教皇は次に、「神と私たちの兄弟姉妹に立ち返ること」について、「 自分で何でもできるという驕りと、あらゆる形の”偶像崇拝”を捨てることによって、私たちは『人生は神と両親から受け取る関係であること』、そして『主と、主が私たちのそばに置いた人たちと私たちの関係を、いつでも復活させ、更新できること』を学び始めることができるようになります」と語られた。
そして、「四旬節は、私たちが神や他者との関係を再構築し、祈りの沈黙の中で心を開き、”自給自足の要塞”から抜け出すことができる恵みの季節なのです」と強調された。
*「行動」としての、慈愛、祈り、断食の勧め
最後に、教皇は、この四旬節の間に伝統的に奨励されている「施し」「祈り」「断食」の 3 つに信徒たちの注意を向けられ、「私たちがこのミサで読まれた福音書で聞いたように、イエスは、単なる外面的な”儀式”ではなく、私たちの心の刷新を伴う行動がなければならない、と語られています」と指摘。
私たちの生活に何の影響も与えず、表面的な振る舞いや儀式にとどまってはならず、「神のみ前で謙虚な姿勢を保つなら、施し、祈り、断食は、表向きの見せかけにとどまらず、私たちが本当は何者であるかを表現することになる。つまり、神の子供であり、互いに兄弟姉妹であることを示すことになるのです」と諭された。
*旅の終わりに喜びをもって神に出会うように
さらに、慈善、祈り、断食の道を歩むために「頭を下げ、灰を受け取り、心を明るくする」ように勧められ、「この聖なる季節の恵みをおろそかにしないように… この旅の終わりには、私たちを灰からよみがえらせてくださる命の主に、より大きな喜びをもって出会うことになるでしょう」と信徒たちを励まされた。