・教皇フランシスコが17日で82歳に。前田枢機卿ら日本の巡礼団と会見

 (2018.12.17 バチカン放送)

 教皇フランシスコが17日、82歳の誕生日を迎えられた。

 世界の国々からお祝いが届く中で、日本の前田枢機卿と巡礼団約30名は教皇宮殿の一室で教皇と親しく会見する機会に恵まれた。教皇は巡礼者一人ひとりと親しく挨拶を交わされ、巡礼者たちは「ハッピー・バースデイ」の歌とともに、バースデイ・ケーキをプレゼントした。教皇は日本からの巡礼団の訪問をとても喜ばれ、「今度はぜひ日本でお会いしましょう」と語り、祝福をなさった。

・・・・・・・・

 教皇フランシスコ、ホルヘ・ベルゴリオは1936年12月17日、南米アルゼンチンの首都ブエノス・アイレスでイタリア移民の子としてお生まれになった。2015年12月31日のバチカンでの子供たちとの出会いの場で、一人の少年からの質問に「大きくなったら肉屋さんになりたかった」と答えられたが、幼少時より歌曲に対して強い興味を持ち、毎週一回ラジオで放送される音楽番組に母親や兄弟たちと一緒に聴き入るのを楽しみにしていた。

 父親はホルヘ少年に常に労働の価値とその大切さを教え、青年期にには様々な職業を体験し、科学技師としての資格を取得したが、彼にとって最も大切なことは、祖母のマルゲリータから教えられた「神への信仰」。神に全身全霊を捧げ尽くしたいとの強い望みに動かされ、1958年に神学校に入校、後にイエズス会会士となる道を選んだ。その間、重い肺の病にかかったが、一人の勇敢な看護師の修道女のおかげで危機を脱し、今でも彼女への感謝を忘れず、昨年3月3日の看護師たちとの出会いの席で、彼女について、「医師たちと堂々と意見を交換する勇気を持った看護師でした」と改めて感謝と称賛を贈った。

 1969年に司祭に叙階されたが、その年、祖母マルゲリータが孫たち全員に書いた手紙を、後の教皇フランシスコ、ホルヘ・ベルゴリオ神父は聖務日梼書の中に大切に保存して常に持ち歩いていた。その手紙にはこう書かれてあった。「私の孫たちが皆、長く平和な日々を送れることを心から望んでいます。でもきっと苦しい日々もあることでしょう。病気や愛する人を失う悲しみ、それはあなたたちを悲嘆の底に落とし入れることもあるでしょう。そういう時いつも思い出してください、ご聖体のイエス様がおられる聖櫃の前で慰めを得ることが出来るということを。そこには最も尊い偉大な殉教者がいつもおられます。そして、十字架の下にたたずまれる聖母マリアにも目を向けなさい。最も深い苦しい傷口に、必ず慰めの香油の一滴を受けることが出来るでしょう」。

 1973年イエズス会アルゼンチン管区の管区長に任命され、1992年2月28日ブエノス・アイレス大司教に叙階。その後2001年2月21日教皇ヨハネ・パウロ2世によって枢機卿に任命。教皇ベネディクト16世の辞任を受けた2013年のコンクラーベで、3月13日、教皇フランシスコの名のもとにローマ教皇に選出される。記者団へのインタビューで、フランシスコの名を選んだ理由を「清貧の人、平和の人、神の創られたすべての被造物愛する人、聖フランシスコの跡をたどるため」と話されていた。

 (編集「カトリック・あい」)

2018年12月18日

・教皇、来年5月にブルガリア、マケドニアを訪問

(2018.12.16 バチカン放送)

 教皇フランシスコが、2019年5月、ブルガリアと旧ユーゴスラビア連邦マケドニア共和国を訪問されることが明らかになった。これにより、発表済みの教皇の来年の海外訪問は、1月の世界青年の日大会出席のためのパナマ、2月のアラブ首長国連邦に次いで3か所、4カ国となる。

 バチカン広報局によると、教皇はブルガリアおよびマケドニア両国首脳とブルガリアおよびマケドニア両国のカトリック教会の招きに応え、この2か国を訪問される。訪問は、来年5月5日から7日の3日間。5日,6日はブルガリアの首都ソフィア、ラコブスキー両都市を訪問し、7日にはマケドニア共和国に移られ、マザー・テレサの出身地スコピエをも訪問される。

 教皇訪問のプログラム詳細は後日公表の予定。

2018年12月16日

・1月の「カトリック世界青年の日」大会は「若者シノドス」の”成果”の試金石に(Crux)

(2018.12.12 Crux Faith and Culture Correspondent Claire Giangravè

World Youth Day first testing ground for lessons of synod on young people

Pope Francis passes next to a group of faithful waving Panama flags as he arrives for his weekly general audience in St. Peter’s Square at the Vatican, Wednesday, Nov. 7, 2018. (Credit: AP Photo/Gregorio Borgia.)

 ローマ発ー「移民」「環境」「カトリック教会における女性の役割」が、1月にパナマで行われる「2019・World Youth Day(WYD)」の中心テーマになるとみられる。そしてこの大会は、10月の「若者シノドス(世界代表司教会議)」で示された諸原則にとっての試金石となるだろう。

 開催地パナマのホセ・ドミンゴ・ウロア大司教は12日のローマでの記者会見で、「移民問題が中心テーマの一つになるでしょう」と語り、また若い人々に焦点が合わされるのは当然として、今回のWYDでは特に、教皇フランシスコの環境回勅「Laudato Si」と教理に力点が置かれる、との見通しを示した。

  教会における女性の役割も、中心テーマの一つとなるが、大司教は「それはラテン・アメリカ、とくに中央アメリカで、『女性たちが共にいない教会』は考えられないからです」とし、教会における女性の役割の特別な象徴である「ファティマの聖母像」がポルトガルを初めて離れ、新年1月22日から27日まで大会会場に展示されることを明らかにした。

  「私たちにとって、『女性の役割』は特に重要です」と語る大司教は、世界中の若者が集まる今回のWYD大会は「歴史の中で女性が果たしてきた素晴らしい役割をさらに前進させる大きなチャンスになるでしょう」と強調した。

 大会の組織委員会によると、パナマの今回大会にはすでに155カ国から47000人の若者が参加登録済みで、さらに16万8000人が登録申請中だ。このほかに、大会の準備や運営に携わるボランティアがコロンビア、ブラジル、フランス、コスタリカ、ホンジュラス、ポーランドなど世界中から3万7000人に上る。

 大司教は「教会として、国として、私たちは何千人もの若者が大会に参加するのを歓迎する準備をしています」と述べ、10月の「若者シノドス」を受けて行われる今回の若者自身による大会が、彼らに、改めて「声をあげる」機会を提供することに期待を示した。そして、現在の南北アメリカの社会的、政治的状況からみて、移民問題が大会での議論の焦点になるのは想像に難くないとし、「移民たちの悲しい現実が、教会の中心にあり、ラテンアメリカで特別の関心事です」。

 さらに、大司教は「移民を強制され、多くが麻薬密売業者に苦しめられている若者たちの問題は、多くの人々が直面している沢山の難題の一つでしかありません」とし、「私は、教皇フランシスコがこの集まりに希望をもたらしてくださることを確信しています…。教皇が言及されるとであろうもう一つのテーマは、中央アメリカの若者たちが特に必要としていること、多くの機会の提供です」と教皇に期待を示した。

 大会組織委員会によると、参加を予定する若者たちの中で注目されるのは、中国からの243人、キューバからの450人。ヨルダンとパレスチナ自治区からもイスラム教徒が参加を予定している。ラテンアメリカの先住民も約1000人が参加することになっており、ウロア大司教は、環境問題の”最前線”にあるアマゾン地域の代表司教会議(シノドス)で扱われる話題についても触れる機会となることを示唆した。

 ラテンアメリカ諸国、とくにニカラグアとベネズエラでは、政治的な緊張状態が続いていることも、無視されないだろう。教皇はWYD参加中に、大会に招待された南米数カ国の代表やラテンアメリカ米国聖公会の代表とも会見を予定している。

 大司教は「大きな試練と挑戦に直面している地域の国々は連帯して対応しようとするでしょう。南米の教会は”殉教者の教会”であり、先に列聖されたオスカル・ロメロ師をはじめ多くの人々が、この地域の変革のために命を捧げています」「彼らは、若い人々にとって、明日ではなく、今日、後に続くことができる模範なのです」と強調した。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

2018年12月14日

・「表に出て移民・難民と出会い、知り合い、分かち合おう」タグレ国際カリタス会長が訴え

(2018.12.9 VaticanNews Robin Gomes)

 カトリックの国際援助団体、国際カリタス会長のルイス・タグレ枢機卿が9日、待降節のメッセージを発表。クリスマスを前にした世界の人々が、移民や難民の人々と「旅」を共にし、自分たちの共同体で彼ら共に短い巡礼を計画するなどして”心の地平線”を広げ、それによって、互いに知り合い、希望のきずなを固めるように訴え、「私たちの世界を変える可能性は、どのように旅をするか、どのように出会う人々に対応するか、にあるのです」と強調した。そして、そのための第一歩は、「神が与えられた尊厳を他の人の中に見ること。恐れ、偏見、あるいは嫌悪で顔を背けないこと」と語った。

*イエスは、私たちのものの見方に大変革を起こされた

  国際カリタスは、世界中のカトリック信徒たちに少なくとも一人の移民あるいは難民を知り、彼らの話を聴くように促すことを目的とした「旅を共にしよう」キャンペーンを2017年9月から始めている。世界中を連帯して歩く運動も支援している。

  フィリピン・マニラの大司教でもあるタグレ枢機卿はメッセージの中で、キリストの誕生と死に注意を向け、その誕生の時に移民となっていた聖家族は、「妊婦が必要とする世話ができない」ベツレヘムにとって、「多すぎるひと家族」だった、としたうえで、イエスのそのような蔑まれた環境での出生と屈辱的で苦痛に満ちた死にもかかわらず、その人生の出来事を通して、この慎ましやかな出自の方は、私たちがこの貧しく、軽んじられたご自身の姿をどの様に見るか、権力をどの様に考えるのか、そしてこの世界で、誰が勝者で誰が敗者と見るのか、の判断に「大変革を起こされたのです」と強調。

*聖家族も難民となった

 しかも、キリストの誕生を知らされたのは、無教養で社会から粗末に扱われた羊飼いたちで、金持ちの地主ではなかった。「イエス、マリアとヨゼフ、羊飼いたちと東方の三博士のように、私たちは強さ、忍耐、人間性、知恵、そして勇気が必要な旅に呼ばれています」とした。

 さらに、聖家族が”敗者”のカードを引き、エジプトで難民の一家となったことを指摘し、「イエスは私たちに、”敗者”と見なされる人などいない世界を見る新しい道に目を開くように、求めておられます」と述べ、「私たちの王がお生まれになったのは小さな、汚れた所で、お城の中ではなかった、私たちの社会でも、最も貧しく、最も粗末に扱われている人々が、私たちに希望の、真のメッセージを伝えてくれます」と語った。

 私たちの世界の移民、難民の人々のように、希望はいつも前に進む旅にある。「目を開き、他の人々に手を差し伸べることで、私たちは、自分の心が愛の大きな波によって前に運ばれ、自分の行き先が平和だ、ということを知るでしょう」と付け加えた。

バングラデシュにいるロヒンギアの難民たち

 タグレ枢機卿は、自身が先週、バングラデシュ南東部にあるミャンマー・ロヒンギア回教徒たちの難民キャンプを訪問する”旅を共にする”活動を行った。チッタゴン管区のコックスバザール県のクツパロン難民キャンプからのビデオ放送で、枢機卿は、待降節のあいさつとともに、希望のメッセージを送った。

 難民キャンプは、コックスバザール県に約30ありミャンマーのラカイン県に住んでいたが迫害を受けて、2016年から2017年にかけて隣国バングラデシュに逃げ込んできた人々が大半を占めており、その人数は100万人以上に上っているが、クッパロン・キャンプは最も大きい。教皇フランシスコも一年前にバングラデシュを訪問された際、首都ダッカでロヒンギア難民の代表たちとお会いになっている。

 クッパロン・キャンプを訪問した枢機卿は、現地で活動しているカリタス・バングラデシュのグループは小規模ながら「素晴らしい仕事をしている」と励まし、人々の苦しみの中で「カリタスの人々が、彼らにもたらしている多くの希望を、目の当たりにした」をその活動を讃えた。

 

2018年12月10日

・バチカンで降誕祭のモミの木の点灯式

(2018.12.8 バチカン放送)

 バチカンの聖ペトロ広場で7日夕、降誕祭のモミの木の点灯式と、プレゼピオの披露が行われた。教皇フランシスコは、12月7日、同広場への降誕祭のモミの木およびプレゼピオ(イエスの降誕の場面を再現した馬小屋の模型)の寄贈者らとお会いになった。

 モミの木とプレゼピオは、毎年異なる地方から贈られており、今年は、モミの木はイタリア北部のフリウリ・ベネチア・ジュリア州とコンコルディア=ポルデノーネ教区から、プレゼピオは、ベネチア州イェーゾロ市とベネチア総大司教区からイェーゾロ海岸の砂をプレスした塊を彫刻した「砂のプレゼピオ」がそれぞれ贈られた。

 教皇は寄贈者と製作者たちに感謝の言葉を述べられた後、「クリスマスのツリーとプレゼピオは私たちを魅了してやまない2つのしるしです。これらは、主の降誕について語り、私たち一人ひとりのそばにいるために、人となられた神の神秘を観想させるからです」と話された。

 同日夕方、聖ペトロ広場で、関係者や巡礼者らが見守る中、モミノキの点灯式が行われた。モミノキとプレゼピオは、降誕祭を経て、来年の主の洗礼の祝日(1月13日)まで飾られる。

(編集「カトリック・あい)

2018年12月8日

・バチカンで待降節恒例の黙想会-「神はここにおられる。それで十分」

(2018.12.7 Vatican News Linda Bordoni)

 バチカンで毎年恒例となっている待降節の黙想会が7日、バチカン宮殿内のレデンプトリス・マーテル聖堂で、教皇フランシスコはじめバチカンの高位聖職者たちが参加して行われ、教皇付きの説教師、ラニエロ・カンタラメッサ神父(カプチン会)が指導に当たった。

 神父は、旧約聖書の詩編42章の「私の魂は神を、生ける神を渇き求めています」の箇所を取り上げ、日々の務めと直面する問題に忙殺されることで、「私たちは、神との個人的な関係を見失ったり、脇に置いてしまったりする危険を冒します」とし、神との関係は、私たちを「平穏と忍耐を失うことなく」状況と問題に向き合うようにさせるもの、と指摘した。

 「常に再確認する存在」として「生ける神」に言及した神父は、現代の男女は「他の星の異星人と生命のしるしの存在を探し求める」ことに情熱を燃やしている、それは、もっともではあるが、「宇宙を創造され、その歴史を始められ、その中に生きておられる、生ける神のしるしを求め、学ぶ」者が極めて少ないことは、とても残念なこと、と指摘。

 神は私たちのただ中におられるにもかかわらず、私たちは「自分にとってわずかしか役に立たない、自分を死から救うこともできない、仮定の存在」を追い求めるために、神を軽視している、と述べた。

 そして、神の子がなさったすべての約束は「誤りなく守られ」、信じる者たちが「神が抽象的な存在ではなく、現実の存在である」ことを絶対に忘れることの無いように、お求めになったのです、と説明。「回心」について話を進める中で、知性の”火花”が”輝く光”へつながっていく男女を「神を頑なに無視し、否定した後に、人生のある時点で、突如として、神の実在を示された人々だ、と述べた。

 さらに、神性が聖書に基礎を置いているにもかかわらず、それを一つの定義に押し込める誘惑を戒めたうえで、「私たちができるのは、『人が表面を撫でている』ことを認識することの微かなしるしを乗り越え、神の香りを発散し、拡散させ、『家に満ちさせる』ような、「神についての私たちの考え」で示された限界を打ち砕くこと」とした。

 「神性は、他のいかなるものとも全く異なるカテゴリーに属し、定義不能な、ただ暗示するもの-類推と対比を通してのみ語られるもの。神について私たちに語るために聖書が使用するイメージは、岩です」と語った。

 講話の締めくくりに、アッシジの聖フランシスコの人生で暗黒と落胆の時の一つ-「自分の修道士たちの稚拙な暮らしぶりによって彼が目にした周囲の逸脱」から生まれたもの-を思い起こし、「彼は、『神がここにおられる。それで十分だ』という確信によって力を取り戻したのです」と強調したうえで、こう呼びかけた。「この簡潔な言葉を繰り返すことを学びましょう。教会において、私たちの生活において、私たちがフランシスコと同じような状況に置かれたと思う時に。『神はここにおられる。それで十分だ』と」

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2018年12月8日

・アルジェリアの殉教者たち列福-「迫害は過去のものではない」と教皇

(2018.12.7 バチカン放送)

 「無原罪の聖マリア」を祝う8日、アルジェリアのオランにあるノートル・ダム・ド・サンタ・クルス巡礼聖堂で、1990年代半ばに殉教した19人の列福式行われるが、教皇フランシスコが7日、現地で列福式を主宰するアンジェロ・ベッチュ列聖省長官に書簡を送り、「迫害は過去の現実ではない。なぜなら今日も、現代の殉教者のように、私たちは、残忍な方法、あるいは誹謗や偽りによるより巧妙な方法によって、苦しめられているからです」と述べられた。

 また、イエスご自身が迫害され、いっさいの罪が無いにも関わらず、十字架上で残酷な死を遂げられたことを挙げられ、「『僕は主に優りはしない』と私が言った言葉を思い出しなさい。人々が私を迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう」(ヨハネ福音書15章20節)というイエスの言葉を示された。合わせて、教皇は他の宗教の人々やすべての善意の人々への兄弟的な挨拶を、ベッチゥ枢機卿に託された。

 列福される19人の殉教者は、アルジェリアにイスラム原理主義者らによるテロと政府軍対反政府軍との内戦の嵐が吹き荒れた1990年代、人々と共に国内に留まり、対話と平和的共存を証しするために、兄弟愛に基づく生き方を最後まで貫いた、次の人々(男子修道者13人、うち1人は司教、女子修道者6人)。

・アンリ・ヴァージェス修道士(マリスト教育修道士会)とポール・エレーヌ・サン・レイモン修道女(被昇天の小さき姉妹会)(1994.5.5殉教)・カリダ・アルバレス・マルティン修道女とエステル・パニアグア修道女(スペインのアゴスチノ宣教修道女会)(1994.10.23殉教)・ジャン・シェヴィラール神父、アラン・ディウランゲール神父、クリスチャン・ケッセウ神父、シャルル・デッカーズ神父(アフリカ宣教会)(1994.12.27殉教)・ビビアン・ルクレ修道女とアンジェル・マリ・リトルジョン修道女(使徒の聖母修道女会)(1995.9.3殉教)・オデット・プレヴォス修道女(聖心の小さき姉妹会)(1995.11.10殉教)・ポール・ファーヴル・ミヴィーユ修道士、リュック・ドーシエ修道士、クリストフ・ルブルトン神父、ミシェル・フルーリー修道士、ブリュノ・ルマルシャン神父、セレスタン・ランギール神父、クリスチャン・ド・シェルジェ神父(厳律シトー会)(1996.2.26拉致、1996.5.25 遺体発見)・ピエール・クラヴェリ司教(オラン司教・ドミニコ会)(1996.8.1殉教)

(編集「カトリック・あい」)

 

 

 

 

2018年12月8日

・教皇、来年2月にアラブ首長国連邦を訪問

(2018.12.6 バチカン放送)

 教皇フランシスコが、2019年2月、アブダビ(アラブ首長国連邦)を訪問されることが明らかになった。

  バチカン広報局によると、教皇はアブダビのムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン皇太子と、アラブ首長国連邦のカトリック教会の招きに応え、同首長国を訪問される。

 訪問は、来年2月3日から5日の3日間。同地で開催される「人類の友愛」をテーマにした国際諸宗教ミーティングに出席することを目的としている。

2018年12月7日

・教皇、カナダの二つの教区を一つに統合(VaticanNews)

(2018.12.3 VaticanNews)

 教皇フランシスコは3日、カナダ・オンタリオ州のハースト、ムーソネーの二つの教区を統合して「ハースト・ムーソネー教区」とし、オタワ教会管区に所属させることを決め、新教区の教区長に、現在、ハースト教区長でムーソネー教区管理者を務めるロバート・ブルゴン司教を任命した。

 新教区はオンタリオ州北部の大部分を管轄することになる。カナダ司教協議会によると、ムーソネー教区には14の小教区と修道会などの活動体があり、

 5人の司祭で3830人の信徒を司牧。ハースト教区には18の小教区と修道会などの活動体があり、21人の司祭、2人の終身助祭、3人の修道女で、20045人の信徒を司牧している。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 【解説】教皇フランシスコは今年5月にイタリア司教協議会の定例総会に出席された際、現在の世界の教会が抱える問題の中で、特に「召命の危機」「福音的な清貧」「教区間の再編成」などを指摘された。

 このうち、教区間の再編成については、司牧の要請と教区の機能向上に対応するために、人口や司祭数、施設の分布、運営の効率などを考慮した上で、「教区の合併など、管轄地区の再編成の可能性を探る」ように促されており、今回のカナダにおける教区統合もその具体的な動きとして注目される。

 なお、日本の教会は、中央協議会が今年7月に発表した2017年12月31日現在で、16教区、信徒数43万4054人、聖職者・修道者・神学生7019人で、この10年で信徒数は約1万人減少、聖職者等は約150人の減少。教区別の信徒数(カッコ内は聖職者等)が相対的に多いのは、東京95484人(1835人)、長崎60362人(880人)、横浜54815人(638人)、大阪48994人(802人)。

 一方で、信徒一万人以下の教区は、仙台9728人(221人)、鹿児島8813人(179人)、新潟7259人(105人)、那覇6104人(91人)、大分5701人(282人)で、最も少ない高松は4580人(101人)となっている。

 日本ではかつて、信徒に比べて教区が多すぎることなどから、一部に統合の動きがあったが、現在は、日本の教会全体で様々な問題を前向きに解決していく動きが薄れている中で、全く議論にもなっていないようだ。5月の教皇の発言、そして今回のカナダでの動きをきっかけに、関係者が、日本の教会再活性化の一環としての教区再編成に、せめて問題意識を持ってくれるように期待したい。

(「カトリック・あい」南條俊二)

2018年12月4日

・「性的虐待スキャンダルへの対応に連帯が必要」バチカンの女性次官補が訴え(VaticanNews)

(2018.11.30 VaticanNews Alessandro Gisotti – Vatican City)

 来年2月の児童保護の全世界司教協議会会長会議について、バチカンの信徒・家庭・いのちの部署の女性次官、ガブリエラ・ガンビーノ氏がインタビューに応じた。

  教皇フランシスコは8月20日付けの聖職者性的虐待スキャンダルに関する「神の民への手紙」で、「神の民の全ての人が積極的に参加しない限り、カトリック教会としての私たちの活動が変わることは考えることができません」と強調された。これが、2月の会議の準備委員会に関わるガブリエラ・ガンビーノ、リンダ・ジソーニの2人の同部署次官補の信念でもある。

 ガンビーノ次官補は、準備作業への考え方と同部署が弱者保護にどう貢献していくかについて、次のように語った。

・・・・・・・・・

問い:重要で開催の待たれている2月の会議に関する仕事に、どのように対応しようとされていますか?

答え:カトリック教会への深い奉仕、そして、真実、正義、善に対する愛から生まれる精神をもって、対応するつもりです。私たちの仕事は、個人のレベルと組織のレベルの両方で、世界のどの国においても、この問題と対策にまだ重きが置かれていない地域においても、虐待に対する価値観と原則が再建されるようにすること。この問題がデリケートで容易でないことに少々の恐れを抱いてこの仕事をお受けした、のが正直なところです。

 女性、一般信徒、そして母として、私たち皆が求められている共同責任と、私たちの子供が受けたかもしれない被害者の受けた恐怖を認めざるを得ません。私たちは皆、教会の内と外で、このようなことが起きるのを許してきた考え方、習慣、文化を大胆に変革するための条件をそろえるために、力を合わせる必要があります。

・・・・・・・・

問い:虐待スキャンダルに関する神の民への手紙の中で、教皇は一般信徒に対して、司教たちと教会を助けてくれるように求められました。2月の会議で強められるであろう、この旅への、一般信徒の具体的な貢献とは何でしょうか?

答え:虐待を好むような心理が、「理論上の、あるいは抽象的なもの」ではなく、「最も小さく、最も弱い者たちを害し、搾取する能力を持つ連中によって、具体的で、確認できる行為と態度によって明示されたもの」であることを、司教たちが理解するのを助けることです。

 私たちは、「一般信徒が被害者の立場に立って、重要な役割を果たすことのできる監督の仕組みと場」を作る時が来たことを、司教たちが理解するのを助けることができます。緊急に十分な介入が求められる危険な状況を認識するために、一般信徒を関与させる積極的な介入の規範を学ぶ可能性がある、とも考えています。

 国レベルでは、女性、児童、傷つけられやすい成人に対する虐待が、様々な形で、どのようになされるのかを、解明する必要があります。また、有能で、訓練された一般信徒-親や教育者として、日々、人間的な弱さと接している経験に基づいた貢献ができる人たち-が求められています。

・・・・・・・・

問い:そのようなことを、どのようにして、具体的な行動に移してしていけるでしょうか?

答え:共同責任と透明性の実現への熱意を行動に移すために、まず、聖職者も一般信徒も、皆が関与する必要があります。そうすることによってのみ、教会は、何よりも、重大な暴力行為を二度と起こさせないために、持てる資源の全てを効果的に活用することができるのです。

 一般信徒として、私たちは、子供たちが成長していく、学校、小教区、家庭など様々な教育の場の間の連携体制を作り上げねばなりません。そのような連携体制は現在は、存在せず、あるいは中身がなく、親として私たちは無力さを感じることがしばしばあります。小教区で、学校で、信徒の運動と集まりで、確実な予防を目的とした協力が行われるような連携体制を、私たちは再建する必要があります。

 教皇が「神の民への手紙」で私たちに思い起こさせたように、私たちは、カイン(注:アダムとイブの子。弟アベルを殺し、「弟はどこにいるのか」と主に聞かれて、「私は弟の番人でしょうか」とうそぶいた)ではない。恐れることなく、責任感をもって子供たちを守るために、私たち自身が互いに「保護者」にならねばなりません。

・・・・・・・・・

問い:虐待スキャンダルで、教会の信頼性を試されています。「裏切られた」と感じている多くの人々の信頼を取り戻すために、どこから手を付ける必要があると考えますか?

答え:先ほど申し上げたように、教会は、こうした犯罪を防止するとともに、虐待者を抑え、罰する具体的な手段を持つ必要があります。虐待の防止には、法的な措置を明確に定義する一方で、機構、文化、慣習を改める具体的な条件を整えようとする判断が必要です。その条件の一つは修道者と神学生の育成についての改革を実行すること。私個人の考えでは、例えば、貞潔で独身であるように彼らを養成する過程で、彼ら自身の性欲と感情のバランスに、これまでよりも大きな注意を払う必要があります。現実の問題は、実際のところ、私たちがどのようにして、自分の性欲を知覚し、理解するか、なのです。

・・・・・・・・・・

問い:教会の善行を具体的に示すことも重要でしょうか。

答え:そうですね。重要だと思います。教会での善行を思い浮かべたり、目の当たりにすることで、一般信徒の信頼を取り戻すことができるでしょう。善は存在しますし、たとえ人間の原罪が最悪であることを見せつけられても、神の愛である聖霊は、忍耐強く、キリストを同伴者である人間の側に立たせてくださいます。

 ですが、疑惑の風潮が蔓延し、キリストへの本物の愛を証明することが教会に求められているのも確かなことです。イエスは全てのものの中心であり、光。聖職者が、日々の生活と司祭の召命を通して明示すべき、具体的な存在です。カトリックの価値観に基づいた子供の育成を、小教区、祈りのセンター、カトリック校に任すことができるように、「善」を目の当たりにすることが、信徒たちには必要です。教会は、真理とキリストの愛をもった勇気ある牧者を必要としています。子供たちのために必要な、人、父親、教育者としてのお手本なのです。

・・・・・・・・・・

問い:バチカンの信徒・家庭・いのちの部署での責任ある立場の前に、母親として、「2月の会議」にどのようなことを希望しますか?

答え:虐待の問題を理解するために、知的で果断な熱意、教会内部の議論、事実と善に対する透明性が示されることを希望しています。事実を恐れる必要はありません。2月の会議で、虐待を防ぎ、止めさせるために、広く知られている法律的な見解を即座に活用できるようにすることが、望ましい。愛である教会が、正義と真実が出会うことのできる場となるように行動する時が来ているのです。教会は「愛する母」として、すべての子供たちの世話をするように、神から委託されています。犠牲となる恐れのある人を守るために、事前に情報を受けたり、関係者の間に入る条件や制度を整えることは、それが加害者に対することになるとしても、正義の行為であり、愛の行為でもあります。そうすることが、教会にとって、虐待の問題で失った信頼を回復させる道なのです。

 (以上・翻訳「カトリック・あい」南條俊二、田中典子)


 

2018年12月1日