☩「イエスの愛こそが、私たちを一致させる」‐キリスト教一致祈祷週間の最終日の夕べの祈りで

(2024.1.25 バチカン放送)
 1月18日から行われてきた「キリスト教一致祈祷週間」が25日、「聖パウロの回心」の祝日に最終日を迎え、ローマの「城壁外の聖パウロ大聖堂(サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ)」で、エキュメニカルな夕べの祈りを捧げられた。

 祈りには、教皇フランシスコはじめ、バチカンのキリスト教一致推進省長官、クルト・コッホ枢機卿らカトリック関係者、英国国教会のジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教、エキュメニカル総主教庁を代表してポリュカルポス府主教、そしてローマにおける諸キリスト教教会の代表者たちが参加した。

 教皇は説教で、集いの中で朗読された「善いサマリア人」のたとえ話(ルカ福音書10章25-37 節)を取り上げられ、この箇所でイエスを試そうとするある律法の専門家が「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」(ルカ10章25 節)と問う。教皇は、「永遠の命を神の賜物ではなく、当然得るべき所有物のように話すこの律法家」の問い掛けに注目された。

 さらに、イエスが、律法の中にその答えを見つけるよう律法家を促すと、彼は「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また隣人を自分のように愛しなさい」とイエスが語る箇所(ルカ1o章27節)。

 自分を正当化したい彼は、イエスにさらにこう尋ねた。「では、私の隣人とは、誰ですか」(同10章29節)。この問いに対し、イエスは、机上の空論の繰り返しを避け、「善いサマリア人」という具体的なたとえ話をもって答えられた-追いはぎにあい路上に倒れていた瀕死の人に自ら近づき、心を込めて介抱したのは、自分たちの宗教的な慣習の遵守を苦しむ人の救助に優先させた祭司とレビ人ではなく、彼らからは異端と思われていたサマリア人だった-と。

 「善いサマリア人」のたとえ話をされたイエスが投げかけた最終的な問いは、「誰が、追いはぎに襲われた人の隣人になったと思いますか」というものだった。

 教皇は、「隣人とは誰か」ではなく、「誰が隣人になったか」というイエスの言葉に注目され、「『私の隣人とは誰か』ではなく、『私は隣人になっているか』と問うこの愛、イエスが宣べ伝え、人々に自ら仕えることで実践されたこの愛こそが、離れ離れになったキリスト者たちを近づける」と強調。

 そして、「このイエスの愛こそが、互いに距離を置いた過去に戻らせることなく、また自分の宗教的システムを守ることを兄弟愛に優先させることなく、私たちを一致させることができるでしょう」と説かれた。

2024年1月26日

☩「『識別』は、司牧的な愛の行為を伴う」教皇、控訴院関係者との集いで

教皇フランシスコとローマ控訴院関係者との集い 2024年1月25日 バチカン宮殿教皇フランシスコとローマ控訴院関係者との集い 2024年1月25日 バチカン宮殿  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2024.1.25 バチカン放送)

 教皇フランシスコは25日、バチカンの控訴院の関係者と新年恒例の集いを持たれ、挨拶で、婚姻の無効性をめぐる裁判における「識別」の重要性とその難しさを強調された。

 ローマ控訴院は、教皇庁の司法機関の一つ。教会法に基づき、教区や管区の裁判所の判決に対する控訴、および直接の提訴を取扱っている。特に婚姻の無効性を問う裁判で知られている。

 教皇は、「識別は、教会から託された任務であり、その判断は人々や家族の生活に大きな影響を及ぼすものであることを意識するように」と願われた。

 また、「裁判上の判断は客観的で、厳格主義、あるいは婚姻の無効宣言こそ最良の解決であるかのような偽りの確信など、あらゆる先入観から自由であるべき」とされ、「裁判官の識別力には二つの大きな徳が要求される、それは慎重さと正義です。そしてこれらは愛(カリタス)から形作られていなければなりません… 正しい識別は、たとえその判決が否定的な時でも、司牧的な愛の行為を伴います」とも語られた。

 そして、「婚姻の無効性をめぐる法的解釈は、教会がその使命において守り、広めてきた結婚の不解消性の真理の光のもとに行われるということを忘れないように」と願われ、控訴院に託された特別な責任を示しつつ、関係者らに励まされた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年1月26日

☩「AIがもたらすチャンスとリスクに適切な対応を」教皇、5月の「世界広報の日」に向けたメッセージ

世界広報の日に向け教皇メッセージ 人工知能(AI)をテーマに世界広報の日に向け教皇メッセージ 人工知能(AI)をテーマに 
 教皇フランシスコが24日、5月12日(日本の教会は5月5日)のカトリック教会「世界広報の日」に向けたメッセージを発表された。

 メッセージは、1月1日の「世界平和の日」メッセージと同様に、「人工知能(AI)」がテーマになっている。

 タイトルは「人工知能と心の知恵:人間性に満ちたコミュニケーションのために」で、「報道や広報の世界を急激に変容させ、社会共存の基礎にも影響を与えつつある人工知能や新しいテクノロジー」について、それらがもたらすチャンスとリスクについて考察。

 「人工知能の時代、私たち人類の未来は、どのようになっていくのか、どのようにすれば、未来を人間性に満ち、善に方向づけられたものとすることができるのか」と問いかけておられる。

 そして、「テクノロジーが高度に発展する一方で、人間性が欠如している現代、この問題を考えるには、「人間の心」から出発せねばなりません。精神的な眼差しを持ち、心の知恵を取り戻すことによってのみ、私たちは時代の新しさを読み取り、解釈し、人間性に満ちたコミュニケーションへの道を再発見することができるでしょう」と語られている。

 だが、「自らの能力だけでは足りないことを常に理解しつつ、あらゆる方法を用いて自分の弱さを克服してきた人類は、今日、思考を補助するために働く洗練された”機械”を持つに至りましたが、それは『神を持たない神』の誘惑に汚染される可能性ももたらしています」と警告。

 また、「心が指向するものによって、人間が手にするあらゆるものは、チャンスにもリスクにもなりえます。人工知能のシステムは、無知からの解放に貢献し、異なる人民間、世代間の情報交換を容易にすることができるかもしれませんが、その一方で、AIは部分的、あるいは完全な偽りによって現実を歪め、認識を汚染する道具となる危険もあるのです」とも指摘された。

 さらに教皇は「フェイクニュースやフェイク動画・画像、中立的でないアルゴリズムなどがもたらす危険」に言及され、「AIが誤った使い方をされる時、ネガティブな状況が広がることになりかねません」と注意された。

 そして、「デジタル革命は、人を自由にする一方で、たとえば『エコーチェンバー』に閉じ込められた場合など、情報の多極化を育むどころか、市場や権力にとって都合の良い”情報の沼”に落ち込み、自分を見失う危険があります」とも指摘された。

 教皇はそのうえで、国際社会が「様々な形態の人工知能の開発と使用を管理する『拘束力のある国際条約』の採択」に向けて力を合わせるよう訴えるとともに、そうした規則だけでは十分であり、「私たちは、人間性において、人類として、共に成長することが求められているのです」と強調。

 「私たちが取り組むべき課題とは、多民族的、多元的、多宗教的、多文化的な、複雑な社会に対応するにふさわしい、質的な飛躍をめざすこと」であり、「これらの新しいコミュニケーションと知識のツールの論理的発展と実用化について問いただすのは、私たち自身の役割」と述べられた。

 そして、「人工知能は、新しい形の隷属や不平等を生みながら、情報支配に基づく新たな階級システムを構築することになるのか。それとも、人々の様々な必要に耳を傾け、正しい情報を推進しながら、より多くの平等をもたらすことになるのか。答えはまだ書かれておらず、(その成否は)私たちがどう対応するかにかかっているのです」と訴えられた。

 最後に教皇は、「人類を路頭に迷わせないために、純粋な心を通して、『神の友と預言者』を育てる『知恵』を何よりも求めること(シラ書1章4節、知恵の書7章27節参照)によって、人間性に満ちたコミュニケーションへの人工知能の適応を助けることができるでしょう」と期待を込めてメッセージを締めくくられた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年1月25日

☩「ウクライナ、ガザ…直ちに戦闘の中止を」教皇が27日の「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」を前に

Pope Francis visited the Auschwitz concentration camp on 29 July 2016Pope Francis visited the Auschwitz concentration camp on 29 July 2016 
 教皇はメッセージで「今週の土曜日、1月27日は国連の『ホロコースト犠牲者を想起する国際デー』です。20世紀に起きた、何百万ものユダヤ人や他の宗教の人々に対するあの恐ろしい大虐殺を追悼し、非難することが、すべての人がホロコーストを忘れないようにする助けとなりますように。 憎しみと暴力の論理は決して正当化できません。それは私たちの人間性そのものを否定するからです」と強調。
 そして、世界の人々に対して、「平和の実現、紛争の終結、武器取引の停止、そして疲弊した国民の救済を祈ることに、疲れないようにしましょう。倦むことなく、平和を祈りましょう」と懇願され、その中で「私は、中東の人々、パレスチナ、イスラエル、ウクライナの人々に特別な思いを抱いています」と語られた。
 さらに、「民間人が頻繁に訪れる場所が爆撃された」という「憂慮すべき」ニュースを取り上げ、「死、破壊、苦しみの種を蒔いています。このようなことで”勝利”するのは兵器製造する業者だけです」と強く非難された。
 
 メッセージの最後に教皇は「私は、犠牲者とその愛する人たちのために祈ります。そして、すべての人、特に政治的責任を持つ人々に、戦争を終わらせることで人命を守るよう懇願します」と訴えられ、「忘れないでください、戦争は常に敗北なのです」と繰り返された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年1月24日

◎教皇連続講話「悪徳と美徳」⑤「貪欲は心の病、富は”負債”だということを忘れるな」

(2024.1.24  Vatican News  By Christopher Wells)
    教皇フランシスコは24日、水曜恒例の一般謁見で「悪徳と美徳」をテーマとする講話を続けられ、「死の確実性は、この世で、自分の財産を惜しみなく分け与えねばならない、ということを、私たちが思い起こす効果がある」と指摘。「貪欲は、人間の寛大さを妨げる金銭への執着です」と語られた。
 さらに、「貪欲とは、その人がもっている富の大きさではなく、それに強く執着すること。さまざまな形で私たちに影響を与える罪です。心の病気。”財布の病気”ではありません」と説かれた。
 莫大な富を捨てた修道者-”砂漠の教父”たち-でさえ、ほとんど価値のないものにしがみつくことがあり、「彼らにとって、それらの事物は、自分自身と切り離せない一種の”呪物”となりました。こうした現実との無秩序な関係が、強迫的な”溜め込み”や”病的な蓄積”を引き起こす可能性があります」と指摘された。
 そして、 これに対抗するために、「修道士たちは思い切った行動に出ます。それは、極めて効果的な方法、死についての瞑想でした」と教皇は述べられ、「この世でどんなにお金を稼いでも、死後には何も残らないこと」「私たちは世界の主人ではないこと」、そして「私たちは、異国人や巡礼者のように、世界中を動き回っていること」を信者たちに思い起させられた。
 続けて教皇は、 「死の恐怖を追い払おうとする」ことが貪欲の動機となっているが、キリストは、豊かな収穫に執着する愚かな男のたとえ話で「死がいつでも来る可能性があること」を私たちに示している、とされた。
 さらに、私たちが「所有する物の主人」になることは可能だが、「多くの場合、逆にそれらの所有物が私たちを支配してしまう」と警告。 「私たちは常にもっと蓄えを持とうとし、今持っている蓄えを維持することに不安を覚えることがあります。でも、私たちのすべての所有物は、一瞬で無くなる可能性があります」とも注意された。
 そして、「富そのものが罪である、とは言いませんが、『富は明白な負債』だとする福音の教えを忘れていることが、私たちには多すぎます」とされ、「この教えは、”守銭奴”には理解できません。そのような人にとって(富は)祝福の源であったはずなのに、(富に執着することで)惨めな袋小路に滑り込んでしまうのです」と語られた。
 教皇は講話の最後に、「気を配り、寛大になりましょう。誰に対しても寛大に、そして私たちを最も必要としている人たちにも寛大に」と信者たちを促された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

Even the Desert Fathers, monks who renounced enormous wealth, could find themselves clinging to objects of little value.

“Those objects became for them a sort of fetish from which they could not detach themselves,” said the Pope. This reveals “a disordered relationship with reality, which can result in forms of compulsive hoarding and pathological accumulation.”

To fight this, Pope Francis said, “the monks proposed a drastic but highly effective method: meditation on death.”

He reminded the faithful that, however much money we might make in this life, we retain nothing after death. Death reminds us that “we are not masters of the world” and “we move about it like strangers and pilgrims.”

This reflection, he continued, also shows us the reason for avarice, which is an attempt “to exorcise the fear of death.”

But Christ shows us, in the parable of the foolish man who laid up an abundant harvest, that death can come at any moment.

Do not let possessions control us

Pope Francis warned that, although it’s possible to be “masters of the goods we possess,” often those possessions can end up controlling us. We can become anxious about always accumulating more and keeping what we have, but all our possessions “can disappear in a moment.”

Too often, the Pope said, we “forget the Gospel preaching, which does not claim that riches are a sin in themselves, but they are certainly a liability.”

This, he added, “is what the miser does not understand: he could have been a source of blessing to many, but instead has slipped into a blind alley of wretchedness.”

So, Pope Francis concluded, “Let us be attentive, and let us be generous: generous with everyone and generous with those who need us most.”

 

2024年1月24日

☩「祈りは、戦争で引き裂かれた世界への信仰の息吹」ー2024年「祈りの年」に

 

Pope Francis prays at Mass in MongoliaPope Francis prays at Mass in Mongolia  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 教皇は続けて、「祈りの年」が、それぞれの教会で行われている司牧的な活動を損なうべきではない、とも指摘。むしろ、「さまざまな司牧的な行事が勧められ、個人的にも教会共同体としても、さまざまな形や表現で、祈る喜びを再発見できる機会」となることを強調された。

そして、「私たちの心に、父がお聞きになる私たちの口に、どのようにして正しい言葉を置くかをご存じなのは主であり、それゆえに、聖霊から流れ出る祈りのための場を作る謙遜さを持つこと」を勧められた。

 また教皇はこの序文で、司教、司祭、助祭、カテキスタたちのために祈られ、「2025年の聖年が今の困難な時期に大きな影響を与える希望の宣言となる基盤に祈りを置く最も適切な方法を、この『祈りの年』に見つけることができる」というご自分の確信を、彼らに保証され、また、修道者たち、特に観想修道会の貢献を「非常に価値あるもの」と強調された。

 教皇は序文の最後に、「世界のすべての教会、祈りのための特別の場所で、祈りが積極的に行われ、巡礼者たちが平穏な”オアシス”を見つけ、慰めに満ちた心を持って旅に出ること」を希望され、世界のすべての人々に、「個人的な、そして共同体としての祈りが、主イエスのご意向に従って、妨げを受けることなく、絶え間なくなされ、それによって神の王国が広がり、福音が、愛と赦しを願うすべての人々に届くように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年1月24日

☩「御言葉に、希望と慈愛の中で私たちの人生を新たにしていただこう」教皇、主の御言葉の主日のミサで

(2024.1.21 Vatican News  Thaddeus Jones)
 
 教皇フランシスコは21日、聖ペトロ大聖堂での「主の言葉の主日」のミサ中の説教で、神の御言葉が、新たな予期せぬ驚きと神の愛を私たちの生活にもたらし、私たちの心を開く素晴らしさに”征服”されるように、信者たちを促された。
  今年の「主の言葉の主日」の標語は、ヨハネ福音書「私の言葉にとどまりなさい」( 8章31節参照)から取られている。 教皇フランシスコは、2019年に、教会と私たちの地域社会の日常生活における神の言葉の重要性、永遠に生き続け、具体的な形となる言葉であることを示す、極めて司牧的な取り組み、その具体的なしるしとして、この主日を定められた。
 ミサ中の説教で、教皇は、この日読まれたマルコ福音書の箇所(1章14~20節)を取り上げ、「イエスが最初の弟子となる漁師たちに、網を捨ててご自分に従うよう呼びかけられた時、主の御言葉が『聖霊の力』を解き放ちます。聖霊は、人を神に引き寄せる力なのです」と強調。
 
 「その言葉は私たちを神に引き寄せ、それから、私たちを他の人たちのところに送り出します。私たちの心と意識を成長させ、私たちに、自然と他の人たちと分かち合いたいと願う、新しく刺激的な希望と愛を私たちに教えてくれます」と説かれた。

 

*私たちは皆、宣教師

 また教皇は、日々の仕事の「網」に追われている私たちも「言葉に溺れているが、無視されることの多い御言葉に飢え渇いているこの世界に、宣教師として、神の使者、証人として、主と共に外に出かけるように、との主の呼びかけを聞く必要があります」とされ、「この力によって教会は生き、キリストに呼ばれ、引き寄せられ、キリストを証しするために世界に派遣されるのです」と語られた。

 そして、何世紀にもわたって聖徒たちがどのようにして神の御言葉に心を開き、御言葉に触れ、イエスの平和と他者への思いやりによって、自らの魂を新たにしたかを思い起しつつ、私たちも、神の御言葉に耳を塞ぐのを止めるなら、彼らと同じように心を動かされるようになります」と諭された。

 教皇はさらに、「私たち皆にとっての危険は、聞くことすべてに圧倒され、神の言葉を聴き、受け入れ、活かすことなく、自分から飛び去らせてしまうこと」と指摘。

 また、「神の言葉を読もうとする場合、聖書を読むとともに、祈る必要があります。神と読む者の対話となるようにです」とされ、キリスト教の祈りの 2 つの要点は「御言葉を聞くこと」と「主に祈ること」にあることを思い起こされ、 「イエスの言葉を、祈りながら読むようにしましょう。 そうすれば、私たちはイエスの最初の弟子たちと同じ経験をすることになります」と勧められた。

 

*新しい人生を求めて

 教皇は、弟子たちが網を置いてイエスに従ったマルコ福音書の場面を思い起しつつ、信仰に根ざした意味のある新しい人生、つまり自分にとって最も大切なものを中心とした人生を受け入れるために、これまでの暮らしを捨てた弟子たちの決断と勇気について語られ、さらに次のように述べられた。

 「聖書は、私たちを善の中に立ち上げ、私たちが真の人間であること-つまり救われ愛された神の子であることを思い起させてくれます。聖書は、信仰を麻痺状態から解放し、私たちにキリスト教徒としての人生の真の姿―主との愛の物語⁻を新たに味わわせてくれるのです」 。

*主に付き従う

 また教皇は、イエスに呼ばれた弟子たちが、すぐに網を置いて主に付き従ったことに注目され、「彼らの選択は、キリストの御言葉が、どのようにして私たちを過去と現在の重荷から解放し、私たちが真理と愛において成熟するのを助け、新しい命と希望を与えてくれるか、を示しています」と語られた。

 私たちも「神の生ける言葉であるイエスに聴くことから生まれる信仰の源に、喜びをもって立ち返ることができるように」と祈られ、「 私たちはしばしば教会についての言葉で”集中砲火”を受けますが、『教会に響く命の言葉』を聴き、受け入れることを逃すことのないように」と願われた。

 そして、「多くの人が切望しながらも見つけることのできない『生ける水』を世界に届けるために、源に立ち返りましょう。社会やソーシャルメディアが言葉の暴力を振り撒く中にあっても、救いをもたらす静かな言葉に接し、育んでいきましょう」と呼び掛けられた。

 

*神の言葉を読む 

 続けて教皇は、自分の生活を振り返り、その中に神の言葉が入る余地をどれだけ確保しているか、次のように自問するように勧められた-「 自分が読み、消費するものすべての中に、聖書のためのスペースを確保しているか?  自分のそばに、ポケットや財布の中に、電話の中に、聖書があるだろうか? 」。そして、こう問いかけられた- 「自分にとって、キリストが何よりも大切なら、キリストを家に残し、神の御言葉を持ち歩かずにいられますか?」。

 説教の最後に教皇は、「多くの方がまだそうしておられないかも知れませんが、4 つの福音書のうち少なくとも 1 つを読むように」と勧められ、ミサに参加した5000人に、マルコの福音書のコピーを配布された。そして、神が「美の創造者」であることを強調され、「神の言葉が日々の生活にもたらす素晴らしさに、私たちが”征服”されるように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年1月21日

◎教皇連続講話「悪徳と美徳」④「情欲の悪魔に抵抗し、純粋な愛を抱け」

(2024.1.17 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)
 教皇フランシスコは17日、水曜恒例の一般謁見で「悪徳と美徳」をテーマとする講話を続けられ、今回は「情欲」という悪徳を取り上げ、「愛の純粋さをしっかりと心に抱き、空虚と隷属につながる渇望に立ち向かうように」と強く訴えられた。
*悪徳に汚されない純粋な愛
 教皇は、キリスト教の教義が性本能を非難していないことを指摘。「人が恋に落ちることは、最も美しく優しい経験の一つです」とされ、「それが悪徳に汚されていないなら、恋に落ちることは、最も純粋な感情。恋をしている人に『なぜ愛するのですか』と尋ねても、答えは見つからないでしょう。多くの点で、その愛は無条件なものであり、理性を超えているのです」と語られた。
 しかし、「恋人たちは、忍耐強くあらねばなりません。彼らの愛は、非常に強力ですが、最初は少し”世間知らず”かも知れません。相手の本当の顔を知らず、理想化する傾向があります。そのことの重みを理解できないまま、約束しようとします」と注意された。
 さらに教皇は、「驚きが何倍にも増えるこの”庭園”は、悪から安全ではありません。”情欲の悪魔”によって汚される可能性があり、この悪徳は少なくとも2つの理由から特に忌まわしいものなのです。それは、情欲が人々の間の関係を破壊すること、情欲が個人の自由を奪う可能性があることの2つです」と指摘。
 「情欲は、純粋で純真な愛のすべての美しさを嘲笑し、略奪するもの。それはすべての感覚に関係し、身体と精神の両方に宿ります。忍耐強くなければ、それが二人の関係、愛の舞に変える物語に刻まれていなければ、それは鎖となり、 人間の自由を奪う鎖になってしまう」と警告された。

 そして、「 情欲は、神が私たちの心に植え付けられた愛、他者との関係の中で特に性の責任ある使い方を通じて育むよう求められた愛の美しさに反するもの」と指摘。「 この強力な悪徳は、愛を、その存在の神秘的な豊かさのすべてにおいて他者を受け入れる忍耐強い寛大さから、所有欲と即時的な満足を求める利己的な欲望に変える、愛の純粋さを毒します」と強く批判された。

 一方で教皇は、「神の性的な賜物が、夫婦愛の崇高な表現となり、人間としての充足と真の自由に役立っている」ことも指摘された。

 また、「情欲との戦いに勝つために、生涯にわたる努力が必要となる可能性がありますが、その”戦利品”は何よりも重要です。それは、神が男女間の愛を想起された人類の創造に書き込まれた美しさを保持することだからです」と説明。

 さらに、「その美しさは、冒険に出かけるよりも、共に物語を紡ぐ方が良い、所有の悪魔に屈するよりも優しさを育む方が良い、征服するより奉仕する方が良い、と私たちに信じさせる。愛がなければ、人生は孤独だからです」と語られた。

 最後に教皇は、「私たちに対する神ご自身の無条件の愛の神秘を分かち合う素晴らしさを、私たちが心から、いつも常に大切にしますように」と祈られ、講話を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年1月17日

☩「経済・政治の進歩・発展には、道徳の羅針盤が必要」教皇がダボス会議へメッセージ

Sign of the World Economic Forum in DavosSign of the World Economic Forum in Davos  (AFP or licensors)
(2024.1.17 Vatican News  Devin Watkins)
  教皇フランシスコが17日、「ダボス会議」に向けたメッセージを発表、世界の指導者たちに「経済発展がすべての人に利益をもたらすように、そのために連帯を維持するように」と求められた。
 「ダボス会議」は、  世界の政財界の指導者たちが国際的な課題を話し合うスイスのシンクタンク「世界経済フォーラム(WEF)」の年次総会。今年は「信頼の再構築」をテーマに、15日から、スイス東部のダボスで行われている。
   メッセージの中で、教皇は、「人類が直面している最大の課題は、誰にとっても平和的な共存と不可欠な発展を確保すること」と言明。「私の希望は、フォーラムに参加された皆さんが、貧困との戦い、すべての兄弟姉妹のための無くてはならない発展の達成、そして 人々の平和的共存の探求の道義的責任に心をとめることです」と強調された。
   教皇は「今年のダボス会議は、国際情勢が極めて不安定で、強く憂慮すべき状況の中で開かれています」とされたうえで、「この会議は、世界の指導者たちに、より良い世界を築くための革新的な方法を模索する機会を提供するもの。すべての人々に社会的団結、友愛、和解を促す方法を見つけてください」と参加者たちに求められた。
 また、世界を引き裂き、民間人に死と破壊をもたらしている戦争、紛争が続いていることを嘆かれ、「世界の人々が切望する平和は、正義の成果以外にあり得ません。単に戦争という手段を脇に置くだけではなく、それ以上のこと、戦争・ 紛争の根本原因である不正義に対処することが求められているのです」と訴えられた。
 さらに、世界の一部地域で食料が無駄にされ、限られた少数の人々が資源採掘で富を得る一方、他の地域で飢餓が蔓延し、資源が搾取されている現実を指摘。加えて、「低賃金で働かされ、個人の成長や職業上の成長の可能性を奪われている男性、女性、子ども」が放置されていることを非難された。
 そして、「今日の世界で、人々が依然として飢えで命を落とし、搾取され、文盲を宣告され、基本的な医療を受けられず、避難場所もなく取り残されているということが、なぜ存在するのでしょうか」と強い疑問を呈された。

 教皇は続けて、「『グローバリゼーション』には極めて道徳的な側面があります。世界が発展していくために、将来の姿を形成する議論を導く『道徳的な羅針盤』が必要なのです」と強調。世界の企業と国家が「先見の明をもつ、倫理的に健全なグローバリゼーション・モデル」の推進に力を合わせるよう呼び掛けられた。

 そして、「発展とは、それが政治的であろうと、経済的であろうと、権力と個人の利益の追求を人類家族の共通利益に従属させ、貧しい人々、困窮している人々、最も弱い立場にある人々を優先するものでなければなりません」と訴えられた。

  最後に、教皇は、世界の経済、政治の指導者たちに対し、「経済的に恵まれない人々が世界成長の恩恵を受けられるように、公平な分配を優先するように」と求められ、「真の発展は、世界規模ですべての国とあらゆる地域で共有されるものでなければなりません。そうしなければ、これまで進歩を続けて来た分野さえも後退せざるを得なくなるでしょう」と警告された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

Moral compass to guide globalization

Globalization has a profoundly moral dimension, said Pope Francis, adding that development requires a moral compass to guide discussions that shape the future of the international community.

He invited businesses and states to work together to promote “far-sighted and ethically sound models of globalization”.

Development, said the Pope, “must entail subordinating the pursuit of power and individual gain, be it political or economic, to the common good of our human family, giving priority to the poor, the needy and those in the most vulnerable situations.”

Development spread to all

Finally, Pope Francis called for business leaders and politicians to prioritize the equitable distribution of progress, so that people who are economically disadvantaged may reap the benefits of global growth.

“Authentic development must be global, shared by all nations, and in every part of the world, or it will regress even in areas marked hitherto by constant progress.”

2024年1月17日

☩「イエスの弟子としての喜びを新たにしよう」年間第二主日の正午の祈り

(2024.1.14 Vatican News  By Thaddeus Jones)
   教皇フランシスコは14日、年間第二主日の正午の祈りの前の説教で、この日のミサで読まれたヨハネ福音書に記されたイエスが初めて弟子たちと出会われた箇所(1章35-41節)を取り上げ、「私たちも、主の弟子としての出会いの喜びを新たにするように」と説かれた。
 教皇はまず、「 主の弟子であるということは、最初の弟子たちがメシアを発見したときと同じように、『主を探し求め、共にいて、主を発見した喜び』を他の人と分かち合うことを意味します」と述べられた。
*主を探し求める
 そして、「(ヨハネ福音書のこの箇所で)二人の弟子はイエスに出会ったとき、イエスから『何を求めているのか』と尋ねられました。この問いかけは、二人が心に抱いていること、本当に望んでいることを見つめるように、促しているのです」と語られ、「主は、自分自身に疑問を持ち、御言葉によって自分自身に挑戦する人々を望んでおられます」と付け加えられた。

 

*主と共にいる

 続けて教皇は、二人の弟子が、ヨハネの「見よ、神の子羊だ」というのを聞いて、イエスに従い、「どこに泊まっておられるのですか」と尋ねると、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と招かれた箇所を取り上げ、「信仰には、主との出会い、そして主と共にいることが含まれます。主と共にいること、これが主の弟子にとって最も重要なことです」と強調された。

 

*喜びを他の人に伝える

 そして、二人の弟子は、「イエスと出会ったことの喜びと賜物を他の人々と分かち合うようになりました」と続けられた。

 ヨハネ福音書のこの箇所で書かれている二人の弟子のうちの一人、アンデレは、イエスが「ペトロ」と呼ぶことになる弟のシモンに、急いでそのことを伝える。教皇は「 イエスとの出会いは非常に強烈だったので、彼らはその時のことを一生覚えていました。『それは午後4時ごろのことである』という記述に表されています」と指摘された。

*喜びを新たにする

 説教の最後に教皇は、「私たちが主との最初の出会いを振り返り、祈りと省察を通して新たに主を求めることで、自分自身の熱意を新たにする。それが他の人たちと喜びを分かち合うことにつながります」と語られ、「イエスの最初の弟子である至聖なるマリアが、主を探し求める強い願望、主と共にいたいという強い願望、そして主を宣べ伝えたいという強い願望を私たちに与えてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年1月15日

☩「中東、ウクライナ…戦争拡大を懸念」教皇、イタリア・テレビとのインタビューで

(2024.1.14 Vatican News By Salvatore Cernuzio)
 教皇フランシスコは14日放映されたイタリアのテレビ番組「Che Tempo Che FA」のインタビューで、現在、中東やウクライナで起きている戦争拡大のリスクに強い懸念を表明された。また、教皇職を辞することは考えていないこと、8月にポリネシアへ、年末までに故郷のアルゼンチンに訪問を予定していることを明らかにされた。Pope Francis appears on 'Che tempo che fa'

 

*同性愛者カップルについて-「主は皆を祝福される」

 バチカンの教理省が昨年12月の発表以来、世界の教会で波紋を起こしている「条件付きの同性愛者カップルを含む『不規則』な状況にある人々の祝福」について、「主は、皆を祝福されます。私たちは、このような人々と共に手を携えて進まねばならない。初めから彼らを非難しないでください」とされ、祝福は「教会の司牧活動の一つであり、すべてを赦すことが求められている聴罪司祭にとって、重要な役目です」と強調された。

 そして、教皇ご自身が、司祭となられてこれまで54年の間に一度だけ、告解をした相手を「偽善者」として赦しを与えなかったことを告白され、「主は私たちの罪に憤慨されることはありません。主は私たちの父であり、共に歩んでくださいます」と説かれた。さらに「地獄は”空”かも知れません」と希望を語られた。

 

*戦争が、ウクライナの子供たちから笑顔を奪った

 また、昨年10月7日のイスラム過激派ハマスのイスラエル攻撃で始まったガザ地区での戦闘、そして2022年2月のロシアによる軍事侵攻で始まり、いまだに大きな犠牲者を出しつつあるウクライナでの戦争などについて、強く非難され、「平和を造ることはリスクを伴いますが、戦争はもっとリスクが高い」と訴えられた。

 そして、先週10日にウクライナの子供たちと会見した時の印象を「どの子にも笑顔がありませんでした」と語られ、「チョコレートを渡しても、笑顔を見せてくれなかった。笑顔を忘れてしまったようでした。子供たちをそのようにさせるのは、犯罪。それが戦争です。彼らの夢を妨げるのです… そして戦争の背後にあるのは武器取引です」と強く非難された。

 また、現在、ガザ、ウクライナなど世界各地で起きている戦争が長期化し、拡大する恐れを強めていることに、強い懸念を表明され、「戦争の拡大に恐怖を覚えます。その結末がどうなるのか分からないからです。すべてを破壊する核兵器によって終わりを告げるのでしょうか。ノアの箱舟のようになるのでしょうか?人類が今持っている自己破壊力が、私を震え上がらせます」と重ねて警告された。

 

*しっかりとした移民・難民政策を

 移民・難民問題では、チュニジアとリビアの間の砂漠で妻と娘を亡くした若いカメルーン人の男性との出会いを思い起こされた。

 教皇は昨年11月にご自分のお住まいであるカサ・サンタ・マルタに彼を受け入れたが、「彼のような移民・難民が故郷を離れて欧州に到着するまでの間に、非常に多くの残酷な経験をしています。誰にも、自分の住まいにとどまり、あるいは、移住する権利があるのです」とされ、関係国などに十分に検討された移民政策の立案、実施を要望されるとともに、「移民・難民問題を悪用する犯罪組織・集団」の徹底排除を求められた。

 

*教皇辞任は考えていない、今年はポリネシア、アルゼンチンを訪問予定

 また、一部にうわさされている教皇辞任の可能性について質問されたのに対しては、「(辞任について)考えも、関心も、強く希望することさえも、ありません」と否定。今年の海外訪問として、8月にポリネシアのいくつかの国に、年末近くに故郷のアルゼンチンを計画していることを明らかにされ、「訪問は年後半になる可能性があります。政権交代、新たな変化…があるからです。私は訪問したいと思っています。Ten years is fine; it is okay, I can go(十年あれば。大丈夫、行けます)」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年1月15日

☩「人々から信頼される証しをするように」教皇、ローマ教区の聖職者たちに

Pope Francis indicates his heart as he speaks to the clergy of Rome(2024.1.13  Vatican News)

 教皇フランシスコは13日午前、ローマ教区の司教座聖堂、ラテランの聖ヨハネ大聖堂で同教区の教皇代理司教、ドナーティス枢機卿はじめ教区司祭、修道司祭、終身助祭たち約800人と対話集会を持たれた。

 慣例に従い非公開で行われた対話の中で、教皇は、ローマを「宣教の地」と考え、教区全体に福音宣教することが求められていること、人々から信頼される証しをすることの重要性を強調された。

 

 

*男女の結婚の秘跡の教義は変わらない

 

 また、バチカン教理省が昨年12月に発表した祝福の司牧的意味に関する宣言「Fiducia supplicans」で同性愛者のカップルの祝福に触れた箇所が議論を呼んでいることに関連した質問に、教皇は「男女の間の結婚の秘跡に関する教義は変わっていない」ことを確認され、「人々は罪に定められるのではなく、祝福されているのです」と付言された。

 また、アフリカ生まれの司祭から、この問題についての質問があったのに対し、教皇は「アフリカの文化はこの問題についての感性が異なるため、このような(同性愛者のカップルの)祝福は受け入れません。それは、アフリカ・マダガスカル司教会議(SECAM)会長のフリドリン・アンボンゴ枢機卿との間で明確にされました」と答えられた。

 さらに、「多くの方が、この教会の文書(教理省の宣言「Fiducia supplicans」)をよく理解していません。よく耳を傾けることが求められます。論争には対処せねばなりませんが、隠ぺいされてはなりません」と注意された。

 そして、参加した司祭たちにローマの司祭たちに対し、「いつも赦しなさい… 私はいつも赦しています。常に慈しみを持たなければなりません」と促された。

 

 

*終身助祭の役割とは

 

 終身助祭の役割についての問いには、「いつも人々の中にいなければなりません。助けを求めている人に奉仕することです」と答えられた。

 

 

*説教に求められること

 

 最後に教皇は、ミサ中の説教について、「説教は短く、7分から8分程度にし、端的で、神の言葉の真髄を捉えたものでなければなりません」と注文を付けられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
2024年1月14日

☩「短絡的な考えを捨て、動き回れ、リスクを冒せ」若者たちとの会見で

Pope Francis greets a participant in the eventPope Francis greets a participant in the event  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
 教皇フランシスコは12日、イタリアのToniolo Young Professional Associationが主催するイベントに参加した人々と会見され、参加者たちに、「人生は、管理されるものではなく、与えられるもの。動き回り、リスクを冒す。そして、驚きの感覚を決して失わないように」と語られた。
 会見での挨拶で 教皇は、「一部の人が『短絡的な考え』(pensiero breve)と呼ぶもの」に対して警告することで話始められ、 「短絡的な考えは、わずかな文字で構成され、すぐに燃え上がります。 それは上や前を見据えるのではなく、今ここだけに注目する考え… 歴史を振り返ることのない考えです」と指摘。
 さらに、思考の短絡化は、「人生と世界の複雑さに向き合わず、他者や社会の利益ではなく、自分自身の目先の利益を追求するあまり、物事を一般化して批判し、単純化で現実を歪曲につながります」 と注意された。
 では、どうすれば「短絡的な考え」に対抗できるのか? 教皇は、「動き回る」「リスクを冒す」「驚く」という3つの対抗策を提案された。
  そして、参加した若者たちに、「夢はありますか?」 「あなたの考えや心に動きはありませんか?」「じっとしていませんか?」「すでに”引退”した若者になっていませんか? 」と問いかけられ、「留まることのない夢を見るのを忘れないようにしましょう」と勧められた。
 さらに教皇は「リスクを恐れてはなりません… リスクを冒してください、リスクを冒してください… あなたがリスクを冒さなければ、誰がどうするのですか?」と彼らを励まされた。
 あいさつの最後に、教皇は「短絡的な考え」の対極にあるものとして「驚くこと」を勧められ、 「自問してみましょう-『自分は、驚く能力を失ってしまったのだろうか?』」とされ、 「若者が驚く能力を失い、驚きを失ったとき、”引退”した若者になっているのです」と注意された。
 そして、「命は管理されるべきではなく、与えられるべきもの」とされ、 「あなたを魅了する探求、心からの祈り、あなたを揺さぶる探求、他の人に与える1ページ、実現したい夢、報いられない人々への愛のしぐさ…これが、世界を作られた神のなさり方、報いを求めない神のなさり方、『持つために、する』『稼ぐために、働く』という論理からあなたを解放する神のなさり方なのです」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年1月13日

◎教皇連続講話「悪徳と美徳」③暴食は、神の賜物である「日々の糧」を歪める

Pope Francis at General AudiencePope Francis at General Audience  (AFP or licensors)
(2024.1.10  Vatican News   Deborah Castellano Lubov)
    教皇フランシスコは10日の水曜恒例一般謁見での連続講話「悪徳と美徳」で、今回は「暴食の罪」を取り上げられた。

イエスは、よく食べ、皆でワインを飲むことは悪いことではない、と考えておられましたし、ケーキを一切れ食べただけで罪悪感を感じる必要はありません」と前置きされた教皇は、「しかし、私たちの食物との均衡を欠いた関係が、地球に、そして私たちの心にダメージを与える可能性があることに、私たちは注意を払う必要があります…『日ごとの糧』を当たり前のように思ったり、歪めたりすることが、 ゆっくりと、確実に、地球を壊していく可能性があるのです」と注意された。

 続いて教皇はイエスが、律法で定められた穢れていない食べ物と穢れた食べ物の区別をどのように拒否されたかを思い起こされ、「 聖書に書かれているように、イエスは、たとえ非難されても、人々と夕食のテーブルを囲んだことで、おいしい食事やワインを楽しむことに何の問題もないことを、私たちに教えてくださいました」と語られた。
 そのうえで、「 神は私たちに、喜びの時には皆が共に食卓を囲んで楽しく過ごすことを望んでおられますが、四旬節のときのように、苦しみの時には禁欲や断食をすることでバランスをとる用意もされておられます」と指摘。
  そして、「食べ物と私たちの関係の歪み、そしてそれが私たちと私たちの心を変えてしまう可能性があることが問題なのです」と強調された。
 教皇はさらに、「このことについて福音は何を教えているでしょうか?イエスに注目してみましょう。カナの婚宴でイエスが最初になさった奇跡は、イエスが人間の喜びに共感していることを明らかにしています。イエスは婚宴が無事に終わることを気にかけており、新郎新婦に多くのもの、とてもおいしワインをお与えになるのです」とされた。
 そして、イエスが飲食の素晴らしさ、食卓での交わりの喜びをどのように教えられたかを思い起こされ、「『日々の糧』という神の賜物に、いつも、もっと感謝するように。そして、他の人に対する責任を心に留め、この地球の良いものを徳高く享受するように」と信者たちを促された。

 また 教皇は、特に比較的裕福な国々において、食品との関係が、他の国々よりもさらに歪んだり不均衡になったりする社会的傾向に注意を向けられ、「世界中で多くの人が飢える一方で、頻繁に大量の食料を無駄にしている社会が存在します。そうした中で、私たちは、適度な食習慣を通して社会的責任を果たす必要があります」と述べられた。

  さらに 「食べ物は内面にあるもの-バランスを取る傾向と節度のなさ、感謝する心と自律性への傲慢な主張、貧しい人々と食べ物を分け合う方法を知っている人の共感、自分のためにあらゆる物を買いだめする人の利己主義など-を表します」とも語られた。

 続けて教皇は、「人がどのように食べるかで、その人の魂についての何かが明らかにされます… 私たちは生きるために食べるのであって、食べるために生きているのではありません」とも指摘された。

 教皇はまた、「個人的なように見える私たちの消費行動も、社会や地球全体に影響を与える可能性があります。そして、暴食は、おそらく『地球を滅ぼす最も危険な悪徳』といえるでしょう」とされ、「過去数世紀にわたり、地球の環境に対して激しい攻撃を続けて来た私たちの貪欲さは、 すべての人の未来を危険にさらしているのです」と説かれた。

 

 講話の最後に教皇は、「私たちは、すべてのものの管理を委ねられる一方で、すべてのものの支配者になろうと、あらゆる獲物に飛びついて来ました。ここに、大きな罪、腹の底からの怒りがあります。私たちは人の名を汚し、『消費者』という別の名を名乗ってきました」と反省され、「私たちが外部からどのように見られているかについて、どれほど無関心か」と嘆かれた。

 また、「私たちは感謝して、地球を慎重に利用する『聖餐の男女』として造られたにもかかわらず、『捕食者』に変わってしまった。そして今、私たちは『大食い』が大きな害を及ぼしていることに、気が付いています」と注意され、”しらふ”で前に進めるように、主に願うことを信者たちに求められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年1月10日

☩「平和は私たち全員に課せられた責任」在バチカン外交官との新年の集いで

 また教皇は、ピオ12世教皇が1944年の降誕祭前夜のラジオメッセージで、5年以上続いた第二次世界大戦の後、「人類は、この世界大戦、この世界規模の動乱を、深い刷新のための新しい時代の出発点にしたい、確固たる意思をもって痛感している」と述べたことを振り返られ、「それから80年経った今、『深い刷新』への意欲は失われ、世界で増え続ける戦争は、『散発的な第三次世界大戦』と呼ばれているものを、正真正銘の世界規模の戦争に少しずつ変えようとしています」と警告された。

*イスラエルとパレスチナ

 教皇は具体的にまず、イスラエルとハマスの間で続いている戦闘を挙げ、そのきっかけとなった昨年10月7日のハマスによるイスラエル国民に対する攻撃を非難。「私は、この行為と、あらゆるテロリズムや過激主義による行為を改めて非難します。 これは民族間の紛争を解決する方法ではありません。紛争を悪化するだけであり、すべての人に苦しみをもたらします」と語られた。

 そして、現時点で既に2万2000人以上が犠牲となり、数百万人が負傷、避難民となっているガザの悲惨な状況つながったハマスの行為が「ガザでの、イスラエル軍の過激な反応を引き起こした」という事実を指摘。

 双方の戦闘の激化が 「多くの若者や子供を含む主に民間人である数万人のパレスチナ人の死につながり、極めて深刻な人道危機と想像を絶する苦しみを引き起こしてます」とされ、 即時停戦、人質の解放、パレスチナ人への人道援助のルート確保を、イスラエル、ハマス双方に強く求めた。

 また、教皇は、「イスラエルとパレスチナの二国家による解決」と「永続的な平和と安全を目指すエルサレム市の特別な地位の国際的保証」を支持することを改めて確認された。

*シリア、レバノン、ミャンマー  

 教皇は、現在のガザ紛争の影響を明らかに受けている中東地域全体の不安定化を強く懸念され、特に、「昨年2月の地震でさらに悪化した経済的・政治的状況の中で暮らすシリア国民、近隣諸国に今も存在する数百万人のシリア難民にとって深い苦痛」に目を向け、国際社会に対し、「シリア国民が経済制裁の結果としてもたらされている苦しみを、これ以上、続けなくてもいいように、建設的かつ真剣な対話を進め、解決策を見つける」よう、訴えられた。

 ミャンマーのロヒンギャの人々の窮状が続いている事にも言及され、「彼らが希望をもてるように、あらゆる努力が払う必要があります。ロヒンギャの人々が苦しみ続けている人道的緊急事態を無視せず、若者たちに尊厳ある未来を示すことが求められています」と訴えられた。

*ロシアとウクライナ、アルメニアとアゼルバイジャン

 教皇は「”断片的”な第三次世界大戦が起きている、という自身の見方を繰り返され、「多数の犠牲者と大規模な破壊」をもたらした約2年に及ぶロシアによるウクライナに対する大規模軍事侵攻と、アルメニアとアゼルバイジャンの南コーカサス地域での紛争を思い起こされ、「国際法と宗教の多様性を尊重して交渉を進めること」を関係当事国などに、改めて強く求められた。

アフリカ

また、テロ、政情不安、気候変動の影響など、サハラ以南アフリカの人道危機について言及された教皇は、 エチオピア北部のティグレ州における紛争に対処する協定の履行に真剣に取り組むよう呼び掛け、エチオピアや「アフリカの角」での緊張緩和に努めるようにも求められた。

 スーダンでの戦争とそれが何百万人もの避難民に及ぼす広範囲にわたる影響や、カメルーン、モザンビーク、コンゴ民主共和国、南スーダンの難民の窮状に対しても、緊急の対応の必要を指摘された。

*南米における課題

 教皇は、ベネズエラやガイアナなど南米数カ国間の深刻な緊張についても言及。ペルーやニカラグアなどの民主主義制度に影響を与える政治的二極化に懸念を表明され、 「ニカラグアは依然として憂慮すべき状況にあります。危機の長期化は、ニカラグア社会全体、特にカトリック教会にとって痛ましい結果をもたらしています」として、「カトリック教徒、そして国民全体の利益のための敬意を持った外交対話」を促すバチカンの取り組みを再確認された。

*今起きている戦争では、軍も民間も区別がなくなっている

 教皇は、戦争によって何百万人もの人々が苦しみ、ますます引き裂かれていく世界の鮮明な姿、統計の裏にある人間の顔を詳細に思い起こされながら、これは戦争犯罪であり、国際人道法違反だとして非難された。

 そして、「 現代の戦争は、もはや明確に定義された戦場だけで行われているわけではありません。軍事と民間の区別がもはや尊重されないと思われる現在の状況…  民間人が無差別に攻撃されることを、ウクライナとガザでの出来事が明確に証明しています」とも語られた。

*世界の安全保障に資源を投資し、持続可能な地球のための「世界基金」の創設を

 教皇はさらに「武器には抑止力はなく、むしろ使用を促進してしまっている」とされ、軍縮の必要性を強調。 「兵器に誤って使われている資源を、他に回すことで何人の命が救われるでしょうか? 人類は紛争の根本原因に取り組むべきです。真の世界の安全保障の実現に、それらの資源を投資するべきです」と改めて訴えられた。

「今世紀の始まりを特徴づけた食料、環境、経済、医療などのさまざまな危機からも分かるように、現代の課題は国境を越えています」と述べ、「最終的に飢餓をなくし、地球全体の持続可能な発展を促進するための『世界基金』を設立するという提案を繰り返したいとおもいます」と語られた。

*気候変動危機に緊急の対応が必要、COP28協定に期待

 また教皇は、世界的な環境危機、気候変動危機についても取り上げ、「ますます緊急な対応と、国際社会全体を含む全員の全面的な関与が求められています」とされ、昨年12月のドバイでの国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)で採択された協定が「生態学的移行の決定的な加速」につながることへの期待を表明された。

*移民・難民への対応と”地中海危機”

 紛争や自然環境の悪化、経済危機などを背景に移民・難民が増え続け、受け入れ側から反発が起きるなど、特に地中海を超えて欧州に向かおうとする人々の悲劇が後を絶たないが、教皇はこのような現状に対して、「個人の権利と尊厳に敬意を払いながら移民・難民をコントロールするバランスの取れたアプローチ」を関係国に訴えた。

 そして、地中海を「移民・難民の眠る墓」ではなく、移民・難民が歓迎され、守られ、現地社会で共に生活できる「平和の実験室」とするような、視点の転換を求め、同様に、「人々が母国に留まる権利と、それに応じてこの権利を効果的に行使するための条件を整える必要」も指摘された。

*教育、人権、対話

 教皇はまた、新しいテクノロジーの倫理的使用の問題も取り上げ、「未来への投資の手段としての教育」の重要性をを指摘された。そして、技術開発が倫理的かつ責任あるものである必要性について語られ、人権の重要視すべきことを

強調された。

 また、 新たなテクノロジーが、世界の一部地域で「イデオロギー的な植民地化」と「死の文化」の蔓延につなる傾向について警告され、胎児をはじめとする生命の尊重を強調されるとともに、代理出産などの慣行を「人間の尊厳の侵害」として批判された。

 「人間の生命は、その存在のあらゆる瞬間に保護されねばなりません。 私は、特に西洋において、偽りの『同情』の名の下に子供、老人、病人を切り捨てる『死の文化』が広がり続けていることを残念に思っています」と語られた。

 なお、教皇は、平和の追求における重要な要素として対話、特に宗教間対話の役割を重視され、 「平和への道は、宗教間対話を通じても成り立ちます。それには何よりもまず、信教の自由の保護と少数派の尊重が必要です」とされるともに、「信教の自由に対する『集中管理のモデル』を、新テクノロジーの”活用”とともに採用する国が増えている」ことを警告された。

 そして、少数派の信仰共同体を尊重するよう呼び掛け、「場合によっては、テロ、文化遺産への攻撃、そして改宗禁止法の蔓延や宗教操作などのより微妙な措置の組み合わせにより、絶滅の危険にさらされることがあります」と警告された。また、あらゆる反ユダヤ主義行為と世界中で増大するキリスト教徒に対する差別的な行為を改めて非難された。

*2025年の聖年について

 講話の最後に教皇は、教会が来年のクリスマスに始まる聖年に向けて準備を進めていることについて語られ、 「今日、おそらくこれまで以上に、私たちには聖年が必要です。聖年は、神の慈悲と神の平和の賜物を体験できる恵みの季節です」と強調。

 

 私たちの社会全体に絶望感をもたらす苦しみの原因が数多く存在し、若者たちが困難を経験している中で、「彼らはより良い未来を夢見る代わりに、無力感や挫折感を感じることが多く、 なくなるどころか広がっているように見えるこの世界の暗闇の中で、「聖年は、神が決してご自分の民を見捨てず、常に神の王国への扉を開き続けているという宣言です」と訴えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年1月9日