菊地功・新潟司教の日記 ⑪シャボン玉を突き破って、一歩踏み出そう

(2017.4.19)復活祭の日曜日、新潟はやっと暖かい春の日となり、ちょうど桜も満開となりました。新潟教会の復活の主日ミサには多くの方が集まり、前晩に洗礼を受けた方々と喜びを共にしました。ミサ中にはこの日だけ来られる方も多いことから、もう一度洗礼の約束の更新を行いました。また閉祭前には復活の卵を祝別。ミサ後には、信徒会館ホールで祝賀会を行いました。以下復活の主日のミサ説教の原稿です。

近頃、たまたま土曜日に予定がないときには、午前中に再放送される「こんなところに日本人」というテレビ番組を見ることがあります。世界の様々な国で生活している日本人をタレントさんが訪ねていくという企画です。いかにもテレビ番組の企画でちょっと大げさなところも感じますが、しかし、わたしにとってはある意味、懐かしい、かつて生活したアフリカの情景がしばしば登場することから、興味を持って拝見させていただいております。

こういった海外で生きる日本人を紹介したりする番組はいくつかあるようですが、時に「だから日本人はすごい」などと、何か自画自賛の内容となってしまうこともあり、そんなときはちょっと内向きな印象を受けることもあります。しかし同時に、番組のホームページに「世界にはまだ、わたしたち日本人が知らないような、小さな町や村があり、日本で暮らしていては想像も出来ないような暮らしを送る日本人がいます」と記されているように、見知らぬ国や人々に興味を持つことはとても重要で、それこそ内向きな態度を打破し、わたしたちの意識を外へ向かわせるという意味で、重要なきっかけとなる番組でもあると思います。

わたしたちは、神のもとで同じいのちを生きる兄弟姉妹として、一つの共同体に生きているなどと申しますが、その兄弟姉妹の現実を知らなければ、「共に生きる」はかけ声倒れに終わることでしょう。その視点からは、こういった番組が様々な国の様々な人々の現実を伝えてくれることには意味があり、重要であると思います。

ただ、はたしてこういった番組が、本当に外へと足を踏み出し、未知なる人々と交わりを持とうとする原動力となっているのかどうかが気になります。たしかに実際に冒険をしてみようという人が、いないことはないのでしょうが、そういった実際に海外へ出かけるのかどうかということではなく、心持ちの問題として、内向きではなく、外へ向かって開かれた心を持つ人の増加に、果たしてうまくつながっているのだろうか、気になります。

教皇フランシスコが就任直後に訪れたランペドゥーザ島でのミサの説教でいわれた言葉を思い出します。「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった」。説教は、こう続きます。「これが私たちに、はかなく空しい夢を与え、そのため私たちは他者へ関心を抱かなくなった。まさしく、これが私たちを無関心のグローバル化へと導いている」

よく知っているようで、思いの外その知識は限定されている。関心を抱いているつもりで、その関心は、シャボン玉を突き破るだけの力はない。わたしたちには、シャボン玉を突き破り、外に向かって歩み出す姿勢が求められているのではないでしょうか。

本日の第一朗読で、復活の主にすでに出会ったペトロは、イエスが十字架につけられた日に恐れをなして隠れようとし、またイエスを三度知らないと裏切ってしまったあの夜の態度とは打って変わり、力強くイエスについて語っています。それは知識を教えているような姿ではなく、どうしても語らずにはいられないという姿です。すなわち、それほど多くの人に伝えたくて仕方がない話がある。自分には分かち合いたい宝のような話がある。そういうペトロの熱意が伝わってくるような姿です。

実際。わたしたちキリスト者には、伝えても伝えきれないほどの宝のような話が、たくさんあるのではないでしょうか。その宝を伝えたくて伝えたくて仕方がない思いに駆られて、多くの宣教者が歴史の中で迫害をもいとわず、苦難を乗り越えて、世界中へ出かけていきました。日本の教会は、そういった福音宣教者たちによって育てられてきました。いま現在でも、世界の至る所へ出かけていって、その宝物の話を分かち合おうとする人は多く存在し、日本の教会はそういった宣教者によって支えられています。

わたしたちはそういった福音宣教者の存在を、どのように見ているのでしょうか。あのテレビ番組を眺めているように、テレビの画面の向こうにいる、何か特別なストーリーを持った特別な存在であって、「すごい人もいるもんだなあ」などと傍観しているだけでしょうか。

あらためて言うまでもなく、わたしたち一人ひとりも、そういった福音宣教者になるようにと、召されているのです。司祭や修道者だけの話ではありません。それは、イエスをキリストと信じ、神の名において洗礼を受けたすべての人は、福音宣教者として召されています。
わたしたちには、語っても語り尽くせぬ宝のような話がたくさんあるはずです。わたしたちが語るようにと召されているのは、知識を教えることではありません。わたしたち一人ひとりが主との出会いの中で感じたことを、生きる中で分かち合っていくことです。

わたしたちの持っている宝とはどんなものでしょう。例えば、限りのない神のいつくしみと愛。徹底的に奉仕する心。他者を自分のように助けようとする心。支え合う存在としての人間の尊厳。ベネディクト16世の言葉を借りれば、「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと。」賜物であるいのちの尊厳。神の秩序の完全な回復。聖母が示す、神に対する徹底的な従順の生き方。聖人たちの模範。そして、放蕩息子を迎える父のように、わたしたちを包み込んでくださる、神の深いゆるし。挙げはじめたらきりがありません。わたしたちには、伝えていかなければならない宝が、本当にたくさんあります。

ただ考えなくてはならないのは、伝えるためには、まず知らなくてはならないことでしょう。まず教会共同体の中で、わたしたち自身がそれを学び体験しなくてはなりません。信仰は一人では深まりません。わたしたちの信仰は、人間関係の中で深められていきます。そのためにも何よりもまず、教会共同体こそが、こういった宝を実践する場でなくてはなりません。そこで学び、体験した宝を、わたしたちが大切にしている宝の話として、今度は教会共同体から外へと派遣されて、多くの人に伝えていくのです。

誰かすごい人がそうしてくれるのを傍観しているのではなく、わたしたち自身が、勇気を持って一歩踏み出し、主との出会いの宝の話を多くの人に分かち合っていきましょう。シャボン玉を突き破って、一歩踏み出しましょう。復活された主ご自身が、わたしたち一人ひとりといつも一緒にいてくださり、勇気を与えてくださいますように。

 (菊地功=きくち・いさお=新潟教区司教、カリタス・ジャパン責任者)

 菊地功・新潟司教の日記 ⑩秋田、バンコク、そして糸魚川へ

 2017年3月18日 (土) 雪の秋田から灼熱のバンコクへ

Akita1703    3月の卒業式シーズンの締めくくりは13日(月)の秋田聖霊女子短大の卒業式。聖霊の卒業式では、以前は音楽関係の学科があったこともあり、ステージ上の真ん中には立派なオルガンが置かれており、卒業生の入退場をはじめ歌の伴奏もこのオルガンの迫力ある演奏で行われます。わたしは来賓として、学長のシスターなどと一緒にステージ上におりますので、そのオルガンの迫力ある演奏を、耳だけではなくて体でも感じることが出来ます。卒業された皆さん、おめでとうございました。(写真はまだ雪の残る聖体奉仕会の聖堂前)

 卒業式後には、午後3時から聖体奉仕会でミサ。聖体奉仕会の周囲は、まだまだ雪が大量に残り、冬です。そのままいつものように4時半頃の特急いなほに乗って、一路新潟へ。3時間半の旅路。

 翌日午後には今度は成田へ移動。午後5時半前の全日空便で、バンコクへ移動。バンコク到着は現地時間夜の11時(日本の深夜1時)。バンコクへ出かけたのは、カリタスアジアの理事会である地域委員会のためです。まだまだ冬の日本から到着したバンコクは、昼間は30度を超える暑さ。この温度差は、さすがに体に堪えます。そしてこの時期の移動は、何が大変といって服装。冬の日本と常夏のタイで着るものがまったく異なるので、なるべく薄めのコートやセーターを用意してありますが、それは成田で飛行機に乗る前にすべてカバンの中に詰め込む。それではバンコクではジャケット類なしの半袖かというとそうでもなく、会議場やホテルは冷房がことのほか強いので長袖やジャケットは必需品です。半袖のシャツは、食事などで外へ出る時のみ。

Bkk170303      今回のカリタスアジアの会議の一番の目的は、この時期定例の議題で会計士による監査の報告を受けることもありますが、今回はもう一つ別な議題がありました。それが職員雇用のための面接。
カリタスアジアでは、カリタスジャパンを初めとしたアジアの23のカリタスを対象として、様々なプログラムを実施しています。それは広報だったり政策提言だったり組織育成だったり。そのようなテーマで定期的にワークショップを開催するとともに、さらにはいくつかのテーマに基づいたプログラムを実施しています。

 テーマは、例えば気候変動に対応した持続可能な農業技術の普及だったり、人身売買への対応だったりします。とはいえカリタスアジア自体には4名の事務局員以外には働き手がいないので、実際のプログラム実施にはいくつかのカリタスが合同で取り組むことになり、カリタスアジアはその調整にあたります。そういったプログラム調整を、現在は地域コーディネーター(いわゆる事務局長で専属職員)のエリアザル・ゴメス氏がすべて担当していますが、だんだん複雑化してきて一人では手に負えなくなってきました。そこで今回、そういったプログラムを担当する職員(プログラム・オフィサー)を雇用することにしたのです。

 半年ほど前に、アジアのカリタスメンバーを通じて募集をかけ、応募してきた方々の中から書類選考で4名に絞り、今回の面接となりました。インドネシアから二人、モンゴルとインドから一人ずつ。男性と女性が二人ずつ。条件は英語で仕事が出来ることと、カリタスでの経験があること、そしてもちろんプログラム調整の経験があること。4名とも素晴らしい人物で難しい選考でしたが、最終的にお一人を選ぶことが出来ました。詳細は後日、カリタスアジア事務局から発表されます。

2017年3月19日 (日) 糸魚川教会へ

      四旬節第三主日の今日、新潟教区の一番南の端に位置する糸魚川教会を司牧訪問し、ミサを捧げてきました。訪問には岡神学生も同行し、信徒の方々に、日頃の召命のためのお祈りに感謝し、さらなるお祈りをお願いしてきました。

    糸魚川は昨年のクリスマス直前、12月22日に大火が発生し、北陸新幹線の糸魚川駅から海岸よりの一帯を消失しました。教区内をはじめ全国からも教区には義援金が寄せられ、糸魚川教会を通じて糸魚川市に提供されています。(詳しくは後日、糸魚川教会から報告が公開されます)

今日のミサにItoigawa1707は信徒の方々30名ほどが参加し、現在は協力司祭で、復活祭後には主任司祭となるフランシスコ会の伊能神父さんが共同司式。信徒の中には、この地域で生活するフィリピン出身の方々も数名おられました。

ミサ後には、時間をいただき、教皇様の回勅「ラウダート・シ」について、一時間ほどお話をさせていただきました。昨年、新潟地区で信仰養成講座として話した内容と同じですが、なにぶん二回に分けて3時間近く話した内容を一時間で話すのですから、かなり簡略化しました。それでもちょっと早口で盛りだくさんで、申し訳なかったと思います。「ラウダート・シ」は単なる環境回勅ではなく、キリスト者としてどう生きるのかという課題に指針を示す書です。是非一度、目を通されることを進めます。

帰り際に、教会から出てすぐ裏手にある新幹線の高架下の在来線踏切を超えて、大火の現場を訪れました。踏切を越えるとすぐに焼け落ちた町になります。瓦礫は撤去されていましたが、再建はまだです。糸魚川市でも再建計画を定めているところで、今後どういう町作りがなされていくのか、注目していたいと思います。(写真は加賀の井酒造のあったところ。向こうの海側に、奇跡的に焼け残った家が、修復中)

(菊地功=きくち・いさお=新潟教区司教、カリタス・ジャパン責任者)

菊地功・新潟司教の日記 ⑨東日本大震災復興支援の会議@仙台教区本部

2017年2月17日 (金) 菊地功

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 今日は一日、仙台のカテドラルである元寺小路教会で、東日本大震災の復興支援に関わる二つの会議です。午前中には、仙台教区内各地に開設されているベース関係者の会議。

 宮古、大槌、釜石、大船渡、米川、石巻、南相馬、もみの木(いわき)にボランティアベースが開設されており、その代表が情報交換のために定期的に開いている会議です。今日は13名の方が参加。それに加えて、全国からの支援に関わっている関係者として、長崎、大阪、東京の教会管区から関係者。もちろん仙台教区のサポートセンターやカリタスジャパンからも関係者が参加しています。

 私はカリタスジャパンの責任者としてではなく、司教団の東日本大震災復興支援活動(いわゆるオールジャパン体制)の責任者として参加していますが、それ以外にも、仙台の平賀司教、高松の諏訪司教、東京の幸田司教の4司教も参加しています。

20170217_0924282 日本のカトリック司教団は、先の司教総会で、現在のような全国の教会からの復興支援活動を、2021年の3月まで継続することを決めていますが、各地のベースでは、それぞれの地域の事情などに応じて、今後、その活動内容が変化してくることが避けられないと思います。NPO法人として活動を拡大するところもあれば、縮小していくところもあるでしょう。

 拡大するにしろ縮小するにしろ、それぞれは地元の方々との関わりの中で、たとえば地元の方に引き継いでいったり、地元の方の協力を得ながら拡大していくなど、地元に根ざした地域との関わりを深めた活動に変化していかなくてはなりません。その中で、教会との関わりをどうしていくのかも、考慮するべき課題かと思います。なんといってもカリタスの活動は、教会の愛の奉仕として、教会の重要な本質的要素の一つであることを忘れるわけにはいきませんから。

(菊地功=きくち・いさお=新潟教区司教、カリタス・ジャパン責任者)

 菊地功・新潟司教の日記 ⑧ギャラガー・バチカン外務局長とミサ@初台&神学院

 バチカン国務省次官で外務局長であるポール・ギャラガー大司教が、1月28日から2月3日まで日本を訪問されました。ギャラガー大司教は聖座(いわゆる法王庁)の外務大臣と認識されており、前任者のマンベルティ枢機卿もそうでしたが、日本政府の招きでの来日です。大司教には日本政府の註バチカン大使である中村芳夫氏も同行。なお中村大使は信徒の方です。安倍首相や岸田外務大臣との会談など、公務の予定も目白押しでしたが、同時に日本の教会との交流も重要視されました。この部分は教皇大使が各地に手配をして、日本の教会の素顔を少しは知っていただけたのではないかと思います。

 日本の司教団も手分けをして、可能な限り各地でのギャラガー大司教の行事にご一緒させていただきましたが、わたしは二日間、大司教の予定におつきあいさせていただきました。初台教会と神学院で、ミサを一緒にさせていただきました。Hatsudai1701
まずは2月1日の午前中。ギャラガー大司教から、カリタスジャパンをはじめ愛の奉仕のわざに関わっている方々の話を聞きたいというリクエストがあり、そのための集まりをカリタスジャパンが中心となって催しました。カリタスジャパンの秘書である瀬戸神父がレデンプトール会であることから、初台教会でミサ。平日の午前中でしたが、多くの方がミサに参加してくださいました。その後1時間半ほどの時間をいただいて、様々な活動の紹介をさせていただきました。

 カリタスジャパンの紹介から始まり、福島で活動を続けるカトリック東京ボランティアセンターや、滞日外国人の支援を行うカトリック東京国際センター、山谷で支援活動を長年にわたって続けてきた山友会、マザーテレサの修道会など、限られた時間での準備でしたので、すべてを網羅することは不可能ですが、少なくとも様々な方々が非常に広い範囲で行っている教会の愛の奉仕の活動の一部を、紹介することが出来たかと思います。

 このような集まりをギャラガー大司教がリクエストされたのは、教皇フランシスコの福音を伝える姿勢の中心に愛の奉仕があるからに他なりません。すでにベネディクト16世は回勅『神は愛』において、教会の本質的要素は三つの務めであるとして、こう指摘されました。「教会の本質はその三つの務めによって現されます。すなわち、神の言葉を告げしらせること(宣教・ケーリュグマ)とあかし(マルテュリア)、秘跡を祝うこと(典礼・レィトゥールギア)、そして愛の奉仕を行うこと(奉仕・ディアコニア)です。これらの三つの務めは、それぞれが互いの前提となり、また互いに切り離すことができないものです」(25)

 したがって、愛の奉仕のわざは、教会の活動のおまけや添え物ではなく、また誰かがすれば良いことでもなく、同時に単なる人道主義に基づくNGO活動でもない。教会のすべての人が責任を持つ、欠くべからざる本質的要素なのだ、というベネディクト16世のこの指摘は、この数年の教会における共通認識です。

 教皇フランシスコは、国際カリタスのメンバーに、しばしばこのことを強調してこられました。その意味で、今回、ギャラガー大司教に日本の教会のPp2015nov1愛の奉仕の活動を少しなりとも説明できたことは、大きな意味があったと思います。大司教からは、日本にもそのような社会の課題が山積していることを知り驚いたことと、またさらに活動を深めるようにとの励ましの言葉をいただきました。(写真は昨年11月の教皇謁見)

 

 そして2月2日は、午後3時半から上石神井の日本カトリック神学院東京キャンパスに、福岡の神学生も含め、神学生と養成者が集まり、ギャラガー大司教司式でミサが捧げられました。このミサには高見大司教、梅村司教、浜口司教、そしてわたしが参加。神学院で講師を務める方々からも、何名かが参加してくださいました。ミサ後には食堂で皆が集まり、お茶をいただきながら、神学生の自己紹介。神学生たちからは、大司教に逆に様々な質問が出され、短い時間ながら、日本で学ぶ普遍教会の神学生たちの素顔を知っていただく機会になったかと思います。

 

 菊地功・新潟司教の日記 ⑦カリタスアジア中期計画発表@バンコク

(2017.1.21 菊地功)

  この数日、大雪になって寒さの厳しい新潟から、日中は気温が30度を超えるタイのバンコクへ、カリタスアジアの会議のために4日ほど出かけてきました。この季節の日本から熱帯地域への移動は、着るものをどうするかも含めて、荷造りが結構面倒です。

 私が現在2期目の責任者を務めているカリタスアジアでは、昨年6月の地域総会で決議して以来、中期計画(戦略計画=Strategic Plan)の策定に取り組んできました。カリタスアジアではこれまでにも同様の計画を策定してきましたが、その作業は一部の人だけが参加する委員会などで行われてきたため、メンバー全員が自分自身の計画だという意識を持つことが出来ていませんでした。(いわゆる計画のOwnership=当事者意識を持つことです)

 そこで今回はなるべくカリタスアジアの多くの人が参加して策定できるようにと、アジアの四つの地域別の研修会を開催するなどして、できる限り広く意見を吸い上げて策定にあたりました。私も昨年は、そのうちの二つ、中央アジア地域の研修でキルギスに、また南アジアの研修でネパールに出かけ、研修会に参加して、様々な意見に接することが出来ました。また各地域社会におけるカリタスにとっての様々な課題も目の当たりにすることが出来ました。

Stpl1601Stpl1603_2 2017年から2020年までのカリタスアジアの中期計画は、1月19日にバンコクで開催された地域委員会(理事会)で承認され、そのお披露目が、1月20日にバンコクのホテルで行われました。

 お披露目と言うよりも、なるべく多くの関係者に集まってもらって、策定されたばかりの中期計画について意見やアイディアをいただき、それに基づいて今度は3月の地域委員会までに活動計画を策定し、この中期計画と活動計画を6月に開催される地域総会に提出するというタイムスケジュールです。

 20日の集まりには、アジアの24のカリタスメンバーのうち13のカリタスから代表が参加し、それに国際カリタスの事務局や欧米のパートナーとなるカリタスの代表など、全部で33名が参加し、小グループでの話し合いを含めて丸一日かけての意見交換を行いました。(参加したのは、バングラデシュ、シンガポール、インド、インドネシア、ネパール、マカオ、ミャンマー、パキスタン、スリランカ、キルギス、タジキスタン、台湾、ベトナム。アジア以外では、国際カリタス、ベルギー、ドイツ、スペイン、米国)

 カリタスアジアという存在は、アジアの各国にあるメンバーカリタスの活動を調整したり、協力関係構築に取り組んだり、全体のために研修を行ったり、複数国で取り組むプログラムのための資金調達をしたりすることであり、カリタスアジア自体が活動団体として何かのプログラムを直接行うわけではありません。

 今回の計画策定で、特にこれからの4年間、緊急災害への取り組みや備えを重点的に強化し、また、貧しい人を優先し、排除することなく包括的でありながら、文化の多様性と人間の尊厳、そして総合的人間開発の視点を尊重しながら、メンバーのネットワーク強化を率先し、また積極的に政策提言を行っていくことを中期的な目標として掲げました。

目標達成のために優先項目として次の6項目を掲げています。

  • 1:緊急災害への対応と災害リスク軽減(DRR)、

  • 2:安全な人の移動(移住移民)と反人身売買、

  • 3:環境正義と気候変動への対応、

  • 4:組織の強化と育成、

  • 5:霊的養成と宗教間対話、

  • 6:政策提言と広報。

 中期計画(戦略計画)策定のために多大な時間を割いてくださった、バングラデシュのドクター・アロ・デロザリオ氏はじめ10名の方々、その中でも特に、各地での研修会を指導して下り、計画策定に深く関わったコンサルタントのフランク・デ・カイレス氏に感謝します。

 菊地・新潟司教の日記⑥ 教皇の示す「時は空間に勝る」を心に留めて生きよう

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みなさま、新年あけましておめでとうございます。

2017年がみなさまにとって素晴らしい平和な年となりますように、お祈りいたします。新しい年にあっても、昨年同様、みなさまのお祈りをお願い申し上げます。

さて年が明ける深夜零時、新潟教会では一年の一番最初のミサが捧げられました。毎年わたしが司式しています。毎年ある程度の方々が参加してくださっていますが、今年は小雨の降る中、40名を超える方がミサに参加し、2017年の上に神様の祝福と護りがあるように祈りを共にしました。(なお、上の写真は、新潟教会のある少年が描いてくれた、私の絵を転用しました)

以下、新年最初のミサの説教の原稿を掲載します。

新年明けましておめでとうございます。

 「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」
主イエスの降誕を祝う教会は、その出来事から一週間目にあたる今日を、神の母聖マリアの祝日と定めています。

 天使ガブリエルによるお告げの出来事に始まって、ベトレヘムへの旅路、そして宿すら見つからない中での出産。天使たちがほめたたえる中で、新しい生命の誕生を祝うために真っ先に駆けつけた貧しい羊飼いたち。聖書の記述は、さらりとしたものですが、実際にはどんな風であったのか、想像するまでもなく、マリアにとっては大きな混乱の極みであったことでしょう。

 人類の救い主の母となることを告げられたそのときから、また神の御言葉を胎内に宿したそのときから、さらに神のひとり子の母となったそのときから、マリアの心は様々に乱れ悩んだことだと思います。しかしルカ福音は、マリアがその出来事に踊らされ悩み、恐れることはなく、すべてを心に納めて、その出来事によって神が望まれることは何なのかを思い巡らし続けていたと伝えます。

 教皇フランシスコは使徒的勧告「福音の喜び」において、教会の社会に関する教えに基づいて正義と平和を構築するにあたっての四つの原理を提示されています。
一つ目は「時は空間に勝る」、二つ目が「一致は対立に勝る」、三つ目が「現実は理念に勝る」、そして四つ目が「全体は部分に勝る」。そういう四つの原理です。
聖母マリアが神のひとり子の誕生という一連の出来事に遭遇したときにとった態度は、まさしく「時は空間に勝る」という原則にしたがったものであったと私は思います。

 わたしたちが生きている空間は、いまの一瞬によって成り立っており、その積み重ねが時の流れとなります。多くの場合、わたしたちは時の流れを見通すことが出来ないために、いまの一瞬の出来事に捕らわれて、興奮し、踊らされ、判断を急ぎ、行動しようとします。特にその瞬間に起こっている出来事が非日常的であればあるほど興奮は高まり、より早く結論を導き出そうと急ぐのです。そうした場合、時間が経過して落ち着いてから振り返って見ると、なぜそのような性急な判断をくだしてしまったのかと反省することもしばしばあり得ます。

 そういった人間の性急さを求める心に対して、教皇は「時」を重視するように諭します。「時」は、時間の流れの積み重ねとしての時、つまりゆっくりと時間をかけて吟味することでもあり、同時に聖書が語る「時」の意味、すなわち神が望まれる秩序に応じて何かが成し遂げられるその時も意味しています。

 聖母マリアが、人類にとってまさしく最高のサプライズである救い主の母となるという出来事に遭遇したときに選択した道は、困惑と恐れの中で取り乱すことではなく、まさしく「時は空間に勝る」という原理に基づく生き方、すなわち時間をかけて神の「時」を待ち続ける姿勢でした。

 聖母マリアはその意味で、わたしたちへの生き方の模範であり、同時に正義と平和を構築する原理の一つにしたがっているのですから、神の望まれる平和を実現される生き方の模範でもあります。

 教会は、新年の第一日目を、世界平和の日とも定めています。2017年1月1日の世界平和の日にあたって、教皇フランシスコはメッセージを発表されています。このメッセージは教皇パウロ6世が出された最初のメッセージから数えて50回目となる記念すべきメッセージです。

 教皇フランシスコはこの記念すべき50回目の平和メッセージのテーマに、「非暴力、平和を実現するための政治体制」を選ばれました。
これまでも歴史の中で宗教者から何度も繰り返されてきた「非暴力」への呼びかけは、現実主義者たちの前には夢物語にしか感じられないのかもしれません。徹底的な非暴力では、ただ自分たちが敗れ去るばかりで何も変える力はないというのが、現実主義者の声なのかもしれません。

 しかしそういった批判をすべて踏まえた上で教皇フランシスコは、あえて「非暴力」の重要性を問いかけています。それはまさしく、即座の解決や起こっている出来事への対応に右往左往して性急な判断を繰り返す世界に対して、「時は空間に勝る」ことを、あらためて強調するために他なりません。

 教皇は、「人と人とのかかわり、社会における関係、さらには国際的な関係において、愛と非暴力に基づく交わりが行われますように。暴力の犠牲者が報復という誘惑に耐えるとき、その人は非暴力に基づく平和構築のもっとも確かな担い手になります」と呼びかけます。
その上で、「今、イエスの真の弟子であることは、非暴力というイエスの提案を受け入れることでもあります」と述べられます。それどころか、教皇ベネディクト16世の言葉を引用しながら、こう主張されています。「キリスト信者にとって非暴力は単なる戦術的な行動ではなく、人格のあり方だということが分かります。それは神の愛とその力を確信する人の態度です」

 キリスト者は、何かを勝ち得るために非暴力という戦術をとるのではなく、キリスト者として生きる限り当然の生きる姿勢として、非暴力に生きなければならない。その意味で、積極的な非暴力は、キリスト者の生き方そのものであると、教皇は指摘されています。

 さて、非暴力を主張するとき、わたしたちは社会の中に吹き荒れる暴力の嵐に敏感にならざるを得ません。わたしたち一人ひとりに神から与えられた賜物である「いのち」の尊厳を考えるとき、わたしたちはその尊厳を打ち砕こうとする吹き荒れる暴力の嵐を、世界の至る所で目の当たりにしています。人間の仕業である戦争や、さまざまな武力紛争、頻発するテロ事件、社会における暴力行為、弱い立場の人への迫害、家庭内における暴力、生命の価値の軽視、理由のない生命への攻撃。あまりにも多くの暴力的行為が、この世界を支配しています。

 こういった生命への攻撃に対してわたしたちは、それは神の望みに反しているのだ、と毅然と告げなければなりません。暴力はこの世界に起こる様々な問題への解決策ではないことを、毅然として告げなくてはなりません。

 今わたしたちは、例えばテロの脅威にさらされて、いつ何時どこで何が起こるのかわからないという不安に包まれた社会で生きているのかもしれません。または、少子高齢化の激しく進む中で、困難な未来が待ち受けているのではないだろうかという、将来に対する見通しがつかない漠然とした不安の中で生きているのかもしれません。誰かがそこからか襲ってくるという、根拠の希薄な不安の中で生きているのかもしれません。

 不安に包み込まれると私たちは、当然のように安心を求めようとします。しかし、どうあがいても明るい希望を見いだすことが出来ない現実の中で、どうやって安心を得るのか。一番簡単な方法は、遠く先まで見通すことをあきらめて、見える世界を狭めて、自分の周りしか見ないことかもしれません。自分の周りの小さな範囲のことであれば、何とか見通しがつき、安心することが出来る。だから、不安に包まれるほどに人は、自分の身を守ろうとするがあまり、利己的な生き方を選択してしまうのではないでしょうか。
あらためて教皇フランシスコの示す「時は空間に勝る」という原則を、心に留めて、新しい年を生きていきたいと思います。

菊地・新潟司教の日記④ローマ・教皇謁見・神学院祭・聖地巡礼

 聖地巡礼から帰国しました 2016.12.6

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先週末の土曜日夜、成田空港に夜8時頃に到着したターキッシュ航空便で、聖地巡礼から帰国しました。(写真上:ペトロの首位権教会でミサを司式する平賀司教)私と平賀司教を含め15名にパラダイス社の村上氏を含めた16名は、皆無事に帰国。巡礼は最終の二日間、エルサレム近郊で雨と風の寒い天気の中を歩いて回ったため、風邪を引かれた方も少なからずおられましたが、基本的には皆さんお元気です。感謝。前回の同じ時期は、地域の安全などへの不安もあったのか、聖地はどこに行ってもガラガラでした。ところが今回は巡礼者も観光客も戻っており、どこに行っても長蛇の列でした。それでも、毎日のミサを始め、祈る時間をしっかりととることもできました。

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巡礼はガリラヤから始まって湖畔のティベリアに3泊して、イエスの足跡をたどり、その後は死海に向かって一泊、さらにベトレヘムに二泊してエルサレムを中心に歩きました。前半は温暖な晴れの日でした。(写真上:ガリラヤ湖畔の山上の垂訓の教会)

それでも最終日の出発前の最後のミサは、金曜日の夕刻にエンカレムのご訪問教会で、巡礼を振り返りながら落ち着いて捧げることができました。というのも木曜と金曜の雨と風で、巡礼者の足が鈍り、前半と比べると訪問者も少なかったためです。(写真上:エルサレム旧市街神殿の丘)

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  日本カトリック神学院ザビエル祭@東京キャンパス 11月23日

  とても冷え込んだ勤労感謝の日の今日、日本カトリック神学院東京キャンパスで、恒例のザビエル祭が開催され、近隣にとどまらず遠方からも多くの方々が参加されました。

 今年のテーマは「来なさい。そうすれば分かる」とされており、東京キャンパスの神学生(哲学1年と2年、そして助祭団)に加えて福岡キャンパスの神学生(神学1年、2年、3年)が加わり、神学生全員で実行されました。

 わたしは実行委員会に依頼され、本日10時の開会ミサと、昼過ぎからの講演を担当させていただきました。今朝9時過ぎに武蔵関の駅から神学院へ歩いていると、前にも後ろにも、ザビエル祭に向かうとおぼしきたくさんの人影が。神学院の門前には、観光バスまでいるではありませんか。毎年のように、多くの方がこうやってザビエル祭に来られ、そして神学生のために、また召命のためにお祈りくださっています。

 ミサは、合併前の東京の神学院を卒業した多くの司祭たちをはじめたくさんの教区司祭が駆けつけ、近隣の修道会司祭と神学院で養成にあたる司祭たちも全員そろい、若い司祭も大先輩の司祭も含めた、大司祭団の共同司式となりました。聖堂のあちらこちらには、黒のスータンに身を固めた神学生の姿が。あまりに多くの人が集まっているのと、背後に大司祭団が控えているので、説教は非常に緊張いたしました。

 12時半からは、聖堂に集まった多くの方々を前に、講演をさせていただきました。テーマは、神学院祭のテーマである「来なさい。そうすれば分かる」とさせていただきましたが、内容は貧困とそれにいかに立ち向かうのか、というお話。テーマとの関連は、自分の殻に閉じこもっていては、福音の種をまくべき現実が見えてこないのだから、「来て、みなさい」です。自分の世界から足を踏み出すことによって、分かることがあります。そんな思いで、カリタスジャパンの活動で訪問した国や、ガーナでの宣教での体験をお話しし、貧困と格差の現実、そして貧困撲滅を目指し、神の望まれる世界を実現しようとすることは平和のための働きであることをお話しいたしました。
 教皇フランシスコの、ランペドゥーザ島での司牧訪問の際の説教の言葉が、わたしたちに自分の世界から抜け出して、世界に広く関心を向けるように呼びかけています。無関心のグローバル化から抜け出すように呼びかけています。

「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった。これが私たちに、はかなく空しい夢を与え、そのため私たちは他者へ関心を抱かなくなった。まさしく、これが私たちを無関心のグローバル化へと導いている。このグローバル化した世界で、私たちは無関心のグローバル化に落ち込んでしまった」

  主日のあいだにローマで会議 11月14日から19日

 地域代表委員会(RepCo)は年に二回、5月と11月に開催され、国際カリタスの七つの地域からその責任者と代表が参加します。アジアからは責任者のわたしとパキスタンとミャンマーの3名が代表。それにオブザーバーとして地域コーディネーターが加わります。

 会議は火曜日の昼食から。午前中にジェズ教会に安置されている聖フランシスコ・ザビエルの右腕の前でしばしお祈りを。時間が許す限り、ローマに来たときにはここを訪れて日本の宣教のために祈ることにしています。
 前回5月にルルドで行われた地域代表委員会には、国際カリタス総裁のタグレ枢機卿(マニラ大司教)が体調不良で欠席されましたが、今回は元気に議長を務められました。すでに前週にはローマに入り、イタリア中部の地震被災地も訪ねられた由。会議後は新枢機卿親任の枢機卿会と特別聖年閉幕ミサに参加、そしてさらにもう一つの会議と、当分ローマから離れられないとか。

 会議の主な論点は2017年の予算や四年間の戦略的枠組みに基づく2017年の活動計画の承認。そして新しく取り組もうとしている難民や移民をテーマにした世界的キャンペーンについてなどでしたが、一番時間を費やしたのは、『シリアに平和は可能だ』と題して現在展開中の平和構築キャンペーンに関連した意見交換でした。これは特に教皇フランシスコから国際カリタスに託された使命の一つで、地域代表委員会のメンバーには中東と北アフリカ地域の責任者としてシリアのアレッポ(カルデア典礼)のアントニ・アウド司教がおられることもあり、重要な課題となっています。今回は現地の状況と宗教的課題に詳しい専門家を招いて話をうかがい、その後にいろいろな意見の交換がなされました。
 なお国際カリタスの会議では、公用語である英語・フランス語・スペイン語のどれでも使うことが出来、専門の同時通訳がつきます。ちなみに国際カリタスの総裁になるためには、少なくともこの三つの内の二つは自由に話せて、残りの一つはある程度理解することが資格要件として求められるので、タグレ枢機卿はこの三つに通じている(さらにイタリア語も堪能です)才能の持ち主ですが、逆にわたしが立候補する可能性はありません。

Romeci1606木曜日には会議参加者全員で聖年の扉まで巡礼し、聖ペトロ大聖堂内の小聖堂でミサを捧げ、その後午前11時から教皇様にお会いする機会を与えられました。
 その日の午後、今度は正義と平和評議会議長のタクソン枢機卿に来ていただき、2017年1月1日からタクソン枢機卿を長官として成立する新しい役所、「総合的人間開発促進」について、意見交換を行いました。というのも、現在の制度では、教皇庁の開発援助促進評議会が国際カリタスの担当となっているのですが、その評議会がこのたびは新しい役所に統合となることから、1月以降はタクソン枢機卿が教皇庁側の窓口となるからです。現在活動中のいくつかの評議会を合併するので、事務所の場所の選択から職務内容まで、ゼロから調整しなければならず、本格的始動は来年の復活祭以降になるとのことでした。

 金曜Romeci1607日は、日本政府からバチカンに派遣されている中村大使に会っていただき、その後、夜の7時にローマを出るターキッシュ航空で再びイスタンブール経由で成田へ。成田に着いたのは土曜日の午後7時半過ぎでした。そのまま上野まで出て、最終の上越新幹線で新潟へ。(写真下:タグレ枢機卿と一緒に)

菊地新潟司教の日記から③キルギスへ新潟へ

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2016年10月29日 (土)

  この数年、この時期になると、新潟地区の信徒の方々を主な対象に、連続でお話をさせていただいています。新潟地区の主催行事として、「新潟地区信仰養成講座」(参考リンク先:新潟地区信仰養成講座)というタイトルで、連続講座を開いています。スケジュールの都合で、毎年二回のみですが、市内の信徒の方々に、多数参加いただいています。

  もちろん二回程度のお話で、しかも一度が一時間強ですから、その程度で信仰が養成できるなどと甘いことを考えているわけではありませんが、普段、それぞれの小教区で行われている様々な講座を補完する意味で、一年に二回くらいは、司教がお話をする機会を持つこと自体には意味があろうと、信じています。

  今年のテーマは、もちろん先日日本語訳が出版されたばかりの「ラウダート・シ」について。ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、「『ラウダート・シ』に学ぶキリスト者の生きる道」と題して、今日の土曜日と、来週の土曜日(11月5日)に、午後1時半から3時までの予定で、新潟教会のセンター二階を会場に、お話をいたします。来週も、もう一度ありますから、どうぞご参加ください。
  今回のお話の肝は、「ラウダート・シ」は単に環境問題について警告を発している文書なのではなく、キリスト者が、ひいては人間が、どのように生きるのがふさわしいのかを説いている文書である、という点です。確かに環境問題の様々な課題を教皇様は取り上げていますが、同時にどういった課題を、技術で解決するのでは足りないとも言います。

 冒頭部分にこう記されています。

「罪によって傷ついたわたしたちの心に潜む暴力は、土壌や水や大気、そしてあらゆる種類の生き物に見て取れる病的徴候にも映し出されています。(2)」

  つまり環境の破壊は、わたしたち人類がしばしば神を裏切り続けてきたことによって心に蓄積し続ける暴力が、そのまま反映している現実であると指摘するのです。従って、小手先のテクノロジーに頼って解決を図っても、本当の解決は得られない。環境問題は、究極的には、人類の回心なしには成し遂げられないのです。

 加えて、環境問題は、結局は平和問題でもあると指摘します。すなわち、わたしたちが考える平和は、例えば聖ヨハネ23世教皇の、『地上の平和』の冒頭にこう記されています。

「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」(「ヨハネ23世地上の平和

  神は無秩序にこの世界を創造されたのではなく、ご自身のよしとされる秩序に基づいて、その秩序を持って世界を創造されています。その秩序が保たれている状態が平和です。戦争や殺人や対立など生命の尊重をないがしろにする行動は、当然この神の秩序を乱しているので、平和を乱しているのです。同じように、被造物を混乱に陥れる環境の乱れも、同じように平和を乱しているのです。それぞれの人ができる限りで、個々の課題に取り組むことは大切ですが、同時に教会共同体は、世界の平和を乱している、つまり神の秩序への挑戦である様々な課題に広く取り組まなくてはならない。教会がシングルイシューにのみ固執することは出来ない。だから環境問題にも取り組むのだと指摘されています。 

2016年10月27日 (木)キルギスの首都ビシュケクへ

 先週の金曜日から日曜の朝にかけて、中央アジアのキルギス共和国(キルギスタン)の首都ビシュケクを訪問する機会に恵まれました。旧ソ連の一部であったキルギスは、周囲をカザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、中国に囲まれている内陸国です。日本からは、モスクワで乗り換えたり、中国国内を乗り継いだりして行くことができますが、今回はターキッシュ航空でイスタンブール経由。日本からイスタンブールまで11時間。そしてイスタンブールからビシュケクまで4時間強。さらに今回は前後の予定に合わせるため、早朝に羽田を発ってソウルに行き、ソウルからターキッシュの昼便でイスタンブールへ飛びましたが、行きも帰りも二日がかかりました。
 目的は、私が責任者を務めるカリタスアジアの主催する、中央アジア地域のカリタスのワークショップに出席するためです。カリタスアジアの中央アジア地域には、モンゴル、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンにカリタス組織が存在しています。その多くがまだできたばかりで、正式な国際カリタスのメンバーにはなっていませんが、これからが期待される組織ばかりです。今回はビザの関係でモンゴルの代表が参加できませんでした。ちなみに日本のパスポートはビザなしで入国することができました。
 キルギスの首都ビシュケクは周囲を高い山に囲まれた平野にあり、現地で働く司祭によればトレッキングなどで訪れる観光客が多いとのこと。550万人ほどの全人口の中でカトリック信者は500人ほどと統計にあります。小教区は3カ所。そして国全体の宣教はイエズス会に任されていて、全国に司祭は5人。そのうちのひとり、ヤネス・ミハエリチック神父が使徒座管理者に任じられています。この方は20年ほど前まで上智大学でロシア語を教えておられたとのことで、日本語がペラペラ。現在はキルギスの大学で日本語を教えておられるとのこと。この7月にそれまで知牧区長だったメスマー司教が病気のため61歳で急逝し、そのために75歳になるミハエリチック神父が管理者に任命されています。全人口の7割がイスラム教。残りの大半はロシア正教。カトリック教会にとって、なかなか厳しい環境です。

 市内のホテルで行われたワークショップは、現在カリタスアジアが2017年から3年間の戦略計画と活動計画を策定するためにアジア全域で進めているプログラムの一環です。まだカリタスの活動が始まったばかりの地域ですが、将来はこうありたいという理想について、そしてその挑戦にどう答えるかについて、熱い議論が交わされました。
 

シリアの和平のために

 教皇様は混乱が続くシリアの和平のため、しばしばメッセージを発表されてきました。さらにはシリア難民の受け入れについても、各国に寛容な態度で臨むように要望され、またご自分から具体的に、昨年の4月16日にギリシアのレスボス島を訪問した際には、シリア難民の三家族12人を一緒にローマへ連れ帰ったりしてきました。

 国際カリタスも、世界中のカリタスや司教団に呼びかけて、「シリアに平和は可能だ」と題した和平を求めるキャンペーンを現在も行っています。昨年の7月5日にこのキャンペーンに対してビデオメッセージを寄せた教皇は、その中で次のように呼びかけました。

 「市民の苦しみの一方で、大量の資金が武器に費やされている。・・・平和を説く国々の間には、武器を供給している国もあり、右手で人を慰めながら、左手で人を打つ人をどうして信用することができるだろうか。・・・この『いつくしみの特別聖年』に、無関心に打ち勝ち、シリアの平和を力強く唱えよう」

 このたび教皇様は、10月31日にスウェーデンで行われる超教派の祈祷集会に参加され、そこでシリアの和平のために祈りを捧げられます。この祈祷集会は、宗教改革500年を記念するもので、初めてカトリックとルーテル派の指導者が一緒に祈る機会となります。教皇フランシスコとともに、ルーテル世界連盟(LWF)議長のムニブ・A・ヨウナン博士、LWF総幹事のマルティン・ユンゲ博士が祈りを捧げます。

 シリアの和平のためにキャンペーンを続けている国際カリタスも、ミシェル・ロワ事務局長をはじめとした代表団をこの祈祷集会に派遣します。同時に国際カリタスでは、全世界のカリタスメンバーを通じて、多くの人がこの10月31日に一緒に心を合わせて、シリアの和平のために祈ることを呼びかけています。

 是非、10月31日、またはその前後に、個人で、共同体で、教皇様と心を合わせて、シリアの和平のために祈りを捧げてくださるようにお願いいたします。

菊地司教の日記②

 2016.9.20 白浜司教様叙階式@広島

 Shirahama1601広島教区の新しい教区司教として任命されたアレキシオ白浜満師の司教叙階式が、昨日、9月19日午後1時半から、広島カテドラル世界平和記念聖堂で行われました。前任の前田司教が大阪大司教に転任されてからほぼ2年。広島教区司教座の空位が終わりました。台風が接近しあいにくの雨模様でしたが、あの巨大な広島の聖堂に入りきれないほどたくさんの方がお祝いに駆けつけられました。(上の写真は沖縄の押川司教撮影)

日本の司教団も、マザーテレサの列聖祝賀ミサの予定が事前に入っていた岡田大司教を除いて全員が集まり、広島と姉妹教区である韓国の釜山からも補佐司教が。また白浜新司教が所属するサンスルピス司祭会からもカナダの管区長をはじめ関係者が参列されました。
司式は前任の前田大司教。横につく二人の司教は、司教協議会会長の高見大司教と、神学院常任司教委員会委員長の大塚司教。説教は前田大司教が、いつものように俳句を披露しながら。 さすがに神学院で長く養成に関わっておられたこともあり、しかも現職の院長ですから、全国から多くの司祭が集まりました。100名をこす司祭団であったと思います。また聖堂内に入りきれず、外に設置されたテントや信徒会館でモニターによる参加をされた方も含めて、二千人近い参加があったようです。白浜司教の故郷である長崎教区からも、バスで代表団が駆けつけた模様です。

白浜司教は典礼学が専門ですから、さすがによく準備された典礼でした。また前日から青年たちの集まりがあり、白浜司教自身もすでに参加されたようですが、叙階式の終わりに信徒代表として歓迎の挨拶を述べたのは、三人の青年たちでした。

新司教のモットーは「福音のためならどんなことでも」です。教会での司牧の経験がない自分がどうして司教に選ばれたのか、今もって分からないとしつつも、しかし任命を告げられたときは、神の召し出しに全幅の信頼を持って「はい」と応えたと言います。まさしく、「福音のためならどんなことでも」をそのままに生きておられます。

また新司教はまだ54歳ですから、現時点で日本の司教団の最年少司教となります。私は本日9月20日で司教叙階12年になりましたが、昨日までの12年間の最年少司教を、これでやっと終わりにし、その座を白浜司教に譲ることが出来ました。白浜司教様、本当におめでとうございます。

2016.9.18 宮古から久慈へ@岩手県

  秋田の聖母の日が終了後、横浜の信徒の旅行会社パラダイスさんの企画で、昨年同様に岩手県を二泊三日でまわってきました。20名ほどの巡礼の旅です。

 秋田の聖母の日のミサが終了後、巡礼参加者と一緒に昼食。そしてバスで一路盛岡へ。昨年もそうでしたが、ちょうど盛岡は秋祭りで街中にはいくつもの山車が繰り出していました。懐かしいかけ声と光景でした。盛岡の四ツ家教会で祈りを捧げ、まっていたくださった信徒の方々から歓迎していただき、しばし、茶話会で交流。私はこの教会に、幼稚園年長から小学校4年まで住んでいました。当時父親が、この教会で働いていたからです。幼稚園は、当時すぐとなり、現在の郵便局のところにあった白百合へ。そして小学校は近くの仁王小学校でした。
その後、先日の台風による災害で土砂崩れが発生し、再開したばかりの国道106号線を通り宮古へ。台風10号による災害で、一時通行止めとなっていたとのことでしたが、一部交互通行があるものの、復旧工事は急ピッチで進み、迂回せずに宮古へ行くことが出来ました。

翌日は宮古教会でミサ。信徒の方も参加してくださり、私は昔からの懐かしい信徒の方と写真も。札幌教区の宮古ベースの方が、復興支援の活動について、ミサ後にお話とビデオの上映をしてくださいました。この日は宮古教会担当の田中神父様も常駐している釜石からおいでくださり、一緒にミサを捧げ、旅の参加者を歓迎してくださいました。なお宮古教会には、今年の12月11日の日曜日、待降節の黙想会のために、再度訪問させていただくことにいたしました。また田中神父様の依頼で、その日は宮古が終わってから、釜石でもミサを捧げる予定です。

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そして宮古から昨年同様に田老へ。田老では震災ガイドの方にお話をお願いし、さらに震災遺構としてオープンした旧田老観光ホテルに向かい、外階段を上って一番上の6階へ。ここで津波襲来当日の映像を見せていただき、震災ガイドの方からお話をいただきました。昨年と大きく変わったのは、この旧観光ホテルの震災遺構としてのオープンと、防潮堤内のかさ上げ工事が終わった部分に、道の駅と野球場ができあがっていたことでしょうか。さらには、防潮堤内には住民の家を建設できなくなったので、待ちを見下ろす丘に造成された場所に、多くの家が建設されていたことでしょうか。しかしまだまだ、田老の町が完全に昔のような姿を取り戻すのは、時間がかかるものと感じました。
最後の日は北へ向かって久慈市へ。先日の台風10号で川が氾濫し、久慈市の一部は水に浸かったと伺いました。そして久慈カトリック教会も被害に遭っていました。その教会を皆で訪問。信徒の方がお二

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人迎えてくださり、また担当の佐藤修神父様もおいでくださって、状況を説明してくださいました。思いの外、教会の被害は大きいものです。洪水の水も私の身長より高いところまで到達していました。水の跡が外壁に残っています。泥だしの作業のため床板は外されています。教会の復旧のためには、まだ時間と力が必要です。
最終日の最後には久慈から二戸に向かい、二戸教会で佐藤神父様も交えてミサを捧げました。古い民家を使った小さな教会です。道路拡張で、将来的にはどうなるのか不明確だとも伺いました。2011年の大震災と今年の台風。大きな被害に遭われた方々の復興は、まだまだ時間が必要です。それぞれの場で、忘れることなく、できる限りの支援を継続していきたいと思います。

 

 

 2016.9.15 秋田の聖母の日@聖体奉仕会

 毎年恒例となりつつある秋田の聖母の日が、今年も9月14日と15日に聖体奉仕会で開催されています。今年は250人ほどの方々が、全国各地から集まり参加して下さっています。
9月14日は十字架称賛の日、そして15日は悲しみの聖母の日で、ともに聖母マリアの信仰における生き方を黙想する機会となります。秋田の聖母の日は、毎年この二日間に固定して開催されています。
天気が心配されましたが、初日は雨も降らず、外の庭園で十字架の道行きをすることができました。初日は、いつくしみの特別聖年ですので、いつくしみのチャプレットを唱え、その後私の講話。一時間ほど、教皇様の回勅「ラウダート・シ」についてお話しさせていただきました。
十字架の道行きのあとにはミサ。私が司式。秋田地区長のロボ神父様の説教。ミサはロボ神父、飯野神父、ホー神父、との共同司式。引退されているミュラー神父様も、車いすで元気に参加されました。二日目の今日は午前9時からロザリオ。その後ミサを捧げて終了となります。

 

菊地功・司教の日記

アフリカ開発会議への期待 2016.8.20

  第6回目となるTICAD が、まもなくケニアで開催されます。8月27日と28日。一般に「アフリカ開発会議」と呼ばれていて、それだけを聞くと、国連か何かの会議のような響きがあります。

  しかしそうではないのです。TICADの最初にある「T」は、「TOKYO(東京)」の頭文字です。この会議は、日本政府が音頭をとって始めた会議で、これまでの5回は日本で開催されてきましたが、今回初めてアフリカの地で開催されることになりました。安倍首相の出席も予定されているようです。

  昔ガーナで働いていた体験や、その後カリタスジャパンの仕事でアフリカのいくつかの国への支援に関わった体験から、アフリカの開発と発展は、私にとって大きな関心事です。そして官民の様々な取り組みがあるなかで、日本政府の取り組みは小さいものではなく、またこういった会議を主催してきた実績もあるのですから、もっと内外に宣伝をするべき重要な会議であると、個人的には思います。

  第一回目のTICADは1993年10月5日と6日に開催されました。「アフリカ諸国(48国)、援助国(12国)、EC、国際機関(8機関)及びオブザーバー多数、延べ約千名の参加」を得て開催され、「東京宣言」が採択されました。

  「東京宣言」は、アフリカ支援の必要性を強調しつつも、援助だけではアフリカの問題が全て解決されることはないと指摘し、さらに援助のためにはアフリカ諸国の対応(民主化、良い統治等)が必要であることも指摘しています。その上で、アジアにおける経験をアフリカ開発に生かす可能性にも言及していました。正しい指摘でした。

  つまりTICADとは、日本政府が音頭をとって、国連諸機関や世界銀行とともに、アフリカ諸国のリーダーや援助国の代表を一堂に集め、アフリカ開発のための諸課題を話し合い、さらには国際社会にその重要性を訴えようという場なのです。

  前回2013年の第五回TICADでは、横浜宣言が採択され、主に6点ほどの重点項目が指摘されていました。

第一に「民間主導の経済発展」、第二に「インフラ整備」、第三に「農業従事者自身の重視」、第四に「持続可能な成長」、第五に「すべての人のための幸福をもたらす社会の構築」、そして第六に「平和と安定、良い統治の確立」

  それに基づいた行動計画が2017年まで策定されており、今回の会議もそれを受けたものとされています。さらに外務省は、今回のケニアでのTICADで、新たに取り上げられる課題を次のようにホームページに記しています。

  「TICAD V以降にアフリカで発生した諸問題(エボラ出血熱の流行と保健システムの脆弱性,暴力的過激主義の拡大,国際資源価格の下落等)への対応の必要性が顕在化しています。開発と貧困削減に向けたアフリカ自身の取組(アジェンダ2063)の推進を支援する必要があります。国際的な取組(気候変動(COP21),持続可能な開発目標(SDGs))を進めることが期待されています。」

  日本にとって自分たちの立ち位置でもあるアジアの安定と発展が重要なのは言うまでもありませんが、アフリカへのコミットメントを明確に行動で示していくことは、国際社会の中で重要な意味をもっていると思います。特に歴史的にアフリカ諸国と様々な関係を構築してきたヨーロッパ諸国の目の前で、アフリカへの支援を、自国の利益のためではなく人類普遍の善益のために(教会で言う共通善のために)積極的に行う姿勢を明確にすることは、日本にとって大きな利益を長期的にもたらすと思います。

  今後も日本政府が、この素晴らしい取り組みを積極的に推進し、アフリカ支援の態度を明確に示されることに、心から期待しています。

  ところでアフリカへの支援と言えば、もちろん「貧困」の解決が重要な課題となります。しかしながら、「貧困」というのは実は定義づけるのが非常に難しい。なぜならば、それは何かと比較して初めて明らかに出来る相対的な概念だからです。しかしながら、開発援助などの取り組みのためには、数値を明確にしなくてはなりません。ですから、何かの基準を設けて、それ以上とそれ以下で貧困を定義づけることが、様々な機関によって行われます。

  例えば、世界銀行は、一日1.25USドル未満で生活する人を極度の貧困状態にあると定めていました。2010年にその数は世界で12億人。世界の人口の約2割です。

  「絶対的貧困」は、たぶん多くの人が想像する「貧困」の状況なのかもしれません。しかし、「貧困」は、必ずしもそこだけの問題ではありません。日本では、「絶対的貧困」と言えるような状況におかれた人は、人口比で言えば少ないのかも知れません。また相対的な貧困を量るために、様々な機関が様々な基準を提供しています。その多くが、「日本に貧困はない」とはいえない現状を指摘します。そしてそれはわたしたちの信仰の立場からも、同じように言えると私は思います。

  わたしたちの信仰の立場から考えると、貧困は「個々人の尊厳と創造性、そして天職、すなわち神の召し出しにこたえる力を」その個人から奪い去っている状態のことに他なりません。引用したのはヨハネパウロ二世が回勅「新しい課題」において「発展とは何か」について述べている29番の箇所です。ここで教皇は、発展とは皆が富める国のようになることではないと指摘し、「個々人の尊厳と創造性、そして天職、すなわち神の召し出しにこたえる力を」具体的に高めることこそが発展であると説きます。そうであればこそ、発展の対極にある貧困とは、その欠如に他なりません。

  だからなのです。「貧困」とは、何かを持っているとかいないとか、見栄えがどうだとか、生活スタイルがどうだとかの問題ではなく、その個人が置かれている社会の状況が、ふさわしく「個々人の尊厳と創造性、そして天職、すなわち神の召し出しにこたえる力を」具体的に高めているのか否かに、判断の基準があると言うことになります。少なくとも、将来に対する夢や希望を持つことが難しい若者が存在している状況は、ふさわしい発展の状況ではなく、貧困の状態であると考えざるを得ません。

神学生と合宿@佐渡島 2016.8.14

  新潟教区の唯一の神学生である岡君と一緒に、神学生合宿と称して、佐渡へ一泊で出かけてきました。佐渡島はもちろん新潟県ですから新潟教区内。そして島内には港のある両津にカトリック教会と幼稚園があります。以前はもう一つ、相川にも教会と保育園がありましたが、現在は両津のみ。司教総代理でもある川崎神父が、主任司祭を務めておられます。同行したのは、教区の養成担当の大瀧師。なお川崎師も養成担当です。

  18日の朝9時台のジェットフォイルで出発。佐渡へ行くには新潟西港からジェットフォイル(運賃は高い)で一時間か、カーフェリー(運賃は比較的安い)で二時間半。現在、飛行機の便はありません。今回は佐渡汽船の宿泊とレンタカーもすべてセットになった料金を利用したので、行きはジェットフォイル、帰りはカーフェリーとなりました。

Sado1601両津の港に迎えに来た川崎師と合流して、早速レンタカーで一路島の北側へ。この先端部分に近い集落に、かつて新潟教区の神学生であった頃に亡くなられた坂上氏のお墓があります。昭和11年に、神学院に在籍中に亡くなられたと伺いました。まずここでお祈り。

翌日は、朝の涼しい時間から、中山峠近くで車を停め、史跡に指定されている旧中山道を30分ほど歩いて登り、峠にあるキリシタン塚へ。ここは寛永14年(1637年)に、キリシタン100名以上が処刑されたと伝えられている場所です。現在は峠に十字架が立ち、野外ミサが出来る石の祭壇もあります。その背後には、信徒の方々の墓地も。わたし自身がここでミサをしたのは、2012年の教区100周年にあたって行った十字架リレーの時でした。またこのキリシタン塚の整備のためには、以前から東京教区の支援もいただいています。

そして最後に(というのも、佐渡島は一般に想像される以上に大きな島で、移動するだけでも時間を要するのです)、両津の町にあるカトリック佐渡教会へ。この聖堂はパリ外国宣教会の宣教師によって、1887年に献堂されたもので、新潟教区内では最古です。Sado1605佐渡には1837年にパリ外国宣教会のレゼー師が来島し、再宣教をはじめました。

 

Sado1608Sado1603

またキリシタン塚にある石碑は、献堂100周年を記念して1987年に建立され、当時は佐藤司教とともにカルー教皇大使も来島されたそうです。

そして夕方4時過ぎに両津を出港するカーフェリーで新潟へ。何かイベントでもあったのか、フェリーは佐渡から戻っていく高校生で一杯でした。(きくち・いさお・新潟教区司教)