☩「教会共同体の中に復活された方を捜し求めよ」復活節第二主日の正午Regina Coeliの祈りで

(2023.4.16 Vatican News   Christopher Wells)

 教皇フランシスコは16日、復活節第二主日「聖なる慈しみの日」の正午のRegina Coeliの祈りの説教で、「復活されたイエスを見つけるために、教会の中にとどまる必要がある」とされたうえで、「神の憐れみから誰も排除せず、人生で傷ついたすべての人を迎え入れるように」と信徒たちに求められた。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれた福音(ヨハネ福音書20章24‐29節)で、復活されたイエスが弟子たちに出現された時に、弟子のひとりのトマスが居合わせず、「イエスの釘跡に指を、脇腹に手を入れなければ信じない」と復活を疑った箇所を取り上げ、「イエスが復活されたことを信じるのに困難を感じたのは、彼だけではありませんでした」とされた。

 イエスが出現された時、「他の弟子たちは、自分たちのいる家の戸に鍵をかけ、上の部屋に閉じこもっていましたが、トマスは彼らと違って、勇気を奮い、誰かに見とがめられ、通報されたり、逮捕されたりする危険を冒して、外に出ていたのです」。それで、「他の弟子たちから『私たちは主を見た』と言われると、『イエスの体の傷を見、触れることができない限り、あなたがたの言うことを信じられない』と答えたのです」と指摘。

  そして、「トマスは、『傷に触れる』という、どんでもない”しるし”を求め、 イエスはそれにお応えになりますが、教会共同体においては、どの信徒の前にも、”ごく普通のなさり方”でおいでになるのです」とされ、「イエスは教会共同体で、ご自分であることを知らせ、それは、共同体の面前で、弟子たちにご自分の傷をお見せになる、ということ、それはご自分の愛の証し、慈しみの絶え間ない流れ、なのです」と語られた。

 続けて教皇は、「私たちはトマスのように、復活された方を、華々しい、あるいは驚くような宗教的な、感動的あるいは扇情的な顕現のようなものの中にではなく、信徒たちの共同体―教会の中に探し求めるように招かれているのです」と説かれ、「私たち自身の限界と失敗が、そのすべてであるにもかかわらず、私たちの母なる教会は、キリストの体。そして、その体にこそ、キリストの愛の最大のしるしが、今もそして永遠に見出され、印象づけられるのです」と強調された。

 説教の最後に、「私たちが果たして、この愛の名の下に、イエスの傷の名の下に、人生で傷ついた人々に進んで腕を広げ、神の慈しみから誰も排除せず、すべての人を兄弟のように、姉妹のように歓迎しているかどうか」と自らに問い直すように勧められた。

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 バチカン放送による教皇の説教原文の日本語訳要旨は次のとおり。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 今日、「神の慈しみの主日」、福音は復活されたイエスの弟子たちへの二度の出現を語っている。その中では特に「懐疑的な使徒」トマスのエピソードへの言及( ヨハネ福音書20章24-29節参照)があります。

 実際には、トマスだけがイエスの復活を信じるのに苦労したわけではありません。むしろ、トマスは私たち皆を、少しずつ代表しているのです。トマスの場合のように、大きな失望にあった時、信じることは容易ではありません。危険に接し、困難を乗り越えながら、何年もイエスに従いましたが、師イエスが犯罪人のように十字架につけられ、誰もイエスに対し、解放することも、何をすることもできませんでした。イエスは死に、皆が恐れを抱きます。これ以上何が信じられるでしょうか…

 それでも、トマスには勇気があることが分かります。皆が上の部屋に閉じこもっていた時、誰かに気づかれたり、密告されたり、逮捕されたりする危険を冒しながらも、外に出て行ったからです。むしろ、その勇気ゆえに、他の弟子たちに比べ、復活した主と出会うのに値していたとさえ言えます。

 ところが、仲間の弟子たちと一緒にいなかった時に、イエスが弟子たちの前に現れ、トマスは復活の主と会う機会をのがしてしまった。トマスがイエスと出会う機会を得たのは、まさにその仲間のもとに帰ることを通してでした。トマスが帰った時、他の弟子たちから「イエスが来られた」ことを聞きますが、「あの方の傷を見るまでは信じない」と言います。イエスはトマスの希望をかなえ、八日後に再び弟子たちの間に現れ、ご自身の愛のしるし―常に開かれた慈しみの水路-である傷をお示しになりました。

 この出来事について考えてみましょう。トマスは信じるために「傷に触れる」という「特別」なしるしを求め、イエスはそれに応じられました。しかし、それは「いつも」の形を通してでした。イエスは皆の前で、共同体の中で、それを示されたのです。それはまるで、「自分に会いたいなら、遠くを探さず、皆の中に残りなさい、皆を残して行かずに、共に祈り、パンを裂きなさい」と言われているかのようです。そして、そこでイエスは、憎しみに勝つ愛、復讐の武装を解くしるし、死に勝利する命のしるしとして、ご自身の体に刻まれた傷を見せられるのです。

 イエスのトマスへの呼びかけは、私たちへの呼びかけでもあります。私たちはどこに、復活の主を探し求めるのでしょうか。何かの特別な行事や、特殊な感動や感覚の中にでしょうか。それとも、いろいろな問題を抱え、不完全ではあっても、自分たちの共同体や教会の中にでしょうか。

 その限界やつまづきにもかかわらず、私たちの母なる教会は、キリストの体。そこに、神の愛の最も偉大なしるしが刻まれています。その愛の名のもとに、イエスの傷の名のもとに、人生に傷ついた人に腕を広げ、神の慈しみから誰も除外されないように、すべての人を兄弟姉妹として受け入れられるように祈りましょう。

 慈しみの母、マリアよ、私たちが教会を愛せるように、そして教会が皆を温かく迎える家となるように、お助けください。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年4月16日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」⑩ 熱意に満ちた使徒たちは福音の新しさを喜び受け入れる

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2023年4月14日

☩「国々の責任者の計画や決定に啓示を与えるものとなるように」聖ヨハネ23世回勅『地上の平和』60周年で

教皇フランシスコ  2023年4月12日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場教皇フランシスコ  2023年4月12日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場  (ANSA)

(2023.4.12  バチカン放送)

 1963年4月11日、聖ヨハネ23世(在位1958−1963)の回勅『Pacem in Terris(地上の平和)』が発表されてから、60年が経った。教皇フランシスコは12日の水曜恒例の一般謁見で、同回勅発表60周年に触れ、そのメッセージが持つ今日性に言及され、次のように話された。

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  4月11日、聖ヨハネ23世の回勅『Pacem in Terris』の発表から、60年を迎えました。

  聖ヨハネ23世は、いわゆる冷戦によって2つのブロックが対立する大きな緊張の中で、この回勅を教会と世界に向けて記しました。教皇は、平和について話され、平和を構築するための広い視野をすべての人の前に開かれました。それは、世界と人類に対する神のご計画を示すものでした。

 この回勅は、暗い雲の切れ目にのぞく青空のように、まさに一つの祝福でした。そのメッセージはまさに、今日の世界に訴えるものです。それは次の一文でも明らかです。

 「人間の個人同士の関係のように、政治共同体間の関係も、武力に頼るのではなく、理性の光、すなわち真理と正義と行動を伴う連帯を通して、解決されるべきです」(n.62)。

 信者の皆さんと善意の方々に、回勅『Pacem in Terris』を一読されるようお勧めします。そして、そしてこの回勅が、国々の責任者の計画や決定において、啓示を与えることを祈ります。

(編集「カトリック・あい」)

2023年4月13日

☩「私たちも、喜びに満ちて福音を宣言する者となりますように」復活の月曜日、Regina coeliの祈りで

(2023.4.10 Vatican News   Thaddeus Jones)

 「復活の月曜日」の10日、教皇フランシスコは聖ペトロ広場で、Regina coeli(天の元后、喜びたまえ)の祈りを唱えられ、イエスに付き従ってきた女性たちが「主が復活された」という知らせを伝えに急いだ福音書の場面を思い起こされ、このことが、私たちもイエスを証しすることで、お会いできることを教えている、と語られた。

(バチカン放送)

この集いにおける、教皇の説教は次のとおり。

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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 今日の福音は、復活されたキリストと墓に行った婦人たちとの出会いを、生き生きと思い起こさせるものです。このように、復活のキリストと最初に出会ったのは、女性の弟子たちだったことが分かります。

 なぜ、この婦人たちがキリストの復活の最初の証人となったのでしょうか。その理由はとても簡単です。イエスの墓に最初に行ったのが彼女たちだったからです。この婦人たちも、すべての弟子と同じように、イエスをめぐるすべてはもう終わってしまったかのように思われ、そのために苦しんでいたのです。

 ただ、婦人たちが他の使徒たちと異なっていたのは、悲しみと恐れにしばられ家に閉じこもることなく、朝早く、日の出と共に、香料を携えてイエスの墓を訪れたことでした。墓は封印されていたために、婦人たちは「誰が墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていました ( マルコ福音書16章1-3節参照)。しかし、彼女たちの愛の業を行おうとの意思は、何にも勝っていました。婦人たちは恐れと苦悩に打ち勝ち、決して落ち込むことはありませんでした。まさに、これこそが復活された方に出会う方法なのです。

 福音書の記述を追っていきましょう。女性たちは墓に到着し、墓が空になっているのを見ます。福音書は言います。婦人たちは「恐れながらも大いに喜び」(マタイ福音書28章8節)、弟子たちに事の次第を告げに走ります。まさしく、この知らせを告げに行く途中で、イエスは婦人たちと出会うのです。大事なのはここです。婦人たちがイエスについて告げに行くその最中に、イエスが会いに来られた、ということです。素晴らしいことではないでしょうか。

 主を告げに行く時、主は私たちに会いに来られるのです。私たちはしばしば、「主のそばにいるためには、主を自分にしっかりと引き寄せていなければ」と考えがちです。また、主について語ろうとする時、批判されたり、悪く言われたり、時には答えに窮するような質問や挑発を受け、「それならば話さないほうがましだ」と考えるのです。これに対し、主は、主について告げる時に会いに来られるのです。「イエスを証しすることによってイエスと出会うことができる」と今日の福音の女性たちは教えています。

 一つの例を挙げましょう。たとえば私たちが、子どもの誕生のような何か素晴らしい知らせを受けたとします。私たちが最初にすることは、この喜ばしいニュースを友人たちと分かち合うことではないでしょうか。そして、繰り返し語ることによって、私たち自身もまたこの喜びを深めるのです。

 このようなことが一つの良いニュースのために起きるなら、イエスの場合には無限の喜びが起こるのです。なぜなら、それは一つの良い知らせ、命の素晴らしい知らせであるだけでなく、「命そのもの」だからです。イエスは「復活であり、命」(ヨハネ福音書11章25節)なのです。この知らせを告げるごとに、宣伝でも改宗主義でもなく、尊重と愛をもって、分かち合うべき最も素晴らしい賜物、喜びの神秘として、それを告げるごとに、イエスは、ますます私たちの中に深くお住まいになるのです。

 福音書の婦人たちに思いをはせましょう。墓は石で封印されていました。しかし、それにも関わらず、彼女たちは墓に行きます。すでに街全体が十字架にかかったイエスを見ています。それにも関わらず、婦人たちはイエスは生きていると告げに街に走ります。イエスと出会った時、それを告げ知らせるための妨げは、もう何もありません。もし私たちがその喜びを自分のために留めて置くなら、復活されたイエスと本当に出会ったとは言えないでしょう。

 兄弟姉妹の皆さん、この福音書の婦人たちの体験の前で、私たちも自問しましょう。最後にイエスを証ししたのは、いつだったでしょうか。今日、私が出会う人々がその知らせの喜びを受け取るために、私に何ができるでしょうか。私のことを考える人が、「この人はイエスと出会ったために、穏やかで、幸福で、善良だ」と言うことができるでしょうか。私たちも、福音の喜ばしい使者となれるよう、聖母の助けを願いましょう。

(編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年4月11日

☩「URBI ET ORBI」の公式英語訳全文

 URBI ET ORBI MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS EASTER 2023

Central loggia of the Vatican Basilica Domenica, 9 April 2023


Dear brothers and sisters,

Christ is risen!

On this day we proclaim that he, the Lord of our life, is “the resurrection and the life” of the world (cf. Jn 11:25). Today is Easter, the Pasch, a word that means “passage”, for in Jesus the decisive passage of humanity has been made: the passage from death to life, from sin to grace, from fear to confidence, from desolation to communion. In him, the Lord of time and history, I would like to say to everyone, with heartfelt joy, Happy Easter!

May this Easter be for each of you, dear brothers and sisters, and in particular for the sick and the poor, the elderly and those experiencing moments of trial and weariness, a passage from affliction to consolation. We are not alone: Jesus, the Living One, is with us, forever. Let the Church and the world rejoice, for today our hopes no longer come up against the wall of death, for the Lord has built us a bridge to life. Yes, brothers and sisters, at Easter the destiny of the world was changed, and on this day, which also coincides with the most probable date of Christ’s resurrection, we can rejoice to celebrate, by pure grace, the most important and beautiful day of history.

Christòs anesti! – “Christ is risen; he is truly risen!” In this traditional proclamation of the Churches of the East, the word “truly” reminds us that our hope is not an illusion, but the truth! And that, in the wake of Easter, humanity’s journey, now marked by hope, advances all the more readily. The first witnesses of the resurrection show this by their example. The Gospels speak of the haste with which, on the morning of Easter, the women “ran to tell the disciples” (Mt 28:8). Mary Magdalene “ran and went to Simon Peter” (Jn 20:2), while John and Peter himself then “ran together” (cf. v. 4) to the place where Jesus had been buried. Later, on the evening of Easter, after meeting the Risen Lord on the road to Emmaus, two disciples “set out without delay” (cf. Lk 24:33) and travelled several miles, uphill and in the dark, spurred on by the irrepressible joy of Easter that burned in their hearts (cf. v. 32). The same joy that led Peter, on the shore of the Lake of Galilee, after catching sight of the risen Jesus, to leave the boat with the others, to throw himself immediately into the water and to swim quickly towards him (cf. Jn 21:7). At Easter, then, the journey quickens and becomes a race, since humanity now sees the goal of its journey, the meaning of its destiny, Jesus Christ, and is called to make haste to meet him, who is the hope of the world.

May we too make haste to progress on a journey of reciprocal trust: trust among individuals, peoples and nations. May we allow ourselves to experience amazement at the joyful proclamation of Easter, at the light that illumines the darkness and the gloom in which, all too often, our world finds itself enveloped.

Let us make haste to surmount our conflicts and divisions, and to open our hearts to those in greatest need. Let us hasten to pursue paths of peace and fraternity. Let us rejoice at the concrete signs of hope that reach us from so many countries, beginning with those that offer assistance and welcome to all fleeing from war and poverty.

At the same time, along this journey we also encounter many stumbling blocks, which make it more difficult and demanding to hasten towards the Risen Lord. To him, then, let us make our prayer: Lord, help us to run to meet you! Help us to open our hearts!

Help the beloved Ukrainian people on their journey towards peace, and shed the light of Easter upon the people of Russia. Comfort the wounded and all those who have lost loved ones because of the war, and grant that prisoners may return safe and sound to their families. Open the hearts of the entire international community to strive to end this war and all conflict and bloodshed in our world, beginning with Syria, which still awaits peace. Strengthen all those affected by the violent earthquake in Turkey and in Syria itself. Let us pray for all those who have lost family and friends, and for those left homeless. May they receive consolation from God and assistance from the family of nations.

On this day, Lord, we entrust to you the city of Jerusalem, the first witness of your resurrection. I express deep concern for the attacks in recent days that threaten the desired climate of trust and reciprocal respect necessary for the resumption of dialogue between Israelis and Palestinians, so that peace may reign in the Holy City and in the entire region.

Lord, aid Lebanon, which still seeks stability and unity, so that divisions may be overcome and all citizens cooperate for the common good of the country.

Be mindful of the beloved people of Tunisia, and in particular the young and those suffering from social and economic hardship, so that they may not lose hope and may work together to build a future of peace and fraternity.

Turn your gaze to Haiti, which has long experienced a grave social, economic and humanitarian crisis, and support the efforts of political actors and the international community to seek a definitive solution to the many problems that afflict that sorely tried people.

Consolidate the processes of peace and reconciliation undertaken in Ethiopia and in South Sudan, and grant an end to violence in the Democratic Republic of the Congo.

Sustain, Lord, the Christian communities that today celebrate Easter in particular circumstances, as in Nicaragua and Eritrea, and remember all who are prevented from freely and publicly professing their faith. Grant consolation to victims of international terrorism, especially in Burkina Faso, Mali, Mozambique and Nigeria.

Help Myanmar to pursue paths of peace, and enlighten the hearts of leaders, so that the deeply afflicted Rohingya may encounter justice.

Comfort refugees, deportees, political prisoners and migrants, especially those who are most vulnerable, as well as the victims of hunger, poverty and the dire effects of the drug trade, human trafficking and all other forms of slavery. Lord, inspire the leaders of nations to ensure that no man or woman may encounter discrimination and be violated in his or her dignity; that in full respect for human rights and democracy these social wounds may be healed; that the common good of the citizenry may be pursued always and solely; and that security and the conditions needed for dialogue and peaceful coexistence may be guaranteed.

Brothers, sisters, may we rediscover the enjoyment of the journey, quicken the heartbeat of hope and experience a foretaste of the beauty of heaven! Today, let us summon the energy to advance in goodness towards Goodness itself, which never disappoints. If, as one of the ancient Fathers once wrote, “the greatest sin is not to believe in the power of the resurrection” (SAINT ISAAC OF NINEVEH, Sermones Ascetici, I, 5), today let us believe and profess: “Christ is truly risen from the dead!” (Sequence). We believe in you, Lord Jesus. We believe that, with you, hope is reborn and the journey continues. May you, the Lord of life, encourage us on our journey and repeat to us, as you did to the disciples on the evening of Easter: “Peace be with you!” (Jn 19:21).

2023年4月11日

☩「紛争や分裂を乗り越え、平和と兄弟愛の道のりを急ぐように」教皇が復活祭”Urbi et Orbi”とメッセージ

(2023.4.9  バチカン放送)

 2023年度の復活祭を迎えた9日、教皇フランシスコは、聖ペトロ広場で復活の主日のミサを捧げられ、ローマと世界に向け、「Urbi et Orbi(ローマへ、そして世界へ)」と復活祭メッセージを送られた。

「Urbi et Orbi」で教皇は、主のご復活の喜びを全世界に告げながら、復活されたイエスがもたらす希望をすべての人々と、特に病者や、貧しい人々、お年寄り、試練や苦労を抱えた人々と分かち合われた。

 復活されたイエスと最初に出会った婦人たち、マグダラのマリア、そしてイエスの復活を告げられたペトロとヨハネの喜びに満ちた走り、エマオで一緒になった旅人がイエスだと分かった弟子たちは、時を移さず出発した。

 教皇は、彼らの足取りを思い起こしながら、「主の復活によって、彼らの歩みは早まり、走りとなる。それは、その歩みの目的地、その運命の意味するもの、すなわちイエス・キリストを見たから。そして、私たちも、世の希望であるキリストとの出会いのために急ぐよう招かれているのです。人間関係の信頼、また民族や国家間の相互の信頼を取り戻すため、紛争や分裂を乗り越え、貧しい人に心を開き、平和と兄弟愛の道のりを進むために急がなくてはなりません」と訴えられた。

 そして、「復活の主が、ウクライナにおける戦争をはじめ、世界のすべての紛争を終結させるために、全ての国際共同体の心を開いてくださるように」と祈られた。

 また、エルサレムや、シリア、レバノンなど中東地域、チュニジア、エチオピア、南スーダン、コンゴ民主共和国、ブルキナファソ、マリ、モザンビーク、ナイジェリアなどアフリカ地域、ハイチやニカラグアなど中南米、またアジアではミャンマーの現状に目を向けられ、「紛争や、暴力、テロリズム、社会・経済的危機、社会的分裂や緊張のあるところに、平和と和解、安定がもたらされるように」と、復活されたキリストの光と希望を願われた。

 さらに教皇は、人々の希望の再生、歩みの継続のために主に信頼を寄せながら、「命の主が私たちの歩みを励まし、復活の日の夕方、弟子たちに言われた『あなたがたに平和があるように』(ヨハネ福音書20章19節、21節)という言葉を、私たちにも繰り返さしてくださるように」と祈られた。

 教皇はまた、「Urbi et Orbi」とともに、以下の復活祭のメッセージをおくられた。

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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、主のご復活のお喜びを申し上げます。

 今日、私たちは、私たちの命の主であるイエス・キリストが、世界の「復活であり、命」(ヨハネ福音書11章25節参照)であることを宣言します。ギリシャ語の「パスカ」は「過越」を意味します。それは、イエスにおいて、死から命へ、罪から恵みへ、恐れから信頼へ、悲嘆から交わりへと、人類の決定的な過ぎ越しがなされたからです。時と歴史の主である方において、心からの喜びをもって、皆さんに申し上げたいと思います。復活祭おめでとうございます。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、復活祭が皆さん一人ひとりにとって、特に病者や、貧しい人、お年寄り、試練や苦労を抱えた人たちにとって、苦悩から慰めへの過越となりますように。私たちは独りではありません。生きておられる方、イエスが永遠にわたしたちと一緒におられます。教会と世界に喜びがありますように。今日、私たちの希望はもう死の壁に砕けることはなく、主が私たちに命への橋を開いてくださったからです。兄弟姉妹の皆さん、そうです、主の復活は世界の運命を変えました。そして今日、私たちは、純粋な恵みのゆえに、歴史上、最も重要で素晴らしい日を喜び祝うのです。

 東方教会が宣言するように、キリストは復活されました、真に復活されました。この「真に」という言葉は、希望がまぼろしではなく、真実であることを告げています。キリストの復活から、希望に裏付けられた人類の歩みはその足取りを早めました。それをキリストの復活の最初の証人たちの例が示しています。

 福音書は、主の復活の日に「弟子たちに知らせるために走って行った」(マタイ福音書28章8節)婦人たちの良い意味で急ぐ様子を語っています。そして、マグダラのマリアが「シモン・ペトロのところへ走って行った」(ヨハネ同20章2節)後、イエスの墓へ向かうため、ヨハネとペトロの「二人は一緒に走った」(同20章4節)とあります。

 そして、同じ日の夜、エマオへの途上でイエスと出会った二人の弟子は「時を移さず出発し」(ルカ同24章33節)、主の復活によって燃やされた抑えきれない喜びを胸に、暗い上り坂を何キロも急いで進んで行きました。その同じ喜びのために、ペトロもガリラヤ湖畔で復活したイエスを見た時、仲間たちと舟の上に留まっていることができず、すぐに水に飛び込み、イエスのところに急いで泳いで行きました(ヨハネ同21章7節)。

 つまり、主の復活により、歩みは早まり、「走り」となります。なぜなら人類はその歩みの目的地、その運命の意味するもの、すなわちイエス・キリストを見たからです。そして、世の希望であるキリストとの出会いのために、急ぐように招かれているからなのです。

 私たちもまた、相互の信頼、すなわち人間関係の信頼、また民族や国家間の信頼の歩みにおいて成長を早めなくてはなりません。主の復活の喜ばしい知らせがもたらす驚きに、闇を照らす光に、心をまかせましょう。世界はその闇の暗さに何度も覆われています。

 紛争や分裂を乗り越え、貧しい人に心を開き、平和と兄弟愛の道のりを進むために急ぎましょう。戦争や貧困から逃げる人々に支えと受け入れを提供する国々をはじめ、多くの国から届く希望の具体的なしるしのために喜びましょう。

 しかし、歩みの途中にはまだ多くのつまずきの石があります。それらは復活の主へと急ぐ私たちの道のりを険しく困難にするものです。復活された主に、私たちの祈りを上げましょう。あなたに会いに急ぐ私たちを助けてください。私たちが心を開けるように助けてください、と。

 愛するウクライナ国民を平和への歩みにおいて助けてください。復活の主の光をロシアの人々に広げてください。戦争のために負傷した人、家族を失った人をなぐさめてください。捕虜の人たちが家族のもとに無事に帰ることができますように。

 復活の主が、この戦争を、また、まだ平和を待つシリアをはじめ、世界各地で血を流すすべての紛争を終結させるために、国際社会全体の心を開いてくださいますように。トルコとシリアの大地震の被災者たちを支えてください。家族、友人を失った人々、家を無くした人々のために祈りましょう。これらの人々が神のなぐさめと、国々という「家族」の助けを得ることができますように。

 主よ、今日この日、あなたの復活の最初の証人であるエルサレムを託します。ここ数日の攻撃を非常に憂慮しています。それは、イスラエルとパレスチナ間の対話再開に必要かつ期待される、相互の信頼と尊重を脅かすものです。聖都と聖地全域を平和が統治しますように。

 主よ、いまだ安定と一致を模索するレバノンを助けてください。分裂を克服し、すべての市民が国の共通善のために働くことができますように。

 チュニジアの愛する人々、特に若者たちと社会・経済問題のために苦しむ人々を忘れないでください。人々が希望を失うことなく、平和と兄弟愛の未来を築くために協力し合うことができますように。

 何年もの間、深刻な社会・政治・人道的危機に苦しむハイチに、あなたの眼差しを向けてください。国民を苦しめる多くの問題に最終的な解決を求める政治責任者と国際共同体の努力を支えてください。

 エチオピアと、南スーダンでの、平和と和解のプロセスを確かなものにしてください。コンゴ民主共和国における暴力を止めてください。

 主よ、ニカラグア、そしてエリトリアのように、今日、特殊な状況の中で復活祭を祝っているキリスト教共同体を支え、自らの信仰を自由に公に宣言することを妨げられた人々を心に留めてください。ブルキナファソ、マリ、モザンビーク、ナイジェリアをはじめとする、国際テロリズムの犠牲者たちになぐさめを与えてください。

 ミャンマーが平和への道を歩むことを助け、苦しむロヒンギャの人々が正義を見出せるよう、責任者たちの心を照らしてください。

 難民たち、国外に追放された人々、政治的理由で収監されている人々、移民たち、中でも最も弱い立場にある人たち、また飢えや貧困に苦しむ人々、麻薬や人身取引、あらゆる形の隷属の犠牲者たちをなぐさめてください。主よ、いかなる人も差別されず、尊厳を侵害されることがないよう、国々の責任者たちに啓示を与えてください。人権と民主主義の完全な尊重を通して、これらの社会的な傷をいやし、市民の共通善だけを常に求め、安全と、対話に必要な条件、平和的共存を保証することができますように。

 兄弟姉妹の皆さん、私たちも歩むことへの意欲を取り戻し、希望の鼓動を早め、天国の美しさを前もって味わいましょう。今日、私たちを失望させることのない善である方と出会うために、善において邁進するエネルギーを汲み取りましょう。古代の教父が記しているように、「最も大きな罪は、主の復活の力を信じないこと」(シリアの聖イサク)であるなら、今日、私たちは信じます―「そうです。私たちは確信します。キリストは真に復活されました」と。

 主イエスよ、あなたを信じます。あなたと共に希望が再び生まれ、歩み続けることができると信じます。命の主よ、私たちの歩みを励ましてください。そして、復活の日の夕方、弟子たちに言われた「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ福音書20章19、21節)という言葉を、私たちにも繰り返してくださいますように。

 Vatican Newsによる「Urbi et Orbi」の内容は以下の通り。

 *Bridge to life

In his Easter message, Pope Francis began first by announcing the joyous message of this day when we proclaim that Christ is risen.

In Jesus, the passage of humanity from death to life, sin to grace, fear to confidence and desolation to communion has been made, the Pope declared, wishing everyone a Happy Easter.

In particular, he greeted the sick, the poor, the elderly and all those suffering that they may experience the passage from affliction to consolation. He called on everyone to remember and rejoice that “the Lord has built us a bridge to life” in defeating death, making it for us “the most important and beautiful day of history.”

* “Christ is risen; He is truly risen!”

The Pope explained how the word “truly” in the Easter proclamation underscores that the Lord’s resurrection is a reality, not just wishful thinking. And this means that humanity’s journey has a sure footing in hope and therefore can move forward with confidence in facing the many challenges now and ahead.

Recalling the example of the first disciples, witnesses of the resurrection, the Pope described how they all hurried to tell others this good news. Humanity is called today as well “to make haste” to meet Jesus Christ, the goal of our journey and hope of the world.

“May we too make haste to progress on a journey of reciprocal trust: trust among individuals, peoples and nations,” he said. “May we allow ourselves to experience amazement at the joyful proclamation of Easter, at the light that illumines the darkness and the gloom in which, all too often, our world finds itself enveloped.”

“May we too make haste to progress on a journey of reciprocal trust: trust among individuals, peoples and nations.”

Looking at the urgent efforts needed to resolve conflicts and divisions and pursue paths of peace and fraternity, the Pope praised those who are doing all they can to offer assistance and welcome to people fleeing war and poverty. He asked that the Lord may open all our hearts to do the same.

*Light of Easter on Ukraine and Russia

The Pope prayed for peace for the “beloved Ukrainian people” and that the light of Easter may shine on the people of Russia.

May the Lord “comfort the wounded and all who have lost loved ones due to the war,” he continued, and may prisoners return home and the entire international community strive to end war globally.

The Pope spoke of Syria, still awaiting peace, and earthquake victims there and in neighboring Turkey where our continued solidarity is needed.

*Healing the divisions

Remembering the holy city of Jerusalem, the Pope prayed for a resumption of dialogue between Israelis and Palestinians, so that peace may prevail. He prayed for help to Lebanon as it struggles to regain stability and unity.

He mentioned Tunisia as well, praying that the young and those suffering from social and economic hardship may not lose hope and find ways to build a future of peace and fraternity.

*Peace and reconciliation

The Pope asked for help for Haiti where social and economic hardship still weigh heavily on the people struggling for a way out of their many challenges.

May the Lord support peace and reconciliation efforts in Ethiopia and in South Sudan, and the Democratic Republic of the Congo, he recalled. And he prayed for consolation for victims of international terrorism, especially in Burkina Faso, Mali, Mozambique and Nigeria.

Pope Francis recalled Christian communities celebrating Easter in Nicaragua and Eritrea, praying for them and for all citizens that they may be able to freely and publicly profess their faith.

The Pope then mentioned Myanmar that peace may prevail and enlighten the hearts of leaders so that “deeply-afflicted Rohingya may encounter justice.”

Respect for human dignity

May the Lord give comfort to refugees, deportees, political prisoners and migrants, the Pope prayed, especially the most vulnerable.

And may we all help the victims of hunger, drug abuse, human trafficking and all other forms of slavery, he added, as we ask the Lord to inspire the leaders of nations to assure respect for human dignity so these social wounds may be healed.

“Brothers, sisters, may we rediscover the enjoyment of the journey, quicken the heartbeat of hope and experience a foretaste of the beauty of heaven! Today, let us summon the energy to advance in goodness towards Goodness itself, which never disappoints…May you, the Lord of life, encourage us on our journey and repeat to us, as you did to the disciples on the evening of Easter: ‘Peace be with you!’”

(編集「カトリック・あい」)

2023年4月10日

☩教皇、復活徹夜祭ミサ「復活された主は、信仰を取り戻し、新たな人生を始めるよう、私たちを招いておられる」

(2023.4.8 Vatican News   Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは8日夜、聖ペトロ大聖堂で復活徹夜祭ミサを捧げられ、説教の中で「キリストの復活は、空の墓を目の当たりにした女性たちの計り知れない驚きと喜びを経験するように、私たちを招いておられる。私たちは、信仰と希望を育むために、自分が受けた恵みを追体験するよう求められています」と語られた。

 説教で教皇はまず、説教に先立って読まれた福音、「イエスの墓を訪れ、そこが空であることに気付いた女性たちの体験―イエスの死に対する計り知れない悲しみから、主の復活に対する完全な驚きを経験するまでの信じられないような体験」に注意を向けられ、「この『悲しみから、言葉で表せない喜びへの旅』に、私たち全員が招かれているのです」と強調された。

*イエスが言われた「ガリラヤに戻るように」が意味するものは

 

 そして、イエスの墓を訪れた女性たちは、空の墓と、ガリラヤで弟子たちと会うとされる復活された主を目の当たりにし、悲しみを驚きと喜びに変わるの体験と、女性たちに彼らに伝えるよう言われた「ご自身に合うために彼らの信仰の原点であるガリラヤに戻る」ことの意味を考察された。

 「私たちは、(弟子たちのように)『何も変わることはない』と思い込み、失望、苦々しさ、落胆の『墓』の観点から現在を見れば、悲しみに圧倒されることもあるでしょう」とされ、「自分が信仰を得た『主との最初の出会い』を過去の出来事とし、『暗闇、戦争、無関心、将来の不確実性によって特徴付けられた今日の困難な世界』とはほとんど関係がない事だ、と思うことがあります。そのような幻滅は、私たちの中で希望の源を枯渇させる可能性があります」と指摘。

 「女性たちは、空の墓と復活された主との出会いという体験によって、悲しみからすぐに立ち直り、なかば恐れを抱きながら、人生と歴史を永遠に変えることになる『キリストがよみがえられた!』というニュースを弟子たちに伝える喜びに圧倒されました。

 また、主は、弟子たちに女性たちを通して「ガリラヤ-主が初めて弟子たちに声をかけられ、主とともに人生が変わる経験が始まった場所―に戻るように」と言われた。このことが意味するのは、「始まりの恵みへの回帰、希望を再生する記憶と復活された方によって贈られた”未来の記憶”を取り戻すこと」と説かれた。

 

Easter Vigil in the Holy Night of Easter, Saint Peter's Basilica

*「過去の恵み」に立ち返り、希望を持って前に進もう

 教皇は続けて、「主の復活は、私たちが希望と喜びのうちに前に進み、未来に十分な自信をもって、”希望”を閉じ込めている”墓”の出口をふさいでいる石を押しのける動機となります。なぜなら、キリストがよみがえられ、『歴史の方向』を変えられたからです」と語られた。

 そして、「ガリラヤに戻れ」は、「私たちに、主の愛の体験の記憶-自分自身と周りの世界、そして人生そのものの神秘を見る素晴らしい方法を手にした時の記憶-をよみがえらせるため、『過去の恵み』に立ち返るように、との呼びかけです」とされ、「これこそ、私たちが求められていること―記憶を取り戻し、前に進むこと、です。神との”初恋”、出会いの驚きと喜びを取り戻せば、あなたは前進し続けられるのです だから覚えて、前に進んでください」と強く促された。

 

 

*”自分にとってのガリラヤ”を思い起そう

 さらに教皇は、「私たちを知り、愛しておられ、そばにいてくださる方として、主を個人的に知るようになった時のことを思い起すこと」の重要性を指摘され、「兄弟姉妹の皆さん。ガリラヤを、あなたのガリラヤを、そしてあなたの召し出しを思い起してください。 まさにその時、あなたに直接、語りかけられた神の言葉を思い起してください。聖霊についての力強い経験を思い起してください」と促された。

 そして、「私たちの信仰の土台である主との最初の出会いを思い出す時、私たちは『ガリラヤに戻って、復活された主を祝い、その経験、感情、感覚を追体験するように』との主の呼びかけに応えることができる。 そうすることで、復活された主における前進を新たにし、強め、『衰えた信仰や失われた希望』の”墓”の出口をふさいでいる石を押しのけられるのです」と強調された。

 「思い起し、前進し続けなさい。そして、あなたの中にある神の復活の恵みを再発見してください!」と重ねて促された教皇は説教の最後に信徒たちに呼びかけられた。「愛する兄弟姉妹の皆さん、イエスについてガリラヤに行き、イエスに会い、イエスが私たち一人一人を待っておられるところで礼拝しましょう。イエスが生きておられることに改めて気づき、私たちの『人生の主』にしたあの時の素晴らしさをよみがえらせましょう… 新しい人生に立ち上がりましょう!」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年4月9日

・聖金曜日・教皇、聖ペトロ大聖堂で「主の受難の儀式」

(2023.4.7 バチカン放送)

 4月7日、復活祭直前の金曜日、「聖金曜日」の夕方、教皇フランシスコはバチカンの聖ペトロ大聖堂で「主の受難の儀式」を主宰された。儀式には、およそ4千人が参列した。

 キリストの十字架上での受難と死を観想する「主の受難の儀式」は、言葉の典礼、十字架の崇敬、聖体拝領の3部からなり、冒頭、教皇は祭壇の前で長い沈黙の祈りを捧げられた。

 言葉の典礼の第一朗読「イザヤ書」(52章13節-53章12節)では、主の僕の苦難と死について、第二朗読「ヘブライ人への手紙」(4章14-16節、 5章7-9節)では、多くの苦しみを受け、永遠の救いの源となった偉大な大祭司、神の子イエスについて、人々は耳を傾けた。

 そして、福音朗読では、「ヨハネ福音書」(18章1-19節、42節)から「私たちの主イエス・キリストの受難」が、3人の助祭によって朗唱の形で読まれた。イエスが息を引き取る場面で、人々はこうべを垂れひざまずいた。

 教皇付説教師ラニエーレ・カンタラメッサ枢機卿による説教に続き、聖金曜日の盛式共同祈願が唱えられ、続く「十字架の崇敬」では、十字架を手にした助祭が信者たちの間を祭壇に向かって進みつつ、三度立ち止まり、止まるごとに十字架を掲げた。大聖堂に響く「世の救い主、キリストがつけられた木の十字架を見つめよ」との朗唱が人々を十字架の崇敬へと招いた。

 最初に、十字架を迎えられた教皇が十字架上のイエスに接吻されると、その後、聖職者や、修道者、信者たちの代表が一人ひとり十字架を崇敬した。 最後に再び十字架を受け取られた教皇は、それを高く掲げ会衆に示された。

 後半、聖ペトロ大聖堂の主席司祭、マウロ・ガンベッティ枢機卿によって、聖体拝領式が行われ、儀式終了後、会衆は沈黙のうちに解散した。

(編集「カトリック・あい」)

2023年4月8日

☩「私たちが互いに助け合えば、人生は素晴らしい」教皇、聖木曜日の主の晩餐ミサで

(2023.4.6 Vatican News   Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは6日夜、聖木曜日の「主の晩餐」のミサを、ローマ市内のカサル デル マルモ少年刑務所で捧げられ、「主が弟子たちの足を洗うことで、気高い心から生まれる謙虚さと奉仕の重要性を教えてくださった」ことに受刑者たちの注意を向けられた。

 教皇は着座直後の2013年の聖木曜日にも同少年刑務所でミサを捧げられている。今回のミサの中では、 12 人の若者の足を洗う儀式をなさったが、12人は、14 歳から 25 歳の男女で、 2 人はシンティ・ロマ*出身、ほかにクロアチア、セネガル、ルーマニア、ロシア出身が含まれ、さまざまな信仰の伝統を代表するかたちで選ばれた。

 

 教皇はミサ中の説教で、この日の福音朗読の箇所―受難の前日に、イエスが謙遜と奉仕を表す行為として、弟子たちの足を洗った(当時は、奴隷がすることだった)こと(ヨハネ福音書13章4‐11節)を取り上げ、「私たちが日々の暮らしの中で、キリストがなさったこの行為と心に倣い、だまし合ったり利用し合ったりせず、互いに助け合うなら、人生はどれほど素晴らしものになるでしょう」と説かれた。

 そして、「それが簡単な人間的の振る舞いであっても、互いの助け合いは、気高い心から生まれます。今日、イエスは私たちに、この『気高い心』を持つように教え、私たちを励まそうとされているのです」と強調された。

 また教皇は、「私たちは落胆したり、内心思っていることを恥ずかしく感じたりすることがあります。でも、イエスは私たちのことをすべて知っておられ、ありのままの私たちを愛し、私たち全員の足を洗ってくださいます」とされ、「決して自分の弱さを恐れることのないように。主が私たちの人生の旅に同行され、私たちの人生が辛いものとならないように手を取ってくださろうとしているのですから」と若者たちを励まされた。

 説教の最後に、教皇は「私が皆さんの足を洗うのは、単なる民間伝承的な行為ではなく、『私たちが互いにどうあるべきか』-互いを助け、愛と計り知れない尊厳に敬意を交わすこと―を示すしるしなのです。このような振る舞いと奉仕の心を身に着ければ、世界の多くの不正を減らすことが可能です」と説かれ、失業、家庭崩壊、生きることに苦闘し、弱点に屈するなどは、私たち一人一人にいつでも起こり得ることであり、だからこそ、「互いに足を洗う、振る舞いと心」が必要、と強調された。

 

*注*シンティ・ロマは15世紀頃からドイツ語圏に定住したロマと同根のロマニ系の集団であるシンティ (Sinti)と、主に東欧に移住し、後のルーマニアに当たる地域で奴隷とされた集団であるロマとを併せた呼称。中世に後のオーストリア・ドイツ・北イタリアに辿りついたと考えられ、シンティにはドイツ系住民と同化した者も多い。シンティからは多くの優れたミュージシャンが輩出されている。ナチス・ドイツの時代には、ナチズムのイデオロギーに基づくいわゆる「劣等人種」だとしてシンティ・ロマも強制収容所に収容され、殺害された。犠牲者は30万人から50万人に上ると考えられているが、第二次大戦後の被害者・遺族への補償は、ロマに対する人種的偏見もあり、なかなか進まなかった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年4月7日

☩「あなたがたは『調和のない所に、調和をもたらす使命』を帯びている」教皇、聖木曜日・聖香油ミサで司祭たちに

(2023.4.6  バチカン放送)

 復活祭を目前にした「聖週間」の6日木曜日の午前、教皇フランシスコは、バチカンで、「聖香油のミサ」をローマ教区の司祭たちと共に捧げられた。

 「聖木曜日」の午前には、世界のカトリック教会の司教座聖堂で「聖香油のミサ」が司教と司祭たちと共同で司式され、「司祭の約束の更新」と、司教による「聖油の祝別」が行われる。

 6日朝、バチカンの聖ペトロ大聖堂で行われた聖香油のミサでは、前半の「ことばの典礼」と「聖油の祝別」を教皇が、後半の「感謝の典礼」をローマ教区・教皇代理司教アンジェロ・デ・ドナーティス枢機卿が行なった。

 教皇はミサの説教で、「主の霊が私に臨んだ」(ルカ福音書4章18節)という、イエスの言葉を指しながら、「主の霊がなくては、キリスト教生活はありえず、その霊による『塗油』がなければ聖性はありません」とされ、司祭職の制定を記念するこの日、「私たちの司祭職、司祭生活、牧者として生きる力の根源に、主の霊があることを忘れてはなりません」と共同司式の司祭たちに説かれた。

 そして、旧約聖書のイザヤの言葉、「主なる神の霊が私に臨んだ。主が私に油を注いだからである」(イザヤ書61章1節)を引用され、「私たちもまた、自身の功績のためではなく、純粋な恵みによって『塗油』を受け、聖なる神の民の父、牧者とされたのです」と語られた。

 さらに教皇は、「司祭たちは神の愛の召し出しによって、いわば『最初の塗油』を受け、純粋な情熱の上に聖霊の力が注がれ、聖別されて司祭となりますが、司祭生活の歩みの中で、やがて各自に様々な形の危機が訪れます。この危機こそが、『塗油』された者にとって真理の時、『過ぎ越し』の時」と指摘。だが、「この危機こそ、司祭職にとって飛躍の機会、霊的生活における重要な一歩となるものであり、司祭は、イエスかこの世か、十字架かある種の安楽か、聖性か単なる宗教的義務への忠実かを選ばなくてはなりません」と説かれた。

 そして、「自身の中で真理の霊に働いていただくことで、自分を誘惑していた欺瞞を明るみに出し、いただいた『塗油』を守り抜かねばならない。聖霊の働きは『調和』。『塗油』された者たちは、『福音と、解放、癒し、恵みをもたらす使命』、すなわち、『調和のない所に、調和をもたらす使命』を帯びているのです」を訴えられた。

 説教の最後に教皇は、司祭たちの日頃の証しと奉仕に感謝の言葉を述べられ、「神の霊が司祭たちを平安で満たし、塗油の預言者、調和の使徒としての使命を助けてくださるように」と祈られた。

 この後、司祭の約束の更新が行われ、司祭たちは叙階の日の約束を新たにした。参列者は心を合わせ、牧者たちのために祈った。続く聖油の祝別の儀式では、壺に入った三種の聖油、「病者用聖油」、「洗礼志願者用聖油」、そして「聖香油」(入信、堅信、叙階、聖堂や祭壇の聖別に用いられる)が、助祭たちによって運ばれ、教皇はそれぞれの香油を、祈りをもって祝別された。 聖木曜日に祝別されたこれらの香油は、教区内の各教会に分配される。

(編集「カトリック・あい」、聖書の引用の日本語訳は「聖書協会共同訳」を使用)

2023年4月7日

◎教皇聖週間講話「他者の涙をぬぐい、他者の渇きを癒す時、私たちの傷は『希望の源』となる

(2023.4.5 バチカン放送)

 教皇フランシスコは5日、バチカンの聖ペトロ広場で水曜恒例の一般謁見を行われ、復活祭を目前にした「聖週間」中の講話として、「希望の源である十字架」をテーマに話された。

 教皇のカテケーシスの要旨は次のとおり。

**********

 前の日曜日、典礼では「主の受難」が朗読されました。それは次の言葉をもって終わります―「彼らは行って墓の石に封印した」(マタイ福音書27章66節参照)。すべては終わったかのように見えました。イエスの弟子たちにとって、その石は、彼らの希望を振り出しに戻すことを意味していました。師イエスは十字架につけられ、町の外の処刑地で、残酷で屈辱的な方法で殺されましたが、それは誰の目にも明らかな敗北、これ以上はあり得ない最悪の結末でした。

 その時、弟子たちを押しつぶしていた失望は、今日の私たちにも無縁ではありません。私たちの心にも暗い考えや挫折感が立ち込めることがあります。なぜ人々はこれほどまでに神に無関心なのでしょうか。なぜ世界には多くの悪がはびこっているのでしょうか。なぜ不平等は広がり続け、熱望される平和は訪れないのでしょうか。今日も、希望は「不信」という石の下に封印されているかのようにみえます。

 弟子たちの頭は「十字架」の残影を見ていました。最後はそこにすべてが集中しました。しかし、弟子たちはまさに、その十字架から新たな始まりを見出すことになるのです。「十字架」という最も恐ろしい拷問の道具から、神は最も偉大な愛のしるしを引き出された。あの「死の木」は、「生命の木」となりました。今日、私たちは、自分たちの心に希望を芽吹かせるため、教会や世界を汚している悲しみや苦しみから癒されるために、十字架の木を見つめましょう。そして、十字架の上に私たちは何を見ますか-裸で傷ついたイエスの姿―です。

 では、どのようにこのイエスの姿から消えかけた希望を取り戻すことができるのでしょう。十字架上の、すべてをはぎ取られたイエスの姿を見つめましょう。「彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合った」(マタイ福音書27章35節)と福音書にあるように、イエスはすべてをはぎ取られた。すべてを持っておられる神は、何もかも取られるがままにされました。しかし、その辱めは、贖いへの道だったのです。

 真理を明らかにするために裸となることは、私たちには難しいことです。私たちは見せかけのもので装い、仮面をつけ、本来の自分より良く見せようとする。虚飾によって、私たちが平和を得ることはない。すべてをはぎ取られたイエスの姿は、自分についての真実をはっきりさせ、二面性を取り去り、偽の自分との慣れ切った共存から解放されることから希望が再び生まれることを、私たちに思い出させる。必要なのは、希望の代替にすぎない多くの無用なものを脱ぎ捨て、自分の心に、本質に、簡素な生活に立ち返ることです。

 再び十字架に目を向け、傷ついたイエスを見つめましょう。イエスは両手と両足を釘で打たれ、脇腹には傷口が開いています。体の傷だけではない。魂の傷もあります。イエスは孤独でした。裏切られ、引き渡され、否定され、宗教と政治の権力の両方から罪に定められたのでした。

 私たちも皆、過去の選択や、無理解、克服できない悲しみなど、人生の中で傷を負っています。神はご自分の体と魂を貫いた傷を、私たちの目にかくそうとされません。過ぎ越しによって新たな道が開くことを教えるために、私たちにその傷を示されるのです。ご自分の傷を「光の穴」とされる。イエスは十字架上で、人々に非難を返さず、彼らを愛されました。ご自分を傷つける者たちを愛し、赦されました(ルカ福音書23章34節参照 )。そうして、悪を善に、苦しみを愛に変えられたのです。

 人生の傷は、大きいか小さいかが問題ではありません。その傷をどうするかが問題なのです。その傷を怒りや悲しみの中で広がるままにしておくか、それとも、イエスの傷と合わせることで、自分の傷も光を放つものとしていただくか。

 自分の傷だけを思い泣くのではなく他者の涙をぬぐう時、自分のための愛に渇くのではなく自分を必要とする人の渇きを癒す時、私たちの傷は「希望の源」となることができるでしょう。それは、自分のことだけを考えるのをやめた時、自分を取り戻すことができるからです。そうすれば、聖書が語っているように、私たちの「傷は速やかに癒され」(イザヤ書58章8節参照)、希望が再び花開くことでしょう。

(編集「カトリック・あい」

2023年4月6日

☩「イエスは私たちの石の心を、肉の心に変えてくださる」-教皇の受難の主日(枝の主日)ミサ説教

 

 

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年4月2日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」⑨「聖パウロのように人生を改め、”新たな 被造物”としていただく」

(2023.3.29 Vatican News    Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは29日、水曜恒例の一般謁見で、「使徒的熱意について」をテーマとする講話を続けられた。今回は、聖パウロの回心に焦点を当てられ、このことは、「イエスに、私たちの人生を切り替え、変革していただくのに、遅すぎることはない、ということを教えています。人生をやり直すに遅すぎることは決してありません」と語られた。

 教皇は、「イエスが聖パウロの人生に介入すると、すべてが変わりました。イエスはすべての聖人にこのような効果を与えたのです」とされたうえで、パウロは、イエスに出会う前までは教会を破壊することに熱心だった、イエスによって、熱意の対象を律法から福音の変えられた、と指摘。「パウロの身に何が起こったのか? 」「パウロの何が変わったのか?」「 神の栄光を求める熱意、意欲は、どのような意味で変わったのか?」を自らに問うように勧められた。

 

 

*パウロの全存在を変えたのは復活された主との出会い

 そして、聖トマス・アクィナスが、「道徳的に言えば、情熱は善でも悪でもない」と教えているが、教皇は「パウロの場合、彼を変えたのは単なる考えや確信ではなかった。彼の全存在を変えたのは復活された主との出会いでした」とされ、「パウロの人間性、神への情熱、そして栄光は消滅するのではなく、聖霊によって、人生のあらゆる面で、変革され、回心がもたらされたのです」と強調。

*「サウロの堕落」と「パウロの復活」

 続けて教皇は、「パンとぶどう酒がそのままキリストの体と血となることが聖変化で起こるように、パウロの熱意は失われずに『キリストの熱意』に変わります。私たち、私たちの人生も、イエスには変えることがおできになるのです」と語られた。

 そして、次のように締めくくられた。

 「福音への情熱は、理解や探求の問題ではありません。理解や探求は、役には立ちますが、それを生み出すものではありません。 それは、パウロ(回心前は「サウロ」)と同じ『堕落と復活』を経験することを意味し、パウロの『使徒的衝動』の変容のもととなっています。キリストの愛が私たちをどのように変え、私たちの人生を永遠に変えることができるか、パウロ自身が語っています」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年3月29日

☩「歩き始めの幼い頃のように、神に手を取っていただこう」四旬節第五主日の正午の祈りで

 

*希望が無くなったと思われる時でさえ、イエスは命を与えてくださる

 そして、教皇は、「絶望を感じたり、希望をあきらめた人々に会ったりすることが、頻繁にあります。それは、喪失の悲しみ、病気、失望の辛さ、過ちや裏切り、重大な過ちによって、もたらされるものです。 このようなとき、人生が”閉ざされた墓”のように思われ、すべてが暗く、周りには悲しみと絶望しか見えないことが多い」と指摘。

 しかし、「イエスは今日の福音で語られているように、そうではありません。イエスは、『このような困難にあるときも、あなたがたは一人ではない』と言われるのです。私たちを生き返らせるために、神がこれまで以上に私たちのそばに来てくださるのは、まさにこのときなのです」と強調された。

 

*負の感情に押しつぶされないように

 さらに、教皇は、「”負の感情”に打ちひしがれることがないように。福音を信じ、希望を持ち続けるように、イエスは私たちを招いておられます」とされ、「イエスは私たちに、『痛み、過ち、さらには失敗に押しつぶされないように』、そして『暗く、孤独な、閉じられた墓に、それらを押し込めてはなりません。(墓を閉じている)石を取り除いてください。中にあるものをすべて取り出し、恐れずに自信を持って私に投げてください。私はあなたと一緒にいます。私はあなたを愛し、あなたに再び生きてもらいたいからです』と呼びかけておられます」と説かれた。

 そして、「ラザロに対して言われたように、イエスは私たち一人一人に、『起きて、道に戻り、自信を取り戻しなさい! あなたが第一歩を踏み出すのを学んだ幼子だった時のように、私はあなたの手を取ってあげましょう』と言ってくださるのです」と付け加えられた。

 

 

*感覚を失うような悲観や恐怖に屈しないで

  続けて教皇は、「あなたがたを縛っている包帯を外してください。人を憂鬱にさせる悲観、孤独にさせる恐怖、悪い経験の記憶で引き起こされる落胆に、屈してはなりません。あなたに、自由で生き生きとしていてもらいたい。私はあなたを見捨てません、そして、あなたと一緒にいます! 痛みに囚われず、希望を絶やさず、生き返りましょう!」と信徒たちに呼び掛け、「復活祭を前にした今、ヨハネ福音書の11章(ラザロの死と生き返り)を読み直すことは、私たちにとって良いことです」と勧められた。

 

 

*イエスに心を開き、身を委ねよう

 また、教皇は、私たちが心に重荷や苦しみを抱え、押しつぶされるように思うことが少なくないことを認めつつ、「 だからこそ、近くにおられるイエスに会いに行くように」と促され、「私たちはイエスに心を開き、私たちの悩みを委ねることができるでしょうか?  悩みをしまい込んだ墓を開き、表のイエスの光に目を向けるために?」「そして、神の愛の小さな鏡として、日々の暮らしで言葉と振る舞いをもって周りの社会を照らすことに努めていますか?」と、自分自身に問いかけるように勧められた。

 そして、「希望の母マリア、孤独を感じない喜びと、私たちの周りの闇に光をもたらすようにという呼びかけを、私たちに新たにしてくださいますように」と祈られ、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年3月26日

・教皇、聖職者の性的虐待に対処する規範徹底へ改定自発教令を発出

(2023.3.25  Vatican News)

 教皇フランシスコが25日、2019 年5月に出された自発教令「Vos estis lux mundi (あなたがたは世の光)」の改訂版を発出された。4月30日に発効する。

 使徒的書簡の形で2019年5月に発出されたこの自発教令は、教会における信徒たちなどへの虐待や暴力に対処する手続きを明確にし、性的虐待などの通告を義務づけるなど、世界の司教たち、修道会総長たちのとるべき姿勢を徹底することを目的としていた。この4年間に行われた関連の制度改革と整合させ、対象をバチカンが承認した信徒の国際的な協会の指導者などに対象を広げ、未成年者および脆弱な成人に対する性的虐待を防止および対処するための教会の規範の徹底を図るのが狙いだ。

New norms for the whole Church against those who abuse or cover up

*一般信徒の国際的団体の指導者も規範の対象に

 改訂版で示された現行教令からの最も重要な変更は、「司教、修道会総長、および特定の教会または高位聖職者を担当する聖職者の責任」を規定した条項に関するもの。現行の書簡になかった「使徒座によって承認または設置された一般信徒の国際的な団体の長、あるいは長であった一般信徒は、ポスト在任中に行われた行為に対して[責任がある]」と明記した。

 また、2019年からこれまでに導入された関連の規範、制度改革と整合性を図るため、さまざまな修正がなされているが、その中には、自発教令「 Sacramentorum sanctitatis tutela(2021 年に修正された規範)」、教会法典の第 6 巻に加えられた変更(2021 年改定)、およびローマ教皇庁に関する新憲章「 Praedicate Evangelium (2022 年公布)が含まれている。

 

*「脆弱な成人」に対する虐待の報告の対象に

 また、現行教令の修正個所として注目すべき修正の 1 つは、規範に「脆弱な成人」を含めることに関するものだ。現行教令では、報告を上げるべき対象として、「未成年者または脆弱な人物との性行為」と表現していたが、これを、「未成年者、または習慣的に思考・判断能力が不完全な人、または脆弱な成人との間で犯された十戒のいましめに対する犯罪」としている。

 もう 1 つの変更点は、虐待の疑いについて報告した人物の保護に関するものだ。現行教令で「虐待の疑いを報告した人」に、沈黙を強制してはならない、としているが、「心を傷つけられたと訴えた人および目撃者であった人」に対象を広げた。一方で、「関係者全員の名声とプライバシーの正当な保護」と、有罪か否かの判断のために調査を受けている人々の「推定無罪」としての保護の要請を強調している。

 また、現行教令で、教区は、一般の人々が利用しやすい、虐待の訴えを受ける「安定したシステム」を運用しなければならない、としていたのを、「組織、あるいは事務局」を…と明確化。訴えられた虐待の案件の捜査は、虐待が起きたとされる場所を管轄する「司教あるいは直轄権を持つ聖職者の責任の下に」なされることも明記している。

 

 

*「職権乱用」による性的暴力、ハラスメントも対象

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年3月26日