「典礼文の翻訳権限はバチカンから司教たちに」と教皇、典礼秘跡省長官へ異例の書簡で確認(CRUX)

(2017.10.22 Crux Staff)

  教皇フランシスコが異例の措置として、バチカンの典礼秘跡省長官、ロバート・サラ枢機卿に書簡を送り、先月発出した自発教令「マニュム・プリンチピウム(重要な原則)」が「典礼書の翻訳に関する権限のバチカンから現地の司教協議会への重要な移行」を明確に意味すると伝えたことが22日、明らかにされた。教皇は、サラ枢機卿がいくつかのカトリックのニュース・サイトに、この自発教令に関する批判的な論評を載せたことも書簡で取り上げ、枢機卿に対して、この書簡の内容を同じニュース・サイトに送ること、世界のすべての司教協議会と典礼秘跡省の助言者たちにも転送することを指示した。

 枢機卿に対する書簡で教皇は「次のことを明確にするのは重要なことです。すなわち、典礼書の翻訳に当たって『ラテン語の原典に忠実であること』と『必要な変更』は典礼秘跡省に権限があるが、その一方で、自発教令が示した規範は、原典からの翻訳において様々な言葉の良さと一貫性を判断する能力を現地の司教協議会がもつことを、聖座との協議を前提として容認するものです」と言明。さらに、「関連文書の翻訳を進めるにあたって、典礼秘跡省が行う翻訳文を現地の司教協議会に強制してはなりません。なぜなら、それが教会法で認めた司教の権利を侵すからです」と翻訳における典礼秘跡省の関与の行き過ぎを強く戒めている。

   この自発教令は、典礼式文の翻訳​とその承認に関する規則を定める『カトリック新教会法典』838条を改訂するもので、具体的には、教会の祈祷文原文を各国語に翻訳する権限を事実上、バチカン、具体的には教皇庁の典礼秘跡省ではなく、現地の司教に大幅に委ねる、という内容になっている。これに対して、‶バチカン中心主義〟の保守派から、前々教皇の聖ヨハネ・パウロ二世、前教皇のベネディクト十六世の下で翻訳権限をバチカン、特に典礼秘跡省へ集中させことに反するもの、と抵抗する声も出ている。

  だが、1962年から1965年にかけて開かれた第二バチカン公会議の直後に、ミサと他の教会の典礼の翻訳について第一波が起こり、現地の司教協議会や同じ言語を使用する地域の司教協議会の連合体によって翻訳作業が行われ、翻訳文が認可されるという‶地方分権〟の動きが世界に広がった。1990年代初めに翻訳の第二波が起きたが、ラテン語原典に忠実に翻訳がされているか否かについて、世界のカトリック教会の祈りの一致ともからんで、問題にする声が高まり、ヨハネ・パウロ二世とベネディクト十六世が、バチカンに翻訳に関する権限を大幅に委ねる方向に舵を切った。

  今回の教皇フランシスコの自発教令について、評論家たちは、二人の教皇たちがとった方向は教会の一極集中を改めようとする第二バチカン公会議の理念に背くものであり、フランシスコはその理念を取り戻した、として歓迎している。

 教会典礼に従来から保守的な立場をとってきたサラ枢機卿は、複数のカトリックのサイトに掲載した論評で、自発教令の影響力は限られている、とし、その言葉の下においても、典礼書の翻訳についてのバチカンの承認は「決して形式的なものではなく、翻訳案の速やかな検討後に与えられる、ある種の承認だ」とし、「バチカンは翻訳作業に当初から関与することはないし、修正箇所を送り返すような古いやり方は廃止されたが、特定の用語や文章の翻訳については、承認の条件としてバチカンが責任を負っている、と主張した。

 教皇の枢機卿に対する書簡は10月15日付けで出され、自身の判断の意味について「どのような誤解も招かない」ことを希望する、として枢機卿の自発協定に関する論評に応えたもの。特に、教皇は枢機卿が二つの点について明確に認識するように求めている。

 第一に、教皇が強調したのは、現地の司教協議会による翻訳案をバチカンが厳しく見直すやり方は、完全に改められた、ということだ。

 これまで、現地の司教協議会はバチカンから承認を得ることを求められ、承認を得る前に詳細な点検を受け、いくつもの修正を求められる可能性があった。それが今回の自発教令によって、求められるのは「confirmatio 確認」を受けることだけで、一字一句、詳細に点検されることはない」ことになった。これに対してサラ枢機卿は自発教令に対する論評の中で、その「確認」もバチカンの実戦的役割を想定したもので、事実上、「recognitio 承認」と同じ意味だ、との判断を示していたが、教皇は「この二つの擁護には『厳格な相違』がある」と彼の解釈の誤りを厳しく指摘し、「 recognitioと confirmatio を『厳密に言って同義だ』とか、『聖座の責任の程度は(司教協議会と)取り替えられない』と言うことはできない」とサラ枢機卿あての書簡に書いている。

  第二に、教皇はまた、ヨハネ・パウロ二世の下で2001年に出された翻訳に関する指針Liturgiam Authenticam―多くの評論家はバチカン中央集権の極みと見ていたが―は、今回の自発教令によって、そのいくつかの条文は廃止され、十分な有効性をもたなくなった、という認識を明確に持つように、サラ枢機卿に求めた。「自発教令は、典礼書の翻訳が、2001年の指針にすべての点で従わねばならない、という立場を取らない」と書いている。

翻訳に求められる三つの「忠実さ」

 2001年の指針は(翻訳原案を)評価するにあたって重視すべきものとして「ラテン語原典に忠実であること」を強調していたが、教皇は「忠実であること」には三つの形がある、とし、「ラテン語原典に忠実であること」「文書が翻訳される言語に対して忠実であること(「カトリック・あい」注・キリストや使徒たちが本来伝えようとしていたメッセージが、現地語の表現で可能な限り正確に伝えられているか)」「翻訳の受け手となる会衆によって文書が理解されることに忠実であること(同注・キリストや使徒たちが本来伝えようとしていたメッセージが、ミサなどの典礼参加者に可能な限り正確に受け止められているか)」を挙げている。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

 

2017年10月23日

 ボンベイ大司教「快楽主義の文化と無神論的思考が、家庭を脅かしている」Amoris Laetitia司教会議で

(2017.10.17 Crux Contributor  Nirmala Carvalho)ムンバイ(インド)発―教皇フランシスコの家庭に関する使徒的勧告「Amoris Laetitia(愛の喜び)」に関するインドの司教たちの会議が13日から15日にかけてムンバイで開かれ、ムンバイ大司教のオズワルド・グラシアス枢機卿が講演、この勧告が、家庭が福音を率先して活かし、教会の福音宣教の主導的役割を果たすように求めるものであることを強調した。欧米の教会関係者の間で勧告の特定の箇所―離婚・再婚者に対する聖体拝領に前向きな姿勢を示した箇所―をめぐって大きな議論になっていることには触れず、勧告の内容について、関心の持たれた方が、国、地域によって大きく異なっていることを改めて印象付けた。

 グラシアス枢機卿は講演で「Amoris Laetitiaは、キリスト教徒の家族に対する、結婚と家庭と言う贈り物を大事にし、寛大で、忠実、忍耐強い愛のなかで保ち続けるように、との招きです」と強調。そして、米フィラデルフィアのチャールズ・チャプット大司教の「私たちはこれまで現状に安易な妥協をしてきた。現状を理解し、受け入れ、飢え渇きを感じた。その過程で私たちは、時代の『文化』を聖化するように派遣されたのに、逆に脱色され、飲み込まれてきた」という言葉を引用した。

 講演はインドの司教たちを対象としていたが、枢機卿はインド司教協議会の会長であるばかりでなく、アジア地域の司教協議会連盟の会長であり、教皇フランシスコが設けた9人の枢機卿による顧問団の一員でもあり、発言は全世界に向けたものだった。

 そこで枢機卿は、Amoris Laetitiaは現代世界との妥協を呼び掛ける文書ではなく、キリスト教徒の家庭に「キリストの愛と現存を喜んで受け入れ、四方に広め、世界に示す」ように呼びかける文書だ、としたうえで、「マスメディアの悪影響、快楽主義の文化、相対主義、物質主義、個人主義、世俗主義、無神論的な思考、そして道徳の行き過ぎた利己的な自由化によって、多くの家庭が今、文化的、イデオロギー的、社会的、そして精神的な危機の増大に直面している」と警告し、「別居や離婚を求める夫婦の増加、結婚の契約をせずに同棲する人々の増加によって、家庭生活が影響を受けている。片親の家庭も増えている。多くの家庭が、貧困と欠乏、基本的な保健医療と子弟教育も満足に受けることのできない状態にあり、そうした中で、女性たちは家庭と社会の中で差別と抑圧を受けるなど、最も深刻な影響を受けている」と世界の家庭の多くが置かれている現状を分析。実例として、インドにおける女性に対する尊厳の抹殺、持参金をめぐる殺人、堕胎の強制、人身売買などの虐待と暴力の連鎖的な増加を挙げた。

 さらに、インドの現状について、「ストリート・チルドレンたちは、彼らを生んだ親、兄弟姉妹、家庭から、主として経済的な困窮によって、助けを得られず、十分な食事や水も与えられていない。そして彼らの多くは性的、肉体的、精神的に親たちから虐待され、街頭で暮らすことで、児童労働や売春に引き込まれる危険にさらされている」と説明。

  発展途上の国々で起きていると考えられる様々な問題は明らかにはされるが、西側世界で公になされている議論のなかには的外れのものもある。このことは、枢機卿が、アジアを含めていたるところで起きている結婚の破たんと家族構造の変化のような問題を無視している、ということを示すものではないが、このような現象についての、同様の傾向のレンズを通した教皇の論評に彼は目を通していない。

 

 枢機卿は、Amoris Laetitiaの「これらすべての状況は、福音に即した結婚と家庭の実現に導くことのできるチャンスに変えるような建設的な反応を求めています。夫婦たちは歓迎され、忍耐強く、慎重に導かれる必要があります」という箇所を引用して、結婚生活が困難な状態にある人々に「感受性をもって耳を傾ける」必要が、教会にあります」と強調した。

 その一方で、家庭生活に現代のメディアが及ぼしている否定的な側面を指摘、「不貞、夫婦以外との性交、結婚の約束における道徳的、精神的理想の欠落が何の批判もなく書き立てられ、時として、離婚、避妊、堕胎、同性婚を積極的に支持するような論調をとる。こうした報道は共通善を害するもの」と批判し、特に今日の世俗的な社会において「私たちは、生の文化と死の文化のせめぎ合いに直面しています」と強調した。

 さらに枢機卿は「Amoris Laetitia は『人間の生命の価値が偉大であるがゆえに、母胎の中で成長する罪のない赤子の生きる権利を絶つことを、誰も正当化できない。同様に、教会は、強引な延命治療や安楽死でない、自然な死を迎える権利を強く主張します』と明確に述べている」とし、「人工受精、とくに胚芽を壊すような(受け入れがたい)やり方を認める最新の技術が提起する「深刻な倫理的問題」についても指摘した。

 そして、両親、養子を迎え、里子を世話する道を選んだ夫婦は「家庭の愛の力強いしるしと信仰を証しし、尊厳を奪われた人に息子や娘の尊厳を取り戻すチャンス」を創り出しているのです」と力説した。

 最後に枢機卿は、 Amoris Laetitiaはすべての家庭に、福音を率先して生きるように、教会の福音宣教の主導者となるように呼びかけている、として「家庭のどのメンバーも良き知らせを、居心地のいい自分の住まいから表に出て、外周まで及ぶように、ありとあらゆる場所で、熱心に、喜びを持って、皆に宣べ伝える必要があります。私たちはそれぞれの人の良心を、社会の良心を、神を渇き求める心を、生の文化への回帰に向けて、目覚めさせねばなりません」と訴えた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2017年10月18日

 教皇、再来年秋に南米汎アマゾン地域シノドスを開催(CRUX)

(2017.10.15 Crux Vatican Correspondent Inés San Martín)教皇フランシスコが15日、2019年10月に南米汎アマゾン地域シノドス(代表司教会議)を開催すると発表した。対象校はボリビア、ブラジル、コロンビア、エクアドル、仏領ガイアナ、ガイアナ、ペルー、ベネズエラ、スリナム。シノドスは通常、全世界規模で開かれるが、前々教皇の聖ヨハネ・パウロ二世は特定地域への関心を示す意思表示として地域シノドスを招集していた。教皇フランシスコによる招集は初めて。来年10月には、若者の司牧や召命について話し合う通常のシノドスが予定されており、地域シノドスはその一年後に開かれることになる。

 教皇は15日の日曜恒例の正午の祈りの終わりに、汎アマゾン地域シノドスについて「中南米司教協議会の何人かのメンバーから強い要請を受け、開催を決めました。会議は2019年10月、ローマで開きます」と語り、開催の目的は「この地域における新たな宣教のあり方を見出すこと」とし、特に、「見捨てられ、将来に展望を持てなくなっている原住民の人々」「地球の‶肺〟、酸素供給の役割を果たしているアマゾン流域の熱帯雨林」などへの対応を主要な課題とする意向を示した。

 汎アマゾン地域シノドス開催発表は、サンピエトロ広場で行われた新聖人35名の列聖ミサの後に行われ、会議の成功に聖人たちの取り次ぎを願った。35名の中には、1645年にブラジル、ナタルのオランダ系カルバン派によるカトリック教徒迫害で殺害された司祭、信徒、‶ナタルの殉教者〟30人が含まれている。

 (翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2017年10月16日

 バチカン裁判所、前国務長官宅改装で教皇後見の小児病院前理事長に有罪判決(CRUX)

(2017.10.14 Crux  バチカン裁判所は14日、教皇がスポンサーになっている小児病院の前理事長に、バチカンの前国務長官・タルチシオ・ベルトーネ枢機卿の私宅改装に同病院の運営基金から50万ドル相当の資金を違法に流用したとして、禁固一年、バチカン関係の機関への勤務の一時禁止、5000ドル超の罰金の執行猶予付き判決を下した。

 ローマの幼きイエズス病院の前理事長、ジュゼッペ・プロフィチはもともと横領罪で起訴されていたが、弁護側が合法的な支出だったと主張した結果、「職権乱用」罪に軽減された。

 これまでの公判で、プロフィチは「私宅の改装は、病院の資金援助を得るための行事に仕えるようにするためのものであり、行事によって得られる金額は改装にかかる費用を容易に上回るはず」と主張していた。彼と共に起訴された同病院の前財務責任者のマッシモ・スピナは、支出を認める権限がなかったとして、無罪とされた。

 注目すべきは、問題の私宅の居住者であるベルトーネ枢機卿の、彼の親友で、彼から改装工事を指名されたイタリア人ビジネスマン、ジアントニオ・バンデラが起訴を免れていた、という点だ。枢機卿は2013年に国務長官を退任した後、バチカン庭園の側、サンピエトロ大聖堂や教皇の宿舎を見晴るかす一等地に建つバチカン所有のマンション最上階、400平方メートルを私宅として使用を認められている。

 公判で、枢機卿が改装費を私費で賄うと約束したため、競争入札の手続きを経ず、親友を請負業者に指名したことが明らかにされた。枢機卿はバンデラの建設会社に自分のポケットから約30万ユーロ(35万5000ドル)を支払ったが、問題は、小児病院の運営基金から同社に対して、別に42万2000ユーロを支払われたことだった。結局、同社への支払総額は53万3000ユーロで、これには改装費のほか、屋根などの補修費も含まれているとされていた。

 14日の結審に際して、プロフィチの弁護士は、プロフィチが病院の運営資金を得るためのパーティーなどに枢機卿の私宅を仕えるようにするのが、改装費を運営基金から支出した動機であり、罪にはならない、と改めて主張した。プロフィチ本人は公判で、基金に資金が還元されたなかったのは、彼の後任の理事長が、枢機卿の私宅を活用しないように資金獲得の方法を変えたためだ、と説明していたが、検察側は、プロフィチの行為の動機を争うことをしなかった。

 肝心の枢機卿私宅の改装工事を請け負ったバンデラの建設会社は経営破たんし、42万2000ユーロは英国にあるバンデラの別会社に送金されたことも明らかになっているが、この問題についてバチカンの金融監督担当者は公判で、業務の機密保護を理由に詳細を明らかにすることを避けた。また同病院の前財務責任者のスピナは公判で、バンデラに資金を返すように求めたが、バンデラは経営破たんで資金がないことを理由に、返済を拒んでいる、としていた。

 スピナの弁護を担当した高名な故オッタビアーニ枢機卿の甥の息子に当たるアルフレッド・オッタビアーニは最終弁論で「スピナはこの事件の犠牲者」だと無罪を主張。また、ベルトーネ枢機卿はすでに83歳の高齢で、イタリアの男性の平均寿命に達しており、私宅の改装費に見合う利用期間は見込めない、とも主張した。

 検察側は論告求刑で、プロフィチの行為は「教皇がスポンサーになっている病院は、収益を目的とする企業ではなく、銀行に投資する企業のような投資をすることはできないから、公的資金の流用は違法なだけでなく、犯罪である」として、禁固3年、バチカンの公職に就くことの永久禁止を求刑していた。

 また、この裁判は、バチカンの検察官に、病院とバンデラの改装資金名目の資金のやり取りへのベルトーネ枢機卿の関与についての情報を与えた可能性があったが、枢機卿を罪に問う兆候はなく、バチカン関係者の大半もそうしたことはあり得なかった、と考えている。

The Associated Press also contributed to this report.)

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2017年10月16日

「死刑は福音に反する」と教皇、教会の教えを改訂へ(Tablet)

(2017.10.12 Tablet   Christopher Lamb)

 教皇フランシスコが、カトリック教会の教義を進化させる実例として、死刑は‶認められない‶とすることで「カトリック教会の教え」を改める考えを明らかにした。従来の教えでは一定の条件のもとに死刑を認めていたが、フランシスコが教皇に就任されて以来、死刑を否定してきた。そして11日のバチカンの新福音化推進評議会の総会での説話で、教皇は、カトリックの教義の公式な要約である「カトリック教会の教え」に死刑否定を含める意向を述べたものだ。

 バチカンのパウロ6世ホールでのこの総会は、前々教皇のヨハネ・パウロ2世が現行の1992年版「カトリック教会の教え」を公布して25周年を機に開かれたが、教皇は枢機卿、司教、司祭とカテキスタたちを前に「どのように重大な犯罪がなされたとしても、死刑は認められない、と(「教え」を)書き換える必要があります。なぜなら、死刑は人の不可侵権と尊厳を損なうものだからです」と強く訴えた。

 1992年版は死刑を限定的に刑罰として使うことを認めているが、教皇は、出席者に対して、死刑をもっと明確に禁止するための「十分で確実な」余地を見つけるように求めた。そして、キリスト教徒の理解が教皇が重視するこの分野で進化を遂げており、「信仰の預かりもの」は変わらないものではない、と強調。「神のみ言葉は、寄生虫から保護された古い毛布のように、苔玉の中に保存しておくことはできません」「いいえ、神のみ言葉は生き生きと実在するものであり、常に生きている、進歩し、成長するもの。人が止めることのできない預言の成就に向かって行くからです」と言明した。

 教皇は、昨春公布した使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」で離婚・再婚者に聖体拝領を認める姿勢を打ち出したことに、保守派の高位聖職者たちから強い批判を受け、中には、表現の修正を求める書簡を教皇に送ったり、レイモンド・バーク枢機卿のように、自分で「改訂版」を出す、と息まく者も出ている。彼らは、カトリックの教義は歴代の教皇が引き継いでいく、変えられないものであり、離婚・再婚に関する記述は変更できない、と主張している。

   こうした動きに対し、教皇はこの総会での説話で、伝統は‶生きている真実〟であることを強調し、「死刑に対する教会の立場は、最近の歴代教皇を通じて変わってきているが、決定的なのは、死刑が人間の尊厳を損なう、というキリスト教徒の新たな認識を通じての変化です」と述べた。

 カトリックでは、“sensus fidei”(信仰の感覚)―伝統的に、「教えを守る」と「教えをどのように進化させていけるか」の両方を意味する―を持つのが、普通の信者だ、と理解されている。こうした考え方は、現代世界に開かれた教会の青写真を描いた第二バチカン公会議(1962年~65年)で強調されたが、11日の教皇の説話は公会議が始まって55年目に当たっていた。

 教皇は説話の中で、先人の教皇ヨハネス23世が公会議を招集されたのは「過ちを断罪」するためではなく、福音の真理を伝える「新しい言葉」を見つけるためだった、とするとともに、単に「新しい言葉」を見つけるだけでは十分ではなく、「キリストの福音の斬新さを表現」する方法を見つけねばならない、と訴えられた。

 教会による真理の伝達について、教皇は「決して、教義の変更を意味せず」、教義の変更ではなく、「(時代に合った)新しい文脈の中でなされるようにする」ことが求められている、と強調し、「進歩しないまま教義を持ち続けることはできないし、聖霊を辱めずに教義を硬直的な読解に縛り付けておくこともできません」と言明された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher”   The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)

2017年10月15日

 教皇が聖マリア大聖堂で東方教会省創設100年記念のミサ

東方教会省創設100年を記念し、聖マリア大聖堂で教皇ミサ – AFP

(2017.10.12 バチカン放送)教皇フランシスコが12日、東方教会省創設100年を記念し、ローマ市内の聖マリア大聖堂でミサを捧げられた。

 教皇庁の東方教会省は、教皇ベネディクト15世が1917年5月に創設し、同年10月に教皇庁立東方研究所も作られていた。創設100年の機会に、教皇は10月12日午前、ローマ市内の同研究所を訪問し、近接する聖マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂)で東方教会省と東方研究所の創立100年を祝うミサを捧げられた。

 ミサ中の説教で、教皇は、100年前、ベネディクト15世が東方教会省と東方研究所を創設したのは、第一次世界大戦の最中だったことを思い起こされ、「今日も、局地・分散的とは言え、私たちは過去の大戦とは異なる世界的な大戦を体験しているとも言えます」として、迫害され、離散している東方教会のキリスト教信者たちの悲劇に目を向けられた。

 ただ、こうした中にあっても、「神は、苦しみ、虐げられ、『主よ、なぜですか?』と問う正しい者たちを心に留め、決して忘れることはありません」と強調し、「聖母マリアもまた、その人生の中で、いったい幾度「『なぜですか?』と問うことがあったでしょう。しかし、あらゆることを深く思いめぐらす聖母の心には、神の恵みが信仰と希望を輝かせていたのです」と語られた。

 さらに、「私たちが祈る時、そこには私たちに耳を傾けてくださる主への信頼と、扉を叩く信仰の勇気が必要です」とされ、「誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(ルカ福音書11章10節)というイエスの言葉を示されたたうえで、「人は祈りと共に神の扉をたたき、恵みを乞い、父なる神はその願いに応えるだけでなく、それ以上の方―聖霊―を与えてくださいます」とし、「この勇気ある祈りが、皆の教会への奉仕を促し、培うことができますように」と、東方教会省ならび東方研究所の関係者を励まされた。

(お断り:「カトリック・あい」がバチカンの公式発表文をもとに若干の翻訳手直しをしました)

2017年10月13日

 2018年「世界広報の日」テーマは「真理はあなたを自由にする。フェイクニュースと平和のジャーナリズム」

(2017.9.29  バチカン放送)2018年度のカトリック教会の「世界広報の日」のテーマが公表された。教皇フランシスコが選んだ、来年の「広報の日」のテーマは「真理はあなたを自由にする (ヨハネ8,32)。フェイクニュースと平和のジャーナリズム」。「世界広報の日」に向けての教皇メッセージは、伝統的に、ジャーナリストの保護者である聖フランシスコ・サレジオの日(1月24日)に発表される。

 カトリック教会の「世界広報の日」は、福音宣教の中でも特に新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネット、映画など、様々な広報機関・媒体を用いて行う宣教について、教会全体で考えることを目的としている。

 「広報の日」は、毎年、聖霊降臨前の日曜日に記念され、2018年は5月13日に当たる。日本の教会では、聖霊降臨の前々週の日曜日(復活節第6主日)に記念されるため、来年度は5月6日となる。

 

2017年9月30日

「日本の現実と離れることなく、司牧刷新を」福音宣教省長官、司牧訪問終える

福音宣教省長官フィローニ枢機卿、東京カテドラルでのミサで – RV

(2017.9.26 バチカン放送)教皇庁福音宣教省長官のフェルナンド・フィローニ枢機卿は23日から26日にかけて東京でミサや様々な集いに参加し、26日、10日間にわたる司牧訪問を終え、日本を後にした。

 17日から始まった日本司牧訪問で、フィローニ枢機卿は、到着した東京から、まず西日本へ。福岡、長崎に赴いた後、広島、大阪を訪れた。その後、同枢機卿は、東日本へと移動。仙台を基点に福島県内の被災地を訪問し、再び東京に戻った。

 枢機卿は、23日、日本カトリック学院・東京キャンパスを訪れ、神学生との出会いを持ち、枢機卿は講話の中で、日本における司祭召命の不足に言及。「これまで教会に奉仕してきた司祭たちの高齢化が進む一方で、それに対応するだけの召命の増加がないこと」を憂慮し、「発展した近代的な大都市で神学の勉強をするということは、この世と福音的価値の対照の中に身を置くこと」と述べたうえ、こうした状況においてこそ「司祭生活に伴う3つの預言的しるし―清貧・貞潔・従順―の意味をいかに理解し、それを生きるかが重要です」と強調した。

 これに続くミサでは、種を蒔く人のたとえ話(ルカ福音書 8章4-15節)をテーマに説教し、「種を蒔く人はイエス、地面は私たちの心、種は神の御言葉でですが、このたとえ話が特に焦点を当てているのは、種が蒔かれた地面の状態。すなわち私たちの心の状態がどうなのかが問われています」とし、「このたとえ話はまた、ミサのために働き手が必要な場所、人間が困難な状況に置かれている場所、罪や敵意によって神とその御言葉の受け入れが妨げられている場所など、世の中のことをも考えさせるものです」と指摘した。

 24日、東京カテドラル・関口教会の信徒会館で行われた司祭・修道者・信徒との集いで、枢機卿は、福者ユスト高山右近の生涯を回想し、「日本の現実と離れることなく、福音が日本人にとって何ら異質ではない」としたうえで、「社会の中に留まり、イエスのように迫害者を赦しながら、神の深い御心である赦しといつくしみを自らの態度で示した生き方」を振り返った。

 枢機卿は、日本各地を訪問する中で、「日本のキリスト教共同体の宣教に対する大きな可能性を確信」したと話し、「今日、そして将来、一般的な召命の危機や他の理由で、日本に来る宣教者は以前より多くはないかもしれません」と述べつつ、今後の宣教事業は「日本にいる人々、司祭・修道者・信徒・家庭・団体などの肩にかかっている」と語った。そして、「東京大司教区が司牧や文化・社会活動などを通して宣教において果たすべき責任」を説き、中でも「司牧的刷新、外に向かっていく宣教、キリストとの個人的出会いである福音宣教について、再び考え、それに取り組んで欲しい」と努力を求めた。

 また枢機卿は関口教会で、日本の司教団と共にミサを捧げ、説教の中で「ぶどう園の労働者」のたとえ話(マタイ福音書 20章1-16節)を取り上げ、ぶどう園の主人、すなわち神の特徴として、どの時間に雇った労働者にも、約束した正当な報酬を受け取ることだけを承諾させること、また、主人はどの時間にも常に労働者を探しに出かけて行き、「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と彼らに尋ねていることを指摘し、「なすべきことや人生の意味を知ら行くか分からない車を運転するようになってしまう人々」の姿を、私たちの現実の社会と重ね合わせた。

 そして「私たちの行くべき道とは何だろうか。その問いに対し、イエスは『私は道であり、真理であり、命である』(ヨハネ福音書14章 6節) と言っておられます」と強調し、教皇フランシスコがこのイエスの言葉について「道・真理・命」という通過すべき3つの扉と説いていることを紹介。「日本もまた福音を、キリストを、その真理を必要としているでしょうか」かと問いつつ、「神が今だけでなく、いつも、どの時間にも私たちを探しに訪ねて来てくださるように」と祈った。

 枢機卿は25日に日本の司教たちと会合を持ち、26日、日本司牧訪問を終えて帰国の途についた。(「カトリック・あい」編集)

2017年9月27日

 バチカンめぐる最近のスキャンダル二つについて考える(Crux)

(2017.9.24 Crux Editor John L. Allen Jr. ) 報道関係者は、悪いニュースだけを伝えようとする、としばしば非難される。それは若干の真実を含んでいる。彼らにとっての経験則は、スキャンダルや論争がらみのニュースは‶売れる”、好ましく感じられたり、希望を与えるようなニュースは‶売るのに苦労する〟というものだが、それはニュース対象の全体像を提供できないことの言い訳ではない。そして、報道関係者には、取材対象が通常は隠しておきたがるような冷厳な真実を明るみに出す重要な役割がある。カトリック教会が幼児性的虐待という世界中に広がった酷いスキャンダルから何か学んだとすれば、それは、悪いニュースに向き合うことを拒めば、事態はもっと悪くなる、ということだ。

 今、バチカンは、とても模範にできない二つの筋書きに直面している。一つは駐米教皇大使館勤務の司祭が児童ポルノ取締法違反の容疑をかけられている問題、もう一つは教皇がスポンサーになっている小児病院の前幹部たちに対する不適切な資金取り扱いをめぐる裁判の問題だ。これらについて理性的に考えるために若干の材料を提供したい。

バチカン外交官と幼児ポルノ

 9月15日、バチカンは短い文章の記者発表をした。内容は、ワシントンの教皇庁大使館の司祭・外交官が米政府から児童ポルノ取締法違反の容疑をかけられ、ローマに召喚された、教皇庁の控訴院は調査を始め、米政府に情報の提供を求めているが、調査は部外秘で進められる、というものだ。

 これを聞いて、報道関係者の中には、事実を覆い隠そうとする‶臭い〟を感じ取り、また、どうして問題司祭―後で、イタリア人のカルロ・アルベルト・カペラという実名が分かった―を米国の司直の手に委ねなかったのか、疑問を持つ者が出た。また、バチカンのニュース提供の仕方に批判的な動きもある。長くカトリック関係の評論を続けているイエズス会士のトム・リーズ神父は「21世紀に入って、これほど酷い新聞発表はなかった」と驚きを隠さなかった。問題の司祭の名前も、彼がどのような形でローマで拘禁されているのかも含めて、全く詳細を明らかにせず、‶部外秘‶で通そうとしたのだ。

 これを、2013年8月に駐ドミニカ共和国大使のジョゼフ・ウェソロウスキ大司教が未成年者と性的関係を持ったとして告訴された際の対応と比べるといい。当時のバチカンの広報官だったイエズス会士のフェデリコ・ロンバルディ神父は記者団に「大司教はバチカンの裁判所での審査に委ねられる」とし、仮にドミニカ共和国が問題の容疑で召喚を希望する場合は、国際的な取り決めに従う、と説明していた。これは、私たちは彼を隠すことはせず、進んで責任を取らせる、という明確なメッセージだった。

 最新の状況の下で起きていることを考える場合、三つの点が参考になる。

 第一に、カペラとウェソロウスキを比べようとするとき、比べられない面がある、ということだ。

 ウェソロウスキの問題が発覚した時、容疑が公けにされ、重大な犯罪がされたと信じる正当な根拠が存在した。カペラの場合は、バチカンが現時点までに知っているのは幼児ポルノ取締法違反の‶可能性‶がある、ということだ。広報官の発表時点で、米国の捜査当局は具体的な容疑の内容をまだバチカン側に渡しておらず、バチカンは米側の情報提供待ちの段階だ。バチカンの幹部が詳細を知らされないために、カペラの有罪に向けてボールを転がし始めるのをためらうのは理解できる。聖座に仕えるために海外に送られる外交官は、スキャンダルの臭いがしただけで、即、保身のための犠牲にされる―それが真実を突いていなくても―ということにもなるのだ。

 第二に、ウェソロウスキのケースは、表ざたにならないように隠す前に慎重に振る舞うべきだ、ということを示唆している。彼は2014年に公式に司祭職をはく奪され、2015年8月に死亡が確認された時点で刑事訴追が行われていた。カペラに厳しい容疑が掛けられれば、同じ運命をたどるだろう。

 第三に、率直に事実を公表すべきだという、リーズ神父の主張は、恐らく正しいだろう。

  現段階で、恐らく以下の三つが論点と言える。

・バチカンにはカペラに対する容疑がまだ具体的に見えていないので、具体的な公表をすることができないのは理解できる。

・バチカンは児童ポルノに関する犯罪を処罰する法律をもっており、責任あるポストの者が確かな証拠をもとに訴えられれば、その人物は容疑者として訴追されるだろう。

・さらに、カトリック教会のその問題に対する処理が終わった後で、他の国が自国の法律で問題の人物を訴追しようとした場合、バチカンはそれに協力する、と責任者がこれまでにも発言している。

  問題になっていることがすべて真実だとすれば、隠し通すことは至難の業だ。ここまで大っぴらに喧伝されては、人々が困惑するのもやむをえまい。

裁判、透明性、そして改革

  先週、バチカンで教皇フランシスコと前教皇ベネディクト16世の下で導入された金銭汚職取り締まり法による初の公判が始まった。召喚されたのは、教皇がスポンサーになっているローマの小児病院の運営基金・前事務局長プロフィティと前事務局次長スピナの二人。病院の運営基金から約50万ドルを、前教皇のもとで国務長官を務めたタルチシオ・ベルトーネ枢機卿が居住するバチカンのマンションの改装費に回した、というのが容疑だ。

  訴状では、改装工事を正規の入札をせずに受注して二重の請求書をバチカンに出し、後に経営破たんし、工事も完了しなかった建設会社のイタリア人社長、彼の不正受注に力を貸したイタリア人2人も被告とし、これまでに三人で構成する裁判官がプロフィティとスピナ、バチカン市国の関係職員の三人の尋問を行い、スピナの弁護側証人3人からも聴取をした。

  多くの理由で、この裁判に関連する全てがバチカンにとって重要な意味を持つ。それには、欧州評議会の不正資金洗浄規制機関(Moneyval)が12月に公表を予定するバチカンの金融取引の透明性に関する国際標準の順守状況についての暫定報告も含まれる。前回の報告では、二人の教皇の下で関連の諸法令が導入されたことを評価する一方で、金融犯罪に対する訴追など具体的な行動を期待する、としていた。従って、バチカンは今回の報告書で、健全で透明な取引で成果を上げているというお墨付きを、Moneyvalからもらう必要があるのだ。

  先週からの公判の内容をボクシングの試合の判定にたとえれば、恐らく、プロフィティはポイントを落とし、スピナは良い戦いをした、ということになるかもしれない。プロフィティは19日の陳述で、小児病院の運営基金は資金獲得のための事業を行うための場所に使う計画だった、使った以上の見返りを得ており、日常的な経営判断だ、などと述べ、ベルトーネ枢機卿のマンション改装に関する支出について‶何も見るべきものはない‶ということを示そうとした。

  だが、21日に裁判官は陳述には疑わしい部分がある、とし、もし陳述通りなら、どうしてプロフィティは基金理事会に諮らずに自身で決済したのか、と疑問を示した。22日には、バチカン市国の関係職員が、一件5万ユーロ以上の工事は競争入札にかけられるのが通常であり、問題になっていることすべてが「異例」であり「変則的」だと証言した。

  スピナは、自分はプロフィティの指示に従っただけ、と述べ、資金流用の責任を回避するのに成功したようだった。プロフィティ自身も同じことを言ったが、22日にバチカン銀行と聖座財産管理局から証人として出廷した幹部たちは、問題となっている2013年から2014年にかけての基金からの支出について判断権限があったのはプロフィティで、スピナにはなかった、と証言した。

  だが、以上のようなやり取り以上に重大なのは、「小児病院運営基金の流用疑惑の核心にいるベルトーネ枢機卿が責任を完全に逃れていて、この公判が欧州評議会が求める金融取引の透明性を確保できるのか、致命的な打撃にならないのか」という問題である。枢機卿は訴追を免れているばかりか、一度も事情聴取をされておらず、公判での証人にも指名されていないのはどうしてなのか?それを説明するのは至難の業だが、バチカンの事情通に問えば、次の3通りの返事が返ってくるだろう。

  一つ目は、これまでに、枢機卿で国務長官だった人物がまな板の上に乗ることは絶対になかったということだ。事態は少しづつ変わりつつある、と事情通は言うが、まだ慣例が破られるには至っていない。かすかな前触れが無ければならず、そうすれば慣例が破られるかもしれない。(形式的に言えば、ベルトーネ枢機卿のマンションの所有権は彼が使用していても、彼ではなく、バチカンにあり、改装の恩恵は彼だけではなく、彼のあとに使用する人物にも及ぶ、ということだ。)

  二つ目に事情通が指摘するのは、ベルトーネを公判の対象から除外することは、公判全体を焦点ボケにすることを意味しない、ということ。例えば、プロフィティが、この問題のただ一人の当事者でなかったとしても、彼が当事者であることに変わりはない。そればかりではない。バチカンが絡む金銭スキャンダルのほとんどは幹部聖職者と一般信徒のイタリア人金融関係者のつながりが関係している。金融関係者が訴追されるのを恐れて不正を避ければ、相手の聖職者が悪の道にはまる機会も少なくなる。

  そして三つ目は、これが‶氷山の一角‶に過ぎない、という見方だ。実際にはたくさんの告発や訴追が進行中であり、その中で、バチカン文化がどうやって変わっていくのか―一度に一歩だ。

  次回の審問は10月2日に予定されている。裁判が結審し、判決が出る段階で、バチカンの金融制度改革がどの段階にあるかが分かるだろう。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2017年9月25日

 フィローニ枢機卿、東日本大震災の被災地で祈る

福音宣教省長官フィローニ枢機卿、東日本大震災の被災地訪問、福島県富岡町で – RV

(2017.9.24 バチカン放送)教皇庁福音宣教省長官フェルナンド・フィローニ枢機卿は、9月22日、東日本大震災の被災地を訪問した。

 9月17日から始まったフィローニ枢機卿の日本司牧訪問は、後半に入り、視察と交流の場を西日本から東日本へと移した。

 22日、大阪から仙台に到着した枢機卿は、福島県へ向かい、南相馬市の小教区やカリタスの活動拠点を訪問。震災の傷跡を留める県内の諸地域をめぐりながら、復興の現状を見つめた。

 フィローニ枢機卿はこの訪問を通して、震災で亡くなったすべての方々と被災市民、支援と復興に取り組む人々のために祈った。

 夕刻、仙台教区のカテドラル、元寺小路教会でとり行われたミサの説教で、同枢機卿は「今回、被災地の訪問で、まだはっきりと残る震災の影響を目の当たりにして、いかに多くの人の命が犠牲になり、どれだけの家族が引き離され、熱心な努力で築いたものを失い、社会や宗教共同体が大きな変化を受けたかを思い、深い悲しみを新たにしました」と述べた。

 こうした現実を前に、「なぜ世界には悪が存在するのか。この悲しい現実をどう説明したらよいのか」と人は問うことになるが、「いつでもすべてのことに対して人間が解答できるわけではありません。神を信じる者にできる唯一賢明なことは祈りだけであり、こうして、ヨブのように神に自分をゆだねることです」と話した。

 使徒聖パウロは「コリントの信徒の手紙1」で、「キリストが悪の象徴である死のとげを取り去ったことを説いています。イエスはその死の神秘を通して、人を恐れさせる死のとげを取り去り、人間を恐れから解放したのです」と語った。

 また、「イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村をめぐって旅を続け」(ルカ8,1)病気の人たちを癒したことをフィローニ枢機卿は観想し、「イエスは人々に出会う時、彼らに近づき、話しかけ、その霊の力をもって人々を心身の病気を癒しましたが、これこそ、教会があらゆる場所で、あらゆる機会にすべきことなのです」と教会関係者や信者たちの宣教精神を励ました。

 さらに、「ここ仙台で人々と出会い、寄り添い、希望と信頼、連帯と善の言葉を語り、苦しみの中にも、皆を心にかけ愛してくださる御父がおられ、イエスにおいて神はすべての困難を分かち合われることを伝えたかった」と話し、仙台教区と地域のすべての人々を聖母の保護に託すと共に、震災のすべての犠牲者と遺族の方々にキリストが慰めと勇気を与えてくださるよう祈った。

2017年9月25日

 保守派の神学者たち「異端を広げている」と教皇を批判(AP/CRUX)、

(2017.9.24 Associated Press  Crux Staff also contributed to this report) 超保守派の司教1人を含む聖職者、神学者や学者たち62人が23日までに、教皇フランシスコが昨春公布した使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」と離婚して再婚した信徒に聖体拝領への道を開いた勧告の内容を‶異端〟と決めつける文書に署名したことが明らかになった。

  教皇フランシスコ宛の25ページに及ぶこの文書は先月発出され、23日に米通信社The Associated Pressに届けられた。それによると、教皇フランシスコは使徒的勧告とその後の振る舞い、言葉、怠りによって、結婚、道徳的な生活、秘跡に関して7か所にわたって異端的立場を広めている、といい、「このような教皇に対する‶神の子としての義務による修正〟は、ヨハネス22世の1333年以来なかった」と‶自賛〟している。

 このような教皇の使徒的勧告などに対する批判は昨年、保守派の枢機卿4人が同種の問題を指摘する書簡を教皇に送り、答えがなかったとして公開して物議をかもしたのに続くものだ。バチカンの報道官は23日夜まで、この文書についてコメントを出していない。

 署名者の中には枢機卿など最高位の聖職者は入っておらず、その主張に法的な根拠はない。署名した司教は超保守のピオ十世会の代表だけで、古いラテン語のミサを信奉者としてよく知られた顔ぶれが目立ち、その他には通称「バチカン銀行」の前総裁、教皇立ラテラノ大学の前哲学部長など。文書は「誤解をただすために人々に教会の教えを説明するのは、神学者や哲学者の仕事だ」と署名者たちのスポークスマンは語っている。

 彼らが主として問題にしている勧告の「離婚して再婚した信徒に聖体拝領の道を開いた」という箇所は、実際には、勧告の脚注で「司教たち、司祭たちは、そうした信徒たちに寄り添い、霊的な識別をしたうえで、ケース・バイ・ケースで、聖体拝領を可能にする」とこれまで聖体拝領から排除されてきた信徒たちに、彼らの回心の気持ちを十分に確かめたうえで、認める、という教皇がかねてから主張する慈しみと思いやりの心からの判断によるものだ。決して無条件に認めるようなものではない。

 (翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

 

 

 

2017年9月24日

 「平和を築く人として生きる」とはどういうことか‐フィローニ枢機卿、日本の教会に問う

(福岡) 18日、福岡では、日本カトリック神学院・福岡キャンパスで行われた神学生との出会いで、長官は、日本の未来の福音宣教を担う学生たちとの出会いを喜びながら、「なぜ日本に福音を告げる必要があるのかを考え、仮の常態を好む文化に抗して、神に結ばれた真の永遠の愛を証しするように」と励ました。

 また、神学院で行われたミサで「神はキリストの御心に従い、イエスを告げ、神と受肉されたその御子から来る救いを叫ぶ人々と司祭たちを必要としている」と語り、「数字から見て小さい日本の教会は、決して一人ではなく、大きなカトリック教会の家族の一員。信仰が隔たりを超えさせ、祈りが人々を近づけることを忘れないように」と願った。

(長崎) 長崎では、司祭・修道者・信者らとの集いを持った。対話に先立ち、キリストがよく知られていない世界で『キリスト者』であるとはどういうことかを、福者・高山右近のまれに見る生き方を例に引きながら考察し、「日本でなぜキリストを告げるのか、福音宣教の情熱をもってキリスト教徒でない人々への宣教に改めて取り組むべき」などと講話をした。

 夕方、小神学校で生徒や志願者らとの出会いがあり、「召命は主と手を取り合いながら歩んでいく道であり、自分の能力ではなく、主の御摂理に信頼することが大切です」と語りかけた。

 続いて、カテドラルで行われたミサで、聖フランシスコ・ザビエルがもたらした最初の福音から、多くの宣教者たちの尽力と献身によって伝えられていった日本のキリスト教の歴史を取り上げ、「日本にもたらされたその福音が、今日、相対主義の危険にさらされています」と述べ、「キリストを単なる博愛主義者と見なしたり、教会のミッションを国際的人道支援組織のように見たりする傾向」に注意を促したうえで、「福音宣教とは、死と罪の束縛を解く力を持ち、神の真の御顔を啓示した復活の主を告げることなのです」と強調した。

(広島)長官はこの日の後、20日に広島で世界平和記念聖堂の訪問、司祭・修道者・信者らとの集いとミサ、21日には大阪で司教、司祭・修道者・信者たちとの集いとミサ、22日には仙台へ飛び、東日本大震災の被災地を訪問、ミサ。23日に東京に戻って、四谷イグナチオ教会でイエズス会士の叙階式に出席、翌24日には午後に司祭・修道者・信者らとの集い、カテドラルで日本の司教団と共にミサ。25日には、講演や司教らとの会談をした後、26日に離日する予定だ。

  20日午前、九州・沖縄地方の教区からなる長崎教会管区の司教らとの出会いの後、フィローニ枢機卿は広島に移動した。広島で、同枢機卿は平和記念公園を訪問。原爆死没者慰霊碑の前で深い祈りを捧げた。また平和記念資料館を見学し、関係者の説明に耳を傾けた。

 広島で司祭・修道者・信者らと交流したフィローニ枢機卿は、集いの席で、「平和を築く人として生きる」とはどういうことかを考察。「キリスト教的な観点から見る平和はただ単に暴力や戦争がない状態を言うのではない」と述べ、真の平和を構築するための3つの柱として、赦し、真理、正義を挙げた。

 世界平和記念聖堂で行われたミサで枢機卿は、広島教区の日本と世界に正義と平和を推進する役割を強調。原爆の悲劇の記憶にも関わらず、世界の各地で大量破壊兵器が生産され、中東、アジア、アフリカなどで紛争が続いている現状を見つめつつ、正義と真理、平和のために、主が人々の心と考えを照らしてくださるよう祈った。

(大阪) 21日、フィローニ枢機卿は大阪へ。ここで枢機卿は、大阪大司教区に広島・高松・京都・名古屋の各教区を合わせた大阪教会管区の司教らと出合った。

 大阪カテドラルで行われた司祭・修道者・信者らとの集いで、フィローニ枢機卿は「今日の困難な状況の中でなお、日本で福音宣教を語ることは可能でしょうか」と問いかけた。日本はいまだ宣教国であることを指摘しながら、宣教の障害となる日本特有の社会環境に言及。倫理的・霊的貧しさほど大きな貧しさはない、と説く枢機卿は、人々に福音をもたらすことは最高の奉仕であると語った。

 聖マタイ使徒福音記者を記念したこの日、同枢機卿はカテドラルで司式したミサの説教で、イエスによるマタイの召し出しのエピソードと取り上げた。召し出しにおいて常に最初にある神からの働きかけに注目すると共に、「わたしに従いなさい」という召し出しの意味を考えるよう招いた。

(仙台)フィローニ枢機卿は、22日、仙台へ向かい、東日本大震災の被災地を訪問した。

 23日から26日まで、同枢機卿は、東京で教会関係者らとの交流を続ける。

2017年9月22日

「神学理論が分かっていない」保守派の前教理省長官が教皇批判(Tablet)

(2017.9.20  Tablet  Christopher Lamb , Christa Pongratz-Lippitt)

  6月に教理省長官を解任されたゲルハルト・ミュラー枢機卿が、教皇フランシスコには神学的な厳格さが欠けていると批判、バチカンでの業務への復帰の用意があることを示唆した。

 この発言は、15日にドイツのマンハイムで行われた自身の著作 ‘The Pope – Mission and Task’ を出版記念会での講演の中でなされたもので、枢機卿は、15世紀から16世紀初頭にかけて生きたイエズス会出身のドイツのベラーマイン枢機卿が、時の教皇に対して「私は神学の何たるかを理解していません」と告白したことを引き合いに出し、「ベラーマイン枢機卿はバチカンの要職から三度解任された」とし、(それにならって)自分もバチカンに戻る可能性があると考えている、と述べたうえ、大歓迎で迎え入れられるという期待を語った。

 現在69歳の枢機卿はバチカンの要職の事実上の定年である75歳まで、まだ6年の‶余裕〟がある。レーゲンスブルグの司教に任命される前にミュンヘン大学で教義学の講座を担当していた神学の権威であり、前の教皇ベネディクト16世によって2012年に教理省長官に任命された。もとは解放の神学の支持者でペルーの貧民街で夏を過ごしたこともあったが、教皇フランシスコが昨年3月に出した使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」に対する解釈で、教皇と対立した。具体的には、勧告が「離婚して再婚したカトリック教徒に聖体拝領を認める道を開いた」ことに、司教たちの間に公に異議を唱える動きが出、その‶リーダー〟の一人だったミュラー枢機卿は、勧告の内容に統一的な解釈が必要、と主張している。

 枢機卿はマンハイムでの講演で、「ヨーロッパでは、神学者たちが『信仰』とか『慈しみ』というような用語を使用する場合には、正確な協議資料を速やかに用意する。我々が慣れ親しんだやり方が、ラテン・アメリカには存在しない。彼らは我々よりも直感的だ」と語り、神学に対するラテン・アメリカの教会の受け止め方を批判することで、アルゼンチン出身の教皇とラ米出身の彼の神学顧問を‶薄いベール〟をかけながら批判した。

  そして、「彼らは、それが全体の一部だと考えずに資料をみる。我々はこのようなやり方に対して何がしかの敬意を払い、受け入れねばならない。だが、私はそれでもなお、文書を教えることに関しては、明確な神学的な準備がされることを望みたい」と述べ、「神学は現在の教皇の下で 不当な扱いを受けており、国務長官がバチカンにおける最重要のポストになっている」と非難、彼が長官を務めていた教理省が本来は国務省よりも高い地位にあるとの考えをほのめかした。さらに、「今や外交と権力が優先されている。それは修正すべき誤った戦略的動きだ」「教会が権力を求める時にはいつも誤った方向に行ってしまう。イエス・キリストへの信心が中心に置かれるべきであり、教皇は『救済の奉仕者』であるべきだ」と強調した。

 この出版記念会では、枢機卿の講演の後、プロテスタントの学者の司会で長時間の討論があり、前教皇ベネディクト16世の下で長く私設秘書を務め、現在は教皇フランシスコの公邸管理部長を務めているゲオルグ・ガンズワイン大司教も参加した。

 ミュラー枢機卿はまた、講演の中で、自分は今後もローマに留まり、司牧と学術研究の仕事を続けると述べ、そのかたわら、定期的にドイツに帰ることを考えているということだ。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher”   The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)

2017年9月21日

 教皇庁とイエズス会が広報で協定ー教皇が進める広報組織改革の一環

(2017.9.21 バチカン放送)教皇庁広報事務局とイエズス会が21日、バチカンの広報について協力協定を結んだ。

 教皇庁広報事務局のダリオ・エドアルド・ビガノ事務局長は、この協定が、第2バチカン公会議時代にバチカン放送局の総局長を務めたアントニオ・ステファニッツィ神父(イエズス会士)の100歳の誕生日から数日後に締結されたことを強調し、「公会議という教会にとって重要な出来事を、ラテン語や神学になじみのない人々に伝える使命を果たすため、ステファニッツィ神父は、視聴者、情報を受け取る側の立場を第一にしたコミュニケーションのモデルとすることを目指していたのです」と説明。こうした広報のあり方は、教皇フランシスコが望まれるバチカンの広報組織改革の中心をなすもの、と指摘した。

 そして事務局長は、公会議の内側と外側で二重の解釈がされることなく、人々が公会議の議場で行われたことについて正しい情報を得る必要に応えたステファニッツィ神父の業績に触れつつ、「このような正確な情報伝達の必要性は前教皇ベネディクト16世と教皇フランシスコもたびたび指摘してきたこと」と語った。さらに、この協定により、イエズス会は、広報の世界における使徒的活動として、バチカンの広報への奉仕に応えることになり、バチカンのメディア改革の一環としての新しい形の協力に、教皇フランシスコが感謝と満足を示されていることを説明した。

 また、イエズス会を代表として協定に署名したホアン・アントニオ・ゲレーロ・アルヴェス神父も「時代は移り変わる。教会の要請に応える形で、教会に奉仕することは、イエズス会の召命の一部。教皇の望む改革に寄与する広報分野での協力をうれしく思います」と喜びを表明した。

2017年9月21日

 若者シノドス準備の「世界の若者が置かれた状況に関する国際セミナー」開かれる

(2017.9.19 バチカン広報・報道機関向け発表)来年10月に予定される「若者、信仰、召命の識別」をテーマにしたシノドス(全世界司教会議)の準備の一環として、9月11日から15日にかけて、ローマで「世界の若者たちが置かれた状況についての国際セミナー」が開かれた。

 セミナーには欧州、米国、アジア、アフリカ、オセアニアから若者21人、カトリック系大学の専門家17人、他大学の専門家15人、若者の召命担当者20人、教皇庁の担当者9人など82人が出席し、テーマに関心のある若者を含む50人も傍聴者として参加した。

 若者と自立、若者と異質性、若者と企画立案、若者と技術、若者と超絶性などが具体的な課題となり、午前中のセッションは聖書をもとにした黙想に始まって、幅広い討論の後、イタリア語、英語、フランス語、スペイン語をそれぞれ話すグループに分かれて議論を続けた。

 初日11日は、ロレンゾ・バルディッセーリ枢機卿の開会あいさつ、聖書をもとにした黙想に始まり、5人の若者が、自分たちが置かれている戦乱の現状、価値観の回復、直面する日々の課題、約束と決断などのテーマで基調報告をし、最後に二人の専門家が研究事業について紹介した。12日は、自立の問題が取り上げられ、「自立を求める若い男女」「若者の自立を育てる場」というテーマで専門家二人が報告。さらにこれに関連して、完全な自立を育てるための教育の重要性なども話し合われた。

 13日は専門家による「若い人々と仕事」「若い人々と移住」というテーマの基調報告を受けた議論で、多くの若者が自分の国を出るのは、内戦から逃れるためだけでなく、よりよい未来を得たいとの思いもあり、それらが重なっている、という意見も出された。午後には、「若い人々の社会とのかかわり」「若い人々と政治とのかかわり」のテーマで専門家の基調報告があり、政治の世界に対する不信から、若者たちが連帯を求めて社会とのつながりを求める傾向にある、などが指摘された。また「若い人々と技術進歩の将来シナリオ」「若い人々と技術進歩の人類学的側面」が報告され、とくにニューメディアの急速な普及の中で、新たな可能性が開かれ、宣教活動にも新たな手法が提起される一方、人類学面、倫理面、人間関係面などで複雑な問題が起きていることが指摘された。

 15日は「若い人々、聖なるものと信仰」「若い人々と教会」をテーマにした基調報告があり、若者たちがどのような形で霊的な体験をしているかなどが、若者たちから語られた。午後は、これまでの四つの言語に別れた分科会の議論の内容の報告がされたあと、セミナーの総括に移り、来週に予定される若者シノドスの概要の説明が教皇庁の担当者からあり、若者たちが制作した「私たちは家族。互いの話に耳を傾け、ともに成長していこう」と題するビデオが上映。教会の中に家、家族、共同体を見出し、それによって人生の選択をし、共通善に寄与することができるという若者たちの熱意が示された。専門家たちからは、より良い世界を作ろうとする若者たちの要請に応える教会の姿勢とともに、若い世代とともに歩む前提と条件を整える必要を強調した。最後にバルディッセーリ枢機卿の感謝の挨拶で締めくくった。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2017年9月20日