7月の教皇と日本の教会の祈りの意向

 

教皇の意向: 高齢者のために(教皇のビデオメッセージ)

*ルーツと記憶を体現する高齢者の知識と経験が、希望と責任をもって将来を歩む若者の助けとなりますように。

 (2022.6.30 バチカン放送)
 教皇フランシスコは2022年7月の祈りの意向について、ビデオメッセージをおくられた。内容以下の通り。

 「私たちの中にいる高齢者の重要性を語らずして、家庭について話すことはできません。歴史の中で、私たち人類がこれほどまで多かったことはありません。しかし、この新しい人生の段階をどのように生きたらいいのか、についてはよく知られていません。高齢者を支援する計画は多くても、高齢者の人生のための計画はあまりないのです。高齢者は、いたわりや、内省、愛情に対し、しばしば特別な感受性を持っています。すでに”優しさの師”、あるいはこれから優しさの師になれるかもしれません。戦争に慣れたこの世界にあって、私たちは真の”優しさの革命”を必要としています。これについて、私たちは新しい世代に対して大きな責任を負っています。祖父母とお年寄りたちは、私たちの生活を育む糧、人々の隠れた知恵です。それゆえに、お年寄りたちを記念することは素晴らしいことです。こうして、私は高齢者たちに捧げる日を創設しました。高齢者たちが”優しさの師”となれるよう祈りましょう。ルーツと記憶を体現する高齢者の知識と経験が、希望と責任をもって将来を歩む若者の助けとなりますように」。

 

日本の教会の意向: 社会的孤立の予防

*分断されていく社会の中で孤立する人々、社会から切り捨てられていく人々に寄り添い、人とのきずなの中で生きる喜びを分かち合うことができますように。

2022年6月30日

6月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 家庭のために

*全世界のキリスト者の家庭が、無条件の愛を身をもって体験し、日々の生活の中で聖性を高めていくことができますように。

 (2022.6.2 バチカン放送)

「家庭は共に生きることを学ぶ場所です。それは最も若い人も、最も高齢の人も一緒に生きることです。一緒にいることを通して、若者、お年寄り、大人、子供たちが、違いの中に一致しながら、その生活の模範をもって福音を告げるのです。もちろん、完璧な家族は存在しません。いつも何らかの問題はあるものです。しかし、心配はいりません。過ちを恐れてはいけません。前進するために、過ちから学ぶ必要があります。神が私たちと共にいてくださることを忘れてはなりません。神は、家庭に、私たちが住む町に、私たちと一緒におられます。そして、神は私たちを注意深く見守り、荒れた海で舟が揺れるたびに、私たちと共にとどまってくださいます。家庭における愛は、私たち一人ひとりにとって、聖性への固有の道です。そのために、今月の世界家庭大会に合わせて、私はこのテーマを選びました。祈りましょう。全世界のキリスト者の家庭が、無条件の愛を身をもって体験し、日々の生活の中で聖性を高めていくことができますように」

 

 

日本の教会の意向: 地球環境保護

*人間の活動による環境破壊や気候変動の影響による自然災害の被害にあった人々を支援し、地球環境を保護する取り組みを推進していくことができますように。

2022年5月31日

5月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 信仰豊かな若者のために

・すべての若者が自らの召命を充分に生きることができるよう祈ります。よく聴き、深く識別し、信仰を貫き、奉仕に献身した聖母マリアの生き方を知ることができますように。

 5月の祈りの意向についての教皇フランシスコのビデオメッセージの言葉は次の通り。(2022.5.3 バチカン放送)

  「家庭について語るにあたり、まず若者たちに言葉を向けたいと思います。若い皆さんが共感できるような模範を考える時、私たちの母、マリアの姿が、その勇気、耳を傾ける力、献身的な奉仕と共にいつも頭に浮かんできます。

マリアは勇気と決意をもって、主に『はい』と答えました。何か新しいもの、より良い世界を築きたいと思う若者の皆さん、マリアの模範に倣い、リスクに挑戦しましょう。マリアに従うには、皆さんが可能と思うことではなく、イエスが何を皆さんにお望みなのかを、識別し発見しなくてはなりません。

そして、この識別において、皆さんの祖父母の言葉に耳を傾けることが大いに役立ちます。皆さんは祖父母の言葉の中に、今の問題を乗り越えるための知恵を見出すことができるでしょう。それらの言葉は皆さんの不安に対し、もっと大きな見方を与えてくれるでしょう。

兄弟姉妹たちよ、祈りましょう。すべての若者が自らの召命を充分に生きることができますように。よく聴き、深く識別し、信仰を貫き、奉仕に献身した聖母マリアの生き方を知ることができますように」

 

 

日本の教会の意向: 困窮者との連帯

・経済的な格差が広がる社会の中で、周縁に追いやられた人々と連帯し、支援していくことができますように。

2022年4月30日

4月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 医療従事者のために

*病者や高齢者のために、とりわけ最貧国で奉仕する医療従事者が、政府や地方自治体から適切な支援を受けることができますように。

 教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージで次のように話された。(2022.4.5 バチカン放送=編集「カトリック・あい」)

 「今月は医療従事者のために祈りましょう。 パンデミックは、医療従事者の献身と寛大さを私たちに示しました。これらの人々は、ボランティア、医療の世界で働く人々、司祭、修道者たちです。

一方で、このパンデミックは、すべての人が公共の良い医療システムにアクセスできるわけではないことをも明らかにしました。最も貧しい国々、弱い立場にある国々は、人々を苦しませ続ける多くの病気のために必要な治療を受けることができません。多くの場合、これはずさんなリソース管理や、真摯な政治的努力の欠如によるものです。

こうしたことから、皆がアクセスできる良い医療サービスは一つの優先課題であることを忘れないよう、世界のすべての国々の政府にお願いしたいと思います。

また、医療サービスとは単なる組織ではなく、他者の健康をケアするために人生を捧げる人々をも含んでいること、また、彼らがこのパンデミックで多くの患者の回復のために自らのいのちをも捧げたことを思い出したいと思います。

祈りましょう。病者や高齢者のために、とりわけ最貧国で奉仕する医療従事者が、政府や地方自治体から適切な支援を受けることができますように」

 

 

日本の教会の意向: 家庭

*すべての家庭の平安のために祈ります。とりわけ、悩みを抱え、きずなが揺らいでいる夫婦が互いに歩み寄り、和解への糸口を見出すことができますように。

2022年3月31日

◇3月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の祈りの意向: 生命倫理の課題へのキリスト者の対応

・キリスト者が直面している生命倫理の新しい課題のために祈ります。祈りと活動を通して、命の尊厳を守り続けることができますように。

(2022.3.9 バチカン放送)教皇フランシスコは9日、この祈りの意向について、ビデオメッセージの中で次のように述べられた。

「生命倫理の課題にキリスト教的回答を与えることができるように祈りましょう。 キリスト者が直面している生命倫理の新しい課題のために祈ります。祈りと活動をとおして、命の尊厳を守り続けることができますように。

科学は明らかに発展し、今日、生命倫理は、回答すべき一連の問題を、私たちに突きつけています。ダチョウのように頭を砂の中に隠すわけにはいかないのです。バイオテクノロジーの応用は、常に人間の尊厳を尊重することから始めなくてはなりません。たとえば、ヒト胚を使い捨ての素材のように扱い、”使い捨ての文化”に入れられることはあってはなりません。”使い捨ての文化”は、多くの被害をもたらします。

経済的利益が、生物医学の研究を左右することがあってはなりません。より深い繊細な識別をもって、大きな変化が起きようとしていることを理解しなければなりません。

科学技術の進歩を止めよう、と言っているのではありません。それを注意深く見守ること、人間の尊厳と進歩の両方を保護することが必要なのです。別の言い方をするなら、人間の尊厳を手放して、技術の進歩を得ようとしてはならない。双方が調和し合いながら、共にあることが重要なのです。

キリスト者が直面している生命倫理の新しい課題のために祈ります。祈りと社会的活動を通して、命の尊厳を守り続けることができますように」

(編集「カトリック・あい」)

 

 

 

日本の教会の祈りの意向: 召命

・私たちが、それぞれの職場や家庭の中で、自分に委ねられた召命を生きることができますように。

2022年2月28日

2月の教皇と日本の教会の祈りの意向

■2月

教皇の祈りの意向: 修道女と奉献生活に召された女性

修道女と奉献生活に召された女性の使命と勇気に感謝し、祈ります。現代のさまざまな課題について新しい対応を探し続けることができますように。

 (2022.2.2 バチカン放送)

教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージの中で次のように述べられた。

「今月は、特に修道女と奉献生活に召された女性たちのために祈りましょう。

修道女や在俗奉献者たちのいない教会とはいかなるものでしょうか。彼女たちのいない教会を考えることができません。

私たちが生きるこの世の挑戦を前に、使命のために善きものを識別し、選択することを、すべての奉献生活者たちに励ましたいと思います。

貧しい人々、疎外された人々、人身取引の隷属下にある人々のために働き、行動するよう励ますと共に、特にこのことに力を入れてくださるようお願いします。

そして、彼女たちが、カテキスタ、神学者、霊的指導者として、神の愛と憐れみの美しさを示せるように、祈りましょう。

彼女たちがある場合、たとえば教会内でも、不当な扱いを受けた場合、彼女たちの偉大な奉仕が、時には教会の男性たちによって、使用人の仕事のようにみなされる場合には、それと闘うよう勧めます。

失望してはなりません。神の優しさを使徒職を通して、特に奉献の証しを通して伝え続けてください。

修道女と奉献生活に召された女性の使命と勇気に感謝しながら、祈りましょう。彼女たちが現代のさまざまな課題について新しい対応を探し続けることができますように。

皆さんの存在、皆さんの奉仕と、そのあり方に感謝します」

 

 

日本の教会の祈りの意向: 若者たち

次の世代を担う子どもや若者が、自らの役割に目覚め、神の国の実現に寄与できますように。

2022年1月30日

新年1月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の祈りの意向: 人類の真の友愛

・宗教的な差別や迫害に苦しんでいるすべての人々のために祈ります。人間家族の兄弟姉妹であることに裏付けされた一人ひとりの権利と尊厳が認められますように。

 (2022.1.5 バチカン放送)教皇フランシスコは、2022年1月の祈りの意向について、ビデオを通して以下のメッセージを寄せられた。

「今、少数派の宗教に属する多くの人々が差別や迫害を受けているのは、いったいどうしたことでしょうか。かくも文明化されたこの社会で、自分の宗教を公に表すだけで迫害される人々がいる、ということを、どうして認められるでしょうか」

「宗教的自由とは、礼拝の自由、信仰の書に定められた日課を行う自由にとどまりません。それは、他者を、その違いにおいて、理解し、彼らを真の兄弟姉妹として認識させるものでもあります」

「人間として、私たちは分かち合える多くの共通のものを持つと共に、兄弟であることの喜びをもって互いの違いを受け入れることができます。小さな違いも、あるいは宗教のような重要な違いも、兄弟であるという大きな一致に影を落とすことがあってはなりません。兄弟愛の道を選びましょう。なぜなら、私たちは、兄弟であるか、それとも、すべてを失ってしまうかーのどちらかだからです」

「宗教的な差別や迫害に苦しんでいるすべての人々のために祈りましょう。人間家族の兄弟姉妹であることに裏付けされた一人ひとりの権利と尊厳が認められますように」

 

 

日本の教会の意向: すべてのいのちを守る

・とくに弱い立場に置かれている人々を保護し、人間としての尊厳が尊重される社会を実現できますように。

2021年12月31日

12月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: カテキスタのために

「神のことばを告げ知らせるために召し出しを受けたカテキスタのために祈りましょう。勇気と創造力を持ち、聖霊に支えられ、証し人となることができますように」

(2021.11.30 バチカン放送)教皇フランシスコは、12月の祈りの意向について、ビデオを通し以下のメッセージをおくられた。

 「カテキスタは、信仰を伝え、それを深めることにおいて、かけがえのない使命を持っています。 カテキスタの信徒としての役務は、一つの召命です。カテキスタであることは、カテキスタとして働くことではなく、カテキスタという存在であることです。それは生き方そのものです。寄り添う者であると同時に教育者でもある良いカテキスタが必要です。福音を告げることにおいて、創造的な人が必要とされています。控えめでも、押し付けがましくてもいけません。福音を特に自分の生き方、柔和さ、新しい道を開きながら新しい表現をもって告げる人が必要です。 多くの教区で、多くの大陸で、福音宣教は基本的にカテキスタの手にかかっています。内的な情熱をもって、教会への奉仕の使命を生きるカテキスタたちに感謝しましょう。神のことばを告げ知らせるために召し出しを受けたカテキスタたちのために、共に祈りましょう。カテキスタたちが勇気と創造力を持ち、聖霊に支えられ、証し人となることができますように」

日本の教会の意向: クリスマスの喜びと祝福

「闇に住む人々、社会の周縁に追いやられた人々に、お生まれになった幼子イエスの恵みと祝福が豊かにありますように」

2021年11月30日

・11月の教皇と日本の教会の祈りの意向

*教皇の祈りの意向: うつ病に苦しむ人々

うつ病や燃え尽き症候群に苦しむ人々が、支援を受け、生活を取り戻す光を見いだすことができますように。

(2021.11.3 Vatican News  Devin Watkins) 
  教皇フランシスコは、11月の祈りの意向として、倦怠感、燃え尽き症候群、うつ病に苦しむ人々のために祈り、彼らの傍に居るように、すべての人々に促され、次のように語られた。

 「過労や仕事関連のストレスによって、多くの人が極度の倦怠感を経験します—精神的、感情的、感情的、そして肉体的な倦怠感です… 北半球に住む人々の場合、秋から冬の季節に入ると、気温が下がり、雨の日もあり、屋内で過ごすことが多くなる時に多く起きます。悲しみ、無関心、そして精神的な倦怠感は、今日の生活のリズムが過負荷になっている人々の生活を支配してしまいます」

「そうした、落ち込んでいる人、絶望している人、希望を失っている人が周りにいたら、手を差し伸べましょう。そして、黙って、耳を傾けましょう… 『私の言うことを聞いて。解決できますよ』などと言わないように。”解決策”はないのです。しかし、心理的なカウンセリングは必要であるし、イエスの言葉は、私たちや他の人たちが慰めを見つける助けになります-『私の所に来なさい、働き、重荷を負った人たち皆、休ませてあげよう』… うつ病や燃え尽き症候群に苦しむ人々が、快活さを取り戻す助けと光を見つけることができるように祈りましょう」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

*日本の教会の意向: すべての死者のため

すべての死者が神の国で安らかに憩い、遺族には慰めと希望が与えられますように。

2021年10月29日

10月の教皇と日本の教会の祈りの意向

【世界宣教月間】

教皇の祈りの意向: 宣教に向かう弟子たち

*洗礼を受けたすべての人が、福音の香りのする生き方の証人となって、それぞれの使命に応じた福音宣教に携わることができますように。

(2021.10.1 バチカン放送)教皇フランシスコは、10月の祈りの意向についてビデオで次のように話された。
   「イエスは私たち皆に、そしてあなたにも、宣教する弟子となるように願われます。その心構えは出来ているでしょうか?そのためには、イエスの呼び掛けに応え、仕事や、人との出会い、日々の用事や出来事など、最も日常的なことにおいて、聖霊に導かれながら、主と一致して生きるだけでいいのです。

  もしキリストがあなたを動かしているなら、もしキリストに導かれてあなたが何かをしているなら、他の人々は容易にそれに気づくでしょう。あなたの生活の証しが人を感嘆させ、その感嘆が人に尋ねさせるのです。『どうしてこんなことが可能なのか?』、『すべての人に愛をもって接するこの人の、その愛、優しさ、機嫌のよさは、どこから来るのだろうか?』と。

宣教とは、改宗の強要ではありません。それは人と人との出会いに基づくもの、『私は、イエスを知っています。あなたにも、イエスを知ってもらいたいのです』という人々の証しに基づくものです。

兄弟姉妹の皆さん、祈りましょう。洗礼を受けたすべての人が、福音の香りのする生き方の証人となって、それぞれの使命に応じた福音宣教に携わることができますように」

 

宣教者のための祈り

全ての人の救い主である神よ、

世界中の宣教者たちをあなたに委ねます。

御子イエスの死と復活によるあなたとの和解の福音を広めるために、

彼らが勇気を持って完全に自分を献げることができますように。

彼らがその命をかけて、

自らが宣べ伝える福音の誠実な証し人となりますように。

迷いや絶望の中にあるときに、彼らを励ましてください。

あなたが彼らに与えてくださった賜物を、

あなたの奉仕のために用いることができますように。

彼らを病気、事故、そして暴力からお守りください。

困難に直面したときや、働きに実りがないと感じるときも、

働きを続けることができるように彼らに力をお与えください。

置かれた場にいるわたしたちが、

福音を広めるために必要な手段を彼らに与えることができますように。

わたしたちの苦しみ、祈り、そして献げ物を受け入れ、

彼らの使命のために役立ててくださいますように。

アーメン

(出典:Prayers and Reflections No.43, Pontifical Mission Societies 2019   日本語訳:カトリック東京大司教区広報)

 

 

 

日本の教会の意向: 日常生活における宣教

*宣教月間にあたって、私たちが日々の生活を通して、職場や家庭それぞれの場で、キリストの福音を伝えていく者となりますように。

世界宣教月間によせて  カトリック東京大司教区 大司教  菊地功

教会は10月を「世界宣教月間」と、10月の終わりから二つ目の日曜日を「世界宣教の日」と定めています。福音を宣教することは、ひとり司祭や修道者の固有の使命ではなく、すべてのキリスト者、教会共同体の大切な使命であります。社会はいまだコロナ禍の不安の中にあります。このような状況だからこそ、わたしたちにはそれぞれの生きる場での福音宣教者となることが求められています。それぞれの置かれた場あって、自分が生きる姿勢と言葉をもって、喜びのうちに、すべてのいのちは神から愛されているのだ、愛されていないいのちはないのだというイエスの福音を証ししてまいりましょう。

 

2021年9月30日