☩「主は”永遠の命の生ける水”を私たちに約束してくださる」四旬節第3主日の正午の祈り

(2023.3.12  Vatican News  Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは12日、四旬節第 3 主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたヨハネ福音書の箇所-のどの渇きを覚えたイエスと、井戸に水をくみにきたサマリアの女性について述べた箇所-を取り上げ、「この場面で、主が私たちの愛を渇望され、私たちの内に永遠の命が溢れる生きた水をくださると約束されていること」を示している、と語られた。

 教皇は説教の中で、この箇所で描かれた「井戸のそばでのサマリアの女性と出会い」は、イエスにとって「最も美しく、魅力的な出会いの1つ」と語られた― 真昼の太陽が照りつける中で、のどが渇き、疲れ、井戸のそばに座られたイエスが、彼女に「水を飲ませてください」と願われる。

*主が私たちのように水を求められたのは

教皇は、イエスのこの行為は「神ご自身を私たちの一人にされ、私たちのように喉が渇かれたイエスを通して、私たちの人間が置かれた状態、必要とするもの、苦しみを分かち合われたことを示しています」と指摘。

 さらに、「イエスの”渇き”は肉体的なものにとどまりません。私たちの命の最も深い渇き、何よりも私たちの”愛への渇き”を表現しています。. そして、それは、十字架上でイエスが亡くなる直前の言葉、「私は渇く」で最高潮に達するのです」と説かれた。

*愛は喉の渇きを癒す

 水を求められたイエスは、サマリヤの女性に、ご自分が提供できる飲み物-永遠の命を私たちの内にあふれさせる「聖霊の生ける水」について語られる。

 教皇は「愛に渇いておられるイエスは、愛で私たちの渇きを癒してくださいます… 日々の暮らしの中で私たちと出会い、渇きを分かち合い、永遠の命の生ける水を約束してくださったのです」と語られた。

*他の人に飲み物を与える

 また教皇は「私たちは、イエスの模範に従う必要があります。 私たちの家族、友人、同僚は、しばしば”飲み物”を求めますが、それは、親しい関係、注意を向けること、耳を傾けることを、渇望しているからです」とされた。

 さらに、「彼らはまた、神の言葉を渇望し、そこから飲むことのできる教会の”オアシス”を必要としているかも知れません。 このような渇きは、無関心と心の内面的な空虚さで特徴付けられる”灼熱の砂漠”のような社会の中でますます激しくなります」とされ、「この渇きは、文字通り私たちの『生存に欠かせない水』への渇きでもある。世界中の非常に多くの人々が、干ばつや汚染のために、きれいな水を手に入れられなくなっています。 私たちの『共通の家』である地球が水不足や汚染による喉の渇きに悩まされています」と警告された。

*生きた水

 説教の最後に、教皇は、「今日のミサで読まれた福音は、私たちに『生ける水』を約束し、私たち一人ひとり自身が兄弟姉妹にとって”さわやかな泉”になるよう呼びかけています」とされ、「私は、神を渇望しているか」「生きるための水のような神の愛が必要だと気づいているか 」、そして、「私は、他の人の喉の渇きを気遣っているか 」と自らに問いかけるように、信徒たちに求められた。 そして、「聖母マリアが、私たちのために執り成し、人生の歩みの中で私たちを支えてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2023年3月12日