12月の教皇と日本の教会の祈りの意向

■12月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 希望の巡礼者

*「希望の巡礼者」聖年が、私たちの信仰を強め、復活のキリストを生活のただ中で見出す助けとなり、私たちキリスト者を希望に満ちた巡礼者に変える力となりますように。

  「キリスト教的希望は、私たちの人生を喜びで満たす神の賜物です。 そして、今日、私たちはそれを大いに必要としています。世界はそれを大変に必要としているのです。明日、自分の子どもたちに食べさせられるかどうか、あるいは、自分が勉強していることが尊厳ある仕事を得ることに役立つかどうかも分からないとき、失望するのは簡単なことです。

では、どこに希望を求めたらいいのでしょうか。希望とは錨(いかり)です。ロープと一緒に投げて、つなぎ留めるためのアンカーです。私たちは希望のロープに、しがみつかなければなりません。しっかりと、しがみつくことです。

私たちに命を与えてくださるキリストとの出会いを発見するために、互いに助け合いましょう。そして、人生を祝うために、希望の巡礼者として旅に出ましょう。その人生における次のステージとして、来たる聖年を迎えましょう。

私たちの毎日を神が与えてくださる希望の賜物で満たし、私たちを通して、それを求めるすべての人に届くようにしましょう。『希望は決して裏切らない』ということを忘れないようにしましょう。

祈りましょう。聖年が、私たちの信仰を強め、復活のキリストを生活のただ中で見出す助けとなり、私たちキリスト者を希望に満ちた巡礼者に変える力となりますように。

 

 

日本の教会の意向: 神学生の召命

*私たちの共同体の中から、神の呼びかけに応えて司祭を目指す新たな召命が発掘されますように。

2024年11月29日

11月の祈りの意向

■11月の祈りの意向

教皇の意向: 子を失った親のために

*息子や娘の死を悼むすべての親が、地域社会に支えられ、聖霊の慰めによって心の安らぎを受けることができますように。

教皇フランシスコは、この意向について、ビデオの中で次のように話された。(バチカン放送)

**********

「子どもを亡くしたご両親に何が言えるでしょうか。どう慰めたらいいのでしょうか。言葉すらありません。考えてみてください。一人の配偶者が相手を失えば、その人は男やもめ、あるいは寡婦となります。親を失った子どもは、遺児となります。言い表すための言葉があります。しかし、子を失った親に対しては、言葉はありません。それは、あまりに大きな苦しみのために、言葉もないほどなのです。

我が子より長生きすることは、自然なことではありません。子を失った悲しみはとりわけ大きいものです。慰めの言葉は、ありきたりで、感傷的で、余計であることがよくあります。当然、善意で語った言葉であっても、かえって傷を広げてしまうことがあります。

子を亡くした親たちを慰めるには、彼らに耳を傾け、愛をもって寄り添い、イエス・キリストがどのように苦しむ人たちを慰められたかに倣い、責任をもって、その悲しみに寄り添わなければなりません。 そして、信仰に支えられた親たちは、このような恐ろしい悲劇に見舞われた後に、希望のうちに生まれ変わった他の家族たちの中に、慰めを見出すことができるでしょう。

祈りましょう。息子や娘の死を悼むすべての親が、地域社会に支えられ、聖霊の慰めによって心の安らぎを受けることができますように」

 

 

 

 

 

日本の教会の意向: 日韓司教交流会のために

*日本と韓国の司教が、互いの交流を通して信頼を深め、隣国の教会共同体として支え合っていくことができますように。

2024年10月28日

10月の祈りの意向

■10月の祈りの意向

教皇の意向: 「使命を担い合う」ために

*教会が、共同責任のしるしとして、あらゆる場面でシノドス的な生活様式を維持し、司祭・修道者・信徒の参加と交わりをもって使命を推し進めることができますように。

 教皇フランシスコは、この意向について、ビデオメッセージで次のように話された。(バチカン放送、「カトリック・あい」編集)

 「私たちキリスト者は皆、教会の使命に責任を負っています。すべての司祭が、すべての人がです。司祭は、信徒の”上司”ではなく、”司牧者”です。イエスは私たち皆を召されました。誰かを誰かの上にではなく、誰かをこちら側に他の人をあちら側にではありません。私たちが互いに補い合うように召されました。私たちは共同体です。それゆえに、私たちは共に歩まねばなりません。

 皆さんは私に尋ねることができるでしょう。『自分には、何ができるだろうか』と。バスの運転手として、でしょうか。農業者として、でしょうか。漁業者として、でしょうか。皆がすべきことは『自分の人生を通して証しすることです。教会の使命の責任を分かち合うこと』です。

 信徒たち、洗礼を受けた人たちは、教会に、自分の家にいます。その家の世話をせねばなりません。司祭や修道者も、同じです。一人ひとりが自分に得意なことを通して貢献するのです。私たちは教会の使命における共同責任者です。私たちは教会の交わりの中で、参加し、生きています。

 祈りましょう。教会が、共同責任のしるしとして、あらゆる場面でシノドス的な生活様式を維持し、司祭・修道者・信徒の参加と交わりをもって使命を推し進めることができますように」

 

日本の教会の意向: シノドスのために

*教皇フランシスコの意向に合わせ、日本の教会がキリストを信じる世界の教会と共に歩むことができますように。

2024年9月29日

9月の祈りの意向

■9月の祈りの意向

*教皇の意向: 地球の叫び

・私たち一人ひとりが、地球の叫びに、また、環境災害や気候変動の犠牲者の叫びに心の耳を傾け、私たちの住む世界を大切にする生き方へと導かれますように。

 (2024.8.30 バチカン放送)教皇フランシスコは、この意向をめぐり、ビデオを通し次のように語られた。

 「地球の叫びのために祈りましょう。地球の体温を測るなら、熱があることが分かるでしょう。具合が悪い人と同じように、地球も具合が良くない、と感じています。しかし、私たちは地球の苦しみに耳をすませているでしょうか。環境災害の何百万という被害者たちの苦しみに耳を傾けているでしょうか。こうした災害の影響によって最も苦しんでいるのは、貧しい人たちです。これらの人々は、洪水や、熱波、あるいは干ばつのために、自分の家を離れざるを得ませんでした。気候危機や、汚染、生物多様性の喪失など、人間によって引き起こされた環境危機に立ち向かうには、エコロジー的な回答だけでなく、社会的、経済的、政治的な回答をも要求されます。私たち個人や共同体の習慣を変えながら、貧困との闘い、自然の保護に取り組む必要があります。   祈りましょう。私たち一人ひとりが、地球の叫びに、また、環境災害や気候変動の犠牲者の叫びに心の耳を傾け、私たちの住む世界を大切にする生き方へと導かれますように」。(編集「カトリック・あい」)

*日本の教会の意向: 高齢者の喜び

・すべての高齢者が生きる喜びを味わいながら、これまでの豊かな経験を分かち合うことができますように。

2024年8月31日

8月の教皇と日本の教会の祈りの意向

■8月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 政治におけるリーダーのために

 *政治におけるリーダーが、人々への奉仕において、人類として不可欠な成長と公益のために働き、職を失った人々に配慮し、貧しい人々を優先することができますように。

 教皇フランシスコは、この意向について、ビデオメッセージの中で次のように話された。(2024.7.29 バチカン放送)

 「今日、政治は、贈収賄、スキャンダル、人々の日常生活からかけ離れていることなど、あまり良い評判を得ていません。 しかし、良い政治なしに、私たちは普遍的な兄弟愛に向かって進歩できるでしょうか? いいえ、できません。

 パウロ6世がおっしゃったように、政治は愛の最も高度な形の一つです。なぜなら、それは公益を追求するからです。私が申し上げているのは、『大きな意味での政治』で、『政治的な駆け引き』のことではありません。『現実に耳を傾け、貧しい人に奉仕し、長い廊下の大きな建物に閉じ込められない』―そういう政治のことです。

 ここで話したいのは、失業者に配慮し、月曜日にまた働きに行けないことが、日曜日にいかに悲しく思われるかをよく知っている政治のことです。 このように見るなら、政治はもっと貴いものになります。

 権力ではない、奉仕の精神をもって、自身の課題に取り組む多くの政治家たちの、共通善に対するすべての奉仕のために感謝しましょう。祈りましょう。政治におけるリーダーが、人々への奉仕において、人類として不可欠な成長と公益のために働き、職を失った人々に配慮し、貧しい人々を優先することができますように」

日本の教会の意向: 世界の平和のために

 *憎しみや敵対心によって人の命を奪い合い傷つけ合うことを終わらせ、世界が平和への歩みを始めることができますように。

2024年7月31日

7月の教皇と日本の教会の祈りの意向

■7月の教皇と日本の教会の祈りの意向

*教皇の意向: 病者への司牧的ケアのために

「病者の塗油の秘跡が、それに授かる方とその方の愛する人たちに主の力を与え、誰の目にも『共感と希望のしるし』として映し出されますように」

(2024.7.2 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、2024年7月の祈りの意向について、次のようなビデオメッセージをよせられた。

 「今月は病者への司牧的ケアのために祈りましょう。病者の塗油は、臨終にある人のためだけの秘跡ではありません。これをはっきりさせておくことが重要です。司祭が塗油の秘跡のために、ある人に近づく時、それは必ずしもこの世との別れを助けているわけではありません。そう考えるなら、あらゆる希望を失ってしまいます。それは『司祭の後には葬儀業者がやって来るのだ』と思い込むことです。病者の塗油は、「癒し」と「回復」の秘跡の一つであり、魂を癒すものです。ある人が重い病状にある時、病者の塗油を授けることが勧められます。そして、ある人が高齢である場合、病者の塗油を受けるのは良いことです。祈りましょう。病者の塗油の秘跡が、それに授かる方とその方の愛する人たちに主の力を与え、誰の目にも『共感と希望のしるし』として映し出されますように」。

(編集「カトリック・あい」)

*日本の教会の意向: 難民のために

「命がけで国を離れる難民が、行く先々で出会う人を通して神のいつくしみの心に触れ、安全で安心した生活を送ることができますように」

2024年6月29日

■6月 の教皇と日本の教会の祈りの意向

■6月 の教皇と日本の教会の祈りの意向

https://youtu.be/dCMyBxoalqA
 (2024.5.28 バチカン放送) 教皇フランシスコは、2024年6月の祈りの意向について、次のようなビデオを通しメッセージをおくられた。

  「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今月は祖国から逃れる人々のために祈りたいと思います。

戦争や貧困から逃れるために祖国を後にせざるを得なかった人々の辛い体験に、もといた場所から引き離されて、自分の居場所がわからなくなる感覚がしばしば加わります。さらに、到達したある国々では、移民は恐れと共に、脅威とみなされます。すると、そこには壁の幽霊が現れます。家族を隔てる地球上の壁、そして心の壁です。

私たちキリスト者はこの考え方を共有することはできません。移民を受け入れる者は、キリストを受け入れるのです。私たちは、移民の権利と尊厳を守る社会的・政治的文化を推進しなくてはなりません。そして、彼らの成長の可能性と、統合を支援しなくてはなりません。移民は、見守られ、支えられ、統合される必要があります。

祈りましょう。戦争や飢餓から逃れ、危険と暴力に満ちた旅路を余儀なくされた移民が、受け入れ国で歓迎され、新しい生活の機会を見出すことができますように」

*日本の教会の意向: 病に苦しむ人たちのために

「キリストの犠牲に合わせて、病の苦しみを捧げる人たちが、キリストが与えてくださるいやしの恵みにあずかることができますように」

2024年5月29日

■5月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 修道士・修道女と神学生の養成

*修道士・修道女と神学生がそれぞれの召命の道を歩む中で、人間性、司牧性、霊性、共同体性についての養成を受けて成長し、信頼される福音の証人へと導かれますように。

(2024.4.30  バチカン放送)

教皇フランシスコは、この意向について、ビデオを通し次のように話された。

 

「全ての召命は、あらゆる面において、磨き、手間をかけ、形作るべき「ダイヤモンドの原石」です。良い司祭、修道女は、第一に主の恵みによって育てられ、形作られた一人の人間でなくてはなりません。それは自分の限界を知り、祈りと福音の証しに捧げた生活をおくる意志がある人です。

 彼らの養成は、統合的に、神学校あるいは修練期の時から、他の人々の生活に直に接しながら進められる必要があります。これは本質的なことです。その養成はある特定の時期に終了するものではありません。その人を知的、人間的、感情的、精神的に豊かにしつつ、一生の間、何年も続きます。

 共同体における生涯養成も同様です。共同体の生活は、たとえ時にそれが難しいものであっても、豊かさをもたらします。 なぜなら、一緒に暮らすことと、共同体において生活することは別物だからです。 祈りましょう。修道士・修道女と神学生がそれぞれの召命の道を歩む中で、人間性、司牧性、霊性、共同体性についての養成を受けて成長し、信頼される福音の証人へと導かれますように。

 

日本の教会の意向: 子どもの成長

*将来を担う子どもたちが、神に愛された者として健やかに成長していきますように。

2024年4月30日

■4月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の祈りの意向: 女性の役割について

*女性の尊厳と価値があらゆる文化で認められ、さまざまな差別に終止符が打たれますように。

(2024.4.2 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオを通し次のように話された。

**********

 世界の多くの場所で、女性たちは最初に切り捨てられるべき物のように扱われています。

 ある仕事を始めるため、あるいは学校に行くための支援にアクセスすることを女性に禁じる国々があります。さらに、これらの場所では、女性たちはある種の服装を義務付ける法を課せられています。そして、多くの国で、今日もなお、女性器切除が行われています。

 女性たちから声を奪わないようにしましょう。虐待の犠牲者であるこれらすべての女性たちからその声を奪ってはなりません。彼女たちは搾取され、疎外されています。

 男性と女性は人間として同じ尊厳を持っていると、私たちは皆、理論上は同意しますが、実際にはその通りになりません。

 あらゆる場所で、政府が、差別的な法律を無くすように取り組み、女性の人権が保証されるように努力することが必要です。

 女性を尊敬しましょう。女性の尊厳と基本的権利を尊重しましょう。そうしなければ、私たちの社会は前進しません。

 祈りましょう。女性の尊厳と価値があらゆる文化で認められ、世界各地で女性たちが被っているさまざまな差別に終止符が打たれますように。

 

日本の教会の意向: 日本司教団アドリミナについて

*日本の司教団がペトロの後継者との絆をさらに深め、よい牧者として日本の教会を導いていくことができますように。

  注*アドリミナとは、各国司教団が5年おきにローマを訪問し、教皇に謁見して各国・各教区の状況を報告するものだが、世界的なコロナ禍で遅れていた。

2024年3月30日

■2024年3月の教皇と日本の境界の祈りの意向

教皇の意向: 新たな殉教者のために

*世界各地で福音のために生命の危険にさらされている人々が、その勇気と宣教の思いを教会に伝える者となりますように。

 教皇フランシスコの3月の祈りの意向について、ビデオ・メッセージは以下の通り。

 「今日の教会を映し出す一つの話を語りたいと思います。それはあまり知られることのない信仰の証しです。レスボス島の難民キャンプを訪問した時、一人の男性が私に言いました。「自分はイスラム教徒です。妻はキリスト教徒でした。私の国にテロリストたちがやって来て、私たちに『宗教は何だ』と聞きました。彼らは十字架を身に着けている妻を見て、その十字架を地面に投げ捨てるように言いましたが、妻はそうしませんでした。すると彼らは私の目の前で、妻の喉を切ったのです」。このようなことがまさに起きたのです。

彼は恨みはもっていませんでした。妻の愛の模範、それを受け入れ、死に至るまでの忠実を貫いたキリストに対する愛の模範に、焦点を当てていたのです。兄弟姉妹の皆さん、私たちの間には常に殉教者たちがいることでしょう。それは私たちが正しい道の上にいることのしるしなのです。ある専門家は、キリスト教の初期よりも、現代の方がより多くの殉教者がいると、私に言いました。殉教者の勇気、殉教者の証しは、皆にとって神の恵みです。

祈りましょう。世界各地で福音のために生命の危険にさらされている人々が、その勇気と宣教の思いを教会に伝える者となりますように。そして、殉教の恵みに心を開く者となれますように」

(バチカン放送訳、「カトリック・あい」編集)

 

 

 

日本の教会の意向: 性虐待被害者のために

*聖職者によって心と体に深い傷を負った方々が、いつくしみ深い神のいやしによって慰められますように。

2024年2月28日

2024年2月の祈りの意向

■2月の教皇と日本の教会の祈りの意向

【教皇の意向: 終末期医療のために】

*人生の最終段階を病の中で過ごしている方とその家族が、周囲の支えの中で、必要な医療と人間的なケアを受けることができますように。
(2024.1.30 バチカン放送)教皇フランシスコは、この意向について、ビデオメッセージの中で以下のように語られた。

 「終末期医療について話す時、回復不可能と、治療不可能という、2つの言葉が混同されることがあります。しかし、それは同じことではありません。たとえ病気の回復の見込みがわずかでも、すべての病者は医療的、心理的、精神的、人間的な支援を受ける権利があります。時には、話すことができなくても、また私たちを認識できないように見えても、彼らの手を取れば、私たちとつながっていることがわかります。
 必ずしも常に治癒が得られるわけではありません。しかし、いつでも病者をケアし、病者をいたわることは可能です。聖ヨハネ・パウロ2世は「可能な限り治療し、ケアは常に」と話しておられました。ここでホスピス・緩和ケアが関わってきます。それは患者に医療支援だけでなく、人間的な支援と寄り添いを保証します。
 この試練の時、家族たちを孤立させてはいけません。家族の役割は大変重要です。彼らは身体的、精神的、社会的支援を提供するために、適切な手段をとる必要があります。
 祈りましょう。人生の最終段階を病の中で過ごしている方とその家族が、周囲の支えの中で、必要な医療と人間的なケアを受けることができますように。

【日本の教会の意向: 日本で働く外国人労働者のために】

*日本で働く外国人労働者が、よい生活環境に恵まれ、安心して仕事に励むことができますように。
2024年1月31日

2024年1月の教皇と日本の教会の祈りの意向

2024年1月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 多様性という賜物のために

*キリスト者の共同体には賜物として多様なカリスマがあること、また、カトリック教会には多様な儀式の伝統があることを、聖霊の導きによって気づくことができますように。

 (2024.1.2 バチカン放送) 教皇フランシスコは2日、2024年1月の祈りの意向について以下のビデオメッセージをおくられた。
 「教会におけるカリスマの多様性を恐れることはありません。むしろ、この多様性を生きることを喜ぶべきです。すでに初期のキリスト教共同体の中に、多様性と一致はかなり存在していました。その緊張は高いレベルで解決される必要がありました。
 しかし、それだけではありません。信仰の歩みを進める上で、他のキリスト教教会や共同体の兄弟姉妹たちとのエキュメニカルな対話の必要もあります。それは混乱や困惑を生むものではなく、キリスト教共同体がただ一つのキリストの体として成長するための、神からの贈り物のようなものです。
 たとえば、東方教会について考えてみましょう。東方教会は独自の伝統、特徴的な典礼を持っていますが、信仰における一致を守っています。これは信仰を強めるものであり、分裂させるものではありません。
 私たちが聖霊に導かれるなら、豊かさや、差異、多様性は、対立の原因にはなりません。聖霊は、何よりも私たちが、「神の愛する子ら」であることを思い起させてくれます。神の愛において皆が同じであり、皆が異なるのです。
 祈りましょう。キリスト者の共同体には賜物として多様なカリスマがあること、また、カトリック教会には多様な儀式の伝統があることを、聖霊の導きによって気づくことができますように」。(編集「カトリック・あい」)

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日本の教会の意向: すべての命を守る

*神が与えてくださったすべての命の尊さを悟り、互いを思いやることができますように。

2023年12月30日

【12月の教皇と日本の教会の祈りの意向】

教皇の意向: 障がい者のために

*障がい者に社会の関心が注がれ、積極的な参加を大切にする誰一人排除しない諸施策が提供されますように。

(2023.11.29 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、この意向について、ビデオメッセージの中で次のように話された。

 「私たちの間で、最も不安定な立場の人たちの中に、障がいのある方々がいます。彼らの中には、無知や偏見に基づく拒絶に遭い、疎外感を体験する人もいます。

  社会制度は、教育、雇用、また創造性を発揮できる場所へのアクセスを通して、彼らの計画を支えなければなりません。障がい者の受け入れを促進する計画やイニシアチブが必要です。 その中でも特に、付き添うことを望む人の大きな心が必要です。

 それは、社会においても、また教会生活においても、様々な能力を持ったこれらの人たちの貢献と才能に対して開かれたものとなるように、私たちのメンタリティーを少し変える必要を意味しています。それゆえに、完全にバリアフリーの小教区を作ることは、物理的なバリアを取り除くことを意味するだけではありません。それはまた、「彼ら」について話すのをやめて、「私たち」について話し始める必要があると理解することでもあるのです。

 祈りましょう。障がい者に社会の関心が注がれ、積極的な参加を大切にする誰一人排除しない諸施策が提供されますように」。

(編集「カトリック・あい」)

 

日本の教会の意向: 召命のために

*司祭・修道者・信徒が、救いの福音を社会に伝え、神からの呼びかけに応えることができますように。

2023年11月30日

■11月の教皇と日本の教会の祈りの意向

♰教皇の意向: 教皇のために

・・教皇が、自らの使命を果たす者として聖霊の助けを受け、託された民の群れとともに歩み続けることができますように。

(2023.11.1 バチカン放送)

教皇フランシスコは、この意向について、ビデオメッセージで次のように述べた。

**********

・主が私を祝福してくださるように祈ってください。皆さんの祈りは、私に力をもたらし、聖霊に耳を傾けながら、識別し、教会に付き添うことを助けてくれます。

・教皇であることは自身の人間性を失うことではありません。むしろ、私の人間性は、神の聖なる忠実な民と共に、日毎に成長するのです。なぜなら、教皇であることもまた一つの歩み、牧者であることの意味に気づいていく過程なのです。そして、この過程の中で、より慈愛に満ち、慈しみ深く、また、神なる御父がこれほどにも忍耐強くあるように、何よりも忍耐強くあることを学ぶのです。

・すべての教皇は、その登位直後に、恐れや、めまいのような感覚、どのように厳しく評価されるだろうかとの思いに襲われるだろうと思います。なぜなら、主は私たち司教に、自分たちのしたことを真摯に理解するように命じるでしょうから。

・皆さんに情けある裁きをお願いします。そして、教皇が、− それが誰であれ、今は私の番ですが – 聖霊の助けを受け、その助けに従順であるようにと祈ってください。

・祈りましょう。教皇が、自らの使命を果たす者として、常に聖霊の助けを受け、イエスから託された民の群れとともに歩み続けることができますように。私に対する皆さんのこの祈りを、沈黙のうちに祈りましょう。

・私のためにお祈りください。どうかお願い致します。

(編集「カトリック・あい」)

 

 

♰日本の教会の意向: 死者のために

・・すべての死者が、神のもとで永遠の安息を得ることができますように。

2023年10月31日

■10月の教皇と日本の教会の意向

教皇の意向: シノドスのために

*教会が、生活様式のすべての場面で傾聴と対話を大切にする姿勢を、聖霊の導きによって、世界の隅々にまで行きわたらせることができますように。

(2023.9.29 Vatican News)

 教皇の世界祈りネットワークが制作した10月の教皇ビデオの中で、教皇は世界代表司教会議(シノドス)の力学がどのように教会の宣教の使命を前進させているか、を振り返られ、 「祈りと識別力を通して、聖霊は私たちが『耳の使徒職』、つまり神の言葉を語るために神の耳で聞くことを実行できるよう助けてくださいます」と語られた。

 そして、「そうして、私たちはキリストの心に近付きます。私たちの使命とキリストから湧き出て私たちをキリストに引き寄せる声です」とされ、メッセージの最後に「この声は、私たちに次のことを明らかにしています。それは、宣教の核心はすべての人に手を差し伸べ、すべての人を求め、すべての人を歓迎し、誰も排除することなくすべての人を巻き込むことです」と説かれた。

 また、世界のすべての信者に対して、シノドス総会の期間中、「教会が、その本来の在り方として、あらゆるレベルで耳を傾け、対話をするように、世界の隅々に聖霊によって導かれる」ように祈ることを勧められた。

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 シノダリティ(共働性)をテーマとするシノドス総会は、10月4日に始まる。それは、バチカンが準備文書と会合の準備に関する指示を発表した2021年9月に始まった2年間のプロセスを経たもの。この間、世界中の何百人ものカトリック教徒がそれぞれの教区で、準備文書で提起された質問について話し合ってきた。そのまとめは、それぞれ国・地域の司教協議会に集約され、それをもとに、大陸レベルで会合が開かれた。

 シノドス総会は、10月4日からの第一期に始まり、2024年10月の第2期の会合で閉幕する2部構成となる。今総会には、女性を含む議決権を持つ363人が参加。 これまでに総会の通例だった各国・地域の司教協議会の代表に加え、教皇フランシスコによって個人的に任命された者、一般信徒代表、「兄弟教会の代表」、「霊的アシスタント」、または「専門家および進行役」として者も出席する。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

日本の教会の意向: 福音宣教のために

*シノドスの歩みに合わせて、社会に福音を宣べ伝える使命を思い起こさせてくださいますように。

2023年9月30日