☩「私たちは、神の計り知れない愛を証しているだろうか」-三位一体の主日、正午の祈りで

Pope Francis gives his Angelus addressPope Francis gives his Angelus address  (ANSA)
 さらに、「私たちは人生を共にする『食卓を囲む家族』のイメージをもって、神について考えることができるでしょう… 祭壇でもあるその食卓は、三位一体を表す象徴でもある。それは『交わりの神』について私たちに語られるイメージです」と指摘。だが、「それは単なる『イメージ』ではありません。『現実』です。なぜなら、聖霊-父がイエスを通して私たちの心に注いでくださった聖霊-が私たちに、『神の臨在』を味わわせてくれるからです。それは親密で、思いやりがあり、優しい… 私たちは、神の愛を分かち合うよう招かれているのです」と説かれた。
 教皇はまた、「 聖霊は、イエスがニコデモに対してなさったことと同じことを私たちにもしてくださいます。すなわち、聖霊は、私たちに新たに生まれることの神秘を知らせ、父の御心を私たちに明らかにし、私たちを神の命そのものに分かち合う者にしてくださいます」と述べ、 「聖霊が私たちに手を差し伸べる招きは、神と共に食卓に就き、神の愛を分かち合うことだと言えるでしょう。それは、イエスが御自身を御父に捧げる祭壇でのミサでなされていることです。イエスは、 私たちのためにご自身を差し出してくださいました」と強調。
 そのうえで、「どうすればこのことを思い起こすことができるのでしょう? 私たちが子供の頃に学んだ最も単純な動作。つまり十字架のしるしを切り、十字架をたどることによって、私たちのために命を捧げるほど神が私たちを愛してくださったかを思い起し、神の愛が私たちを完全に包み込んでいることを、繰り返し思い起こすのです」と説かれた。
  教皇は、信徒たちに、沈黙のうちに十字架のしるしを切るよう勧められ、「 愛としての神を実感すると同時に、私たちは愛としての神を証しし、神の名において交わりを生み出すことに努めねばなりません」とされたうえで、このように自らに問うように言われた-「私たちは愛としての神を証ししているでしょうか? それとも、愛としての神は、もはや慣れ親しんだ”概念“となり、私たちの人生を刺激することがなくなってしまったのでしょうか?」。
 また、自分たちの教会共同体が、愛としての神を証ししているが、問い返すように求められた- 「共同体の人たちは、愛する方法を知っていますか? 家族ですか?」 。そして、「愛を捧げることには、慈悲深く、扉を開けておき、教会共同体をすべての人にとっての家にすることが含まれます」とされ、聖母マリアに、「父と子と聖霊なる神の栄光のために、教会が『親しみをもって愛する家』として生きることができるよう、助けてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年6月4日