・三輪先生の時々の思い ⑰「茶摘み」が文部省唱歌となった頃…

「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みじゃないか あかねだすきに菅の笠

  日和つづきの今日此頃を 心のどかに摘みつつ歌う 摘めよ摘め摘め 摘まねばならぬ 摘まにゃ日本の茶にならぬ」

 これは文部省唱歌で明治45年制定である。

 この年は7月29日で終わり、翌日改元され大正元年7月30日となった。西暦1912年の事である。日本国は日清、日露と大戦争を勝ち進み 1910年には李王朝朝鮮を併合し極東に覇権を確立した。同時に天皇制の危機が叫ばれ、それに呼応するように知日派英国人が指摘した「天皇教」と呼べる精神状況が津々浦々に瀰漫し始めていたのだった。(2020.5.2 記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大学・博士)

2020年5月2日

・ガブリエルの信仰”見聞思”⑥聖母マリアに復活したイエスが現れた、と書かれていないのは…美しき聖なる親子の水入らずの再会

 復活節も半ば、教会が伝統的に聖母マリアに捧げる5月の「聖母月」が始まりました。

 この時期になると、何年も前のある復活祭のミサの後で、なぜか次のような疑問が頭をよぎったのを、思い起こします。

 「 福音書には、ご復活された主イエスは様々な人に現れたことが記されているが、なぜマリア様に現れたことについて何も書かれていないだろう?それが起こらなかったことを意味しているのか?」

 福音書に記載がないことは、主がマリア様に現れなかったことを示しているとは思いませんでした。なぜなら、主が「500 人以上の兄弟たちに同時に現れた」(コリントの信徒への手紙一第15章6節)と、使徒パウロが証ししていますが、そのようなたくさんの人たちが関わった出来事は福音書にも記されていないからです。

  また、マリア様ご自身も確かに、聖霊降臨の直前まで集まっていた弟子たちの共同体と共におられたため(使徒言行録第1章14節)、ご復活後の40日間、主はマリア様のもとに御姿を現れなかったのは考えにくいと思いました。

 とは言え、御母であるマリア様は主イエスが飼葉桶にお生まれになった時から十字架の上に亡くなられた時まで共におられたため、正直、ご復活された主がマリア様への御出現について、一言でもよいので福音書記者に記してほしかったな、と思っていました。

 それから、その翌年の復活節の頃だったかもしれませんが、なぜかまた、このことをより深く考え始めました。

 あくまでも自分なりの思いでしたが、主イエスがご復活の後にマリア様にも現れただけでなく、マグダラのマリアや弟子たちよりも、他の誰よりも、先にマリア様に御姿を現されたではないかと思うようになりました。なぜそう思っていたかと言えば、次のような場面を思い巡らして想像していたからです。

  ● マグダラのマリアをはじめ婦人たちが日の明け方に墓を訪れたが、主は既にご復活され、マリア様も彼女たちと共におられなかった。なぜなら、主がすでにマリア様に御出現されたからではないだろうか?

  ● 墓を訪れた婦人たちは、聖金曜日に、心が揺らぐことなく、ずっと主と共にいた忠実な者だったため、最初にご復活された主と会う人たちに選ばれたのかもしれない。だとすれば、聖金曜日に、主に非常に忠実なもう一人の方がおられた。それがマリア様だった。

  ● マリア様はご自分の息子である主イエスの受難と十字架に対して、比類なく深い関わりを持っておられた。マグダラのマリアと他の人たちも確かに多くの悲嘆に暮れていたが、それ以上にマリア様の苦しみ、悲しみ、心の痛みは、「剣がご自分の魂さえも貫いたように」(ルカ福音書2章35節参照)、誰よりもはるかに大きかった。母親としてのマリア様は、むしろ、ご自分の息子の身代わりになりたい、と思っていたのではないだろうか?マリア様が最も苦しんでおられたため、ご復活の日に主イエスに会うことは、大いに喜ぶべきではないだろうか。

 そのような思いを誰にも共有せずに持ったままでいましたが、しばらくして、偶然にも聖ヨハネ・パウロ二世教皇の一般謁見のメッセージ「マリア様は全『過ぎ越しの神秘』の証人であっ
た(”Mary was witness to whole paschal mystery” )」(1997年5月21日)を拝読したところ、なんと、私がずっと思っていたことが、その内容と一致していたのです。

  聖ヨハネ・パウロ二世教皇は次のように語られています。

 「この(福音書の)沈黙は、復活後、キリストがマリアに現れなかった、という結論に導いてはなりません。むしろ、福音書記者たちがなぜそのような選択をしたのか、その理由を探るように私たちを誘っています。」(第1項抜粋)

 「確かに、ご復活された主イエスが最初に現れたのは、おそらく母であったと考えるのが妥当でしょう。夜明けに墓に行った婦人たちの中にマリア様がおられなかったことは、マリア様がすでに主イエスに会っていたことを示しているのではないでしょうか?」(第3項抜粋)

 聖ヨハネ・パオロ二世も同じように思っておられるのを知った時、うれしく、驚きました。その後、自分なりに更に調べた結果、古い昔から同じように思っている教会の教父たち、聖人たち、神学者やキリスト教の作家たちが決して少なくない、ということが分かりました。

 例えば、聖アンブロジウス、聖アンセルムス、大聖アルベルト、聖イグナチオ・デ・ロヨラ、アビラの聖テレサ、がそうです。

 中でも私が最も感銘を受け、感動したのは、十九世紀の偉大な典礼学者ドム・ゲランジェ(フランスのベネディクト会の修道院長)が名著「典礼暦年」で、次のように述べている箇所です。

 「福音書では、主イエスが御母に現れたことは書かれていませんが、他のすべてのことは完全に記されています。その理由を説明するのは難しいことではありません。他の御出現は復活の証拠として意図されたものですが、マリア様への御出現は、御子が御母に対して抱いた優しい愛によるものでした。福音書の中でこのことが語られる必要はありませんでした。聖アンブロジウスを始めとする聖なる教父たちから伝わった伝統は、そのことを十分に証ししていますし、彼らが黙っていたとしても、私たちの心はそれを語っていたでしょう。そして、救い主がご復活の日に,なぜこんなに朝早く墓からご復活されたのでしょうか。それは,救い主の親孝行の愛が,最も愛し,最も苦しんでいた御母の切実な願いを満たすために切羽詰まっていたからです」

 なんと美しい聖なる親子水入らずの再会だったのでしょうか!ドム・ゲランジェ神父の記述を拝読した後、主イエスのマリア様への御出現が福音書に記されていなくて本当によかった、と思うようになりました。その理由も、よく理解できたような気がしました。

 この5月の聖母月に、私たちはロザリオを祈りながら、聖母マリアの心をもってご復活された主イエス・キリストを観想し、世の中が直面している試練を乗り越えるために、私たちの御母の執り成しを、お願いしたいと思います。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれて育ち、現在日本に住むカトリック信徒)

2020年5月2日

・Sr.阿部のバンコク通信 ㊸タイの人々は物事を悲壮に受け止めない

 静かで格別な復活祭、タイ正月(4月13~15日)も華やかな祭り事は一切無しで過ごしました。目に見えない新型コロナ菌感染で世界中がひっくり返り、権力や富、政策や武器も功を奏さない、すべての予定が番狂わせ、想像を絶する混乱…。でも、タイの一般市民は、物事を悲壮に受け止めず、『何とかなる、お任せ』の感じです。

 生活形態の変革を余儀なくされる予想外の事態になりましたが、戸惑い警戒の中に工夫と思いやりが生まれ、明るい雰囲気が感じられるのです。仕事をなくして食事どうしているか、医療に携わる人、亡くなった人と家族…を案じ、心を痛め、手を差し伸べ動き出しているのです。

 IT化した社会、この非常な状況で回線が熱くなるほど命をいっぱいに生きたい、という心が、活発に往き交っていますね。不愉快な、悪質な配信もあるけれど、人間の善意と誠意、隣人を思いやる熱意を消すことはできない、と信じます。

 4月21日、タイ女子パウロ会設立26年目の記念日、近隣の貧しい家族に分かち合いをしました。2ヶ月の生活費を削り、調味料食料品を用意、友人夫婦が届けてくれたお米とマスク、ケーキ屋さんからのブラウニー、手渡す喜びを味ました。5月マリア様の月に、また是非。

 『70歳以上は外出禁止』と言われ、私は編集の仕事に集中、姉妹達はIT駆使し、宣教に工夫、中央協勤務の姉妹は車で勤務。姉妹達との親しい生活、毎日が休日の様です。夜分2時間の聖体訪問を追加し、祈りの生活にも拍車が掛かります。

 お向かいの聖マイケル教会の神父様方との日々の感謝のミサ、皆さんを代表して与り、何よりもの恵みに感謝しています。

 皆さんへ『あい』の気と祈りの声援を送ります、どうぞお元気でいらしてください。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2020年5月1日

・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㊳いのちを守るためにー新型ウイルス禍の医療の現場から

 このコラムを書かせていただくのは、実に4か月ぶりとなる。2月、3月、4月の各月初旬は、夜、勤務先の病院から自宅にたどり着いてからパソコンを起動して当コラムを書く時間と精神力を確保することは、到底かなわなかった。

 毎月末、「あたたかい」原稿の催促をいただきながら、自分勝手を承知でご依頼に背く行為を続けた。編集ご担当者さま、読者の皆さまに大変な失礼を重ねてしまったことを心

 。

からお詫びします。

 それもこれも、新型コロナウイルスの感染拡大によるものだ。

 筆者の勤務する病院は、感染症指定医療機関ではない。日々のニュースですっかりおなじみになった集中治療室(ICU)などを備えた急性期病院ではなく、感染拡大を受けてウイルス感染が疑われる発熱患者らを受け入れ始めたわけでもない。

 それでも、大変な毎日が続いている。

 入院患者の中から、一人として感染者を出してはならない。医師、看護師、介護士、その他さまざまな職種の病院スタッフの中からも、絶対に感染者を出してはならない。このシンプルなゴールに向かって、ありとあらゆる努力をする。「院内感染ゼロ」という当たり前でありながら実は達成がたやすくない目標を掲げ、日々の診療をこなしながら対処する。

 しかも、どこにゴールがあるのかは見えない。新型ウイルスに感染した重篤な症状に陥った肺炎患者を相手にする「最前線」に身をおかずとも、日本中、世界中の医師や看護師が極度の緊張を強いられていることを理解していただきたい。

 病院へは毎日出勤する。テレワーク・在宅勤務は対象外だ。この際、多くの医師は、電車やバスなどの公共交通機関に極力乗らないよう努めている。可能ならば自家用車で通勤することが望まれているのだ。出勤から退勤まで、毎日何十、何百回となく行う手指等の消毒は、回数と徹底さを著しく増した。潤沢にあったのが当たり前だったマスク不足は、筆者の周辺でも不安の影を落としている。

 人との接触を避けるソーシャル・ディスタンシングは、感染防止に極めて有効だ。

 医師がそれぞれに席を持つ医局では、デスクの配置換えをした。各自が座る位置を見直し、できるだけ距離を取る。院内の別室を借り受けて医局分室を作る動きもある。医局内での私語は消えた。昼食時も同僚と席を同じくしない。
ここでも私語はない。

 入院患者に対する面会や見舞いも全面的に禁止され、ビデオ面会に切り替えられた。考えられる限りの感染防止に役立つ方策を取り入れながら、不断の努力が積み重ねられている。

 しかし、病院に入院している患者は、生きるために適切な治療とケアを受けなければならない。そのためには、人との接触が不可欠だ。医療従事者に求められているのは、「接触を避けること」と「接触を保つこと」とのせめぎ合いであり両立だ。新型ウイルスへの感染を防ぎつつ、治療とケアの効果を維持する配慮をしながら、今日も一日があっという間に過ぎていく。

 医療従事者に向けた拍手の時間や、応援の歌、ビルやタワーのライトアップよりも、医療者が頑張らなくてもいいように行動変容を促すメッセージをお願いしたい。

 家から出ないように呼びかけてほしい。手を洗うように、電車やエレベーターの中では会話を謹むように、体調が悪いときは外出せずに休むように、強く声をかけあってほしい。自分自身と、大切な人のいのちを守るために――。

 4か月ぶりのコラムで読者の皆さんにお伝えしたいメッセージが、当たり前のお願いの繰り返しになってしまったことも重ねてお詫びしたい。

(みなみきょうこ・医師、作家: 末期がんや白血病、フレイル……病に負けず舞台を目指す人たちと女性医師の挑戦を描いた物語『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』を2019年9月に講談社から刊行しました。終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=、クレーム集中病院を舞台に医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント―絆のカルテ』=幻冬舎=も好評発売中です)

2020年5月1日

・Sr.石野の思い出あれこれ ㉒これぞ「修練」、何ものにも代えられぬ宝

 だんだん日が経つにつれて修練のことが気になってくる。修練って、どんなことをするのだろう?同じ敷地内に住んでいても、修練女たちは立誓者や志願者たちと接したり、話すことは禁じられていたので、修練院の中の様子は少しも分からない。

 私たちの会の修練は、毎年3月19日(聖ヨセフの祭日)に始まり1年間続いて翌年の3月19日に貞潔・清貧・従順の向こう1年間の初誓願を立てて終わる。その間一か月以上修練院の外で過ごした人は、翌年3月19日が来ても誓願を立てることはできず、最初から一年間修練をやり直さなければならない。そんなことは、修練に入ってから、勉強して知った。

 私は修練に入る前に病気をして、他の姉妹たちと一緒に修練に入ることはできず、5月3日に一人で修練者たちのグループに加わった。一年間無事に続けることができたので、翌年の5月には誓願を立てた。

 修練は仏教の雲水のように、厳しい修行をする・・・という私の考えは全く外れていた。8か国(イタリア、フランス、スペイン、アイルランド、アメリカ、コロンビア、フィリピン、日本)から58人の修練女が集まり、国際色豊かではなやかな修練だった。

 広い教室で毎日、聖書や修道生活、修道会の会憲、教理学や修徳学などの授業がある。イタリア語はまだペラペラ話せるまでにはなっていなかったが、聞いたり読んだりは結構理解できるようになっていたので、毎日新しいことを学ぶのは、非常に楽しかった。その他、自習時間や使徒職の実践があった。特別に厳しい修行はなく、お食事も特別粗食というわけでもなかった。

 でも、例えば朝の洗面は、前の晩に洗面器に汲んでおいた水と、コップ一杯の水で済ませるのが慣例だった。慣れるまでこれは厳しく感じた。特に冬の寒い朝、石の床にひざまずいてベッドの下に置いてある洗面器を引っ張り出して、前の晩に汲んでおいた水を覆っている薄い氷を割って、その水で顔を洗うのはつらかった。

 時には涙がこぼれそうになったこともある。そんなときにこそ「これが修練」と、自分に言い聞かせて頑張った。ある種の緊張感のうちに今までは全く知らなった世界で新しい学を学びながら励む日々は新鮮で、何物にも代えられない宝のように思えた。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

2020年5月1日

・Sr.岡のマリアの風 ㊿国際マリアン・アカデミーの初の「ビデオ会議」

 PAMI(教皇庁立国際マリアン・アカデミー)と、世界中のさまざまなアカデミーとの、はじめての「ビデオ会議」。

 PAMIのIT担当、ダニエルから「ミーティングへの招待」(Google Meet)が来て、それをクリックして、またクリックして…何とか、ミーティングの「中」に入る。

 「シスター・ルカ(わたしの修道名)、こんにちは(または、おはよう)!」と、すでに「中」にいるメンバーたちが声をかけてくる。「日本は夜の10時、だから、こんばんは!」とわたし。「もう寝る時間じゃないか」、「顔が見えないよ、画面を調整して…。そう、そのくらい…」。

 PAMIの長官、先輩のステファノ神父:「誰がアジア部門の報告をするの?君?デニス神父?」。

 わたし:「デニス神父」「OK ……そうこうしているうちに、次々に参加者が「中」に入ってくる。恩師サルバトーレ・ペレッラ師はIT世代ではないので、同じ修道会の若い神父がそばにつ
いている。短気なペレッラ師が「なんだこれは?えっ?どうするって!?」と叫んでいるのも聞こえる。

 「若い神父」は、辛抱強く「こっちを押してください」とか「それを触ってはだめです…」などと言っている。

 ITのコーディネートをしているダニエルが「話している人の声が聞こえるように、その他の人のマイクは、こちらで消しているので了解ください。発言したい時は、画面下のマイクのアイコンをクリックしてください」と説明する。

 ローマ時間午後3時。日本時間午後10時に、ステファノ神父の、「いいですか?始めましょう」の声で開始。だいたい40名くらいの参加。会議の途中で、アジア部門の長官、デニス神父も入ってくる。よかった。

 最初に、ステファノ神父を含む4人から成る「PAMI作業グループ」(彼らは毎日集まって連絡を取り合っている)から、今日の集まりの理由、目的、内容の説明と、PAMIの現在の取り組みの報告がある。

 ステファノ神父は、昨年 2019年)12月4日、PAMI創立60周年に開催された会議への、教皇フランシスコのメッセージを思い起こす(以下、教皇メッセージの一部試訳)。

 「アカデミー」は、「知ること(知識)」が奉仕になる場所です。なぜなら、「知ること」-それは共に働くことから生まれ、共に働くことへと導きます―が無ければ、真の統合的な人間の発展はないからです。「アカデミー」は、その固有な分野において、シノダリティー(共に歩む)の経験、範模です。それはまた、教会の現在に属する、また教会の使命に属する福音宣教の力です。そして、今日わたしが授ける「賞」が、福音と文化の間の、つねに豊かなきずなを祝う招きとなるよう願います。

 パパの招きを受けて、アカデミーは「出会いの場」となるべきだ、とステファノ神父は強調。まざまな文化、民族、宗教の人々が、平和を目指し「対話するために」出会う場所。そして、わたしたちを一致させるのが聖母マリアである、と。

 現在、PAMIは、“Maria: Via di Pace tra culture”(マリア:諸文化間の平和の道)と題した一連の講話を、イスラム教との対話の中で進めている。日本ではあまり知られていないが、イスラム教徒はマリアをひじょうに崇敬している。実際、彼らの聖典『コーラン』はマリアについてのエピソードを多く語っている。世界の聖母巡礼地には、たくさんのイスラム教の女性たち、特に母親たちが訪れている。マリアの中に、「いのち」を大切に守り育てる母の姿を見ながら。

 各地域のアカデミーからの発表の中で、アメリカ合衆国からプロテスタント教会との対話、わたしが昨年訪れたルーマニアからは、東方教会や東方典礼の諸教会との対話、レバノンからはイスラム教徒の対話についての活動が報告された。

 さらにステファノ神父は、わたしたちは「小さなグループ」だけれど(聖母崇敬は大きな現実であるけれど、学問としてのマリア論はイタリアでもマイノリティーだ)、世界に向けて開こう、と呼びかけた。信徒たちへの、また他の宗教の人々への、マリアについてのカテキズム(基本的な教え)を差し出しながら。

 それらのことも含めて、PAMIの当面の課題は、将来の歩みのための「コーディネート(調整)」と「継続」。そのためには、世界中の「アカデミー」の対話と協力が必要。そこで今回はまず、各アカデミーの報告に耳を傾ける機会となった。

 こうして、16か所のアカデミーからの現状報告(フランス、スペイン、ドイツ、ポーランド、クロアチア、アメリカ合衆国、カナダ、イタリア、アジア、コスタリカ・ベネズエラ、ホンジュラス、ブラジル、アフリカ、ルーマニア、レバノン…)。

 何しろ初めての経験なので、しょっちゅうダニエルが出てきて、「あなたの声が聞こえません、画面の下のマイクのアイコンを…」とか、「いっぺんに話すと聞こえないので、あなたの声だけ残します…」、とか指示している。

 わたしのパソコン画面にも、いろいろな信号(?)が出てくる。随時、「今、○○さんが入りました」「○○さんが退出しました」、「現在、38名が参加しています」…。「コメント欄」には、「今の話、賛成!」「その企画、協力します」など、自由なコメントが飛び交う。なかなか「ライブ感」あふれる会議だ。

 イタリアからは、イタリアマリア学会の責任者、ペレッラ師が熱演(?)。昔の授業を思い出しながら、なつかしく聞く(「ペレッラ神父、ブラボー!」などとコメントが入る)。「マリア論研究一筋」の情熱、健在。師がこれだけ熱意をキープしているのを見ると、弟子のわたしも刺激される。このような師をいただいたことに感謝。

 ベネズエラからは、聖母巡礼地における「愛のわざ」―貧しい人々への毎日の食事の提供など―についての報告。ステファノ神父が「聖母のセンター」は、「真(学術)」・「美(芸術)」だけでなく、「愛(実践)」の、三つの要素のバランスが大切、とコメント。

 アメリカ合衆国からは、PAMIとの協働の、インターネット上の「Mariapedia(マリア事典)」の企画についての報告。これは、まさに各地のアカデミーが、自分たちの場所の聖母巡礼地、聖母崇敬…に関する情報を提供することによって作られていく、まことに創造的な事典だ。初めは英語だが、各国のアカデミーがそれぞれ自国語に訳していけば、より多くの人に届くだろう。

 また、以前から話があった、PAMIのHPに、各アカデミーの活動を各国の言葉でアップする計画の確認もあった。例えば、日本人が、

 一つ一つのアカデミーで出来ることは限られているが、こうして、世界中のアカデミーとの協働、またそれを調整するPAMIとのつながりの中で、新しい可能性が見えてくる。

 会議はあっという間に予定の二時間が過ぎる(眠くなるのではないかと心配したけれど、興味深く、二時間、集中できました)。「まだ残りたい人はどうぞ」とステファノ神父。わたしはこの時点で「日本は夜中、またね。みなさん、ありがとう」とコメントして「退出」する。

 信徒たち、人々に、「健全な聖母信心(崇敬)を考慮した、健全なマリア論(学問)」を提供すること。ステファノ神父が強調する、PAMIの大切な役割の一つ。パンデミック「後」の活動のため、今は日々、研究を怠らないことがわたしの務めだろう。

 翌日、PAMIの「作業グループ」メンバーと、デニス神父に、感謝のメッセージを送る。デニス神父が、ミーティングの内容を、アジア地区のアカデミーのメンバー、協力者、友人たちに知らせるために要約してくれることになった。感謝。

 パンデミックのために、来年(2021年)9月に延期された、PAMI主催、第25回、国際会議は、“Maria tra teologie e culture oggi. Modelli, comunicazioni,prospettive”(今日のさまざまな神学、文化の間でのマリア。モデル[範型]、コミュニケーション[伝達]、展望)というタイトルで開かれる。アジア部門では、デニス神父が、Nuove frontiere: Maria nel mondo asiatico(新しいフロンティア:アジア世界におけるマリア)と題して発表する予定。

 今年の秋か冬には、ローマで直接、ステファノ神父、デニス神父と話す必要があるだろう。来年二月には、再びルーマニアを訪れる予定である。今、出来る小さなことを積み重ねていきたい。祈りつつ。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2020年5月1日

・菊地大司教の日記(60)ミサ非公開の苦衷の決断、悪戦苦闘の動画配信ーボランティアの皆さんに感謝!

司教の日記 2020年4月12日

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 東京教区では、今回の感染症の事態にあたって、2月27日から「公開のミサ」を中止にし、3月1日から、主日のミサのネット配信を始めました。

 「公開のミサ」の中止とは、教会でミサが中止になったという意味ではなくて、誰でも普通に自由に参加することのできるミサ(公開)を中止し、すべて「非公開」としたということです。これについては何度もご説明してきましたが、司祭はミサを捧げる義務がありますから、少なくとも日曜日には必ずミサが捧げられていますし、主任司祭は日曜日に、小教区の方々のためにミサを捧げる義務があります。

 ですから現在ミサは「非公開」です。誰にでも自由にミサにあずかって頂くことはできません。その意味で、多くの信徒の方には、ミサの中止という事態になっています。最初は、入場制限とか、抽選とか、いろいろと考えましたが、どのような方法にも無理があるので、東京教区内は一律に非公開としました。

 それに一番に考えなくてはならないことは、大勢でミサをしないのは、自分が感染しないように護ることではなくて、今回の感染症の特徴である、無症状の感染者が、知らないままに他人に感染を広げてしまうことを避けるためです。自分は大丈夫だからは、今回は通用しません。

 そこで、少なくとも主日のミサを、カテドラルからネットで中継することにしました。ミサの映像配信にはいろいろな考え方があると思いますが、カテドラルからの配信は、感染の危険を最大に避けながらも、しかし同時に典礼の荘厳さを失わないようにしっかりとした構成をすることを目指しました。

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 幸い、以前からミサ配信の可能性を検討してくれていた関口教会の信徒の青年が、ボランティアで協力してくれることになりました。早速、主任司祭の天本神父が中心になって、必要な機材の調達が始まりました。

 全くのゼロからの挑戦です。そもそもネット環境も、大聖堂にはなかったので、その手配も簡単ではありません。当初は機材の関係から、土曜日の夕方に録画して、日曜に配信としました。しかも、必ず、歌ミサで、すべてに字幕を入れることにもしました。また祈りの機会ですから、余分な解説は一切入れないことにもしました。

 これが実は大変難しい挑戦でした。一番簡単なのは、祭壇だけが映るようにして、固定したカメラで中継することですが、できる限り典礼の荘厳さを出すために、複数のカメラを使用することにしました。

 そして歌や朗読でシスター方の協力をお願いしました。

 ミサに参加してくださっているのは、カテドラル構内に修道院のある師イエズス修道会(ピエタのシスター)とすぐ近くに住むドミニコ宣教修女会のシスター方で、これに2回目からは、聖歌を歌いオルガンを弾くために、イエスのカリタス会のシスターと志願者が10名ほど、協力してくれています。

 しかし問題は、今度は感染予防です。聖堂内は、シスター方だけで20名近くになります。

 最初は地下聖堂で、録画しました。ところが、地下聖堂の音響機器が古く、音をとるのが難しい。さらには地下聖堂は、100名ほど入る大きさと言ってもやはり狭く、換気がよろしくない。

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 そこで、大聖堂にて撮影することにしました。この頃には、機材も整いはじめ、さらに大聖堂の音響機器は新しいもので、音をとることも地下よりは容易になります。ただ今度は、大聖堂は非常に巨大な空間で、予備の椅子も出せば千人ほどが入れる空間ですから、カメラを3台駆使して撮影することで、わかりやすさと荘厳さを両立させることになりました。

 一番最初に大聖堂から配信したときは、映像が安定せず、ツイッターなどでいろいろご意見をいただきましたが、担当の信徒ボランティア(この段階では3名)の努力で、様々な機材が「開発され」、無線で方向を変えたりズームしたりすることもできるようになり、一台をオルガンへ上がる階段、もう一台を聖堂右側にポールを立てて固定、そしてもう一台を移動用にして、映像を調整することができるようになりました。特に土曜の夜などに、改善のために遅くまで取り組んでくれて、感謝の言葉しかありません。また3名のボランティアの方と一緒に、努力を続けている天本神父にも感謝です。

 生中継で字幕を入れるためには、事前に原稿を用意して、ミサ当日にはそのまま読み上げなければなりません。また字幕入れは、画像調整の場で、事前に用意した画像を重ねる形で、その場で手作業でタイミングを計っています。聖週間の典礼のように、普段と異なる場合は、事前の打ち合わせが不可欠ですが、そのために充分な時間をとることも難しく、ミサが始まる直前まで直しが入ったり、大変な努力をして頂きました。そのため中継中に少し異なる文面になったりしたところもありました。申し訳ありません。

専門家ではない信徒の方々の、この積み重ねで到達した映像は、聖週間の映像をユーチューブで見ていただければおわかり頂けると思いますが、専門家に外注したわけではなくて、教会のメンバーの手作りです。感謝の言葉しかありません。

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 さてここからは感染予防の課題です。まず第一に、映像は遠くからズームで撮影するので、前後の距離感がうまく表現できません。そのため祭壇上などでは、司祭と侍者が重なって見えていますが、これは写真のように、前後が2メートルも離れています。(赤い椅子が司祭、白い椅子に侍者が座っています)

 さらに聖堂内のベンチは、これも写真を見て頂くとおわかり頂けると思いますが、通常の倍の距離で配置されています。前と後ろの間は1.8メートルです。そして通常は4名ほどが座るベンチに、一人だけ座って頂くように、テープで指定をしました。

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この写真は、以前の聖堂(右側)と、現在の聖堂(左側)です。

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 聖歌を歌ってくださるカリタス会のシスターや志願者10数名には、離れて頂くために、祭壇から遠い大聖堂の一番後ろに、左右に大きく離れて、それぞれの距離が2メートルになるように、配置して頂いています。そのため、一番左にいるシスターなどは、右にいる指揮者のシスターを見るために、ミサ中には前でなく右を見て歌を歌って頂くなど、ご苦労をおかけしています。様々なご苦労と工夫に、本当に、感謝しています。

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 さらに、大聖堂は暖房を入れると内気循環になってしまうので、すべての典礼の時には、暖房を使っていません。寒いです。さらに、さらに、大聖堂は、前の左右の扉を開け、正面の扉を開けているので、風が吹いています。お気づきになったかも知れませんが、聖金曜日の典礼での説教中に、説教の原稿をこの風で飛ばされそうになり慌てました。(上は、復活の主日のミサの説教中です。映像には映らない、大聖堂の空っぽなところが見て取れるかと思います)

 ミサ中にも、いくつかの細かい変更をして、接触を減らそうとしています。奉納のところと、平和の挨拶の後には、祭壇の後ろで、わたしと司祭たちは手指をアルコール消毒しています。わたしも消毒した直後以外では、ホスチアに触らないようにしています。また、これもズームのため映像ではわかりにくいと思いますが、祭壇でのわたしの立ち位置は、普通よりも後ろに離れていて、後ろに1メートル以上下がって、祭壇中央に置かれたカリスからの距離を2メートル近くにして司式しています。

 聖マリア大聖堂は、他のいくつかの聖堂と比較すると、巨大な建造物で、かなりの間隔を空けていても、見た目にはなかなかわかりにくいかとは思いますが、これからもできる限りの注意を払って、取り組んでいきたいと思います。

 なお、昼間のミサですと、何名かの方が教会に来られて、聖堂の中に入られることを希望されますが、大変申し訳ないのですが、お入れすることはできません。感染予防の意図と、行政が要請している外出自粛の意図を、どうかご理解ください。できる限り、ご自宅で、祈りの時を一緒にしてください。インターネットがない場合は、同じ時間(日曜日の10時から)に心をあわせて、聖書と典礼などから朗読を読み、祈りでご一緒ください。お願いします。

 東京カテドラル聖マリア大聖堂の、非公開ミサに入って頂くのは、現時点では、わたしの方からお願いする修道者の方と、配信のためのスタッフだけに限らせて頂いています。「シスターではなくて、ベールをかぶっていないから信徒がいた」というご意見をいただきましたが、それはカリタス会の志願者か、パウロ会のシスターであろうと思います。

 公開ミサの中止期間にあっては、これからもこの形でミサの中継を続けていくつもりでおります。通常の事態に戻ったらどうするのかは、まだ決めかねています。今の状況では、中心になって動いてくださる信徒に大きな負担がかかってしまうので、普通の状態に戻ったときには、また協力者を増やすなどして、対処できれば良いなとは思っています。

 何気なくネットで配信しているように見えますが、本当に多くの方の協力と、そして今の事態では細心の注意を持って、成り立っていることを、ご理解頂ければと思います。協力くださっている信徒の方々、シスター方に、感謝します。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・Sr.阿部のバンコク通信 ㊷聖週間そして「国際母なる地球デー」-試練の時を乗り切れるように祈る…

 3月22日、夕の食卓で、「『Earth Hour』知ってる?午後8時半-9時半、全ての電気を消して、地球への感謝と節電、いたわりの思いで連帯するの」と姉妹。

 そこで私も連帯して実行。自室で電気を消し、扇風機を止め、読書と繕い物。汗が吹き出し、団扇で扇ぎながらローソクの光で仕事をしました。暑季を迎え、気温上昇中の亜熱帯バンコクの夜間は33度前後。サウナ同然です。日中は38度前後にも。これから夏を迎えるという時の『Earth Hour』は、すこぶる効き目ありでした。

 1時間の間に浮かんだ思いは数々。遥かなる世界、宇宙の彼方に。電気の無い山岳民の村に神学生たちとボランティア体験学習に出かけ、ニワトリの目覚ましで起床、陽の光で明け暮れ、ローソクの灯でミサ、夕食、分かち合い。見上げる空には瞬く満天の星… 計り知れない恩典に浴しながら、資源を使い放題の至極便利な生活。どこに向かい、何を求めて突進している?振り払われてこぼれ落ちる人々… そしてモノ。

 小さな、目に見えない新型コロナウイルスで騒然とする社会、私も「70歳以上は外出禁止です」と姉妹たちに厳しく言い渡され、大人しく編集の仕事などに集中するここ一週間です。祈りにも拍車がかかり、姉妹たちと顔を合わせ、食卓を共にする、お休みのような毎日です。お陰で、足腰の痛みも和らぎ、体調も整いました。

 4月22日は「国際母なる地球デー」。国連総会で採択され2010年から実施されています。日本国際連合協会から国際連合に贈られ、国連本部に置かれた「日本の平和の鐘」が毎年、鳴らされています。

 地球環境を優しくいたわり、美しい人類の家を大事にする、そして人が健康で、優しい、きらめき輝く、聡明な姿を取り戻るために、新型ウイルスによる苦しみと試練の時を、世界の人々が皆、連帯して生き抜いていくように、と合掌する手に力が入ります。

 聖週間、主のご受難とご死去に与り、ご復活の喜びを名実ともに迎えることができますように。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2020年4月1日 | カテゴリー :

・三輪先生の時々の思い ⑯コロナの危機は「英雄待望論」

 最近はコロナで暮れてコロナで明ける日が続いている。新型コロナウィルス感染症のことである。

 手元の『広辞苑』には「太陽大気の外層…」として、天文学用語の第一義のみが示されている。情報伝達手段の先端をゆくGoogleで「コロナ」と引くと「新型コロナウィルス感染症CONVID19」と出る。

 ウィルスとしては人類のすぐそばに、体内にもいるのに、コロナ本来の意味の「太陽大気の外層」ととらえれば、1億4960万㎞隔絶している。いわゆる「天文学的数値」である。1光年=9兆5000億㎞として、実に1581光年となるのである。

 感染症CONVID-19としてのコロナに打ち勝つのには「不要不急の外出を避け、外出したら帰宅時によく手を洗う」という自衛策が推奨されている。多種多様な個々人の集合体である現実の人間社会がこれでコロナ禍を完封できると信じているものはいないだろう。

 あとは神頼みか。いや偉大なる政治指導者への待望だろうか。そこに民主主義の陥穽がある。人々は何時の間にか独裁者を選出してしまっているのに気付くだろう 。しかし、時すでに遅し、後の祭り、である。

 コロナがもたらす危機は医療に限らない、もっと深甚なる危機は「英雄待望論」に乗ってやって来る、と知るべきである。

( 2020. 3. 31記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大学・博士)

・ガブリエルの信仰”見聞思” ⑤贖いは暗闇の中で…

 公開の御ミサにあずかることができない、また肉体的ご聖体拝領もできない状況は1ヵ月続いてきましたが、新型コロナウィルスのパンデミックで感染者数が日に日に増加し、深刻化しつつある中、このような状況は当面、無期限に続くことになりそうです。

 四旬節中、そしてこれから迎える聖週間と、全典礼暦年の頂点となる聖なる過越の三日間と復活祭を祝う御ミサにあずかることができないなんて、世の中のカトリック信者では誰も想像したことがないことです。

 このような予期せぬ変化や苦しみによって揺さぶられている世の中、私たちは実に大きな試練に直面し、私たちの信仰が厳しく試されていると思います。

 私たちの生活の暮らし方、更には礼拝の仕方を変えているこのパンデミックはいつまで続くのか誰も予測できない中、人間の無力さをあらためて実感させられています。しかし、私たちが抱えているこの無力感は、私たちが神様に依存することはいかに重要であるかを示しています。また、この無力感こそ、聖なる御ミサの欠如は無駄にならない、実りのないことではないという、深い不変の謙虚さを齎してくれると思います。

 最後にあずかった御ミサは一ヵ月前の四旬節の始まりである灰の水曜日でした。灰の式で、司祭を通して、主イエスが「回心して福音を信じなさい」(マルコ福音書1章15節)と仰せになり、私の額に灰を付けられました。

 私たちは四旬節を通して、荒れ野での主イエスの神秘に心を合わせ(カトリック教会のカテキズム、540番参照)、主イエス・キリストに目を向け、神の御言葉に耳を傾け、絶えず祈り、内的と外的の断食、善行を通し、悔い改めて神様に心を傾注するよう、呼びかけられています。

 御ミサにあずかることすらできない、不確実性や苦しみに満ちた暗闇に陥った今日のご時世でも、主イエス・キリストは変わらずに私たちを呼ばれています。

 暗闇の中で、強風と波が襲い掛かった舟に乗っている弟子たちが溺れ死ぬのを怖がっていた時、主イエスが嵐を鎮められ、「なぜ怖がるのか。まだ信仰がないのか」と仰せになりました(マルコ福音書4章37-40節参照)。暗闇の中で、荒れている湖の上に歩かれた主イエスは「安心しなさい。私だ。恐れることはない」と仰せになりました(マタイ福音書14章27節)。

 主イエス・キリストは嵐と暗闇を支配されています。しかし、私たちがしなければならないことは、荒波と暗闇から目を離し、私たちの主に焦点を戻すことです。この暗闇と嵐の時期で、私たちは神聖なるエウカリスチア(感謝の祭儀・御ミサ)でご聖体を拝領することができないかもしれませんが、主の食卓ともなる神の御言葉を毎日拝受することができます。

「教会は主の体を崇敬するのと同じように、聖書を常に敬ってきました。教会は、神の言葉とキリストの体の食卓から受ける生命のパンで、絶えず信者を養っていきます」(カトリック教会のカテキズム103項)

「教会は聖書の中に、常にその糧と力を見いだします。なぜなら、聖書の中で、単なる人間の言葉ではなく、神の言葉そのものを受け取っているからです。『聖書において、天におられる父は、深い愛情をもって、常にご自分の子供たちと会って、互いに語り合うのです』」(同104項)

 私たちは、キリストの御体を再び拝領できるのを待ち望んでいる間、キリストである神の御言葉を引き続き拝受することができます。御ミサの聖書朗読は誰でもいつでも読むことができます(※)。暗闇の中でも、嵐の中でも、主イエスは私たちと共におられ、絶えず私たちを呼びかけられています。

 「安心しなさい。私だ。恐れることはない」(マタイ福音書14章27節)。「見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう」(黙示録3章20節)。

 暗闇の中でも、嵐の中でも、神様は、ご自身にもっと委ね、ご自身の導きの御手を信頼するよう、私たちを呼ばれています。

 「しかし、今からでも、心を尽くし、断食と泣き叫びと嘆きをもって、私に立ち帰れ」(ヨエル書2章12節)、「心を尽くして私を尋ねもとめるならば、私は見いだされる」(エレミヤ書29章13節)。

 贖いは暗闇の中で起こります。

 「『闇は私を覆い隠せ。私を囲む光は夜になれ』と言っても、闇もあなたには闇にならず、夜も昼のように光輝く。闇も光も変わるところがない」(詩編139編11-12節)。

 現在のパンデミックが速やかに終息することを祈り続け、絶えず私たちの主を求めましょう。この大きな試練の中におられる主への信頼を深め、私たちの生活が元に戻り、再び私たちの御父のお家で自由に礼拝できるようになる日を、心から辛抱強く待ち望みましょう。

(ガブリエル・ギデオン =  シンガポールで生まれ育ち、日本在住のカトリック信徒)
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※参考
・「毎日のミサ」 https://www.cbcj.catholic.jp/publish/massz/ ・「日ごとの福音」 https://www.higotonofukuin.org/

2020年3月30日

・Sr.石野の思い出あれこれ ㉑ローマの修道院生活の日々…シスターたちの無事を祈る

 一日の日課はきちんと決まっていて、鐘が時を告げてくれる。だから、だらだらと過ごす時間はない。それでも、昼食後には午睡の時間、夕食後にはリクレーションの時間と、緊張から解放されてリラックスする時間があった。

 夜のリクレーションは楽しかった。冬はサロンで、夏は屋上で皆で円陣をつくって簡単なお縫物をしながら、一日を振り返っていろいろ話しあったり、小話や
笑い話が得手な人たちが毎晩いくつかをご披露してみなを笑いに誘ったりした。

 どんなに楽しく笑い興じていても、就寝の鐘が鳴るとピタッとやめて大沈黙に入る。40人くらいの志願者が(準修練期の私たちは人数が少なかったので、大部分の時間を志願者といっしょに過ごしていた)わいわいがやがや騒いでいるのに、鐘の合図とともに沈黙に入るのは、実に気持ちがよいものだった。

 志願者の寝室は大きな部屋で、一人一人のベッドがカーテンで仕切られていた。当番の志願者がマリア像の前で「イエズスの御母聖マリア、われらを聖ならしめたまえ」と、大きな声で100回唱えるうちに、ほかの志願者たちは皆、ベッドに入っていなければならない。唱え終わると電気は消され深い、深い沈黙。

 昼食の後は午睡をする代わりによく散歩にも行った。ローマは古代キリスト教に関係のある名所旧跡が豊かだ。修道院を出て西の方に15分も歩くと、ローマにある四大聖堂の一つで、聖パウロの遺体が保存されているといわれる聖パウロ大聖堂がある。また反対方向におしゃべりをしながらゆっくり歩いても25分くらい行くと、静かな森の中に有名なトゥレフォンターネがある。

 聖パウロが斬首されて殉教した場所といわれている。トゥレフォンターネとはイタリア語で三つの泉という意味。古くからの言い伝えによると、斬首されたパウロの頭は三回、地面にバウンドした、そして、その場所から泉が湧き出た。それで、この地のことをトゥレフォンターネと呼ぶとのこと。

 今は、泉は大理石で覆われていて、見ることはできない。覆っている大理石に、聖パウロの頭の彫像が刻まれている。

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 多くの楽しい思い出を私の心に刻んでくれた懐かしいローマの修道院も、今は新型コロナウイルスの脅威にさらされている。ローマからの便りによると、シスターたちは全員無事、もっぱら修道院の中に閉じこもっているとのこと。一日も早い終息を心から祈るばかりです。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

2020年3月30日 | カテゴリー :

・Sr. 岡のマリアの風 ㊾「小さないのちが『危機』の中で生まれた」-北イタリアの友から

 新型コロナウイルス感染拡大に襲われている北イタリアの友人から今朝、一通のメッセージが届きました。

 友人はミラノ教区の信徒。「自分の娘に、男の子、Peter(ピーター)が生まれた」と。ミサや教会での儀式が停止している同教区で、一つのいのちが生まれた!しかも、現地時間の3月25日、「神のお告げ(受胎告知)」の祭日に!

 「今日、私たちの孫、ピーターが生まれた!!!」というイタリア語のメッセージを見て、神さまはどんな時にも、そして特に困難な時に、私たちのことをいつも気にかけてくださるのだ、と私は感動し、神さまに感謝し、賛美しました。

 まさに昨日、受胎告知の祭日に、教皇フランシスコは、ビデオ・メッセージでの一般謁見で、25年前のこの日、聖ヨハネ・パウロ二世が、回勅Evangeliumvitae(『いのちの福音』)を公布されたことを思い起こしました。

 いのちについての回勅が、神のお告げの祭日に公布されたのは偶然ではない、とパパ・フランシスコは私たちに気づかせます。

 「神のお告げ」と「いのちの福音」の間の絆は、緊密で深い。聖ヨハネ・パウロ二世が回勅の中で強調したように。

 今日、私たちは、人間のいのちと、世界経済を脅かす新型コロナウイスの世界的感染の状況の中で、この教えに再び注意を呼び起こしています。今の状況は、回勅の始めの言葉を、さらに重要なものにしています。聞きましょう:「いのちの福音は、イエスのメッセージの中核に位置します。教会は、いのちの福音を日ごと心を込めて受け止め、あらゆる時代、あらゆる文化の人々への『よい知らせ』として、あくまでも忠実にのべ伝えなければなりません」(1項)。

 今、私たちの山の中の本部修道院では、毎日ミサ、日々の祈りが捧げられています。この小さないのちのため、彼女の家族のため、そして世界中の家族のため、一つ一つの大切ないのちのため、母である教会の懐で、信頼をもって祈ります。

 「今、ここ(イタリア)は夜中です。おやすみなさい。偉大なことでいっぱいの一日でした。お願いです。私たちのために祈ってください。幸いにも、Arianna[彼女の娘]は、この私の孫に洗礼を授ける意志があるようです。私はこのために闘わなければならないと思っていました。感謝!」

 「大丈夫、ここ(日本)では、私たちは起きたばかり。代わりにあなたの家族のためにお祈りを続けるから、安心して休んでね!」

 「ありがとう!」

 こうやって、メッセージのやりとりは一時、終了。

 彼女の娘、Ariannaは教会から離れていました。私の友人は、この子に洗礼を授けさせるよう「大きな闘い」をしなければならない、と覚悟していたようです。

2020年3月26日 | カテゴリー :

・Sr.岡のマリアの風 ㊽ルーマニア、ローマ出張報告⑴

【出張の目的】

①ルーマニア訪問:エキュメニカルな「ビザンティン・マリアン・センター」設立準備をしている、Ionuţ Blidar神父(ギリシャ・カトリック教会[ビザンティン典礼])から、わたしが「アジアとオセアニアのマリアン・アカデミー」(AOMA)の秘書として招待された。わたしたちが同じ「東方」であること、また、同じように、さまざまな宗教、キリスト諸教会が混在する現実を生きていること、さらに「平和・いのち」のために境を越えての協働を模索していることで、互いの経験、思いを分かち合い、さらに大きな協働の輪を広げるため。

②ローマ訪問:AOMAの活動について、また、今年九月に開かれる「教皇庁立国際マリアン・アカデミー」(PAMI 主催の国際会議での、アジアとオセアニア部門の貢献についての話し合いのため。

2月17日(月):羽田出発

 長崎地方が雪の予報。予定より1便早い飛行機に乗る。空港に行く道で、雪が降り始める。羽田空港に着くと、打って変わって暖かく、晴天。春のよう。羽田空港は、新型コロナウィルス対策のためだろう、なんとなく物々しい。みなさん、マスクをしているけれど、欧米系と思われる旅行者たちは、ほとんど付けていない。客室乗務員も、マスクと、ナイロン手袋使用 NHK交響楽団の方たちが、同じ飛行機に乗るらしい。皆より先に、楽器を持って乗り込んでいる。

2月18日(火):ウィーン乗り換えでブダペスト(ハンガリー)へ

 早朝、乗り換えのウィーン空港着。コロナウィルスの影響があるかと心配していたけれど アジア人だからバイキン扱いされるとか、いろいろ質問されるとか 、まったくそんなことはなく
、パスポート・コントロールも並ぶこともなく、質問もなく、さっさと通過。もちろん(?)、マスクをしている人は皆無。羽田の、あの緊張感はなんだったんだろう。ほっとするが、大丈夫なのだろうかと、かえって心配する。

 空港内では、人々の列が出来ていた生ジュースのお店で、ミスター・ミントという名の、りんご、バナナ、ミントなどのミックス・ジュースを注文して飲む。プラスチックの大きなコップに、なみなみと入っている。おいしい。

 日本から、EU諸国への飛行機乗り換えは、空港によって、かかる時間が、ひじょうに違う、といつも経験する(一度、ドイツのミュンヘン空港だったか、延々と歩いた上に、パスポート・コントロールで、これまた延々と続く列に並び、乗り継ぎに一時間以上かかったことがあった) ウィーン空港乗り換えは、スムーズだし、歩く距離も短い(空港によってはターミナルが異なり、電車、バス、または歩きで移動しなければならない。まったく訳が分からなかったのは、数年前に行った中国での、上海空港乗り換え)

 乗り換え時間に余裕があるので、休憩エリアで休む。ブダペストへの飛行機は、 オーストリア航空のプロペラ機(さすがに、プロペラ機は久しぶり)。左右2列の座席、客室乗務員は二人 空いているし、 さながらバス旅行感覚。風は冷たいが、よい天気。座席の上の収納スペースが小さいので、飛行機に乗る前に、手荷物をワゴンのようなものに乗せて預ける(これは、ポーランドの小さな飛行場でもそうだった)。

 飛行機に乗り込み、プロペラが大きな音を立てて回り始める。まことにすごい音。ゆっくり進みながら滑走路へ。 けつこうガタガタ揺れる。こんなことで飛ぶんだろうか、と思ったが、滑走路で助走を始めるとかなりのスピードが出る(当たり前だけど)。

 今回、ルーマニアに招待してくださったのは、ルーマニア人でギリシャ・カトリック教会所属のP. Ionut Blidar神父(「ヨハネ神父」:Ionutは、福音作者「ヨハネ」のルーマニア語)。イタリアのベネツィアとローマで、ビザンティン典礼・神学を学び、ローマのアントニアヌム大学で博士号取得、PAMI(教皇庁立国際マリアン・アカデミー)の、各地の「通信(連絡)会員」である。今、PAMIの助力のもと、ルーマニアに、「ビザンティン典礼の、エキュメニカルなマリアン・センター」を設立するために尽力している。東方教会の司祭で、奥さんがいて、男の子が生まれたばかりだ。

 ちなみに、P. Ionuţは、ルーマニア語では、Părinte(「神父」)Ionuţ Blidar。 Blidarは「器を作る人」の意味だそうだ。(「Ionuţ」は、わたしの耳には「イヨヌッツ」と聞こえる。最後のtの下にひげが付く)。

 【ブダペスト(ハンガリー)で夕方まで】

 ブダペストはハンガリーだが、 P. Ionut(ヨハネ)が住んでいるところは、ルーマニアの西の端、ティミショアラ(Timisoara)という町で、国際空港としてはブタペストが一番近い。
ウィーンを離れ、飛行機の窓から見ると、どこまでも続く平野に 風力発電の白い柱が点在している。 40分くらいで、ブダペスト着。福岡・釜山間よりも短い。

 荷物を取って出てくると、P. Ionutは、まだ来ていない まったく未知の場所なので、とにかく待つ。空港のフリーWiFiに繋がったので、「 今着きました、待っています」とメッセージを送る。ぼーっと立っていると、空港案内のお姉さんが近寄ってきて、「何か、お困りですか?」。「人を待っています」と言うと、(わたしの荷物が多かったので、人通りの邪魔をしていたらしい)「こちらの柱の近くに寄って待っていてください」と親切に。よく見ていると、このお姉さん、ちょっと困っているような人のところに、さっさと行って、声をかけている。

 まもなく、P. Ionutからメッセージ 「ようこそ!もう着いたの?僕たちも空港にいるよ、今、どここ」。「あの」お姉さんを呼んで、ここは第何ターミナルですか?と聞く。「第2Aターミナルの到着ロビーです」と丁寧に教えてくれる。その通りP. Ionutに返事。「動かないで待ってて!」と神父から返事。よかった。

 ほどなく、P. Ionutと、 友人で東方教会の信徒であるCosmin コスミン さんが迎えに来る。 P. Ionutは暑がりらしく、けっこう軽装。彼らは、わたしの飛行機が着いてから、わたしが出てくるまで もっと時間がかかると思っていたらしい。実際、バス旅行くらいの人数だったので荷物はすぐに出てきたし 、パスポートコントロールはウィーンで済ませていたので、出てきたのは、日本の国内線よりも早かったかも知れない。

 Cosminさんの運転で、11時半前に空港を出発して 夕方まで、ブタペストの町を回る。主に見た場所は ブタペスト中央駅 ハンガリーの保護の聖人、聖ジャラルド(Gerardo Sagredo 980年、ベネツィア―1046年、ハンガリー)の大きな像が町を見下ろしている公園。ゴシック式のカテドラルのような議事堂 、カテドラル(司教座聖堂)(入場料有りだったが、「司祭と修道者は無料でどうぞ」と言われる)。 無原罪の聖母像が中央祭壇の上にある ゴシック様式だが、柱など色鮮やかな彩色。これは、ルーマニアの教会でもしばしば見られた。

 ハンガリーも、ルーマニア同様、共産主義政権を経験した。通りの建物を見ていると、ひじょうに繊細な彫刻、飾りが施されている古い建物と、みんな同じ形の、そっけないアパートのような建物が混在している。後者は「それまであった建物を壊して、共産主義政権が建てたものだ」とP. Ionut。場所によっては観光客でにぎわっているが、全体的に「灰色の町」という印象を受けたのは、わたしだけだろうか。

 夕方、ブタペスト出発 車の中で、もうれつに眠くなる(時差ぼけのときは、いつもこのように急激に眠くなる)。 途中、コーヒー休憩(これはもちろん、運転手のコスミンさんのため)。コスミンさんに、「おなかすいていませんか?何か食べますか?」と聞かれるが、ジュースだけでいいです、と言うと、遠慮していると思ったのか(?)、チョコレートを二つ買って、持ってきてくれる。

 【ティミショアラ(ルーマニア)に到着】

 ハンガリーとルーマニアの国境、パスポート・コントロール所で「どこから?」と聞かれる。「日本から 」と答えると、「ちょっと待ってて」と警備員 。新型コロナウィルス関係で問題なのか、と心配するが、すぐに戻ってきて「どうぞ」。 よかった。

 二人は、「さあ、ここからルーマニアだよ。ようこそ、僕たちの国に」。P. IonutとCosminさんが住んでいるTimișoara(「ティミショアラ」と発音)は、Timiș(ティミシュ)地方に属している。

 Timișは川の名前。さらに、Timisc地方は、Transilvania(トランシルヴァニア)地方-現在のルーマニアの西方半分以上を占めている―にある。Transilvaniaは「森の奥(後ろ)」を意味し、かつてのオーストリア・ハンガリー帝国で、1917年、ルーマニア国として統一された。ルーマニアの中で「西洋化」された、生活水準が高い地方だ、とP. Ionutから説明を受ける。

 宿泊場所は、P. Ionutが、彼の家の近くの(同じ通りらしい) 小さなキッチン付きの「アパートメント」に部屋を予約してくださった。 エキュメニカル・センターの宿泊施設は、まだ準備中なのでアパートに行く前に スーパーに寄って 明日の朝食のために牛乳、水、ビスケットなど購入(21時、閉店ギリギリだったので、パンはなかった) 。日常の小さなことに関する、この辺の気遣いは、彼が家庭をもっているからかもしれない。

 アパートに着き、荷物を下ろす。P. Ionutが「自分はミサを捧げるが、よければ、ここ(アパートの部屋 )で捧げてもいいですよ。疲れているなら、僕は家に帰って捧げます」と言ってくれる。「ミサにあずかりたいです」と言うと、P. Ionutは、アパートの一室の机の上に祭壇を準備(イコン、ろうそく… )し、イタリア語で、東方典礼のミサを捧げてくださった(イタリア語のミサ、教会の祈りのテキストは わたしのために準備してくれていた)。

 ミサの後、祭壇(となった机)はそのままにしておいてくださる。「いつでも主の前で祈れるように」とP. Ionut [写真]

 「明日の朝はゆっくりしましょう」と言って、P. Ionutは家に帰る。寝たのは夜中ごろ。 P. Ionut、コスミン氏のほうが、よっぽど疲れただろう…  感謝!

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

 

2020年3月14日 | カテゴリー :

・菊地大司教の日記 (59) 3月11日-「あの日」から9年目

 「展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です」

 昨年11月に日本を訪問された教皇フランシスコが、東北の被災地の方々との集いで語られた言葉です。

 2011年3月11日の「あの日」から、今年で9年という時間が経過しました。東日本大震災からの復興への取り組みは続いており、日本のカトリック教会の支援の取り組みも、今日から10年目に入ります。

 あらためてこの大震災で生命を落とされた方々と、それ以降の様々な状況の中で亡くなられた方々の、永遠の安息をお祈りいたします。

 9年前、復興支援の活動を始めたときには、いまの日本の国力と技術力を持ってすれば、数年のうちに被災地は見事に復活するだろうと、単純に考えていました。

 しかし復興の歩みとはそんな単純なものではなく、単に資金と技術をつぎ込んで、インフラを元に戻したり整えたりすることだけで、復興は成し遂げられないのだと言うことを、わたしたちは体験から学んできました。

 この9年間の東北の方々との歩みが、「復興」とは「元に戻す」ことではなくて、「新たな希望を生み出し歩み続ける」ことだと、わたしたちに教えています。

 教皇フランシスコは、日本訪問を計画されていたときから、ぜひとも東北の被災者の方々と会いたいという希望を表明しておられました。時間的制約もあり、残念ながら東北の地に足を運んでいただくことはできませんでしたが、東京において東北の被災地の方々と集いを開き、教会との関わりがある方が主ではありましたが、被災された方々、支援の中で道をともに歩んでおられる方々と出会っていただきました。

 教皇は、羽田空港に到着した直後、教皇庁大使館で日本の司教団と会い、東北の被災者との集いに関連してこう述べておられました。

「今なお続く彼らの苦しみを見ると、人として、そしてキリスト信者として、わたしたちに課された義務をはっきり自覚させられます。身体や心に苦しみを抱えている人を助け、希望といやしと和解という福音のメッセージを、すべての人に伝えるという義務です」。

 そして東京において開催された集いでは、こう言われました。

「食料、衣服、安全な場所といった必需品がなければ、尊厳ある生活を送ることはできません。生活再建を果たすには最低限必要なものがあり、そのために地域コミュニティの支援と援助を受ける必要があるのです。一人で「復興」できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です」。

 その上で、現代社会に蔓延する利己主義と無関心を「悪」と指摘した上で、「家族の一人が苦しめば家族全員がともに苦しむという自覚をもてるよう、力を合わせることが急務です」と呼びかけられました。

 確かに災害などからの復興のためには、衣・食・住の充足は不可欠な要素であり、人間のいのちを守るために忘れてはならない要素であります。しかしながら人間は、それだけでは生きていけないのです。人間が豊かに生きていくために必要なのは、教皇が不可欠だと言われた、「展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会い」であります。

 衣・食・住は、外から持ってくることができるものです。しかし希望と展望は、誰かが外から持ってきて与えることのできるものではありません。それは人の心の中から生み出されるものであり、そのためには、「友人や兄弟姉妹との出会い」が不可欠です。

 カトリック教会の復興支援活動は、教会が災害の前から、そして災害の間にも、また災害の後にも、その地域の一員として存在していることから、つねに地域と密着して行われてきました。教会は、どこからかやってきて去って行く存在ではなく、ともに道を歩みながら、友として、兄弟姉妹として、災害から復興する道を歩んでいる方々と出会い、その心に希望と展望が生み出されるように、きずなを深めようとしてきました。

 同時に、教会の活動は、全世界に広がる教会のネットワークを通じて、世界中からの祈りによって支えられています。教会の活動は徹底的にローカルでありながら、祈りを通じてグローバルであります。

 カトリック教会は、教皇フランシスコの言葉を心に刻みながら、東北の方々を家族の一員として互いに支え合う活動を、これからも継続してまいります。

 復興庁の統計によれば、今年の1月の段階で、いまだに4万8千人を超える方々が避難生活を送られているといいます。これほど多くの方が、普通の生活を取り戻すことができない状態が続いていることを、私たちは心にとめなくてはなりません。

 とりわけ、原子力発電所事故の影響が残る福島県内では、復興の歩みにはさらなる時間が必要であり、公式の統計には表れない避難者の方々も全国に多数おられると推測されます。人生の道筋が予想もしなかった困難な道となってしまった多くの方々が、忘れ去られることのないように、カトリック教会のネットワークを生かしながら、ともに歩み続けたいと思います。

 大震災から9年となりましたが、10年目以降の関わりも視野に入れながら、継続してともに道を歩み続けましょう。

 東日本大震災からの復興の道を歩んでおられるすべての方々に、そして復興のために日夜活動されている多くの方々の上に、いつくしみと愛に満ちた神の祝福があるように、お祈りいたします。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・ある主任司祭の回想・迷想 ③聖金曜日に倣う日々-ミサがない時こそ、ミサを味わいなおす

 新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、カトリック東京大司教区では公開のミサの中止を各小教区に公布し、結果、私たちは、しばらくミサのない日々を過ごすことになりました。

 もともと、ミサができない日があります。年に一回必ずあります。それが「主の死」のみ記念する「聖金曜日」です。そうです。「ミサ」(感謝の祭儀)とは、「主の死と復活」を記念する儀式です。聖金曜日は「死」(ご受難を含めて)を記念して、復活の記念は翌日(聖土曜日~復活徹夜祭)から、その次の「復活の主日」に祝われます。ミサができるようになるのです。

 時々、こんな問い合わせのお電話を受けます。聖金曜日に、です。「今日の夜のミサは何時からですか?」。受けたほうも、えっ、と思うわけです。

 「本日ミサはございませんが」とお答えすると、「そんな、だって今日は『♩見よ十字架の木~』ってやる日でしょ」。そこで、「ああ、あれはミサではなく『主の受難』という礼拝なんですよ」と言うと、「だってご聖体いただくじゃない」と、とその人。

 なので、またそこで、「もちろん、聖体拝領はありますが、それだけではミサとは言いません。昨日(聖木曜日『主の晩餐のミサ』)で聖別したご聖体を、今日、いただくわけです」。すると、「へ~、そうなんだ、知りませんでした」。

「ちなみに、今日の聖金曜日(主の受難)の典礼は午後7時からです」。「分かりました。ありがとうございました」。

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 今回は「公開のミサ中止」ということなので、主日だけでなく、公開であれば週日もこれに含まれるのですから、毎朝ミサに出席している人(修道者に限らず)からすれば、まるで「ミサをしてはいけない日である聖金曜日」のような日々が続いているような感覚ではないでしょうか。もっとも、そこまでのミサ理解に及ばない上記の例もあるわけですが…

 最近では、主日であってもミサが行われない(というよりそれが無理な条件下に置かれた地方の)教会や、司祭不足ゆえに主日は月一回のペースでミサの代わりに信徒が司式する「(聖体拝領を伴う)集会祭儀(言葉の祭儀)」を行なっている共同体もあるでしょう。

 ですから、あまり「あるのか、ないのか」だけを、共同体的な問題にしわ寄せしてはいけない、と思います。こうした時こそ、私たち一人一人が自らのミサ理解を振り返り、ミサの意味などを深く味わう準備の機会として生かしたいですね。

 ミサが共同の祈りの形を採るのは言うまでもないことですが、一人一人の思いには色々な差があることでしょう。人によっては、日々の労苦の慰めとしての心の拠り所、また、人によっては習慣的な営み、また、人によっては何かのお恵みをいただくための場。これらは確かにミサがもたらす要素ですが、むしろミサはこれら以前に「捧げる場」です。

 皆さんにとって、「いいミサ」とはいったい、どのようなミサでしょう。「歌が綺麗」「説教が面白い」「朗読や奉仕が丁寧で整っている」「深く祈れそうな雰囲気がある」「儀式もさることながら、その前後の対応が親切」などなど、でしょうか。

 確かに、そういうことが整っているのが望ましいかも知れません。しかし、本来のミサの重要性は「ミサそのもの」にあります。それ以外の”オプション”の部分にだけ「良さ」を見出しているとすれば、ミサを捧げることができない時に、ミサから離れてしまうこともあり得るのではないでしょうか。

 そもそも、今回のようにミサが行えない状況では、あれこれ言っていられなくなるわけですが、ミサが行えるようになった時、ミサ理解が少しでも熟したものとなっていれば幸いです。私自身も、今回、そうした思いで改めてミサを理解し直したい、と思っています。

(日読みの下僕「教会の共通善について」より)

 


2020年3月5日