☩「人生で真に大切なものに、代価を払っても忠実であり続けよう」教皇、年間第12主日の正午の祈りで

(2023.6.25 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは25日、年間第12主日の正午の祈りの説教で、「息苦しくさせられたり、打ち負かされそうになったりするものではなく、人生で真に大切なものに、正しい注意と気遣いをするように」と信徒たちを促され、「そのために代価を払うことが必要になったり、恐怖を覚えたりしても、『大切なものに忠実であり続けるように』とイエスは勧めておられます。(世の中や周囲の)流れに逆らっても、皆がそうだと思っている考え方をためらわずに拒否するように。そうすれば、残りのことは主が引き受けてくださるでしょう」と説かれた。

 教皇はこの説教でまず、この日のミサで読まれた福音で、イエスが弟子たちに「恐れるな」と三度繰り返しておられることに注意を向けられ、「この箇所の少し前に、イエスは福音のために耐えねばならない迫害について彼らに語られています… 教会は大きな喜びと同時に大きな迫害を経験してきましたし、イエスが語られたことは、今日の私たちにも当てはまります」とされた。

 そして、「神の国の宣言は、兄弟愛と赦しに基づいた『平和と正義のメッセージ』であるのに、私たちが反対、暴力、迫害に遭遇するのは逆説的。それにもかかわらず、イエスが『恐れるな』と言われるのは、世の中すべてがうまくいくからではなく、私たちは主に大切にされており、反対に遭っても、『良いものは何も失われない』からです」と指摘。私たちにとって恐れねばならない、ただ一つのことは「自分の命を捨てることです」と強調された。

 さらに、 「福音に忠実であり続けることで誤解や批判に苦しんだり、名声や経済的利益を失ったりすることを恐れるべきではない。恐れるべきは、人生にとって意味のないことを追いかけ、自分の人生を無駄にすることなのです」とされ、この忠告は、「私たち一人一人に向けられたもの」と注意された。そして、「意味のないこと」の例として、「今でも、特定の流行を追わないと、笑いものにされたり、差別されたりするかも知れませんが、流行というのは大方が、人ではなくモノを、人間関係ではなく目立つ行為を価値の中心に置くもの」と語られた。

  教皇は、子を持つ親たちに目を向け、「彼らは、家族を養うために働かなければなりませんが、それだけで生きていくことはできません。子供たちと一緒にいる時間が必要です」とされ、司祭や修道女についても、「彼らは、 奉仕に専念しますが、イエスと一緒にいることに時間を捧げることも忘れてはなりません。それを忘れると、『(神の栄光ではなく、人間的な栄光、自己の利益を求める)霊的な世俗性』に陥り、自分が何者であるか分からなくなります」と説かれた。

 また若者たちには「彼らは、勉強、スポーツ、さまざまな趣味、スマホ、ソーシャルネットワークなど、たくさんのことに引き付けられ、懸命になっていますが、限られた貴重な時間を無駄にせず、人と出会い、大きな夢を実現するために使う必要があります」と強調。 「『効率と消費主義』の偶像に直面する中で、捨てることも必要になりますが、自分がモノに埋もれて捨てられてしまうのを避けるために、それは必要なことなのです」と訴えられた。

 最後に教皇は、「 大切なことに忠実であり続けるには、代償が求められます」とされ、「その代償とは、世の流れに逆らい、世間一般の常識の縛りから自分を解放すること、『波に乗る』人た力わきに追いやられることですが、『そのようなことは問題ではない』とイエスは言われます。イエスが言われる大切なことは、『人生の最大の善を、実際の価値のないもののために捨てないこと』です」と強調。

 そして、信徒たちに、「私は何を恐れているのか? 自分の好きなものが無いことか? 社会が課している目標を達成できないことか?他人の評判か? それとも、主を喜ばせられないことか?」と自分に問いかけることを勧められ、最後に、「私たちが選択を求められるとき、知恵と勇気を与えてくださいますように」と聖母マリアに祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年6月25日

☩「悲劇が繰されないように、あらゆる努力を」教皇、20日の国連「世界難民の日」を前に移民船転覆の悲劇を想起

ギリシャ南部沖で転覆事故にあったとされる移民船 ギリシャ南部沖で転覆事故にあったとされる移民船   (AFP or licensors)

 20日は国連「世界難民の日」だが、教皇フランシスコは18日の年間第11主日の正午の祈りで、14日にギリシャ沖で移民船が転覆、多くの死者を出した悲劇を祈りとともに思い起こされた。

 国連は毎年6月20日を「世界難民の日」と定め、難民の保護と支援への関心・理解を深める機会としている。

 聖ペトロ広場に集まった人々との正午の祈りで、教皇は20日の国連「世界難民の日」に触れつつ、先日ギリシャ沖で起きた移民船転覆の悲劇を大きな苦しみをもって思い起こされ、命を落とした人々の冥福を祈ると共に、このような悲劇が繰り返されないたための、あらゆる努力を呼びかけられた。

 

2023年6月20日

・教皇、ウガンダで過激派に殺された多数の中学生のために祈る

The school in the Ugandan district of Kasese where the attack occurredThe school in the Ugandan district of Kasese where the attack occurred  (ANSA)

 東アフリカのウガンダ西部ムポンウェの中等学校が16日夜、過激派組織「イスラム国(IS)」系の武装集団に襲撃され、生徒ら少なくとも41人が殺される、という惨事が起きたが、教皇フランシスコは18日の正午の祈りの中で、「残忍な襲撃」で殺された若い犠牲者のために祈りを捧げれらた。

 教皇は退院後初めてとなる主日の正午の祈りで、ウガンダ西部の学校への「残忍な襲撃」の犠牲となった若い生徒たちに思いを向けられ、「緊張と戦争が続いているあらゆる場所」に平和がもたらされるように祈ることを、人々に求められた。

  17日のウガンダの軍当局の発表によると、襲撃したのは「民主同盟軍(ADF)」。関係者や目撃者によれば、彼らは、銃やナイフで学校を襲い、寮に火をつけた。襲撃後は女子学生6人を拉致し、コンゴ民主共和国方面に逃走した、という。

 犠牲者のうち39人は生徒で、学校施設内で殺害された。火災による損傷が激しく、身元が判別できない遺体が多かった。依然、行方不明の生徒もいるという。このほか、集落でも男女それぞれ1人ずつが殺害されている。

 ADFは1986年以来政権を握っているウガンダのヨウェリ・ムセベニ大統領の政府に反抗しているが、最近では、民間人、特にコンゴ東部の国境近くの集落などに攻撃を仕掛けている、と非難されている。 先週だけでも、ウガンダとの国境近くのコンゴ共和国の村が襲撃された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年6月18日

☩「あなたがたが一番辛い時、神は共にいてくださる」ー教皇、年間第11主日の正午の祈り再開

 

(2023.6.18 Vatican News  Linda Bordoni)

    教皇フランシスコは、18日、年間第11主日の正午の祈りを、聖ペトロ広場に集まった人々と共に捧げられ、説教の冒頭で、ご自身が16日まで入院されていたジェメリ病院の医師はじめ関係者の愛情、配慮、友情、そして祈りに満ちた支えに、深く感謝された。そして、 「この人間的な親密さと霊的な親密さは、私にとって大きな助けと慰めになりました。 皆さん、ありがとうございました! ありがとう! 心の底から感謝します!」と述べられた。

 先週11日の「キリストの聖体」の主日は、教皇は、7日の手術の後の治療のため入院中で、聖ペトロ広場の人々と正午の祈りをなさることができなかったが、18日は、これまでどおり使徒宮殿の窓から広場に集まった人々にあいさつされ、共に正午の祈りを捧げられた。そして、「私たちが転び、もがいている時、父親のように私たちの手を取ってくださる神に感謝し、主に信頼して愛と希望の業を行いましょう」と人々に呼びかけられた。

   説教の中で、教皇は、イエスが天国が近づいたことを宣言するために使徒たちを遣わされる場面を描いたマタイの福音書(10章7節)を取り上げ、「天の国は近づいた」というイエスの言葉に関心を向けられ、「 私たちの中にあるのは『人生の根本にある現実』です。天の神が近くにいらっしゃるなら、私たちは地上で一人ではないし、たとえ困難な状況にあっても信仰を失うことはありません」と強調。

 「神は、子供たちを知り、愛する父親… 厳しく険しい道を旅する時も、転んでも立ち上がり、元の道に戻るのに苦労する時も、です… あなたがたが一番弱っている時ほど、神の存在をより強く感じることができる。 神は歩むべき道をご存じで、あなたがたと共におられ、あなたがたの父なのです! 神がおられれば、すべてに慣れ親しむことができ、安心して旅することができるのです」と語られた。

 そのうえで教皇は、信徒たちに対して、「大きくて神秘的」で親しみやすく、安心して歩めるよう手を取って子供たちを連れて行ってくれる、愛情深い父親のイメージをもって外に出、「私たちは神の近くにいるのだ」と宣言するように、勧められ、さらに、「私自身が神の近くにいることが、最初の宣言になる。神の近くにいることによって、私たちは恐れを克服し、愛に心を開き、善良さにおいて成長することができ、それを人々に宣言する必要性と喜びを感じることが出来るのです」と説かれた。

 教皇は続けて、 「良い使徒になりたいなら、私たちは子供のようにならなければなりません」と言われ、「愛と希望の行為を行う 神が近くにおられることの宣言は、『多くの言葉を発する』ことによってではなく、『主の御名において愛と希望の多くの行為を行う』ことによってなされねばなりません。これが宣言の核心です。自由に証しすること、奉仕することです」と強調。

 最後に教皇は信徒たちに、「神を信じて(自らの過ちを)打ち明けているかどうか、御言葉に耳を傾け、秘跡に参加しているかどうか」「 他の人に勇気を与え、孤独で苦しんでいる人に寄り添う方法を知っているかどうか」と自分自身に問いかけるよう勧められ、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年6月18日

☩「お年寄りたちのために、何ができるか考えよう」―7月23日「祖父母と高齢者のための世界祈願日」に向けて

 

お年寄りたちと話す教皇フランシスコお年寄りたちと話す教皇フランシスコ  (Vatican Media)

 7月23日(日)に記念される「第3回祖父母と高齢者のための世界祈願日」のための教皇フランシスコのメッセージが15日、発表された。

 2023年度「祖父母と高齢者のための世界祈願日」のテーマは、「その憐れみは代々に限りなく」(ルカ福音書1章50節)。

 今年8月に迫った「世界青年の日(ワールドユースデー)リスボン大会」を背景に、教皇はメッセージの中で、「マリアの賛歌」(マニフィカト)で歌われるこの言葉を通し、若いマリアと年取った親戚エリザベトとの出会い(参照 ルカ福音書1章39-56節)を取り上げられた。

 「マリアに降った聖霊が、世代から世代へと広がる神の憐れみを高らかに宣言させたように、聖霊は異なる世代間のあらゆる出会いを祝福し見守っています」とされ、「神は、マリアがエリザベトにしたように、若者がお年寄りの心を喜ばせると同時に、年配者たちの経験に満ちた叡智からくみ取るように、そして、何よりも、お年寄りたちを一人にしないように、と願っておられます」と説かれた。

 そして、「若いマリアと年老いたエリザベトの出会いの中で、神は御自身の未来を贈られています… マリアの旅とエリザベトのもてなしは、救いの啓示に扉を開き、彼女たちの抱擁を通して、神の憐れみは人類の歴史に穏やかな喜びと共に流れ込みました」と語られ、「目を閉じて、神の若き御母と洗礼者聖ヨハネの年配の母の抱擁を想像し、内的な輝けるイコンとして魂の中にとどめるように」と信徒たちに勧められ。「祖父母やお年寄りたちを抱擁するために、自分に何ができるか、具体的に考えるように」と願われた。

 さらに8月に開かれる「世界青年の日・リスボン大会」に言及され、大会への準備をしている若者たち、あるいは自分の置かれた場所から同大会に心を合わせる若者たちに、「大会前に祖父母や一人暮らしの高齢者を訪問するように。お年寄りたちの祈りは、皆さんを守るでしょう」と呼び掛けられた。またお年寄りたちに、「『世界青年の日大会』を祝おうとしている若者たちを、祈りと共に見守って欲しい」と希望された。

(編集「カトリック・あい」)

 

2023年6月17日

☩「平和だけが正義。歴史に平和の一章を刻む時間はまだある」ー教皇、国連安保理にメッセージ

A Ukrainian woman in tearsA Ukrainian woman in tears 

   教皇フランシスコは14日、開催中の国連安全保障理事会にメッセージを送られ、「平和は、本当に望むなら実現可能」であり、「平和は人類に対する神の夢です」と強調。「怒りをこめた攻撃的ナショナリズム」の氾濫を警告し、「透明性と誠実さ」を持って国連憲章を援用することを強く求めた。

 手術後の治療で入院中の教皇に代わってバチカン国務省のギャラガー外務局長が代読したメッセージで、教皇は、安保理事会のメンバーの国々に対して、暴力、紛争、武器の増強を止めるよう改めて呼び掛け、「このような行為は、今日の世界を特徴づけている”友愛の飢餓”の反映です。戦争に断固として『ノー』を言い、戦争は正義ではなく、平和だけが正義だ、と主張する時が来ています」と強調された。

 

 

*断片的な第三次世界大戦の中で、無力に見える国連安保理だが平和促進に不可欠

 メッセージで教皇は、今、人類は「平和が戦争に取って代わられるかのように見え、様々な争いに火を点ける近視眼的で過激主義的で、怒りに満ち、攻撃的な時代錯誤で暴力的でさえあるナショナリズムの台頭によって歴史が逆行しているように見える」重大な瞬間を経験しており、時とともに紛争が増大、拡大し、人々が危険にさらされる「第三次世界大戦が断片的に続く中で、私たちは生きています」と改めて警告。

 そのような中で、世界の安全と平和を監督する使命を負った国連安全保障理事会そのものが「人々には無力で麻痺しているように見える」にもかかわらず、 「バチカンは、あなたがたの仕事の重要性を高く評価しており、その働きは、平和を促進するために不可欠。まさにそれゆえに、私はあなたがたに、個々のイデオロギーや狭い視野、党派的な考えと利益を脇に置いて、人類の共通の課題に正面から取り組むよう、心からお願いしたい」と強く要望された。

 

*国連安保理のすべての努力を全人類の利益を図ることに集中すべきだ

 さらに国連安保理のすべての努力は、全人類の利益を図ることに集中し、「偽りの意図を隠す手段としてではなく、正義の義務的を果たす立脚点として、透明性と誠実さをもって、不純な動機ななしに国連憲章を尊重し、援用することが期待されています」と強調。「 今日のグローバル化した世界で、私たちは〝親密„になってはいるが、兄弟姉妹的でなくなっている。それどころか、私たちは"友愛の飢餓〟に苦しんでいます。それは不正義、貧困、不平等といった多くの状況と、連帯の文化の欠如から生じているのです」と指摘された。

 そして、9月21日の国連・国際平和デーに向けたご自分のメッセージを引用する形で、「蔓延する個人主義、自己中心主義、物質主義的な消費主義を特徴とする新しいイデオロギーは、社会の絆を弱め、最も弱い人々や考慮されている人々への軽蔑と放棄につながる”使い捨て”精神を助長している。そして、人間の共存は、ますます現実的かつ利己的な単なるdo ut des(ギブ・アンド・テイク)の様相を呈しています」と警告。

  この”友愛の飢餓”がもたらす最悪のものは「武力紛争と戦争」であり、「個人だけでなく民族全体を敵にし、その悪しき影響は何世代にもわたって共鳴していきます」と述べられ、「このような現実は、国連創設によって過去の二度にわたる悲惨な世界大戦から教訓を得られた、と思われた当時と比べ、人類にとって一歩後退になっている」とされ、その現実を正面から受け止め、「安定した平和を目指して、最終的には全人類が家族となること」を目指せねばならない、と訴えられた。

 

 

*武器取引で得た金は無実の人々の血で汚れている

 また教皇は「平和は、人類への神の夢。だが、この素晴らしい夢が、戦争によって悪夢に変わりつつあることを、残念に思わずにはいられない。そして、この問題の根源は経済的なものにあります」とされ、「戦争が利益を生む、という点で、平和よりも魅力を感じる場合が多いかも知れないが、その利益は常に少数者のものであり、国民全体の幸せを犠牲にして得られるもの。武器取引で得た金は、無実の人々の血で汚れているのです」と強く批判。「高度で強力な武器を売るよりも、平和を維持するために、利益を放棄する勇気が必要。戦争をするよりも、平和を求める方が、勇気が必要です。出会いを促すには勇気が必要です。対立し、敵対関係を続けるよりも、交渉のテーブルに就くことです」と強調された。

 

*核兵器、大量破壊兵器がもたらす結果は壊滅的

 さらに、平和を構築するためには、「戦争の正当性の論理から離れなければなりません。過去の武力紛争は範囲が今より限られていましたが、今では、核兵器など大量破壊兵器によって、 戦場は事実上無制限に広がり、それがもたらず結果は壊滅的です」と指摘。

 「戦争に断固として『ノー』と言い、『戦争は正義ではない。平和だけが正義だ』と主張する時が来ています。安定し永続する平和は、抑止力の不安定な均衡の上に築かれるのではなく、私たちの一致した友愛の上に築かれるのです。 私たちは同じ地球上を旅しており、一つの共通の家の住人。ナショナリズムの雲で私たちが住んでいる天を暗くすることはできません」と訴えられた。

 

*「友愛」を抽象的な概念にとどめず、平和の真の出発点に

 

 メッセージの最後に教皇は、「誰もが自分のことだけを考えたら、私たちはどこに行き着くのでしょうか?」 と問いかけ、「平和の構築に努める者は友愛を促進しなければなりません。それには、『情熱と忍耐、経験と先見の明、粘り強さと献身、対話と外交』の『技巧』が求められます」と強調。

 そして、「特に紛争によって苦しめられている人々、特に子供たちの叫びに耳を傾けることも必要です。彼らの涙に濡れた目は、私たちを裁く。私たちが彼らのために用意する未来として何を選ぶか、それによって私たちは裁かれるでしょう」と警告されたうえで、「人類の歴史に平和の新たな一章を刻む時間はまだあります。戦争が未来ではなく、過去のものとなるような形で。そのために 重要かつ決定的な言葉は『友愛』です。 友愛を抽象的な概念にとどめてはならない。真の出発点にせねばなりません」と強く訴えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年6月15日

☩「どんな貧しい人にも顔を背けるな」-11月19日「第7回貧しい人のための世界祈願日」へ教皇メッセージ

教皇フランシスコ、「第7回貧しい人のための世界祈願日」に向けメッセージ教皇フランシスコ、「第7回貧しい人のための世界祈願日」に向けメッセージ  (AFP or licensors)

 教皇フランシスコは14日付けで、11月19日の2023年度「貧しい人のための世界祈願日」に向けたメッセージを発表された。

 2023年度の同祈願日は、11月19日(日)に記念される。今年のテーマは、旧約聖書の『トビト記』にある、信仰深いトビトが息子トビアに与えた言葉、「どんな貧しい人にも顔を背けてはならない」(4章7節)。

 教皇はメッセージで、「私たちが毎日貧しい人々を受け入れる一方で、貧しい人たちの群れは、大河のようにあふれんばかりです」と述べられた。

 そのうえで、「王であるキリスト」の祭日に先立つ日曜日、清貧を生き、貧しい人に仕える恵みと使命を改めて受け取るために、主の食卓のまわりに再び集う、この祈願日の意義を示された。

 「どんな貧しい人にも顔を背けてはならない」(4章7節)というトビト記の言葉は、信仰の人、良き父であるトビトが、息子トビアの旅立ちに際して与えた「霊的遺言」ともいえる教えであり、父は息子に、神を記念し祈ることはもとより、良き業を行い正義を生きるための具体的な態度が大切であることを諭している、と説明。

 教皇は、「貧しい人に憐み深いトビトは失明という試練を負うが、主は、トビトの息子トビアの旅を通して、再び彼の目に光と喜びを与え報いられる」という『トビト記』のストーリーを思い起こされ、「私たちは今、貧しい人への関心を育むことが困難な時代を生きていますが、幸福を求める人々の声が大きくなる一方で、貧困を生きる人々の声はかき消されている」と指摘。

 「貧しい人々のイメージは、わずかな間、心を動かすが、実際に街角で貧しい人たちに出会えば、それは迷惑で距離を置きたい存在に変わってしまいます」と述べ、他者のために立ち止まることができない、今日の社会の様相を見つめられた。

 そして、「新しい形の貧困の中で、特に子どもたちをはじめ紛争地に生きる、安定した現在と尊厳ある未来を奪われた人々」に思いを寄せられ、「誰もこのような状況に慣れっこになってはなりません。復活の主の賜物、正義と対話の努力の実りとしての平和が定着するまで、あらゆる取り組みを尽くすように」と願われた。

 また教皇は、物価高に苦しむ家族、不安定な条件下で働く労働者、進むべき道を見出せない若者たちにも、眼差しを向けられ、「貧しい人々について語ることは、ややもすると論理や数字・統計だけで終わりがちです。貧しい兄弟姉妹たちが、それぞれの顔や、ストーリー、心をもった存在であることを忘れず、これらの人たち、一人ひとりとの関係に入っていかねばなりません」と強調された。

 教皇は、「貧しい人々への関心は、単なる施しに留まらない、これらの人々との正しい人間関係の再構築へと、私たちを招くもの」とされ、「『どのように貧しい人にも顔を背けてはならない』という言葉は、こうした関係を築いてこそ、キリスト教生活全体に意味を与える慈しみと愛の恵みへと、私たちを導くことになるでしょう」と語られている。

(編集「カトリック・あい」)

2023年6月14日

☩「天は友愛を持って共に歩むよう、私たちを招いている」—教皇、第1回人類の友愛・世界大会に

Cardinal Pietro Parolin greeting Dr. Muhammad Yunus, one of the 30 Nobel Prize laureates drafting the Declaration on Human Fraternity presented at the conclusion of the World Meeting #NotAloneCardinal Pietro Parolin greeting Dr. Muhammad Yunus, one of the 30 Nobel Prize laureates drafting the Declaration on Human Fraternity presented at the conclusion of the World Meeting #NotAlone

(2023.6.10 Vatican News   Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは10日、聖ぺトロ広場で開かれた「Fratelli tutti財団」主催の第1回人類の友愛・世界大会にメッセージを送られ、ノーベル賞受賞者30人が作成した「Declaration on Human Fraternity(人類の友愛に関する宣言)」を称賛されるとともに、「天は、私たちが共に歩み、兄弟姉妹として互いを再発見し、私たちの人生の旅の基礎として友愛を信じるよう、招いています」と参加者全員に訴えられた。

 教皇はこの大会に出席される予定だったが、現在、入院中のため、メッセージは、聖ぺトロ大聖堂大司祭でバチカン市国総代理のマウロ・ガンベッティ枢機卿が代読した。

 

*友愛と平和

 大会では、イタリア(トラッパニ)、コンゴ(ブラザヴィル)、中央アフリカ共和国(バンギ)、エチオピア、アルゼンチン(ブエノスアイレス)、イスラエル(エルサレム)、日本(長崎)、ペルー(リマ)などからの参加者が自分たちが経験していること、経験したことなどを語り合った。

 メッセージの中で教皇はまず、大会出席者全員が共有した「世界の友愛と平和への願望」を確認され、戦争、貧困、苦難など悲惨な経験で傷を負った全員が、この場で受け取った善意と友愛の業を指摘。連帯と友情のもとに前進し、共通の人間性を証しし、友愛への呼びかけに応えるために、「兄弟姉妹として団結するように」と呼び掛けられた。

 そしてご自身が出された回勅「Fratelli tutti(兄弟の皆さん)」を思い起こされ、「真の友愛は、互いを、単なる”統計上の存在”や”他人”として見るのではなく、兄弟姉妹として、尊厳を持ち尊敬に値する人間として見るように、私たちに求めています」とされ、「 搾取と無関心、暴力と戦争で特徴づけられた現代の苦難に満ちた世界では、”小手先の調整”では効果がない。心からの、友愛を核にした精神的かつ社会的な契約だけが、人間の尊厳の神聖さと不可侵性を回復することができるのです」と強調された。

*「平和の文化」へ具体的な行動をしよう

さらに教皇は、「平和の文化」を促進するためには理論だけでなく、「具体的な行動を共にする」ことが必要、と指摘され、「私たちは、『社会が自分に何をしてくれるか』ではなく、『自分は兄弟姉妹に何与えることができるか』をまず問わねばならない。 兄弟姉妹愛を築き、家族、友人、隣人と率直に和解し、自分を傷つけた人々のために祈り、困っている人々を助け、日常生活のあらゆる場で平和の言葉を語り、 孤独のうちにいる人々のそばにいてに慰める、そのような具体的行動をしよう」と促された。

 

*”優しさの香油”を塗ろう

また教皇は、”血流が止まって腐敗”した個人や民族の関係を治癒するために、「私たちは”優しさの香油”を塗るよう求められています」とし、「神の名において、平和を願うすべての男女の名において、『戦争にノー』を叫び続けるのを諦めないようにしましょう」と呼び掛け、友愛は「貴重であると同時に壊れやすいもの」だが、「友愛が私たちを団結させている、という感覚は、憎しみや暴力よりも強い」とされ、「私たちが共通の苦しみの中で『共に感じている』という感覚は、 紛争の闇を無くす光に火を点ける“火花”になりえます」と語られた。

*友愛をもって、より良い方向に変わろう

 続けて教皇は「私たちが皆、兄弟姉妹だ、と確信することは、自分自身の民族的、文化的ルーツを超えて、互いの人間としての尊厳を理解するのに役立ちます…  そして、個人や共同体社会が友愛を選択することで、様々な国や社会の政策がより良い方向に変化する可能性があります。 環境を保護する政策、労働に対する公正な対価の確保、過去の過ちを正す努力など、すべてが希望、繁栄、正義、そして癒しにつながります」と励まされた。

 メッセージの最後に、教皇は、大会の主催者に感謝を述べ、大会に出席した著名なノーベル賞受賞者30人がこの日の早い時間に起草した「人類友愛に関する宣言」に敬意を表し、「この宣言は友愛を生き、日々、具体的な行動を通して、それを証しする指針を提供してくれます」と評価された。そして、「平和の文化を共に築くために、世界中の女性と男性を招き入れたいという願いを、皆さんの心と記憶の中に留めておいていただきたい。 確かに、平和には友愛が必要であり、友愛には出会いが必要です」と訴えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

*ノーベル賞受賞者グループの代表、ムハマド・ユヌス、ナディア・ムラド両博士が大会でバチカンのピエトロ・パロリン国務長官に提出した「人類の友愛に関する宣言」の英語版全文は以下の通り。

 

Declaration on Human Fraternity

ROME, St. Peter’s Square, June 10th, 2023

“We are diverse, we are different, we have different cultures and religions, but we are brothers and sisters and we want to live in peace” (Pope Francis).

Every man is our brother, every woman is our sister, always. We want all to live together, as brothers and sisters in the Garden that is the Earth. The Garden of fraternity is the condition for all life.

We are witnesses of how, in every corner of the world, lost harmony blooms again when dignity is respected, tears are wiped away, work is fairly remunerated, education is guaranteed, health is cared for, diversity is appreciated, nature is restored, justice is honored, and communities face their loneliness and their fears.

Together, we choose to live our relationships based on fraternity, fueled by dialogue and by forgiveness that “does not mean forgetting” (Fratelli tutti, n. 250), but renounces and does not “yield to the same destructive force” (FT, n. 251) whose consequences we all suffer from.

United with Pope Francis, we want to reaffirm that “authentic reconciliation does not flee from conflict, but is achieved in conflict, resolving it through dialogue and open, honest and patient negotiation.” (FT, n. 244) All this within the context of the human rights framework.

We want to shout to the world in the name of fraternity: Never again war! It is peace, justice, equality that guide the fate of all mankind. No to fear, no to sexual and domestic violence! All armed conflicts must come to an end. We say no more nuclear weapons, no more land mines. No more forced migrations, ethnic cleansing, dictatorships, corruption and slavery. Let us stop the manipulation of technology and AI, let us put fraternity before technological development, so that it may permeate it.

We encourage countries to promote joint efforts in order to create a society of peace, for example by instituting Ministries of Peace.

We commit ourselves to healing the land stained by the blood of violence and hatred, by social inequalities and corruption of the heart. Let us counter hatred with love.

Compassion, sharing, generosity, sobriety, and responsibility are for us the choices that nurture personal fraternity, the fraternity of the heart.

Growing the seed of spiritual fraternity begins with us. It is enough to plant a small seed each day in our relationships: our homes, neighborhoods, schools, workplaces, public squares, and within decision-making institutions.

We also believe in social fraternity that recognizes equal dignity for all, fosters friendship and belonging, promotes education, equal opportunities, decent work and social justice, hospitality, solidarity and cooperation, social solidarity economy and a just ecological transition, a sustainable agriculture that ensures access to food for all, thus favouring harmonious relationships based on mutual respect and caring for the welfare of all.

In this perspective, it is possible to develop proximity actions and human laws, because “fraternity necessarily calls for something greater, which in turn enhances freedom and equality” (FT, n. 103).

Together, we want to build an environmental fraternity, to make Peace with nature, knowing that “everything is in relation to everything else”: the fate of the world, the care of creation, the harmony of nature and sustainable lifestyles. We want to build the future on the notes of Saint Francis’s Canticle of the Creatures, the song of eternal Life. The plot of universal fraternity weaves the threads of the Canticle’s verses: everything is in relation, and in relation with everything and everyone is Life.

Therefore, we, gathered on the occasion of the first World Meeting on Human Fraternity, call on all women and men of goodwill to embrace our appeal to fraternity. Our children, our future can only thrive in a world of peace, justice and equality, to the benefit of the single human family: only fraternity can generate humanity.

It is up to our freedom to want fraternity and to build it together, in unity. Join us in signing this appeal to embrace this dream and transform it into daily practices, so that it reaches the minds and hearts of all leaders and of those who, at every level, have a small or great civic responsibility.

2023年6月11日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」⑯「幼いイエスの聖テレジアの『小さき道』に倣おう」

(2023.6.7 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは7日、水曜恒例一般謁見で毎週の一般謁見で「使徒的熱意について」の連続講話を続けられ、今回は、幼いイエスの聖テレジア(リジュ―の聖テレジア)をその模範として取り上げられた。

 教皇は彼女を特徴づける「小さき道」を称賛され、「病気と早世にもかかわらず、並外れた愛を持ってどんな小さなことでも行う道を示しました… その『小さき道』に倣い、主がなさったように、どんなに小さなことでも大きな愛を持って行いましょう」と信徒たちに呼び掛けられた。

 教皇は、聖人が150年前の1873年1月2日に生まれたことを思い起され、教皇はその記念日に使徒書簡を彼女に捧げる計画を表明された。そして、「彼女は福音宣教の後援者ですが、実際に福音宣教に派遣されたことはありませんでした」と述べ、「宣教者」についてのこれまでの”常識”に異議を唱えられた。

*最後まで『宣教者』となることを望んでいた

 そして、彼女はカルメル会の修道女として、「小ささと弱さに従って人生を送りました」とされ、彼女が自分自身を「小さな砂粒」と定義していたことを思い起され、「 彼女は健康状態が悪く、若干24歳で亡くなりました。でも、体は病弱でしたが、その心は生き生きとした宣教者でした」と語られた。

 さらに教皇は、彼女が「日記」の中で、「自分の願いは願望は宣教者になることでした」と述べていることを指摘され、「宣教者になりたいと思ったのは、数年だけではなく、残りの人生を通して、最後まで宣教者になることを望んでいたのです」とし、彼女の日々の決意は「イエスを愛してもらうこと」であり、「他の人のために執り成すことでした」と強調。

 聖人が、手紙で「私は人々の魂を救いたい、そして彼らのために自分を忘れたい。私は自分の死後も彼らを救いたい」と書いていたことを挙げ、「彼女は何度も言っています。『私は、天国で、地上で良いことをして過ごすつもりです』と。彼女の使徒的熱意は、良き羊飼いイエスを模範に特に罪人、つまり『遠くにいる人たち』に向けられていました」と指摘。聖人が数人の宣教師の「霊的姉妹」として奉仕し、修道院からの手紙や祈りを通して”共に歩み”、継続的な犠牲を捧げたことも思い起こされ、 「姿を見せず、隠れていながらも『車に前進の力を与えるエンジン』のように働いたのです」と語られた。

*同僚の修道女から『バラよりも棘』を受けたが

 「ただし、そのことが同僚の修道女たちには理解されないことが多かった」と教皇は嘆かれ、「彼女は彼らから『バラよりも棘』を受けた… しかし、病気に加えてこれらの批判や誤解さえも、すべてを愛情を込めて、忍耐強く受け入れました。教会が必要としていることのために喜んでそうしました。 彼女が言ったように、『バラは誰にでも、特に最も遠くにいる人に落ちるかもしれない』のです」と説かれた。

 

*「宣教者」とは、与えられた場で神の愛の道具として生きる人

 続けて教皇は、「宣教者とは、長い旅をし、新しい言語を学び、良い行いをし、宣教に長けている者だけを意味しません… 与えられた場で神の愛の道具として生きる人たち。証し、祈り、とりなしを通して、イエスがそばを通されるためにあらゆることをする人たちです」と強調され、使徒的な熱意は「人を改宗させたり、束縛したりすることに働くのではない。”引き付ける力”として働くのです」と注意された。

 そして「人は誰かに強制されてキリスト教徒になるのではなく、愛に触れられたからキリスト教徒になるのです。そのために、「教会には幼いイエスの聖テレジアのような心、つまり、『人々を愛し、神に近づける心』が必要なのです」とされ、この本質的な側面を見失わないよう、信徒たちに注意された。

 最後に教皇は、「利己心を克服する恵みと、イエスが知られ愛されるよう執り成してくれる情熱」を幼いイエスの聖テレジアに願うよう、勧められて、講話を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年6月7日

☩「私たちは、神の計り知れない愛を証しているだろうか」-三位一体の主日、正午の祈りで

Pope Francis gives his Angelus addressPope Francis gives his Angelus address  (ANSA)
 さらに、「私たちは人生を共にする『食卓を囲む家族』のイメージをもって、神について考えることができるでしょう… 祭壇でもあるその食卓は、三位一体を表す象徴でもある。それは『交わりの神』について私たちに語られるイメージです」と指摘。だが、「それは単なる『イメージ』ではありません。『現実』です。なぜなら、聖霊-父がイエスを通して私たちの心に注いでくださった聖霊-が私たちに、『神の臨在』を味わわせてくれるからです。それは親密で、思いやりがあり、優しい… 私たちは、神の愛を分かち合うよう招かれているのです」と説かれた。
 教皇はまた、「 聖霊は、イエスがニコデモに対してなさったことと同じことを私たちにもしてくださいます。すなわち、聖霊は、私たちに新たに生まれることの神秘を知らせ、父の御心を私たちに明らかにし、私たちを神の命そのものに分かち合う者にしてくださいます」と述べ、 「聖霊が私たちに手を差し伸べる招きは、神と共に食卓に就き、神の愛を分かち合うことだと言えるでしょう。それは、イエスが御自身を御父に捧げる祭壇でのミサでなされていることです。イエスは、 私たちのためにご自身を差し出してくださいました」と強調。
 そのうえで、「どうすればこのことを思い起こすことができるのでしょう? 私たちが子供の頃に学んだ最も単純な動作。つまり十字架のしるしを切り、十字架をたどることによって、私たちのために命を捧げるほど神が私たちを愛してくださったかを思い起し、神の愛が私たちを完全に包み込んでいることを、繰り返し思い起こすのです」と説かれた。
  教皇は、信徒たちに、沈黙のうちに十字架のしるしを切るよう勧められ、「 愛としての神を実感すると同時に、私たちは愛としての神を証しし、神の名において交わりを生み出すことに努めねばなりません」とされたうえで、このように自らに問うように言われた-「私たちは愛としての神を証ししているでしょうか? それとも、愛としての神は、もはや慣れ親しんだ”概念“となり、私たちの人生を刺激することがなくなってしまったのでしょうか?」。
 また、自分たちの教会共同体が、愛としての神を証ししているが、問い返すように求められた- 「共同体の人たちは、愛する方法を知っていますか? 家族ですか?」 。そして、「愛を捧げることには、慈悲深く、扉を開けておき、教会共同体をすべての人にとっての家にすることが含まれます」とされ、聖母マリアに、「父と子と聖霊なる神の栄光のために、教会が『親しみをもって愛する家』として生きることができるよう、助けてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年6月4日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」 ⑮マテオ・リッチの中国の人々への愛は、霊的力の源泉

(2023.5.31  Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 Pope Francis holds his weekly General Audience教皇フランシスコは31日の水曜恒例一般謁見での「使徒的熱意について」の連続講話で、聖フランシスコ・ザビエルの夢をかなえて中国に入国したイエズス会宣教師、尊者マッテオ・リッチ( 1552 – 1610)を取り上げ、「彼の中国の人々への愛は、今も、一貫したキリストの教えの証しの模範、尽きることのない霊的力の源となっている」と讃えられた。

 前週の連続講話で教皇は、中国行きの夢を果たせなかった韓国初の司祭、殉教者、聖キム・テゴンを「使徒的熱意」の模範として取り上げたが、この日は中国行きを果たしたリッチに注目された。リッチはイタリアに生まれ、イエズス会の学校で学んだ、教皇の”大先輩”だ。

 イエズス会の多くの若い仲間と同様に、宣教師たちの海外での活動報告に強く感動し、極東への派遣を願い出た。念願かなって中国に派遣され、難しい中国語を辛抱強くマスターし、その国の文化に深く精通するようになった。

  教皇は、「リッチにとって、度重なる抵抗を受け、多くの障害を乗り越えて北京に到着するのに、18年の歳月と揺るぎない信仰が必要でした。そして、中国語での著書と数学と天文学の知識のおかげで、彼は中国で、賢人、学者として知られ、尊敬を受けるようになり、その膨大な知識と、誠実かつ敬意を持って対話する能力が、福音への奉仕に生かされた。それによって、中国において、イエスへの多くの扉が開かれたのです」と語られた。Matteo Ricci

 さらに「リッチは著作だけでなく、宗教生活、祈り、美徳の模範によって、福音を告げ知らせ、多くの中国人の弟子や友人を惹きつけ、カトリック信仰を受け入れさせた。…(57年の)生涯を宣教に捧げたのです」とされ、「皇帝によって中国の地に埋葬されることを許可された最初の外国人」となったことを強調された。

 また教皇は、リッチのすべての活動を推進し、宣教師の生活を活気づけた「力強い祈りの生活」に注意を向けられ、「自分のキリスト教信仰が一貫しているかどうか自問するよう、信徒たちに勧める前に、自身が祈りを通してキリストに近づく努力を一貫して行うことこそ、偉大な宣教師の最大の特徴の一つなのです」と説かれた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

*連続講話の全文公式英語訳は以下の通り。

POPE FRANCIS  GENERAL AUDIENCE     Saint Peter’s Square  Wednesday, 31 May 2023

Catechesis. The passion for evangelization: the apostolic zeal of the believer. 15. Witnesses: Venerable Matteo Ricci

Dear brothers and sisters, good morning!

We are continuing these catecheses speaking about apostolic zeal, that is, what the Christian feels in order to carry out the proclamation of Jesus Christ. And today I would like to present another great example of apostolic zeal: we have spoken about Saint Francis Xavier, Saint Paul, the apostolic zeal of the great zealots; today we will talk about one – Italian, but who went to China: Matteo Ricci.

Originally from Macerata, in the Marches, after studying in the Jesuit schools and entering Society of Jesus in Rome, he was enthused by the reports of missionaries whom he had listened to and he grew enthusiastic, like so many other young people who felt the same, and he asked to be sent to the missions in the Far East. After the attempt by Francis Xavier, another twenty-five Jesuits had tried to enter China, without success. But Ricci and one of his confrères prepared themselves very well, carefully studying the Chinese language and customs, and in the end, they managed to settle in the south of the country. It took eighteen years, with four stages through four different cities, to arrive in Peking, which was the centre. With perseverance and patience, inspired by unshakeable faith, Matteo Ricci was able to overcome difficulties and dangers, mistrust and opposition. Think that, in that time, on foot or riding a horse, such distances… and he went on. But what was Matteo Ricci’s secret? By what road did his zeal drive him?

He always followed the way of dialogue and friendship with all the people he encountered, and this opened many doors to him for the proclamation of the Christian faith. His first work in Chinese was indeed a treatise On friendship, which had great resonance. To enter into Chinese culture and life, he first dressed like the Buddhist bonzes, according to the customs of the country, but then he understood that the best way was to assume the lifestyle and robes of the literati. The intellectuals dressed like university professors, and he dressed that way. He studied their classical texts in depth, so that he could present Christianity in positive dialogue with their Confucian wisdom and the customs of Chinese society. And this is called an attitude of inculturation. [In the early centuries of the Church] This missionary was able to “inculturate” the Christian faith, as the ancient fathers had done in dialogue with Greek culture.

His excellent scientific knowledge stirred interest and admiration on the part of cultured men, starting from his famous map of the entire world as it was known at the time, with the different continents, which revealed to the Chinese for the first time a reality outside China far more extensive than they had thought. He showed them that the world was even larger than China, and they understood, becaue they were intelligent. But the mathematical and astronomical knowledge of Ricci and his missionary followers also contributed to a fruitful encounter between the culture and science of the West and the East, which went on to experience one of its happiest times, characterized by dialogue and friendship. Indeed, Matteo Ricci’s work would never have been possible without the collaboration of his great Chinese friends, such as the famous “Doctor Paul” (Xu Guangqi) and “Doctor Leon” (Li Zhizao).

However, Ricci’s fame as a man of science should not obscure the deepest motivation of all his efforts: namely, the proclamation of the Gospel. With scientific dialogue, with scientists, he went ahead but he bore witness to his faith, to the Gospel. The credibility obtained through scientific dialogue gave him the authority to propose the truth of Christian faith and morality, of which he spoke in depth in his principal Chinese works, such as The true meaning of the Lord of Heaven – as the book was called. Besides doctrine, his witness of religious life, virtue and prayer: these missionaries prayed. They went to preach, they were active, they made political moves, all of that; but they prayed. It is what nourished the missionary life, a life of charity; they helped others, humbly, with total disinterest in honours and riches, which led many of his disciples and friends to embrace the Catholic faith. Because they saw a man who was so intelligent, so wise, so astute – in the good sense of the word – in getting things done, and so devout, that they said, “But what he preaches is true, because it is part of a personality that witnesses, he bears witnesses to what he preaches with his own life”. This is the coherence of the evangelizers. And this applies to all of us Christians who are evangelizers. We can recite the Creed by heart, we can say all the things we believe, but if our life is not consistent with this, it is of no use. What attracts people is the witness of consistency: we Christians must live as we say, and not pretend to live as Christians but to live in a worldly way. Be careful of this, look at this great missionary – and he was an Italian, wasn’t he – looking at these great missionaries, see that the greatest strength is consistency: they were consistent.

In the last days of his life, to those who were closest to him and asked him how he felt, “he replied that he was thinking at that moment whether it was greater the joy and gladness he felt inwardly at the idea that he was close to his journey to go and savour God, or the sadness that leaving his companions of the whole mission that he loved so much, and the service that he could still do to God Our Lord in this mission,” (S. De Ursis, Report on M. Ricci, Roman Historical Archive S.J.). This is the same attitude of the Apostle Paul (cf. Phil 1:22-24), who wanted to go to the Lord, to find the Lord, but to stay “to serve you”.

Matteo Ricci died in Peking in 1610, at 57, a man who had given all his life for the mission. The missionary spirit of Matteo Ricci constitutes a relevant living model. His love for the Chinese people is a model; but the truly timely path is coherence of life, of the witness of his Christian belief. He took Christianity to China; he is great, yes, because he is a great scientist, he is great because he is courageous, he is great because he wrote many books – but above all, he is great because he was consistent in his vocation, consistent in his desire to follow Jesus Christ. Brothers and sisters, today we, each one of us, let us ask ourselves inwardly, “Am I consistent, or am I a bit ‘so-so’?”. Thank you.

2023年5月31日

☩「神はいつもあなた方のそばにいて、『前に進め』と励ましてくださる」-ポーランドのがん患者の子供たちに

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(2023.5.29 Vatican News   Lisa Zengarini)

 教皇フランシスコは29日、バチカンのパウロ6世ホールで、ポーランドのヴロツワフ腫瘍病院でがんと闘っている子供たち53人のグループとお会いになり、「イエスはいつも私たちのそばにいて、私たちに希望を与えてくれます。 いつでも、病気の時、強い痛みを伴う瞬間、最も辛い瞬間でも、主はそばにおられます」と励まされた。

 教皇は彼らに、病気と共に生き、苦しみを克服することの難しさを認めたうえで、 「私たちは人生で、生きていく力がないという状況に何度遭遇するでしょうか。 しかし、イエスはいつも近くにいて、あなたにこう言います、『行きなさい、前に進みなさい。 私がそばにいるから』と語られた。

 さらに、彼らが教会と世界において「神の愛の使徒」となるよう促され、 「イエスもこの証しのために、あなた方を必要としておられます」と強調された。

 そして最後に、教皇は、「私たちが孤独を感じ、見捨てられたと感じるとき、特に病いの苦しみとあらゆる問題を抱えているとき、マリアは、母のもつ優しさをもって、いつも私たちの隣にいてくださいます」と励まされた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年5月30日

☩「多くの課題を前に未来に不安を感じても、決して夢をあきらめるな」-教皇、アフリカの子供たちに

教皇フランシスコは、アフリカ諸国の子どもたちとの出会いを持たれた。

(2023.5.29 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、5月29日、バチカンでアフリカの子供たちとお会いになった。5月25日に記念された「アフリカの日」を機会にもたれたもので、会場のパウロ6世ホールには、アフリカ大陸のすべての国々の子供たちが、各国大使や保護者に引率されて参加した。

 教皇は子供たちに、1963年5月25日のアフリカ統一機構の設立を記念して設けられた「アフリカの日」を、「全アフリカ大陸の自由と発展と文化遺産の高揚のための闘いのシンボル」として示しつつ、「皆さんはこの豊かな文化の多様性のしるしです」と語りかけた。

 そして、「自分たちの多様性を大切にしながら、寛大さ、奉仕、清廉、勇気、赦し、正義のための努力、貧しい人々への愛を証ししてください」と願われ、テロリズムや、政情不安、汚職、若者の失業、移民、気候変動、食糧危機など、アフリカ大陸が直面している多くの課題を挙げながら、「これらの問題を前に無力感や未来の不安を感じることがあっても、若く才能にあふれた皆さんは、決して夢を諦めてはいけません」と励まされた。

 さらに、「自分の真の召命を探し続けるように。勉学を通して社会の発展に貢献し、お年寄りたちの助言と証しに照らされ、ルーツを大切にしながら、前に進むように」と説かれ、「人生の最も偉大な挑戦は、平和のために努力すること。今日、人類が大きな危険にさらされる中で、皆さんは自分の周りと自分自身の中で平和を生き、平和の大使となって欲しい」と子供たちに望まれた。

 そして集いの最後に、教皇は参加者と、アフリカのすべての子供たちに祝福をおくられた。

(編集「カトリック・あい」)

2023年5月30日

☩「聖霊は私たちを恐れから解放し、心の扉を開けてくれる」-聖霊降臨の主日の正午の祈りで

(2023.5.29 Vatican News  Linda Bordoni)

     28日の聖霊降臨の主日・正午の祈りの説教で、教皇フランシスコは、世界中の信徒たちに、「恐れを追い払い、神の愛の炎を復活させるように」と呼びかけられた。

  説教で教皇はまず、聖霊降臨を祝うこの日、「福音は私たちを、イエスが亡くなられた後、弟子たちが隠れていた家の二階に連れて行きます」とされ、過越の祭りの夜に、恐怖と苦痛のどん底にあった弟子たちに、復活されたイエスがどのようにして、ご自身を現されたかに、信徒たちの注意を向けられた。

 そして、「イエスは、彼らに息を吹きかけながら、『聖霊を受けなさい』と言われた… イエスは聖霊の賜物によって、弟子たちを恐怖から解放され、『外に出て福音の証人となり、宣べ伝える者になることができるように』と願われました」と説明。

 この日のミサで読まれたヨハネ福音書の箇所(20章19節)に触れて、「弟子たちは、ユダヤ人たちを『恐れて』、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていました。イエスの死にショックを受け、希望を失い、『自分の中に閉じこもって』いたのです」とされ、「私たちもどれくらいの頻度で、家に閉じこもるでしょうか?  困難な状況や個人的な問題、あるいは、苦しみ、周りから吸い込む悪のせいで、私たちは絶望に陥り、前に進む勇気を失うことがある… 私たちも、弟子たちと同じように、”悩みの迷宮”に、自分自身の中に閉じこもることがあります」と指摘された。

 そして、この「自分自身を閉じこめる」動作は、最も困難な状況の中で、「恐怖が優勢になることを許したときに起きます… 建物の中で警報が鳴った時のように、心の扉が閉まるのです」と語られ、「対処できないこと、一人で困難に直面しなければならないこと、失望すること、間違った決断を下すこと、への恐怖が、どれほど私たちの歩みを妨げ、麻痺させているでしょう…それが私たちを孤立させるのです」と注意された。

 続けて、「他人、外国人、自分と違う人、自分とは違う考え方をする人に対する恐怖を考えてみましょう。 そして、神に対する恐れさえも、あるかもしれません-『神は私を罰するだろう』『神は私に怒るだろう』… 私たちがこのような”間違った恐れ”を抱くと、心の扉、社会の扉、そして教会の扉さえも閉まってしまいます。『恐怖』のあるところに『閉鎖』が存在します。そのようにしてはなりません」と強く警告された。

 そのうえで教皇は「福音は復活された方による救いを、私たちに提示しています。それが聖霊です… 神は私たちを恐怖の牢獄から解放してくださいます」と勇気づけられ、「私たちが今日祝う聖霊降臨の主日がそのことを教えてくれます-聖霊を受けた時、弟子たちは(それまで閉じこもっていた)家の二階の部屋から出て、罪を赦し、良い便りを宣べ伝えるために世界に出かけて行った、と… 聖霊によって、恐怖は克服され、扉が開かれたのです」と強調。

 さらに、「私たちに神の近さを感じさせてくれるのは、聖霊です。神の愛は(私たちの心から)恐怖を追い払い、進むべき道を照らし、慰め、逆境の時に私たちを支えてくれます」と述べられた。

 最後に教皇は信徒たちに、「私たち、教会、そして全世界」のために、聖霊を呼び起こすよう求め、「新たな聖霊降臨が、私たちを襲う恐れを追い払い、神の愛の炎を復活させましょう」と呼び掛けて説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年5月29日

☩「私たちの分裂を克服するため、日々、聖霊を呼び起こそう」教皇の聖霊降臨の主日ミサ説教

Solemnity of PentecostSolemnity of Pentecost

(2023.5.28 Vatican News  Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは28日、バチカンの聖ペトロ大聖堂で行われた「聖霊降臨の主日」の荘厳ミサの説教で、「世界に調和を与え、時の流れを導き、地球の顔を新しくする聖霊」を日々呼び起こすように、と呼び掛けられた。

 説教で教皇は、「主の創造された世界、教会、そして私たちの心に、聖霊が働き、あらゆる領域に秩序と調和をもたらしています」とされ、「それこそが、聖霊の役割。聖霊は、創造の始めから常に、創造された現実を、無秩序から秩序へ、分散から凝集へ、混乱から調和へと、移行させています」と述べられた。

 だが、聖霊が、世界に調和をもたらすように、時の経過を導き、地球の表面を一新する働きをしているにもかかわらず、「『不和と分裂』に彩られた今日の世界は、切実に必要とされている『調和』に歯向かっているのです」と慨嘆された。

 そして、「 私たちは以前よりも『互いにつながっている』ように見えて、実際には『無関心によって感覚が麻痺するほど、互いに切り離されてしまっている」とされ、そうした状態の中で、「今日、私たちが目撃している多くの戦争や紛争が、いかに邪悪な行為を個人がなし得るか示しています。 分裂の心、分断者である悪魔によって煽られた敵対行為になっているのです」と指摘。

 このような「不和の悪」に対抗するために、主がどのようにして、私たちに聖霊を注がれ、真の平和に必要な調和を私たちに与えようとしてくださっているか、を語られ、「 聖霊は一致の霊として、平和と調和をもたらす存在です」と強調。「私たちの住むこの全世界に日々、聖霊を呼び起こしましょう!」と訴えられた。

 また教皇は、聖霊が、聖霊降臨の日からこれまで教会の中でずっと働いてきたことに注目され、聖霊がどのように各使徒の上に降り、一人一人に特別な恵みと独特のカリスマを与えたかを説明された。 そして、「異なる賜物が与えられたことで混乱が起きてしまわないか、と心配することがあるかも知れないが、そうはなりません。主が創造された世界と同じように、聖霊は、多様性から調和を生み出します… そして『調和』は、画一的で強制的な命令ではない。教会には秩序がありますが、多様性を持つ者で構成されているのです」と説かれた。

 さらに、聖霊が火の舌の形で使徒たちに降り、彼らが様々な言葉を語り、様々な言葉を聞いて理解できるようにした、と聖書に記されていることを挙げ、多くの言語、文化の違いを無くすのではなく、すべてを調和させる聖霊の働きに注目。

 「聖書が強調しているように、聖霊降臨の日、すべての人が聖霊に満たされ、神の愛を共有することから、教会の活動が始まった。 それが聖霊の、調和を生み出す業なのです。聖霊は、私たちに、主の他者への愛と与えられた賜物に対する驚きを経験するよう勧めています」とも語られた。

 現在、世界の教会で行われている”シノドスの道”の歩みを思い起こされ、この歩みは、「聖霊に従う旅、聖霊の息吹に素直に従う機会を提供する歩みでなければなりません。なぜなら、聖霊こそ、シノドスの核心であり、福音宣教の推進力であるからです」と述べられた。

 そして、「(聖霊が)なければ、教会は活気がなく、信仰は単なる教義、道徳は単なる義務、司牧活動は単なる労苦に過ぎない。信仰は命であり、主の愛が私たちに確信を与え、希望が生まれます。 聖霊を教会の中心に戻しましょう」と呼び掛けられ、”シノドスの道”の歩みは「神の民に、聖霊に満たされて共に旅をし、教会に調和を築き、新しくされる、またとない機会を提供します」と強調された。

 説教の最後に教皇は、聖霊が「神との親密さ」を生み出す際に、どのようにして「心の調和を取り戻してくれるのか」について説明された。

 教皇はまず、「主は聖霊に、私たちの罪を赦し、心を和解させ、悪によって傷つき、傷によって壊され、罪悪感によって迷わされ心に調和をもたらすようになさいました… 私たちが調和を望むなら、世俗的な代替物ではなく、聖霊を求めましょう。 日々、聖霊を呼び求めましょう。 聖霊に祈ることから一日を始めましょう。 聖霊に従順になりましょう!」とされ、次に、「私たち自身の人生を振り返り、聖霊の調和を受け入れているか、それとも自分自身の関心や考えに固執し、変えられることに抵抗しているかを問うこと」を勧められた。

 「私たちは、何かというとすぐに他人を批判し、自分自身の弱さを見逃していないでしょうか。他者との間で和解に努め、交わりを築こうとしているでしょうか」と問いかけられ、「 私たち自身の分裂を克服するために、聖霊を呼び起こしましょう」とされ、「聖霊、イエスと御父の霊、調和の無尽蔵の泉、私たちはあなたに世界を委ね、あなたに教会と私たちの心を捧げます」。

 そして次のように願われた。

 「来たり給え、創造主なる聖霊よ。人類の調和よ、地球の顔を新しくしてください。賜物の中の賜物、教会の調和よ、私たちをあなたの中で一つにしてください。 赦しと心の調和の聖霊よ、聖母マリアのとりなしによって、あなたにしかできない私たちを変えることをしてください」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年5月28日