・Sr.石野の思い出あれこれ ㉒これぞ「修練」、何ものにも代えられぬ宝

 だんだん日が経つにつれて修練のことが気になってくる。修練って、どんなことをするのだろう?同じ敷地内に住んでいても、修練女たちは立誓者や志願者たちと接したり、話すことは禁じられていたので、修練院の中の様子は少しも分からない。

 私たちの会の修練は、毎年3月19日(聖ヨセフの祭日)に始まり1年間続いて翌年の3月19日に貞潔・清貧・従順の向こう1年間の初誓願を立てて終わる。その間一か月以上修練院の外で過ごした人は、翌年3月19日が来ても誓願を立てることはできず、最初から一年間修練をやり直さなければならない。そんなことは、修練に入ってから、勉強して知った。

 私は修練に入る前に病気をして、他の姉妹たちと一緒に修練に入ることはできず、5月3日に一人で修練者たちのグループに加わった。一年間無事に続けることができたので、翌年の5月には誓願を立てた。

 修練は仏教の雲水のように、厳しい修行をする・・・という私の考えは全く外れていた。8か国(イタリア、フランス、スペイン、アイルランド、アメリカ、コロンビア、フィリピン、日本)から58人の修練女が集まり、国際色豊かではなやかな修練だった。

 広い教室で毎日、聖書や修道生活、修道会の会憲、教理学や修徳学などの授業がある。イタリア語はまだペラペラ話せるまでにはなっていなかったが、聞いたり読んだりは結構理解できるようになっていたので、毎日新しいことを学ぶのは、非常に楽しかった。その他、自習時間や使徒職の実践があった。特別に厳しい修行はなく、お食事も特別粗食というわけでもなかった。

 でも、例えば朝の洗面は、前の晩に洗面器に汲んでおいた水と、コップ一杯の水で済ませるのが慣例だった。慣れるまでこれは厳しく感じた。特に冬の寒い朝、石の床にひざまずいてベッドの下に置いてある洗面器を引っ張り出して、前の晩に汲んでおいた水を覆っている薄い氷を割って、その水で顔を洗うのはつらかった。

 時には涙がこぼれそうになったこともある。そんなときにこそ「これが修練」と、自分に言い聞かせて頑張った。ある種の緊張感のうちに今までは全く知らなった世界で新しい学を学びながら励む日々は新鮮で、何物にも代えられない宝のように思えた。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

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2020年5月1日