・シノドス第3週:まだ話されていないテーマは・・麻薬と迫害 

(2018.10.16 Vatican News Russell Pollitt, SJ)

  「若者シノドス」第3週の16日の記者会見で、出席した司教たちが、今回の会議でまだ話されていない二つのテーマ-麻薬と迫害-について言及した。

 会見の初めに、教皇庁広報部門のパオロ・ルッフィーニ長官が、事前に参加者に示した討議要綱の第2部「信仰と召命の識別」についての討議が完了したとし、具体的に、移民、自由、性的道徳、この世の悪の不可解さ、正義、そして人間の尊厳のための戦い、などが主要テーマとなったことを明らかにした。また若者たちが偽善を好まないことが明確になリ、世界の異なる地域の教会の人々が集まって、特に若者たちが様々な情報を分かち合い、異なった環境を学んだことや、小教区の構造が変わることで、若者たちに居心地の良い教会になる、というような提案もあったこと、なども説明した。

*麻薬が多くの人々、家族にもたらす深刻な悲劇

 (翻訳中)

Archbishop Jaime Spengler, O.F.M., of Brazil, says that the Synod has spoken about many things but not addressed the issue of drugs sufficiently. This issue, in Brazil, affects many people and families. He said that although the comparison was poor because population numbers are so different, it is interesting to note that in Brazil more people are killed by drugs than by the war in Syria. He said that young people are tragic victims of the drug trade.

The Archbishop said that sectors in society want to liberalise some kinds of drugs. This, he said, is like promoting addiction and yet the state and society are not committed to helping young addicts. He said that many young addicts suffer and find it very difficult to turn back.

He said that the Church does extraordinary work and tries to create opportunities to help young people turn back. He urged that the Synod not forget the cruel reality of drugs. He said that drug dealers bring death and that it is hard to find a family that doesn’t face this problem. There is a massacre in the suburbs of the larger cities in Brazil every weekend that cries out for justice, the Archbishop said.

*迫害受ける若い信徒の記述が、討議要綱にない

His Beatitude His Eminence Cardinal Louis Raphaël I Sako, Patriarch of Babylon of the Chaldeans, head of the Synod of the Chaldean, Iraq, said that in the Instrumentum Laborismany issues are named. He laments that there is no mention of young persecuted Christians.

Addressing the question of aid to the persecuted Christians, the Cardinal said that there have been many promises but nothing has materialised. He says that the international community must help Christians stay where they are, help create work, repairs their homes and give them hope. He says that allowing countries, like Iraq, to empty is a mortal sin. If Christians continue to leave he says that they would have lost their identity and heritage. He said that Hungary has made a significant contribution to help Christians in Iraq and Syria to rebuild their homes, schools and churches.

He said that bishops and priests have great responsibilities to listen to the dreams, hopes and fears of all young people.

Cardinal Sako said that young people are afraid of commitment, to both priesthood and religious life, as well as marriage. They are afraid that commitments will fail, he said.

*学校、教則本としてのシノドスの役割

Cardinal Sako said that the Synod was like a school in which everyone learns from each other. He said that the Synod is seeking a language that speaks to youth, Often, he noted, the Church uses traditional language but a new one is needed that is relevant to youth. The Cardinal also expressed the concern that there were too few young people at the Synod, he said that he had hoped for more to be present.

The Cardinal also said that it was not the final document that was important. What is important is the spirit and hope that the Synod offers young people.

Cardinal Peter Kodwo Appiah Turkson, prefect of the Dicastery for Promoting Integral Human Development, used the image of a “manual” to describe the work of the Synod. The Synod is like a gathering in which young people, with the bishops, are composing manuals for life. He said that as young people write the manual they are guided by values like those from Catholic Social Teaching. These principles, he said, will help give them a basic orientation for their lives.

(翻訳編集「カトあい」南條俊二)
2018年10月17日

・シノドス第3週:「多くの挑戦を受けている今こそ、宣教のあり方刷新の機会だ」

(2018.10.15 Vatican News Russell Pollitt, SJ

 「若者シノドス」が第三週に入った15日、定例記者会見でイエズス会、フランシスコ会、ドミニコ会の3修道会総長、一般信徒の4人が、協議の内容や自身の感想などについて語った。

 

*「裁かない、差別しない、キリストの言葉を反映して」若者たちの教会への希望

 チリから参加したシルビア・テレサ・レタマレス氏は、シノドスに行くことを聞いた若者がたくさん自分のところに来てーそのうちの多くがカトリック信徒でなかったがー、シノドスに持って行ってほしい、と伝言を頼まれたとしたうえで、「全ての人に開かれた多様な文化の教会になって」「裁く教会にならないで」「皆がくつろげるような教会が欲しい」「イエス・キリストのメッセージを反映した教会になって」などが彼らの希望だった、と説明した。

 また、「教会は、少数者、とくに性的志向が違う人や貧しい人を差別すべきでない」という声もあったと言い、具体的に同性愛について「彼らは同性愛者も他の人たちの同じ権利を持つべきだ、確信しており、教会で信仰生活をしたい、と希望しています」として、「教会の第一の任務は愛です。同性愛者たちも、私たちがともにいる必要のある兄弟姉妹として完全に認められねばなりません。このことは、シノドスの会議で議論されました」と語った。

 さらに、彼女は、女性の教会における役割についても述べ、「若者たちは、女性たちが教会でもっと大きな役割、責任を与えられることを希望しています。私たちのチリでも、女性の能力が、一般社会でも、教会でも向上しており、もっと責任を持たせられべきです」と訴えた。

*世俗化、デジタル化などの挑戦を受けている今が、教会の宣教刷新の機会

 イエズス会のアルトゥーロ・ソーサ総長は「世俗化、デジタル化など多くの挑戦を受けている今は、福音を伝えるという教会の宣教のあり方を刷新する機会」とし、「将来が予測しがたくなっている世界の中で若者たちをどのように教育すべきか、という問題も検討する必要があります」と述べた。

 また、我々の時のしるしは、人の移動、そして各国での移民の扱われ方にある、と指摘し、「移民はよりよい暮らしを求めている人々。そして、移民、難民の人々への最近の対応は、私たちがどれほど非人間的になってきたか、を示しています。人々がなぜ自分の国を離れねばならないのか、なぜ国内で大量の移動が起きているのか、を私たちは理解する必要がある。そして、この問題は必然的に、なぜ民主主義が弱体になっているように見え、愛国主義が高まってきているのか、そしてこれがどのように移民問題とつながっているのか、という問いかけになります」と強調した。

 さらに、「彼らは緊急事態の中で助けを受けていますが、どれほど長い間、あるいは人生のほとんどの時間、難民キャンプにいたかを知って、ショックを受けた」として、「難民キャンプで暮らす若い男女に起きていることを想像できますか?」と問いかけた。そして、イエズス会は、デジタル社会の技術を使って難民キャンプで教育を提供しようとしていることを説明した。

*「聴いたこと」は「行動」に移さねばならない

 ドミニコ会のブルーノ・カドーレ総長は、シノドスを通して(一方向の)『聴く』ことから(双方向の)『会話』に変わっていくことを、教会が求めている、と述べ、今回のシノドスは的確で、詳細な議論が行われており、若者たちは教会の内外について意見を聞かれています」とした。

 フランシスコ会のマルコ・タスカ総長は、異なる暮らし方をするという過激な選択をしなければならなかったアッシジの聖フランシスコについて、深く考えている、と言い、「これ(過激な選択をすること)が、教会が今日、示していることです。『聴くこと』がカギになっています」と指摘。そして、ある家庭を訪ねた司教の話を紹介した-その家にいた若者が、司教に「あなたは偽者だ」と言ったので、その司教は彼に「偽者でないように、助けてください」と答えた、という。

 「これが、『聴く』という言葉の意味です-若者たちの言うこと、彼らの生き方、に心を開くこと」と述べ、「シノドスは若者たちとともに教会を作るために、開かれている。シノドスは『聴く』ことから『会話』に移っていく必要があります。そうすることで、教会は進むべき道を見つけることができるでしょう。それは、時として、『薄明り』の中に『夜明け』を見つけるように難しいことですが」と語った。

*第二バチカン公会議が示したモデルを体現化する必要

 また、ソーサ・イエズス会総長は「私見では、第二バチカン公会議は教会のあり方のモデルを示しましたが、実現されませんでした。公会議後、私たちはいくらか前進しましたが、何歩か後退してしまった。そのモデルの核心は、『神の民』が中心にある、ということです。このモデルは、教会の歴史の中で体現される必要があります」と強調した。

 関連して、カドーレ・ドミニコ会総長は「カトリック教会の優れているところは、変化に対して開放的であること、未来志向であることだ」と指摘した。

*シノドス最終文書は、パラグラフごとに採決、3分の2の支持で決定

 なお、この記者会見で、バチカン広報部門のパオロ・ルッフィーニ長官が、今回のシノドスの最終文書の取りまとめ方に関連して説明した。それによると、シノドス最終日の前日、27日に、最終文書原案が、パラグラフごとに投票にかけられ、3分の2の支持を得て決定される、という。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2018年10月16日

・シノドス:「励ましの言葉や祈りだけでなく、”行動”が欲しい」イラクの若者が訴え(Crux)

(2018.10.15 Crux Senior Correspondent  Elise Harris

ローマ発ー「若者シノドス」にイラクからただ一人参加した青年が、Crux のインタビューに応じ、今も続く苛酷な体験と教会や国際社会に訴えたいことについて語った。

 「このことを注意するのが、とても重要ですー迫害というのは殺すことだけではない、精神的な、感情的な迫害もある、ということを。独りぼっち、誰にも支えられていない、という風に感じることです」とサファ・アル・アルコシは言う。こうした感情は、雇用機会の減少、教育の劣化、国際的な支援の欠如などが合わさって起きているのだが、根底にはイラクのキリスト教徒の国外大量脱出によるキリスト教共同体の崩壊への強い懸念がある、と説明する。

 東方典礼カトリック教会の信徒でバグダッドに住む26歳のアルコシは、「若者シノドス」のイラクからただ一人の参加者だ。病身の母の世話をするために、会議の途中で帰国しなければならなかったが、帰国前に、会議の参加者たちに強い感動を与える”演説”を残した。

*国外脱出を余儀なくされ、イラクのキリスト教徒が激減

 「イラクのキリスト教徒たちは国にとどまり、信仰の証しをたてたいを思っています。でも、例えば、12万人が住むニネベ平原の町々は2014年のある夜、イスラム過激派ISISに襲われ、大混乱に落とし込まれた、というように社会情勢が不安定で、自分のところに留まりたくても、将来のこと、自分の子供の、またその子供を考えると、それは容易なことではありません。ここに留まるか、離れるか、と考えている間に、ISISの侵略のようなことが起きるかもしれない。それで、急いで国を離れる決断をさせられるのです」。「故郷からのやむを得ない脱出が今、イラクが直面している最大の問題です」と指摘した。

 国全体を覆う社会不安という現実と希望の見えない未来の中で、多くの人々が国を出る道を選び、強い結束を持っていた家族が遠くにバラバラになってしまう。私自身の親族も、叔母や叔父、いとこたちが国を出てしまうという、同じような経験をしています。時々、フェースブックであいさつを交わすとしても、孤独を感じないわけにはいきません。友達に『またすぐ会おうね』と言ったところで、豪州や米国に行ってしまえば、おそらく再会することはないでしょう」。

*治安は多少改善されたが、心と体に後遺症が残る-自分は拉致、友人は爆殺

 家族や愛する人たちとの別離に加えて、精神的、肉体的な傷の後遺症の問題もある。アルコシ自身、12歳の時、テロ集団に拉致された経験がある。幸い、人違いと分かって釈放されたが、「今でも、目隠しをされ、どこかに連れていかれる悪夢を見ることがある」という。2009年には、教会の表で、友人2人が車を使った爆破テロの犠牲となった。「私たちは4人で話をした後、私ともう1人が『また来週金曜に会おう』と、司教館に仕事に行く予定の2人に声をかけ、彼らも『また来週ね』と言って別れたのです。その後まもなく、教会の外に殺傷目的で置かれた車が爆発し、そばにいた2人は殺されてしまった」。

 「イラクに今生きている私たちは、笑ったり、冗談を言ったり、仕事をしたりしています。でも、当時よりは社会情勢がよくなった、と言っても、そうしたつらい思い出はいつも心に残る。車の爆破テロや誘拐は以前より少なくなっていますが、どのイラク人、どの若者にもそのような記憶が残っています。これは将来にとっての負の効果になるでしょう」。

 キリスト教徒の人口が迫害や国外脱出によって年々減り続ける、政治不安の国に暮らすことの難しさについて話すだけでなく、彼は教会の司祭や信徒の友人たちの殺害についても触れた。そして、「ISISは打ち負かされましたが、安全の保障は多くの地域でまだされていません。バグダッドでさえもです。テロや誘拐は減っても、多くの人は『北部のキリスト教徒の上に起きた事と同じことが起きるのではないか』と考えています」。

 「安全の保障があるのでしょうか?私は安全なのでしょうか?違います」と彼は言い、このような不安が、イラクの人々、とくにキリスト教徒を国外脱出に駆り立てている、と説明する。そして、このような状態が続けば、何年かで、イラクからキリスト教徒はいなくなってしまうだろう、と心配する。イラクでは最近でも多くの人が命を落としているが、少なくともその半分が若者だという。「5人家族なら、若者の1人、子供の1人が殺されたとします。そうなったら、国を出るでしょう」。

 彼によると、2004年に150万人いたイラクのキリスト教徒は、今では40万人まで減っている。「イラクの若者たちは、国を出たいと思わなくても、このまま国にいて、結婚して、キリスト教徒としての暮らしが出来ないなら、国を出ることを考えざるを得ないのです」「誰も、ニネベ平原のモスルなどの町がたった5時間で(過激派集団に)占領されることなど予想しないでしょう。でも実際に起きた。ですから、バグダッドに住む私たちでさえ、そういうことが起きると考えてしまう」。

 

*ソーシャルメディアなどで誤った情報が拡散

 また、彼は、様々のイラクと中東をめぐる多くの誤った情報がニュースメディアやソーシャルメディアによって伝えられている問題も取り上げ、シノドスに「実際に起きている事」を伝えるのも、自分にとっての大きな仕事であり、「私には、自分の国、自分の地域のことをはっきり説明する責任がある。なぜなら、多くの人は、ソーシャルメディアやニュース報道を通じてさえも、実際に何が起きているのかを示さないからです。外部の人々が知らない出来事、重要な事がたくさんある。だから、私は自分の国、地域で起きていることを話さねばなりません」と強調した。

 さらに、彼はこのような自国の現状を伝えることのほかに、シノドスに参加することで、やりたかったことは、悲惨な状況に置かれている世界の他の国、地域からやってきた若者たちと知り合いになることだった、と述べた。「おそらく、欧州や米国では、若者たちの抱える問題はテロや迫害ではありませんが、自由な生活を謳歌しているのに、他の理由で教会から離れている。欧米の国々にとっての問題はソーシャルメディアの持つ危険と家庭の崩壊でしょう」と指摘。自分が他の人とつながりを持つのは、「自分は一人じゃない、自分のために祈ってくれる人がいる、自分と同じ境遇の中で暮らす人がいる」ということを思い起こすためだ、という。

*若者たちを助け助けるために・・”祈り”以上のものが必要・・政府への国際的圧力

 イラクや中東にいる若者たち、とキリスト教徒の若者たちを助けるために何ができるか、との問いには、「“感動的な演説”以上のものが必要です」と答え、「祈ってくださるのはありがたいし、必要です。でも、祈り以上のものを必要としています。イラクの人が話をすると、皆が涙を流し、拍手をしますが、終わると、話の中身を忘れて、家に帰ってしまうのです」と言った。そして、「イラクのキリスト教徒の村では家が再建されているところもありますが、多くの人は未だに住むところがないか、治安が心配で安心して暮らせない状況にある。治安はとくに若者たちに取って大きな問題です」「若者たちは家庭、社会、教会の土台。だから、そうした若者たちを支えなければなりません」と訴えた。

 現在のイラクや中東の困難な状況を改善するためにして欲しいことは、「国際的な圧力です」とし、その見本として、今回の会議でのパキスタンのジョセフ・コウツ枢機卿の話を挙げたーパキスタンのある修道女が、滞在査証の発給を拒否され、出国するよう強制された、だが欧州の国々がパキスタン国民に滞在査証の発給を止める、と圧力をかけた結果、彼女に滞在査証が発給された、という。「このように、私たちは、必要な時に、相手の国の政府に圧力をかける必要があります。イラクだけでなく、欧州や米国の政府に、苦しんでいる人々を助けるためにもっと努力をしてくれるように、と」。

 そして、再度訴えた。「拍手され、泣かれるだけでは駄目なのです。もっと真剣になるべきです。もっと率直になるべきです。イラクの暮らしの中で起きている悲劇は多くありますが、”同情”だけでは足りない。具体的な行動が必要なのです」。「私がイラクの若者と話し、国を出ないように言い、イラクにいて何ができるか、と聞かれたら、『イラクが自分の国だから』としか答えようがない。私たちは紀元後一世紀からここに住んでいるのです」。彼はそのことを知っている。だが、確かめることのできるもの、保証を必要としているのだ。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

2018年10月15日

・シノドス第二週:教皇、若者たちに「カトリック教会に活を入れて」と

(2018.10.13 Vatican News Russell Pollitt, SJ)

 第二週に入ってる「若者シノドス」も週末を迎え、定例記者会見で全体会議参加者から説明や感想が語られた。

 メキシコから参加したコリナ・モルトラ・ロドリゲスさんは「私たち若者たちは、シノドスに参加でき、話す機会をいただいたことを、教皇フランシスコに感謝しています。参加は実り多く、皆が一緒にやっています」と語り、コーヒーブレークの時に、教皇から「若い人たちは”教会に活を入れ”なければなりません」「本音を語るように」と忠告されたことを明らかにした。「

*教会には「出会い」がない、だら若者が離れる

 ロドリゲスさんはまた、「若者たちは、移民や暴力、そしてあらゆる種類の虐待の問題など逆境に直面しても、あきらめない教会を望んでいます。慈しみを交わす場所であってほしいのです」と述べ、さらに、会議に参加している司教たちが教会で起き、二度と繰り返してはならない不祥事について襟を正して、謝罪したことに、若者たちがとても心を打たれことを強調した。その一方で、若者たちは、指図を受けたくない、寄り添ってほしい、と求めていること、出会いが欠けているために教会から離れたこと、自分たちがしていることを愛する人に出会っていないこと、などを指摘。「自分のしていることを愛するなら、自分の生き方を通して他の人に伝わるでしょう」「若者たちは、私も、ハリケーンのような信仰のエネルギーを-何か良いものをもたらす力を、分かち合いたいのです」と熱弁をふるった。。

 スペインのホアン・ホセ・オメラ枢機卿は「教会は多くのことを説き、宗教は前向きなもので、神を愛さねばならない、と語ります。それが為されているにもかかわらず、若者たちから、『あなた方は説教したことを実行していない』と苦情を言われます」とし、教皇フランシスコを引き合いに出し、「教皇は、話したことを、実際になさっておられます、真剣に、ぶれることなく。行き過ぎは排除されますが、それは教会も倣わねばなりません」と語った。

*アフリカでは若者の教会離れはない、教会を求めている

 南アフリカのフィルフリッド・フォックス・ナピエール枢機卿は「シノドスの討議要綱にはアフリカ問題がいくつかかけています。最終文書で触れていただくことを期待したい」と希望し、「欧米では若者たちの教会離れが起きているようですが、アフリカでは若者たちが教会を求めているのです」と欧米とアフリカの若者の実情の違いを指摘した。また、アフリカの若者たちは失業、貧困、移民問題の悩みを抱えていることを強調。

 「こうした問題は、触れられてはいるが、大部分がアフリカよりも欧州の状況の中で語られている。アフリカではまた、鉱物の盗掘など乱掘が、環境を悪化させている、という問題もある」。このようなことが重なって「生きていく術を無くした人々がアフリカを離れることを余儀なくされている」「(アフリカにいる家庭の中には)子供たちを学校に通わせず、働かせることで生計を立てている家庭もある。つまり、子供たちは教育を受けられず、貧困の連鎖が続く、という現状もある」。さらに、政府関係者の贈収賄や汚職が、アフリカの若者たちの福利厚生に大きな打撃を与えている、という問題も指摘した。

*教皇は常に敬意を払った聴いておられる

 オメラ枢機卿は、教皇がシノドスの全体会議に常に出席されていることに注目し、「教皇は皆の発言を聴き、ノートをとり、出席者がしていることが重要で意味のあることだと示してくださっています。いつも敬意を払い、どうやって皆の話を聴き、いつご自分が話すべきかを知っておられます」としたうえで、教皇が一度、皆が話したことをまとめ、ご自分にしっかりと取り込んだ、ということを話されたことがある、と語った。出席者たちが話をすると、教皇は彼らに顔を向け、それが若者、バチカン職員、司教、聴講者の別なく、注意深く耳を傾けられていることも、付け加えた。

 また、教皇がシノドスの冒頭に、出席者全員に、自由に話をするよう求められたこと、全体会議では出席者の好みでない話も出るが、一人ひとりが心から自由に発言するのが大事であること、も強調し、「自由な雰囲気があり、それは素晴らしいことです」と感想を述べた。

 今シノドスや全体会議とは直接関係ない問題に言及したナピエール枢機卿は、「教皇フランシスコとについての批判は、しばしばバランスを欠いている。あまり話されていないことで教皇がなさっていることはたくさんあります」と述べ、財務事務局で予算編成と説明責任が現在、どのようななされているか、(教皇フランシスコが就任する前の)過去には、なされていなかったことが、きちんとされている、と指摘した。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2018年10月15日

・パウロ6世、オスカル・ロメロ大司教らをはじめとする7人列聖

(2018.10.14 バチカン放送)

 教皇フランシスコは14日、バチカンでのミサの中で、パウロ6世、オスカル・ロメロ大司教らをはじめとする7人を列聖された。

 秋晴れの下、聖ペトロ広場で行われた列聖式には、「若者」をテーマに開催中の「シノドス」に参加した全世界の司教たちのほか、イタリアはじめ、エルサルバドル、ドイツ、アルゼンチンなど新聖人ゆかりの国々、修道会関係者が多数参集して列聖を祝った。

この儀式を通して、次の7人の福者が聖人とされた。

・パウロ6世(ジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニ、教皇、イタリア1897-1978)

・オスカル・アルノルフォ・ロメロ・ガルダメス(大司教、殉教者、エルサルバドル1917-1980)

・フランチェスコ・スピネッリ(教区司祭、聖体礼拝修道女会創立者、イタリア1853-1913)

・ヴィンチェンツォ・ロマーノ(教区司祭、イタリア1751-1831)

・マリア・カテリナ・カスパー(イエス・キリストの貧しい侍女会創立者、ドイツ1820-1898)

・ナザリア・イニャチア・ディ・サンタ・テレザ・ディ・ジェズ(教会の十字軍宣教女会創立者、スペイン1889-アルゼンチン1943)

・ヌンツィオ・スルプリツィオ(信徒、イタリア1817-1836)

 教皇は説教で、ミサ中朗読されたマルコ福音書の「金持ちの男」のエピソード(10章17-30節)を観想された-ある人がイエスに走り寄り、ひざまづいて「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と尋ねる。イエスが「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ」と答えると、彼は「そういうことは皆、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を慈しみ、「あなたに欠けているものがある。行って持っている物を売り払い、貧しい人に施しなさい」「それから私に従いなさい」と促すと、多くの財産を持っていたこの人は、悲しみながら立ち去った。

 教皇は「イエスはすべてをお与えになり、すべてを求められます」とし、「完全な愛を与えると同時に、心のすべてを求められる『イエスの過激さ』を強調されたうえで、「私たちはイエスの愛に惹きつけられるなら、『神を愛するか、富を愛するか』『愛するために生きるか、自分のために生きるか』のいずれかを選ぶ必要があります」と話された。

 そして、「悲しみながら立ち去ったこの人は、掟と所有財産にこだわり、イエスに出会い、いつくしみの眼差しを受けたにもかかわらず、自分の心を差し出すことができなかったのです」と述べられた。

 さらに、教皇は「悲しみとは、遂げられなかった愛のしるし」とし、「富から解放された心、主を愛する自由な心は、常に喜びをまわりに広げます」と語られ、「イエスは今日、ご自身との出会いという喜びの源に立ち返るよう、私たちを招いておられます」、そして「イエスに従うための、リスク覚悟の勇気ある選択、イエスの道を行くために何かを犠牲にする精神の必要」を強調、「この道のりをたどった人々、それが聖人たちなのです」と話された。

 教皇はこの日列聖された聖人たちの生涯を回顧。中でも、キリストの福音のためにすべてを捧げ、新しい地平を切り開きながら、宣教と対話に尽くし、遠くを見つめ、貧しい人々に奉仕する、外に向かう教会の預言者となったパウロ6世を思い起こされ、「人々の無理解に苦しみながらも、イエスに従う喜びと素晴らしさを情熱的に証しし、第2バチカン公会議の賢明な導き手となったパウロ6世は、今日も私たちを『聖性』という普遍の召命へと招いておられます」と語られた。

 また、「この世の平穏を捨て、福音に従い、貧しい人々に寄り添い、自らの命までをも捧げるに至った」ロメロ大司教と同様、フランチェスコ・スピネッリ神父、ヴィンチェンツォ・ロマーノ神父、マリア・カテリナ・カスパー修道女、ナザリア・イニャチア・ディ・サンタ・テレザ・ディ・ジェズ修道女、苦しみの中でイエスと出会い、沈黙の中で神に自らを捧げた信徒、ヌンツィオ・スルプリツィオらの証しを称えられた。

(編集「カトリック・あい」)

2018年10月14日

・シノドス第二週:女性、迫害、忘れられた人々、回勅「フマネヴィテ」

(2018.10.12 Vatican News  Russell Pollitt, SJ)

 シノドス第二週目の12日の定例記者会見によると、同日の全体会議では、女性の役割、迫害、忘れられた人々、回勅「フマネヴィテ」など広範囲に議論が及んだ。

 米国のロバート・バロン司教とオランダのヨハネス・デ・ヨング司教は、議論が開放的な雰囲気の中で行われている、議論の主役は若者たちがなっており、司教たちも彼らに耳を傾けている、と感想を述べた。

 バチカン広報部門のパオロ・ルッフィーニ長官は、同日の全体会議で話し合われたことの要約を説明し、召命の識別にとどまらず全生活を通しての若者のケア、迫害されているキリスト教徒、女性の役割、聖職者による虐待、信徒との意思疎通、教育における教会の過ち、移民、世代間対話、生きた共同社会の活動についての新たな方法-時間的な制約があるにしても若者たちが彼らの求める”寄り添い”を見出せるように助けることのできる方法-の可能性、ミサ典礼が”文化遺物”に矮小化されないために、どのようにすべきか、などに議論された、とした。

*女性の役割

 この会見で、韓国のシスター・ミナ・クォンは、女性の役割の向上について強調し、「聖職者の下で働く女性は男性と同じ敬意をもって処遇され、女子修道者と一般信徒はこれまでよりも、『若者とともに旅をする役割』を担う必要があります」と述べ、「女子修道者は、聖職者の下で心理療法的なケアの仕事から除外されるなど、平等な責任と決定権が与えられていません」と現状を説明した。

 バロン、デ・ヨング両司教は「シノドスでは、女性に議決権与えられていないが、その意見は、シノドスの最終的な文書に反映されるでしょう」と述べ、シスター・クォンは「若者は不平等や排除に敏感で、協力と平等を望んでいます」と追加した。

*迫害と移民

 バロン司教は、キリスト教徒が迫害されているイラクの状況について「声をあげている人々に耳を傾けることは、助けになります」「信仰のために命を失っている人々がいることを理解する助けになります」と語り、ヨング司教は、イラクについて聞く時、「イラクのキリスト教徒のために自分は何をしているか」と自問せざるを得なくなる、と反省したうえで、『シノドスではグローバルな連帯についての疑問を検証する場でもある」と述べた。また同司教は、移民の問題にも触れ、「欧州諸国は移民の流入に不満を持っている。だが大局的な視点も必要」とし、ルッフィーニ長官は「移民は(欧州)大陸と(アフリカ)大陸の間の問題であるだけではなく、大陸そのものにとっての問題でもある」と指摘した。
った。

*精神的に渇望する若者、忘れられた人々

 バロン司教は「心を打たれた問題は、若者が精神的な指導を渇望していること」とし、「彼らは父であり母である教会を求めています。多くの若者の背景には不安定な家庭があり、導かれ、育てられ、教育される必要があります」と語り、また、重要な課題は「忘れられた人々―教会からの連絡もなく、宗教的な基盤もたない人々―にどのようにして手を差しのべるか」であり、教会はその手段を見つけねばならない」「ソーシャルメディアがその新しい手段になりうる」と語った。

*回勅「フマネヴィテ」

 また、バロン司教はシノドスでフマネヴィテ(人間の命)が今シノドスで議論されているか、との記者団の問いに、「直接的な議論はないが、明らかに問題として浮上しています」とし、「今の時期にパウロ6世が列聖されるのは”預言的な動き”。シノドスの文書を読めば、列聖が包括的に新しい意味をもたらし、彼が予測したことが預言的であったことが分かります。全体会議と小グループで結婚と家庭生活についてかなりの議論がされたが、これはフマネヴィテの預言的な本質を称える瞬間でもありました」と述べた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」田中典子・南條俊二)

2018年10月14日

・教皇、ワシントン大司教の辞職願いを受理(バチカン放送)+「カトリック・あい」評論+Crux詳報

(2018.10.12 バチカン放送)

 教皇フランシスコは12日、米・ワシントンの大司教、ドナルド・ワール枢機卿から提出された辞職願いを受理された。

 ワール枢機卿は、およそ3年前、75歳の定年を迎えた際、教皇にすでに最初の引退願いを提出していた。ワシントン大司教区はインターネットのHPの「新しい一章へ」と題したページに、ワール枢機卿の辞任の報告と共に、教皇フランシスコがワール枢機卿に宛てた、辞任承認の書簡を掲載。この中で教皇は、ワール枢機卿の辞任願いに「教会の一致とその使命を、支え、育てる行為を優先できるよう」「体全体のより大きな善を識別するために、視野を広げた、司牧者の心」を認めている。

 一方、ワール枢機卿は、同HPで、教皇のワシントン大司教区への配慮と、理解の言葉に感謝を表明。過去の判断の誤りとされるものを謝罪すると共に、この辞任は教区の人々への大きな変わらぬ愛を表すためと記している。

・・ここまでバチカン放送転載

*「カトリック・あい」評論

性的虐待への不適切な対応で引責辞任・・だが、枢機卿の肩書はそのまま

 米国のカトリック教会では、各地で聖職者による未成年者性的虐待が次々を明るみに出、監督する立場にある司教たちへの批判が強まり、深刻な信用失墜が広がっている。そうした中で、ワール枢機卿も、ピッツバーグ教区長時代の1980年代から1990年代に、聖職者による性的虐待に対する対応が不適切だ、として、批判を受け、詳細な調査を受け、最近、教皇に辞表を提出していた。ただ、ワシントン大司教は辞任したものの、枢機卿のタイトルはそのままとされており、性的虐待の訴えを隠蔽していたのに加えて、自身も神学生などに虐待をしていた米国の高位聖職者が先日、枢機卿のタイトルを剥奪され、”蟄居”を言い渡されたのに比べると、穏便な措置にとどまっており、バチカン放送の公式発表内容も、性的虐待問題には触れず、教皇が最も嫌われている”表面的な””きれいごと”にとどまっており、どうして辞任したのか、背景を知らない信徒には全く理解できない。「説明責任」が果たされている、とは言い難い。米国の信徒たちの聖職者、特に高位聖職者に対する疑念が払しょくされるかどうか疑問だ。

*問題の背景など詳細は以下のCruxの記事をご参照ください。

 Wuerl resigns amid papal praise, will stay as interim administrator

 ROME – After months of speculation, Pope Francis on Friday accepted the resignation of Cardinal Donald Wuerl amid the Archdiocese of Washington’s “Season of Healing,” called by the archbishop in response to the “confusion, disappointment and disunity,” over clerical sexual abuse.

 The announcement comes following several months of intense scrutiny of Wuerl’s handling of sex abuse cases in the 1980s and 1990s in Pittsburg, and after he publicly announced he would implore Pope Francis to let him resign. The resignation effects only Wuerl’s role as the Archbishop of Washington, and he remains a cardinal in good   standing.

In a rare move, Francis has asked Wuerl to remain in the archdiocese as apostolic administrator until his successor is named, and also released a letter in which he praised Wuerl’s actions in seeking the good of his archdiocese over his own personal interests.

An apostolic administrator effectively serves as a “caretaker” of the archdiocese and is not empowered to make significant changes that would affect the incoming archbishop.

In response to Wuerl’s request for Francis to accept his resignation, the pope wrote: “I am aware that this request rests on two pillars that have marked and continue to mark your ministry: To seek in all things the greater glory of God and to procure the good of the people entrusted to your care.”

“You have sufficient elements to ‘justify’ your actions and distinguish between what it means to cover up crimes or not to deal with problems, and to commit some mistakes. However, your nobility has led you not to choose this way of defense. Of this, I am proud and thank you,” he continued.

The decision, along with the pope’s letter, was released on Friday via a statement from the Holy See Press Office, followed by announcements from the United States Conference of Catholic Bishops (USCCB) and the Archdiocese of Washington.

Wuerl, who is 77 years old, had already offered his resignation at the mandatory age of 75, although canon law allowed him to stay at his post with the pope’s approval.

One of the most prominent members of the U.S. hierarchy, and a staunch ally of Francis, Wuerl’s departure comes at a time when the global Catholic Church is struggling to turn a page on its handling of clerical sex abuse and cover-up.

While the issue of abuse has gripped the Church for the past two decades, a recent spotlight on cover-up, particularly by members of the hierarchy, has led to pressure for decisive action from the Vatican, eventually resulting in Wuerl’s decision to step aside.

In August, the Pennsylvania’s Attorney General released findings from a Grand Jury report chronicling over 70 years of clerical sex abuse and cover-up. More than 1,000 individual cases of abuse are outlined in the report at the hands of over 300 abuser priests.

 Among the report’s most high-profile names was that of Wuerl, who served as bishop of Pittsburgh from 1988-2006.

Despite evidence that Wuerl traveled to Rome at one point in protest over the reinstatement of a priest accused of abuse, the report also detailed that, among other things, he was said to have not only authorized the transfer of known abuser priests, but he also authorized settlement and retirement funds for priests accused of sexual abuse and used diocesan funds to mitigate at least one priest’s sentence in a civil lawsuit.

While Wuerl has strongly defended his actions since the report’s release, maintaining that he “acted with diligence, with concern for the victims and to prevent future acts of abuse,” the fact that he received mention nearly 200 times in the report proved inescapable.

His situation was compounded by the still unknown facts surrounding his predecessor, ex-Cardinal Theodore McCarrick. In July, Francis accepted McCarrick’s resignation from the College of Cardinals, following revelations of decades-long sexual abuse of seminarians and, at least in one alleged occasion, a minor.

The McCarrick saga has led to months of scrutiny of what the Vatican knew about the former cardinal’s history of sexual abuse and has led to disclosures from the dioceses of Metuchen and Newark, New Jersey that they had settled claims on behalf of McCarrick following his tenure as bishops of both sees.

Wuerl, however, has maintained that he was unaware of any such settlements.

Earlier this summer, just one week before Wuerl was set to deliver the opening keynote at the Vatican-organized World Meeting of Families, which took place in Dublin in August, he withdrew due to mounting pressure following the Pennsylvania Grand Jury report.

During that same week, a publisher announced it had cancelled publication of his forthcoming apologetics book due out this fall, while a Pittsburgh area high school named after the cardinal recently announced it was stripping Wuerl’s name from the institution.

al career in Pittsburgh, where he served as secretary to Cardinal John Wright. From 1981 to 1985, he served as rector at St. Paul Seminary, before being named an auxiliary bishop to Seattle from 1986, until his move to Pittsburgh in 1988.

During his nearly twenty-year stint in his hometown of Pittsburgh, Wuerl sought to revitalize a struggling diocese where his “Parish Reorganization and Revitalization Project” became a model for other dioceses seeking to successively merge congregations. At the same time, his national profile began to strengthen as he took on leadership posts within the Knights of Malta and was a regular speaker at national catechetical conferences, leading to his eventual appointment to Washington in 2006.

In 2010, Benedict XVI elevated Wuerl to the cardinalate, where he built a reputation as one of his most loyal defenders. Such fidelity to the Petrine office continued under Francis, where, since 2013, he served on the powerful Congregation for Bishops, which is responsible for episcopal appointments around the world.

In recent years, Wuerl garnered a reputation for being one of the most prominent backers of Francis’s much discussed 2016 apostolic exhortation, Amoris Laetitia, which provides a cautious opening to communion for divorced and remarried Catholics. This past March he released an archdiocesan pastoral plan for the implementation of Amoris, widely considered to be one of the most comprehensive in the world.

In Washington, Wuerl’s conciliatory tone – where he frequently favored dialogue over partisan demands – led him to work with the Bush, Obama, and Trump administrations on issues ranging from immigration to religious liberty.

At the archdiocesan level, Wuerl was broadly seen as a capable administrator and known for the rigor in which he both adhered to and implemented protocols – a fact that many found hard to reconcile with the way in which he reportedly handled certain abuse cases during his tenure in Pittsburgh.

Wuerl’s leadership skills earned him broad respect among his brother prelates. As recently as Sept. 13, fellow Cardinal Timothy Dolan of New York was voicing support.

“He’s a good friend and he’s a tremendous leader among the bishops,” Dolan said of Wuerl. “I kinda hope he doesn’t resign. We need him.”

Upon news of his resignation, his auxiliary bishops in Washington – Mario Dorsonville, Roy Campbell, and Michael Fisher – released a joint statement praising him for his leadership, particularly his work with Catholic Charities and his founding of the Saint John Paul II Seminary, which is now at capacity.

“The cardinal’s decision shows that he has the heart of a shepherd who places the good of the Church and its needs before his own right to justify his actions,” they wrote. “His request and the Holy Father’s response allow the church of Washington to continue to focus on healing and the ability to move forward.”

Similarly, his Chancellor and General Counsel, Kim Viti Fiorentini, said, “His final decision to act in favor of the people he loved and served for twelve years is the most eloquent witness to the integrity of his ministry and his legacy. I am truly thankful for his steadfast fidelity and his courageous and sacrificial commitment to the future of the Church in Washington.”

Wuerl’s also issued a personal statement on Friday, wherein he thanked Pope Francis for his decision.

“I am profoundly grateful for his devoted commitment to the wellbeing of the Archdiocese of Washington and also deeply touched by his gracious words of understanding,” he said.

“The Holy Father’s decision to provide new leadership to the Archdiocese can allow all of the faithful, clergy, religious and lay, to focus on healing and the future. It permits this local Church to move forward. Once again for any past errors in judgment I apologize and ask for pardon,” he continued. “My resignation is one way to express my great and abiding love for you the people of the Church of Washington.”

As of Wuerl’s resignation, there are now five active residential cardinals in the United States.

2018年10月13日

・シノドス第二週:デジタル社会、恐怖、孤独、そして朝鮮半島+評論

(2018.10.11 VaticanNews Russell Pollitt, SJ

 第二週に入ったシノドスも週半ばを過ぎ、11日の記者会見で、バチカン広報部門のパオロ・ルッフィーニ長官は、デジタル社会、恐怖、孤独、そして朝鮮半島情勢を中心に会議の内容について説明した。

 長官は、まず、司教たちと若者たちの喜びに満ちた数々の意見交換など、落ち着いた、明るい雰囲気の中で会議が進んでいる、と述べたうえで、そうした会議の中で、「他者への思いやりは説教で説かれるだけであってはならない、行動で示すべきだ」ということが強調された、と説明。ある若者が司教たちに「何千もの若者たちがシノドスから具体的な結果が出てくるのを心待ちにしています。あなた方が、自分たちの希望に叶うような結果を出してくれる、と信じているのです」と訴えたことを明らかにした。

 また、長官は、聖職者主義について、司教たちに、否定的な動きとしてだけ見るのでなく、国とのつながりから宗教を自由にするものとして見るべきだ、と強く主張する声があったこと、より成熟した信仰に向けて教会に挑戦する意見があったこと、なども指摘した。

 *デジタル社会

 デジタル社会について、長官は「大きな進展があり、情報交換が促進されたが、限界もある」とし、「(注・人心などが)操作される危険」と「暴力の文化」がイメージと言葉で極めて現実的なものになっている、とマイナスの側面を指摘する意見が出た、とした。そして、会議では、デジタル社会が人間性を持ったものに戻るように、教会は助けねばならない、と主張された、と説明した。

 記者会見に出たイタリアのブルーノ・フォルテ大司教は、シノドスの全体会議では「孤独な若者たちが多いことが認識された」とし、「彼らは現実の人間関係をもたず、オンラインでしか友を求めない。全体会議は、コンピューターの前でそれに飲み込まれる恐れを抱きながら、暗闇の中に一人でいる若者たちに、どのようにして教会が手を差し伸べるか、について意見を交わしました」と語った。

*恐怖と孤独

 フォルテ大司教は、討議の中で感じた2人の若者像を描いて見せた。1人は、多くの希望と将来への期待を持っている、とくに政治的、経済的な状況から安全なところにいる若者たち。もう1人は、西欧にいて、恐怖と孤独にある若者で、「このような現象は、デジタル社会から生まれています。だが、それはまた、彼らの過去と年上の世代と関係を持たないためでもあるのです」と指摘し、世代間の関係断絶は「記憶の喪失」を引き起こし、その結果、若者たちはルーツをもたなくなってしまう、と問題を指摘した。

 インドから聴講者として参加したパーシバル・ホルト氏は「シノドスの場にさえも、若者たちを理解しようとする司教たちの何人かの中に、世代間ギャップのゆえの葛藤があります」と述べ、それでも司教たちは努力をしており、対話を続けることの重要性を指摘した。

 韓国から来たラザロ兪興植(ユ・フンシク)司教は、恐れを抱いている若者に出会った経験を語った。「彼らは、南北朝鮮の再統一があった場合に、犠牲を払うこと、自分のライフスタイルに与える影響を恐れています。だが、そういう若者は多くはなく、大半は再統一が有益なことと考えている、と思う」と述べた。

*朝鮮半島情勢ー教皇の北朝鮮訪問は素晴らしいが、多くの条件を満たす必要も

 朝鮮半島情勢について、兪・司教は「昨年までは、多くの人が南北朝鮮の間で戦争が起こる、と信じていました。今は変わりました」としたうえで、変化はオリンピックを契機にしたもので、両国の関係を作るのに役立った、と指摘。「北朝鮮は国を開放し始める準備ができていると思う。韓国の文大統領は北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長に『あなたの国が国際社会に戻る最善の道は、教皇フランシスコに自国に招待することだ』と言いました。教皇が北朝鮮を訪問されれば、朝鮮半島の平和実現への大きな一歩となるでしょう」と見解を述べた。ただし、教皇の訪朝の実現のためには、まだやらねばならないことが多くあり、変化が必要だ、とし、具体的に、北朝鮮が信教の自由を保障すること、を挙げた。

 また、司教は、シノドスそのものに関連して、「皆の、とくに若者たちの声を聴き、意見を集めることで、教会は物事が前進するのを助けることができ、そうすることで、協力の雰囲気を作り出すことになります」と語った。

(翻訳・編集「カトリック・あい」)

・なお、教皇の訪朝招請については、近く予定される文・韓国大統領の教皇との会見でも大統領から伝えられる見通し、と言われているが、この件について、バチカン側からのコメントは12日現在、出ていない。

⇒(評論)全く存在感のない日本、参加した司教はどこに?

韓国の司教が会見に出てしっかりと発言し、存在感を見せているが、日本から参加している(はずの)司教は、シノドスの議論に全体会議、使用言語グループ別の小会議に出て、日本の立場から、若者たちの現状、問題点、教会としての対応努力など、議論に参加しているのだろうか。少なくとも、バチカンの広報や、他の報道にはこれまで、全く報じられていない。

 日本の立場から、若者のスマホ中毒問題、少子高齢化が社会に与える影響と教会としての問題意識など、他国の教会にも参考になる話題がたくさんあるはずだ。最近の「家庭」をテーマにした二度のシノドスでもそうだったが、せっかくのシノドスの場で、日本の存在感が皆無、会議への貢献もない、というのは残念なことだ。

 そうした中で、数年前まで上智大学の副学長として活躍されていたルクセンブルクのオロリッシュ大司教が、積極的に議論に加わり、記者会見にも出て、堂々と発言されていることは、大司教を知る者として喜ばしく感じる。(「カトリック・あい」南條俊二)

2018年10月12日

・シノドス第二週始まる:「教会は “google”の神に零落されてはならない」

(2018.10.10 VaticanNews Russell Pollitt, SJ

 「若者シノドス」は2週目に入り、10日の全体会議の議論は、討議要綱の第2部に移り、若者たちが自分たちの信仰を生きようとしている今日の社会的な文脈に焦点が当てられた。

 バチカンの広報部門のパオロ・ルッフィーニ長官は同日の記者会見で、全体会議で出されたさまざまな発言について概要を説明。また、注目された初出席の中国の司教2人について、シノドス招待前に決まっていた予定があるため、最後まで参加しないことを明らかにした。

 10日の全体会議では、特に付き添うこと、人間形成、召命、新たな「全体主義」(若者たちを”植民地化”し、自由を奪う動き)、そして、若者たちが善なるものを識別するのを助ける場をどのようにして作るか、などが議論になった。また、ルッフィーニ長官は、デジタル社会の問題に関連して「教会は”google”の神に零落されてはならない」、結婚に関連して「教会は結婚で若者たちに”付き添う”ことに失敗している、結婚は儀式に落ちぶれるべきでない」などの意見が出された、と説明した。

*変わる社会の現実と若者たち

 メキシコのカルロス・アギア・レテス枢機卿は「社会の構造に合わせようと苦闘しているのは若者たちです」としたうえで、「私たちは社会が”複雑骨折”している時代に生きているーそれは、教会が、若者たちを助けことができるように、自らを合わせねばならないこと、を意味しています。第二バチカン公会議が示した共通のビジョンは、私たちが安定と前に進む道を作るのを助けることができるのです」と主張した。

 ルクセンブルクのジャン・クロード・オロリッシュ大司教(注・イエズス会士、前上智大学副学長)は「世界は今、文明の深遠な変化を経験しています」とし、若者たちと連携し、司教館で共に生活する中で、彼らが異なる生活をしていることを知った-「多くの若者は本をまったく読まず、 Netflix(インターネットのビデオやゲームの配給サイト)を見て、話題にしています」と自身の体験を語った。そして、「識別」は白黒についてではなく、「様々に異なる色と現実の影を知ること」であり、対立する意見についてではなく、「人の声を聴き、神が私たちにどうすることを望んでおられるかを感じ、知る能力」だとした。「これが、シノドスの全てなのです」。

*新たな「全体主義」、そしてポピュリズムの台頭

 レテス枢機卿は「全体主義」の問題に触れ、「全体主義は常に特に政治、経済の面で社会にとっての誘惑になります。様々なタイプの全体主義について、今回の会議で言及されました」と述べ、ある種のイデオロギーを生むように操作するウエブ上の匿名性の問題についても語った。

 オロリッシュ大司教はまた、「欧州におけるポピュリズムの台頭に懸念を抱いている」と述べ、ポピュリズムが欧州の分解を引き起こす可能性があり、これまで安定していた欧州大陸を危険に陥れつつある、と指摘。さらに、シノドスでは政治の問題に直接触れないが、もしも社会から取り残された人々に焦点を絞るのであれば、我々はポピュリズムの台頭を避けるために働かねばなりません。今回のシノドスはポピュリズムの良い解毒剤になります」と訴えた。

*喜ばしい協力

 米国から一般信徒の聴講者として参加したブリアナ・レジーナ・サンチャゴは、記者会見で「若者たちは、グループ討論で事前に予想されたよりもずっと多くの意見を述べ、コメントを求められました」と言い、「シノドスに参加できてどれほど素晴らしいか、言葉で表現できません。一緒に参加した若者たちからマイナスの経験をした、という話も聞いていません。自由な対話ができ、目を見張るような、内容豊かで、世代間の話もできました」と喜びを述べた。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」)

 

2018年10月11日

・シノドス第一週・言語別グループ討議詳報-「性的虐待」に加え、若者の「性」や”デジタル認知症”なども(Crux)

 

Bishops emphasize abuse crisis, but point to wider range of issues(2018.10.9 Crux Staff)

Pope Francis sits among bishops and cardinals during a meeting with youths attending the Synod in the Paul VI hall, at the Vatican, Saturday, Oct. 6, 2018. (Credit: AP Photo/Gregorio Borgia.)

ローマ発―3日始まった「若者シノドス」は二週目に入ったが、全体会議と共に開かれている使用言語別の小会議のこれまでの教義の内容が、9日発表された。

 それによると、児童性的虐待の問題に多くの時間がかけられたが、それにとどまらず、移民・難民、デジタル社会の功罪半ばする現実、性に関する教会の教えの提示、女性の役割、世俗化された世界における信仰の伝え方の難しさ、その他、司教たちが考慮すべき問題も提起されている。

 以下が、Cruxがまとめた、使用言語別のグループで先週開かれた小会議での内容だ。

*英語グループ「若者たちに現実的な対応が求められる」

 英語グループで取り上げられたほぼ共通したテーマは性的虐待問題。現在カトリック教会に大きな影を落としている危機は「わずかな短い文章で表面を撫でる」だけで対処できるものではない、シノドスは「たたき壊された信頼、被害者たちの心理的な外傷、一生続く苦しみ、管理上の壊滅的な過ち、恐るべき犯罪と罪に対して何人かが続ける黙否」を率直に認める必要がある、という認識が示された。

 少なくとも一つのグループは、今回の最終文書が、来年2月に教皇が招集される性的虐待への対応のための全世界司教協議会会長会議の議論の基礎を提供する必要がある、と主張した。

 性的虐待以外では、現代の若者たちが置かれた具体的な現実に、司牧の面で、そしてシノドス文書でどのように応えるべきか、という問題が提起され、具体的に、シノドスの広報委員会から、一週間ごとにその週の議論の内容を400語以内にまとめ、写真付きで発表することが提案された。

 また今シノドスの後に発出されると予想される教皇の使徒的勧告の縮刷版、あるいは勧告そのものについて、世界から来た若者たちの見本となるグループとともに、教皇が”路上試験”するように、との提言もあり、グループは「これが成功すれば、すべての主要文書は若者たちに親しまれるような特徴を備えて提起されるようになるだろう」と期待を表明した。

 さらに、多くの若者たちが勧告の全文を読むことがない、との前提で、教皇によるビデオ講話、解説を含む勧告の学習案内を作ることも提案された。

 カトリックの教義の問題では、複数のグループが、シノドスの最終文書のとりまとめに当たって、「キリスト論的な視点」を強調すべきであり、キリスト教の人と人との結びつきを重んじる性向を、多くの若者が最も強く駆り立てられるものとして際立たせる必要がある、との意見で一致した。

 さらに、最終文書のまとめ方について、あるグループが「貞節について明確に示すべきだ」としたのに対して、他のグループは「教会は、あたかも自分たちが”既製品”の答えを持っているかのような『道徳的』『論争的』な振る舞いを避け、喜びと発見の冒険の雰囲気の中で若者たちとともに歩むことで、若者たちとともにあることに全力を傾けるべき」とし、ニュアンスの違いを見せた。

 最終文書への他の提案としては、若者たちが持つ友情(ロマンティックな関係ではない)への熱望、sexting(翻訳スマートフォン などのモバイル端末を使用し、性的欲求を刺激するようなメッセージや画像をやりとり する行為)を含むデジタル時代の諸問題について項目を立てて言及すること、なども挙げられたが、これまでの議論が「あまりにも欧米の問題意識に偏っていた」との反省の声もあった。

*ドイツ語グループ「若者が生きるデジタル社会に潜む危険を認識する必要」

 ドイツ語を使用する司教たちは、カトリシズムの世界的な多様性の認識から議論を始め、「多くの国々の若者たちの具体的な状況に大きな相違があることに、私たちは皆、驚いている」としたうえで、「地球的、多元的な見方を支持する中で、欧州的な文脈は”後部座席”に座っているのを感じる」と語った。

 そのような多くの相違にもかかわらず、次の点では幅広い一致が見られた、としている。

 ・性行為の問題 ・性的虐待 ・信仰を伝えることのむつかしさ ・デジタル化 ・人を惹きつける聖職者と説教 ・移民 ・自由、確実に寄り添ってもらいたいという若者たちの強い要求 ・若者たちの積極的な参加 ・教会のおける女性に対する公正な扱い

 また、教皇フランシスコが2016年の使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」で離婚して再婚した信徒の聖体拝領に道を開いたことを積極的に支持することを、多くのドイツの司教たちが確認する一方で、それぞれの個人が置かれた異なる状況を尊重する必要があることも強調された。「私たちは、現実に生きている人々、彼らのおかれた具体的な状況を見、たとえその具体的な現実がキリスト信徒のとしての生活の理想に一致しない、あるいはまだ一致していないとしても、現存される神がどのように光を当てられているのかを理解するようにしたい」。

 また、シノドス事務局が事前に準備した討議文書について、「21世紀の若者たちが生きているデジタルについて、討議文書の見方は楽観的過ぎる」と指摘。「デジタル社会に現実について、潜在的に前向きな側面と破壊的な危険(ハード・ポルノや暴力シーンを見ることのできる年齢を11歳以上とするような制限の問題など)をもっと具体的に書き込む必要がある、と考える」と訴えた。

 そして「デジタル社会が、若者たちにとって長期にわたってどのような影響を及ぼすのが、私たちには分からない。「デジタル認知症」(注・日本を始め多くの国で若者中心に急増していると言われる、スマホなどデジタル機器を長時間使用することで発症する、認知症に似た症状)、あるいは新規の(スマホなどの)常用癖ないしは集中力の欠如、、についての医学的な議論、複雑な教本をよむ能力の劣化、対人関係の欠如など、についての医学関係者の議論を注目する必要がある」としている。

 最後にグループとして、今シノドスの最終文書に、若者たちに対する教会の積極的な展望を、次の点で示すように求めている。

 ・変化する世界における信頼性 ・秘跡や信仰上の判断における公正性 ・カリスマ的な現象 ・公正な裁判の名中で、不正を公正に裁くことの可能性

 

*スペイン語グループ「偏見なしに若者たちの声を聴く」

 スペイン語グループBはレポートで、シノドスの準備書面について、教会と若者たちを区別しているように見える、と指摘、「まるで若者たちが教会でないかのようだ。若者たちは教会。教会の一部であり、教会を構成している存在だ」と強調した。

 また、このグループのメンバーたちは、シノドスの最終文書がカトリック信徒の若者たちだけでなく、若者一般に宛てたものになるように、特に言及。「カトリック教会は、謙遜の心をもって、すべての人にアプローチし、愛の喜びの内に自分たちの生活の感覚を持てるように助けなければならない」とした。

 グループAも、準備書面は、これまで2年間のシノドス準備期間中の話し合いで若者たちが語ったことを反映しており、若者たちは「私たちに教会に自分たちの空間を開けてくれるように求め、若者たちには大きな価値があり、間違いを犯す権利があることを認識している」と指摘。グループBとともに、今回のシノドスが先に二回開かれた「家庭」をテーマとするシノドスの延長上に置かれるべきだ、と強調した。

 他に、両グループがそろって提起したのは、母親の責任に帰せられることの多い「信仰伝達」における「父親の役割」の再強化だ。

 「私たちは、誰に話しかけているかについてはっきりしなければならない」とするグループAは「若者たちは、キリスト教徒、受洗者である前に『人』だ。だから、シノドスの最終文書は、対象を一般の若者まで広げて記述する必要がある。私たちは、この世界の一般の若者たちに対して話しているのだ」と主張した。

 また両グループは、最終文書は親しみやすいものにする必要があり、そのために、音響映像の助けを借りることも含めて、これまでとは「異なった様式」を取ることになろう、とした。

 グループAはまた、若者たちは宗教と霊的なものに関心を持っているが、「関心はカトリック教会まで届いていない」と指摘したうえで、要点を三つ示したー若者の声を聴くために「イエスのなさり方のように、自由に、共感を持ち、偏見なしに」若者たちの声を聴くこと、「教会を傷つけるのに加えて、イエスの弟子たちであることに反する行為」である性的虐待、そして「社会と教会の構造を変える役割を若者たちに与えること」だ。

 二つ目のグループは、準備書面の第一部の一つ一つのポイントに目を通し、用語の変更、繰り返し使われている形容詞の削除、シノドスの最終文書とするために不足している様々な点を指摘した。その中には、準備書面で使われている “gender”という言葉を “sex” あるいは “sexual orientation”という言葉に変更するべきだ、との主張も入っている。

*ポルトガル語グループ「若者の成長に必要な父母の役割が認識されない?」

 他の多くのグループと同様に、このグループも、教会が若者たちに届くことの必要性を強調し、教会はデジタルの世界に密着する必要がある、と指摘した。

 ブラジル、ポルトガル、そしていくつかのアフリカの国から来た高位聖職者は「若者の人生における家庭の基本的役割と父母の役割の自己認識の危機」を重視した。

 また「いくつかの文脈」の中で、教会は「身体と性行為についてのキリスト教の人類学的な見方」を若者に適切に伝えることに困難さを抱えているが、「教会は若者たちと対話する経験があり、この分野でもっと認識を共有できる仕組みをもっている」との見方を示した。

 さらに、若者たちとミサ典礼との関係についても議論し、多くの所で、もっと深くかかわりたい、と望む若者がいる一方、ミサ典礼への参加は空々しいと感じている者もいる、との指摘もあった。

 若者たちと奉献生活との関係について、とくに次の4つの分野で刷新が必要、と主張した。

 ・形成 ・権威者との関係と従順 ・男女の相互補完性 ・管理運営と物品の使用

 なお、ポルトガル語を使用するグループによる小会議が開かれたのは、1960年代にパウロ6世によって始められたシノドスの歴史で初めてのこと。世界でポルトガル語を話す人はアフリカ、中南米、欧州あわせて3億5000万人もいることから、このグループの恒久化を望む声が出された。

*イタリア語グループ「”性的虐待”か加速する教会変革の緊急性・若い移民たちへの対処

 イタリア語の第一グループでは、4つの点がとくに課題として挙げられた。一つは教会自身の変革を進める取り組みの「緊急性」で、転換の一部はその困難さゆえに、教会の指導者たちはしばしば若者たちと同じ考えを抱いている-若者たちと互いに距離を置いている。

 緊急性と共に求められているのは、性的虐待の醜態が若者たちにもたらしたダメージと権威者の虐待を「認識」すること。「このことゆえに、若者たちの成長の過程で彼らと共に歩むために自己を改める態度をとることが、全教会にとって緊急であると感じられている」と強調している。

 そして若者たちは教会の一部であり、内包されねばならず、そうすることで、彼らは「自分たちはよそ者」と感じることがなくなる、とも主張。司牧の分野では、「若者とともに、ではなく、若者たちのために主導権を発揮」しようとする危険が存在する、と指摘している。

 さらに、「信仰を伝える方法」を見つける必要も強調した。これは西欧世界だけの課題ではなく、全世界にとっての課題であり、しばしば「自己中心的な包括的、心理学的な幸せ」に矮小化され、秘跡と教会共同体から引き離されたものとなる「霊的生活」の問題を伴っている、との見方を示した。

 第二グループでは、福音宣教省長官のフェルナンド・フィローニ枢機卿がリーダーを務め、性行為と移民の問題に重点が置かれた。

 移民の問題では、とくに、若い移民たち、戦争・飢餓・貧困・腐敗・民主政治の欠落の中で生きている若者たち、そして「非現実的な幸せの幻想に騙される」若者たちの問題が取り上げられた。移民による人口動態の変化にも焦点が当てられ、移民たちに「安全で法的に保障された手段」を提供するための国際的な協力の必要性が強調された。移民の「第二世代」ー彼らの子供たちーの問題にも触れた。時として、彼らは現地社会に溶け込むのに苦闘し、生活の根を下ろすの難しいことを知り、しばしば「浪費の文化」の犠牲となっている。

 性行為の問題については、これを若者たちが典型的に多くの疑問を抱く分野であり、この問題に関する教会の教えが受け入れがたいと感じている、と指摘し、この面で若者たちを助けるために、「彼らとはっきりと、深い人間性と共感をもって話す人が必要である」と強調した。

 第三グループは、イタリア、エジプト、エチオピア、ハンガリー、レバノン、ルーマニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、スロバキア、アイスランド、そして韓国と多様な国々から人々で構成されているが、司教たちがもつ「認識と評価に様々な違いがある」ことを確認した。

 ドイツ人たちのように、このグループは、準備文書よりもデジタルの世界に懸念をもっており、「20年前、若者たちが抱く大衆的な夢に焦点が当てられたように、誰もが制御し順応する”砦”の革新的な体験の中で、ウェブの横断的な範囲が逆に縮小している」とした。

 また、イタリアは第二次世界大戦以最悪の欧州の難民危機に締め付けられており、第三グループがこの問題を強調しているのは、驚くべき事ではない。「移民問題はもう一つの大きなテーマ。それは”古典的現象”であり、もはや緊急性の高い問題ではないが、「時の真のしるし」-あらゆるレベルで聖霊と一致する教会が、どうしても取り上げずにはいられず、取り上げることで、決定的に歴史的に避けがたい現実に心を開くように諸文化を助けること-となっているのだ」と説明した。

 そして最後に、教会における女性の在り方について、「その役割を巡る不毛な対立」の泥沼にはまるのではなく、「男女両性の尊厳によりよく対応する人間形成を通して、神の王国の建設の責任を生産的に分かち合うことに注力する方向」で議論することを提唱した。

 

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2018年10月10日