・三輪先生の時々の思い ⑲ボブ・ディランと日本兵

 ボブ・ディラン(Bob Dylan、1941年5月24日~)の自伝的叙述とされるChoronicles(年代記=Simon & Schuster 2004年刊)を読んでいて、吃驚したことがある。

 第二次大戦中の日本軍人の行為に触れたひとコマである。日本の軍人が敵の将兵を捕虜にすると、裁判もなしに処刑したことが知られているが、ボブ・ディランの著作では、斬首され切り落とされた生首を、並み居る日本兵が一人ひとり順番に剣付き鉄砲で突き刺す、と書かれている。

 私は既に一度、米軍人が日本兵(あるいはベトコン兵?)の頭蓋骨を、従軍記念のトロフィーのように扱っていることを耳にしたことがある。だが、「そんなことは、日本の兵士に限って、ありえない」と勝手に考えていた。ところが、ボブ・ディランの著作には、「トロフィー」ではないが、そのようなエピソードが紛れ込んでいたのである。

 処刑の「儀式」に参列し「観覧」させられた兵士全員が、斬首され切り落とされた生首を、順番に自分の剣付き鉄砲で突き刺すように命じられ、それに従った、というのである。

 昨日まで市井の人だった一般兵士に「殺人」など、容易にできることではない。人間としての心理的抵抗がある。その抵抗を打ち砕き、実践で「殺人」が、サッと出来るようにする訓練であった。

 ボブ・ディランは、「生首」が日本兵によって、次々に剣付き鉄砲で突き刺された、とだけ書いた。ただそれだけ。何のコメントもない。「ひどいな!」とか何とか…

 一語一語が宝石が何かのように、キラキラと輝き散りばめられているボブ・ディラン独特の華麗な文章である。ノーベル文学賞を授与された立派な文体である。この、日本兵がさせられていた、というエピソードは、あたかも熟達した職人の、たゆまぬ努力で完成した、類いまれな綴れ織りのタペストリーに、ただ、どこからか投げつけられた血玉の汚点のようにだけ、書き留められているのである。

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際研究所長、プリンストン大博士)

注:ボブ・ディラン=ユダヤ系アメリカ人ミュージシャン。70年代末には保守派のビル・グレアムの影響を強く受け、福音派に改宗し、コンサートでブーイングを浴びたが、ソニー・ミュージックなどによれば、83年以降はユダヤ教に回帰。「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」など多数の楽曲で、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたって多大な影響を世界の人々に与えてきた。グラミー賞アカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入り。2008年にはピューリッツァー賞特別賞を、2016年10月には「アメリカ音楽の伝統を継承しつつ、新たな詩的表現を生み出した功績」を評価され、歌手としては初めてノーベル文学賞を受けた。(フリー百科事典「ウィキペディア」より)

2020年7月5日

(投稿)新型コロナで大学のキャンパス長期封鎖・・半世紀前にも同じことがあった-そして大学新聞の役割  

   中国・武漢に端を発する新型コロナウイルス感染は世界約200か国に広がり、感染者は1000万人、死者は50万人を超え、終息の見通しは立たない。新入生を迎えて春学期に入った上智大学もキャンパスの事実上の封鎖が続く。だが、上智のキャンパスが長期封鎖という危機的状況に陥ったのは、初めてではない。半世紀前、世界中に巻き起こった学園紛争の嵐の中で、約半年間、キャンパスが封鎖されたのだ。(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

*紛争の嵐、上智騒乱、校舎占拠…

   1960年代半ばから後半にかけて、ベトナム戦争や日米安保条約改定に反対する運動が野党勢力を中心に激化し、連動する形で反体制を標榜する全共闘系学生たちによる学園闘争が全国の大学に広がった。上智大学でも、1968年秋には校舎群が暴力的に占拠、封鎖し、講義を始め学内の活動がほぼ停止した。

 ちなみに、当時の上智大学はすでに、大学当局と教職員、学生が協力して、大学改革に取り組んでおり、他大学に見られたような、反体制学生たちが“破壊的行為”をするための”正当”な理由はなく、多くの学生の支持を得られなかった。

  学内紛争が激しさを増す中で、かじ取りを任されたヨゼフ・ピタウ理事長ら大学の新首脳陣は良識派学生グループと協力して説得による封鎖解除実現に努めたが、封鎖学生の内部抗争もあって効果なく、同年12月下旬に機動隊による強制封鎖解除。荒らされた校舎の改修などのため翌年四月までキャンパスが閉鎖された。

 

*切望された「公正な報道機関」

   私が上智に入ったのは1965年。すでに危機の前兆があった。キャンパスの中を、「反帝国主義」「反安保」などを叫ぶ一部学生が、立て看板を背景に我がもの顔に闊歩し、入学前に想像していた静かな学究的雰囲気とはかけ離れたものを感じさせた。

 講義が始まって間もなく、ショッキングな体験をした。大教室で講義を始めようとした新聞学で日本的権威の教授を、数人の全共闘系学生が取り囲み“自己批判”を強要した。ショックを受けた教授は涙声で何か答えようとしたが、言葉にならない。学生たちは、教授を罵倒し、笑いものにしたのだ。

 議論したいなら、別の場所で正々堂々と主張を戦わせればいい。こんなことが当たり前になるようでは、高い授業料を払って学問をしに大学に来た意味がなくなる…。

 大学生活に慣れて分かってきたのは、こうした事態を解決しようとする動きが学内に見当たらないことだった。「上智大学新聞」は全共闘系の”宣伝紙“になっていて、学内の動きを客観的に知る手立ても、声を上げる手段もない。何とかできないのか…。

 そうしたある日、同級の某君から「大学と教職員、学生が協力して、新しい学内新聞を作る計画がある。会合に来てみないか」と誘われた。

 会場には二十人人以上の学生のほか、「上智大学新聞」の元編集長で上智職員の赤羽隆久氏、総務部長の河野義祐師が席を並べ、創刊の話があり、準備開始で合意した。

*たった3人で創刊、薄氷を踏む思い

 だがその後、読売や朝日と同サイズの新聞を毎月1回出す、取材も編集も印刷、発行の体制もゼロから、全共闘などからの妨害も覚悟が必要、などが分かってくると、多くの学生が去り、残ったのは、赤羽氏と新聞作成は初めての学生二人―卒業まで半年の法学部四年と外国語学部一年の私―の3人。

 赤羽氏から手取り足取りの指導を受け、悪戦苦闘、1965年12月1日、創刊にこぎつけた。しかし、出来上がったばかりの新聞を丸ごと燃やされたり、「大学当局の回し者」などと脅されたり。いつまで発行を続けられるのか…。まさに薄氷を踏む思いだった。

 それでも、地道に努力を続けていくうちに、協力者も増え、編集員は十人前後までになった。学園紛争の嵐が吹き荒れる中で、大学当局が教職員、学生と協力して大学改革に取り組む上智の動き。それを公正に、多角的に報道し、学内の皆が情報を共有すべく努めた。

*危機を乗り越えた全上智人の協力

 1968年秋、全共闘系学生たちによる校舎バリケード封鎖、占拠という事態は避けられなかったが、上智新聞の報道で現状をただしく認識する学生、教職員の大部分が危機乗り切りで足並みをそろえ、機動隊による封鎖解除、3か月半のキャンパス封鎖を経て、大学の機能は円滑に回復し、改革も進んだ。

 ピタウ理事長、守屋学長を中心に、学生の勉学、課外活動などに学生の主体性を尊重する大学運営の抜本改革、東大、京大、慶応、早稲田など、いわゆる”一流大学”の後塵を拝していた教授陣の抜本的なレベルアップなどに精力を注がれた。

 他大学では紛争終結後も、大学当局の硬直的な姿勢や学内紛争に我関せずの立場をとった多くの学生に失望した優秀な教員の離反など後遺症が長く続いたが、上智の場合は、学園紛争を結束して乗り越えた大学当局、教職員、学生の努力が速やかな立ち直りを実現し、上智の飛躍につながっていったのだ。

*飛躍へ、「上智新聞」の貢献

 ピタウ理事長はその後、学長などを経て、バチカンで教育省の次官になられたが、任期を終え日本に戻られて出された自伝で上智新聞を高く評価してくださった。

 「紛争当時の他の大学との際立った違いは、上智新聞が、学生や教職員に、適切な判断と対応を可能にする公正な情報を提供し続けたこと… 良識派学生や教職員を結集して紛争を乗り越え、大学を新たな発展につなげることに貢献してくれました」(上智大学出版刊「自伝・イタリアの島から日本へ、そして世界へ」)。

 上智新聞は、創刊号の論説で「全学生のために、全教職員のために…上智の伝統と育成のために、学内のニュースを的確に伝え、(学内)世論を集結し、学内を啓発する」と役割を規定した。具体的な対応は時代環境によって変わるとしても、基本は変わらない。

*活字離れの今、「読まれる」には

   新聞の命は一人でも多くの人に「読まれる」ことにある。一般紙でも、大学新聞でも同じだ。活字離れが深刻な現代では、なおさら、「読まれる」努力が必要だ。

  目を引く見出しや写真、レイアウトを工夫することも必要だが、大事なのは中身だ。世界、日本の社会、大学がどの方向に進み、読者の関心がどこにあるか的確にとらえ、それに応えつつ、編集者の思いを伝えることだ。それには識別力、判断力、文章力を磨く必要がある。

  “同好会のノリ”も時には役に立つかもしれないが、“面白がっているだけ”では、読者を惹きつけられず、飽きられる。

   難しいのは百も承知だ。だが、そうした努力を上智新聞の記者、編集者として重ねることは、学生生活を充実したものにし、社会に出た後、一生の中で必ず役に立つ。

  上智卒業後、読売新聞に入り、経済部記者、ロンドン特派員、論説委員、論説副委員長、東南アジア地域統括を務め、インターネット・メディアの最前線にいる筆者の結論だ。

(なんじょう⊡しゅんじ=1969年外英卒、上智新聞・初代論説企画委員長、第三代編集長、元読売新聞論説副委員長、現・中曽根康弘平和研究所研究顧問)

(「上智新聞」2020年7月1日号に掲載した筆者の寄稿を手直しの上、掲載しました)

 

2020年7月2日

・Sr.阿部のバンコク通信㊺「バナナの恵み」を日々かみしめる…

    小さな感動や驚きが、人生には尽きることがありません。こちらに来て初めて見たバナナの花、わぁ~、え~! と声が出るほど。大きな赤紫色の蕾、花弁が1枚開くと、子供の手のようなバナナの赤ちゃんがひと房顔を出し、次々と花弁が開き太い茎にたわわになり、立派なバナナに成長するのです。

 葉っぱが屋根のように茂った大きなバナナの木、見上げると、バナナは上弦状態(私の”バナナ”は下弦)で、次々と茎になっていました。バナナとバナナの花 の写真素材・画像素材 Image 12928922.

 バナナは実がなると枯れ、横から次々新しい茎が出る多年草。何と、食用、料理用だけで100種類ほどもあるそうです。果実は大変滋養があり、お腹の調子を良くしてくれます。茎は家畜の餌、葉は皿代わり、包んで蒸したり、生菓子の包み、敷物のゴザ代わり。花も食べられるのには驚き!

  ある日、姉妹がバナナの蕾でハンバーグを作ってくれました。筍のように皮を剥がして外側の花弁を除き、芯の部分を細かく刻んで卵、挽肉と粉で混ぜ味付けして揚げるのです。いゃ〜香ばしくて美味。バナナの蕾の酢の物のサラダ、これもまた格別。ご馳走に与ったフィリピンの友人が蕾を買って来て「作って」とリクエスト…。

 バナナのミルクシェィク、揚げてザラメで絡めた大学芋風バナナ、焼きバナナ、バナナチップ… まだまだバナナのおやつは続きます

 バナナ林や椰子の木々を貧しい街の界隈によく見かけ、摂理を感じ、うれしくなります。そう言えば、結構な生活源になる水牛にも見惚れてしまいました。立派な横綱のような角、ビクともしない灰色の凄い体格…。じっと見つめていると、身体の底から力が湧いて来ます。

 バナナや椰子の木が茂る南国に住んで感覚が全開。実物を見て全身の感性で捉える体験がどれほどの恵みかを、かみしめながら過ごしています。

 今の”道”に入る時、先ず神さまにお捧げした故郷への思い、私の人生を、摂理と恵みの、ど真ん中に導いてくれました。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2020年7月1日

・Dr.南杏子のサイレント・ブレス日記㊵ 「拍手」の終わりに

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、検査と治療の最前線で戦う医療従事者たちへ「感謝」を伝えるムーブメントが、世界各地で広がっている。

 大きなきっかけとなったのは、イギリスで毎週木曜日の夜に行われた「Clapfor Carers 」(医療・介護従事者に拍手を)という名の拍手運動だ。BBC放送などによると、ロンドン南部に住む女性会社員アンヌマリー・プラスさん(36)が運動の発起人だったという。

 プラスさんが3月20日にSNSに「26日午後8時に拍手をしよう」と投稿すると、反響は見る間に広がった。歌手のビクトリア・ベッカムさんや各界の有名人が次々と参加を表明し、ジョンソン首相も官邸前で拍手の輪に加わる。その模様はテレビで放映されるに至り、運動は週を追うごとに盛り上がっていった。家の前で楽器を弾いたり、鍋やフライパンをたたいたりする人たちの様子は、ロンドン発のニュースを通じてご存知の方が多いだろう。

 「Clap for Carers 」は、5月末で終わりを告げた。運動の終了に際しては、「拍手は(イギリスの医療事情に関する)真の問題から目をそらす気晴らしだった」などという批判も出ていたことを、私たちは知る必要がある。

 ひるがえって日本の話だ。さいたま市では6月15日、全市立学校168校の児童・生徒約10万人が、医療従事者らに「感謝の意を示す」目的で、学校で一斉に拍手をする催しを行った。この取り組みにも、当の教職員や市議会関係者など各方面から疑問の声が上がったという。

 いわく、「感謝は自発的に行うもので、強制的であってはならない」「やり方に問題があった」「唐突で、なぜ拍手を送る

のか子どもは理解していないかもしれない」「ポーズっぽくて嫌だなという思いはある」。

 もう一つは5月29日の例。この日のお昼過ぎ、「新型コロナウイルスに対応する医療従事者に感謝を示す」として、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」6機編隊が、東京の都心部を中心に千葉、神奈川県境付近まで「8の字」を描くように飛行した。大空を舞台にしたイベントには好意的な声も多かったが、騒音や事故への懸念に加え、「政治利用では」との指摘も飛び出した。

 こちらも、疑問の声に耳を傾けると、「病院上空を爆音で飛行するのは、医療関係者や周辺住民に迷惑」「医療機関や従事者に経済的支援を手厚くしたほうが敬意と感謝を示せる」「違う税金の使い方がある」と、一様ではない。

 新型コロナウイルスの感染拡大を目の当たりにしているという「共通体験」があっても、医療や医療従事者に対する個々人の思いは、決してひとくくりにすることなどできない――。3つの例が指し示すのは、そうした当たり前の事実なのかも知れない。

 こうした中、拙作『ディア・ペイシェント―絆のカルテ』がドラマ化され、NHKテレビ「金曜ドラマ10」の番組枠で7月17日から連続10回で放送されることが決まった。出演は、貫地谷しほりさん、内田有紀さん、佐野史郎さん、伊武雅刀さん、朝加真由美さん、田中哲司さんほかの皆さんという豪華な顔ぶれだ。

 「モンスター患者」と呼ばれる人物を登場させたこの医療小説で筆者が問いたかったことは、医師と患者・家族との思いや、それぞれの関係のあり方だ。

 つまり、前述したように「ひとくくりにできない」事柄である。物語に登場するさまざまな医師や患者、家族たちの中で、「誰」に共感し、「誰」の言葉に反発を感じ、「誰」の行いに胸を打たれるか――。ドラマをご覧いただいた一人一人の方にお聞きするのが今から楽しみだ。

 (みなみきょうこ・医師、作家: 古都・金沢の診療所を舞台に、在宅医療の現場や、生老病死のさまざまな風景、「死なせてほしい」と口にする身近な家族との葛藤を描いた医療小説『いのちの停車場』を5月27日、幻冬舎から上梓しました。単行本の刊行に合わせたタイミングで、本作を東映で映画化していただく企画も発表されました。『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎文庫、『ディア・ペイシェント―絆のカルテ』=幻冬舎文庫、『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』=講談社も、好評発売中です)

2020年7月1日

・Sr.岡のマリアの風 (52)教皇フランシスコの「祈り」についてのカテキズム

 パパ・フランシスコが、水曜日の一般謁見の中で、「真福八端」についてのカテキズムを終え、「祈り」(注:「カトリック・あい」では「祈りの神秘」)についてのカテキズムを続けれおられる。

 「神のことば」からの出発:聞く(受け入れる)―答える-動き出す「アクション(行動)の人」と表現されることの多いフランシスコ教皇だが、彼にとってキリスト者の「行動」とは、言うならば、つねに先に動く神の「行動」への「こたえ」である、と言えるかもしれない。

 先ず、始めに神の「ことば」があり、そこから信じる者の「こたえ」が生まれる。ユダヤ教徒、キリスト教徒が「しつこく」祈ることができるのは、神のことばは必ず実現する、と、神の忠実さへの絶対的信頼があるからだ。先人たちはそれを、身をもって証しし、わたしたちに伝えてくれた。だからわたしたちは、時に、聞いてもらえないように思えても「祈り続ける」ことが出来る。

 神が、今、わたしに、この現場で何を求めているのかを知るための「マニュアル」は存在しない。だからわたしたちは、祈りの中で、神と「対話」し、時に「戦う」ことを学ぶ。「主よ、あなたがお望みのことは何ですか?」と、十回、百回、千回、繰り返す。そのような対話の中で、わたしたちの中の、いわば「神(かみ)感性」というものが研ぎ澄まされていくのだろう。

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 毎回、バチカン放送日本語部門HPで全訳(注)が出ているので、試訳の苦労なしに、修道院の姉妹たちと分かち合える。訳してくださっている方々、ありがとうございます!(https://www.vaticannews.va/ja/pope-francis/papal-audience.html)

 この「カテキズム」の中で、キリストを「信じる者」としての、パパ・フランシスコ自身の「祈り」の「気合」を感じるのは、わたしだけだろうか?

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 毎週水曜日の一般謁見におけるカテキズムや、主日の正午の祈りは、翌日にはすでに多くの言語で翻訳され、聖座のHPにアップされている。この二つの機会は、教皇にとって、全世界に向けてメッセージ、アピールを発する常設の機会、場である。

 カテキズムも正午の祈りでの話も、必ず聖書の言葉から出発する。つまり「みことば」から出発して、教皇は、そのみことばが、今、わたしたちに、この世界に、この状況の中で、何を語っているのかを識別する。ユダヤ教・キリスト教の「師」たちは、二千年、三千年…、ずっとこのようにして、彼らの時代の信徒たちに、みことばのメッセージをかみ砕き、解釈し、伝えてきた。

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 ぼ~っと聞いていれば、「パパさまの話、いい話やったね~」…で終わってしまう。でも、それではもったいない。

 特に、毎週の一般謁見の中で行われる「カテキズム」は、教皇自身がテーマを選ぶ。言い換えれば、一般謁見のカテキズムのテーマは、それ自身、今、教皇の心にあることを反映している。それは、教皇が教会に、わたしたちに、一番必要だと思っているテーマだと言えるだろう。

 教皇メッセージは、ある意味、教皇の霊的「戦略(strategy)」だ、とわたしは思っている。定期的に毎週行われるカテキズム、正午の祈りでの話を追いながら、その「戦略」の大きな枠組みを知ることは大切だろう。

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 さて、「祈り」についてのカテキズム。

 まず「もし、わたしがカテキズムをしなければならないとしたら?」と考えてみよう。何を伝えたいか?どういう構造で、どういう順番でそれを伝えるか?「祈り」という、もう分かっている、と思っていたことを、人に伝える、教える、となると、結構、難しいことが分かる。

 「わたしだったら」、祈りについてのカテキズムをどう組み立てるか、と、自分の頭を使って考えた後で、教皇フランシスコのメソッド(方法論)を見ると、パパがわたしたちに何が言いたいのかが、より見えてくるだろう。

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 「カテキズム」の詳細はバチカン放送HPの全訳に任せて、ここでは、六回までのカテキズムで、わたしが、これこそパパ・フランシスコの心にあると感じ取ったことを分かち合いたい。

 ちなみに、今までのテーマは:(1)祈りの神秘(5月6日)、(2)キリスト者の祈り(5月13日)、(3)創造の神秘(5月20日)、(4)正しい人々の祈り(5月27日)、(5)アブラハムの祈り(6月3日)、(6)ヤコブの祈り(6月10日)。

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 教皇が、第一回目の「祈りの神秘」(5月6日)についてのカテキズムを、目の見えない「バルティマイ」の「祈り」(マルコ福音書10章46-52節参照)をもって始めたのは、わたしにとってひじょうに興味深かった。これこそ、パパ・フランシスコの祈りだ!と思ったから。

 原語のイタリア語でのメッセージの響きは、日本語に訳されたものよりも、さらに、ひじょうに強烈だ。

 「叫び」としての祈り。人間の内奥にある、自分の力では満たすことが出来ない渇望から生まれる「叫び」。創造主、救い主だけが可能にする、満ち溢れた「幸い」への、人間の歩み。

 なぜ、「祈りの神秘」についてのカテキズムで、バルティマイなのか?教皇フランシスコの、バルティマイの「叫び」についての描写は、ひじょうに生き生きとしている。(以下、試訳を交えながら)

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 目が見えなくて、道端で物乞いをしていたバルティマイは、ある日、イエスがそこを通るだろうと人々が言っているのを聞いた(目が見えないので、耳はひじょうに敏感である)。

 そこでバルティマイは「待ち伏せた(待ち構えた:si apposta)」。彼は、イエスと出会うためなら、何でもする覚悟だった。

 バルティマイは、目が見えない。イエスがどこにいるのか、見ることは出来ない。でも彼は「聞く」-人々の騒ぎ方から、ある時点で、イエスが近づいて来ているのを「感じる」-。

 そして何をするか? これがバルティマイの特徴だ。「叫ぶ!」。叫んで、叫んで、叫び続ける。

 声だけが、バルティマイがもっていた唯一の「武器」だった。だから、叫ぶ。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください!」(47節)。このようにして、バルティマイは「福音(善い知らせ)」の中に名前を留める:「あらん限りの力で叫ぶ声」として。

 バルティマイが叫び続けるのを、人々は「迷惑」「うるさい」「無礼だ」と思った。多くの人が彼を叱り、黙らせようとした。でも、バルティマイは黙らない。それどころか、ますます大声で叫ぶ:「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください!」

 この「すばらしい頑固さ」こそ、神の心の扉を叩き続ける人のものだ、とパパは言う。彼は、叫び、戸を叩く。

 「ダビデの子」という名称は、聖書の中で「メシア(救い主)」を意味する。すべての人から軽蔑されていたバルティマイの口から、イエスがメシアだ、という信仰宣言が発せられた、と教皇は強調する。

 そして、何が起こったか?

 イエスは、バルティマイの叫びを「聞いた」。彼の「祈り」は、イエスの心、神の心に触れた。そして、彼に、救いの扉が開かれた。イエスはバルティマイを呼ばせ、バルティマイは躍り上がって立ち上がり、最初、彼を黙らせようとした人たちは、今、彼をイエスのもとに連れて行く。

 イエスはバルティマイに語りかけ、彼が何を望んでいるのかを尋ねる(これは大切です、とパパは言う)。その時、「叫び」は「願い」になる:「主よ、わたしが再び見えるようになることです!」。イエスは彼に言う:「行きなさい、あなたの信仰があなたを救った」(原語テキストで強調形)(52節)。イエスは、この、貧しく、無防備で、軽蔑されていた人の中に、神の憐みと力を引き付ける、信仰の力を認めた。

 信仰とは、天に向かって上げられた二つの「手」と、救いの賜物を嘆願するために叫ぶ「声」をもっている、とパパは言う。また、祈りは「土」から生まれる、とパパは指摘する。「土」は、ラテン語で「humus」であり、ここから「humble(謙遜な、卑しい)」、「humility(謙遜、身分の卑しさ)」が来る。

 祈りは、わたしたちの不確実さ(不安定さ)から来る。祈りは、わたしたちの絶え間ない神への渇望から来る。

***

 人々が何と言おうと、イエスに向かって叫び続ける、戸を叩き続けるバルティマイ。このバルティマイと共に、わたしたちは「祈り」のカテキズムを始めましょう、とパパは招く。

 とても、パパ・フランシスコらしい、と、わたしは思った。バルティマイは、「欠けている存在」としての人間、わたしたち人間の象徴と言えるだろう。バルティマイは、実際に「目が見えない」から、「何が欠けているか」を、明確に自覚し、知っていた。だから、イエスに「何が欲しいのか」と言われ、迷うことなく「目が見えるようになることです!」と答えた。

 「ダビデの子、イエスよ!」と叫ぶ彼は、イエスがメシア(救い主)であり、「欠けている自分」を満たすことが出来る、と信じ、信頼する。だから、人が何と言おうと、叫び続ける。バルティマイは、叫ぶ中で、イエスにだけ、神にだけ向かっている。パパ・フランシスコにとって、これが「祈り」の本質なのだろう。

 わたしが、今いる現場で、この状況で、出口がないように見える「闇」の中で(バルティマイの状態)、叫び続ける、戸を叩き続ける。そして、神に「こたえ方」を委ねる。

 神が、わたしにとって最もふさわしい時に、最もふさわしい方法で(ひじょうにしばしば、わたしにとって都合のよい方法を超えた方法で)、わたしの最高の善のために(ひじょうにしばしば、そのときは、わたしにとっての善とは見えない)、神はこたえてくださると、信じ続ける。

叫び続ける―信じ続ける―歩み続ける

 神は忠実な方であり、こんなちっぽけなわたしにも、ご自分の救いの計画の実現のためのモザイクの一片を託してくださっていることを信じ続ける。神は、まったくの「善・美・真理」であり、神の「善・美・真理」は、唯一の現実「愛」のことだと信じ続ける。この信頼の上に、一歩、また一歩と、前に歩み続ける。神が「愛」であることへの信頼が、前に進み続けるための「力」となる。そこから、信じる者の、積極的な動きが生まれる。

***

 このライン上で、六回目の、神と「戦う」ヤコブは、まさに、信頼するから戦う、信じる者の姿だ(創世記32章23-33節参照)。

 教皇フランシスコの語り口は、ここでも生き生きとしている。それまで「自信満々」、うまく立ち回りながら富を築いてきたヤコブ。しかし今、彼は、自分がかつてだまして、長子の権利を奪い取った兄エサウと出会う前の夜、見知らぬ土地に独りでいる。彼の思いは、不安と恐れに満ちている。そして…夜の闇が深くなったとき、突然、見知らぬ人が彼をつかまえ、彼と戦った。聖書の伝統は、この「見知らぬ人」を、神とも、神が遣わした天使とも解釈している。

 教皇フランシスコは、この「戦い」を通して、神はヤコブを、その真実の姿に連れ戻した、という。それは、震え、恐れている、限界のある被造物、という真理だ。

 教皇はさらに指摘する。ここでヤコブは、彼の人生の中で初めて、神に、富や成功ではなく、はかなさ、無力さ、自分の罪の他は、何も差し出すものがない状態に置かれる。そして、まさに「この」(と、強調形)ヤコブが、神から祝福を受け取り、この祝福をもって、足を引きずりながら「約束の地」に入る。もろく、はかない状態で、しかし「新しい心」をもって。

***

 バルティマイから始まり、(現時点で)ヤコブまでの、「祈る者」の姿。それは、わたしたちの姿である、と、毎回、教皇は繰り返す。

 たとえば…わたしたちはみな、ヤコブのように、暗い夜の中での神との出会いがある。わたしたちの人生の中の暗い闇、罪の闇、方向を見失った闇。まさにそこで、いつも、神との出会いがある。

 神は、わたしたちがまったく予期しなかった時、まったく独りぼっちでいる時、わたしたちを驚かすだろう。まさにその闇の夜、見知らぬ人と戦いながら、わたしたちは、貧しくみじめな存在であることに気づくだろう。

 わたしたちが「貧しくみじめな者」であると感じるとき、恐れることはありません、と教皇は言う。なぜならそのときこそ、神はわたしたちの心を変え、神によって変えられるにまかせる人のための祝福を、わたしたちに与えるだろうから。

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 これこそ、教皇フランシスコが強調する、神によって変えられるに任せなさいという招きである。「主よ、あなたはわたしを知っています。わたしを変えてください」…パパ・フランシスコがわたしたちに勧める祈りである。

***

 ちなみに、ユダヤ教伝統の中で、アブラハムは「始める、創造的」祈りを象徴し、イサクは、日常の中で静かに「継続する」祈り、ヤコブは、予期しない神との遭遇の中で、神と「戦う」祈りを象徴している、とラビJonathan Sacksは書いている。

 自分がどのタイプ、というより、わたしたち一人一人、人生の中で、これらの要素を経験する。

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 今のわたしは、ヤコブの「戦う」祈りの時だと思っている。少し飛躍すると、わたしにとって、ナザレのマリア、イエスの母の祈りも、「戦う」祈りだ。

 「えっ?」と言われそうだが(特に中世の宗教画の中で、マリアは美しい服を着て、静かに厳かに祈っているイメージが強いし…)、福音書で語られるマリアさの姿は、まさに、神と「戦う」、信じる者の姿だ(少なくとも、わたしにとっては)。

 パパ・フランシスコが強調するように、「信頼」できなければ、神と戦うことは出来ない。神のお告げを運んだ天使に、マリアは質問する「どうして、そんなことがありえるでしょう?」-どうやったら、あなたの夢の実現のために、わたしが協力することが出来るでしょうか?-(ルカ1・34参照)。

 三日間、行方不明になった12歳のわが子イエスに、質問する:「どうして、こんなことをしたのですか?」-わたしたちはこんなに心配して探したのだから、理由を教えてください―(ルカ2・48参照)。

 カナの婚礼で、いわゆる「公生活」を始めたばかりのイエスに「彼ら(新郎新婦)にぶどう酒がなくなりました」と告げる―あなたが望むことを行ってください。わたしは準備が出来ています―(ヨハネ2・3参照)。

 どの場合でも、マリアは、人間として期待したような答えは得られない。しかし、その「神のやり方」を、今度は「黙して」受け入れ、思い巡らす。マリアは、それ以上、無駄口をたたかない。マリアの「戦い」の祈りは、さらにより内面的になっていく。

 その「戦い」の頂点は、十字架につけられた子イエスの傍らに立つときだ。もはや、母は語らない(ヨハネ福音書19章25節参照)。究極の戦いの祈りは、母の「心」の中の戦いだ。その戦いのさなかで、マリアは「教会(Ecclesia:神によって召集された集会)」になっていく。教会の伝統は、十字架上のイエス(花婿)の、槍で貫かれ、開かれたわき腹から、十字架のもとにたたずむマリアに象徴された教会(花嫁)が生まれた、と教える。

 新約聖書は、最後に、生まれつつある教会の中で祈る、イエスの母マリアの姿を伝えている(使徒言行録1章14節参照)。

 このように戦ったからこそ、マリアは今、天で、わたしたちのあらゆる戦い、困難、闇を理解し、わたしたちが信頼してイエスに従うよう導く。マリアは人間であるからこそ、偉大なのだ。地上の生活において、神のわざがすべて理解できたわけではなく、それでも信頼して戦いぬいたからこそ、偉大なのだ、とわたしは思う。だから、すべての時代の人が、マリアをたたえる。一人の人間として、一人の女性として、信じ続けたから。信仰の道を歩み続けたから…。

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 パパは、次は、どんな人物を「祈る者」の模範として示してくれるのだろう。毎週、わくわくしている。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

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 注:「カトリック・あい」より=「カトリック・あい」では、バチカン放送日本語課の訳文をもとに、原文英語訳も参照して、聖書の引用箇所は、日本語訳として最も優れている「聖書協会・共同訳」に改め、表記も当用漢字表などをもとに修正、編集したうえ、これまでの教皇のカテケーシス全てを掲載しています。

2020年6月30日

・Sr.石野の思い出あれこれ ㉔シスターになるー一年間の修練を終え、初誓願の喜び

 一年間の修練を終えると、初誓願を立てる。初誓願をもって修道女は修道会の正規のメンバーになる。最初の誓願は1年の有期誓願。だが、誓願文にも「…終生捧げつくす意志をもって、私______は向こう1年貞潔、清貧、従順に生きる誓願を宣立いたします」とあるように、誓願を立てる修道女は初誓願の時すでに生涯の奉献を心に誓っている。1年が経過したらまた、新しく1年更新する。

 こうして一年の有期誓願を3回宣立した後、更に前に進むことを望むなら2年間の願を立てる。そして初誓願から5年経った時、終生誓願を宣立する。誓願が切れた時点では、本人の意志によって修道会を出ることもできるし、また修道会は、修道女にこの生活への適性がない、と判断した場合は、会から去ることを命じることもできる。

 初誓願を立てた若いシスターたちからは、燃えるような熱意と溢れるほどの喜びが伝わってくる。誓願宣立後、外国から修練のためにイタリアに来ていたシスターたちは、豊かな経験と知識に富まされ、新しい生活への希望に胸を膨らませて、それぞれ母国に帰って行く。イタリアのシスターたちは、外国での宣教やイタリアにあるいくつもの支部修道院に派遣されての新しい生活に備える。

 終生誓願を立てるまでの5年間の有期誓願期は与えられた使徒職に従事しつつ、召された召命の道で成熟し、キリストのうちに自己の生活を統合する歩みを続けながら終生誓願に備える。

 しかし、たとえ新しい生活への喜びと希望にあふれているとはいえ、修練の1年間を姉妹のように苦楽を共に過ごした仲間たちと別れるのはつらい。

 イタリアでは(欧米では一般に)、人が会う時や別れるときは互いにハグをし、キスをして挨拶する。修練の間、これは禁じられていた。ところが誓願の喜びの日は解禁されて爆発。あちらでもこちらでも、互いに抱き合い、励まし合い、別れを惜しむ姿が見られた。

 身も心もすべてを神に捧げた若き奉献者たちは、燃えるような情熱と熱い思いを胸に、新しい生活の第一歩を踏み出すのである。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

2020年6月30日

・菊地大司教の日記 (62)東京教区で助祭2人の叙階式

2020年6月 7日 (日) 助祭叙階式@東京カテドラル

Deacon2003

 6月6日土曜日の午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、東京教区の小田武直神学生と宮崎翔太郎神学生の助祭叙階式を執り行いました。

 本来は4月に、豊四季教会で行う予定でありました。豊四季教会の皆さんには、いろいろと準備をしていただいたのですが、今般の状況のために、公開ミサを行うことができません。同時に、神学生は司祭になるためには、必ず助祭に叙階されなくてはならないのですが、その助祭職を、少なくとも半年は過ごさなければなりません。

 そういったこともあって、6月6日に、非公開ミサで、教区や神学院の関係者だけが参加して、叙階式を執り行いました。今回も、いつもの配信ミサと同様、イエスのカリタス会のシスター方が、聖歌を歌ってくださいました。また、叙階式には必ずつきものの諸聖人の連願は、教区式典長のひとりである高田神父が独唱しました。これらは、ビデオをご覧ください。

 現在、東京大司教区には、司祭へ向けて養成中の神学生が、助祭を含めると七名おります。すでに関口で働いているホルヘ助祭を初め、今回叙階された二人。そして助祭叙階準備中の神学生がひとり。さらに哲学の段階に三名がおります。神学生たちの召命のために、お祈りくださいますように、お願いいたします。

Deacon2002

 以下、助祭叙階式の儀式書には説教が記されているのですが、その前部分に付け加えた説教の原稿です。

【 宮崎神学生・小田神学生助祭叙階式 2020年6月6日 東京カテドラル聖マリア大聖堂】

 今年の東京教区助祭叙階式は、歴史に残るような状況下で行うことになってしまいました。新型コロナウィルスの感染が広がり緊急事態宣言まで発令されたり、様々な活動の自粛が呼びかけられています。教会も灰の水曜日以降、公開のミサを中止する措置をとらざるを得なくなりました。この数日は、暗闇の中にもやっと出口の光が見えるようになってきたと感じますが、まだまだ完全に終息したわけではなく、慎重な行動が必要です。そのようなわけで、今日の助祭叙階式も、本来は小教区の共同体の方々と喜びを共にしながら行うところ、非公開で行っています。

 当初は軽い風邪のようだと言われていたものの、感染経路が定かではないことや治療法が確立されていないため、わたしたちは暗闇の中に光を持たないまま放り出されたような気分になっています。先行きに希望が持てず不安が増すときに、守りに入るわたしたちの心は利己的になり、社会全体に殺伐とした雰囲気が漂い始めます。

 「わたしの喜びがあなた方の内にあり、あなた方の喜びが満たされるためである」と福音に記されています。

 わたしたちの信仰は、暗闇の中に輝く一筋の光のように、不安をぬぐい去り、生きる希望を生み出すものです。信仰は希望そのものです。そして将来に対する確固たる希望が生まれるとき、そこには喜びが生まれます。わたしたちが心の壁を築いて利己的になり、自分の内にこもるとき、暗闇が支配し、希望は生まれず、喜びもありません。

 「出かけていって実を結び、その実が残るように」と選ばれて呼ばれているわたしたち奉仕者は、暗闇に勇気を持って踏み出し、人との交わりの中で心の壁を打ち砕き、光を輝かせて希望を生み出し、多くの人の心に喜びを分かち合いたいと思います。

 光が失われ、希望が失せ、喜びが消え去るとき、暗闇が支配する社会にあって、人間のいのちは危機に直面します。時に殺伐とした言葉の投げ合いが、いのちを奪うこともあります。助けを必要としている人が、忘れ去られ、排除されてしまいます。神からの賜物であるいのちが、感染症のためではなく、分断されたきずなのために、危機に直面しています。

 「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と語るイエスは、十字架での死をもって、それをあかししました。教会で奉仕するように呼ばれたわたしたちは、その十字架の愛のあかしに倣って生きることが求められています。疑心暗鬼の中で彷徨う世界のただ中にあって、心に築かれた守りの壁を打ち砕き、助けを必要としている人たちに目を向け、常に希望の光を掲げる気概を持つ奉仕者を目指して、助祭の務めを果たしてください。(以下:儀式書本文に続く。「皆さん、皆さんのご親族、あるいは友人であるこの方々は、間もなく助祭団に・・・」)

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

2020年6月10日

・Sr.岡のマリアの風 (51)「何に向かって…」”コロナ後”の新しい生活スタイル

「何に向かって歩んでいるのか…」。

 人類の歴史に残るパンデミックの中で、「わたし、わたしたちは誰なのか」「何に向かって歩んでいるのか」「何が本当に大切なのか」…という普段は何となく面倒くさくて、考えることを避けていた問いかけに、じっくり向き合う。

 神の民のアイデンティティーは「大きな物語(ストーリー)」に属していることだ、とユダヤ・キリスト教伝統は教える。

 わたしだけでも、わたしの民族、国だけでもなく、わたしの時代だけでもなく、時間と空間を超えた「大きな物語」。

 旧約のアブラハムの物語は、わたしたちの物語であり、モーセの物語は、わたしたちの物語、新約のヨセフ、マリア、使徒たち…の物語は、わたしたちの物語。

 ”コロナ後”の新しい生活スタイル、と聞いて三つのことが頭に浮かんだーシンプル化する、感謝する、夢を引き継ぐ。

「シンプル化する」

 大切なものが何かを意識しながら、大切なものを中心に、祈りも生活もシンプル化する。「シンプル化」… 英語のsimplifyは、簡単[単純]にする、ということだけれど。生き方のシンプル化、と言うとき、それは単なる単純化、簡素化だけではない(と、わたしは思う)。

 真のシンプル化は熟考から生まれる。苦労して考え、模索することから生まれる、と少なくともわたしは思う。じっくり読みたかった本を読む。何が大切なのか、どこに向かっているのかを、深く息をして、考える。

 そんなことを考えていたら、齋藤孝氏の言葉に出会った。

 「問題解決を行っていくためには粘り強い思考力が必要となる。困難を目の前にしてもひるまずに取り組み、持続的な思考を維持する…」(斎藤孝『新しい学力』:伊勢雅臣『日本の教育』212頁に引用)。

 生き方をシンプル化し、それを継続するためには、原点に戻り、「粘り強く強く思考し」、大切なものを再認識することが必要ではないか。

 わたしたちの共同体では、この期間、パンデミック対策のため、典礼、その他の祈りを「シンプル化」した。簡略化した、というより、政府の方針、カトリック教会の方針を受け入れながら、共同体として大切なものは何かを考え、優先順位をつけ、大切なものに集中した。典礼の中で、主日と平日のメリハリをつけた。歌を減らし、歌う場合も、オルガン伴奏を単音にした。

 何年か前、広大な自然の中にある観想修道会で、シスターたちが単音の伴奏で、美しい声で歌っていた。素朴な神への賛美を思い出した。

 日々の食卓のために、自給自足とまではいかないけれど、地元の農家の方にも手伝っていただき、畑に野菜の苗を植え、収穫する…

「感謝する」

 そのような「シンプル化」を通して、共同体のありがたさを体験する。小さなことを「感謝する」心を学ぶ。

 共同体で共に祈り、働き、食事ができることを感謝する。

 メディアを通して、教皇フランシスコの呼びかけをリアルタイムで聞くことができることに、感謝する。

 恩人、友人の方々がくださる魚、野菜、果物に、感謝する。

 共同体の姉妹が、みんなのために作ってくれた手作りマスクに、感謝する。

 祭壇を飾る、姉妹が育てた花に、感謝する…

「夢を引き継ぐ」

 「感謝する」なかで、いただいた宝を、次世代に、将来に引き継いでいく使命、義務を自覚する。「わたし」「わたしたち」の夢は、次の世代、将来の世代のためであってこそ意味がある。それが「大きな物語」に属している、ということだ。

 「インプット」したものは、「アウトプット」して初めて、「生きたもの」となり、人々を「生かす」ものとなる。どんなに素晴らしいものであっても、「博物館の化石」では人を生かすことは出来ない。

 アウトプットしないと、その時、「わたしが」深く感動したことでも、次世代の夢にはならない。いつのまにか忘れ去られ、消えていく。先人から引き継いだ夢を人々と分かち合う、人々に向けて「アウトプット」する… その時、その夢は、次世代に引き継がれていく。

 以前も書いたけれど、「マリアのミニ動画」を始めたのも、「真のマリアの姿」―「わたしたちの一人」としてのマリア、「神の民の大きな物語」を共に歩んだ姉妹としてのマリアの姿―を伝えていくことが、わたしが「次世代に引き継ぐ」ものとして託された使命、義務だと思ったから。

 思っているだけでアウトプットしなければ、いつまでも実現しない。だから、「今、動こう」と決心したから、わたしが先人から受け取った「夢」、次世代に受け継ぎたい「夢」は、わたしたちの存在の奥底に、心の内奥に刻み込まれた、神の「夢」。

 わたしたちの真の幸いを望む、神の夢。わたしたちが日々の歩みの先に見つめている「ゴール」。神がわたしたちに約束した「場」。約束の土地、父の家、天のエルサレム… 復活の主の霊の実り。

 シンプル化する、感謝する、夢を引き継ぐ… 三つのことを考えていると、「新しい生き方」とは、まさに、今、教会の典礼が生きていること、復活の主の霊に、今、この場で「生かされる」生き方だ、と言えるだろう。

 教皇フランシスコは聖霊降臨の祭日に、復活の主が、弟子たちに差し出した最初の言葉、「あなた方に平和があるように」を黙想した。主が弟子たちにもたらしたのは、赦し、和解であって、叱責でも、「お説教」でもない。

 弟子たちの最初の共同体 わたしたちの「原型」 は、主によって「赦された」「和解された」共同体。わたしたちは、すでに復活の主の霊において、洗礼を受け
赦し、和解を受けた。

 洗礼を受けたわたしたちにとっての「新しさ」は、何か新しいものになる、というよりは、わたしたちが何であるかを、新たに「意識」することかもしれない。「意識」しなければ、スイッチがオンにならない。ずっと檻の中に入っていると、檻の扉が開いていても出ることが出来ない。出ることを知らないから。

 一歩、外に出るためには、扉が開いているだけでは十分ではない。「わたし」が、わたしの足で、一歩を踏み出すことが必要だ。

 エジプトの奴隷状態から解放させてもらったイスラエルの民は、ちょっと困ったことがあると、「昔は良かった」と偽りのノスタルジー(郷愁)に浸った。その物語は、しかし、「わたしたちの」物語でもある。

 ユダヤ教は教える。自由になることよりも、自由の状態を保つことは、もっと難しい。毎日が、「わたしにとって」良いことばかりではないから。まわりのことがら、まわりの人は、ほとんどの場合、「わたしの」思う通りにはならないから。被害妄想も、自己の過大評価も、どちらも結局「わたしが中心」の世界だ。

 人里離れた、ナザレの小さな村。社会的に何の権利ももたない、一人の処女(おとめ)、マリア。神が遣わした天使(メッセージを運ぶもの)に、マリアは「質問」する。まだ、夫のヨセフと一緒に住んでいないのに、身籠って男の子を産む、と告げられ、「どのように」それが起こるのか、と。

 マリアの質問は疑いではない。マリアが質問するのは、「わたし」の思いではなく、神の思いをよりよく知り、神の思いをよりよく果たしたいから。

 実際、天使は、マリアの質問に答える。でも、その答えは、まったく人間の理性では理解できないこと。神の霊が、神の力が彼女を覆う… まさに、神の山、シナイに、密雲の中で神が降ったように、あり得ないこと。理解を超えること。

 でも… もはやマリアは質問しない。マリアは「黙する」。神の「真剣勝負」を前に、マリアは黙する… わたしは、この場面に留まることが好きだ。あの、マリアの沈黙。神の前での、小さな被造物の沈黙。

 神の思いは、神の夢は、あの、マリアの沈黙の中で実現を始めたのだ。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2020年6月2日

・Sr.阿部のバンコク通信 ㊹街中の“電線芸術”も、また楽しからずや

 26年前、日本からフィリピンへ、数か月してタイ国へ、教会の宣教の手伝いに来ました。振り返ると、この間のITの開発進展は目覚ましく、タイに来た当時の自分の状況を思うと、驚きです。

 当時、マニラで仕事中の突然停電は日常茶飯事、大事な作業が水の泡。気持ちを切替え祈りの勤めに聖堂へ。来泰当初も同じ混乱を体験。最近は稀ですが気をつけて作業しています。

 大都会化したバンコク、近郊の工場地帯の電力使用量も膨大。主な電力資源は天然ガス、石炭、石油。太陽光、風力、水力、バイオマス•ガスの資源開発にも精力的に取り組んでいます。街中に電線が束になって括られているのを見、よくまぁ混線せず送電出来ているなぁ、と見惚れてしまいます。(写真右)

 高圧線中心に地中埋設工事も進められていますが、ほんの僅か。低圧線配線の地中下はまだまだ。電柱がなくなるまで当分の間、見事な『電線芸術を街中で楽しむのも、いいのもだ』です。

 父の死も山奥で知りました。ミサ後、ローソクの光で夕食をとっている所へ、知人が訃報を知らせにバイクで駆け付けてくれたのです。「すぐ山を降りれば、翌日の便で葬儀に間に合うから」と。「神学生たちを山に残して行くか?それよりも、父が喜ぶ見送りは、務めを果たすこと」。そう思って知人に託した速達便は、葬儀に間に合いました。夜空に満天の星が輝いていました。

 2000年頃から、日本の神学生や青年達を連れて体験学習。ボランティアでタイ北部、海抜2000㍍前後の山岳の村々に入っていますが、大切な事はしっかり届いているから驚きです。電気も電波も届かないこんな山奥まで、カトリックの信仰が生き生きと…。宣教師が徒歩で回り、村に泊まり、共に働き導いて、さらに奥の村々へ…。脱帽、乾杯です。

 新型コロナウイルスの大感染で騒然とする社会、孤立する人々の手中でITの活躍も頼もしい限り。祈り励ましの電波が勢いよく寄せ、返す。命、希望、慈愛の架橋となり、人類社会、宇宙への貢献の役者となるよう、手中の媒体を大いに活躍させ、躍進したいと思う日々です。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2020年6月1日