですか?

グラシアス: そうなっても私は驚きません。教皇はそのような考えを好まれますし、アジアを訪問されるのを好まれますから。すべてがうまくいき、教皇のご予定が許せば、おいでになる、と希望します。招待状は出されており、タイ政府は既に教皇を招請しています。準備はうまく進んでいる。ですから、とても良い機会だと思います。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2019年4月16日

・教皇、ノートルダム大聖堂火災に深い同情と祈りを表明

(2019.4.16 VaticanNews Devin Watkins)

 15日のパリ・ノートルダム大聖堂火災について、教皇フランシスコは16日、深い悲しみにあるフランスのカトリック教徒たちのため、パリの市民のため、そして、消火のために戦っているすべての人たちのために祈られた。

 バチカン広報省のアレッサンドロ・ジソッティ暫定長官はローマ時間16日朝、教皇の大聖堂火災について深く同情され、「この悲劇的な状況に必死に対応しようとしているすべての人」のために祈っておられる、と説明した。長官は、大聖堂の火災発生の直後、ツイッターで、「ノートルダム大聖堂はフランスと世界のキリスト教の象徴的な存在」、教皇は「衝撃と深い悲しみ」を示されいる、と述べていた。

 860年の歴史を持つ大聖堂の火災は現地時間15日夕に発生し、木造の屋根を引き裂き、尖塔を崩壊させた。消火には数百人の消防士が当たり、うち一人の負傷者を出して、発生から12時間以上たってようやく鎮火した。

 出火原因などについて、パリの検察当局が調査を始めた。警察は、火災が意図的なものでなく、過失によるもの、との見方をしている。

 ゴシックの傑作である外壁、聖堂正面、二つの塔は消失が避けられ、1730年製の有名なパイプオルガンも損傷を免れた。聖堂内の貴重品の多くも、消防隊によって守られた、という。大聖堂の主任司祭、パトリック・ショーべ師によると、イエスがご受難の時に被っておられた”玉座の冠“と、13世紀のフランス国王、聖ルイが着用されたと伝えられるチュニックも消失をまぬかれた。

 連帯と哀悼を表明するメッセージは世界中から寄せられている。フランスの司教団は、ノートルダム大聖堂は「首都パリを越えて広く影響を広めており、カトリックの信仰の主要な象徴になっている」とし、現在の聖週間を通し、キリストの御復活の希望に目を向け、信仰の旅として”生ける石”となるよう、全世界のカトリック教徒に促している。

  米ニューヨーク大司教のティモシー・ドラン枢機卿は、ニューヨーク市民はパリ市民と悲しみを共にしている、とし「現在の聖週間は私たちに、イエスのように、死は生をもたらすことを教えています。今日死んでも、復活することを私たちは信じています」と語った。

 コプト教会の指導者であるアレクサンドリアの教皇タワドロス二世は「ノートルダム大聖堂は世界の最も重要な記念碑の一つ。その火災は全人類にとって大きな損失です」と哀悼を述べている。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2019年4月16日

・枢機卿顧問会議、新使徒憲章の最終原案決定、全世界の司教協議会に提示(Crux)

(2019.4.15 カトリック・あい)

 バチカン報道官が10日発表したところによると、枢機卿顧問会議が8日から10日にかけてバチカンで教皇フランシスコ同席のもとに開かれ、長期にわたって検討を進めてきた新使徒憲章「 Praedicate Evangelium(仮題)」の最終原案を決定した。同案は今後、全世界の司教協議会と東方教会協議会の会長たち、教皇庁担当部署代表、主要修道会総長、教皇庁立大学代表などに送付され、意見を聞いたうえで、最終決定される。

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(2019.4.15 Crux  

ローマ発ー教皇フランシスコの枢機卿顧問会議が、29回の検討会議を重ねた末に、全世界の司教協議会、バチカンのさまざまな部署のトップ、神学者、教会法学者などに提示する「新使徒憲章」の最終案を決めた。枢機卿顧問会議のメンバーで憲章案とりまとめの代表を務めたインド・ボンベイのオズワルド・グラシアス枢機卿によると、最終案は、教皇フランシスコが6年前の就任以来の課題としてきた、バチカンの”中央集権”との闘いが大きなテーマの一つとなっている。最終案は全世界の司教たちに送付され、次回の枢機卿顧問会議が開かれる6月までに回答を得る予定。

 グラシアス枢機卿は先週、会議終了後にCruxとの会見に応じ、”中央集権”との闘いは原案作成者たちの主要目標となったが、これは、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオをベネディクト16世の後継教皇に選んだ枢機卿たちが話し合っていたもので、「教皇フランシスコは、それを進めることを委任する形で選ばれたのです」と説明した。

 枢機卿はまた、全アジア地域シノドス開催についての自身の計画や、教皇が今もなお「熱心に教皇としての任務に取り組まれている」と考える理由についても言及した。また、聖職者による性的虐待への教会の戦いについて、「被害者の親たちは自分の子供たちが教会が運営する施設の中で安全に過ごせることを知る権利がある」として、教皇の訴えておられる“zero tolerance(手心を加えない加害者への制裁)”を強く支持することを言明した。

 グラシアス枢機卿との会見内容の要約は次の通り。「新使徒憲章の主眼の一つは”バチカン中央集権”との闘い」

「新使徒憲章の主眼の一つは”バチカン中央集権”との闘い」

Crux: 枢機卿顧問会議の主要な職務の一つが、バチカンの使徒的憲章の改定でした。そして最終原案が出来上がりました。私たちにおっしゃりたいことは何でしょうか。

グラシアス:私たちは教皇庁の再建を主眼に作業をしてきました。私たちは教皇庁の部署ごとに検討を加え、顧問会議のメンバーの一人一人がいずれかのとりまとめを担当しました。私自身は法務部門、諸宗教対話評議会、東方教会省を担当しました。それぞれの部門の長と面談し、変革について協議しました。私たちには自分たちの取り組み方があり、それを「フランシスコ・タッチ」と呼んでいます。

 私たちのいくつかの考え方のうちの一つが、教皇庁での中央集権化を好まない、ということでした。それは、前回の教皇選挙前の話し合いの中で出てきた考え方です。教皇フランシスコは、それを課題とすることで選ばれたのです。私たちはまた、教皇庁は教皇に仕え、司教たちに仕える存在であることを明確にすることに努めました。全員一致してその努力をしました。これには意識の変革が求められます。

 私たちが取り上げたもう一つの課題は、教会における司教協議会の役割でした。私はこれまでに神学者たちのグループと二度会い、collegiality(協働制)、司教協議会の問題に検討を加えました。変革は極めて限られていますが、大きな進歩です。

 教皇庁の組織改革については、手始めとして、教皇が既に(注:いくつかの関係部署を統合・再編して)人間開発のための部署と、信徒・家庭・いのちの部署を作られ、情報通信と経済でそれぞれ部署を新設されています。この最終原案の文書はすでに、教皇庁の各部署、全世界の司教協議会、東方教会、そしていくつかの教皇庁立の大学に渡されており、5月末までにそれぞれの検討結果を報告してくれるようにお願いしています。つまり、枢機卿顧問会議の6月の次の会議で、それを吟味することになります。

Crux: 最終文書はイタリア語のものをお送りになったのですか、それとも多国語にも訳されましたか?

グラシアス:最終文書は、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語に訳しましたが、9日に技術的な手直しをしたので、翻訳が完了するのに若干時間がかかりました。

Crux:あなた方の一人一人が一章ずつ執筆を担当されたと言われましたが、最近の何回かの会合では、もともと9人いた枢機卿顧問会議のメンバーが、ジョージ・ペル枢機卿の退任などで6人に減ってしまいいました。3人の担当部分は誰が変わったのですか?

グラシアス:私たち9人全員が教皇に辞任を申し出たのですが、教皇は3人から辞表を受け取られました。3人が担当した分野の作業は辞任前に終わっていました。

教皇への批判は、大半が見当違いだ-情熱をもって役割を果たされている

 

Crux: あなたは、教皇フランシスコが就任された当初から、彼と密接に仕事をされています。あなたは教皇がどのようだとみていますか。疲れているでしょうか、それともまだ体力があると?

グラシアス:私は教皇に同情しており、お助けしたいと思っています。教皇はたくさんの批判の標的になっているのを、私は知っています。でも、内側から見ている私にとって極めて明確なのは、批判の多くはフェアでないこと、そして時として、本人と何の関係もなく、あるいは何で非難されているのは本人が分からない問題で非難を受けていることです。

 しかし、教皇は依然として情熱をもってその使命を果たしておられます。まだまだすべきことがあるのをご存知です。そのようなことを一度も言われたことがありませんが、教皇は「主が仕事をするために自分をこのポストに置いており、役目が終わった、と主が考えられた時に、神は彼を取り去られるのだ」と感じておられるのだ、と思います。

 教皇はいつも言っておられます-今は難しいが、やりがいのある時だ、恐らく一番、と。しかし、10年前に、人々は同じことを言っていました。今から10年たっても、人々は今が一番やりがいのある時だ、と言うでしょう。私は考えますー要するに、私の心配は、その使命-福音を広めること-から逸脱したり、乗っ取られたりできない、ということです。行政的な事務は、私たちがするように求められていることを忘れさせることはできません。

Crux: 教皇は移民・難民問題について多く話過ぎ、神について十分話していない、と思っている人たちがいます。そうだと思いますか?

グラシアス:移民・難民について、教皇はたくさんお話になっており、心を痛めておられます。しかし、教皇はその問題を福音に立ち戻って考えているのです。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2019年4月16日

・バチカンの未成年者保護委員会の第10回総会開かれるーアフリカの被害女性から聴取

(2019.4.8 VaticanNews By the Pontifical Commission for the Protection of Minors)

 教皇フランシスコの意向を受け、バチカンの未成年者保護委員会(PCPM)の総会が8日開かれ、聖職者による性的虐待の被害者から学び、聴き、助け、守ることに主眼を置いて協議。閉会後、以下のメッセージを発表した。

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「私たちが(注:聖職者による性的虐待の)被害者に、聖なる母なる教会の民に、そして全世界に提供できる最善の成果と最も有効な決断は、個人的な、そして共同の回心の確約と、最も傷つきやすい人たちから学び、聴き、助け、守る謙虚さです」(教皇フランシスコの2019年2月24日の言葉)

*聴き、学ぶこと

 バチカンの未成年者保護委員会は4日、バチカンで、児童として聖職者から性的虐待を受けた被害者であるサブサハラ・アフリカの母親の証言をもって、第10回総会を開始した。証言は、カトリック教会で虐待を受けた人々の生の証言を注意深く聴く中であらゆる努力を払おうとする取り組みの一環としてなされた。委員会のメンバーは、文化的な背景の中で、聖職者による性的虐待の被害者・生存者が直面した複雑な問題に関して彼女が提供してくれた洞察に謝意を表します。

*助け、守ること

 4月4日から7日にかけて開かれた総会の冒頭、委員長のショーン・パトリック・オマリー枢機卿は、教皇フランシスコの代理としてあいさつし、2月の「性的虐待サミット」とこのほど公表された聖職者の性的虐待に対する安全防護策指針とバチカン市国及び教皇庁のための関係規範への委員会の協力に対する、教皇の感謝を伝えた。

 また2月のサミットを振り返り、教会の活動と使命において安全防護の重要な役割に対する理解が十分になされたが、一方で、多くのなすべきことが残されている、と判断。教皇への助言と教皇を通しての地方教会の指導を支援する観点から、本委員会は以下のものを含む、数多くの計画の立案・実施に努めている。

・性的虐待の被害を受けた生存者との作業グループを通して、事実上の生存者助言パネル(SAP)の創設。既に現地版SAPが設けられいるのに加え、安全で文化的に馴染みやすい場所で生存者から話を聴き、学習する手法がすでに開発され、ブラジル、ザンビア、フィリピンでは現地教会において様々な段階で進展がみられている。

・性的犯罪と今後の虐待行為を防止する意味についての理解に関する、国際的な専門家との共同内部調査。そうした理解は、未成年に安全な環境を積極的に提供するにあたっての重要な要素となる。

・監査手続きを作る実質のある計画。安全防護指針にもとずく、収集された資料の編集、実施状況の監視のあるべき形の解析を含むー安全防護プログラムの策定、実施、評価、そして監査で現地教会を助ける資産の創出を狙いとする。

・カトリック学校における安産防護の教育と体制の実施状況を評価するための調査研究-南アフリカ、コロンビア、インド、フィリピン、トンガにおいて試験的なプロジェクトが始まっている。

*セミナーなどの開催

・2019年12月に教会法上の刑事訴訟手続きに重点を置いた「守秘義務と透明性」に関する国際的な学術セミナーを開催する。

・「ラテンアメリカでの教会と市民社会の保護環境とに関するシンポジウム」を開催するーPCPMとボゴタ大司教区が共催し、ラテンアメリカとカリブ地域の男女修道者連盟、ラテンアメリカ聖公会協議会、カトリックの諸学校、政府組織、国際・地域NGO、国際メディア、多宗派の教会などの代表者が出席する。

*バチカンの関係部署との対話継続

 PCPMの作業部会はまた、教理省、信徒・家庭・いのちの部署を含むバチカンの関係省、部署などとの対話も継続している。

 委員会はまた、今総会のために時間を作り、委員たちに助言してくださった丸太のチャールズ・シクルーナ大司教に感謝したい。

2019年4月4日から7日までローマで開かれた教皇庁・未成年の保護に関する委員会の第10回総会。

⇒委員会の活動の詳細などは www.protectionofminors.vaに。

 

2019年4月10日

・「戦争の日が永久に消されるように」-教皇、南スーダンの大統領参加の黙想会で祈る

(2019.4.11 バチカン放送)

 教皇フランシスコは11日、バチカンでの10日からの黙想会に参加した南スーダンの指導者たちに、同国の平和を願われた。

 黙想会は、英国国教会のジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教の提案を受けた教皇の協力で実現したもので、参加したのは、南スーダンのサルバ・キール・マヤルディ大統領と5月12日から副大統領に就任する5人のうち4人、およびエキュメニカル評議会のメンバー8人。

 教皇は黙想会の終了に当たって、南スーダン指導者らに励ましの言葉を述べられ、「恵みの時」として黙想を過ごした彼らに「戦争の火が永久に消されるように、南スーダンが平和と和解のしるしのもとに未来を築けるように」と心からの願いを表明された。

 また、復活したイエスが弟子たちの中に立って言われた「あなたがたに平和があるように」は、「苦悩に満ちた受難の後、死に勝利したイエスが弟子たちに与えた、最初の贈り物でした」とされ、「紛争によって大きな苦難に見舞われた南スーダンとその国民もまた、主の言葉に励まされ、この若い自分たちの国を前進させる力を得ることができるように」、そして「聖霊降臨の火が、若いキリスト教共同体に活力を与えたように、新しい希望の光が同国のすべての国民を照らすように」と祈られた。

(2019.4.9 バチカン放送)

 バチカンのサンタ・マルタ館にて10、11日の2日間、南スーダンの政治リーダーとキリスト教諸教会の指導者たちが参加して黙想会が行われる。エキュメニカルかつ外交的性格を持つ黙想会は、教皇庁とカンタベリー大主教座の共通の合意によって、南スーダンの平和と発展のため使命と責任を負う人々に、豊かな考察と祈り、出会いと和解の機会を提供し、尊重と信頼の精神を育むことを目的に企画された。

 バチカンのアレッサンドロ・ジソッティ暫定広報局長の発表によると、教皇フランシスコは、英国国教会のジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教による提案を受け、黙想会の開催を承認された。黙想会には、南スーダンから、サルバ・キール・マヤルディ大統領と同国紛争解決和平協定に従い5月12日に副大統領に就任する5人のうち4人、およびキリスト教諸教会代表で構成する評議会のメンバー8人が参加する。

 黙想の指導は、ウガンダ・グル大司教区のジョン・パブティスト・オバマ大司教と、アフリカおよびマダガスカルの修道会責任者評議会会長、アボンクヒアンメゲ・オロバトル神父(イエズス会)が担当。黙想を終えた12日の午後、教皇フランシスコが参加者にあいさつされる予定だ。

(編集「カトリック・あい」)

2019年4月10日

・バチカン国務長官、中国との暫定合意批判に「忍耐が必要」(CRUX)

ローマ発-バチカンと中国政府の同国内の司教任命に関する暫定合意に対して、米国のトランプ政権の前上級戦略官だったバノン氏や米政府高官が「信教の自由を危機に追いやる」など批判の声を相次いで上げているが、バチカンの対外政策の最高責任者であるピエトロ・パロリン国務長官 が3日、ローマで開かれた「世界的な信教の自由を守るために共に立ち上がる」と題するシンポジウムに出席し、「事態は一晩で変わらない。忍耐が必要です」などと説明した。

 国務長官は「我々は、(中国における)信教の自由を進めるために合意に署名しました。中国におけるカトリック共同体の正常化を、そして、他の全ての宗教が認められた社会において場所と役割を果たせるようなることを目指しています」とし、「我々の願いは(暫定合意が)信教の自由を助けること。制限することではありません」と言明した。

 バノン氏は先週、ローマでCrux とのインタビューに応じ、暫定合意を、1億人の中国のカトリック信者を危機に追い込むもの、と批判。また暫定合意が署名から半年以上たっても詳細が公表されないのは国際条約違反だとして、提訴の方針を明らかにしている。

 米国の信教の自由担当大使のサム・ブラウンバック氏も先月、香港での記者会見で、暫定合意は中国国内の信教の自由に関する事態を悪化させるものであり、同国内で弾圧が進むチベット仏教やプロテスタントなど他のキリスト教徒の活動に対する政府の介入を加速することが懸念される、と警告。「暫定合意がされた昨年秋以降も、中国政府によるカトリック共同体の信徒に対する虐待行為は続いている。事態が変わる兆候は見えない」とし、中国政府に対しても宗教問題への介入を止めるよう強く訴えている。

 パロリン国務長官の発言は、ブラウンバック大使の「暫定合意は宗教的な迫害を悪化させている」との批判に答える形で行われたもので、長官は「忍耐する」ことの必要を強調し、即効を期待する傾向があるが、「歴史は一日で作られたことはありません。歴史は長いプロセスであり、そうした視点から見る必要がある」「時として、私はこのような声を聴いて、戸惑うことがあります。『何だ、何も成功せず、達成されないじゃないか』と。物事を平和的に動かしましょう。そうすれば目的を達成することになる」と語り、批判者たちに「目先のことで判断せず、もう少し長い目で見てほしい」と訴えた。

 さらに「私たちは物事をすぐに解決したがりますが、歴史の中では物事はとてもゆっくりと変わっていきます。これが、聖座の知恵です。即効を求めず、結果を神の手に委ねます。そして、私たちが神の計画を助けることで、私たちも手にするのです」と述べた。

 バチカン駐在の米国大使、カリスタ・ギングリッチ氏も、中国における宗教弾圧について警告している。暫定合意に対する批判はしていないが、「中国当局は、キリスト教徒だけでなく、イスラム教徒も弾圧しており、「中国当局は2017年以来、新疆ウイグル自治区で100万人をこえるイスラム教徒の人々を拘留している...ウイグル人、カザフ人、そして他のイスラム少数民族のグループを標的にし、収容所に強制的に移住させている。拉致された人々の家族は、彼らがどこにいて、どのような待遇を受けているかも知らされなていない」と強く批判した。

(以下、英語原文)

 At the Stand Together event, various approaches to religious persecution were discussed, including media strategies, awareness and finding ways to combat religious extremism.

 Roberto Fontolan, director of the International Center for Italian ecclesial movement Communion and Liberation, said that when it comes to Muslim extremism, part of the resolution will also require developing a “new concept of citizenship” in which minorities are not considered second-class citizens, but full members of society with equal rights.

 During a second panel, experts discussed the need for a collaborative approach to advancing religious freedom, highlighting the growth of anti-Semitism and the need to protect minorities.

 With an “unprecedented growth in religious diversity,” Professor Silvio Ferrari, who teaches law and religion at the University of Milan, said much of the fight for religious freedom will depend on ensuring rights for ethnic and religious minorities while also fostering recognition and appreciation of differences.

 Participants discussed the separation of church and state, and whether in Islamic nations the push for a secular state could potentially be more hurtful than helpful in terms of fighting extremism.

 While Ferarri expressed hope for a secular state, Monsignor Khaled Akasheh, secretary for the Pontifical Council for Interreligious Dialogue and head of the Islam desk in the department, said the answer depends on “the political will” of leaders.

 Akasheh referred to a recent statement from King Salman of Saudi Arabia complaining that Islam has been “hijacked” by extremists, and he cited efforts being made in Muslim nations that Pope Francis has visited, saying many are “pushing for greater freedom and citizenship for all.”

 However, Alessandro Monteduro, director of Aid to the Church in Need in Italy, said he believes the push for a secular state has made the situation worse, telling Crux that “secularism is a problem” in terms of both overt and subtle threats to religious freedom.

 “Religious freedom is a big problem right now, and it is maybe the most important problem because Western institutions, intellectuals and the media decided not to answer or analyze these kinds of problems in the right way,” he said.

 Monteduro said the problem is due in part to a “politically correct” mentality which tends to avoid the subject, while another is a lack of preparation in knowing how to deal with problems when they arise.

 “We don’t have the right preparation to face situations like the horrible images of thousands of people, Muslim extremists, in Pakistan after Asia Bibi’s liberation,” he said, adding that for him, “it was very difficult to accept. In Western countries, there was not enough consideration for this unbelievable situation.”

 “It’s more dangerous to hide (these dramas) than to describe them,” he said.

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2019年4月5日

・「使徒的勧告『Christus vivit』は若者と召命司牧の”マグナ・カルタ”になる」ー発表受けた記者会見で

(2019.4.3 カトリック・あい)

 昨年10月の「若者シノドス」の成果を受けた教皇フランシスコの新たな使徒的勧告「Christus vivit」の全文が2日、バチカン報道局から発表されたが、発表の記者会見の内容は、報道局発表によると以下の通り。

 記者会見に出席した説明者は、シノドス事務局長のロレンツォ・バルディッセーリ枢機卿、同局次長のファビオ・ファベーネ司教、バチカン広報部書のパオロ・ルッフィーニ長官、イタリア・ビセンザ教区のガーナ人共同体の若者グループ責任者のラピディル・オポン・ツマシ氏、ローマ教区のアレシオ・ピロッディ・ロライ教授。

「勧告は、シノドスの道の一里塚」

 まず説明に立ったバルディッセーリ枢機卿は、今回の使徒的勧告を「シノドスの道の一里塚」と位置づけ、「この勧告は近い将来、様々な教会共同体における若者と召命司牧の『マグナ・カルタ(大憲章)』-地方地方の異なったやり方で、若者の置かれた環境の中で、徹底した変革によって特徴づけられるものとなるでしょう」とその意義を強調した。

 さらに、勧告の第一の特徴は、「そのタイトル、Christus vivitにあります」とし、「通常の教会文書が冒頭で文書の解釈学的な概要を説明する、ということを皆が知っています。教皇が伝えたいと希望された基本的なメッセージー若者たちに対して、若者たちと共に、私たちすべてに対してーは、『イエス・キリストは、過去にのみ属しているのではなく、現在、そして未来にも属しておられる。なぜなら、永遠に生きておられる方だから」です。どの世代の信徒も、キリストの中に、同世代の、旅の仲間を見つけるのです」と説明した。

 第二の特徴は枢機卿によれば「マリアの姿」にある。その意味は、「主のお告げの日、3月25日に”マリアの家”で、教皇が子の使徒的勧告に署名をなさったことに、明確に示されています」と述べた。

 第三の特徴は、この勧告のスタイルと意図された受け手にある、とし、具体的には、「明確に、手紙の形をとっていること。まず第一に、若者たちに当てたものー彼らに直接語りかける時に教皇がよく使う、くだけた表現である“tu”(「あなた」「きみ」の意味)を使っている-だということ。親近感をこめた、率直で、飾らない、思いやりのある、温かい表現をされている」と説明。

 だが、当然のこととして、この”手紙”は「神の民全員-司牧者も信徒たちも-に当てたものです。なぜなら、私たち全員が、若者たち-若者たちすべて、だが、若者たちだけではないーに関心を持つように強く求められているからです」と述べ、こうした理由のために、教皇は、多くの箇所で「教会の識別のために、より幅広い考察」をする-若者たちの問題に私たち全員が関わっていること、大人たちは若者たちに与えると同時に受け取るように求められていることを知るーように提案されているのです」と語った。

 

「一人一人の若者に『神は自分を愛してくれている』ことを思い起こさせる勧告」

 ファベーネ司教は、勧告の意義に関連して、「1985年の国際青年の年に際して『世界の若者たちに対する手紙』を出された聖ヨハネ・パウロ二世の命日である4月2日に、この勧告の発表が行われたこと」を挙げた。さらに「Christus vivitは、強力なキリスト論的な特質と、全編にわたる愛の響きによって、際立った内容となっている。教皇は、一人一人の若者に『神は自分を愛してくださっている』ということを思い起こさせられます。勧告全体が、教皇の若者たちに置かれる信頼によって-そして、彼らに、キリストに希望を置くように、そうすれば誰もそれを奪い取れない、とることはない、と教皇が繰り返し呼びかけられていることによって-奮い立たされています」と述べた。

 また司教は、この勧告には多くの注目点があるが、第一に挙げたいのは「教皇がお示しになった、若者たちと『すべての神の民、司牧者と信徒たち』の結びつきです。そこには、”若者の教会”も”若者と共にある、あるいは若者のための教会”もない。あるのは、一つの”体”、教会、若者たちはそこで活動する、創造的なメンバーです。彼らはまさに彼らが属する人々と共に、教会共同体全体のために、全ての善意の人々に、福音とキリストのおける人生の素晴らしさを宣言する使命に貢献するのです」と強調した。

 さらに、教皇フランシスコが、昨年10月の「若者シノドス」に参加した司教たちとともに、教会における synodality(「カトリック・あい」仮注:キリストにおける多様性を包含した司教、司祭、信徒による協働)の重要性を強調したことを取り上げ、若者に対する司牧そのものがsynodality的であり、効果的に”共に歩む”形を提供せねばならない、と訴えた。そして、この勧告から、教皇の若い人々に対する”同盟”の呼びかけに近いものが読み取れる、それは、よりより未来を作るための協力ーとくに重要な点として、シノドス総会によって明確にされた、教会と社会の活動が関わる分野-デジタル環境、移民、未成年者に対する性的虐待-の問題への対応についての協力だ、と指摘。

 この中で、移民・難民問題に関連して、ファベーネ司教は、「この問題に対してバランスの取れた対応をとろうとする傾向があります。実際のところ、若者たちは『自分たちのところに新たにやってきた移民の若者たちに付け込まれないように。彼らを蜘蛛の巣の糸のように見なすように、ほかの人間と同じような敬意を抱かないように』と言われています」と警告し、「この勧告で、若者たちがすることのできる様々な貢献の中で、私はもう一度強調したいのは、キリストとの出会いの個人的経験の素晴らしさについて、他の若い人々に伝えること。神に愛され、自分自身の人生をもって福音を証しする意思をもって、彼らは、すべての人、いちばん遠くにいて、いちばん縁がないとみられる人々、最も離れたところにいる人々まで、救い主イエスが知られるように努めるよう、呼びかけられているのです」と強調した。

「”マニュアル本”ではなく、迷った時の”案内書”」

 ビセンザ教区のガーナ人共同体の若者グループ責任者のラピディル・オポン・ツマシ氏は、この使徒的勧告が「教会の教義と教えの単なるマニュアル本」でなく、「私たちがすこし迷ったと感じた時に活用できる案内書、提案集」となっていることに、満足している、と述べた。

「勧告は、私たちの疑問に対してあらかじめ用意された回答にはなっていません… 若者の司牧ケアに、教区の活動に、さまざまな教会の集まりに、一般的な司牧チームに参加するかどうか、立ち上がって、忙しくするかどうかは、教会の若者としての私たち次第です。私たちは、すでに発表されている『若者シノドス』の最終文書と今回の勧告を手に取り、そこに盛り込まれたテーマと案件を身近なものにし、私たちが必要としていることに当てはめていかねばなりません」と強調。

 さらに「勧告は、私に、相互の必要性があること、”大人”の教会と”若者”の教会の親密さが必要であること、を教えてくれます。私たち若者には力強さ、熱心さ、強い個性がありますが、大人たちの経験とと知識ー私たちが賜物を生かす方法を示し、助けてくれるもの-を必要としています」と語った。

「注目され寿司審の一つは『家庭を作る』こと」

 アレシオ・ピロッディ・ロライ教授は、自身の教師、カテキスタ、育成担当者としての専門的視点から、勧告を取り上げ、すべての中心に、金持ちの若者の態度とペトロの態度の間のものと同じ戦いがあること、そして教会にとっての、教育に携わる誰にとっても、私たちが孤児となることを欲する文化との間の争いとなり、根拠を持たず、結局は孤独に陥ること、に目を向けた。

 そして「このような問題に、私たちはどのように対応できるのでしょうか?」と問いかけ、「勧告の中で、教皇が示されている多くの指針の中で注目したい一つのこと、それは”家庭を作ること”です。小教区と学校は、家にいるような安らぎを感じる場をどのように提供するか、を知らねばなりません-分け隔てなく愛され、寄り添われ、案内され、修正される場、しかも、一人一人が、この”家”のおかげで最も良い実をつけられるような熱意をもって育てられる場を。教皇は書いておられます。教会は、最新のファッションに倣う時ではなく、その根源に変える時に、若くなります。すべてを新しくされる方に対して」と語った。

「コミュニケーションに関する四つのポイントは」

 最後に、バチカンの広報部書のルッフィーニ長官は、勧告から、報道関係者の感覚でコミュニケーションに関係するいくつかの箇所を取り上げた。

 まず第一点は「この勧告が、教会のシノドスの旅についての真実の証しであり伝えるものであることを申し上げたい。旅はここで終わらず、これからも続きます-止まることはなく、確かに前進しますーなぜなら、最年長者は自分たちの証しを最も若い人に伝えることができるかです」とした。

 第二点は「私たち伝達者が全体の一部を誤らないようにする、現実について誤った表現をすることのないようにする必要性です。この場合、それは若さであり、教会です。また、この点でも、勧告はとても明確な言葉を使っているように思われます。それは、若者についての全体像-沈黙し、臆病な教会も、強迫観念に陥るような二つや三つのテーマを巡っての争いも見たくない若者、その一方で、夢、理想、ドラマ、苦しみが合わさった自分たちの全てを見てもらいたい、理解してもらいたい、と求める若者の姿ーです。

 そして第三点は、「デジタルの世界は社会的、政治的なかかわりと積極的な市民権の一つであり、最も弱い人々に効果的な保護を提供し、権利の侵害を公表する、どこからも拘束されない独立した情報の伝達を活発にできる」という指摘。

 多くの国で、インターネットとソーシャル・ネットワークは既に、「司牧的な活動の場だけでなく、若者に届き、若者を取り込む場として、確固たる地位を占めている」が、反面、「孤立させられ、操作され、搾取され、暴力を振るわれる、ダーク・ウエブ(注:特殊なウエブサイト、ネットワークによらないと閲覧はおろか検索もできない超危険領域)のような極端なケースに至ることもあります。そうした”閉鎖回路”はフェイク・ニュース、誤った情報をばらまき、偏見と嫌悪を助長します。フェイク・ニュースによる汚染は真実の感覚を失い、特定の利益に合うような事実に屈することになります」と説明。

 さらに、「教皇は、この問題に、異なった生き方-インターネットのみによらず、あらゆる”言語”-美術、音楽、慈善活動、社会的な関わり、そして沈黙と熟考による生き方ーで対処することを勧めておられます。周囲を見回し、現実と仮想現実を再接続することを」と述べ、「他人をののしる言葉の中にさえ、私が話したい第四の点があります… 勧告は、部分的でなく全体としての、透明で真実のコミュニケーションを勧めていますー悪を弾劾する勇気を過去に持ち、今も持っている人々、教会が悪を認識し、断固として対処するのを助ける人々に、感謝の気持ちを持つよう求めています。受け入れがたい犯罪の繰り返しを妨げる厳格な措置を採ることを、教皇は強調しておられます。若い人々のために、刷新し、取り戻し、一貫性と証しを求めることを願っておられます」と述べた。

 そして、指摘したい最後の点として、勧告で教皇が力説されている「教会刷新のカギとしての世代間コミュニケーション」を挙げ、教皇が若者たちに、教会の”傍観者”にとどまらず、教会の活動に積極的に関与し、”手を汚し”、信じ、夢を抱くこと、現実から遊離することなく、自分たちの意思疎通の能力を通して、教会を変えていくこと、皆から評価されるリーダーになること、を求めておられる、とし、「他人任せにせず、変化の主役になりなさい!」という教皇で締めくくった。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2019年4月3日

・教皇、若者テーマのシノドス受けた使徒的勧告「クリストゥス・ヴィヴィト」発表

(2019.4.2 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、昨年の若者をテーマとしたシノドスの成果をふまえた使徒的勧告「クリストゥス・ヴィヴィト」を発表された。典礼暦で「神のお告げ」を祝った3月25日、イタリア中部ロレートを訪問下際、聖母巡礼聖堂に保存される「サンタ・カーサ」(ナザレのマリアの家族が暮らし、マリアがそこで受胎告知を受けたと伝えられる家)の祭壇でミサを司式した後、「使徒的勧告」に署名された。

勧告の正式タイトルは「教皇フランシスコの若者たちとすべての神の民への使徒的勧告・クリストゥス・ヴィヴィト」。「クリストゥス・ヴィヴィト」は、序文の書き出しの言葉「キリストは生きておられます」から採られている。原文はスペイン語、全9章、299節からなる。

書き出しで教皇はこのように記される。

「キリストは生きておられます。キリストはわたしたちの希望、この世界で最も美しい若さです。キリストが触れるすべてのものは、若返り、新たにされ、いのちにあふれます。ですから、わたしは一人ひとりの若いキリスト者にこの最初の言葉を向けたいのです。キリストは生きておられ、あなたが生きることを望まれる、と!」

各章のポイントは以下の通り。

第1章「神のみことばは若者について何を言っているか?」では、教皇は旧約と新約聖書の記述を豊富に引用しつつ、神が若者をどのように見ておられるかを考察。イエスは大人が自分より若い人たちを軽視することを好まれず、「あなたがたの中で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい」(参照:ルカ 22,26)と言ったことを思い起こす一方で、「若い人たち、長老に従いなさい」(1ペトロ5,5)と、聖書が年長者への尊重を説いていることも指摘されている。

第2章「イエス・キリストは常に若い」において、教皇はイエスご自身も青年時代を過ごされたことに注目。若きイエスと家族や人々との関係を考えることが、青少年司牧に役立つと助言している。また、教皇は、「教会の若さ」にも触れ、教会が過去に留まることなく、自由であることを願われている。

第3章「あなたがたは、神の現在である」で、教皇は、若者たちは未来だけでなく、まさに今現在を生きていることを強調。それにえに、若者たちに耳を傾け、若者たちが置かれた様々な状況を知ることが大切と述べている。

第4章「すべての若者への偉大な知らせ」では、教皇は、何にもまして大切な3つの偉大な真理を若者に告げることを望まれている。その真理とは、1.「神はあなたを愛しておられる」、2.「キリストはあなたを救う」、3「キリストは生きておられる!」である。

第5章「青年期の道のり」では、福音に照らされた若者たちがどのように青年期を過ごすべきかを考える。教皇は、青年時代が、選択期間として中断された時間になってはならないと述べ、人生をただ眺めていないで、不安や恐れに負けず、「生きる」ようにと招いている。そして、成長するために常にイエスとつながり、他の人に自分を開くようにと勧めている。

第6章「ルーツをもった若者」で、教皇は、「ある時、若木が希望の象徴のように伸びているのを見たが、嵐の後に見ると、倒れて枯れていた。それはよく根を張っていなかったからである」と述べ、ルーツを持たずして未来はありえず、世代間の断絶は世界によい結果をもたらさないという確信を表している。

第7章「若者の司牧」において、社会・文化的な変化に絶えずさらされ、時に青年たちの不安に回答を与えられない青年司牧を見つめた教皇は、若者たち自身がその主役となり、司牧者らの指導のもとに、創造的で大胆な新しい道を切り開いていくことを望まれた。また、カトリックの教育者たちに対し、若者たちの自由を尊重しながら寄り添い、裁くのでなく、耳を傾けることが大切と述べている。

第8章「召命」で、教皇は、神が一人ひとりに望まれる素晴らしい計画に触れ、特に基本として、家庭と仕事の形成を挙げ、結婚し、家庭を持つことを恐れないよう励ましている。同時に、教皇は、神に奉献する生き方をも示し、神の呼びかけを知り、それに従うことは、あなたの人生を満ち満てるものにするだろうと述べている。

最終章である、第9章「識別」では、教皇は、自分の召命を発見するために必要な、孤独と沈黙に触れている。教皇は若者たちの召命への歩みを助ける者に要求されることとして、注意深く耳を傾ける力、誘惑と恵み、真理と偽りの違いを見極める力、本当に相手がないたいもの、到達したいものを知る力を挙げられた。

(編集「カトリック・あい」)

  ⇒英語の勧告要約版、公式発表の英語版全文は「特集」に

2019年4月3日