菊地司教の日記②

 2016.9.20 白浜司教様叙階式@広島

 Shirahama1601広島教区の新しい教区司教として任命されたアレキシオ白浜満師の司教叙階式が、昨日、9月19日午後1時半から、広島カテドラル世界平和記念聖堂で行われました。前任の前田司教が大阪大司教に転任されてからほぼ2年。広島教区司教座の空位が終わりました。台風が接近しあいにくの雨模様でしたが、あの巨大な広島の聖堂に入りきれないほどたくさんの方がお祝いに駆けつけられました。(上の写真は沖縄の押川司教撮影)

日本の司教団も、マザーテレサの列聖祝賀ミサの予定が事前に入っていた岡田大司教を除いて全員が集まり、広島と姉妹教区である韓国の釜山からも補佐司教が。また白浜新司教が所属するサンスルピス司祭会からもカナダの管区長をはじめ関係者が参列されました。
司式は前任の前田大司教。横につく二人の司教は、司教協議会会長の高見大司教と、神学院常任司教委員会委員長の大塚司教。説教は前田大司教が、いつものように俳句を披露しながら。 さすがに神学院で長く養成に関わっておられたこともあり、しかも現職の院長ですから、全国から多くの司祭が集まりました。100名をこす司祭団であったと思います。また聖堂内に入りきれず、外に設置されたテントや信徒会館でモニターによる参加をされた方も含めて、二千人近い参加があったようです。白浜司教の故郷である長崎教区からも、バスで代表団が駆けつけた模様です。

白浜司教は典礼学が専門ですから、さすがによく準備された典礼でした。また前日から青年たちの集まりがあり、白浜司教自身もすでに参加されたようですが、叙階式の終わりに信徒代表として歓迎の挨拶を述べたのは、三人の青年たちでした。

新司教のモットーは「福音のためならどんなことでも」です。教会での司牧の経験がない自分がどうして司教に選ばれたのか、今もって分からないとしつつも、しかし任命を告げられたときは、神の召し出しに全幅の信頼を持って「はい」と応えたと言います。まさしく、「福音のためならどんなことでも」をそのままに生きておられます。

また新司教はまだ54歳ですから、現時点で日本の司教団の最年少司教となります。私は本日9月20日で司教叙階12年になりましたが、昨日までの12年間の最年少司教を、これでやっと終わりにし、その座を白浜司教に譲ることが出来ました。白浜司教様、本当におめでとうございます。

2016.9.18 宮古から久慈へ@岩手県

  秋田の聖母の日が終了後、横浜の信徒の旅行会社パラダイスさんの企画で、昨年同様に岩手県を二泊三日でまわってきました。20名ほどの巡礼の旅です。

 秋田の聖母の日のミサが終了後、巡礼参加者と一緒に昼食。そしてバスで一路盛岡へ。昨年もそうでしたが、ちょうど盛岡は秋祭りで街中にはいくつもの山車が繰り出していました。懐かしいかけ声と光景でした。盛岡の四ツ家教会で祈りを捧げ、まっていたくださった信徒の方々から歓迎していただき、しばし、茶話会で交流。私はこの教会に、幼稚園年長から小学校4年まで住んでいました。当時父親が、この教会で働いていたからです。幼稚園は、当時すぐとなり、現在の郵便局のところにあった白百合へ。そして小学校は近くの仁王小学校でした。
その後、先日の台風による災害で土砂崩れが発生し、再開したばかりの国道106号線を通り宮古へ。台風10号による災害で、一時通行止めとなっていたとのことでしたが、一部交互通行があるものの、復旧工事は急ピッチで進み、迂回せずに宮古へ行くことが出来ました。

翌日は宮古教会でミサ。信徒の方も参加してくださり、私は昔からの懐かしい信徒の方と写真も。札幌教区の宮古ベースの方が、復興支援の活動について、ミサ後にお話とビデオの上映をしてくださいました。この日は宮古教会担当の田中神父様も常駐している釜石からおいでくださり、一緒にミサを捧げ、旅の参加者を歓迎してくださいました。なお宮古教会には、今年の12月11日の日曜日、待降節の黙想会のために、再度訪問させていただくことにいたしました。また田中神父様の依頼で、その日は宮古が終わってから、釜石でもミサを捧げる予定です。

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そして宮古から昨年同様に田老へ。田老では震災ガイドの方にお話をお願いし、さらに震災遺構としてオープンした旧田老観光ホテルに向かい、外階段を上って一番上の6階へ。ここで津波襲来当日の映像を見せていただき、震災ガイドの方からお話をいただきました。昨年と大きく変わったのは、この旧観光ホテルの震災遺構としてのオープンと、防潮堤内のかさ上げ工事が終わった部分に、道の駅と野球場ができあがっていたことでしょうか。さらには、防潮堤内には住民の家を建設できなくなったので、待ちを見下ろす丘に造成された場所に、多くの家が建設されていたことでしょうか。しかしまだまだ、田老の町が完全に昔のような姿を取り戻すのは、時間がかかるものと感じました。
最後の日は北へ向かって久慈市へ。先日の台風10号で川が氾濫し、久慈市の一部は水に浸かったと伺いました。そして久慈カトリック教会も被害に遭っていました。その教会を皆で訪問。信徒の方がお二

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人迎えてくださり、また担当の佐藤修神父様もおいでくださって、状況を説明してくださいました。思いの外、教会の被害は大きいものです。洪水の水も私の身長より高いところまで到達していました。水の跡が外壁に残っています。泥だしの作業のため床板は外されています。教会の復旧のためには、まだ時間と力が必要です。
最終日の最後には久慈から二戸に向かい、二戸教会で佐藤神父様も交えてミサを捧げました。古い民家を使った小さな教会です。道路拡張で、将来的にはどうなるのか不明確だとも伺いました。2011年の大震災と今年の台風。大きな被害に遭われた方々の復興は、まだまだ時間が必要です。それぞれの場で、忘れることなく、できる限りの支援を継続していきたいと思います。

 

 

 2016.9.15 秋田の聖母の日@聖体奉仕会

 毎年恒例となりつつある秋田の聖母の日が、今年も9月14日と15日に聖体奉仕会で開催されています。今年は250人ほどの方々が、全国各地から集まり参加して下さっています。
9月14日は十字架称賛の日、そして15日は悲しみの聖母の日で、ともに聖母マリアの信仰における生き方を黙想する機会となります。秋田の聖母の日は、毎年この二日間に固定して開催されています。
天気が心配されましたが、初日は雨も降らず、外の庭園で十字架の道行きをすることができました。初日は、いつくしみの特別聖年ですので、いつくしみのチャプレットを唱え、その後私の講話。一時間ほど、教皇様の回勅「ラウダート・シ」についてお話しさせていただきました。
十字架の道行きのあとにはミサ。私が司式。秋田地区長のロボ神父様の説教。ミサはロボ神父、飯野神父、ホー神父、との共同司式。引退されているミュラー神父様も、車いすで元気に参加されました。二日目の今日は午前9時からロザリオ。その後ミサを捧げて終了となります。

 

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