☩「慈悲深い神の御言葉が、心の中で鳴り響くように」四旬節第一主日の正午の祈りで

Angelus in St. Peter's SquareAngelus in St. Peter’s Square  (Vatican Media)

(2023.2.26    Vatican News staff writer)

 四旬節の第一主日の26日、教皇フランシスコは正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書の箇所(4章1-11節)を取り上げ、荒れ野でイエスが「分断者」である悪魔の誘惑をどのように打ち負かされたか、に注意を向けられ、「神の言葉」をもって「私たちの信仰の旅をいつも助けてくださる主に信頼を置くことで、罪の誘惑にどのように対応するか」についてお話になった。

 教皇はまず、「四旬節の最初の主日のミサで読まれる福音書の箇所は、イエスと私たち皆が、神への信頼と神の言葉の知識の助けを借りて、日々の暮らしの中で直面する誘惑との霊的な闘いを浮き彫りにしています」と語られた。

 そして、悪魔がどのようにイエスを誘惑し、父の絆を断ち切ろうとしているのかに注目されるとともに、イエスが誘惑を受ける直前に、ヨハネから洗礼を受け、父から「私の愛する子」と呼ばれ、聖霊が鳩の形で彼の上に降りてきたことを指摘され、「父と子と聖霊の3つの神格が愛で結ばれている」ことを強調。

 続けて教皇は、「イエスは、私たちがこの愛の結合に参加するのを助けるために、この世に来られましたが、これに対して悪魔は、この父と子と聖霊の愛の結合、その結合に私たちを参加させる使命から、イエスを引き離そうとするのです」と指摘された。

*執着、不信、権力の3つの「毒」に挑戦する

 具体的に、「悪魔がイエスの40日間の断食の後、空腹を覚えられたのを利用して3つの『毒』を投与し、イエスの『愛の結合』の使命を危険にさらそうとしました。その 『毒』とは、執着、不信、権力ですーそれは、食物に代表されるモノへの『執着』、神殿の最高点から身を投げ出すことでイエスに抱かせようする御父への『不信』。 そして、悪魔をひれ伏して拝むなら『全部与えよう』と誘った『権力』。このような危険な誘惑がいかに陰湿なものか」と語られた。

 そして「物質的なものへの執着、不信、権力への渇望は、悪魔が私たちを御父から引き離し、兄弟姉妹のように感じさせないようにするために利用する、どこにでも存在する危険な 3 つの誘惑です。 孤独と絶望に導くために、悪魔はイエスに誘いをかけたのです。私たちにも、それをしようとしているのです!」と忠告された。

*誘惑に打ち勝つ

 「イエスは、悪魔との議論を避け、神の言葉で答えることによって、3 つの誘惑を拒絶し、打ち負かします。旧約聖書の申命記では、モノからの自由(8章 3節参照)、信頼(6章16節 参照)、神への奉仕( 6章13節を参照)について語られています」と指摘された教皇は、「イエスは悪魔と対話しません。私たちも悪魔と口論をしてはなりません! 悪魔と交渉で打ち負かすのではなく、神の言葉で、信仰をもって、打ち負かすのです。イエスは私たちに、神との一致、そして私たちの間の一致を”分断者”の攻撃から守ることを教えているのです」と説かれた。

 そして説教の最後に教皇は、「神の言葉が私たち自身の人生をどのように導き、それが私たちの霊的闘争にどのように役立つかを熟考するように… そして、 繰り返される誘惑に対して、キリストの恵みを信頼と共に思い起こし、暗唱し、祈ること。神の言葉に助けを求めるべきです」と信徒たちに勧められた。

 「試してみましょう。私たちの心の中で、慈悲深い神の御言葉が鳴り響くように。そうすれば、私たちを誘惑から助けてくれるでしょう。 神の言葉を受け入れ、謙虚さをもって”分断者”を打ち負かした聖母マリアが、四旬節の霊的闘争の道を、私たちと共に歩んでくださるように」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2023年2月26日