・Sr石野の思い出あれこれ④思いもかけず…母は反対したが、受洗を決断

 そうこうするうち、未だ洗礼は受けていなかったが、週日だけではなく、日曜日のミサに出席したいという強い希望を抱くようになった。その旨シスターに申し出てミサに参加するようになった。

 ミサの説明は一応聞いていたので、全く分からないわけではなかったが、当時、典礼はすべてラテン語で行われていたし、その上、神父様は会衆に背中を向けてミサを捧げられるので、神父様が何をしていらっしゃるのか全く分からない。

 シスターたちが神父様の祈る言葉に答える声〈それもラテン語〉だけが聖堂に静かにこだました。静寂と清らかな声が醸し出す雰囲気、わたしはその雰囲気にのみ込まれた。特に、シスターたちが歌われたとき、澄んだ美しい声に全身が震えるほどに感動した。

 シスターたちの中に、修道院に入る前はオペラ歌手だったという方が一人いらした。聖歌隊の近くに席を取っていたわたしの耳に彼女の歌声が弱く、強く響いてきてわたし全体を包んで心を強く揺さぶった。

 そしていつか知らないうちに、わたしの目に涙があふれていた。その時・・・洗礼を受けようと、心に誓った。一時の感傷から来た決心だったかもしれない。それでもその決意は実行に移され、掟の厳しさに対する恐れ以上のものでわたしの心を燃やし、今日までわたしの生き方を導いてくれる決意となっていたのだ。

 神は思いがけない時に、思いがけない方法でわたしたちに語りかけ、わたしたちを動かされる。その時は知る由もなかったが、こうしてわたしが生涯進む道は神から示され、与えられたのだった。たとえ生涯を神に捧げ尽くすということはまだずっと先のことではあったが。

 洗礼を受けようと決心したからには両親にそれを伝えなければならない。父は宗教心の熱い人だったからおそらく洗礼が何かを知らなかったが、わたしの洗礼に反対はしなかった。たとえ宗教は違っても、宗教をもつことは大切だと、よく言っていたから。

 母は反対した。キリスト教徒、とくにカトリックになったら結婚ができないと聞いて、それを信じていたからだ。どこからそんなことを聞いてきたのか分からないが、それが当時の通念だった。

 わたしもそう思っていた(実は間違った風評に過ぎなかったのだが)。しかし、それは洗礼に対するわたしの決意を覆すほど強いものではなかった。たとえ結婚が出来なくても、わたしは洗礼を受けたい、その望みが強かった。そうこうするうち母も考えを変えた。

 ある日わたしに言った。「わたしは洗礼が何かよくわからないけれど、あなたがそんなに望むなら、それを受ければよい。きっと良いことなのでしょう。あなたはキリスト教を学ぶようになってから変わった。いやなことがあっても嫌な顔もせず、文句も言わず、お母さんの手伝いもいつもよくしてくれるようになった。きっと洗礼もよいことに違いない」と。

 こうしてわたしの洗礼への準備は始まった。要理の勉強の他に、洗礼の時に頭に被るベールの刺繍があった。手先が不器用なわたしにとっては十字架だった。込み入った刺繍を選んでしまったので、洗礼式までに間に合うか心配だった。母も一緒に心配してくれるまでになった。

 洗礼式は夕方から。その日の午前3時過ぎ、わたしのベールの刺繍はでき上がった。洗礼式に頭に被ることができたのだった。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

 

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2018年10月29日