「平和を築く人として生きる」とはどういうことか‐フィローニ枢機卿、日本の教会に問う

(福岡) 18日、福岡では、日本カトリック神学院・福岡キャンパスで行われた神学生との出会いで、長官は、日本の未来の福音宣教を担う学生たちとの出会いを喜びながら、「なぜ日本に福音を告げる必要があるのかを考え、仮の常態を好む文化に抗して、神に結ばれた真の永遠の愛を証しするように」と励ました。

 また、神学院で行われたミサで「神はキリストの御心に従い、イエスを告げ、神と受肉されたその御子から来る救いを叫ぶ人々と司祭たちを必要としている」と語り、「数字から見て小さい日本の教会は、決して一人ではなく、大きなカトリック教会の家族の一員。信仰が隔たりを超えさせ、祈りが人々を近づけることを忘れないように」と願った。

(長崎) 長崎では、司祭・修道者・信者らとの集いを持った。対話に先立ち、キリストがよく知られていない世界で『キリスト者』であるとはどういうことかを、福者・高山右近のまれに見る生き方を例に引きながら考察し、「日本でなぜキリストを告げるのか、福音宣教の情熱をもってキリスト教徒でない人々への宣教に改めて取り組むべき」などと講話をした。

 夕方、小神学校で生徒や志願者らとの出会いがあり、「召命は主と手を取り合いながら歩んでいく道であり、自分の能力ではなく、主の御摂理に信頼することが大切です」と語りかけた。

 続いて、カテドラルで行われたミサで、聖フランシスコ・ザビエルがもたらした最初の福音から、多くの宣教者たちの尽力と献身によって伝えられていった日本のキリスト教の歴史を取り上げ、「日本にもたらされたその福音が、今日、相対主義の危険にさらされています」と述べ、「キリストを単なる博愛主義者と見なしたり、教会のミッションを国際的人道支援組織のように見たりする傾向」に注意を促したうえで、「福音宣教とは、死と罪の束縛を解く力を持ち、神の真の御顔を啓示した復活の主を告げることなのです」と強調した。

(広島)長官はこの日の後、20日に広島で世界平和記念聖堂の訪問、司祭・修道者・信者らとの集いとミサ、21日には大阪で司教、司祭・修道者・信者たちとの集いとミサ、22日には仙台へ飛び、東日本大震災の被災地を訪問、ミサ。23日に東京に戻って、四谷イグナチオ教会でイエズス会士の叙階式に出席、翌24日には午後に司祭・修道者・信者らとの集い、カテドラルで日本の司教団と共にミサ。25日には、講演や司教らとの会談をした後、26日に離日する予定だ。

  20日午前、九州・沖縄地方の教区からなる長崎教会管区の司教らとの出会いの後、フィローニ枢機卿は広島に移動した。広島で、同枢機卿は平和記念公園を訪問。原爆死没者慰霊碑の前で深い祈りを捧げた。また平和記念資料館を見学し、関係者の説明に耳を傾けた。

 広島で司祭・修道者・信者らと交流したフィローニ枢機卿は、集いの席で、「平和を築く人として生きる」とはどういうことかを考察。「キリスト教的な観点から見る平和はただ単に暴力や戦争がない状態を言うのではない」と述べ、真の平和を構築するための3つの柱として、赦し、真理、正義を挙げた。

 世界平和記念聖堂で行われたミサで枢機卿は、広島教区の日本と世界に正義と平和を推進する役割を強調。原爆の悲劇の記憶にも関わらず、世界の各地で大量破壊兵器が生産され、中東、アジア、アフリカなどで紛争が続いている現状を見つめつつ、正義と真理、平和のために、主が人々の心と考えを照らしてくださるよう祈った。

(大阪) 21日、フィローニ枢機卿は大阪へ。ここで枢機卿は、大阪大司教区に広島・高松・京都・名古屋の各教区を合わせた大阪教会管区の司教らと出合った。

 大阪カテドラルで行われた司祭・修道者・信者らとの集いで、フィローニ枢機卿は「今日の困難な状況の中でなお、日本で福音宣教を語ることは可能でしょうか」と問いかけた。日本はいまだ宣教国であることを指摘しながら、宣教の障害となる日本特有の社会環境に言及。倫理的・霊的貧しさほど大きな貧しさはない、と説く枢機卿は、人々に福音をもたらすことは最高の奉仕であると語った。

 聖マタイ使徒福音記者を記念したこの日、同枢機卿はカテドラルで司式したミサの説教で、イエスによるマタイの召し出しのエピソードと取り上げた。召し出しにおいて常に最初にある神からの働きかけに注目すると共に、「わたしに従いなさい」という召し出しの意味を考えるよう招いた。

(仙台)フィローニ枢機卿は、22日、仙台へ向かい、東日本大震災の被災地を訪問した。

 23日から26日まで、同枢機卿は、東京で教会関係者らとの交流を続ける。

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2017年9月22日