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・菊地大司教の日記㊳海外からの働き手と人間の尊厳…小金井教会で堅信式
11月27日
海外からの働き手と人間の尊厳
いわゆる入管法の改正が国会で論議され、その審議のプロセスがあまりに拙速だと、この数日間ニュースでも取り上げられています。
常日頃から、キリスト教の信仰の立場に立って、人間の尊厳を語る者として、海外からの働き手をより多く導入しようとする政策に、無関心でいることはできません。
毎日曜日の教会の現実を見れば、そこには日本人の信徒とともに、海外から来られた信徒の方が多くおられ、近年は特にアジア諸国からの若い信徒の方々が急増していることを実感いたします。
キリスト者の立場からは、同じ神を信じ、同じイエスをキリストと信じる兄弟姉妹は、国境を越えて一つの共同体を形作る大切な仲間です。その仲間たちには、様々な歴史的背景があり、来日の事情もそれぞれ異なっています。留学生やビジネス、または結婚などで来日された方も多いとはいえ、今特に増加しているのは、いわゆる技能実習生として来日された若者たちです。
確かに、『人口の大きな塊である「団塊の世代」は2022年に後期高齢者(75歳)に達し、嘱託などとして働いていた職場からの「引退」が本格化し始めるとみられる。そうなると65歳以上の就業者数の増加はそろそろ見込めなくなってくる。つまり、人手不足はこれから「本番」を迎える』ことは間違いがなく、日本の社会は極端な人手不足に直面することは間違いがありません(日経ビジネス10月26日)
それを見越して、必要な労働力を確保しなければならないと考えることは、政府にとっては当然の責務であると思います。しかし、「いわゆる移民政策は採らない」という方針を明示するがあまり、ともすれば海外からやってこられる働き手を、一人ひとりの人間としてではなく、抽象的な「労働力」として見てしまう傾向も感じられます。
人間の生命は、神がご自分の似姿として創造されたが故に、一人ひとりに人間の尊厳があると信じている私たちキリスト者は、神がそのいつくしみをもってひとりたりとも忘れることなく、一人ひとりの名前を手のひらに刻みこむほどに(イザヤ書49章)すべてのいのちをいつくしまれているとも信じています。
そう信じるとき、ニュースなどから報道されてくる、いわゆる技能実習生の方々の置かれた過酷な労働現場の現実や、ともすれば奴隷労働のような取り扱い、そして実際に教会で出会う海外から来られた方々の実情を目の当たりにして、心の底から悲しみを感じざるを得ません。
教皇フランシスコは「排除されても良い人は誰ひとりいない、忘れ去られて良い人は誰ひとりいない」と説かれ、「無関心のグローバル化」に警鐘を鳴らされています。それは、キリストを信じる仲間だけに向けられているのではなく、思想や信条にかかわらず、神が創造されたすべての生命に対して向けられた言葉です。ですから教会は、キリスト者だけにではなく、すべての人の悲しみと苦しみに対して関心を持っています。
将来に向けて日本における労働力の確保を考えるとき、どうか、どうか、海外から来られる働き手は、ひとりの大切な人間であることを、尊厳を持った存在であることを、神が愛され、慈しまれて、大切にされている生命であることを、忘れないでいただきたい。人間の尊厳を、守り抜く道を整えていただきたい。私たちは、それを常に心にとめておきたい、と思います。
残念ながら、すべての人が満足する方法は、どの分野でも実際には存在しないのかも知れません。しかし、この大切な兄弟姉妹を、十把ひとからげに、抽象的な『労働力』と見なしてしまうことのないように、心から願います。
そして教会は、教会として、人間の尊厳を奪い取られるような状況に追い込まれた兄弟姉妹に、常に寄り添い助け合う存在でありたいと思います。
11月25日 (日)
王であるキリスト・堅信式@小金井教会

典礼暦の上で年間最後の主日となる「王であるキリストの主日」の本日、小金井教会でミサを捧げ、その中で9名の方が堅信の秘跡を受けられました。

堅信を受けられた皆さん、おめでとうございます。これからも、福音を告げしらせるという使命に生きるキリスト者としての自覚を心に刻み、人生の歩みを進めてください。
小金井教会の聖堂でミサを捧げることは、実は初めてではありませんでした。先日、聖ヨハネ修道会の総会があり、その開会のミサをこの聖堂でシスター方と捧げておりました。しかし小教区の皆さんとは今回が初めてです。
小金井教会は、聖ヨハネ修道会が経営母体となる桜町病院の敷地の中にある教会です。設立の歴史的経緯から、一見すると病院の付属教会のように見えないこともありません。
東京教区のホームページには、次のような歴史が掲載されています。
「小教区として設立される前に、長い前史がある。1939年に桜町病院が教区司祭戸塚文卿博士によって設立され、博士の帰天後、福音史家聖ヨハネ布教修道会に引き継がれた。この敷地内にあった聖堂に集う信者が増えたので、1975年に正式に吉祥寺小教区から分かれ、小金井小教区が誕生した。当初は府中墓地聖堂でもミサを毎週行っていたが、1990年、府中教会が小教区として独立、それ以降は小金井市を主な受持ち地域としている」

また表の小金井街道を挟んで向かい側には、聖霊会のシスターたちの家もあります。
ちなみに今夕、カテドラルで通夜が行われた東京教区司祭・藤岡神父様の最期も、この桜町病院のホスピス病棟でした。
今日の堅信式のミサには、小教区管理者の加藤豊神父様をはじめ、小金井教会出身で今年叙階されたカルメル会員の志村神父様も参加してくださり、侍者デビューのかわいい二人もいて、盛大で荘厳なミサができたと思います。ミサ後には、地下のホールで祝賀の茶話会。
堅信を受けられた皆様に、聖霊の護りと導きを祈ります。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
(以上「司教の日記」より転載)
・Sr.石野の思い出あれこれ⑤洗礼の喜びと感動…そして修道院に惹かれていく
洗礼は言葉で表現できない喜びと深い感動を私の心に刻んだ。
教会が教える通り、全く新しい人になった気持がした。修道院でのお友達もたくさん増えた。中にはシスターになることを希望して修道院に入る人もいた。その都度修道会のことが話題に上る。わたしはそのような話は極力避けた。
当時は「格子無き牢獄」とまで呼ばれた厳しい規則と禁欲に彩られた生活。しかも一回入ったら生涯出ることはできない。そのような生活に魅力を感じるどころか嫌気さえ感じていた。
そんなある日、中央線のA駅の北側に新しい修道院が開設された、イタリア人のシスタ-が幾人かいらして云々ということを聴いた。よく調べてみると A 駅の南側にあるわが家から歩いて40分。交通網が今ほど発達していなかった当時30分、40分、50分くらい歩くのは当たり前のことだった。
ある日、学校の帰りに興味本位でその修道院を訪れてみた。二階建ての日本家屋。玄関のチャイムを押すと出てきてわたしを迎え入れてくれたのはイタリア人のシスター。笑顔で挨拶はしたものの、その先が続かない。
アメリカ経由で日本にいらしたというシスターは片言の英語を操り、わたしも学校で学んだ片言の英語をしゃべった。二人は知っている英語の単語を並べ、分からなくなると二人の間に置いた大きな英和-和英辞典の単語を探して指さす。「イエス、イエス」二人の会話はこうして成立した。
けっこう意志の疎通が図れ、私はいつも満足して、その修道院を後にした。そして、近いという地理的条件もあって、この修道院にも時々訪れるようになった。
シスターのやさしさ、とんちんかんな英語、意味が通じないで時々首を傾げ、辞書を何ページも繰りながら適当と思われる単語を探しあてる面白さ、そして通じて理解しあえた時の喜びと笑い。そんなこともこの修道院を訪ねる魅力の一つだった。
何回も通っているうち、ある日、シスターがわたしに、「シスターになりたいですか?」と、単刀直入に尋ねていらしてわたしを驚かせた。即座に「 no!」と答えたわたしに、シスターはあれやこれやと、シスターの素晴らしさを説明してくる。
シスター?修道生活?どう見たってわたしなんかにふさわしくない。そう思っているわたしにはそんな話は面白くなかった。かえってうるさく感じられた。
でも一方好奇心が首を持ち上げ初めているのも感じていた。全く知らない世界のこと、夢にも考えたことのない生活のことを、シスターにしてみれば最低の英語と最高の熱意をもってわたしに告げようとしているのだ。その熱意には心動かされた。そして…「わたしがシスターになったら、もし修道院に入ったら」と、いつか知らないうちに、心の片隅で思うようになっていた。
またあの話が出たら嫌やだからと、しばらく修道院を訪問するのを避けていたが、どうしても目に見えない引力がわたしを修道院の方に引き寄せるので、また通うようになった。
辞書を使っての単語並べの英語も結構進歩した。勘違いしたり失敗したり、それでも真面目に修道生活についてなど話せるようにまでになった。
(続く)
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)
・Sr.岡のマリアの風㊱真ん中に置く「いのち」とは?
真ん中に置く「いのち」とは?
キリスト教の二千年の伝統。それをさらに超える、三千年以上、四千年といわれる、ユダヤ教の伝統が、なぜ、「これだけは譲れないもの」として、「いのち」そのものの尊厳を宣言し続けてきたのか?
ユダヤ教・キリスト教の中心にある、「でも」、「もし」無しの、条件なしの「いのち」そのものの尊厳の土台は、旧約聖書の「モーセ五書」、特に創世記の始めの三章の中に凝縮されている、ということも出来るだろう。
創世記の一章から三章には、物語の形式で、天地創造、人間の創造、人間の堕落、楽園からの追放が語られている。
人間が「造られたもの」であり、「土」「地の塵」に過ぎないこと。しかし、造り主である神の「命の息」を吹き込まれたこと、つまり、神の息によって生かされていること。生き物の中で、人間だけが、「神の像(イメージ)」をもっていること。「自由」である神の本質を共有していること。
神が、人間をご自分の「像(イメージ)」として造りながら、自身に「限界」を設けたこと―自由な者として造られた人間は、善を選んで幸福になることも、悪を選んで自らを滅ぼすことも出来る。神でさえ、ご自分が自由な者として造った人間の心に踏み込んで、強制することは出来ない―。
旧約聖書の中で表される、ご自分の民に対する「神の怒り」とは、だから、憎しみではない。それは、幸福のために自由を与えられた人間が、その自由をもって悪を選び、自分で自分を滅ぼそうとしている人間に対する、神の激しい感情、pietas、全存在を震わせる苦悩である。「わたしはお前たちが死ぬのを望まない。善を選んで、生きよ」と、神は、ご自分の民に嘆願し続ける。
ユダヤ教・キリスト教の伝統―四千年の伝統―は、神の言葉―聖書―に耳を傾け、思いめぐらしながら、「いのち」が、神の領域、神秘―人間の理論、知恵では計り知れないもの―であることを理解してきた。詩編作家たちは、神は「善― まったく善い方―」であり、ご自分が造られたものを、何一つ厭わない。神は、造られた一つ一つのものをいとおしむ。…とうたう。
一つ一つの命には、託された唯一の使命、意味がある。すべての人々の救い―ご自分の永遠の命に入り、その命を共有すること―を望む神の、救いの計画の中で、一人一人には、その人にしか果たせない、使命を預かっている。どんな状況の中でも。そしてその使命を、わたしたちは、この地上では、完全に理解することは出来ない。わたしの「いのち」は、神の領域、神秘だから。
わたしたちの信仰の先輩者たちは、三千年、四千年にわたって、この、神が土の塵から形づくり、ご自分の息を吹き入れた「いのち」、一つ一つのいのちを大切にするために、守るために、時に声を上げ、命を軽視する「死の文化」に対抗して闘い、自らの命さえ差し出してきた。
アウシュビッツの後に、神はいるのか?という問いかけに、ある現代ユダヤ教のラビ(先生)は、はっきりと答えている。
「アウシュビッツの後に、神はいる。あらゆることにかかわらず、わたしたち、ユダヤ人たちは、神を信じることを止めなかった。あわれみ深い神、ご自分の民に『わたしは、お前たちとともにいる』と約束した神を信じ続けてきた。それが、神はいる、という証拠だ」。
最も「小さくされた者たち」に、ほほえみかけ、手を差し伸べ、歩み寄るとき、わたしたちは、わたしたちの中におられる神に「気づく」。わたしたちが、神の像(イメージ)で造られた者であり、土の塵に過ぎなくても、神の息で生かされていることに、気づく。
教皇フランシスコは、「貧しい人々」-その中には、物質的に貧しい人々、障がいを負っている人々、尊厳を踏みにじられている女性、高齢者、子供たちが入っている―のために、わたしたちが、直接に、具体的に、何かの行動を起こすとき、わたしたちは、実は彼らが、貧しい人々が、わたしたちに多くのことを教えてくれる、ということに気づく、と言っている。
「貧しい人々」に差し出すほほえみ、やさしい言葉は、わたしたちを解放させる。自分の心配事、利益ばかりを考えて閉じこもっているわたしたちの殻を破り、自由にしてくれる。わたしたちが、本当に「神の子」として、自由な者として造られていることに、気づかせてくれる。
「いのち」の神秘は、だから、物語の中で、四千年の民の歩みの中で、わたしたち一人一人の歴史の中で、語り継がれていく。だから、「旅」。短い時間だけれど、この、いのちに触れる「旅」に、と。
(2018年11月28日)(社会福祉法人「聖家族会」・障がい者福祉施設の全職員の集いのために)
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑯ハーフェズの詩句に回復の力を得た
引き続き、筆者の心を打つハーフェズの詩である。
「心よ 一瞬たりとも恋と陶酔を忘れてはならない かくして消滅と存在からの救いを求めよ もし偶像(美女)を見つけたら真剣に求めよ いかなる偶像であれ自らをあがめるよりはまし 弱くとも力なくとも北東風のように楽しくやろう 道を行くもの(修道者)にとって 病気であることは健康であるよりもまし 道を行くものにとってうぶであるのは不信者に同じ まさに幸せへの道は賢さ巧みさが肝要 知識や学問に頼る限り(神の)智徳は得られない
汝に一つだけ言っておこう 自らを救うために自らをあがめてはならない 恋人(神の表象)の足下にとどまり この世の出来事に煩わされてはならない
そんなことをすれば誇りの頂点から地の底に落ちる とげは痛いが(同じ木の)花は補って余りある 葡萄酒の苦さは我慢しよう 心地よき陶酔が待っているから (陰で)ちょびちょび葡萄酒に飲みふける修道者よ ハーフェズに大酒を控えろと 短い裾の衣をまとった者(修道者)よ いつまで高慢でい続けるのか」。
健康であれば、人生とは、死とは、人生如何に生くべきかなどはあまり思うこともない。若いときはともかく、社会人ともなれば、いずれいつかは考えなければならない問題とは思っても、とりあえずは先送りである。病気は、そうした自分に一考を促す。
筆者は、2015年5月突然脳梗塞に襲われ、長いリハビリ期間を含め半年にわたり入院生活を余儀なくされた。上記のハーフェズの詩句はじんと迫ってきた。
病気を患って健康のありがたみが初めてわかるとはよく言われることであるが、筆者にとって健康の有り難味が身に染みて感じられた体験であった。いろいろ想いをめぐらす日々であった。この断片を含む詩句を、ハーフェズの意図に位置付けて読み直せば、筆者の状況とは基本的に異なるが、筆者の実感に重なる部分もありそうである。
イスラーム神秘主義の修行を通じて、神の愛への道、すなわち神との融合を目指すのは、ハーフェズの人生そのものであり、それがあるべき生き方と信じている。それこそが最高の楽しみであり、生や死の恐怖を乗り越える道だからである。
その修道の実践の要諦は自己滅却であり、修行の大敵は自分自身となる。現代の言葉でいえば、自我であり、自らを貴しとする傲慢である。神ではなく、自らを敬うくらいなら、自分以外のものなら何であれ偶像(美女)であってもその方がまし、とまで言って自我の跋扈を警戒している。
一瞬たりとも自戒を怠れば、自我が頭をもたげるのである。謙虚さが失われる。障害(病気)が生じなければなおさらそうである。健康であれば、俗世の利益や快楽、さらには栄誉に惑わされかねない。病気こそ却ってそうした謙虚さをもたらす助けになる。
神への恋における修道にあっては、同時に、賢く巧みに振る舞うことも必須である。賢く巧みに振舞うことは、自らを崇めることにも通じかねないが、あくまで神への恋を実現するためにである。
神との融和は、知識や書物によって体得できるわけではなく、修行を通じてのみ可能になる。己を崇めるな。修行は厳しくも苦しいものであるが、痛いとげも美しい花も同じ幹に生じるものであり、また葡萄酒の苦さもその後の陶酔のためであり、苦しみと陶酔は紙一重である。どんなに苦しくとも、修行の努力は一瞬一瞬、しかも一生、続けなければならない。そうした道を放棄すれば、直ちに奈落の底へ転落である。人生を迷うことになり、後で後悔しても遅い。
それにしても、(ハーフェズにとって)我慢ならないのは、修道の師や同輩たちである。かっこよく表では道や徳を説き、ハーフェズは大酒飲みと非難するが、陰に回ればブドウ酒をちょびちょびやっている(イスラームでアルコールは禁止)。これは賢くもなく巧みでもない。ただの偽善である。
最後の行との関連で、ハーフェズは大酒飲みとも噂されたが、ハーフェズと葡萄酒との関係は、すでに論じた。北東風(サバー)は草木を弱々しく震わせて吹く風、その故ペルシャ文学では病人にたとえられる。
最後に付け加えれば、地方の大学で宿泊中に倒れた筆者は、誰も知らない地域の病院に緊急入院となったが、脳梗塞と(併発した肺炎による)高熱にうなされながらも、入院の直後には日ごろ暗唱していたハーフェズの詩句を思い起こすことができ、入院の毎日にもハーフェズの詩の断片を暗唱し続けた。そのことが回復の大きな自信となったのは本当に幸運であった。
(詩の翻訳は筆者)
(駒野欽一=元イラン大使)
・菊地大司教の日記㊲東京国際カトリック青年の集い・2019年の主日の予定
2019年の主日の予定
- 1月20日 一致祈祷集会小金井教会
- 1月27日 碑文谷教会
- 2月3日 本所教会 ベトナム共同体
- 2月10日 新庄教会
- 2月24日 八王子教会
- 3月10日 一粒会総会
- 3月17日 新潟教会
- 3月24日 北町教会
- 3月31日 茂原教会
- 4月28日 千葉中央宣教協力体
- 5月5日 フランシスカン・チャペルセンター
- 5月12日 世界召命祈願日
- 5月19日 フランス語共同体
- 5月26日 国際カリタス総会
- 6月2日 成城教会
- 6月9日 聖霊降臨・合同堅信式
- 6月16日 吉祥寺教会
- 6月23日 築地教会、イグナチオ教会
- 6月30日 豊四季教会
- 7月7日 赤羽教会
- 7月21日 高円寺教会
- 8月18日 新潟教区
- 8月25日 宮古教会
- 9月1日 日本カトリック教育学会講演
- 9月8日 徳田教会
- 9月15日 聖体奉仕会
- 9月22日 葛西教会
- 9月29日 青梅教会
- 10月6日 あきるの教会
- 10月13日 巡礼
- 10月20日 新潟教会
- 10月27日 大森教会
- 11月3日 合同追悼ミサ
- 11月17日 豊島教会
2018年11月19日 (月)
東京国際カトリック青年の集い@関口教会
東京教区の国際センター(CTIC)と主に海外出身の青年心とのグループが一緒に、東京国際青年の集い(TICYG: Tokyo International Catholic Youth Gathering)を東京カテドラルのケルンホールで11月18日の日曜日に開催し、15カ国出身の青年信徒が160名以上参加してくれました。
午前中から集まった青年たちは、自分たちのコアグループの作成したプログラムに従い、7つのステージをクリアするグループゲームや、互いの分かち合い、それぞれの文化からの歌やダンスの披露などの交わりの時間を過ごし、最後に午後5時から、ケルンホールでミサを捧げ、一日の活動を締めくくりました。ミサは私が司式し、国際センター所長の高木神父、関口教会の西川神父、真境名神父が共同司式。
今の日本には様々な国からやってきた人たちや、様々な国を背景に日本で生まれ育った方々が多くおられ、その中には信徒の青年たちも少なくありません。文化の違いや言葉の違いもあり、なかなか一緒になって一つのキリストの体を作っているのだという意識を持ちきれていないと感じます。お客さん的な扱いも、時に見受けられます。
そんな中で、同じキリストにおける兄弟姉妹としてともに歩んでいくためには、互いを知り合うことが重要です。それぞれが抱えているそれぞれの人生の物語を、互いに分かち合うところから、互いの理解が始まり、支え合うことにつながることでしょう。
その意味で、今回の集まりは、海外をベースに持つ青年たちだけではなく、日本人の青年も多く参加したことには、大きな意味があると思います。プログラムの企画も、日本人を含むさまざまな文化的背景を持った人が集まって行いました。
そして、私にとって一番重要だと感じたのは、その地の言葉で、つまり日本語でのミサが締めくくりのミサで会ったことです。プログラム中のアナウンスや語りは、すべて英語と日本語で行われました。ミサの私の説教も、日本語と英語でしたが、ミサ自体は日本語。生活の基盤のある国の言葉でのミサで一致することには、一緒になって一つの体を作り上げる道にとって大切なことです。
もちろん司牧的な配慮として、それぞれの言葉でのミサや霊的生活は否定しませんし、必要であると思います。しかしそこだけに留まっていては、一つの体はできません。やはりそこを前提にした上で、基盤のあるその地の言葉での交わりと祈りは、重要です。
これからも、さらにこの輪を広げて、大きなキリストの体を育て上げていってください。
・菊地大司教の日記㊱東京教区青年の合宿、合同追悼ミサ、1日で60歳に
*2018年11月 5日 (月)
東京教区の青年たちの合宿、「mass mass 楽しい」が、11月3日と4日、イエスのカリタス会管区本部を会場に行われ、60名を超える青年たちが参加しました。主催は東京教区の青少年委員会。そのホームページには、今回の目的が次のように記されていました。
「神様のもとで、同年代の若者が集うこと。それが第一の目的です。 共に学び、語り合い、食事をし、ミサを受ける中で、仲間の広がりを大事にします。 そして、ミサについて少しでも知って考えてもらうこと。ミサに関して、分かっている / 分かっていない ひとまず置いておいて、ひとつひとつ大事な基本要素を学んでいきます。ミサの中で行われることひとつひとつに意味があって、それぞれに思いがあります。 ただ学ぶばかりではなく、ミサについて考え、若者によるミサを作ることを目的にします。ミサについて、たくさん知っている人は、もっと深めるために、まったく知らない人は、この機会にちょっぴり知るために、興味ない人も、楽しさを見つけ出すために、単純に、仲間と楽しく過ごすために、ぜ
ひ、この青年合宿参加してみてください」
というわけで「mass mass 楽しい」をテーマに、参加者は典礼について真剣に学び、いくつかのグループに分かれて意見を交わし、私たちの信仰の中心にある聖体祭儀への理解を深めたようです。
わたしは二日目の10時から行われたミサを、司式させていただきました。事前にしっかりと学んだこともあり、よく準備され、また積極的に参加する、良い典礼であったと思います。修道院のシスター方も一緒に参加してくださいました。準備したリーダーたちに感謝。もっとこの輪が広がりますように。
そして、同じ11月4日。11月は死者の月です。11月最初の日曜日に、府中と五日市のそれぞれの教区墓地と、納骨堂のある関口で、合同追悼ミサが行われています。関口の納骨堂にご親戚やご家族が眠っておられる方々を中心に、多くの方がミサに参加され、亡くなられた方々の永遠の安息を祈るとともに、地上の教会と天上の教会の交わりを心にとめ、互いに祈り合うことの大切さを再確認しました。の日曜日午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、合同追悼ミサを執り行いました。
復活の主を信じる者にとって、死は終わりではなく永遠のいのちへの門です。私たちは、目に見えるこの世の生活だけで、すべてが完結するものではないことを信じています。常に、永遠のいのちへの希望のうちに生きています。
ミサの奉献では、亡くなられた方々を追悼して記入された名簿が奉納されました。またミサ後には、地下の納骨堂へ移り、祈りが捧げられました。亡くなられた方々の、永遠の安息を、心からお祈りいたします。
*11月1日(木)60歳となりました

11月1日は、私の60歳の誕生日でありました。多くの方々からお祝いの言葉やお祈りをいただいたことに、心から感謝申し上げます。これまでも多くの方々のお祈りによる支えをいただき、司教職をなんとか務めることができまし た。
健康が許すならば、司教職の定年は75歳ですので、まだ15年も先があることになります。どうか皆様のお祈りによる支えをいただきますように、心からお願い申し上げます。お一人お一人に、御礼を申し上げることが適いませんので、この場を借りて、感謝申し上げます。
還暦ですから、何か赤いものを身につけるのが慣例ですが、先般行われた東京教区の司祭研修会では、伝統的な還暦の衣装をいただきました。その写真は、白黒ですが、教区ニュースの最新号に掲載されています。
カリタスジャパンのチームからは、10月末に行われた全国担当者会議の懇親会で、Share the Journeyキャンペーン(日本では排除ゼロキャンペーン)のTシャツを、記念にいただきました。もちろん赤色のTシャツです。
そこでもお祝いのケーキをいただきましたが、日曜日のイエスのカリタス会管区本部で行われていた教区の青年の集まりでも、ミサの後の振り返りの集まりで、お祝いのケーキをいただきました。配慮してくださった青年のリーダーたちに感謝します。(写真上)
これからも、職務に忠実で、そして懸命に使命を果たしていくことができるように、皆様の変わらぬお祈りをお願いいたします。
感謝のうちに。
・菊地大司教の日記㉟開かれ、生き生きした教会へ、若者たちに期待
2018年10月31日 (水)
日曜日は清瀬教会、小平教会、そして師イエズス修道会修道院へ
10月28日の日曜日は、清瀬教会を訪問し、10時の主日のミサを、主任司祭の伊藤淳神父と一緒に捧げました。
もちろん聖堂に一杯の信徒の方々が集まり祈りをともにしてくださったことは大きなよろこびですが、同時に侍者をしてくれた『少年・少女』が10名もいたことに、ちょっと感動。これからも、楽しく教会に通い続けてくれることを、期待してます。
また、清瀬教会にも長年にわたってフィリピン出身信徒のグループがあり、みなと一緒に協力しながら共同体を育てている姿が印象的でした。
カトリック教会は、日本において、「日本人の教会」や「フィリピン人の教会」など「○○人の教会」を生み出さないようにしたいと思っています。なぜなら私たちの教会は、「一つの教会」です。キリストの教会です。信仰は一つ、洗礼は一つ。同じキリストの元に集まっている教会です。
日本に生まれた人も、海外からやってきた人も、同じ神を信じ、同じキリストの名の下に集まるとき、おなじように安心して心やすく、信仰生活を歩めるようにすることが重要だと思います。ですから教会は、もちろん不安定な立場にあり、文化の違いに戸惑う人たちに手を差し伸べますが、同時に、同じいつくしみの心を持って、日本に生まれた多くの人たちの生きる困難さにも寄り添い手を差し伸べる存在でありたいと思います。
ちょうどバチカンでは若者をテーマにした世界司教会議(シノドス)が終了しました。最終文書が中央協議会でいずれ翻訳されますが、参加された勝谷司教からも様々な発信が始まることが期待されます。これからの次代を担う青年たちが、文化や国籍の違いを乗り越え、外にも内に心を配りながら教会共同体を生かしていくように、失敗を恐れず歩み始めることを期待しています。
11月4日には青年たちの集まりがイエスのカリタス会を会場に行われ、これには主に日本人共同体の青年たちが集まります。そして11月18日にはCTIC主催で、国際青年の集いがカテドラルで行われます。近い将来、この二つが合同して、一緒に歩みを初めてくれることを、心から願っています。
清瀬教会では、ミサ後に30分間お話をさせていただき、その後30分間の質疑応答をいたしました。時間があれば、ほかの教会を訪問したときにも(堅信式など行事がないときには)こういう質疑応答の時間も持ちたいと思います。
そしてその後は懇親会。準備してくださった皆さん、ありがとうございます。
この日は、清瀬教会からの帰り、お隣の小平教会へちょっと立ち寄りました。ちょうどサンマを焼く集まり中。おいしいサンマをいただきました。ごちそうさま。小池神父様が率先してサンマやらなにやら、バーベキュー係のように働く姿が光ってました。
そしてそのまま、米軍の横田基地の横を通過して八王子へ。
八王子にある、師イエズス修道会の日本管区本部修道院へ。この日が会のお祝いの日だと言うことで、管区本部と、その隣にある修道院のシスター方があつまり、午後4時半からミサ。ミサ後は一緒に夕食をいただき、シスター方からの合唱の歓迎もありました。
今更言うまでもなく、師イエズス修道会のシスター方は御聖体の前での祈りとともに、典礼のために奉仕してくださるカリスマで、教会関係者なら必ずお世話になる典礼用品店「ピエタ」を運営しておられます。シスター方の使徒職に、感謝します。今月10月は、東京教区のために取りなしの祈りをしていただきました。感謝。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)(「司教の日記」より許可を得て転載)
・Sr.阿部のバンコク通信㉖にぎやかなバンコク都心の教会、国際結婚も数多く
バンコクは国際都市、世界中の国々とのアクセス良く、交通はも とより人々と文化の交流交差点です。
都心の教会 Holy Redeemer Church では、主日の英語のミサが5回、平日は3回捧げられ、特に11時の ミサは、プロのエンターテイナーが聖歌奉仕、あらゆる国の人々で 聖堂は満員、入口や回廊も補助椅子がびっしり。主のみ名のもとに 集い感謝の祭儀、手を取合い主の祈り時は鳥肌が立ち、 カトリックを実感します。
国際結婚も実に多く、あらゆる国籍の組み合せカップル。ビザ取得 のための偽造結婚や破綻した結婚も無数にありますが、感動する素 敵な例も限りないです。
タイの女子パウロ会はフィリピン管区に所属。現在3人のフィリピ ン人と生活を共にし、楽しく親しいフィリピンの友人達、特にタイ 人とのカップのとの交流は絶えません。信仰に感化された例を紹介 します。
タイ人ヌゥタット氏、イメルダ 夫人はフィリピン人、共に皮膚科の専門医師。ヌゥタット氏がイメ ルダさんに魅せられ結婚を考えていたところ、友人から「 彼女はカトリッ
ク信者、仏教徒とは結婚しないよ」と言われて秘密 裡に教会通い。要理を学び受洗した自身を彼女に贈り、イメルダさ ん本当にびっくり感動。
一言の強制の言葉なしに導かれた、 素敵なカトリック信徒ご夫妻。先日修道院のミサに与り、昼食を共 にしながらアツアツの実話を披露。摂理の出会いに感謝と賛美。
(写真は、右から2,3番目のご夫妻がアツアツの話の主。中央のシスタ ーたち、3人目のタイ女子パウロ会員、誓願更新ミサ後記念撮影)
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
・三輪先生の現代短評②歴史研究の新境地
「東京裁判史観」として批判されることが久しかった戦前史に、世代交代ということもあって、ようよう新境地が開拓され始めている。具体的に言うと「昭和12年学会」の成立とその最初の成果である。宮脇淳子、倉山満、藤岡信勝著『昭和12年とは何か』が藤原書店から出版された事である。序章と7章そして終章からなる本書の性格と内容を各章の小項目立ての言語を拾いだして提示してみると以下のようになる。
共産主義の脅威と貧困問題 「侵略戦争」「侵略国家」と言い出した学者たち 「昭和十二年の」の世界地図 戦後の歴史学会の偏向 通州事件と正定事件から 満洲とモンゴルから見た日本の昭和十二年;日清戦争で大陸の暴力に直面した;きちんとした因果関係をたどることの重要性
明治日本が文明開化路線を選び、欧米先進国が確立していた国際法秩序のもとで富国強兵政策を推進していた時、大陸は非文明のままに止まっていた。日清戦争の性格はまさに文明と非文明の相克であった。しかし其処に出現した「大日本帝国の愚かさ」は「客観的」に析出されねばならないのであった。
この学会に集う人々は、社会科学の諸分野をカバーしつつインターディスプリナリーに総合を試みることを使命としている。なにか昔見た夢が現実に展開しているようなイメージがある。
そう、上智大学に国際関係研究所がピタウ理事長のもとで創設された1968年 明治100年の年―あれはピタウ先生がハーバード大学でその年の最高博士論文と評された明治憲法の生成過程の研究が心の隅にあって、実現した一大プロジェクトだったのかも知れないと今、私はふと思ったりもした。
それで研究所のスタッフは政治学 社会学、経済学、歴史学などの分野から一人、二人と集められた。しかし、何か特定の地域、あるいは国家を研究対象とするのではなく、まさに「国際学」と名付けたらいいだろう学際的学問領域のための総合的「理論」の形成を図ろうとしたのであった。
そして研究成果は順次 鶴見和子・市井三郎編『思想の冒険・社会と変化の新しいパラダイム』(筑摩書房、1974);武者小路公秀・蝋山道雄編『国際学・理論と展望』(東京大学出版会、1976);川田侃・三輪公忠編『現代国際関係論』(東京大学出版会、1980);納屋政嗣・デヴィッド・ウェッセルズ編『ガバナンスと日本・共治の模索』(勁草書房、1997)となっていった。
『昭和12年とは何か』の共同研究者等が生みだした昭和12年学会の今後の活動が、この国が逢着している歴史意識の問題解決にどんな貢献ができるものか、刮目していきたい。(2018. 10. 30記)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)
・Sr石野の思い出あれこれ④思いもかけず…母は反対したが、受洗を決断
そうこうするうち、未だ洗礼は受けていなかったが、週日だけではなく、日曜日のミサに出席したいという強い希望を抱くようになった。その旨シスターに申し出てミサに参加するようになった。
ミサの説明は一応聞いていたので、全く分からないわけではなかったが、当時、典礼はすべてラテン語で行われていたし、その上、神父様は会衆に背中を向けてミサを捧げられるので、神父様が何をしていらっしゃるのか全く分からない。
シスターたちが神父様の祈る言葉に答える声〈それもラテン語〉だけが聖堂に静かにこだました。静寂と清らかな声が醸し出す雰囲気、わたしはその雰囲気にのみ込まれた。特に、シスターたちが歌われたとき、澄んだ美しい声に全身が震えるほどに感動した。
シスターたちの中に、修道院に入る前はオペラ歌手だったという方が一人いらした。聖歌隊の近くに席を取っていたわたしの耳に彼女の歌声が弱く、強く響いてきてわたし全体を包んで心を強く揺さぶった。
そしていつか知らないうちに、わたしの目に涙があふれていた。その時・・・洗礼を受けようと、心に誓った。一時の感傷から来た決心だったかもしれない。それでもその決意は実行に移され、掟の厳しさに対する恐れ以上のものでわたしの心を燃やし、今日までわたしの生き方を導いてくれる決意となっていたのだ。
神は思いがけない時に、思いがけない方法でわたしたちに語りかけ、わたしたちを動かされる。その時は知る由もなかったが、こうしてわたしが生涯進む道は神から示され、与えられたのだった。たとえ生涯を神に捧げ尽くすということはまだずっと先のことではあったが。
洗礼を受けようと決心したからには両親にそれを伝えなければならない。父は宗教心の熱い人だったからおそらく洗礼が何かを知らなかったが、わたしの洗礼に反対はしなかった。たとえ宗教は違っても、宗教をもつことは大切だと、よく言っていたから。
母は反対した。キリスト教徒、とくにカトリックになったら結婚ができないと聞いて、それを信じていたからだ。どこからそんなことを聞いてきたのか分からないが、それが当時の通念だった。
わたしもそう思っていた(実は間違った風評に過ぎなかったのだが)。しかし、それは洗礼に対するわたしの決意を覆すほど強いものではなかった。たとえ結婚が出来なくても、わたしは洗礼を受けたい、その望みが強かった。そうこうするうち母も考えを変えた。
ある日わたしに言った。「わたしは洗礼が何かよくわからないけれど、あなたがそんなに望むなら、それを受ければよい。きっと良いことなのでしょう。あなたはキリスト教を学ぶようになってから変わった。いやなことがあっても嫌な顔もせず、文句も言わず、お母さんの手伝いもいつもよくしてくれるようになった。きっと洗礼もよいことに違いない」と。
こうしてわたしの洗礼への準備は始まった。要理の勉強の他に、洗礼の時に頭に被るベールの刺繍があった。手先が不器用なわたしにとっては十字架だった。込み入った刺繍を選んでしまったので、洗礼式までに間に合うか心配だった。母も一緒に心配してくれるまでになった。
洗礼式は夕方から。その日の午前3時過ぎ、わたしのベールの刺繍はでき上がった。洗礼式に頭に被ることができたのだった。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)
・Sr 岡のマリアの風㉟身近に起こると… 「インマヌエル」-「身近に」なる-
一人暮らしの母が、詐欺電話を受けて、かなり怖い思いをしたらしい。妹からメールで連絡があった。
孤独な思いに付け込んで脅すのは、たとえお金を取らなくても、それ自体で「犯罪」だ、と本当に思った。心の傷、人に対する不信、この世界は怖いものだ、ということがインプットされるから。
「幸い、近くの地域交流センターの人に相談して、消費生活センターに電話して、アドバイスを受けて大丈夫だったらしい」と、妹。電気屋さんが来て、「詐欺撃退電話」に替える相談をする、と。
ありがたかったのは、地域の人たちの支えだった。母は、「ちょっと面倒だけど…」と言いつつ、家から歩いて少しのところにある「地域交流センター」にたびたび通っている。本を借りたり、お茶を飲んでおしゃべりしたり、たわいのないことだけれど、「これから、地域の方にお世話になるかもしれないから」と、意識的に 最近では、地域の防災訓練や行事にも参加したそうだ。お互い顔も覚え、センターのスタッフたちは、とても親切にしてくださる、という。
センターの所長さんは、父が生きていたころからずっと同じ人、それを生きがいにしているようなおじさんで、いつも気軽に声をかけてくださる。今回も、センターの方々が、親身になって具体的な対策をアドバイスしてくれたようだ。消費者センターへの電話を繋いでくれただけでなく(回線が混んでいて、なかなかつながらなかった)、母の様子から問題を察し、「今は、心が高ぶっているでしょうから、少し、ここで休んでいってください」と、コーヒーを出し、話を聞いてくださった。
心配性の妹は、定期的にお母さんを訪ねてくれる、わたしたちが小さい時から家に来ていた、化粧品セールスのおばさんにも電話した。このおばさんは、殆ど化粧品など買わない、つまりお得意先ではない母を、特に父が帰天して母が一人になった後は、心配して、善意で(母が何も買わなくても 母に声をかけ、「健康チェック」をするために訪ねてくれている。野菜や、おかずを持って来てくれることもしばしばで、お母さんは助かっている。おばさんは、妹の連絡を受けて、その日に、母を訪ねてくれたらしい。たぶん、野菜などをもって(そこまでは聞いていないが)。
教皇フランシスコは、ひじょうにしばしば、「共同体」としての歩みについて語っている。最近の使徒的勧告『喜びに喜べ』(2018年3月19日)の中でも、第二バチカン公会議文書を思い起こしながら、「神は、人々を個別的に、まったく相互のかかわりなしに聖化し救うのではなく、彼らを、真理に基づいて神を認め忠実に神に使える一つの民として確立することを望まれた」と、再確認している。
「他者と隔絶した個人として単独で救われる人などはおらず、神は、人間共同体の中に示される複雑に交差した人間どうしのかかわりを大切になさりながら、ご自分のもとへとわたしたちを引き寄せて」くださり、さらに、神ご自身が「民の躍動の中に、民という躍動に、加わろうと望まれた」 と(6項)。
現代のイギリスの ユダヤ教のラビ、Jonathan Sacks(ジョナサン・サックス)は、モーセ五書に関する彼の著作の中で、神がいかに辛抱強く、長い年月をかけて、人間の成長を見守ってきたかを、まさに聖書の「現実」の中で具体的にたどと意味するかのように」と考察している。
人がひとりでいるのはよくないIt is not good for man to be alone』(創世記2章18 節)… わたしたちは一人で生きることは出来ない。それは、聖書の人間論の原理(公理)の一つである。ヘブライ語の「命」life、ĥayimは、複数形である。あたかも、命は本質的に分かち合われるものだと意味するかのように。
Dean Ingeはかつて、宗教を、 個人が、彼自身の孤独とともに行うもの-what an individual does with his own solitude-と定義した。それは「ユダヤ教の見方ではない」(Jonathan Sacks, Exodus: TheBook of Redemption[試訳])。神は人間を男と女として造り、家族を形作り、やがて一つの「民」を形作る。イスラエルの民は、神と「同等」のパートナーとして契約を結ぶよう呼ばれる。
母の「出来事」を通して、今までニュースで耳にし、「一人暮らしの高齢者の寂しさを利用してだまし、脅すなんて、ひどい」と思っていたことが、何か「異なる次元」で、わたしにとって現実的になった。わたし自身の心の中で憤りを感じたし、怖い思いをした母への、さらなる気遣いが生まれた。人は決して、一人で自分自身を救うことはできない、「いのち」は「寄り添い」の中で育まれる、という、ユダヤ教・キリスト教の根本にある原理を、今までよりさらに深く「実感」した。
神は、わたしたち一人ひとりの内奥に自然に湧き上がる感情、思い…を、自ら「体験、実感」するために、ご自分が導き、忍耐をもって成長を見守ってきた民の「一員」となった。人間となった。その、分かっていたつもりの神秘が、わたしの心のさらに深くに入った、という経験だった。
人となった神の御子、イエスは、幼少で、家長である養父の死を体験した。「正しい人」であったヨセフが、神のもとで永遠に生きるだろうことを確信しながらも、「人間の心」をもつイエスは、愛する人を失った悲しみ、一人残された母の孤独への共感を「体験」しただろう。
やがてイエスは、大人になって、託された使命を実現するために、「善い知らせ」を人々に運んでいく。しかしそれは、家に母を一人残して出て行くことをも意味する。イエスは除々に、血のつながりから成る家族から、イエスのことばを信じることによって形成される家族へと、母を導き入れていくが、それは、母にとっても子にとっても、痛みを伴うものだっただろう。究極は、十字架の出来事における、母と子の姿である。
イエスは、神であるから、「知恵」そのものであるから、すべてを知っていた。しかしそれは、死、別離、孤独、恐怖…という、自然に湧き上がる人間の感情を抜きにしてではなかっただろう。「神の痛み」については、神学的にいろいろ議論されるが、少なくともわたしは、イエスが、人間としての究極の怖れ、苦しみを体験した、それこそ、神が「人となった」という神秘(ヨハネ福音書1 章14節参照)だと信じる。
わたしたちは、さまざまな人間の苦しみ、怖れ、痛みを、メディアを通して知り、共感し、憤り、涙する。しかし、それが「身近なもの」となる時、その同じ苦しみ、怖れ、痛みは、一変して何かより強烈に「自分の体験」となる。わたしは、わたしの母の怖れ、憤りを通して、日々、ひじょうに多くの人々が体験している怖れ、憤りを、さらに身近に、さらに深く、体験する。
神が「人となった」のは、イエスが望んだのは、人々に何かを教えるとか、慰めるとか、癒すとかいうことよりも先に、本質的に「人間の心、感情、思い…」をご自分のものとして感じ、体験することだった、とも言えないか。イエスが「人の子」として、十字架のもとに立つ母の心の中の、深淵の「闇」を感じ取らなかったとは(わたしには)思えない。その「闇」の中に、決して消えることのない光が輝き出でることを知っていたとしても。
「分かっていても」、信じることが難しいわたしたち。信じていても(信じているつもりでも)、それを生きることに躊躇するわたしたち。人となったイエスは、そんなわたしたちの弱さを叱咤激励、または非難することよりも、先ず、自分自身でその「弱さ」を体験することを望んだ。「わたしたちの一人」となって。罪を除いては、わたしたちと全く同じものとなって。
妹から連絡を受けた翌日、母と電話で話した。このようなことが起こると、地域の人、周りの人、友人たちのありがたさが分かるね、と話した。損得勘定ではなく、互いに寄り添い、支え合うために、「そこにいてくれる」善意の人々。このような善意の人々(キリスト教信徒であるとかないとかを超えて)のただ中に、すでに「神の国-いつくしみの神の国-」が来ている、と、パパ・フランシスコはたびたび言っている。
人の心の奥底に刻み込まれた「神のイメージ(像)」を成長させていき、「真のわたし自身」になり、「神の家族」を形作っていくよう、わたしたち一人ひとりは、神の協力者として呼ばれているのだろう。
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑮人生の指針としてのハーフェズの詩の断片
今回からは、筆者が自分の人生の指針、あるいは戒めとして日々暗唱しているハーフェズの詩の断片を、それが含まれる詩一遍の全体とともに紹介する。筆者が教訓として汲み取っていることと、ハーフェズの本意は必ずしも一致しないが、ハーフェズの生きた時代や社会背景と筆者のそれが異なる以上当然であろう。同時にそのこと自体、ハーフェズの詩が時と所を超えて、多様な読み方を許すものであることを示すものであろう。
ハーフェズが、今なおイランやイランを超えて圧倒的な人気を持っているのもそうした点に由来しよう。
「*途は恋の道 脇にそれることも終わりもない そこでは己が魂をゆだねるほかはない* 心を恋に委ねるときは素晴らしい瞬間 良きことにおいてはいかなる占い(迷い)も不要 真摯に修行の道を大切にせよ この宝の場所への道しるべは だれにも明らかというわけではない 己が知性を放棄することを怖がるまい 葡萄酒を持ってこい 我らの世界(恋)では警察長官(知性)は全く役立たず それ(恋)は澄んだ心をもってのみ見ることができる 新月を見るように 誰の目にも月のごとき美しきその(恋人)姿が現れるわけではない おのが目に尋ねよだれが我らを殺すのかと 絶対に運や不運の責任ではない (汝ゆえの)ハーフェズの号泣は何の効果ももたらさない 途方に暮れたわが心は硬い石(汝の冷酷な心)に劣らず」(*から*は、筆者が教訓としている部分)
筆者にとってこの言葉は、何事も全力で最後まであきらめずに頑張れとの意味、あるいは人生最後まで愛し続けるもの(人とは限らない)を持て(生きがい)という意味になるが、ハーフェズの本意はもっと特定されたものである。
「イスラームの神への愛の道を究めんとするハーフェズ、すなわち神を求め抜き、神との融合・邂逅を果たさんとするハーフェズの人生において、神は捉えたと思ったら次の瞬間には突き放されてしまう得難き存在、人生はそのことの繰り返しであり、あきらめずに命がけの修行を真摯に続けるほかにはない」との意味である。
この詩には、神の愛を求める神秘主義の修行道の要諦をいくつか述べている。誰もが修行すれば、間違いなく成功する、すなわち神との融合・邂逅を実現できるものではないこと、したがって真摯に修行を続けなければならないこと、修行に当たっては、頭に頼り知識にすがっても却って有害であること、ただ心(魂)を清く研ぎ澄まし求め続けなければならないことなどが述べられる。
そして、神の愛を求め抜く生き方に失敗すれば、その責任は自らにあり、運命や運不運の問題ではない、と手厳しい。
最後の2行(ベイト)は、ハーフェズが神の恋を求める修業でいくら苦しみもがこうが、血の涙を流して号涙しようが、美女(神の表象)は冷血漢のごとく聞いてはくれず、何の効果もないと、修道の厳しさを歌っている。
新月は、イスラーム教徒にとっての務めである断食月の終わり(したがって断食の終了)を告げる重要な印であるが、新月の出現は清き心を持った宗教者のみに見える、と信じられている。
(詩の翻訳は筆者)駒野欽一(元イラン大使)
・菊地東京大司教の11月、12月の主な予定
年末も迫ってまいりましたが、11月から12月の主な予定を記します。ただし、12月に関しては流動的なところがまだあるものですから、すでに決まっていた予定の変更をお願いしなくてはならなくなると思われます。そういった予定に関しては、とりあえず記載してありません。(菊地功・東京大司教兼新潟司教)
11月1日 常任司教委員会 (潮見)
11月2日 カトリック美術協会追悼ミサ (関口地下15時)
11月3日 聖ヨハネ会総会 (小金井)
11月4日 青年のミサ (イエスのカリタス会10時)、教区合同追悼ミサ (関口14時)
11月5日6日 新潟教区司祭静修 (新潟)
11月7日 ミラノ会総会 (府中)、神学生静修 (神学院東京キャンパス)
11月8日 神学生静修 (神学院東京キャンパス)
11月9日~11日 新潟教区合同堅信式 (11日午前9時半、新潟教会)
11月12日 司祭評議会 (本部)、ロゴス点字図書館月次報告 (潮見)
11月13日~15日 日韓司教交流会 (韓国)
11月17日 宣教司牧評議会 (本部、14時)
11月18日 江戸の殉教祭ミサ (高輪教会10時)、国際青年ミサ (関口)
11月19日20日 新潟教区司祭代表会議、顧問会 (新潟)
11月21日 カトリック関東小中高連盟校長との集い (本部14時)、平和旬間常任委員会 (本部、18時半)
11月22日 ペトロの家運営会議 (本部)
11月23日 ベタニア修道女会総会 (江古田10時)、カリタスソウル歓迎会 (名古屋18時)
11月24日 正義と平和全国大会カリタスジャパン分科会 (名古屋)
11月25日 小金井教会ミサ (10時)、世界エイズデー合同祈祷会 (17時)
11月26日 司祭月例会、財務委員会 (本部)
11月28日~12月5日 ケルン教区表敬訪問
12月6日 常任司教委員会 (潮見10時)、神学院常任委員会 (福岡18時)
12月7日 神学院常任委員会 (福岡)
12月8日 澤田神父様白寿感謝ミサ (関口14時)
12月9日 神田教会90周年ミサ (神田、10時半)
12月10日 司教顧問会 (本部午前中)、ロゴス点字図書館月例報告 (潮見14時)
12月11日12日 神学生静修 (神学院福岡キャンパス)
12月12日13日 司教総会 (潮見)
12月14日 司教研修会 (潮見)
12月15日から20日まで、この期間は予定が変更になる可能性があります。すでに予定のある関係者には別途ご相談いたします。
12月21日 カリタスジャパン事務局会議 (潮見、14時半)
12月22日 コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会 (調布)
12月24日25日 主の降誕 ミサ (関口)
12月26日 東京教区司祭・テデウムの集まり (関口)
12月27日 新潟教区司祭、年末の集まり (新潟)

