教皇フランシスコ、欧州連合司教委員会の関係者と 2023年3月23日 バチカン宮殿 (ANSA)
教皇フランシスコは23日、欧州連合司教委員会(COMECE)の定例総会参加者とお会いになり、欧州連合(EU)創立の父たちが抱いていた二つの偉大な夢―「一致の夢」と「平和の夢」であったことを指摘された。
そして「欧州が目指す『一致』は『画一性』を意味するものではありません。欧州を構成する様々な民族と文化の独自性や特性を尊重し価値づけるものであり、『多様性の中の一致』にこそ、欧州の未来があるのです」と訴えられた。
さらに、多様性の中の一致は、「一人ひとりの心や考えから始まるものであり、違いを形作るのは人間です… 教会は時代のしるしを読み、今日の歴史の中で欧州の目指すべきものは何であるのかを考えながら、人々の育成を行うように」と願われ、「まさにこの現代にこそ、『一致して平和に奉仕する欧州』という夢に沿って働く人たちが必要です」と強調された。
また、「欧州は、第二次世界大戦後、長きにわたって平和を享受してきましたが、その間にも世界では様々な紛争が続き、特に今、起きているウクライナでの戦争は欧州の平和を強く揺さぶるもの」とされ、「この戦争のために、ウクライナの近隣国では避難民の受け入れが広がり、欧州中の人々がウクライナ国民への連帯の行為に加わっています。この一致した慈愛の業に、さらに一致した平和への取り組みが伴う必要があります」と指摘。
「戦争を『紛争の解決手段と見なすことはできず、また見なすことがあってはならない』という倫理的・政治的原則を分かち合うなら、現代の状況がもたらす複雑さの中においても、あらゆる努力をもって、この原則を実現しなければなりません」と説かれた。
そして、「戦争は、政治と人類の敗北です」と語られた教皇は、司教たち自身も、平和構築のための”建築家”かつ”職人”となって、「預言性、先見性、創造性をもって、それぞれのカリスマを活かしながら、平和のために貢献して欲しい」と強く求められた。
(編集「カトリック・あい」)
The Act of Consecration to the Immaculate Heart on the 25th March 2022 (Vatican Media)
(2023.3.22 VATICAN NEWS Joseph Tulloch)
教皇フランシスコが、ロシアによるウクライナ軍事侵攻の早期停止を願って、昨年3月25日のバチカン・聖ペトリ大聖堂での共同回心式の中で「ロシアとウクライナを聖母マリアの穢れなき御心に奉献する祈り」を捧げられて、25日で一周年を迎える。
ロシアの軍事侵攻がいまだに止む気配を見せない中で、教皇は22日の一般謁見で、「平和の大義を、平和の女王であるマリアに捧げることに、決して倦むことのないように」と世界の信徒たちに呼びかけられた。
教皇は、聖母マリアの穢れなき御心に奉献は「私たちの世界を脅かすこの残酷で無意味な侵略の苦しみの中で、御母に立ち返り、すべての恐怖と心の痛みを鎮め、御母に身を任せることは、私たち子供の完全な信頼の行為なのです」と説かれた。
そして、「平和の大義を平和の女王に奉献することに、倦むことのないように飽きないようにしましょう」とされ、 「世界のすべての信者と教会共同体、特に祈りのグループに、毎年 3 月 25 日を聖母への奉献を更新する日とするよう勧めたいと思います。そうすれば、私たちの母である聖母が、私たち全員を平和と一致の中で守ってくさるでしょう」と強調された。
さらに、現在もロシアによる絶え間ない攻撃に苦しめられているウクライナを「決して忘れることのないように」と世界の信徒たちに求められた。
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教皇の「マリアの穢れなき御心への奉献の祈り」は以下の通り。
神の御母、私たちの母、マリアよ、この懊悩の時、あなたにより頼みます。母であるあなたは、私たちを愛し、私たちをご存知です。私たちが心に抱くいかなるものも、あなたに隠すことはありません。慈しみ深い母よ、私たちは何度も、あなたの配慮ある優しさ、平安に導くあなたの存在を体験しました。なぜなら、あなたは、私たちをいつも、平和の君であるイエスに導く方だからです。
しかし、私たちは平和の道を見失いました。私たちは前世紀の悲劇の教訓を、世界大戦の無数の死者たちの犠牲を忘れました。国々の共同体としての義務を尊重せず、人々の平和への夢と、若者たちの希望を裏切りました。私たちは強欲に取りつかれ、国益の中に閉じこもり、無関心によって心はひからび、エゴイズムによって麻痺してしまいました。
神を無視することを選び、欺瞞と共に生き、攻撃性を増し、人命を殺め、軍拡に走り、自分たちが隣人と共通の家を守るべき者であることを忘れました。地上の園を戦争によって破壊し、私たちが兄弟姉妹として生きることを望まれる、御父の御心を罪によって傷つけました。自分たち以外の、すべての人、すべての箏に対し無関心になりました。私たちは恥をもって言います。主よ、お赦しください!
罪の惨めさの中で、疲れと弱さの中で、悪と戦争の不条理の中で、聖なる母よ、あなたは、神は私たちを見捨てられず、愛の眼差しを注ぎ続け、私たちを赦し、再び立ち上がらせたいと望んでおられることを思い出させてくださいます。神はあなたを私たちにお与えになり、あなたの穢れなき御心を教会と人類のよりどころとしてくださいました。神の善によって、あなたは私たちと共におられ、歴史の最も暗い曲がり角においても、私たちを優しく導いてくださいます。
私たちは、あなたにより頼み、あなたの御心の扉をたたきます。あなたは、愛する子である私たちをいつも見守り、回心へと招かれます。この闇の時、私たちを救い、慰めに来てください。私たち一人ひとりに繰り返してください。「あなたの母である私が、ここにいないことがあるでしょうか」と。あなたは私たちの心のもつれと、時代の困難を解くことがお出来になります。私たちはあなたに信頼します。特に試練の時、あなたは私たちの祈りを蔑まず、助けに来てくださる、と確信しています。
ガリラヤのカナで、あなたはイエスの助けを促され、イエスの最初のしるしを世界にもたらしました。婚礼の祝いが悲しみに変わった時、「ぶどう酒がなくなりました」(ヨハネ福音書2章3節)と、あなたはイエスに言われました。
御母よ、神にその言葉をもう一度繰り返してください。今日、私たちに希望のぶどう酒はなくなり、喜びは消え去り、兄弟愛は薄められたからです。私たちは人間性を見失い、平和を壊してしまいました。あらゆる暴力と破壊をしうる者となってしまいました。私たちはあなたの母なる助けを急いで必要としています。
御母よ、どうか、私たちの願いを聞き入れてください。
海の星であるあなたよ、戦争の嵐の中で私たちを遭難させないでください。
新しい契約の櫃であるあなたよ、和解の計画と道を呼び起こしてください。
「天の大地」であるあなたよ、神の調和を世界にもたらしてください。
憎しみを消し、復讐を宥め、赦しを教えてください。
戦争から私たちを解放し、核兵器の脅威から世界を守ってください。
ロザリオの元后、祈り、愛することの必要を呼び覚ましてください。
人類家族の元后、人々に兄弟愛の道を示してください。
平和の元后、世界に平和をお与えください。
御母よ、あなたの嘆きが、私たちの頑な心を動かしますように。あなたが私たちのために流した涙が、憎しみで干上がった谷に再び花を咲かせますように。武器の音が止まぬ中、あなたの祈りが、私たちを平和に向かわせますように。あなたの母なる手が、爆撃の下で苦しみ、逃げまどう人々に優しく触れますように。あなたの母なる抱擁が、家と祖国を後にせざるを得ない人々に慰めを与えますように。あなたの苦しむ御心が、私たちに憐れみの心を動かし、扉を開けさせ、傷つき、見捨てられた人類の世話にあたらせますように。
聖なる神の御母よ、あなたが十字架の下におられた時、イエスはあなたのそばの弟子を見て、「御覧なさい、あなたの子です」(ヨハネ福音書19章26節)とあなたに言われました。こうしてイエスは、私たち一人ひとりをあなたに委ねられました。それから、イエスは弟子に、つまり私たち一人ひとりに、「見なさい、あなたの母です」(同19章27節)と言われました。
御母よ、今、私たちの人生、私たちの歴史の中に、あなたをお迎えしたいと思います。今この時、疲れ切り、動揺した人類は、あなたと共に十字架の下にいます。そして、あなたに信頼し、あなたを通して、キリストに自らを奉献したい、と望んでいます。愛をもって、あなたを崇敬するウクライナの民とロシアの民は、あなたにより頼んでいます。それに対し、あなたの御心は、彼らのために、そして戦争、飢餓、不正義、貧困によって殺されたすべての人々のために鼓動しています。
神と私たちの御母よ、私たちは、あなたの穢れなき御心に、私たち自身を、教会を、全人類を、特にロシアとウクライナを、厳かに託し、奉献いたします。私たちが信頼と愛を込めて唱えるこの祈りを聞き入れてください。戦争を止め、世界に平和を整えてください。
あなたの御心から出た「はい」という言葉は、平和の君に歴史の扉を開きました。あなたの御心を通して、再び平和が訪れることを信じています。あなたに全人類の未来と、人々の必要と願い、世界の苦悩と希望を奉献いたします。あなたを通して、地上に神の慈しみが注がれ、平和の穏やかな鼓動が私たちの日常に再び響きますように。
「はい」と答えた乙女よ、あなたの上に聖霊は訪れました。私たちに神の調和を再びもたらしてください。「ほとばしる希望の泉」である方、渇いた私たちの心を癒やしてください。人類をイエスに織り込んだ方、私たちを交わりを作り出す者にしてください。私たちの道を歩まれた方、平和の小径を導いてください。
アーメン。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2023.3.19 Vatican News Thaddeus Jones)
教皇フランシスコは19日、四旬節第四主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたヨハネス福音書の箇所(9章1‐41節参照)にあるイエスに視力を取り戻してもらった生まれつき目の見えない人のように、私たちも目を見開き、暮らしの中で他者に善を行うことで神からいただく賜物に驚くことができるように、と勧められた。
*「驚くべきこと」が見えず、心を閉ざす人々
教皇はまず、この福音書の箇所で描かれた、目が見えるようになった男の人に対する人々の様々な反応に注目。生まれつき目が見えなかったのは彼、あるいは両親の罪に原因があるかどうか、原因を見つけようとするイエスの弟子たち… 教皇は「それよりも、私たちの暮らしの中で、目の見えない人の存在が、私たちにとって何を意味するのか、そして、主が私たちに何を求めておられるのかを問う必要があります」と語られた。
また、教皇は「弟子以外の人々の反応は様々でした」と指摘。目が見えなかったのに見えるようになったのを信じない人、安息日を守らないイエスの癒しに異議を唱える律法学者やファリサイ派の人、このことを何も聞きたくないユダヤ教の長老たちを動揺させるのを恐れて、この驚くべき真実を語ろうとしなかった彼の両親などを挙げられた。そして「これらの人々の反応に共通するのは、「イエスがなさったしるしの前で、心が閉ざされている、ということ。彼らは”犯人”を探しているから、驚くことを知らないから、変わりたくないから、恐怖で心がふさがれているから、です」と述べられた。
*「目が見えるようになった」と驚き、感謝し、証しする
そして「これに対して、目が見えなかった男の人の反応は『私は目が見えるようになった』と言って、驚き、感謝し、そして喜びをもって何が起こったのかを率直に証しすることでした。 身も心も自由で、恐れることなくイエスを公けに証します。他の人々から『彼は物乞いではないか』とか『呪われた浮浪者ではないか』などと言われるのを恐れずに、です」と指摘。
さらに、「彼は癒された今、そうした自分を馬鹿にするような人々の振る舞いを恐れません。それは、イエスから完全な尊厳を与えられたからです。 安息日に群衆の面前で、自由にされ、何も、感謝の言葉さえも求められないまま、視力を与えられました。そうして、彼はそのことを証します」とされた。
*「自分だったら、どのように反応するか、考えよう」
続いて教皇は、「自分がこの目が見えなかった男の人だったら、どのように反応したか、今、(同じことが起きたら)どうするか、考える必要があります」とされ、次のように問いかけられた。
「 神が賜物をくださるとき、感謝することができますか?イエスの愛と憐れみを証していますか、それとも恐れと弱さから、批判したり、否定したりしていますか?神が日々くださる賜物に対する喜びを進んで他の人と分かち合おうとしていますか、それとも、人々の反応を恐れに、心の内に納めてしまっていますか? そして最後に―私たちは他の人々の苦しみを『煩わしいこと』と見なしていますか、それとも『慰めと愛をもって彼らに近づく機会』と見なしますか?
そして、最後に次のように祈られた。
「神の賜物に毎日驚かされ、イエスが目の見えない人を見えるようにされたように、私たちが人生でさまざまな状況に置かれ、たとえそれが、ひどく受け入れがたいものであっても、善を行う機会として見ることができるように、主の恵みを願いましょう。 聖母マリアが、公正で忠実な方、聖ヨセフと共に、私たちを助けてくださいますように」
教皇フランシスコ、台湾の仏教関係者と 2023年3月16日 バチカン宮殿 (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2023.3.16 バチカン放送)
教皇フランシスコは16日、台湾から訪れた仏教の僧侶たちとお会いになった。
お会いになったのは、諸宗教対話と教育的な「巡礼」を目的にバチカンを訪れた台湾の仏教関係者とカトリック教会関係者のグループ。
教皇は、同グループのバチカン訪問は、「仏教とキリスト教のそれぞれの信者が自らの信仰に根差しつつ育んだ、友愛と協力の精神を証しするもの」と述べられた。
また、台湾の「人間仏教」の推進者で、先日亡くなった仏光山の創始者、星雲法師の諸宗教対話への貢献を思い起こされるとともに、それを受け継ぐグループのバチカン訪問は「『出会いの文化』を育むまたとない機会。出会いを通して他者に自らを開くことで、その中に友情や兄弟愛を見出し、それによって自分自身をもより良く知ることができます」と語られた。
さらに、「出会いの文化は橋を築き、他者が精神的な拠り所としている宗教的価値や原則に対し、窓を開かせます… 人類と地球がスピードをもって変化し続ける今日、出会いのオアシスがより必要となっています」と指摘され、「かつてそうであったように、今日もまた、伝統宗教が持つ叡智と人間性をもって、新たな教育活動に刺激をもたらし、世界に普遍的な兄弟愛を育てることができますように」と願われた。
(編集「カトリック・あい」)
ロシア軍の爆撃で破壊された自宅に呆然としてたたずむ年老いた女性 (AFP or licensors)
(2023.3.12 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは12日、四旬節第3主日の正午の祈りの中で、17日金曜日の夕方から「24 Hours for the Lord(主のための24時間)」の祈りを行うことを発表された。
教皇は17日夕刻にローマ市内の教会Santa Maria delle Grazie al Trionfaleを訪問され、「24 Hours for the Lord(主のための24時間)」の開始を告げられる予定だ。
12日にこの予定を発表された際、教皇は、昨年3月25日の聖ペトロ大聖堂での共同回心式でおこわなわれた、 ロシアとウクライナの「マリアの穢れなき御心への奉献の祈り」を思い起こされ、世界の信者たちに、戦火に苦しむすべての人々、中でも残虐な攻撃にさらされ続けているウクライナの人々と「信仰と連帯で団結し続けるように」と呼び掛けられた。
「24 Hours for the Lord(主のための24時間)」は フランシスコが2013年の教皇就任の最初の年から始められたもので、 この時間中、世界中の教会を原則として開放したままとし、信者と巡礼者が祈り、和解と告解の機会を提供することになっている。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Francis celebrates Holy Mass at Casa Santa Marta
(2023.3.10 Vatican News Paolo Rodari)
教皇フランシスコは着座10周年を前に様々な欧米メディアからインタビューを受けているが、スイス公共放送協会のイタリア語圏向け放送(RSI)が12日夜に放送予定のインタビュー録画内容を公開した= www.rsi.ch。
このインタビューで、教皇は質問に答える形で「 culture of welcome (喜びをもって受け入れる文化)」を育む必要性、ロシアの軍事侵略によって引き起こされたウクライナでの戦争やその他の地域紛争、前任のベネディクト16世との関係、死後の世界などについて語られた。
教皇職を辞任する可能性については、「考えていません」としたうえで、辞任を判断するのは、物事に対する認識力、明晰な知覚、状況を判断する能力、などが欠けるようになった場合、とされた。ブエノスアイレスで「通りを歩くこと」ことが出来たのを今でも恋しく思っており、バチカンでの教皇職に心配事は尽きないが、”ユニークな街”であるローマで元気にやっている、と断言された。
ウクライナなど世界各地で続く紛争について、「私たちは”世界大戦”の中にいる。断片的な形で始まり、今では、それが世界的でない、と言えなくなっています。諸大国は、現在起きている戦争にすべて絡み合っているから。現在の主戦場はウクライナです. 誰もがそこで戦っている」と語り、 プーチン大統領は、教皇が自分に会いたいと思っているのを知っているが、「そこ(ウクライナの戦い)には、”ロシア帝国”だけでなく、あちこちの帝国の利害が絡まっている」と指摘した。
インタビューでの主なやり取りは次の通り。
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*「耐久力は落ちているが、膝は順調に回復している」
問:教皇になられて10年。あなたはどれくらい変わられましたか?
教皇:歳を取りました。 持久力が落ちている。膝のけがは、肉体的な屈辱でしたが、今は順調に回復しています。
問:車いすに乗るのは大変でしたか?
教皇:ちょっと恥ずかしかったです。
*「教会は一部の人のための家ではない、来る人を選ばない」
問:多くの人があなたを「最も小さな教皇」と呼んでいます。 あなたもそう感じでおられますか?
教皇:「捨てられる人」を私が歓迎するのは事実ですが、それは私が、「それ以外の人を捨てる」ことを意味しません。 貧しい人々はイエスのお気に入りですが、金持ちを追い出すことはなさいません。
問:イエスは、すべての人を自分の食卓に連れてくるように求めますが、 これは何を意味するのでしょうか?
教皇:それは、「誰も除外されないこと」を意味します。 招待客が婚宴への出席を拒んだとき時、金持ちも貧しい人も、すべての人を招いて席をいっぱいにする、というたとえ話を、イエスはなさいました。 忘れてはなりません―教会は一部の人にとっての家ではなく、来る人を選びません。 神の聖なる信者たち… どの人もそうなのです。
問:生活状態が原因で教会から疎外されている、と感じる人がいるのはなぜでしょうか?
教皇:罪はいつもそこにあります。 世の中には少しばかり虚栄心が存在し、自分は他の人より素晴らしいと感じることがありますが、それは正しくありません。 私たちは皆、罪人です。 「真実の時」に、あなたの真実を表に出してください。そうすれば、自分が罪人であることが分かるでしょう。(「カトリック・あい」注:「真実の時」は1945年作成のメキシコ映画。貧しい家庭がお金のために翻弄され、数十万ドルのために犯罪に加担する、という内容)
*死後の世界、聖マルタの館、そしてアルゼンチンの思い出
問:死後の世界をどのようにお考えですか?
教皇:想像できません。 どうなるか分からない。共にいてくださるように、聖母にお願いすることしかできません。
問:教皇になられた時、なぜバチカン宮殿でなく、聖マルタの館にお住まいになることを選ばれたのですか?
教皇:教皇選挙で就任が決まった2日後に、私はバチカン宮殿の教皇の住まいに出かけました。 それほど豪華ではないが、 作りはしっかりしていて、スペースも大きい。 私が、自分が住むところについて持っていた感覚は真逆でした。 精神的に受け入れられない。それから、 私が今住んでいて、貴方のインタビューを受けている聖マルタの館の前をたまたま通った時、「私はここに住む」と言う言葉が出たのです。 ここは、教皇庁で働く40人が住む宿舎です。 そして、彼らは世界のあらゆる所から来ています。
問:教皇になられる前のアルゼンチンでの暮らしで今でも恋しく思うことはありますか?
教皇:町中を歩いて、通りを下って… よく歩いていました。 私はいつも人々と一緒に、地下鉄、バスに乗っていました。
問:欧州の暮らしはどうですか?
教皇:非常にたくさんの政治家、政府の長、または若い閣僚がいます。 私はいつも彼らに言います―「互いに話をしてください。 あれは左、あなたは右、どちらも若い。話しかけて。 若者同士で対話をする時です」と。
問:”地の果て”(アルゼンチン)出身の教皇がもたらすことのできるものは?
教皇:アルゼンチンの哲学者アメリア・ポデッティの言葉を思い出します。「 遠く離れた所から普遍性を理解する」- それは社会的、哲学的、政治的な原則です。
*コロナ禍で閉鎖された聖ペトロ広場での孤独の祈りでの体験は
問:(新型コロナの世界的大感染で)何か月にもわってバチカンの聖ペトロ広場が閉鎖されました。その広場で”孤独な祈り”を捧げられましたが、覚えておられることはありますか?
教皇: あの時は、雨が降っていて、人はいなかった。 私は、「主がそこにおられる」と感じました。 主が私たちに悲劇、孤独、闇、疫病を理解させようとしておられたのでした。
*”世界大戦”の中にあるウクライナ、武器市場、帝国の利害…
問:世界にはいくつもの戦争が起きています。
教皇:これまで100 年余りの間に、3 回の”世界大戦”がありました。14 ~ 18 年、39 ~ 45 年、そして今起きている大戦です。 今の大戦は、断片的な形で始まりましたが、今では誰もそれが「世界的ではない」とは言えません。 強大な力はすべてそれに巻き込まれています。 戦場はウクライナ。 そこでみんなが戦っている。 それは、武器産業を連想させます。 ある専門家は私にこう言いました―「兵器が1年、生産されなければ、世界の飢餓の問題は解決されるでしょう」と。 世界的な武器市場… 戦争が行われ、そこに古い武器が売り込まれ、新しい武器がテストされるのです。
問:ロシアによるウクライナ軍事侵略が始まる前に、あなたはプーチン大統領に何度かお会いになりました。 もし今日、大統領にお会いになったら、何と言われますか?
教皇:公の場で話すのと同じくらい、はっきりと彼に言うつもりです。 彼は教養のある人です。 侵略が始まって2日目に、私は在バチカンのロシア大使館に行き、「大統領が話し合いの機会を設けてくれるなら、喜んでモスクワに行く」と言いました。 ラブロフ外相は私の申し出に感謝する手紙をくれましたが、「今は、その時ではない」と書いてありました。 プーチンは私がいつでもモスクワに行く用意があることを知っています。 しかし、この戦争には、ロシア帝国だけでなく、他の帝国の利益も絡んでいます。 国民の利益を二番目に置くのは、帝国の典型です。
問:ウクライナの他に強い関心を持たれているのは?
教皇:イエメンの紛争、シリア、ミャンマーの貧しいロヒンギャ… どうして人々がこのような苦しみを受けねばならないのですか。 戦争は酷い。そこに 神の霊は存在しない。 私は聖戦を信じていません。
*ベネディクト16世が開いた「教皇生前辞任」の扉―自身の辞任の要件は
問:教皇職を退かれ、亡くなるまで Mater Ecclesiae Monastery(教会の御母の修道院)で10年間過ごされたベネディクト 16 世との交流は?
教皇:良い交流を持てました。 彼は神の人です。 私は彼をとても愛しています。 最後にお会いしたのは昨年のクリスマスでした。 その時は、ほとんど話すことができませんでした。 とても低い声で話されたので、”翻訳”されないと分からなかったのですが、頭脳は明晰でした―これはどうなっていますか、その問題はどうですか、など問いかけられた。その内容はすべて新鮮なものでした。 彼はいつもバランスが取れていて、前向きで、賢い人でした。 しかし、クリスマスにお会いした時、人生の終わりに近づいていることが分かりました。
問:ベネディクト16世の葬儀は地味なものだったのは、なぜでしょう?
教皇:現職でない前教皇の葬式を計画・準備するのは、儀典担当者にとって難しいことでした。現職の場合と異なるのはどこにあるのか。 違いを生み出すのは困難でした。 私は、将来の教皇の葬式の儀式を研究するように担当者に言いました。 彼らは物事を研究し、少し単純化し、典礼的に正しくないものを取り除いています。
問:ベネディクト16世は、教皇の生前辞任の扉を開きました。 あなたは、ご自分にもその可能性があると言われたことがありますが、現時点では考えておられない。 将来、生前辞任するとした場合、理由は何でしょうか?
教皇:物事がはっきりと分からないような疲労を感じる、 頭脳の明晰さが欠如する、状況を判断する方法が分からなくなる… おそらく、物理的な問題もその理由になるでしょう。 私はいつもこのことを他の人に聞き、アドバイスをもらっています―「 最近の私はどうですか? 私はそうすべきだと思いますか?…」。私を知っている人や(その方面に知識や経験のある)枢機卿に聞いてみます。 そして彼らは真実を話してくれます―「教皇職を続けてください、大丈夫です…」と。 でもお願いします。間に合ううちに声をかけてください。
問:人に挨拶される時、あなたはいつも「私のために祈ってください」と願われますが、なぜでしょう?
教皇:誰もが祈ると思います。 信者でない人たちにも私はお願いします―「私のために祈ってください」と。 無神論者の友人が私への手紙の末尾に、次のように書いています―「… あなたにgood vibes(良い感じ)を送ります」。 それは異教の祈り方ですが、愛情深いやり方です。 そして誰かを愛することは、祈りです。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Francis’ interview to Infobae
(2023.3.10 Vatican News Salvatore Cernuzio)
教皇フランシスコが、3月19日の教皇着座 10 周年を前に、母国アルゼンチンのウェブサイト Infobae のインタビューに応じ、ロシアによるウクライナ軍事侵略の継続、ベネズエラやニカラグアの状況、司祭独身制、女性の教会における役割などの質問に答えられた。
*ニカラグアの現状は「残虐な独裁」
ニカラグアでは、独裁体制の様相を強めるオルテガ大統領の下で、カトリック教会が絶え間ない攻撃にさらされ、政権を批判したアルバレス司教が懲役26年の刑に処せられるなど危機的状況が続いている。教皇はこの現状を「共産主義独裁政権やヒトラー独裁政権を持ち込んでいるような状態。これらは皆、残虐な独裁-アルゼンチンの言葉で言えば”guarangas (粗暴)”です」と強く批判された。
また、政治的混乱と経済危機が続くベネズエラについて、体制が変わることへの希望を示された。
*アルゼンチン訪問の可能性
母国アルゼンチン訪問の可能性については、 「訪問は、2017年12月に計画されていました。まず12月にチリに行き、翌年1月にアルゼンチンとウルグアイに行く計画でしたが、 その後、チリとペルーを訪問し、アルゼンチンとウルグアイは後で… ということになった。ですから、アルゼンチン訪問を拒むことはない。訪問の機会を待っています…私はアルゼンチンに行きたいのです」と語られた。
*ウクライナの和平実現は
すでに1年を超えて続いているロシアのウクライナ軍事侵略については、「いくつかの国のリーダーたちが、(和平実現へ)動き、働いています」と期待を表明しつつ、和平の早期実現には慎重な見方を示した。
*「私たちはみな罪人です」
同性愛者、離婚して再婚したカップル、教会での女性の役割、司祭の独身制についても、教皇は質問に答えられた。 同性愛者に対する教会の対応について聞かれた教皇は、福音書のイエスの例え話を引用され、「 すべての人。すべての人。すべての人を迎え入れる。婚宴に招かれた客が出席を断った時、主人は召使に『表の通りに出て、善い人にも、悪い人にも、老人にも、若者にも、子供たちにも、すべての人に来るように』と言いました。すべての人。教会はすべての人のためのものです。罪人たちの教会なのです」と述べられた。
さらに、「私は、聖人たちの教会がどこにあるのか知らない。私たちは皆、罪人です」と語られ、教皇になられた2013年にリオデジャネイロを訪問された際に語られた言葉を繰り返された―「善意のある人を裁こうとする私は誰なのですか?その人が悪魔の一団の一人だとしたら、少しばかり彼を守りましょう。 しかし、今日、この問題にはとても注目が集まっています。 イエスはすべての人に呼びかけ、誰もが彼と神との関係を解決します。彼あるいは 彼女がそうできる、あるいは彼または彼女がそうしたい、そうしたいと思う時もあれば、そうできないときもありますが、主は常に待っていてくださるのです」と強調された。
同様に、離婚して再婚したカップルに聖体の秘跡を授けること― 2014-15 年の家庭をテーマとした世界代表司教会議の中心課題だった―について、「司教の良心」を思い起こされ、カップルに「自分たちの司教のところに行き、 自分たちの状況を説明するように」と勧められた。
*「男性と女性は互いに補完し合うものだ」
教会における女性の役割について、教皇は「教会で働く女性が増えている」という事実を強調され、「”男性優位主義”は悪いことであり、こうした傾向は歓迎すべきことです」と指摘。
そして、 「時として、独身制が男性優位主義につながることもある。女性との接し方を知らない司祭には何かが欠けており、成熟していません。バチカンは非常に男性優位でしたが、それは”文化”の一部であり、誰のせいでもありません。これは常に行われてきましたが、 今、状況は変わりつつあります」とされ、 「女性には、男性と異なる時の感覚、待つ感覚、忍耐力があります。男性を軽視しているわけではない。男性と女性は、互いを補完せねばなりません」と強調された。
*ローマ・カトリック教会の司祭独身制は不変ではない、”修正”可能
また、ローマ・カトリック教会における司祭の独身制について、教皇は、「これは当座の”処方箋”であり、司祭叙階のように不変のものではありません… 独身制は”規律”です」とされた。そして、 「それなら、”修正”は可能ですか?」との問いに、 「はい」と答えされた。
*教会内の分裂
スペインのフリアン・ヘランツ枢機卿(92)の言葉を引用し、「『自身が協力した 6 人の教皇のうち、おそらくパウロ 6 世とフランシスコの 2 人と悪魔が協力し、教会を分裂させ、福音を広げるのを妨げてきた』と言う枢機卿がいますが」との質問者の問いには、「私には、それが真実かどうかは判断できません」とされたうえ、 「時には、悪い種類の抵抗があります。”良い抵抗”ではありません。なぜなら、私が良い計画を実行する場合、注意が払われ、議論されるのが、”良い抵抗”だからです。ここで言う”悪い抵抗”とは、裏切るために後戻りすることです。しかし、私は無警戒なのか、それとも耳を傾けないのか、どちらかです。教会にはそのようなことがある。教会の隅に、隠されています」と語られた。
さらに、「私たちが分裂の瀬戸際に立たされたら、それは悪いことでしょう… 例えば、教皇大使を務めた非常に高名な米国人の司教。彼がカトリックかどうかは分かりません。そうかどうかの瀬戸際にいます。 抵抗はうまく扱われない。 教会では、最初から抵抗が存在したのです」とされ、「彼らが正面から私を批判するとき、私はそのことを感謝します。時として私はそれを好まないことがありますが、感謝しています」と述べられた。
*テレビなし!
最後に、33 年前にカルメルの聖母に対してなされた「テレビを見ない」という誓いについて聞かれた教皇は、「 それは 1990 年 7 月 15 日のことでした。教会の人々と一緒にテレビを見ている時、心臓に良くないことが放送されました。テレビを見るのは、罪深いことではありませんが、心臓にいいことではない。 それで翌日、カルメルの聖母に捧げるミサで、『何の問題もなく、テレビを見るべきではない』と感じました。 それで、いくつか譲歩をする以外は、もう十分なのです」と答えられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Francis holds weekly audience
(2023.3.8 Vatican Newes Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは8日、水曜恒例の一般謁見での説教で、「使徒的熱意につい」の連続講話をお続けになり、今回は「洗礼を受けた一人一人が、教会での立場や信仰教育のレベルに関係なく、教会の使命において独自の役割を果たしていること」を強調された。
教皇は講話でまず、「教会の使命である福音宣教は、個人がばらばらに行うものではない。教会の使徒的信仰への共同の勤めです。しっかりと、どの世代にも伝えられねばなりません」と語られた。
そして、「福音を広く伝えようとする熱意は、『キリスト教のメッセージを、歪曲したり、世俗的な興味や考え方におもねたりすることから守る』という教会の重要な役割と切り離すことはできないのです」と指摘。
さらに教皇は、「第二バチカン公会議が公布した『教会の宣教活動に関する教令』は、すべての福音宣教が、父なる神の計り知れない愛に源を持ち、御子と聖霊の使命を通して世界に注がれ、教会の使命の中で救いの愛を地の果てまで広げていくもの、と述べています」とされ、「洗礼を受けたすべての人は、『宣教する弟子』として、キリストの自己犠牲的な愛に見倣うように、キリストの御言葉と和解の力が真実であることを創造的、説得力をもって証しをするように、求められているのです。個々の人のためだけでなく、私たち人間家族全体のためにです」と強調された。
続けて、「『宣教する弟子』一人ひとりの使徒的熱意は非常に重要です。なぜなら、巡礼者であり宣教者である神の民には、能動的で受動的な主体が存在しないからです」とも語られた。
また、教皇は、今日の世界における福音宣教についての使徒的勧告 「福音の喜び」の言葉を引用し、「教会での地位や信仰の指導レベルに関係なく、洗礼を受けた一人ひとりが福音宣教者です」(120項参照)とされ、「洗礼を受け、その結果として教会の一員となったすべての人は、教会の使命に参加し、王、司祭、預言者であるキリストの使命に参加するのです」と強調。
その使命は、「状況に応じて異なる方法で実行される可能性があるとしても、どこでも、どのような状況でも使命そのものは変わることがない(「教会の宣教活動に関する教令」)。」”化石”化したり、感情を無くしたりしてはなりません。福音宣教の熱意は、信仰を宣言し、証しする新たな方法、福音と人々にご自身を捧げたキリストが引き受けられた傷ついた人に出会う、新たな方法を創造的に探究する力となるものです」と説かれた。
さらに、「御父の愛と御子と聖霊の使命に立ち戻ることは、静的な個人的な静けさの空間に私たちを閉じ込めはしません。私たちが召されている『命の充満』という賜物―神を賛美し、感謝する賜物―が無償であることを認識するように、私たちを導きます」とさら、すべての信徒たちに、「私たちがいただいた賜物を、これまで以上に十分に生かし、他の人々と分かち合うように」と強く促されて講話を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)