「死刑は福音に反する」と教皇、教会の教えを改訂へ(Tablet)

(2017.10.12 Tablet   Christopher Lamb)

 教皇フランシスコが、カトリック教会の教義を進化させる実例として、死刑は‶認められない‶とすることで「カトリック教会の教え」を改める考えを明らかにした。従来の教えでは一定の条件のもとに死刑を認めていたが、フランシスコが教皇に就任されて以来、死刑を否定してきた。そして11日のバチカンの新福音化推進評議会の総会での説話で、教皇は、カトリックの教義の公式な要約である「カトリック教会の教え」に死刑否定を含める意向を述べたものだ。

 バチカンのパウロ6世ホールでのこの総会は、前々教皇のヨハネ・パウロ2世が現行の1992年版「カトリック教会の教え」を公布して25周年を機に開かれたが、教皇は枢機卿、司教、司祭とカテキスタたちを前に「どのように重大な犯罪がなされたとしても、死刑は認められない、と(「教え」を)書き換える必要があります。なぜなら、死刑は人の不可侵権と尊厳を損なうものだからです」と強く訴えた。

 1992年版は死刑を限定的に刑罰として使うことを認めているが、教皇は、出席者に対して、死刑をもっと明確に禁止するための「十分で確実な」余地を見つけるように求めた。そして、キリスト教徒の理解が教皇が重視するこの分野で進化を遂げており、「信仰の預かりもの」は変わらないものではない、と強調。「神のみ言葉は、寄生虫から保護された古い毛布のように、苔玉の中に保存しておくことはできません」「いいえ、神のみ言葉は生き生きと実在するものであり、常に生きている、進歩し、成長するもの。人が止めることのできない預言の成就に向かって行くからです」と言明した。

 教皇は、昨春公布した使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」で離婚・再婚者に聖体拝領を認める姿勢を打ち出したことに、保守派の高位聖職者たちから強い批判を受け、中には、表現の修正を求める書簡を教皇に送ったり、レイモンド・バーク枢機卿のように、自分で「改訂版」を出す、と息まく者も出ている。彼らは、カトリックの教義は歴代の教皇が引き継いでいく、変えられないものであり、離婚・再婚に関する記述は変更できない、と主張している。

   こうした動きに対し、教皇はこの総会での説話で、伝統は‶生きている真実〟であることを強調し、「死刑に対する教会の立場は、最近の歴代教皇を通じて変わってきているが、決定的なのは、死刑が人間の尊厳を損なう、というキリスト教徒の新たな認識を通じての変化です」と述べた。

 カトリックでは、“sensus fidei”(信仰の感覚)―伝統的に、「教えを守る」と「教えをどのように進化させていけるか」の両方を意味する―を持つのが、普通の信者だ、と理解されている。こうした考え方は、現代世界に開かれた教会の青写真を描いた第二バチカン公会議(1962年~65年)で強調されたが、11日の教皇の説話は公会議が始まって55年目に当たっていた。

 教皇は説話の中で、先人の教皇ヨハネス23世が公会議を招集されたのは「過ちを断罪」するためではなく、福音の真理を伝える「新しい言葉」を見つけるためだった、とするとともに、単に「新しい言葉」を見つけるだけでは十分ではなく、「キリストの福音の斬新さを表現」する方法を見つけねばならない、と訴えられた。

 教会による真理の伝達について、教皇は「決して、教義の変更を意味せず」、教義の変更ではなく、「(時代に合った)新しい文脈の中でなされるようにする」ことが求められている、と強調し、「進歩しないまま教義を持ち続けることはできないし、聖霊を辱めずに教義を硬直的な読解に縛り付けておくこともできません」と言明された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher”   The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)

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2017年10月15日