・Sr.阿部のバンコク通信(87) スマホなし、不便な生活の中で神と出会う―タイ北部の山岳民族の村で

 2月末、久しぶりにバンコクの喧騒を離れ、タイ北部の山岳民族の村に入りました。チェンマイから南へ2時間、ランプーン県の舗装道路から凸凹曲がりくねった山道をガタンゴトンと半時間。緑の鬱蒼とした山間、標高1400mにパペー村(75軒)があります。

 鶏の鳴き声で目を覚まし、風のそよぐ音、虫の鳴き声、鳥の囀りが体に染み込むように響きます。花や葉っぱ、枯れ葉の香りが心地よく、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みながら枯れ葉を踏みしめて歩く…何とも清々しい。

 ここはカレン山岳民の村、13世帯カトリック信徒の住む教会のある一角に、日本人4人(青年男子2人、熟年男性、私)と米国籍のベトナム人司祭でやってきました。共に生活し、祈り、言葉と心で語らい通じ合い、笑いと喜びいっぱいの日々を過ごしました。

 飛行場に出迎えてくれたイタリア人のブルーノ神父とカレン族の友人シリーさんの運転で深い山奥のこの村に来ました。電波も届かないソーラーの電源で生活、携帯電話は万事窮す、ブルーノ神父いわく、「まさに天国」です。

 大自然の生態を守りながら、1毛作の陸稲、水穂は自給自足のために、珈琲の栽培、牛や水牛、豚の飼育で生計を立てています。こんな深い山の中に人々が住んでいます。

 ちょうど農閑期で、村人と山焼きの準備を手伝い、子供達と遊び、村人と語らい、夜は囲炉裏を囲んで過ごすひと時…スマホなし、顔と顔目と目を合わせて過ごす…豊かな生活体験でした。集めて持って行った沢山の寄付物資はクーポンを配ってお買物ごっこ、信者でない村人も招きました。教会前広場は楽しい、にわか市場。

 皆でロザリオもたくさん作り祝福していただき、平和のために苦しむ人々のため、お祈り捧げました。

 ミサはカレン語と日本語を交え、聖歌も交代。深い山奥で共に祈りミサを捧げる、カトリックの信仰の普遍を感じます。「神様を信じて結ばれている出会い」の体験に、村人も、私たちも、ことのほか感じ入り、時空を超えて共に在る幸せを満喫しました。

 「本当に必要な情報ってすごく少ないですね」「スマホなしの解放された生活、できるんですね」「山を下りたら、スマホを時間限定にしようと思う」… 新たな気持ちで街に戻りました。

 夜はキラキラ瞬く満天の星、懐中電灯でタハロ(手洗い)へ、とっぷりと暮れた山中では早々就寝です。

そうそう、夜のオルティ(水浴び)は寒くて閉口、日中にしましたが、それでも水では冷たかった。

 感性を全開にして生きる、体全身で吸収する…自分を取り巻く自然、状況、殊に共にある人々との関わり… 言葉の壁を乗り越えて目と満面の顔が物を言う。通じてなくても大笑い。感覚をフル回転させると無感心や無神経から確かに救われるなぁ〜。

 不便で面倒な生活条件の効能、都会で、都合よく楽な生き方をして無くしているものを取り戻そうと思います。ほんの十日で、不安定な足場の村の坂道を毎日上り下りして体が引き締まり、バランス感覚もバッチリです。

 感覚を研ぎ澄ませて生きる、神様からいただいた感性の賜物の凄さに改めて感謝。小さな私の考えで捉えるのではなく、まず全身で物事を感じ取って生きていこう、それは創造主の視野と摂理の中に生きることだ―そう実感しました。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

 

 

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2024年3月16日