大阪、高松両教区の合併についてバチカンの8月15日付け公式発表から1カ月余りが過ぎた。両教区からは、ひたすら「合併ではなく、新教区の設立だ」という意味不明の言葉だけで、いまだに合併に至った経過や理由、そしてどのように合併が進められるかについて明確な説明もない。
9月17日発行の「カトリック高松教区報」は一面トップで、教区事務局長の小山助祭による「新大司教区設立―大阪大司教区・高松教区を核として—」という記事を載せている。それによると、冒頭で、教皇が新たに大阪高松大司教区の設立を発表されたが、中央協議会のホームページの記載とはニュアンスが異なると不安になる人もいるだろうが、「新教区設立」が正しい、とまず強調している。
8月15日付けのバチカンの公式発表文(公式英語訳)には、「The Holy Father has erected the new metropolitan archdiocese of Osaka-Takamatsu, Japan, by incorporating the archdiocese of Osaka and the diocese of Takamatsu」とされている。
そのまま訳せば、「教皇は、大阪大司教区と高松司教区の合併(統合にも訳すことができる)による新しい大阪・高松メトロポリタン大司教区を設立された」となる。
中央協議会もこれを受けた形でホームぺージに「教皇、大阪教区と高松教区の統合を発表」の見出しで、本文は「教皇フランシスコは8月15日、大阪教区と高松教区を統合し、新たに大阪・高松大司教区を設立・・・」と掲載している。
なぜ、中央協のHPの記載は「ニュアンスが異なり」、「新教区設立が正しい」と言い張るのか理解不能だ。
小山助祭は、その理由は、「駐日教皇庁大使が、初代教区長となる前田枢機卿に話されたもので、この決定については高松教区にも大阪大司教区にもまだ文章による通知がなく、大使からの口頭伝達が唯一の正式な両教区への通達だから」というが、まるっきり説明になっていない。
上記のように、バチカンの公式発表文も、それを翻訳した形の中央協議会(つまり日本の司教団)のHPも、「by incorporating…(合併・・統合とも訳される)によって」と明言されているのを、大使からの口頭伝達をもとに”訂正”しようとするのは、理由としてはあまりにも薄弱だ。それとも、バチカンのホームページをお読みになっていないのだろうか。
教区合併という関係教区の聖職者、信徒にとって重大な決定が、公式文書でなく、現地大使からの口頭伝達のままにしていること自体、不思議な話で、常識であれば、バチカンに公式文書の提示を求めるのが当然だろう。また、小山助祭の記事では、大使は枢機卿に、宣教地における「二つの教区を核にして新しく教区を設立するのは世界初」で、「成功したら、今後の教会刷新に向けた新たなモデルにすることが考えられるので、しっかりとした記録を残してほしい」と頼まれたそうだ、という。
だが、当の駐日バチカン大使、ボッカルディ大司教はこの直後、在任期間わずか2年半、外交官の役職定年75歳の繰り上げ特例を使って9月1日付けで退任してしまった。「新教区設立」が正しい、とする理由のもとになり、「新たなモデルに」と前田枢機卿に頼んだ本人が、「世界初の成功」を支援することなく、新教区の設立も、新大司教の任命も見届けずに、大使を辞めてしまい、後任も9月28日現在決まっていない、というのも、おかしな話ではあるが、それに疑問を持たないのもいかがなものか。
9月16日に、高松教区では拡大宣教司牧評議会なるものが開かれている。その資料では、バチカンの合併発表に至る経過について次のように書かれている。
「本年5月下旬に教皇大使から教区顧問会、 司祭評議会及び宣教司牧評議会の構成員全員に親展で『大阪大司教区と高松教区を統合するという提案についての意見』が求められてきました。その後、事態は急変し8月5日に教皇大使 から前田大阪大司教に『新たな大阪高松大司教区の設立が教皇さま から 8月15日に宣言される』旨伝えられ、大司教さまは大使からこの 知らせを伝達された後すぐに高松教区事務局に連絡下さり、 8月8日には大阪大司教区事務部門と高松教区 事務局とのオンラインによる会議が開かれ、 そこで教皇大使と大司教さまとの話し合いについて詳しく報告され ました。そして、聖母被昇天の祭日(大祝日) のローマ時間の正午(日本時間午後7時) に教皇さまから新大司教区としての大阪高松大司教区の設立と前田 万葉枢機卿の初代教区長としての任命が教令(decreto) として宣言されました」。
さらに、「大阪高松大司教区の意義」として、①新たな大司教区の創設であり、二つの教区の単なる合併でも、まして最少教区の吸収合併ではない。自立している二つの教区を基盤として大司教区の設立②宣教地の全教区を統括する福音宣教省(長官タグレ枢機卿)の管轄下で世界初例③神が、私たち教区民の祈りに応えて示された道であり、前田枢機卿によれば「今回のシノドス(ともに歩む教会のために-交わり、参加、そして宣教)に具体的に応えるために神が私たちに委ねられたチャンス」とできるし、せねばならない④危機にある世界の今、教会の新たな動き・取組に直接的に参加できる特別な機会(原文のまま)—と説明している。
この会合に出た人々からは、この資料を見て何の疑問も質問もなかったのだろうか。
「5月下旬に駐日教皇大使から提案が求められた」とあるが、私たち高松教区の信者全員に対する説明も、意見聴取もなかった。「シノドスうんぬん」という前田枢機卿の話を載せているが、すでにこの段階で”シノドスの道”を逸脱しているのではないか。この段階でどのような『提案』をまとめ、大使に意見を出したのだろうか。そして、なぜ『事態が急変』し、その後、大使と枢機卿の間でどのようなやり取りがあったのか、まったく私たちには説明がない。
「二つの教区の単なる合併でも、まして最小教区の吸収合併ではない。 自立している二つの教区を基盤とした大司教区の設立」としているが、何を持って「自立」しているというのだろうか。
高松教区は、2016年度から、信徒に対し、1人年間1万円の「教区献金」(2019年度からは「納付金」に名称変更)を通常の教会維持費などの負担と別に求められ、それだけでは足りず、大阪管区と大阪教区の女子修道会からの財政支援も受け続けて来た。信徒の異議には耳を貸さず、抜本的な財政再建策も講じないままだ。
バチカンの公式発表てデータでは、二つの教区の信者数は、大阪4万7170人に対し、高松4243人、教区数は77対28、教区司祭数は77人対28人、修道会司祭数は90人対16人。しかも多年にわたって、通常の献金だけでは司祭の給与も賄えず、特別献金を事実上強制し、さらに大阪教区や修道会からも財政支援を受け続けて来た。とても「自立」と言える状態ではない。このような場合、二つの組織の合併を、一般社会の常識では「救済合併」あるいは「吸収合併」と言う。いたずらに、「新教区設立」という言葉を中身も明確にしないまま、ひたすら名称にこだわり、”不都合”な現実を覆い隠すような言い様は、現実を正しく踏まえたうえでの合併統合を出発点からつまずかせるのが分からないのだろうか。
「新たな大司教区 」にこだわるのであれば、先ずは、きちんとした手続きを持って両 教区の司祭、信徒の総意をまとめ、理解の上で作り上げていく展望 が必要だ。その概要さえも、未だ明示されず、これも一般社会では常識になっている「説明責任」が全く果たされていない。そして、 新教区を作るためのルールや仕組み作りを、両教区が協力して進めていく場合、信徒の参加を公平に求めるとともに、「説明責任」に努め、これまでのような、つじつまの合わない言い繕い、 その場しのぎの言動で、まじめな信徒たちを操るべきではない。
教区への不信不満はまだまだあるが、今回は誰が考えても高松 教区の破綻であり、「 何も言えない、言わない信徒」に次々に一方的な文書が発せられ、形式だけの わかりにくい口頭での説明で事が進んでいるのが、実情だ。まともに物事を考える、教会の将来を真剣に思う信徒と司祭が、「これから、さらにどれほどの犠牲を引き続き払わねばならないの か」と強い懸念を抱くのは、至極当然のことだろう。
ついでに言えば、上記の高松教区の拡大宣教司牧評議会に出された資料には、「宣教地の全教区を統括する福音宣教省(長官タグレ枢機卿)」 とあるが、教皇は昨年6月発効の組織改革で、福音宣教省を教皇直轄とし、長官に教皇が就き、その下に世界宣教部門と初期宣教部門を置いて、タグレ枢機卿は後者の初期宣教部門担当の副長官とした。それから、すでに一年以上が経過している。バチカンの指揮系統についての正しい認識も持たず、今回の合併通告が、現地大使の口頭によるものでしかないなら、文書での通告をもらうように求めるべきだが、その相手先も分からない、というのであれば、もはや何をか言わんや、である。
また、今後については、高松教区事務局長名の「大阪高松大司教区設立式と大司教着座式むけバスの手配について」の文書が9月15付けで出ており、「大阪教区が四国の各県に対し バス1台(40名) を大阪教区の費用でチャーターして下さることになりました。 前田大司教さまの発案で、四国地区から大阪・ 玉造まで来て下さる皆さまに少しでも負担軽減できればということ で、御配慮下さったものです。 大阪教区がチャーターして下さったので無料で利用できますし、 このバスで来られる方については聖マリア大聖堂の中に席が用意さ れていると聞いています」とある。
さらに、「この式典には参加できない方々も多いので、11月11日に高松の桜町教会で、大阪高松大司教区の前田枢機卿様をお迎えして新教区設立並びに新大司教着座の感謝ミサを教区行事として行う予定です… こちらの感謝ミサへのご出席もよろしく…」としているが、合併に対する意見も聞かれず、いきなり知らされ、これからどうなるのか不安を抱えながら、誰に、何を感謝せよ、というのだろうか。「大阪までのチャーターバスの費用は、前田大司教様のご配慮で・・」とあるが、実質的な負担は大阪教区の人々がすることになるだろう。
9月26日付けの日本唯一の独立系カトリック・メディア「カトリック・あい」によると、教皇フランシスコが、カナダの二つの教区の合併を求める意見書に対して、直ちにこれを認めず、まず教区長を兼任させる形で準備態勢を作用人事を発令した、という。一方の教区の教区長が定年で空席になったことから、教区では、今後の教区の在り方について教区民が意見表明の機会が設けられ、様々な側面から検討の結果、「早期に合併するのが適当」との意見書を3月にバチカンに送っていたが、合併を急がず、両教区が協力して合併への道筋をつける必要がある、と判断した、とされている。大阪・高松とは色々な面で対照的。カナダの方が、明らかに賢明なように思われるが、ここから教訓を得て、”新大司教区”に生かすことは、もはやできないのだろうか。
(高松教区の在り方を真剣に考える信徒の会)
闇の中にいる人たちを、風に揺らぎながらも照らし続けようとする一本の蝋燭… 東京教区で大司教の白柳枢機卿を補佐し、退任後は信濃町の真生会館を拠点に日本中の司祭、修道者、信徒、カトリック教員などの指導を続けた森・名誉司教を例えさせていただければ、そのようになるかも知れない。
そして、「世界に窓を開き、喜びを持って共に歩もう」-第二バチカン公会議のメッセージを肌で感じ、受け止め、体現しようとする日本でただ一人残った高位聖職者として最後まで努力を続けた人。その得難い人材を、日本の教会は失ったのだ。
もっとも、長年、森司教と身近かに接してきた方々の中には、「後ろから肩を押し、人をやる気にさせるが、自分は前に出ず、後ろを向くと姿が見えず、不安にさせる、それでも、希望は失わせない…」—そうした複雑な思いを胸にしている人のおられるだろう。それでも、普通の人なら「つまらない」とも思うような悩み事を、静かに聴き、受け入れてくれるやさしさ、本当に困ったときに的確に対応してくれる頼りがいのある、日本の聖職者には"稀な”人柄に、イエスの姿を見た人も少なくないだろう。
*二度の福音宣教推進全国会議、そして東京教区生涯養成委員会の活動を主導
同じ小さな中学・高校の卒業生でありながら、年次が8年違うこともあり、私が森司教と初めて顔を合わせたのは、卒業から約20年後、ロンドンでの特派員勤務を終え、日本の住まいを埼玉から東京に移して間もなく、今から40年ほど前のことだった。当時、第二バチカン公会議で決定された「世界に開かれ、共に歩む教会」を目指す方針を受けて、日本でも、当時の東京大司教、白柳枢機卿と森補佐司教が事実上のリーダーとなって、二度にわたる福音宣教推進全国会議が開かれ、日本に合った改革を検討、その成果を東京教区でさらに進めるために一般信徒を中心とした「生涯養成委員会」が活動を始めており、そのメンバーになった。その委員会の担当が森司教で、月一回の全体会議で顔を合わせたのだった。
「小教区運営委員研修」「日帰り講演会」「一泊交流会」の三つのチームに分かれたメンバーは、40代を中心に20人近く、ほとんどが現役で多忙だったが、事務局責任者のSr.石野(女子パウロ会)とともに森司教が支えてくれ、自由闊達な楽しい雰囲気の中で、様々なアイデアを持ち寄り、プログラムを実行していった。また、1960年代に開かれた第二バチカン公会議の精神が年と共に風化していくことを目の当たりにして、1年間にわたる連続講演会「第二バチカン公会議を私たちの歩む道」を企画した際にも、準備を背後から支援してくださり、講演集としてサンパウロ社から出版した際には、前文を寄稿してくださった。
東京教区が「白柳・森」体制から「岡田・幸田」体制となり、それを機に、生涯養成員会が、一方的に、何の「総括」も、活動で育った数十人のメンバーに何の通知もなく、解散させられたことに対しては、”創業者”として色々なご苦労をされたと思われるが、結局、跡形もなく、消されてしまった。(現在の、東京教区のカテキスタ養成のための「生涯養成委員会」は、この委員会とは全く関係がない)
補佐司教を引退された後、森司教は信濃町の真生会館の理事長となり、真生会館での講演、研修など様々な事業を指導され、全国の修道会や学校関係者の霊的指導なども、精力的に続けられ、私自身も二度目の海外勤務を終えた2010年以降、「学び合いの会」に森司教の勧めで参加し、箱根や山中湖などでの合宿にご一緒させていただいた。それ以外にも、時々、昼食にお誘いして、いろいろとお話ししたことも続いた。
*危篤の後輩の洗礼、そして某大司教人事の相談に乗ってくれた
その十数年で、森司教に感謝していることが二つある。
一つは、私の大学のクラブの後輩が危篤になり、奥様から「主人が洗礼を受けたい、と言っています。どうしたらいいでしょう」と友人を介して相談を受けた時のことだ。すぐに大学時代からの友人の司祭に、事情を話し、「洗礼を授けてくれないか」と頼んだところ、「いやだね。教会にも行ったことがないんだろう。それに、お前でも洗礼は授けられるんだから、自分でやればいい」という拒否回答。いろいろと対応を考えた挙句に、森司教に電話で事情を話すと「分かりました。私は予定があって無理だが、教区の事務局長に誰か探してもらいましょう」とすぐに手配していただき、若い司祭が快く応じてくれ、入院先の病室で洗礼を授けてくださった。ベッドに横たわった彼は、すでに言葉もしゃべれず、目もほとんど見えなくなっていたが、意識はしっかりしており、涙がこぼれたのを覚えている。
もう一つは全く次元が違う話だ。某大司教区で、大司教が間もなく定年を迎えるという時、後継者として勝手に名乗りを上げている人物がいることを耳にした。その人物では、大司教区の「空白の・・年」を埋めるどころが、もっと後退しかねない。ある小司教区にまだ50代の適材がいる、と判断して、森司教に相談に行った。すると、「もしその気があるなら、(任命に大きな力がある)駐日バチカン大使に直接話しをするといい。急がないと『時間切れ』になってしまいますよ」と背中を押され、いささか出過ぎた振る舞い、とは思ったが、周到な準備をしたうえで、大使に会い、必死で説得した。それがどれほどの効果があったのかどうか、まさに神のみぞ知るだが、実現したのは確かだ…。
困った時に、いやな顔一つせず、どんなことでも相談に乗ってくれる、頼りがいのある方だった。
*「カトリック・あい」創刊のきっかけとなった”ひとこと”
また、森司教は、人の話を黙って聴いてくれるが、ご自分から「ああしたらどうですか」「こうしたらどうですか」と指示なさることはめったにない、自分たちの好きなようにやらせてくれる—というのが私だけでなく、少なくない方の印象だったように思う。だが一回だけ、そうでないことがあった。今から数年前のある日のことだ。二人で食事をしながら、カトリックの広報の問題などについて話をしていると、いきなり、「新聞やらない?」と言われたのだ。
しばらく考えて、「紙の新聞を出すとなると、記事を書く取材記者、校閲記者などが必要で人件費がかさむし、印刷、配送などにも費用がかかる。そのうえ、カトリック新聞のように小教区などに購読を”強制”できればともかく、自分で売ろうとすれば、そのための人員、ネットワークも必要。物理的に無理です」と答えたうえで、「インターネット・メディアなら、出来ないことはないかも知れません。ただ、その場合、読者を確保するために、司教にコラムを毎月書いていただきたい。それと、毎月の編集会議の部屋を、真生会館に確保していただきたい」と逆提案。ただし、”本社”を真生会館に置くかない、資金援助はしない(これは「中立性」を守るためでもあり、内容について真生会館が責任を負うことはしない、という意味でもあった)ということで、OKがでた。幸いにも、高校や大学の後輩から同好の士が名乗りを上げてくれ、皆で資金を出し合って、2016年秋にスタートしたのが、「カトリック・あい」である。
司教のコラムへの出稿は一年ほどで、「全国の女子修道会の指導を頼まれて忙しくなるから」ということで、中止となったが、スタート段階での”森コラムの人気”にも支えられて、購読者数は順調に増え、最新の8月一か月の閲覧件数も1万4000件を超えている。立派に独り立ちしたのだ。編集会議の部屋は今も、大木館長のご厚意で毎月貸していただいている。
*「『生きる』を見つめ、深める」の話を聴きたかった
理事長を退任された森司教は、私たちが月一回、会議に使わせていただいている部屋の隣に、執務室兼会議室を”引っ越し”て来られたが、編集会議の前後は外出されていることが多く、コロナ感染の再拡大を警戒して8月26日の編集会議の際も、ZOOMで行ったため、お会いする機会がなかった。秋口になったら、現在の内外の情勢、日本や世界の教会のことなど、徹底的に意見を交わす時間をいただきたかったのだが、かなわなかった。
それと、森司教は、9月、10月、11月と真生会館で三回連続の講座を予定されていた。タイトルは「私たちの『生きる』を見つめ、深める」。初回は亡くなる直前、9月9日の土曜日。久しぶりに”名調子”を聞きに出かけ、少々意地の悪い質問でもしてみようか、と考えていた矢先の訃報。「どうしたら、『生きる』を見つめ、深めることができるのか」、聞き損なった。
またお会いできる日に、何をお話しになろうとしていたのか、ぜひ聞いてみたい。それまで、主と共に、安らかにお過ごしになりますように。
(「カトリック・あい」南條俊二)
先月の 「聖母の被昇天」(8月15日) の祭日を祝うミサは、私にとって特に思い出深いものでした。この日は、常に私たちを主イエス・キリストへと導いてくださる聖母マリアとのつながりを、より大きく、より深く感じることができたからです。
祭日の前日、「マイクロキメリズム」という科学用語に出会いました。これは私個人にとって、物心が付いてから信じ続けてきた、聖母マリアの特別な地位に関するカトリック教会の教えに新たな光
を当て、マリアの独特の役割に対する私の信仰と理解をさらに深めてくれました。科学と信仰のこの魅力的で興味深い交わりについて、私の考えを分かち合いたいと思います。
*「マイクロキメリズム」とは
マイクロキメリズムとは、ある個体の少数の細胞が別の個体に存在する現象を指します。インターネットで検索や専門書籍を参考すれば、それに関する情報や詳細がたくさん見つかります。
この現象は母親と子供の間でよく起こると言われます。 胎児由来の細胞は母親の血流に入り、何年にもわたって、時には生涯にわたってそこに存在し続けることがあります。 同様に、母親由来の細胞も胎児に入ることもあります。 この生物学的なつながりは妊娠と出産の期間を超え、母親と子供の間に生涯にわたる細胞の絆を生み出すと言われます。
*神の母聖マリア
カトリック教会の教え、また神学において、マリアは「神を産んだ者」つまり「神の母」を意味するギリシア語の「テオトコス」として特別な地位を占められています。これは単なる称号だけではな
く、マリアと、完全に真の人間でありながら完全に真の神である主イエスとの間の独特の関係についての声明です。 西暦 431 年のエフェソ(現在のトルコ)公会議は、マリアを「テオトコス」として
正式に宣言し、主イエス・キリストの受肉における彼女の特異な役割を強調しました。
*偉大な神秘をほんの少し垣間見せてくれる科学
マイクロキメリズムについて知ったとき、私の心に電球が灯ったような気がしました。マリアと主イエスのことを考えずにはいられませんでした。もし子供の細胞が母親の体内に入り込んで生きるこ
とができるのなら、完全な神であり完全な人間である主イエスの細胞が、マリアの中にも宿られていたのではないか、と思いました。もしそうなら、神ご自身を宿した器であるテオトコスとしてのマリアのことを、これ以上の生物学的に肯定できるものがあるだろうか、と思いました。
この科学的理解は、私の信仰の奇跡的で神秘的な側面を減じるものではなく、むしろ畏敬と驚きの新たな層を加えています。それはまるで、私たちが信仰に基づいて受け入れている偉大な神秘を、科
学がほんの少し垣間見せてくれているようなものです。
*無原罪の聖マリア
「無原罪の御宿り」、神の母となる、おとめマリアだけが主イエスを身ごもる純粋な器として、その受胎のときから原罪の汚れを免れていた、というカトリック教会の教義です。聖母マリアは生涯清
らかであり続けました。
マイクロキメリズムについて考えると、細胞レベルでも、マリアと主イエスは密接に結びついていたことが分かります。この現象は、罪のない主イエスの細胞がマリアに宿られていたとしたら、マリア
の身体は、神を宿す神聖な空間であったのではないか、と考えさせられます。
「無原罪の御宿り」という概念は、この科学的現象に微妙な響きを見出すことができるのではないでしょうか。教義自体は信仰の問題でありますが、子供の細胞が生涯にわたって母親の中に宿ることができるという知識は、「無原罪の御宿り」に対する私の理解と認識にさらなる深みを与えてくれます。
*聖母の被昇天
「聖母の被昇天」は、無原罪の神の母、終生処女であるマリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂と共に天の栄光に上げられた、という教義です。それはマリアが主イエス・キリストの復活と栄光にあずかっていることを意味し、キリストによる救いにあずかる人たちの象徴として、信じるすべての人たちの救いへの希望を表現するものです。
マイクロキメリズムの視点から見ると、聖母の被昇天は私にとって、美しく新しい意味を持ちます。もし主イエスの細胞がマリアの身体に宿られていた可能性があることを受け入れるなら、彼女の天
国への被昇天はさらに畏敬の念を抱かせる出来事となると思います。神ご自身を宿した神聖な器である聖母マリアの身体は、当然のことながら、神との永遠の交わりの場へと定められているのでしょう
。聖母の被昇天は、母と子の間の生涯にわたる、細胞の絆が永遠にまで続くことを確認するようなものだ、と思います。
*科学と霊性の魅力的な深い交わり
マイクロキメリズムの概念は、カトリックの教義と並置されるとき、科学と信仰の間に魅力的な調和をもたらしてくれると思います。また、私自身の信仰と聖母マリアへの崇敬をさらに深めました。
「神の母(テオトコス)」「被昇天」「無原罪の御宿り」という核心的な信仰は、それ自体で成り立つ霊的真理ですが、科学のレンズを通して、それらに対する私の理解と認識が深まりました。遠い古
代より伝わってきた教えの知恵と現代科学の発見は、相容れないものではなく、深遠な方法で補完し合い、豊かにし合うことができる、ということを思い起こさせてくれると思います。
科学と霊性のこのような興味深い交わりは、啓発的であると同時に再認識させてくれるものだと思います。それらは、何世紀にもわたって大切にされてきた教義に幾層もの意味と共鳴
を加え、私たちの信仰の神秘が最も思いがけない場所で反響を見出すことができることを再認識させてくれるのです。
(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)
「大丈夫。—小児科医・細谷亮太のコトバ—」。今から10年ほど前に観た、ドキュメンタリー映画です。それに先立って制作された「風のかたち—小児がんと仲間たちの10年—」の続編にあたります。
細谷先生は、40年間小児科医として、とりわけ小児がんの子供たちを診てきました。今では約7~8割は治るそうですが、それでも先生は、現役で働かれていたとき、300人ほどの子供たちを見送ったといいます。「なぜ、この子がこの病気を背負って、自分ではないんだ…」と、いつも負い目のようなものを感じてきた、と言われます。映画の中では、そのような先生の気持ちが、ちりばめられるように、先生自身の俳句によって語られます。
**朝顔の花数死にし子らの数**
命に寄り添うとは
「大丈夫」—これは、(本人は気づいていなかったらしいのですが)先生の口癖らしく、診察する子供たち一人ひとりにかけられる言葉。先生の生き方を見ていると、「あぁ、命に寄り添うとは、こういうことなんだな」と思えてきます。同時にまた、その姿が、イエスの姿ともだぶってきます。イエスが、生前よく語っていた言葉—「心配しなくてもいい、恐れなくてもいい」。
命の輝きとはかなさ—それはいつも背中合わせかもしれません。とりわけ私たちは、そのことを病気のときに、また誰かの死に相対するときに体験します。いつこの世でこと切れてもおかしくないのに、それを認めたくない。これは極めて自然な人間の感情でしょう。
「人の日々は草のよう。/野の花のように咲くのみ。/風がそこを吹き抜ければ、消えうせ/生えていた場所も、もはやそれを知らない」(詩編103章15-16節)。
「人間はどうせ死んでしまうのに、なぜ生きているんですか」—これは、子供電話相談室での、一人の子の質問。いったいどれくらいの人が、この質問に答えることができるのでしょうか。
**死にし患児の髪洗ひをり冬銀河**
永遠の命を見つめるならば
私たちの命は、この世だけのもの。これは一つの考え方。そうではない。その先にこそ、本当の命――永遠の命――はある。これもまた、一つの考え方。どちらの立場を採るのも自由でしょう。しかし、どちらを採るかによって、その人の人生は、大きく変わってきます。
神は永遠の命。その命が、自分の内にも与えられている-そうイエスは理解していました。その意味で、彼は、自分を神と等しいものとしました。ですから、彼のことばを聞いて信じる者は、永遠の命に与ることができます(ヨハネによる福音書5章24節)。ユダヤ人にとって、しかし、これは許しがたいこと。なぜなら、彼らにとって、神は唯一なのですから。永遠とは、時間の枠には収まりきらない、ということ。つまり、初めもなく終わりもない、ということです。私たちの命は、この永遠の内に記憶され、忘れられることはありません(イザヤ書49章15節参照)。
父と自分は一つである(ヨハネによる福音書17章22節)—これはイエスの確信でした。なぜなら、彼は、父の思いと自分の思いの間には、何の乖離もないと信じていたからです。イエスの命の意義は、自分の意志を行うことではなく、自分を遣わされた父の御心を行うことにありました(同5章30節;6章38節参照)。それ以上でも、それ以下でもありません。
「大丈夫」—これは、命から私たちへの祈りの言葉。
**鯉のぼりしなのたかしの夢に泳げ**
(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)
朝8時の時報で、道行く人々がピタッと動きを止めました、パント マイムの一場面の如く。タイに来て初めて出会した時は何事が起こ ったのかと思いました。
タイ全土の街中にタイ王国の国歌が流れ、国民は起立不動の姿勢で 敬意を表するのです。朝8時と夕6時、毎日40秒のこの儀礼の瞬 間を国民が共有する、この国民を結ぶ習慣は、タイ国に長年住んで人 々と共に生きている私も、考えさせられています。この国が、どのような事態になっても、誇りと責任を持って守る… そんな覚悟を感じてなるほどと頷けるのです。
タイの現在のチャクリー(ラマ)王朝は1782年、ラマ1世により現在の首 都バンコクに遷都し建国されました。ラマ9世(プーミポン•アドンヤデート国王・在位70年)が崩御された後、 ワチラロンコン王子が跡を継ぎ、ラマ10世として今に至っています。
ラマ7世下で 、立憲革命により1932年絶対王政から立憲君主制に移行し、19 39年ラマ8世により、国名が「サヤーム(สยาม=Siam)」 から「タイ王国(The Kingdom of Thailand)」 に変えられ、それまで の国王を讃える「国王賛歌」に代わって、現在の「タイ国歌」が採 用され、朝夕、タイ全土に流されることになりました。今も、その時間になると、拡声器などで国歌が流され、国民は「気をつけ」 の姿勢で敬意を表します。国旗台がある所では、午前8時に国歌と共に 国旗が掲揚され、午後6時に国歌が流れる中で降ろされます。
厳かな国王讃歌は、国王に関わる行事、映画、演劇が始まる前にも、流され、観客は外国人も含めて一斉に起立します。私自身も起立し、口ずさむことがあります。自国と国民を思い 、平和を願い、勇気を持って毅然と生きる…国歌の文句を考え「 気をつけ」をしながら、私もタイの国王陛下と国民のために祈りを 捧げます。
祖国日本の為にも、普段の生活の場にこのような機会を作りたいな と思います。日本を偲んで祈り、合掌する手にグッと力が込もって しまうこの頃です。
愛読者の皆さん、残暑厳しき折、お身体を大事にお励みください。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
前回、「逆ピラミッドan inverted pyramidの教会」という言葉を紹介しました。これは2015年に教皇フランシスコが演説で用い、また国際神学委員会作成の『教会の生活と宣教におけるシノダリティ』(2018年)に出てくる言葉でした。「逆ピラミッド」が「シノダルな教会」のあり方なのです。
第2千年期の教会は「位階制中心の教会」でした。ピラミッド型の教会です。しかし、第3千年期の教会は再び第1千年期のように「シノダルな教会」になることが「神の意志である」と教皇フランシスコは明言されました。「シノダルな教会」は逆ピラミッドの教会―上に一般信徒がいて、教皇や司教といった聖職者は底辺に位置して、皆の奉仕者となる教会…。しかし、本当に逆ピラミッドの教会になるためには、教会法の改訂や種々の規定を設けて、奉仕のあり方や信徒の発言権などが具体的に明文化される必要があるでしょう。
教会とは「神の民」です。基本的には、洗礼によって誰もが聖霊を受けて平等なのです。多数を占める一般信徒がいて、その中から役務者としての司教司祭なども出てきた。第二バチカン公会議の『教
会憲章』30項に「神の民について言われたすべてのことは、信徒、修道者、聖職者に等しく向けられている」とある通りです。「神の民」全員のシノダリティ(共に歩む・協働性)があらゆる面に浸透していかねばなりません。
*かつては「位階制」が教会の「本質」であったが
今まで教会はピラミッド型の教会でした。権威と権力を持った上位者がいて、無力な下位の者がいる。「権威」は、容易に「権力」になります。上には教え命じる聖職者がいて、下には学び従う信徒がいた。信徒は受け身で従順であることが求められた。ヒエラルキアは「聖なる位階制」ですから教皇、司教、司祭、助祭、修道者など聖職者のみが本来的な教会です。その下に、「俗人」と呼ばれた一般信徒を置きました。「聖」と「俗」をきっちり分けていた。
ですから、聖堂は祭壇のある内陣と信徒席は柵で仕切られ、御聖体をいただくときは舌で受けていた。このような聖位階制の「制度としての教会」が教会の「本質」であると考えられてきました。
*「教会の神秘」「神の民」こそが教会の本質である
それに対して、第二バチカン公会議は『教会憲章』冒頭の第1章と第2章に「教会の神秘」「神の民」をもってきて、これこそが「教会の本質」であるとした。キリストの命に活かされる「神の民」です。そのあとで「教会の組織」または「教会の成員」として位階制度(特に司教職)をもってきた(岩島忠彦著『キリストの教会を問う』359ページ、増田祐志著『カトリック教会論への招き』184~186ページ)。
*今は「妥協の産物」から脱却すべき時
『教会憲章』『現代世界憲章』の示す教会は、キリストにおける新しい「神の民」を教会の本質とする進歩派と、制度的位階制を支持する保守派との「妥協の産物」であった、と岩島師は何度か述べています(前掲書358,364,367ページ)。そのため司教職や司祭職は奉仕にある、と書いてはありますが、現実にはそうはならなかった。1983年公布の新教会法典の聖職者中心の規定もあるため、位
階制的教会観を持ったままで働いている司教・司祭が少なくないのです。公会議後80年経ってもあやふやな状態が続いています。
*ピラミッド型から逆ピラミッド型の教会へ
このように「位階制」というものは、教会の制度または組織であって、教会の本質ではない。もし位階制・ヒエラルキーが、教会の本質で、変更できないものとしてあるのなら、位階制が神の意思として続いてきたのなら、それは人間の意思で勝手に変更できませんから、教皇フランシスコは「逆ピラミッド」という言葉を使わなかったはずです。10月に開かれる世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会に向けた”シノドスの道”の第一段階として、一般信徒の声を聴く必要もなかったでしょう。
位階制が教会の本質ではないからこそ、ピラミッド型から逆ピラミッド型に変えることも可能であり、変えねばならないのです。教会の存在理由はミッション(福音の宣教、皆が神の民になること)にあるのであって、制度が目的ではありません(増田祐志著『カトリック教会論への招き』64ページ)。
先述した教皇フランシスコの演説に「教会の構成的要素としてのシノダリティは、位階制の職務自体を理解するための最も適切な解釈の枠組みを私たちに与えてくれます」とあります。逆ピラミッド型の教会では、位階制の職務は奉仕にあります。聖職者は教え、命令する者ではなく、奉仕者、役務者として皆に仕える。
仕えることの基本は「聴く」ことにあります。人に聴き、神に聴く。信徒に「聴く」ことなしに逆ピラミッド型になることはあり得ません。神の民全員が「聴かれる」ことによって、シノダリティが位階制を規定していくのです。位階制がシノダリティという性質を教会に付与するのではありません。
*普遍(ローマ)と多様性(世界の地方教会)の不一致
前にご紹介したヘルダー社刊の特集号「動き出す普遍教会」は、フランク・ロンジの「多様性の道…グローバル教会は補完性を必要としている…」という論文で締めくくられています。このグローバルな世界でカトリック教会は、地方の多様性を認める必要がある。それには補完性の原理が求められる、と。
現代の民主主義を体験して、あるいは知識として知っているグローバルな世界では、ローマの示す普遍をそのまま各地方に持ち込むことは、もはや不可能です。日常生活と教えの不一致、性的虐待とその隠ぺい、司教らのリーダーシップの欠如など、信徒の間に不信と倦怠感、無気力が広がり、教会は下降スパイラルに入った、とロンジは言います。ドイツ、フランスだけでなく、カトリック国と言われたイタリア、スペイン、アイルランド、南米諸国などほぼすべての国で、カトリック信徒の数が激減していますし、とくに若者の教会離れは深刻です。
土地も気候も人種も歴史も文化も異なっている多様な世界で、神が望む普遍的な教会、皆が一致できる教会の教え、倫理、制度はどのようなものなのか、問われています。
*補完性の原理について
「補完性」とは何でしょうか。その原理は二つの面から成ります。すなわち、下位の単位(個人や団体)で出来ることに上位の単位は介入しない。しかし下位の単位ができないこと、力の及ばないこと
には、上位の単位が積極的に介入することが許される(あるいは、支援することが求められる)、というものです。
位階制は中央集権制の統治です。普遍を体現するローマから世界の各地方教会へ。そこに補完性の原理が加わることで地方教会は自由裁量の幅が広がります。地方でできることは地方で自主的に決めて行なう。現実に適応した政策が可能となる。
一例として、今、司教をどのようにして選んでいるのか、教区民にとって極めて不透明です。シノダルな教会には透明性が求められます。地方は自分たちで「神の意思は何か」を考えながら、活動・運営していく。従って、教皇・司教たちと信徒の関係は、これまでの上下関係から「水平」の関係、「対等・協力」の関係になっていくはずです。
*補完性の原理によって多様性を活かす
10月からローマで始まる2期にわたるシノドス総会の『討議要綱(作業文書)」のAにあるように、シノダルな教会の一つに、「画一化を求めず多様性を恐れず、多様性の中で一致を生きること」があります。
前回ご紹介したレオ・ボッカルディ駐日バチカン大使の講話の11番にも「意見の多様性を排除するのではなく、多様性の調和の中で一致して歩む」のがシノダルな教会であると述べておられました。補完性の原理によって多様性を可能にします。
「補完性 subsidiarity」という言葉は、『討議要綱』B2.2に出てきます。地方教会において、洗礼を受けた信徒は、司祭に従属的な形ではなく、もっと主体的な奉仕ができるように、補完性の種々の形を法制化することが考えられるのではないか。叙階された司祭などの奉仕者と並行して、あるいは彼らと相補的な関係を持ちながら、教会のあらゆる場面で、信徒が持つ賜物やカリスマに応じて、キリストの預言的、司祭的、王的な3つの働きに参加できるように、適切な形・やり方を法的にも規定していく… そのようなことが今回の”シノドスの道”の大陸レベルの多くの会合でも議論されました。すべての信者は洗礼によって共通祭司職をいただいているからです(『教会憲章』10,11項)。
*一致と多様性のバランス
フランク・ロンジによると「社会教説の中で、教会は補完性の原理を強く支持している… <一致及び必要な画一性>と<可能な多様性>の関係は、再定義されなければならない… より上位の者
は、多様性のため直接に支援して、個々の独立した規則をもって援助しなければならないのである。ローマのシノドス事務局が『自分たちは地方教会をシノダリティの創造で支援します』と言ったのは良いことである」。
地方教会は自治を基本とし、地方だけで出来ないことをローマが支援するという形で、各地方の多様性は生かしていく。一致・統一と多様性を神学的にも法制的にもどのように規定・調整できるか、問われています。
*画一化ではなく多様性を活かす方向… のはずだが
最後に、以前は、ミサの栄唱は司祭が「キリストによって、キリストと共に… 全能の神、父であるあなたに」、そして会衆が「すべての誉れと栄光は、世々に至るまで、アーメン」と唱えていました。土屋吉正師によると「会衆の参加を促すために、日本の典礼では歌う場合、<アーメン>だけではなく<すべての誉れと栄光は>から歌うことができるようになっています」(『ミサ』あかし書房)。
ところが、今回の改訂で規範版に従い、すべて司祭が唱えることになった。せっかく日本(地方)が勝ち取ったものを失い、会衆の参加部分が減ったことは残念でなりません。規範版(ローマ)に従うことはただの画一化であって、「多様性における一致」とはほど遠いものです。これは地方の活力を奪うものではないでしょうか。
(西方の一司祭)
時間―記憶―空間について、様々な哲学や文学を通したが、常に経験が先だった。先に訪れる字面は自分の感性の補助に過ぎない。子供の頃は神の存在を信じたり、忘れたりを繰り返しながらも、自分の内面世界に神秘を感じたことがある。
それは、いつだったか。音階や色彩感覚が何処から現れるのか、土地は学校の「校庭」のように平凡でも良かった。光と影があれば、それだけで良かった。自分を振り回すその「内奥」をいつしか信じてみたいと思った。例えば、それは神が与えてくれたものだと、いつかそう言える日まで人知れず隠していた。アウグスティヌスは、「告白」で既に記憶について、人間の内にある奥深い広大さに気付いていた。
その感覚は、知識を得る前に既にあった。それが西暦何年で何月何日の思惟なのかは分からない。無自覚で言葉になるかならないかの狭間で漂っていたように思う。青空に手を翳して、この瞬間を覚えていたいと思っているが、自分の手の大きさが成長していくことに気付かないように、私も色んなことを見落として、忘れているのだろう。忘却とはいつ確定するのか、それは分からない。今、想起出来ないものは全て忘却となるのかと問われれば、そうではない。
2021年、「Goldfinch」という映画を見た。それは単なる気になる俳優が出ていたという程度で選んだが、主人公である少年が美術館爆発事件に巻き込まれる際に盗み出したカレル・ファブリティウスの「ゴシキヒワ」(Goldfinch)の絵画について、私は既視感があった。
映画の前情報を全く知らなかったので、この絵画が映画だけの「小道具」だと思い込んでいたのだが、どうも違うのかもしれない、と思うようになった。オランダ絵画の解説もあり、その中に紛れ込んでいるこの小品について、そもそも実在しているのか、していないのか、分からないその絵画に私は見覚えがあったのだ。
絵画を描いていた時期もあった私にとって、勘ではあったが現代人の発想のようにも思えない色彩感覚、タッチで、古典的な一枚だった。近代か古典か見分けるのには判断材料の少ない一匹の「小鳥」の絵である。
私は当時、まだ療養期間で頭痛も毎日していた。文章も平素な文章なら書けるが、詩的表現や複雑なことを書こうとすると頭が捻じれるような思いをした。60平米の部屋には本が何冊あるのか分からない。千冊はあるのかもしれない。壁一面の本の中から、取り出すことも億劫だった。けれども、その日は、「ゴシキヒワ」を見たかもしれないと思い当たる図録を探した。それは2012年の「マウリッツ・ハイス美術展」で、そのページをめくっていくと、「ゴシキヒワ」があった。
私は、やはり2012年に見ていたのだ。
1654年10月12日に爆薬庫の爆発事故、それは多くの死者を出し、アトリエも巻き込まれ、多くのオランダ絵画が焼失した。その中の一人の、レンブラントの弟子のカレル・ファブリティウスも事故に巻き込まれて帰らぬ人となった。その中で生き残ったトロンプ・ルイユ(騙し絵)の一部、それが「ゴシキヒワ」である。私はこの一枚を見ていた。けれども、とっくに意識からは消えていた一枚だった。思いだせることは少なく、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の列に大勢が並んでいた。そこに入るのに嫌気がさしながら少し逃避気分で見ていた一枚だった。
一匹の鳥のみの絵画は地味でありがらも、反対に、質素なこの一枚は他と類を見ないので、目立つものがあった。家に飾れそうな手頃な大きさ、そして解説による「生命力の強さ」これを家に飾ったら、満たされるのではないのか、それらが手に入れたい、という欲求を掻き立てた。それは映画の主人公と似ていて、当時の自分にとっては、この偶然の生還に強い共感があった。だからこそ、この偶然の記憶の「想起」に感動した。
2012年、それは単なる平凡な美術鑑賞だった。2018年の自分自身の事故からの生還で、後にファブリティウスの絵画に共感することになるなんて、当時は知る由もなかった。
この映画を見るときも、動機について特別なことはなかった。もしも、あの日、「身体が重たい」「頭が痛い」という声に耳を傾けていて、眠ってしまっていたらこの感動は訪れていなかった。もしくは、「気のせいか」と流しているだけで終わっていたら、感動の機会を失っていた。あの日、立ち眩みがしながらでも、本棚を探したからこそ、自分の経験が無駄ではなかったと、心象がまた生かされたのだ。
宝物というものは、忘却の中に眠っていると未だに信じている。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば開か れる。 」(マタイ福音書7章7節)とあるが、何気なく覚えようともしなかった出来事の中に、平凡で人に話すほどでもない経験が、急に物語性を帯びて生まれ変わってくる。
「叩きなさい、そうすれば開かれる」というように、それは、日によって気づきが変わる聖書でもある。この発見で私も全て解決したわけではない。一回や二回の気づきで幸福になれなくても、何度も積み重ねていくことで、また新しい道が見つかる。これは誰にも自慢できる体験ではなかったのかもしれない、けれども自分にとって生きていくための十分な物語性はあった。記憶とは無機質な記録とはまた違う。忘れてしまったことでさえも、物語であり、自分の心を形成している。心象は神の気づきや内面で彩られ、そのように、誰にも自分だけの物語がある。
(Chrisu Kyogetu)
「出身校の影響ですか?」「いいえ、そうではないんです」
これは、私が入信したきっかけを聞かれた時に必ず出てくるやり取りです。10人が10人、同じやり取りをします。
ミッション系の高校へ入学した時、毎日が驚きの嵐のようでした。主の祈りの響きに驚き、聖書の分厚さにも驚き、校内にある聖母子像を見て驚き… 歴史や文学でしか知らなかった世界に迷い込んだ気分でした。それでも、在学時は、まだ私の心は大きく動きませんでした。
20歳でタイ北部の山岳地帯に住むカレン族の村へ行った時のことでした。村人たちは質素で貧しい暮らしをしていました。でも、彼らは精神的な豊かさにあふれていました。村人たちとともに暮らした10日間は、彼らの愛に丸ごと包まれた日々でした。
日本へ帰り、ふと「この人たちが信じるカトリックってどんな宗教なのだろう?」と考えました。私は今までよりも注意深く自分の周りの信徒たちを見るようになりました。その人たちの穏やかさや寛大さや愛情深さにはいつも感心していました。その視線の先を追うと、彼らがまっすぐと十字架上のイエスを見ているのが分かりました。生き方そのものに魅力を感じました。
もしこれが仏教やヒンズー教でも、私は同じ行動をとっていたでしょう。けれども、カトリックの信仰に導かれたことには、やはり意味があると感じます。
ところで、私は自分の信仰について聞かれるまで伝えません。なぜなら、信仰は最も高い自己開示の一つだからです。相手と知り合うプロセスでは、話す内容を選ぶ際に、①『低い自己開示(名前や趣味)』②『中程度の自己開示(過去の経験や価値観) ③『高い自己開示(自分の信念や重大な出来事)』、という順番を守ることがポイントです。これはお互いにとって大事なことだと思います。
「日本では、宗教に対するイメージが悪い」という話をよく聞きますが、信仰の話を早すぎる段階でしていないだろうか、と振り返ると、今後のコミュニケーションに役立ちます。イメージの問題を考えると同時に、自己開示のプロセスにおいて問題がなかったかを確かめるのが良い、と個人的には考えます。
どんな言葉で、どのタイミングで伝えるかの正解は一つではありません。でも、確かなのは、信者であれ未信者であれ、誰かとの出会いは「神さまからの贈り物」だということです。これからも、一つ一つの出会いをじっくり育てたいと思っています。
(カトリック東京教区信徒・三品麻衣)
マタイ福音書に登場する“異邦人” であるカナンの女性が強い信仰から執拗に自分の娘を癒してくれる ようにイエスに願う場面。イエスは「あなたの信仰は立派だ。 あなたの願い通りになるように」と言われ、娘の病は癒やされた。
教皇は「これが神という方のなさり方なのです。 神は愛なのです」とされ「、愛ある方は、ご自分の立場に固執せず、 心を動かされ、 もともとの計画を変える方法を知っておられるのです。 私たちキリスト教徒は、そのようなキリストに倣うべきです」 と説かれた=教皇フランシスコの年間第20主日の正午の祈り(「 カトリックあい」より)
高松教区と大阪大司教区の合併が中央協議会ホームページと各新聞 にも8月16日に掲載された。これは、日本の教会にとって、 大きな課題を与えられたと言えよう。しかし、 8月17日に中央協議会の文言が変わった。 高松教区と大阪大司教区の発表文書から「合併」から「統合」 に改めたとある。 どう考えても高松教区の現況から当然の成り行きであり、「 吸収合併」にほかならないだろうに、何故あえて「 吸収合併ではありません」と、強調するのか。
社会では、 たとえ合併であれ、統合であれ、先ずは組織幹部から、 ここに至るまでの経緯、そして今後の方針を丁寧に説明するのが事の 筋道ではないか。ここにそれはない。バチカンの発表から、 高松と大阪の教区トップ集団が今何を考え、 何に固執しているのか。信徒は、財政面でも教区を支えている。 それは当然の義務だからと、 信徒を蔑ろにした内容のない文書で発表したのか。 これがよくよく考えての文章ならば、もっと始末に負えない。
日本は近い将来このような教区の合併が起こり得る可能性は高い。 今回は、高松教区の司教は空位である。 退任司教が強い信仰の持ち主であれば、 人間としてどんな立場に置かれても正しい道を識別し、 現在生きている“社会”のルールに沿った行動を取るだろうに。 カトリック教会で子供達に紹介するコルベ神父は自分の置かれた状 況から何をなさったか。
また、今回の合併問題は数年前から検討されてきた、といわれている。だが、 高松教区の発表文書には「予想外の」とある。わからない。 小さな教区であろうがなかろうが、この場に及んで、一番守らねばなら ない教会の教えは、どこに行ったのか。
聖職者に従順な信徒方には新しい教区誕生への疑問も不安もないだ ろう。これは、聖職者にとっては好都合である。だが、 カトリック教会にある位階制度から有無を言わせぬ強引さ、「 シノドス的」 な教会の姿には程遠い信徒への塩対応ぶりを今回も思い知った信徒 も多く居ることを忘れないでほしい。
カトリック教会には守るべき大切な古い伝統があることは百も承知 であるが、反省も聞く耳も持たない名前だけが変わる「 新しい教区」のスタートでは、未来に希望はない。 信徒への愛が微塵も感じられないこの度の合併劇。 真の愛を知らない人からの愛は口先だけで語られ、 本人だけが酔いしれた今回のような発表文章となり、 未来を見据えた信徒には疑問と怒りしか残らない茶番である。
教会とは何なのか。聖職者とは何なのか。また、 振り出しに戻った私である。
イエスに「あなたの信仰は立派だ」 と言われるために自分はどう生きていかねばならないのか。 自分の立場に固執せず、聞く耳を持ち、正しい変化に身を任す。 イエスに倣うためには、人間としての真の愛を知らねば、 神からの愛にも気付かず、人への愛も偽善に終わるだろう。
新しい教区が、次世代に恥じぬ対応ができるようにと、 今後、責任者に就任される教会関係者に、切に願いたい私である。
(西の憂うるパヴァーヌ)
コロナ禍の行動制限のない夏を久しぶりに迎える。 私が住む地域も、毎週末あちこちで『祭り』が開催されている。 日本での祭りの本来の目的は「神様に感謝すること」―“祀る” が語源らしい。
先週末、駅前に大勢の中高生の姿があった。一瞬、「何事?」と、 カルチャーショックに陥った。
翌日、中学2年男子から、「新しい祭」 が近くの公園で開かれていた事を教えられた。今の世の中、 一人がインターネット上で得た情報を、 簡単に仲間に一斉配信できる。高校2年男子は「 そういう情報が流れてくるんです」という言い方をする。 この二人は、新しい祭に興味を持ち、 それぞれのグループで行動に移した。
高校男子に、祭りの目的を聞いてみた。「神様を… 米の収穫とか…」と全体的には、分かりにくい答えだったが、” 神様”と未信者の彼が言ったことで良し、とした。”神様” についての分かち合いは、後日のお楽しみ…。今回は、 興味のあることにしか反応しない中高生が街に溢れたイベントやネ ット環境の在り方について彼らから学びたかった私である。
カトリック教会も、いろいろな行事が再開されるだろうが、 一つひとつの問題が正しく解決されていない教会の現状を考慮した うえで企画、実施する必要があるのではなかろうか。特に「 青少年活動」に関しては、心していただきたい。
先日、宗教法人世界平和統一家庭連合(旧統一 教会)が東京・ 多摩市の国士舘大学多摩キャンパスに隣接する土地を購入したこと が明らかになったが、「 宗教法人法に基づく解散命令がなされないことが確定するまでの間 、既存建物の解体・改修、 新たな建物の建築など一切の行為を行わないように」 との多摩市当局の申し入れを無視する形で、 先月初めに既存建物の解体工事に着手したという。大学当局も、 質問に対する旧統一教会の回答を受けて、「 市民の不安解消に向けた努力や取組みの姿勢が一切窺えないことは 、誠に遺憾」であるとの見解を公表している。子供を持つ親なら、 問題のある宗教組織に子供を近寄らせたくないだろう。
ひるがえって、カトリック教会の”イベント” で問題が生じた場合、責任は誰が取るのか。(今、 教会が責任を取らない問題が山積している)。 教区や宣教会のイベントに参加して、 聖職者や修道者から受けた失言、暴言そしてハラスメントを、「 今だから告白」する青年男子の存在が身近にあることを、 私たちは知らねばならない( これは青年男子だけに限らない問題だが)。
コロナ禍が明らかにした活動の難しさと宗教組織に対する批判の中 で、何を教訓に活動する必要があるのか。 その場限りの集まりが楽しかったらそれで良し、とするのか。 先行きの見通しのきかない今を生きねばならない子供たちにとって 、教会はどのような場を提供し、誰がどのような指導をするのか、 そもそも人格、識見共に優れ、適切な”指導” ができる人物がいるのか、等々。
まずは、”自信満々な聖職者主導の教会”が、 宗教教育にも悪影響を及ぼしていることを、 謙虚さを持って認識することから、始めるべきだろう。 子供の教育は、学校の責任や親の責任が問われ続けているが、 教会は今、「責任問題」 について語る資格が十分にはない立場にあることを認め、 その上での青少年育成のための活動をどのように進めるのか、 慎重に慎重を重ねた姿勢で臨んでもらいたい、と思うのだが、 いかがだろうか。
…子供たちにとって、愛がいっぱいの、 思い出深い夏休みになりますように。
(西の憂うるパヴァーヌ)
「私はいつごろから、タイという国を明確に意識するようになったのだろう」と、ふと思い、来し方を振り返ってみました。
あれは、36年前、神戸聖パウロ書院に勤務していたころ、多くの人にアジアの近隣諸国の社会問題に 関心を持って欲しい思い、関係書籍を取り寄せ、書院の入り口にコーナーを 設けました。身近な周りのアジアの国々に渦巻いているさまざまな 問題があることを知って、心を痛めていたのです。
タイ国では当時、貧困、麻薬、人身売買、観光振興のあおりで住民たちの生活環境が悪化するなどの問題があり、関係の書籍が出版されていました。そうした書物を読み、現在起きている社会問題にとどまらず、アジア諸国の文化歴史言語の多様性や、命の脈打つ大地を感じ、発破をかけられた思いになりました。そして、漠然と意識していたアジア諸国の中でも、特にタイ国をはっきり と意識するようになったのです。
遠藤周作氏の『王国の道』を読み、アユタヤ王国を背景にペトロカ スイ岐部、山田長政、キリシタンのドラマが繰り広げられた日本と の関係も知り、タイ国に対する思いが深まってきたおり、私が所属する女子パウロ修道会が総会で、新たに派遣を求められている15の国で宣教活動を始めることが決定されたのです。これまで、会員数も限られ、現在の活動を維持するだけで精いっぱいと、海外からの新規派遣の要請を断り続けていた修道会の決断は、福音書にある、手持ちのお金をすべて献金する貧しい寡婦のようでした。
1994 年、タイ司教協議会の要請に応じ、3人の会員が派遣され、メデ ィアの分野での宣教奉仕が現地で始まりました。派遣に当たって、修道会の総長からの、タイ行きの打診の手紙を受け取った時の感動は忘れられません。
そして今も、安らかな、しかし燃える心をもって、アジア諸国での日本の教会の宿 題と役割を強く意識し続けながら、タイ国で宣教奉仕に励んでいます。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
果てしない情報の流れが絡み合う巨大なインターネットの迷宮には、私たちを知恵の隠された宝石へと導く「 serendipity(素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること)」 の瞬間があります。そんなインターネットでの情報探索をしていた時、心の奥底を揺さぶる心を打つ詩に出くわしました。
作者不詳のこの詩は魅惑的な魅力を放ち、私は詩が伝える深いメッセージに思いを巡らしました。(英語の原文はコラムの下段に)
私は力を求めたが、神は私を強くするために困難を与えてくださった。
私は知恵を求めたが、神は私に解決すべき問題を与えてくださった。
私は繁栄を求め、神は私に働くための腕力と頭脳を与えてくださった。
私は勇気を求め、神は私に乗り越えるべき危機を与えてくださった。
私は忍耐を求め、神は私を待たなければならない状況に置かれた。
私は愛を求め、神は私に助けを必要としている人々に会わせてくださった。
私は恩恵を求め、神は私に好機を与えてくださった。
欲しいものは何も受け取らなかったが、必要なものはすべて与えられた。
私の祈りは聞き入れられた」
(作者不詳、拙訳)
この詩を熟考しているうちに、それが与えてくれる深い知恵を掘り下げたい、と感じました。詩は、力、知恵、繁栄、勇気、忍耐、愛、そして恩恵を求める旅人の道を描かれているように見え、それは、
信仰や背景に関係なく、私たちの多くと共鳴する願望でしょう。私たちもまた、祈りや思索にふけり、神からの導きや支え、祝福を求めたことがあるのではないか、と思います。
詩の中に描かれている旅は、単なる抽象的な探求ではなく、人間としての体験や、私たちの願望と私たちの人生を形作る神の御心との間の、難解で深遠な交わりを映し出していると思います。この詩は、私たちの祈りが常に期待通りに答えられているわけではなく、むしろ私たちの成長と信仰を育むような形で答えられていることを微妙に思い出させてくれるでしょう。
この素晴らしい作品を反すうするうちに、感謝の気持ちと広い心をもって、人生の様々な課題を受け入れることを思うようになります。私たちは、物事がなぜ、そのように展開するのか常に理解しているわけではないかもしれませんが、神が、愛と、私たちの想像を超える御心をもって、私たちの旅を導いておられると信じることで、安らぎを見出すことができると思います。私たちが出会うあらゆる体験は、自分の成長と自己発見の機会なのではないでしょうか。
複雑なタペストリー(壁掛けなど室内装飾用の織物) のような人生の旅路を進みながら、この詩の知恵を思い出すことができたら、と思います。自分が求めているものでなく、真に必要な祝福、すなわち神の御心を受け入れる謙虚な姿勢を持つことがとても大事なことではないかと思います。最終的には、私たちの祈りが、私たちが想像していたよりも、はるかに深遠な形で応えれていることに気づくかもしれません。
この詩について思いを巡らすうちに、この美しい箴言の教えも思い出させられました。
「心を尽くして主に信頼し 自分の分別には頼るな。どのような道を歩むときにも主を知れ。主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」(3章5~6節)。
(冒頭の詩の原文)
I asked for strength, and God gave me difficulties to make me strong.
I asked for wisdom, and God gave me problems to solve.
I asked for prosperity, and God gave me brawn and brain to work.
I asked for courage, and God gave me dangers to overcome.
I asked for patience, God placed me in situations where I was forced to wait.
I asked for love, and God gave me troubled people to help.
I asked for favors and God gave me opportunities
I received nothing I wanted, I received everything I needed.
My Prayers Have Been Answered.
(Author Unknown)
「(からし種は)どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」(マタイ福音書13章32節)
その日の雨は、栗の花が項垂(うなだ)れていて、自然の中は歩くだけでも、生死が在りました。小さな虫が雨水で流されたか、と思えば、夏の花が育とうとする―それは6月、病院への近道なので、神社の境内を歩いていたのですが、一羽の烏が飛んで来て、灯籠の上に留まって、私に向かって鳴きました。
その時の私は呑気に「挨拶をしにでも来てくれたのかな」と思いました。その姿を可愛いとすら思って見ていたのかもしれません。すると、烏は私を遮ってまた別の灯籠に飛び移って鳴きました。私は何故かそれだけで心地よく、雨の香りと音に酔っていたのか、首を少し傾けて歩き続けました。そして、また烏は、私の視界を遮って、別の灯籠に飛び移りました。段々と羽音が俊敏になっていたので、私はこの時に初めて、威嚇されている、と気づきました。そしたら次に、何故、威嚇されているのだろう、と思いました。
神社の境内を出ると、烏は追いかけて来ませんでしたが、振り返ってみると、最後に留まっている灯籠の位置が印象に残りました。雨の中、凛々しくこちらを見つめている烏の姿で「あれは何かを守っているのだな、あぁ、巣があるんだな」と気づいたわけです。そして暫くは、あの辺を通るのをやめなければならないな、と思いました。
20日後ぐらいに、烏のことを思い出して、そろそろ巣立ったのかもしれないと、晴れている日に見に行きました。烏の姿は何処にもなく、私はあの雨の日に、烏がどのように灯籠を移動したのか、記憶を辿りました。その周辺の木を探せばあるはずだな、と思って、最初に威嚇された灯籠の近くの木には当然あるはずがありませんでした。
何処に巣があったのか、烏の鳴き声を思い出しながら、一番俊敏に動いて強く鳴いた最後の灯籠の位置へと向かって、その奥にある茂みに入りました。そこに立っている木は背が気が遠くなるほど高く、肉眼だと追いきれないほど枝葉が迷路のようで、烏の巣は確か枝に紛れているようなものだった、と探しました。見つからないかもしれないとも思いましたが、私はどうしても探してみたいと思いました。首がそろそろ疲れてきたな、という時に、複雑になっている木の枝の層の上に不自然な塊が見えました。巣立った巣が、そこにあったわけです。
私は哲学と宗教観の狭間に「鳥の巣」を詩学の一つとして置いています。ガストン・バシュラールが「現象学者なら、鳥の巣に反響しないでいられるだろうか」と言いましたが(空間と詩学)、私の哲学は「現象学」が専門ですが、当時知ったときには印象には残っていましたが、理解まではしていませんでした。洗礼を受けてから、執筆のために神父に取材を重ねている間に疲れが出て、ボンヤリしているときに「なんだか、自分は鳥みたいだな」と思いました。
誰からも気付かれず、木の枝から餌だけを取っている……しかも、全て無駄かもしれない。途中で餌を落とすかもしれないし、捕獲されたように、私は突然の事故で消えてしまうのかもしれない。けれども、帰えることができると信じて、インプットされた帰路を辿って家(巣)を形成する。
その時に恐らく、イメージが出来たのだと思います。(第二作のIconograph)それは理屈ではなく、言葉では説明できない集約でした。マタイ福音書の13章に目をつけたのもその時で、神の御言葉が育ったものを摘み取って、巣にしていくこと、これが私のテーマなのかもしれない、と思いました。鳥はとても現実的で、草や枝だけではなく、人間のゴミや日常からも巣のために摘み取っていきます。ですので、鳥の巣には、小さなビニールのゴミが一緒に巣が形成されているものがあります。
鳥の巣を作ろうとする本能と機能には、解明されていない狭間がありますが、「現象」Phänomenは、説明よりも前に存在しています。哲学的な「現象」と心的経験は切っても切り離せないでしょう。私の信仰心の他に、まだ知らない三位一体の愛の謎が深く在りますが、それを体験として「現象化」させるのは、己の心的感覚が頼りとなります。その時の視界は、特別で華やかなものではありませんでした。常に変わらない景色、変わらない日常でしたが、鳥の巣が詩学として形成される瞬間は平凡な景色が変わって見えるほどでした。
「耳のある者は聞きなさい」(マタイ福音書13章9節)のように、無音からも何かを感じ取ろうとすることは、御心を聞こうとすることと同じでしょう。
御心である種は成長し、鳥の巣を作るほど大きくなりますが、また鳥の巣も育った御心で作り上げられたものなのであって、鳥が日常を見逃さず巣にするように、何気ない日常に御心は存在します。だからこそ、あの日、私は「必ず見つけたい」と思いました。
(Chris Kyogetu)
駐日バチカン大使のレオ・ボッカルディ大司教が2023年2月13日に日本の司教総会の開会式でなさった講話「シノドスとシノダリティ」に戻りましょう。
前回のこのコラムで、ボッカルディ大司教の挨拶に触れましたが、それは日本のカトリック教会の取り組みが「シノダリティなしで」なされたのではないか、という点を指摘するだけで終わってしまったので、今回はその内容を紹介したいと思います。 それが、シノドスの原点に立ち返ることになる、と考えるからです。
*第3千年期が目指す教会は「シノダリティのある教会」
大使の講話に、2回同じ言葉が出てきます。それは「シノダリティは神が第3千年期の教会に期待する道(または旅)です」という言葉です。シノダリティ(共に歩むこと、共働性)という性格を持った教会になることが、神の御意志である、というのです。 シノダリティは「教会が日々歩むべき道であり、旅なのだ」―この言葉はすでに2015年10月17日「世界代表司教会議設立50周年記念式典での講話」で教皇フランシスコが使われており、国際神学委員会が作成した『教会の生活と宣教におけるシノダリティ』(2018年)で詳しく説明されています。
第1千年期はキリスト紀元後1000年間、第2千年期はその後の1000年間ですから、第3千年期とは、私たちが生きている現在、つまり2000年以降の時代です。それによると、第1千年期の教会においては「すべての人に関わることは、すべての人によって承認されなければならない」という原則をもとに教会は運営されていました。
しかし、第2千年期の教会、つまり中世以降の教会は、国家・社会と融合した位階制を中心とした教会となり、シノドス(教会会議)という形でシノダリティは存続したが、それに参加したのは聖職者であり、教皇・司教・神学者そして国家の権力者・権威者のみ。権威と権力が中心の「位階制」の教会でした。その限界、弊害を超えることを神は望んでいることは間違いありません。1962年から始まった第二バチカン公会議の果たした意味を活かしながら、第3千年期はシノダリティを取り戻していかねばなりません。
*シノダリティの特徴は「過程」だ
次に、シノドスには「始まりと終わりがある」が、シノダリティは「教会の生き方であり、かつ働き方である」という指摘です。シノドスは一回限りの会議や集会、要するに”イベント”なのです。それに対してシノダリティは「姿勢・あり方」「過程」―皆が共に対話し、共通の認識を持ち、識別をして、決定・行動していく。このような過程を日々、継続的に実践していくことです。このことは前回紹介したヘルダー社刊特集号の中でラファエル・ルチアニらが指摘していることでもあります。
*聖職者も一般信徒も共に「神の民」だ
そのように、聖職者だけでなく一般信徒も「共に」参加する教会、それがシノダリティのある教会です。ですからボッカルディ大使は「神の民である教会」「神の民」という言葉を何度も繰り返しています。「神の民」とは何でしょうか、誰のことでしょうか。第二バチカン公会議の「教会憲章」の第2章にその説明がありますが、ここで大切な点は「神の民」とは聖職者を除く一般信徒のことではないということです。教皇、司教も、司祭も、男女信徒も、等しく「神の民」の一員なのです。
ここで私が面白いと思ったのは、大使が現行のミサの第3奉献文を取り上げておられることです。そこでは「教皇、司教などの奉仕者」と「あなたの民となったすべての人」が<別個の現実 a separatereality>とされているが、これはおかしいのではないでしょうか、と司教さんたちに問うておられるのです。「私たち司教も『神の民』の一員ではないのですか」と。これは重要な指摘です。奉献文だけでなく、どう見ても今のミサは、司祭中心ではないでしょうか。
ついでに私見を述べると、パンと葡萄酒を備える祈りと奉納祈願の間で会衆は「神の栄光と賛美のため、また私たちと全教会のために、あなたの手を通してお捧げするいけにえを、神が受け入れてくださいますように」と祈ります。これでは、司祭が「祭司」、すなわち神と人の仲介者になっていることにならないでしょうか。これでは中世に逆戻りです。司祭も会衆も「神の前で平等」の立場で、共にキリストを迎えるミサにしないといけない、と私は思います。
*「信仰の感覚」は聖職者も一般信徒も共通
大使は「教会の生活と宣教におけるシノダリティ」をもとに、シノダリティを示す「教会の通常の生き方、働き方」を14点あげておられます。そのいくつか取り上げてみます。2点目に「司教も信者も含んだ神の民が、彼らのうちに住む<信仰の感覚>のおかげで、聖霊が教会に語ることを識別できるのです」とされました。
「信仰の感覚」は洗礼を受けた人なら司教だろうが一般信徒だろうが、神から共通に平等に与えられているのです。だから3点目にも「すべての洗礼を受けた人の尊厳と平等は本来的で基本的な事実である」ことを踏まえながら、役割や奉仕職における区別も実践すべきであると指摘されているのです。
さらに、第8点から第10点は繰り返し、いろんな場面で「聖職者中心主義的な行動」を無くしていくとき、シノダルな教会になる、と述べておられます。聖職者はいつもどんなことに関しても「主体」として振る舞い、信徒はそれを「受ける立場」に立たせられているのが現状であり、聖職者は「教える」立場で、信徒は「教えられる」立場であるのが現状でしょう。
しかし、シノダリティの過程において、すべての当事者は、まずもって教師ではなく「学ぶ人」なのです。信徒も「神の民」の一人として「信仰の感覚」を持っているのですから、教会のために新たな道を見分ける(識別する)能力も持っています。聖職者だけが教師ではないのです。
第10点、翻訳で「山小屋の持ち主」とありますが、要するに司祭はいつも「教会の主」になってしまう傾向にあるということでしょう。それではダメで、もっと司祭と信徒の対話と交流をした上で、進路を決めていくのがシノダリティのやり方です。
第12点、「すべての人に関係することは、すべての人によって扱われ(検討・審議され)、また承認されなければならない」という原則。先にも出てきましたが、極めて重要です。ヘルダー社刊特集号でも何度も出てきます。シノダリティとはすべての人が自分のこととして最初から最後まで関わっていくことです。一回限りの出来事eventではない。絶えず、いかなる場面でも皆が何らかの形で参加していく、そういう構造、組織に教会を変えていかねばならない。また法制上もそれを保障しなければならない、ということです。
*司祭も信徒も、腹蔵なく率直に対話できる場に
ところで、現実はどうでしょうか。関東のある女性から頂いたメールを、本人の許可を得て紹介しますと-「シノドスはまあ、上層部の人たちが議論していればそれで過ぎて行く、と思います。今までも日本の教会はこの世の価値観に従って物事を決めて来たのでしょうし、教会も一種の経営なので、経営者はそういう能力が必要… 信徒は日常生活で自立していて、教会のことも手伝ってくれて、社会的にも問題が無さそうな人が大半を占める方が良いのでしょうか?イエスさまのもとにすがった重荷を負う人苦しむ人も教会らしさのために助けられる範囲内でいて欲しい、と司祭は思っているのでは… 教会の物差しと世間の物差しがほとんど一緒なので、期待している人は少ないと思います」
とりあえず、このような発言のできる場を設けたらどうでしょう。『教会の生活と宣教におけるシノダリティ』(120、121)に「パレーシア」(ギリシャ語)という言葉が紹介されています。これは「腹蔵なく、大胆に、率直に」話すことを意味します。
*教会を”ピラミッド型”から”逆ピラミッド型”に変える
ボッカルディ大使の最後の「結論」は決定的です。私なりに要約すると、「司教である皆さん、神の民(その大多数は一般信徒!)をあなた方の土俵であるヒエラルキー(位階制)に組み込もうとせず、逆に、あなた方が神の民に組み込まれて生きてみたらいかがですか?」となります。
この結論は重要です。なぜなら、第3千年期の教会は、第2千年期のようなピラミッド型の教会ではなく、「逆ピラミッドAn inverted pyramid」になるべきだからです。これは、先述したフランシスコ教皇の演説や『教会の生活と宣教におけるシノダリティ』の中で出てくる言葉です。
この「逆ピラミッド」がシノダルな教会の形です。教皇や司教は底辺にくる。イエスの弟子たちにとって「唯一の権威は奉仕の権威であり、唯一の権力は十字架の権力」だからです。聖職者が奉仕に徹することができるかどうか、そのことを組織や構造としても形にすることができるかどうかが、問われています。
今回の日本における「シノダリティ無しの」”シノドスの道”の歩みは、ピラミッド型のままで行われたのではないでしょうか。ピラミッド型の権力を行使する教会は、もはや受け入れられない段階に来ていると思います
(西方の一司祭)
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*「カトリック・あい」より:::駐日大使の講話はすでに「シノドス」の項目に掲載していますが、念のために以下に再掲します。
司教総会開会式における教皇大使の挨拶「シノドスとシノダリティについて」 2023年2月13日
兄弟である司教の皆さま
皆さまとお目にかかり、皆さまの2023年通常総会の議案から示唆されたいくつかの考えを共有できることは、私にとって常に喜びです。ご紹介したい論考は「シノドスとシノダリティ」です。
おそらく皆さんは、「それが今回の総会の諸テーマとどう関係するのか」と尋ねられることでしょう。私の論考は、議案に書かれていることからではなく、むしろ議案に明示的に書かれていないことから生まれるものです。
この司教総会では、聖職者の生涯養成、司教協議会事務局の刷新、学校教育委員会、2022年度の決算、典礼の諸課題などが議論されると聞いています。
そこで、私は自問します。「今日、日本のキリスト者と教会の生活に影響を及ぼしている問題は、何だろうか」と。
このように問うことで、(日本の司教団や教会を)批判するつもりは毛頭ありません。ただ、第3千年期において神が教会にお望みになる道としての「シノダリティの道」を教えてくださっている教皇フランシスコの教導職を伝えたいのです。この道は、第二バチカン公会議が『教会憲章』の中で「神の民である教会」のモデルとカテゴリーにおいて示したように、教会のアイデンティティ、構造、使命の見直しを伴うものです。私の挨拶は”教会論の講義”ではなく、共通した考察をするための刺激に過ぎません。
最近、「シノドス(「カトリック・あい」注:大使が言われたいのは「代表司教会議」と思われる)」と「シノダリティ(同様に、「共働性」を念頭に置いていると思われる)」についてよく耳にするようになりましたが、この二つの言葉は何を意味しているでしょう。
一つ明らかなことがあります。「シノドス」と「シノダリティ」は同義ではありません。「シノドス」は具体的な出来事であり、「シノダリティ」は教会生活のいくつかの特性を示す概念です。「シノダリティ」とは、教会が生きて働く、いやむしろ、「教会が生きて働くべき、特定の形態」です。「シノドス」には始まりと終わりがあり、「シノダリティ」は今日の教会の宣教スタイルです。多くの「シノドス」は、おそらく「シノダリティ」なしで開催されました。
もし私たちが「シノダリティ」とはどういうことかをよく理解したければ、『教会憲章』第2章(神の民について)に戻り、司教、司祭、修道者、男女信徒を含む「神の民」というカテゴリーに立ち戻らねばなりません。教皇、司教、司祭、助祭、修道者について、たとえば「第3奉献文」にあるように、別個の現実として語ることは、依然として不適切であるように思われます。
「聖なる父よ… 私たちの罪の赦しとなるこのいけにえが、全世界に平和と救いのためになりますように。地上を旅するあなたの教会、教皇○○○○、わたしたちの司教○○○○、司教団とすべての奉仕者を導き、あなたの民となったすべての人の信仰と愛を強めてください」。しかし、あがなわれた人々の中には、教皇、司教、その他の人々も含まれているのではないでしょうか。聖アウグスティヌスが言ったように、私は、「個人として、あなたのための一人の司教であり、あなたと共にいる一人のキリスト者だ」と感じています。
*教会における通常の生き方、働き方としての「シノダリティ」
では、「シノダリティ」とは、何を意味するのでしょうか。国際神学委員会の文書「教会の生活と宣教におけるシノダリティ」(2018年) がそれをよく説明しています。「シノダリティ」は「教会論に関する論文の章、ましてや流行、スローガン、私たちの会議で使われたり開発されたりする新しい用語」などではなく、「教会の本性、形態、スタイル、使命」を表しています(30項)。教会の構造的側面」として、また「神が第3千年期の教会に期待する旅」(31項)として、すべての人は、それぞれが教会の中で担っている役割の中でそれを築く(32項)ように求められており、それは、「偶発的にではなく構造的」(33項)に、教会生活のあらゆるレベルでそれを促進すること(34項)によって実現されるものです。
教会の「シノダリティ(共働性)」を自らの教皇職の親石とした教皇フランシスコの教導職に照らして、「シノドス的教会」を特徴づけるものを当然、不完全な形ではありますが、総合的に概説することができるでしょう。
教会は次のような場合に、「シノダリティ」的と言えると思います。
1.個人として、また共同体として祈りながら生きる、神の言葉を読み、それを熱心に聴くことを、教会生活の中心、そしてあらゆる司牧活動の中心に置く限りにおいて、愛と信仰の証しのうちに成長(35項)する場合。
2.聖霊に注意深く耳を傾け、司教も信者も含んだ神の民が、彼らのうちに住む「信仰の感覚(sensus fidei)」のおかげ(36項)で、今日聖霊が「各教会に何を言っているか」を識別(37項)し、福音を告げ知らせる新たな方法、手段、言語を見出す(38項)ことができる場合。
3.役割や奉仕職におけるいかなる区別に関して、「すべての洗礼を受けた人の尊厳と平等は、本来的で基本的な事実だ」と考えることを、実践の中で示す(39項)場合。
4.心の耳をもち(40項)、現代の男女、とりわけキリストの肉である(42項)貧しい人々(41項)、そして苦しむすべての人々(43項)の喜びと希望、悲しみと苦悩に耳を傾け、彼らと分かち合う場合。
5.人間の痛み、喜び、希望をご自分のものとして感じ、人間を解放するために「降りて行く」(出エジプト記3章7−8節)神のように、識別し、しかし共感し、恐れず、偏見なく、勇気をもって、今日の世界を見つめる場合(44項)。
6.宣教者として出向いて行く姿勢をとり、香部屋に居残り、孤立して閉じこもるエリート主義のグループを形成することを好まず(45項)、教会のさまざまな構成部門の中で、兄弟的姉妹的な姿でともに歩み、将来世代のために、よりすばらしく、より人間らしい価値を生み出すよう貢献(46項)する場合。
7.譲歩としてではなく、権利として男女信徒の声に耳を傾け(47項)、共同体生活へ参加するために組織の成熟を刺激し促進(48項)する場合。
8.聖職者が常に唯一の「資格のある主体」であり、「残りの信者たち」が常に唯一の「その主体の行為を受け入れる立場にある」ような「福音化の図式」を不適切だ、と考える(49項)場合。
9.信仰において誤ることができない神の民は、主が教会のために開く新たな道を識別するための自分の「鼻」をもっているので、「教えの教会(ecclesia docens)」と「学びの教会(ecclesia discerns)」の区別をあまり厳格なものとしない(50項)場合。
10.司祭と信徒の間の対話と交流を促し、最終的に”山小屋の持ち主”が常に司祭となるリスクを回避する、トップダウンでも歪曲でもない、道具と構造を備える方法を知っている(51項)場合。
11.対話と識別によって、絶えず表現され調和に至るまで円滑にされるべき意見の多様性を排除するのではなく、誰もがかけがえのない貢献を与える多様性の調和の中で、一致して歩む(53項)場合。
12.中世の教会で使われ、使徒職の実践や聖伝と考えられていた、「すべての人に関係するものは、すべての人によって取り扱われ、承認されなければならない」という原則を、新たなやり方で再び採用し、教会生活の3分野(信仰、秘跡、統治)に適用する(54項)場合。
13.ある時は、先頭に立って道を示し、人々に希望を支え、また別の時には、ひたすら慈しみ深い親密さを示しながら皆の中に立ち、またある状況では、人々の後を歩き、取り残された人々を助ける、そのような司牧者が奉仕している(55項)場合。
14.それによって福音化の新しい段階が始まり、著しく変化した世界と文化に対して、もっと適した新たな形で福音を宣べ伝える責任を負った第二バチカン公会議を、完全に引き受ける(56項)ために、あらゆるレベルで活動する(57項)場合。
結論として、まず最初に来る「神の民」(全員)というカテゴリーの豊かさを、私たちは再発見しなければならない、と思います。次に司教たち(一部)が来て、最後にローマの司教(=教皇一人)が来るのです。これは、「三つの異なる別々の教会的主体がある」という現在の概念を超えるものです。
あらたな概念では、「『諸教会の教会』というモデルの中で、普遍性は実現される」という、「地方教会の教会論」の受容を真剣に理解することが重要です。つまり、世界のそれぞれの現地で活動する教会が、「独自の味わいと特徴」を持ったキリスト教生活のスタイルの中で、教会として存在し、行動する中で生み出すべき道を受容する、ということです。
共同責任として権限を執行するわけです。つまり、祈り、聞き、分析し、対話し、識別し、助言するという組織的な祈りとコミュニケーションのダイナミズムを通して、聞き、識別し、入念に検討し、決定する、という「合意の文化」をもつのです。”シノドスの道”の旅の目的は、単に「出会いを通して互いをよく知る」ことではなく、「司牧上の決定を下せるように、共に働く」ことです。
結論として、私は次のように言いたいと思います。「シノドス(この場合は、「世界代表司教会議」と思われる)や司教協議会といった司教たちの組織に参加することで、「神の民を教会位階の中に組み込む」のではない。教会位階こそが、「神の民の中に身を置き、すべての信者の声に耳を傾けながら、信者の一人として生きていく」ように、求められているのです。
教皇大使 レオ・ボッカルディ大司教
(「カトリック・あい」編集)
私は生まれた時から発達障害を持っています。それが分かったのは大人になってからでした。みんなが当たり前にできることができずに精神的に参ってしまい、二次障害も発症しました。でも今は、たくさんの人の手を借りながら、笑顔で生活しています。訪問看護師、保健師、精神保健福祉士、社会福祉士の方たち、そして仲間たちに支えられ、施設の中ではなく地域で暮らしています。
私は、7年程前に自立した生活を目指して上京しました。都内での生活を始めるにあたり「きっと人間関係は無機質だろう」と不安でした。しかし、そこには意外にも心の通う交流がありました。先月はアパートの大家さんの庭に咲くお花を両手いっぱいにいただき、思わず笑みがこぼれました。この都会のど真ん中で温もりのある関わりがあることが、うれしいしいです。このような人を周りに準備し、この街に導いてくださった主に感謝です。
障害の要因を考える時『医療モデル』と『環境モデル』というものがあります。医療モデルではその人の身体に原因があると考え、環境モデルでは環境によって障害が生まれると考えます。環境モデルを逆から言えば、環境を整えることでそれが障害ではなくなると言えるでしょう。たとえば、足の不自由な人が車椅子を使う、目の不自由な人がガイドヘルパーや盲導犬と歩く、耳の不自由な人とは手話で話す、などです。
環境の質は生活の質に大きな影響を与えます。では、発達障害において生活の質に関連する環境とは、どのようなものでしょうか。それは、自分の障害や特徴に理解のある人とのつながりがあるかどうか、だと思います。 こんな私でも、誰かが気にかけてくれている、誰かが自分を愛してくれる、ということが、私の生きづらさを和らげてくれました。ありのままの私を受け容れる周りの人たちは、私の障害を「個性」や「才能」と呼び、私自身も、そう思えるようになりました。
「私は私であっていい」―そう思えた時、苦しいことばかりだった発達障害が、本当は「神さまからの贈り物」だった、と気づきました 神さまのなさることは、本当に不思議で分からないことだらけですが、それでも「素晴らしい」ということは分かります。それさえ忘れなければ、何があっても安心してすべてを委ねて生きていける、と感じています
(カトリック東京教区信徒・三品麻衣)
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