☩「戦争で引き裂かれたウクライナ、イスラエルとパレスチナのために祈る」教皇、一般謁見で

Israeli bombardment in Gaza

(2023.12.6 Vatican News  Michele Raviart & Linda Bordoni)](

 教皇フランシスコは6日の水曜恒例の一般謁見で、ウクライナ、イスラエル、パレスチナをはじめ、戦争の悲劇に苦しむ人たちのために祈ることを忘れないように、と願われた。

5週間にわたるイスラエル軍とイスラム過激派ハマスとの戦闘で、ガザ地区では1万6200人以上の女性、子供を含むパレスチナ人が犠牲になっている。イスラエルの人々も1200人以上が犠牲となり、240人がハマスによって拉致、監禁された。一時休戦で、約100人が解放されたが、戦闘再開で、さらなる犠牲者が出ている。

(写真右は、ガザ地区を攻撃するイスラエル軍)

Digging graves for victims of a Russian missile attack in Hroza, near Kharkiv

 また、教皇は、一般謁見に参加したポーランドからの巡礼者たちにあいさつされ、10日の待降節第2主日をポーランドの教会が「東方の教会への祈りと物質的な助けの日」としていることを思い起こされ、その働きに感謝された。そし、昨年2月のロシアによる一方的なウクライナ軍事侵攻で始まり、今も続くロシア軍とウクライナ軍の戦闘、260人以上の子供を含む少なくとも一万人の民間人が殺されているウクライナに思いをはせ、ウクライナの人々のために祈られた。

(写真左は、ハリコフ近くの村で、ロシアのミサイル攻撃の犠牲者のための墓を掘る人々)

 そのうえで、教皇は、「戦争は常に敗北である」とい信念を繰り返され、「戦争から私たちが得るものは、何もありません。戦争は、武器メーカーを除いて、誰にとっても敗北です」と改めて非難された。

 世界では、自然災害も相次いでいる。教皇は、謁見にメキシコの福祉活動団体、Fundacion Telethonのメンバーが参加していることで、10月25日にメキシコ・アカプルコを襲ったハリケーンで100人以上の死者・行方不明者で、何千人もが家を失うなどの被害を受けていることに思いをはせられ、彼らのために祈るとともに、同団体が被害者支援にさらに協力するよう求められた。

 また教皇は、8日に「無原罪の聖マリア」の祭日を迎えることにも言及され、「神の愛を信じ、『はい』という言葉で応じられたマリアから、神への完全な信頼学び、福音の善と愛をあらゆる場所で証ししてください」と信者たちに求められた。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年12月6日

☩「戦闘再開がもたらすものは死と破壊だ」教皇が批判

戦闘再開後、ガザ地区北部から上がる煙 2023年12月3日戦闘再開後、ガザ地区北部から上がる煙 2023年12月3日  (ANSA)

 教皇フランシスコは3日、待降節第一主日の正午の祈りで、パレスチナのガザ地区における戦闘再開がもたらす状況を憂慮し、新たな停戦合意の必要を強く訴えられた。

 正午の祈りの後半に行われた教皇のアピールは、国務省のパオロ・ブライダ師によって代読された。

 その中で、教皇は、戦闘を再開したイスラエルとハマス間の深刻な情勢を憂慮され、「停戦を延長しないことは、すなわち死と、破壊、困窮を意味します」と批判。

 多くの人質が解放される一方で、まだガザ地区にはたくさんの人質がいることを指摘された教皇は、家族との再会に希望の光を見出したこれらの人質と家族たちに思いを寄せられた。

 そして、ガザの人々の大きな苦しみ、必要最低限のものも欠けたその状況に言及しつつ、「すべての当事者が一刻も早く新しい停戦合意に到達できるよう、また武器に頼らない異なる解決法を見出し、平和への勇気ある道を進むことができるように」と祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

2023年12月4日

☩「『平和』と『気候』のために、諸宗教は力を合わせよう」COP28Faith Pavilionの除幕式にビデオメッセージ

(2023.12.3 Vatican News  Francesca Merlo)
   教皇フランシスコは3日、ドバイでの「COP28 Faith Pavilion」の除幕式に向けてビデオメッセージを送られ、その中で「創造と平和の重視を促進する同盟」の必要性を強調された。
 ビデオメッセージで教皇は、健康上の理由でCOP28に出席できなかったことを遺憾に思う、と前置きされたうえで、国連の気候変動会議の中で初めて宗教的なパビリオンが立てられたことの意義について、「このパビリオンは、共に働く意欲を示しています」と語られた。
 そして、「今日、世界は、誰にも反対しない、すべての人を支持する同盟を必要としている。諸宗教には、異なる宗教、文化の罠に陥ることのなく、良い模範を提供することが緊急に求められている。そして、必要なのは、個人や一つの集団の利益のためでなく、私たちの世界の利益のために、共に働くことです」と強調され、現在の最重要の課題は「平和と気候」と指摘された。。

 さらに教皇は、すべての宗教の代表者たちに、すべての人の模範となり、「持続可能で敬意に満ちたライフスタイルを証しすることによって、変化が可能であること」を示すように求められ、また「各国の指導者たちに、私たちの『共通の家』を守るように促しましょう」と呼び掛けられた。

 最後に、教皇は、被造物を保護し、私たちの『共通の家』を守るように、常に「平和に生きる」ことを追求するように、すべての人を促された。

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 教皇は、このFaith Pavilionの除幕式の行事の一環として行われた統一信仰宣言文に、宗教指導者たち、多くの信仰団体の代表者たちと共に、署名された。宣言文は、

信仰パビリオンの就任式の一環として、教皇フランシスはまた、統一された信仰宣言に署名し、宗教の指導者と信仰のホストからの代表者に加わりました。宣言は、世界的に“気候の正義”を鼓舞するために、諸宗教や信仰を持つ共同体、機関を合わせた影響力を役立てようとする狙いがある。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年12月3日

☩「『死の文化』でなく『命の文化』のために働こう!」ー教皇フランシスコがGOP28会議参加国へメッセージ

Cardinal Parolin delivers Pope Francis' message to COP28Cardinal Parolin delivers Pope Francis’ message to COP28  (AFP or licensors)

 アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開催中の国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)で2日、教皇フランシスコのメッセージがバチカンの国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿によって読み上げられた。

 教皇は同会議への参加を予定していたが、健康上の理由で出席された。

 パロリン枢機卿によって代読されたメッセージで、教皇は「気候変動対策への具体的な取り組みは、未来のための急務」と訴えられた。

 メッセージの冒頭で、教皇は「残念ながら望んでいた形ではありませんが、私は皆さんと共にいます。なぜなら、今は急を要する時、皆の未来は現在の選択にかかっているからです… 被造物の破壊は神の冒涜です。最も貧しい人々をはじめとする人類に対する罪であり、気候変動は人間の命の尊厳に関わる地球的な社会問題だからです」と語られた。

 そして、「『命の文化』のために働くのか、それとも『死の文化』のためか。私たちは今、それに答えるよう求められています」とされ、「命を、未来を選びましょう! 大地のうめきに、貧しい人たちの叫びに、耳を傾け、若者の希望と子どもたちの夢を聞きましょう。彼らの未来が拒まれることがあってはなりません」と訴えられた。

 さらに、「生産と所有への野心は強迫観念となり、際限のない貪欲を生みながら、環境を抑制のきかない搾取の対象にしてしまった。狂った気候は、こうした全能の妄想を食い止める警告のように響いています」と述べ、自分たちの限界を謙虚さと勇気をもって認める必要を説かれた。

 深刻な問題になりつつある気候変動について、その責任を、多くの貧しい人々や、出生数に転嫁しようする試みに対し、「世界のおよそ半分を占める貧しい国々は、汚染物質の排出のわずか10%しか責任を負っていない。それよりも、先住民の置かれた状況や、森林破壊、飢餓や水・食糧危機、誘発された人口移動現象に見られるように、これらの人々は環境問題や気候変動の犠牲者なのです」と指摘。また、子どもの出生は「問題ではなく豊かさであり、命に敵対するものではなく、命そのもの」とされた。

 そして、すでに重い負債にあえぐ多くの国々の発展にペナルティーを科すべきでなく、他の多くの国に環境面での負債を持つ少数の国々の責任と影響に目を向け、「その環境にかかる負債に応じて、貧しい国々の財政上の負債を免除する適切な方法を見出すこと」を提案された。

 さらに、「環境・気候危機からの出口はどこにあるのか、それはこの会議が示すように、皆で行く道、『多国間主義』にあります… これほどにも多極化、かつ複雑化しつつある世界には、効果的な協力のための異なる枠組みが必要です」と強調。地球温暖化が、「多国間主義の冷却と、国際社会への高まる不信感、国家間の一つの家族としての認識の喪失のうちに進行していること」を憂慮された。

 「被造物への配慮は、同様に平和に対する配慮でもあります」とされた教皇は、この二つの課題の関連性を指摘。「イスラエルやパレスチナ、ウクライナ、そして世界の様々な地域で起きている紛争のために、人類はどれだけのエネルギーを浪費しているのでしょうか。人命を奪い、『私たちの共通の家』を破壊する兵器に、どれほど多くの資源が費やされているのでしょうか」と問いかけられ、「武器や軍備に使われる資金を使って飢餓撲滅のための世界基金を設立し、気候変動問題に取り組みながら、最貧国の持続可能な開発促進のために活動する」ことを提案された。

 「気候の変化は、政治的な変化の必要を示すもの」であり、「過去の図式である個別主義やナショナリズムの狭い路地から抜け出し、それに代わる『環境的回心』を可能にする共通のビジョンを受け入れるよう、求められ、「1992年にリオデジャネイロで気候変動との闘いが始まったとすれば、パリ協定はその新たな始まりです。今こそ、そのプロセスを再開し、具体的な希望のしるしをもたらす必要があります… 子どもたち、市民、国々、私たちの世界のためを願うだけでなく、もはや先延ばしにせず、実行に移すことが問われているのです」と訴えられた。

 最後に、教皇は、「2024年に、アッシジの聖フランシスコが被造物の賛歌である『太陽の賛歌』を作って800年を迎えること」に言及され、「からだ中の痛みに襲われ、視力も失った聖フランシスコが、暗い闇との闘いの後に、再び精神的に立ち上がり、兄弟姉妹である被造物たちのために神を称えようと望んだ、苦しみを賛美へと変える霊性」を振り返られ、祈りを込めて、「分裂を過去のものとして、力を合わせましょう。神の力をもって、共通の未来を輝くあけぼのに変えるために、戦争と環境破壊の闇から抜け出しましょう」と、COP28の各国代表、そして世界のすべての人に呼びかけられた。

(編集「カトリック・あい」)

 

2023年12月2日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」㉗「司牧のあり方についての回心が求められている」

教皇フランシスコ 2023年11月29日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール教皇フランシスコ 2023年11月29日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール  (ANSA)

(2023.11.29 バチカン放送)

 教皇フランシスコは29日、バチカンのパウロ6世ホールで水曜恒例の一般謁見を行われ、その中で「使徒的熱意について」の連続講話を続けられた。今回は、福音宣教を「今日のためのもの」という観点から考察された。

 先週末からのインフルエンザ症状のため長時間喉を使うことを控えられた教皇の講話は、国務省のフィリッポ・チャンパネッリ師によって代読された。

 教皇の講話の要旨は次のとおり。

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 これまでの連続講話で、私たちは、福音の告知とは「喜び」であり、「皆のため」であることを学びました。今回はこれを「今日のためのもの」という点から考察していみましょう。

 現代は悪く語られることが多い。確かに、戦争や、気候変動、世界中の不正義と難民・移民現象、家庭や希望の危機など、心配の理由は尽きません。一般的に見て、今日の文化は個人を最優先し、技術をすべての中心に置いているように思われます。同時に、技術革新と個人至上主義の文化は、際限のない自由と、その後ろに取り残された人々に対する無関心をもたらしました。

 また、現代は人類の大きな渇望を、貪欲な経済論理に明け渡し、生産性のない者を切り捨てる人生観を与え、内在を超越した存在を見つめることを難しくさせています。さらには、神を持たない社会を築こうと試みる史上初めての文明の中にいるとさえ言えるでしょう。巨大な都市が高層建築をそびえさせながらも、水平に広がるだけです。

 思い起こされるのは「バベルの塔」の物語です( 創世記11章1-9節参照)。そこでは人々が唯一の言語を、言うならば「唯一の考え」を持っていました。皆が一種の魔法にかけられたような状態の中で、一人ひとりの唯一性は、「画一性」という大きな泡に取り込まれようとしていました。そこで、神は人々の言葉を混乱させ、多様性を再び取り戻させるとともに、人類が神になり代わろうとし、自分たちの万能に酔いしれるのを、思いとどまらせようとされました。この物語は今日にも当てはまります。

 私は、使徒的勧告『福音の喜び』の中でこう記しました-「神との関係や他者との関係を新たに築く方法を明らかにする福音宣教、基本的な価値を確立する福音宣教が必要とされています。新たな物語や物の見方が形づくられる場へと届くこと、イエスの言葉が都市の精神の最も深い部分に触れるようにすること、これが不可欠です」(74項)。

 別の言い方をするなら、その時代の文化に身を置いてのみ、また使徒パウロの「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(コリントの信徒への手紙2・6章2節)という言葉を常に心に抱くことで、イエスを告げることができるということです。現代に、過去から来る別のビジョンを対比させる必要はありません。たとえそれが真実であったとしても、時代とともに抽象化された宗教的確信をただ唱えるだけでは十分ではありません。真理は、大きな声を上げることによってではなく、生き方をもって証ししてこそ、信じることのできるものとなるのです。

 「使徒的熱意」は、単なる既成の方法の繰り返しではなく、今日の私たちのための生きた福音の証しです。これを意識しながら、私たちの時代、文化を一つの賜物として捉えましょう。この時代は私たちのものであり、それを福音化することは、遠くから裁いたり、バルコニーからイエスの名を叫ぶことでもなく、通りに出て、人々が苦しみ、働き、学び、考える場所に行き、人々と人生の意味を分かち合う交差路に暮らすことです。それは教会にとって、対話と出会いと一致のパン種となることを意味します。

 現代の十字路にいることが必要です。そこから出ることは、福音を貧弱にし、教会を一つの分派にしかねません。人々の間に通うことは、信仰の宝である「新しいものと古いもの」(マタイ福音書13章52節)を取り出し、分かち合うために、私たちキリスト者に自分たちの希望の理由を新たに理解させるのを助けるでしょう。

 今日の世界を新たに回心させるというよりも、今日の世界に福音がよりよく受肉するよう、「司牧のあり方についての回心」が求められているのです。

(編集「カトリック・あい」)

2023年11月30日

☩「私たちは、『最も小さい』人たちに思いやりと慈しみを示すよう求められている」ー「王であるイエス」の祝日に

(2023.11.26  Vatican News)

 教皇フランシスコは26日の「王であるキリスト」の祝日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれた福音(マタイ25章31‐46節)を取り上げ、主に裁かれる基準である「同情心、憐れみ、優しさ」を示すよう、私たちが求められていることを強調された。

 前日の「インフルエンザのような症状」から回復された教皇は大事を取られ、聖ペトロ広場を見下ろす使徒宮殿の窓かれではなく、自宅にされているサンタ・マルタの館から、広場に設置された大型ビデオスクリーンを通じて、正午の祈りと説教をなさった。

 説教で教皇はまず、26日が「宇宙の王、私たちの主イエス・キリストの祝日、典礼年の最後の日曜日」であることに注意を向けられ、この日のミサで読まれた福音が、私たちの最後の審判について語り、私たちが慈善と慈悲を通して互いをいたわり合ったかどうか、によって、判定されることを告げている、と語られた。

 そして、福音書でイエスが語られた、大広間で玉座に就かれたイエスの前に、世界中の人々が集まっている場面を思い起こしつつ、「イエスの言われる『父に祝福された人たち』が王の友人であることが示されています。 彼らは飢えた人々に食事を与え、病人や貧しい人々の世話をし、捕虜を訪問しました。これは、王の権力、富、名声を増大させ、恐れられ、羨望されることで個人的な利益を求める人々を評価する空虚な『世俗の基準』とは、全く対照的です」と指摘。

 他人に手を差し伸べる 「イエスの基準」では、困難にある人、最も弱い人、助けを必要としている人に仕える人たちが重視されるが、「それは、人の子が(世俗の権力者とは)全く異なる王であり、貧しい人々を『兄弟たち』と呼び、飢えた人、渇いた人、部外者、病人、投獄されている人たちとご自分を同一視し、こう言われるからです-『あなたが、この最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたのです』と。 私たちの王である主は、飢えている人、ホームレスの人、病人、投獄されている人たちのことを気にかけておられるのです」と説かれた。

 そして、今の世界では、余りにも多くの、助けを求める人たちがおり、 「福音は、『幸いな人』とは、助けや仲間を必要としている人々に背を向けず、食べ物、飲み物、衣服、住居、付き添いを提供し、奉仕を通じて愛ある憐れみを示す人々であることを強調しています。 彼らは『思いやり、慈悲、優しさ』を通じて王の模範に従うことで自らを際立たせていることから、王の友人なのです」。そして、「それは、ご自分を『人の子』と呼ばれる、私たちの王イエスが、最も弱い女性や男性の中に、ご自分のお気に入りの姉妹や兄弟を見出すからです。 イエスの『王の法廷』は、苦しみ、助けを求める人たちがいる場所で開かれます」と述べられた。

 最後に教皇は、「私たち自身の人生を振り返り、慈しみを中心に置いた愛の力、慈善の奉仕が信者にとって大切だということを、どれほど認識し、信じているか、そして私たちが『王の友人』であるかどうかを、自身に問い掛けるように」と勧められ、聖母マリアに「私たちが最も小さな兄弟たちを通して、私たちの王であるイエスを愛することができるように」と助けを祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年11月27日

☩「若者たち、教会で『喜びにあふれた主役』となれ」-「世界青年の日」に

Pope Francis appears on the screens in St Peter's Square as he recites the Angelus on SundayPope Francis appears on the screens in St Peter’s Square as he recites the Angelus on Sunday  (ANSA)

(203.11.26 Vatican News  Christopher Wells)

   教皇フランシスコは「王であるキリスト」の祝日の26日の正午の祈りで、90年前に旧ソ連下にあったウクライナで数百万人が死亡した大飢饉(ききん)「ホロドモール」を記念したウクライナの人々のために祈られ、また、イスラエルとパレスチナの戦闘が一時休止し、人質の一部が解放されたことを神に感謝された。

 またこの日が「世界青年の日」に当たることから、若者たちに、「あなたがたは世界の現在と未来です。教会活動で『喜びにあふれた主役』となるように」と励まされた。

 この日、教皇は軽いインフルエンザの症状のため、住まいのサンタ・マルタ館から中継で正午の祈りを行われた。教皇の導入の言葉に続き、説教と挨拶は、隣に座った国務省のパオロ・ブライダ師によって代読された。

*「ホロドモール」を思い起こす

  教皇は、1930年代に旧ソ連、スターリン政権の下で引き起こされ数百万人のウクライナ人が餓死した「ホロドモール」の記念日(25日)と合わせて、今また、ロシアによるウクライナ侵攻で多くの死傷者が出ていることを取り上げ、「その引き裂かれた傷は治癒するどころか、親愛なる人々を苦しませ続ける戦争の残虐行為によって、さらに痛みを増しています」と指摘。

 そして、「戦争によって引き裂かれたすべての人々」のために「たゆまぬ」祈りを続けるよう呼び掛けられ、「祈りは、憎しみのスパイラルを打ち砕き、復讐の連鎖を断ち切り、和解の道を開く、平和への力です」と強調された。

*人質全員が速やかに 解放されるように

 また、教皇は、聖地に目を向けられ、イスラエルとパレスチナの戦闘​​が一時休止し、人質や捕虜の一部が解放されたことを神に感謝された。そして、「(人質と捕虜の)全員ができる限り速やかに解放されるように」と祈られ、「彼らの家族のことも忘れないように」と、聖ペトロ広場に集まった人々に促され、対話の必要性を強調しつつ、「より多くの人道支援がガザに届く」ように祈りるよう求められた。

*COP28会合への出席を前に

 最後に、教皇は、30日からドバイで始まる「国連気候変動枠組条約第28 回締約国会議(COP28)」に注目され、 「戦争に加えて、私たちの世界は気候変動というもう一つの大きな危機に脅かされ、地球上の生命、特に将来の世代が危険にさらされています」と警告。 このような事態は、「生命のためにすべてを創造された神の計画に反しています」と訴えられた。教皇は、12月1日にアラブ首長国連邦を訪れ、COP28の会合に出席する最初の教皇となられる。 教皇は「この旅に祈りを捧げてくれるすべての人々」と「私たちの”共通の家”の保護を心に留めようとするCOP会合参加者たち」に感謝された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年11月26日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」㉖「イエスの福音は『皆のため』にある」

教皇フランシスコ 2023年11月22日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場

(2013.11.22 バチカン放送)

 教皇フランシスコは22日の水曜恒例一般謁見で、「使徒的熱意について」をテーマとする連続講話を続けられ、今回は、イエスの福音は「皆のため」にある、という視点から語られた。

 講話の要旨は以下の通り。

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 前回は、キリスト教的告知とは「喜び」だ、ということを考察しました。今日は福音宣教の二つ目の特徴、福音は「皆のため」にある、という点を考得たいと思います。

 主イエスと真に出会う時、その出会いの驚きは、私たちの人生を満たし、自分たちの外にそれをもたらしたくなります。イエスの福音は「皆のために」-これがイエスが望まれることです。キリストは「皆のために」生まれ、死に、復活されたがゆえに、イエスの福音はすべての人に向けられた、人生を完成させる力を持っているのです。

 私は使徒的勧告「福音の喜び」で、こう申し上げました-「すべての人に福音を受け取る権利があります。キリスト者は誰も除外することなく、それを告げる義務があります」(14項)。兄弟姉妹たち、すべての人に向けられた福音への奉仕を感じ、自分自身から抜け出し、あらゆる境界を超える力を見いだしましょう。キリスト者は、聖堂の香部屋よりも、教会の前庭にいて、「町の広場や路地に出ていく」(ルカ福音書14章21節)のです。キリスト者は開かれ、外に向かう性質を持っているはずです。この性質は、すべての人と出会うために、時にはある種の出会いから学びつつ、歩み続けたイエスから来るものです。

 このような意味で、福音は、イエスと異邦人であるカナンの女との驚くべき出会いを伝えています。カナンの女は病気の娘を癒して欲しい、とイエスに嘆願しました(マタイ福音書15章21-28節参照)。イエスは「私は、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」、「子どもたちのパンを取って小犬たち投げてやるのはよくない」と答えられましたが、カナンの女は、「でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます」と言いました。その言葉に胸を打たれたイエスは、「女よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」とお答えになりました。

 イエスとカナンの女のこの出会いは、特別な意味を持っています。イエスの考えを変えさせただけではありません。イエスの対話の相手は、一人の女性、異邦人、異教徒です。主はここで、ご自分の説教は、ご自身が属する民だけでなく、すべての人に開かれたものでなくてはならない、と確信されるのです。

 聖書で、神が誰かを召される時や、神がある人々と契約を結ぶ時、常に、ある決まりがあります。それは「他の人々に伝えるために、誰かを選ぶ」こと。主の友だちは、素晴らしい体験を得ると同時に、主から選ばれたことに対する責任と重荷を感じます。誰もが自分の弱さのために、あるいは安定を失うことに落胆を感じますが、最も大きな誘惑は、自分が受けた「召し出し」を一つの特権のように考えることです。召し出しは特権ではなく、奉仕のためのものです。神は皆を愛され、すべての人にそれを届けるために、誰かを選びます。

 また、キリスト教を、ある文化、民族、制度と、同一視する誘惑を避ける必要があります。誘惑に負けることで、真のカトリック性、すなわち普遍性を失ってしまうからです。皆を愛するために、神が誰かを選ばれることを忘れてはなりません。この普遍的な視野を持ちましょう。福音は、私だけのものではなく、「皆のもの」だ、ということを忘れないようにしましょう。

(編集「カトリック・あい」=聖書の翻訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

 

2023年11月24日

☩ 「ウクライナ、聖地、そして世界の平和を祈ろう」教皇、ビデオメッセージで呼び掛け

(2023.11.22 バチカン放送)

 教皇フランシスコは22日、「祈りの世界ネットワーク」が準備したビデオメッセージを通し、ウクライナと中東をはじめとする世界平和のために祈るよう、特別な呼びかけをなさった。

 このビデオの中で、教皇は次のように述べておられる。

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 私たち皆が戦争の苦しみを感じています。ご存知のように第二次世界大戦が終わった後も、戦争は世界の各地で荒れ狂いました。その戦争が遠くにある時、たぶん私たちはそれをあえて感じることはないかもしれません。しかし、大変近くにある二つの戦争、ウクライナと聖地の戦争が、私たちの反応を呼び起こしています。

 今、聖地で起きていることを考えてみてください。これは非常に深刻です。 パレスチナ人と、イスラエル人には、平和の権利があります。彼らは平和に生きる権利を持っています。彼らは兄弟である二つの国民です。聖地の平和のために祈りましょう。争いは、双方が死者の山を築くことなく、対話と交渉で解決できるように祈りましょう。 聖地の平和のためにどうかお祈りください。

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教皇「平和のために忍耐をもって祈ろう」水曜の一般謁見でも

 教皇フランシスコは22日、水曜恒例の一般謁見で、ウクライナ、そしてイスラエルとパレスチナをはじめ、世界各地で戦争に苦しむ人々のために、忍耐強く祈ることを忘れないように強く訴えられた。

 教皇は、同日朝、親族をハマスに拉致されたイスラエルの人々の使節と、親族がイスラエルに囚人として拘禁されているパレスチナの人々の使節の双方とお会いになったことを報告され、この二つの会見で、「双方それぞれが大変に苦しんでいるのを痛感しました。戦争とはこういうことをもたらすものなのです」と話された。

 そして、「私たちは平和を求めて進み、平和のためにたくさん祈らなければなりません。主が紛争のある所に手を置かれ、問題の解決を促し、最後にはすべての人を殺してしまうような激情と共に突き進むことがないように」と祈られ、「平和が訪れるよう、パレスチナの人々のために祈り、イスラエルの人々のために祈ろう」と、すべてに人に呼びかけられた。

(編集「カトリック・あい)

2023年11月23日

☩「ミャンマー、ウクライナ、パレスチナとイスラエル… 和平は可能。決して戦争に身を委ねてはならない!」19日正午の祈りで

(2023.11.19 Vatican News  Linda Bordoni)

 教皇フランシスコは19日の主日の正午の祈りの後で、改めて、ミャンマー、ウクライナ、パレスチナとイスラエルで被害に遭っている人たちのために祈るよう、世界の信者たちに求められ、「和平は可能。それには善意が必要です。戦争に身を委ねないようにしましょう!」と訴えられた。

 教皇は、すでに何度も表明されている「平和を実現することは可能」という自身の信念を繰り返され、「常に」という言葉を3回繰り返しながら、「戦争は常に、常に、常に敗北です。利益を得るのは、(兵器の製造、取引に関わる)者だけです」と強く批判

 まず具体的に、ミャンマーの惨状を挙げ、軍事政権と少数民族の武装組織の戦闘激化が、民間人を巻き込む形で、様々な町村に広がっている現状を強く悲しまれながら、「暴力と弾圧に苦しみ続けているミャンマーの人々に寄り添い、彼らが落胆せず、常に主の助けを信頼できるように」と祈られた。また、ロシアによるウクライナ軍事侵攻、イスラエルとハマスの戦闘で苦しみ続けている人々を忘れることなく、彼らのために祈るように、信者たちに求め、「苦悩するウクライナ、そしてパレスチナとイスラエルの人々のために祈り続けましょう」と呼び掛けられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二) 

 

2023年11月19日

☩「慈善の富を捧げ、パンを分かち合い、愛を増やそう!」-「貧しい人のための世界祈願日」に

(2023.11.19   Vatican News)

 教皇フランシスコは19日の「貧しい人のための祈願日」に、聖ペトロ大聖堂でミサを捧げられ、その説教で、「私たちを富ませるために貧しくなられた、イエスの旅」と、「慈善の富を差し出し、パンを分かち合い、愛を増やすように求められている、私たち自身の人生の旅」を思い起された。

 説教で教皇は、この日の福音の箇所(マタイ25章14‐30節「タラントンのたとえ話」)をもとに、イエスの旅と私たちの人生の旅を思い起こされた。そしてまず、イエスの受肉、復活、昇天の旅路を取り上げ、「イエスは私たちに、ご聖体と命の言葉、私たちの母となられたイエスの聖母、そして聖霊の賜物という『富』を残してくださいました」と語られ、これらすべての富や”タラントン”が私たちに無償で与えられたのは、私たちが主から託された「日常生活、社会、教会における各人の使命」を果たすべく働きを続けることができるためだ、と強調された。

 そして、 「父なる神の手からすべてのものを受け取ったにもかかわらず、この宝を自分のものにしておかなかったイエス」に目を向けられ、「イエスは私たちのために、私たちのために生きてくださいました。 それが父のもとに戻る前のご自身の目的だったのです」とされ、さらに、「歴史の『清算』をし、私たちを永遠の命の喜びに導くために、イエスの旅は、栄光のうちに再臨される世の終わりまで続きます」と説かれた。「ですから、私たちは、『主が再臨されるとき、どのような状態で自分を見つけてくださるだろうか』と自問することが重要です」と付け加えられた。

 続けて 教皇は、私たち自身の人生の旅に注意を向けられ、「イエスの歩まれた道か、それとも自分本位の道か、どちらの道を歩むのか。私たちは自分自身に問い掛ける必要があります」とされたうえで、「 イエスの道の歩むためには、私たちがいただいた”タラントン”、つまり『キリストが御父のもとに戻るときに私たちに残してくださった主の賜物』を活用することを必要です」と指摘。

 さらに「そうした賜物とともに、神は私たちに聖霊を与えてくださいました。聖霊のおかげで、私たちは神の子どもとなり、福音を証しし、神の国の到来のために働くことに人生を費やすことができるのです」、そして、「 私たちに託された膨大な”資本は、主の愛であり、私たちの人生の基盤であり、旅の強さの源です」と語られた。

 教皇はまた、「たとえ、他者のことに関心がなく、他者と関係を持たず、自分のことにだけ関心があり、その”宝”を埋めてしまう、という選択肢が与えられていたとしても、「主からいただいた富を増やし、自分の人生を他者のための愛の捧げ物とするように、私たちは求められているのです。 イエスが私たちを気遣ってくださった愛、憐れみの香油、私たちの傷の手当てをしてくださった寄り添いの心、私たちの心を喜びと希望で満たしてくださった聖霊の炎、これらすべては、私たちがただ守るだけでは、いられない宝なのです」と強調。

 さらに、教皇は「世界中で続いている大きな苦難、貧困の拡大と、騒がしく、気分散漫な社会の無関心の中で、痛みの叫びが聞き入れられず、忘れ去られた貧しい人々」を思い起こされ、抑圧されている人、疲れている人、疎外されている人、戦争の犠牲者、難民、飢えている人、失業している人、希望を失った人たち… 私たちの世界に、膨大な数の貧しい人々がいることを考えると、今日の福音のメッセージは明らかです。主の富を、埋もれさせないようにしましょう! 慈善の富を広め、パンを分かち合い、愛を増やしましょう!」とすべての人に呼びかけられた。

 最後に 教皇は、「主が再臨される時、他者を愛し奉仕するために私たちに与えられた賜物をどのように活用したか、私たちと貸し借りの清算をなさいます… 私たち一人一人が、いただいた賜物と私たちに託された使命に従って、慈善の行為が実を結ぶよう努め、貧しい人に寄り添うことができるように祈りましょう。 旅の終わりに、ご自分を明かされた兄弟姉妹たちの中にキリストを迎え入れ、私たちもキリストからこう言われるように、祈りましょう-『よくやった。良い忠実な僕だ…主人の祝宴に入りなさい』(マタイ25章21節)」。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年11月19日

☩「ウクライナ、聖地、スーダン、そして世界中の戦乱で苦しむ国に速やかに平和が訪れるよう、日々、祈ろう」15日の一般謁見で

Faithful hold up a peace sign in St Peter's Square, RomeFaithful hold up a peace sign in St Peter’s Square, Rome 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年11月16日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」㉖使徒的熱意の4つの側面の一つーイエスは私たちの「喜び」

Pope Francis at General AudiencePope Francis at General Audience  (AFP or licensors)

(2023.11.15 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは15日、水曜恒例の一般謁見で「使徒的熱意について」の連続講話を続けられた。今回は、使徒的熱意の4つの側面のうち、「喜び」に焦点を当てられ、イエスがいかに私たちにとって絶え間ない喜びの源であり、いつも私たちそれぞれに寄り添ってくださる友であることを強調された。

  教皇は、「イエスは私たちの喜びの源であり、私たちの進む道に同行され、私たちと共にいてくださる、誠実な友です」と前置きされてうえで、これまで「使徒的熱意について」の連続講話で、熱意を体現する人物を取り上げて来たのに続けて、使徒的熱意の4つの側面について4回に分けてお話しになることを予告された。

 そして、今回はまず、「喜び」を取り上げられ、「イエスは私たちの喜びです」とされ、キリスト教徒の私たちが何をしていても、いつもそばにいてくれる誠実な友としてのキリストがいるということを、信者たちに思い起させ、「 私たちが何をするときも、主はいつも私たちと共ににおられます。 キリストとの個人的な出会いは、私たちを新しくし、喜びで満たしてくれます」と強調された。

 さらに教皇は、「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、大事なことは、イエスを宣べ伝えるかどうかではなく、どのようにイエスを宣べ伝えるか。この『どのように』が、喜びなのです。(私たちに与えられた選択肢は)喜びをもってイエスを宣べ伝えるか、イエスを宣べ伝えないかの、どちらかです」と指摘。「なぜなら、それ以外の方法でイエスを宣べ伝えようとしても、イエスの真の現実をもたらすことができないからです」と語られた。

 続けて、教皇は、エルサレム郊外のエマオという村に向かって歩いていた二人の弟子が主に出会い、喜びに満たされた様子を描いたルカ福音書の箇所(24章13‐35節)を取り上げ、「宝物を見つけた人は、大喜びして日常生活に戻ります… この二人も喜びにあふれました。なぜなら(復活された)イエスを見つけ、イエスが彼らの人生を変えてくれたからです」と説かれた。

 しかし、「キリストが私たちの側に来てくださることで与えられる喜びと希望を、私たちキリスト教徒が表に出さないなら、特に”干しタラ”のような顔をしていたら… そのような否定的な態度、あるいは不満げな顔は、主が私たちの側にいて、私たちを新しくしてくださることを忘れています」、さらに「イエスとの出会いはいつも喜びをもたらします。喜びがあなたに起きないなら、それはイエスとの真の出会いではありません」と、信者たちに注意された。

 最後に教皇は、信者たちが心に留めておくべき慰めの言葉といくつかの宿題を提示されて、講話を締めくくられた- 「私たち一人一人、少し時間をかけて考えてみましょう。『イエス様、あなたは私の中におられます。私は毎日、あなたにお会いしたい。あなたはPerson(人格)であり、idea(観念)ではありません。あなたは友であり、(コンピューターの)プログラムではありません。あなたはとても多くの問題を解決してくださる『愛』です。あなたは福音宣教の始まりです。イエスよ、あなたは喜びの源です。 アーメン」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年11月15日

☩「他者のための小さな希望の松明となるように」-11月26日の「世界青年の日」へメッセージ

教皇フランシスコ ワールドユースデー・リスボン大会で 2023年8月6日教皇フランシスコ ワールドユースデー・リスボン大会で 2023年8月6日  (Vatican Media)

(2023.11.14 バチカン放送)

  教皇フランシスコは14日、11月26日に記念される「第38回世界青年の日(WYD)」に向けた若者たちへのメッセージを発表された。

  カトリック教会は26日、典礼暦年の最後の主日「王であるキリスト」の祭日に、WYDを世界各国の教区レベルで記念する。今回のテーマは「希望をもって喜びなさい」(新約聖書・ローマの信徒への手紙12章12節参照)だ。

 メッセージの冒頭で教皇は今年8月に行われたワールドユースデー・リスボン大会での若者たちとの出会いを、光と喜びあふれる体験として思い起こされた。

 そして、2025年の聖年を機会にローマで行われる「若者たちの聖年」行事を経て、2027年に韓国・ソウルで開催される次回WYD大会へと続く歩みを「希望の巡礼」として示され、「皆さんと共にこの希望の道を歩んでいきたい」と述べられた。

 今年のテーマである「希望をもって喜びなさい」という使徒聖パウロの言葉は、「当時、迫害の最中にあったローマの信徒たちを励ますものです」とされ、聖パウロがここで説く「喜び」は、実際には「希望に基づく喜び」とも言え、「それはキリストの復活の神秘とその復活の力から湧き出し、人間の努力の結果ではなく、キリストとの出会いから生まれる喜びです」と説かれた。

 そして、「あの喜びはどこから来るのでしょうか。どのように説明できるでしょうか。多くの要素が一緒になっていることは確かですが、その決定的な要素とは『私は望まれた存在だ。私にはこの歴史の中で果たすべきことがある。私は受け入れられ愛されている』という、信仰から来る確信です」という、ベネディクト16世が2011年のWYDマドリード大会を回顧して述べた言葉を振り返られた。

 教皇はさらに、「今日、多くの人が希望を持でずにいます。若者たちも戦争や暴力、いじめなどを経験し、失望や恐れを抱え苦しんでいます。無実の人の苦しみをはじめ、人類の悲劇を前に、私たちも、詩編作者のように『どうして?』と主に尋ねる」が、「私たち神の答えの一部となることができるのです。神の似姿として創造された私たちは、不可能と思われる場所に喜びと希望を生む、神の愛を表す存在となることができるのです」と強調。聖コルベ神父や、聖バキータ、福者ウルマ一家のように、人間の最も残酷な悪の中で希望を証しした、多くの聖人たちを思い起こすように、若者たちに勧められた。

 また、教皇はマリアを「希望の女性」とされ、「カルワリオの丘でマリアは『希望するすべもなかった時に、なおも望みを抱き』(ローマの信徒への手紙4章18節参照)、御子が告げた復活に対する確信を心から消し去ることがありませんでした」と語られ、「キリスト教的な希望は、安易な楽観主義ではなく、『神は私たちを見捨てることなく、約束を守られる』という愛と信仰に根差した確信です。また、キリスト教的な希望は、苦しみや死の否定ではなく、遠くにいると思われる時でも、いつも私たちと共におられる復活されたキリストの愛を記念することです」と説かれた。

 そして「希望の輝きが私たちの心に灯っても、それが心配や恐れによってかき消されてしまう時があります。希望の火を生き生きと保ち続けるには、聖霊の息吹きが必要です」と指摘され、聖霊と協力し、希望を育む方法として、「祈りによって希望の火を保つこと、また、例えばソーシャルメディアで希望の言葉を分かち合うなど、希望に基づいた生活スタイルを選ぶこと」を挙げられた。

 そして、「多くの困難の中でも、信仰に満ちた希望を持ち、自分自身が他者のための小さな希望の松明となるように」と若者たちを促され、「復活されたキリストに基づく希望と喜びをすべての人と分かち合うことを恐れてはなりません。自分たちの心に灯った火を守ると同時に、人に与えることで、それがさらに大きくなることに気づくでしょう」と励ましておられる。

(編集「カトリック・あい)

 

2023年11月15日

☩「私は、自分の”魂の油”をいつも用意しているだろうか?」教皇、年間第32主日の正午の祈りで

(以下、「バチカン放送})

 教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 今日の福音は、各自の人生の意味についてのたとえを語っています。このたとえにある十人のおとめは、「花婿」を迎え出るよう召されています。私たちが「生きる」とは、イエスと会うよう呼ばれる日のための大きな準備なのです。このたとえの中では、十人のおとめのうち、五人は愚かで、五人は賢かった。その賢さ、愚かさが何に基づくものなのか、考えてみましょう。

 花婿の付き添い役のおとめたちは皆、花婿を迎え出るため、出会いたいために、そこにいる。それは、私たちが幸せな人生の実現を望みながら生きていることと似ています。賢さと愚かさの差は、熱意の差でも、出会いの時間に正確にそこにいたか、ということにはありません。おとめたちは、皆がともし火を手にして待っていました。賢さと愚かさの差は、別のところ、「準備」にあったのです。

 福音書にはこう書かれています。「賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた」と。だが、愚かなおとめたちはそれを持っていなかった。つまり、おとめたちの違いは、「油を持っているか、持っていないか」にあります。油はランプの中にあるために外から見えませんが、油がなければ、ランプに光はともらないのです。

 私たちの人生も、同じ危険に陥ることはないでしょうか。見かけに凝って、他者の前で自分のイメージを良くすることに重点を置いてはいないでしょうか。イエスは「人生の賢さは別のところにある」と言われます。外からは見えないが最も重要なもの、つまり、心を大切にすること、内的生活を守ることにある、と。

 それは、自分の心に耳を傾け、自分の感情や考えを注意深く観察するために立ち止まること、沈黙の時間を持ち、自分と他者に耳を傾けること、携帯電話の画面を見つめる時間を他者の瞳や自分の心、神の眼差しの中に光を探すために割くこと、活動至上主義に捉われず、主と御言葉に時間を捧げること、です。

 福音書は、内的生活の油-「魂の油」を切らさないためには、「準備」が重要だ、と教えているのです。たとえの中のあるおとめたちは、ランプは持っていても、油を準備していなかったので、外の店で買って、ランプに油を入れる必要がありました。私たちの内的生活も同様に、必要だからといってその場で簡単に作ることはできません。重要なことのためには、毎日少しずつ時間をかけて準備する必要があるのです。

 ここで自分に問いかけてみましょう。「今、人生の中で何を準備しているだろうか。お金をいくらか貯めること、家や新しい車を求めることだろうか。それは悪いことではない。しかし、心のケアや祈り、他者への奉仕、人生の最終目的である主のために、時間を割いているだろうか。自分の魂の油は足りているだろうか」。

 私たちが内的生活の「油」をいつも用意しておくことができるように、聖母の助けを祈りましょう。

(編集「カトリック・あい」)

2023年11月13日