教皇フランシスコ、香港の湯漢枢機卿(左)と周守仁司教(右)と共に 2023年9月3日 モンゴル・ウランバートル、ステップ・アリーナ (ANSA)
(2023.9.3 バチカン放送)
教皇フランシスコは3日、訪問中のモンゴル・ウランバートルのスポーツ施設「ステップ・アリーナ」でのミサの終わりに、中国国民に向け挨拶をおくると共に、中国のカトリック信者らに励ましの言葉を述べられた。
挨拶の冒頭で、教皇はこのミサに参加していた香港教区の元教区長と、現教区長の二人をご自分の近くに招かれた。
この二人は、香港教区・元教区長であり、後任のマイケル楊鳴章司教帰天後に同教区管理者を務めていたジョン湯漢(トン・ホン)枢機卿と、香港教区の現教区長で今年9月30日の公開枢機卿会議で枢機卿に叙任予定のスティーブン周守仁(チョウ・サウヤン)司教。
教皇はご自分の左右に立つ二人の手をとりながら、次のように話された。
「この二人の兄弟は、香港の司教たち、元教区長と現教区長です。二人がここにいることを機会に、私は中国の高貴な国民に心を込めて挨拶をおくりたいと思います。すべての国民の皆さんに、より良いものを、常なる前進と発展をお祈りいたします。そして、中国のカトリック信者の皆さん、良いキリスト者であるとともに、良い市民であってください。」
教皇は、典礼暦で「キリスト者の助け手(扶助者)聖母マリア」と「中国のカトリック教会のための世界祈願日」を記念する5月24日を機会に、毎年中国のカトリック信者たちに向け、メッセージを述べている。
今回の教皇のモンゴル訪問に合わせ、ウランバートルには、香港や中国の大陸部などからおよそ200人の信者が訪れていた。
(2023.9.3 Vatican News By Deborah Castellano Lubov)
モンゴル訪問中の教皇フランシスコは3日朝、首都ウランバートルのハン劇場で、キリスト教諸教会と諸宗教の指導者たちと集会を持たれ、講話の中で、諸宗教に与えられた責任を強調、物議を醸すのを避けつつ、対話と調和を追求するよう促された。
集会には、キリスト教の諸教会のほか神道、仏教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、伝統民族宗教などの指導者に加え、政府や大学など教育機関の代表のオブザーバーとして出席。
講話で教皇は、現在も続いているロシアによるウクライナ軍事侵攻を念頭に、「希望を持つことはできる。宗教間の調和には、大きな実を結ぶ力があります」と強調されたうえで、「様々な葛藤、 暴力、弾圧を引き起こすような、宗教を歪曲するような行為」に対して警告された。
*モンゴルの人々の知恵の遺産
また、さまざまな宗教が独特の方法でその創造に貢献した「モンゴルの人々の知恵の遺産」に注目され、その遺産の一つとして、 消費主義の誘惑に負けない「伝統との健全な関係」、年長者や祖先に対する敬意が保たれていることを讃え、「今日、老人と若者の『世代間の契約』がどれほど必要であるかを、(ここモンゴルで)知ることができます」と語られた。
さらに、モンゴルの人々の「環境への配慮」を「大きくて差し迫った必要性に応えるもの」、「 沈黙と内面の生活の価値」を 「世界の非常に多くの疾病に対する精神的な解毒剤」とし、 「健全な倹約意識」、 「おもてなしの価値」、 「物質的なものへの執着に抵抗する能力」、 「個人間の絆の文化から生まれる連帯感」、 そして「簡素さの尊重」などを、モンゴルの人々の価値ある遺産と指摘。「 これらの遺産は「個人と共同体の利益を粘り強く追求する、ある種の『実存的な現実主義』を促進するものであり、特徴が世界を豊かにするもの」と高く評価された。
*平和と調和を促進する、宗教者の重大な責任
続けて教皇は、平和と調和を促進するうえでの宗教者の大きな責任を強調され、 「私たちがさまざまな宗教の信奉者として推進しようとしている和解と豊かな人間性は、調和、団結、そして超越的なものに対する寛容さによって象徴されます。それは、信じる者たちと神との関係に基礎をおいて、正義と平和への取り組みを促すものとなります」と主張。
「ですから、私たちは、特に歴史のこの瞬間において、大きな責任を共有しています。私たちは行動によって、争いの元を作ることなく、自らが信奉する教えを証しするよう求められています。 宗教的信念と暴力、神聖さと抑圧、宗教的伝統と宗派主義が混在することが、あってはなりません」と訴えられた。
そして、教皇は、仏教の「暗い傷を『光の源』に、無分別な暴力を『人生の知恵』に、破壊的な悪を『建設的な善」に変える力は、 過去の苦しみから与えられる」という言葉を引用され、 「 これらの経験が、各自の霊性と教えに献身するすべての信者を駆り立て、旅の途中で友人や仲間として日々出会う人々に、そうした教えの素晴らしさを伝える準備が、いつもできていますように」と希望を述べられた。
さらに、モンゴルの諸宗教の代表者たちに「より大きな善を促進する上での重要な役割」へ注意を向けさせ、 「モンゴルのような民主主義的価値観を重視する多元的な社会では、公共機関によって正式承認されたすべての宗教団体に、他者の 良心を尊重し、すべての人のより大きな利益を考慮したうえで、 自分たちが何であるか、何を信じているかを自由に表現する義務があります」と説かれた。
*対話と相手を尊重することの大切さ
また教皇は、「カトリック教会が、信仰一致の推進と共に、宗教間、文化対話の重要性を強く認識し、諸宗教と 協力する道を歩むことを望んでいること」を強調。 「カトリック教会の信仰は、イエス・キリストという人格を帯びた神と人類との間の永遠の対話に基づいています。 教会は、寛大な精神と、他の宗教的伝統が提供するものに敬意を払い、教会が受け取った賜物を世界のあらゆる人々と文化に提供するよう努めています」と述べた。
そのうえで、「対話は、宣言の対極には位置しません。互いの違いをごまかすのではなく、違いを理解し、各々の独自性を保ちつつ、互いを豊かにするためにオープンに意見を交換するのに、対話や役立ちます。 そうして、私たちは、天から祝福された共通の人間性の中に、地上での旅の鍵を発見できる」と語られた。
*今も、希望を持つことはできる
講話の終わりに、教皇は、人間の尊厳を促進する上での宗教の役割、宗教が互いに歩み寄ることの重要性を確認され、 「兄弟姉妹の皆さん、私たちが今日、ここに集まったことは、希望が可能であることのしるしです… 紛争と不和によって引き裂かれた現代世界において、希望を持て、と言うのは、現実離れしているように見えるかもしれません。しかし、最も重大な”事業”は隠され、最初はほとんど気づかれないものなのです」と語られた。
そして、「お互いの 対話を促進し、より良い世界を構築するために力を合わせる努力が無駄にならないように」と、諸宗教の信徒たちの祈りに満ちた助け合いを求め、「 天に向かって共に祈りをささげることで、希望を育てましょう」と呼びかけられ、 「このような行為が、私たちが天に目を向けて共に歩み、この世で調和して暮らしていること、そして、人々に開かれた家を守るために巡礼者たちが呼びかけたことの、すべての人に対する、簡潔で信頼できる証しとなりますように」と願われた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2023.8.23 Vatican News By Christopher Wells)
教皇フランシスコが23日の水曜恒例一般謁見で、6月下旬以来中断していた「使徒的熱意について」をテーマにした連続講話を再開された。今回はメキシコのグアダルーペの聖母*を取り上げ、「”母語(現地の言葉)”で信仰を伝えることの重要性」を強調された。
*グアダルーペの聖母=カトリック教会が公認している聖母の出現の一つ。1531年12月9日、メキシコのグアダルーペに住むインディオ、フアン・ディエゴに聖母が現れ、 聖母の大聖堂 を建設する願いを司教に伝えるよう求めた。ディエゴは病気の親類の助けを求めに行く途中だったが、聖母は彼に、その親類の病が癒えたことを告げ、彼が家に戻った時、その親類は元気になっていた。彼は、聖母に大聖堂建設の意向を伝えるよう言われたことを、司教に伝えたが、信じてもらえなかった。聖母は、フアン・ディエゴに、 それを証しするしるしとして、司教のところに花を持っていくよう言われる。彼は言われるままに、花をマントに包み、司教のところに行って、マントを広げると、花の代わりに聖母の姿が浮かび上がった。司教はそれを見て、信じ、聖母の願い通りに聖堂が建設された。フアン・ディエゴは、 2002年、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。
聖母が、グアダルーペのフアン・ディエゴに現れた時、キリスト教はすでにアメリカ大陸に伝わっていたが、教皇は、「新大陸での福音宣教に、当初から問題がなかったわけではありませんでした。現地の文化に適応する形でキリスト教を定着させようとせず、 先住民族への敬意を欠き、事前に計画したモデルを移植するという性急なアプローチがあまりにも頻繁に取られたのです」と指摘。
だが、マリアが フアン・ディエゴに現れた時には、「先住民の服を着て、先住民の言語を話し、地元の文化を受け入れ、愛していました。 彼女は母親であり、彼女のマントの下で、すべての子供たちは居場所を見つけます。 マリアにおいて神は人となり、 マリアを通して、イエスは人々の生活の中に受肉し続けておられます」と語れた教皇は、 マリアが現地の人々の言葉で、神を告げ知らせたことを強調された。
さらに教皇は「そうです。福音は母語(現地の言葉)を通して伝えられるのです」とされ、 特に子供たちや孫たちに福音を伝えた母親たち、祖母たちを讃え、「信仰は命とともに受け継がれるもの… それが、 母親が『最初の福音宣教者』である理由です」と説かれ、一般謁見に参加した人々に、 母親たちに拍手を送るよう呼びかけられた。
また、 福音を文化に取り入れ、文化を伝道する ファン・ディエゴに目を向けられた教皇は、「彼は 教会指導者の抵抗などの困難にもかかわらず、聖母が彼に与えられた使命を貫き通しました」とされ、 「今も、非常に多くの場所で福音を現地の文化に取り入れる形で宣教するためには、対立を恐れず、気を落とさず、不断の努力と忍耐が求められています」と強調。「 落胆してはなりません。マリアが私たちを慰め、成長を助けるためにそこにいてくださることを、私たちは知っています… 自分の子が、世界の課題に取り組むよう、駆り立てる母親のようにです」と説かれた。
そして「 聖母は、ファン・ディエゴのマントに自身の並外れた生き生きとした姿を現す奇跡によって、彼が司教に伝えようとしたメッセージを確かなものとされました。 これは神の、予期せぬ驚きの業です。私たちに、 意欲と従順があれば、神は時には、私たちが予見できないなさり方で、予期せぬことを成し遂げられるのです」と指摘。
最後に教皇は、「今も、各地の聖母の巡礼聖堂で、巡礼先で、信仰を宣言する場所で、聖ファン・ディエゴの生涯を特徴づけた、聖母の言葉を進んで受け入れ、福音を伝えようとする姿を見ることができます。 これらの場所では、信仰は素朴で誠実な、一般民衆に合った仕方で、受け入れられています」とされ、「私たちは慰めと慈悲のオアシスに行く必要があります。そこでは信仰が、その土地の言葉で表現され、 私たちは聖母の腕の中で人生の労苦を捨て、心に平和を抱く生活に戻るのです」と締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
A Christian community protest in Pakistan against violence (ANSA)
(2023.8.22 Vatican News By Fr. Paweł Rytel-Andrianik )
国連の「宗教および信条に基づく暴力行為の犠牲者の国際記念日」の22日、教皇フランシスコはご自身のページで、「憎しみ、暴力、過激主義、盲目的な狂信を扇動するために宗教を利用することをやめ、殺人、亡命、テロリズム、弾圧を正当化するために神の名を利用しないように」と改めて訴えられた。
独ミュンヘンに本部を置くカトリックの人権団体「(Kirche in Not」の最新の報告書「世界における宗教の自由」によると、 世界のほぼ3分の1の国で、宗教や信念のために人々が不利益を被り、迫害受けており、迫害は、ニカラグアや北朝鮮など、196ヵ国中28ヵ国に及び、イラクやトルコなどの33ヵ国で、宗教団体に対する差別が行われている。
同団体の幹部は、Vatican Newsの取材に対して、「独裁者や原理主義グループの指導者の権力維持、強化によって、宗教の自由を含むあらゆる種類の人権侵害が、世界中で増加しています。 イスラム主義諸国における人権侵害も深刻化しており、サハラ以南のアフリカ、ブルキナファソ、ニジェール、マリ、モザンビークなどの国々で、 ボコ・ハラムやいわゆる”イスラム国”の信奉者などイスラム過激派の活動を、政府が放置している。 インドのような大きな国でも、地域によっては深刻な迫害が起きている」と指摘した。
また、最近特徴的なのは、”ハイブリッド型”の宗教迫害で、中国など 一部の国では、信教の自由を制限したり、特定の宗教共同体を差別したりする法律を恣意的に適用。”誤った 宗教”の信者に対する暴力的攻撃も、ラテンアメリカのある国などで常態化している。迫害の対象となっているのは通常、その国、地域で少数派となっている宗教などの信者だが、 ナイジェリア、ニカラグアなどで、迫害が目立つ。
先進国では、ソーシャルメディアを使った特定の宗教団体の排除、攻撃が目立っている。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2023.8.20 Vatican News By Deborah Castellano Lubov)
年間第20主日の20日、教皇フランシスコは正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれた福音(マタイ15章21‐28節)を取り上げ、「私たちが、祈りの中で執拗にイエスに助けを求めるとき、イエスは私たちを拒むことはなさりません」と強調、キリストとの個人的な関係を大切にすることで信仰をしっかりしたものとするよう、信徒たちに促された。
灼熱の聖ペトロ広場に集まった数千人の会衆に向けた説教で、教皇は、この日のマタイ福音書に登場する”異邦人”であるカナンの女性の、自分の娘を癒してくれるよう執拗に、強い信仰をもって、イエスに願う姿勢に注目され、彼女のように「神に対して、”少々強引”に助けを求めても、私たちが神に立ち返り、神に信頼する」とき、神は心を動かされる、と述べた。
この女性が示した信仰の強さに心を動かされた主は、彼女に「あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」と言われ、娘の病は癒された。イエスは私たちの心からの信頼を込めた祈りを拒むことはなさらない。この女性の場合も、彼女の強引とも言える願いを聞いて、イエスは深く心を動かされた。
教皇は、「これが神という方のなさり方なのです。神は愛なのです」とされ、「愛ある方は、ご自分の立場に固執せず、心を動かされ、もともとの計画を変える方法を知っておられるのです。 私たちキリスト教徒は、そのようなキリストに倣うべきです」と説かれた。
また、この女性の信仰に注目され、 「彼女には(信仰についての)豊富な知識ではなく、(表現すべき)行動がありました。 イエスと話すためだけに、イエスに近づき、ひれ伏し、自分の意見を述べ、言葉のやり取りをし、(異邦人に課せられた)障害を乗り越えたのです。彼女の 信仰は、具体的であり、表面的なレッテルではなく、主との個人的な関係によって成り立っている」と強調。
さらに、「この女性の信仰は、神学的な勇気ではなく、主張、言葉ではなく、祈りに満ちています。 神は、祈られると拒まれません。 イエスは、このように言われています―「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれは、開かれる」(ルカ福音書11章9-10節と」と語られた。
続けて教皇は、「以上のすべてを踏まえて、私たちは、このように自問する必要があります。イエスのカナンの女性に対して見せた態度の変化を念頭に置きつつ、『私は自分が表明していた意見を変えることができるだろうか?』『(助けを求める相手に)理解と同情心を持つ仕方を知っているだろうか?それとも自分の立場に固執し続けるのだろうか?』と。 自分の心に頑ななところがないか点検してみましょう」と信徒たちに勧められた。
そして女性の信仰に目を向けて、「私の信仰はどのようなものですか?概念や言葉にとどまっているのでしょうか、それとも祈りと行いによって本当に生きているのでしょうか?私は主と対話する方法を知っていますか?私はそうなのですか?」と尋ねることを提案しました。 それとも、私は美しい公式を暗唱することに満足しているのでしょうか?」 教皇フランシスコは、聖母が私たちを「善いことに心を開かせ」、「信仰を具体化」させてくださるよう祈って締めくくった。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
イタリア・リミニで開催される「市民間の友情のためのミーティング」(写真:2021年度のミーティング会場)
(2023.8.18 バチカン放送)
教皇フランシスコが、イタリアのリミニで20日から開かれる「市民間の友情のためのミーティング」を前に、メッセージを寄せられ、「戦争と分裂がある今の時代に、開かれた出会いの文化を推進するように」と激励された。
「ミーティング・リミニ」という名前で知られるこの催しは、1980年、カトリック運動「コムニオーネ・エ・リベラツィオーネ」の関係者によって始められた。国や、宗教、伝統・文化、分野を超えた人々との出会いと対話を通し、友情と連帯を育むことを目的とし、カトリック教会系の行事の枠を超えた文化イベントとしてイタリア国内で広く知られている。
教皇は、ピエトロ・パロリン国務長官を通して、リミニ教区のニコロ・アンセルミ司教にあてたメッセージで、「『市民間の友情のためのミーティング』が開かれる一方で、戦争と分裂が人々の心に恨みや恐れの種をまき、自分と異なる他者がしばしば『敵』と見なされる事態が続いています」と指摘。
そのうえで、このような世界の中で、今回のミーティングのテーマ「人間の存在、尽きることのない友情」は、世界に蔓延する個人主義と無関心に立ち向かおうとする勇気を示している、と評価された。
そして、「人類が、現在のこのような状況から自力で抜け出すことは不可能。誰も自分を、一人で救うことはできません。そのような私たちのために、神は歴史上の正確なある時点で御子を遣わされ、御子を与え、分かち合うことで、兄弟愛の歩み、恵みの歩みを学ばせようとされたのです」と強調。
「もはや、私はあなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。私はあなたがたを友と呼ぶ」(ヨハネ福音書15章15節参照)と、イエスご自身が言われたように、復活されたキリストの霊は人間の孤独を破り、ご自身の友情を純粋な恵みとして与えられました」と説かれた。
メッセージの最後に教皇は、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15章13節)という、イエスが定めた友情の掟を改めて示しつつ、「世界中から神に向けて上がる叫びに、決して耳を塞ぐことがないように」と呼び掛けられた。
(編集「カトリック・あい」)
(2023.8.15 Vatican News By Christopher Wells)
聖母被昇天の祝日の15日、教皇フランシスコは正午の祈りの説教で、イエスとマリアの生涯を特徴づけた「神秘」―「奉仕」と「賛美」-について考察された。
教皇は、「 今日、私たちは聖母マリアが身も心も天の栄光に向かって昇っていく姿をのを観想するとともに、福音書に書かれている、マリアが『いとこエリザベトの出産を助けるために、山里に登っていく姿』も思い描きます」とされた。
そして、 マリアが、喜びに満ちた賛歌を宣言しているのは、その場においてであり、後に、 「マリアは天に昇り、マリアがそうしたように私たちを特徴付けるもの、つまり『隣人への奉仕』と『神への賛美』を、神の御言葉が私たちに明らかにひます」と語られた。さらに、マリアの生涯は、彼女の息子のそれを忠実に映し出しおり、「イエスとマリアは… 同じ道を旅し、神を賛美し、兄弟姉妹に仕える二つの人生が登っていくのです」と説かれた。
*奉仕
教皇は、『奉仕」と「賛美」について、さらに考察を進められ、まず「 奉仕」について、「 私たちが立ち上がるのは、兄弟姉妹に仕えるとき。人生を高めるのは愛です」とされたうえで、「他者に奉仕するのは容易ではない。他者を助けるにはコストがかかります。 エリザベトのもとに来るために長い旅をしたマリアのように、私たちもまた、他者への奉仕には、疲労、忍耐、心配が伴うことを知っています。確かに疲れます。 でも、それは天に向かって昇っていくこと。天国を獲得するためなのです!」と強調された。
*賛美
ただし、「神への『賛美』がなければ、『奉仕』は不毛になる恐れがあります」 と警告。 福音書に書かれているように、「マリアは長い旅の後、自分の疲れにこだわることはありませんでした。彼女の 心から歓喜の歌が湧き出てきます。それは、神を愛する者は賛美することを知っているからです」と指摘。
さらに、 賛美は、今日のミサで読まれた福音の基調の一つとされ、エリザベトのマリアと自分の胎内で喜んで飛び跳ねるわが 子に対する、への喜びの挨拶とエリザベトの喜びの挨拶に言及。「 賛美は、”はしご”のようなもので、心を上へと導きます」と語られた。
説教の最後に、教皇は、聖ペトロ広場に集まった人々に、次のように自問するように促された― 「私は奉仕を人生の『出発点』にしているだろうか?」 「私もマリアのように、神に大喜びするだろうか? 」…そして、「私は主を賛美した後、出会う人々に主の喜びを広めようとしているだろうか?」。
そして、「天に召された私たちの母マリア」に「私たちが、祈りと奉仕を通して、日々、より高く登れるよう助けてください」と願う祈りで説教を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)